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30代男が生きる意味を徹底して考えるブログ。

   
仕事でも遊びでも自己実現はしない
ある40代の方のブログ。
妻も子供もいて、仕事も経営者で、ニューヨークで働いているという。

生きる意味を考える
http://www.cbc-net.com/blog/qanta/2016/05/04/livelong/


そんな「リア充」が、生きる意味を考えるなんて、おこがましいにもほどがあるぜ、と、以前の僕なら思ったかもしれない。

しかし、この上の記事において共感するところは、そして、見習うべきところ、参考にするべきところは、……いや、違うな、よかったところ、とでもいうのか、それは、答えが出ていないということと、仕事というものに対する考え方という点である。
仕事なんていうものは、基本的に暇つぶしだ。幸運なことに私は先進国に生まれたし、適当なバイトでもやって、部屋に引きこもってWikipediaを読み続けていたって死ぬまでの時間を潰すことを許されている。先進国では、よほどのことがないと死なない。
じゃあなんで必要以上に一生懸命働いたりするのかというと、これはもうほとんど生理的な問題だ。人の一生は有限で、有限だからもったいなくて、ゆえにジタバタ頑張って、承認されて快感を得ないと損な気がして、なんか気持ち悪くて働く。

この方も分かっているが、――と書くと、非常に上から目線になってしまい、よく会話の節々にそういう点を醸し出すことが自分はあるから、特に気を付けているのだけれども、ただ他意はなく、自分の方が優れているとか偉いだとかそう思っているわけではないのだけれども、他にどう表現していいか分からない感情なのである。――何故生きるのか、とか考えることは、考えられることは、それだけで「幸せ」という状態であるということだ。

なんやかんや書いてきつつも、とある国の斬首動画とか見ていれば、首を掻き切られる瞬間の苦悶の表情、そして、何やら難しい神への供物の呪文を読み聞かせられている時間、迫りくる死の恐怖、そういったものを感じる状況になれば、「死にたくない」と、無様に悲鳴をあげるのではないか、そう思う。

だから、まずは、こうやって文章を書くことができること、そのことに対する感謝(何への?)を忘れてはならない。この前提の上で、「生きる意味とは」と、考えなければ、それはもう、空虚なものになりさがるのである。

仕事でも遊びでも自己実現はしない

上の、40代経営者の方の言葉として、非常に価値がある記事だと思った。
こういうのが読めるってのは、インターネット社会のすばらしさである。何せ、図書館や本屋さんに行って、いくら探したって、「答えのない」本なんて存在しない。
作者がどう考えているかは別として、その思考の過程があったとしても、結論としては、「ある」のだ。
まぁ、その結論を無視して読むことはできるけれども、どうしても、その結論があるというのは、死の恐怖を考えずに生きる意味を考えるような、矛盾というか、空虚さが残るのである。


さて、前置きはこれくらいにして、「仕事でも遊びでも自己実現はしない」という表現に至ったことを書いていく。
つまり、仕事でどれほど成功したとしても、「で、それが何だったの?」という問いに対して、例えば大勢の人を幸せにしたとか、日本の経済に貢献したとか、とても長く素晴らしく語ることができたとして、そのことに対する「実感」、それがまさに自分が生きた意味であったと思えるかということとは、別であるというわけだ。

だからといって、仕事を軽視するというわけではない、むしろ、余暇を充実させたところで、それもまた押し寄せる空虚さに対応できるものではない。
くだらない話になってしまうが、この「空虚さ」が、襲い掛かるかどうかは、その人次第であって、万人誰でもこの点について悩むかどうかというのは別問題である。
もしくは、少し悩んだとしても、今まさにここにいることを信じ、その行為を信じ、現実を強く生きることができる人も、それもまた多いことだろう。


しかし、いざ、その空虚な問いに取りつかれた人は、はたと困るのである。


お祝いの言葉を頂いた皆様、ありがとうございます。しかし、戦時中に赤紙を受け取った青年が他の人に「おめでとうございます!」と言われるときの気持ちって、命かかってないから比べようがないけど、ベクトルとしてはこんな感じだったのかもしれません。けど、ありがとうございます。というところで御礼に代えさせて頂きます。


また、引用だけれども、この、「おめでとうございます」のとらえ方、これ、当然本人の気持ちは分からないけれども、非常に皮肉的であり、よい表現と思った。
ぶっちゃけストレートに言い換えると、「自分では全然嬉しくないし喜ばしいことでもないと思っているが、一般的にそれは喜ばしい良いことなのだろう、であれば自分もそう感じるべきだ」とか、結論的感情は多岐にわたるだろうが、そういうことである。こういった表現できる人って、頭いいんだろうなぁとか思いながら現実には付き合いたくないなかっこわらいとか、それはつまり、結局他者に「純粋性」を求めているのであり、自分に都合のよい人を求める弱い心性であるのだけれども、とにかく純粋に、面白い方だと思う(と書くとまた上から目線的であるが、僕は(以下略))。

猫の恩返し



もう10時か、早いな。朝7時ぐらいに起きてから、ふと目についた猫の恩返しをみていた。
ルーン王子が他国の会議から帰ってきて、ユキちゃんにプレゼントを渡し、それがハルが幼いころに助けた猫に食べさせたお魚クッキーであったことから、ユキちゃんがその猫だったと分かったとき、感動で涙がこみあげてきた。
「お礼なんていらない! だって私も嬉しいんだもん!」
「やっぱり、猫を助けてよかったのよ!」

それまで、さんざんムタに、おせっかいなんてやいて猫を助けたりするからこんな面倒に巻き込まれるんだ、とか言われていた部分の、素敵な伏線回収である。よいストーリー構成だ。


新しいスポーツも始めてみたりと、毎日がとても充実し、楽しい、と、この楽しいというのも相対概念である。閑話休題。

考えることと書くことと

今しばらく、文字を打つ手を止めて、頭の中だけで考えてみようとした。
途端に、言葉が出てこなくなる、いや、いろいろと浮かぶのだけれども、発生しては消えて、もしくは絡まって、ぐちゃぐちゃと触手がわらわらと発生して気持ち悪くなる。

やっぱり、僕は、書きながら考えることが向いている、もしくは、話しながら考える、ということもできるけれども、これは、言葉にするスピードと思考とが微妙にかみ合わなくて、あんまり適切じゃないということにプラスして、言葉はすぐに消えてしまうから、読み返せないことが、結局後に頭の中のごちゃごちゃぐちゃぐちゃに繋がるだけである。


整理してみよう。

・何か現実生活において、大変なことが起きる。
・問題解決のために努力を行う。
◇問題が解決する→END
◇問題が解決しない→次へ
・更なる問題解決のための努力を行う。
・問題が解決しない、又は解決の答えが見つからない(そもそも答えがない)
・自分に解決する力がない(又は時間がない、物理的に不可能)
・何故自分はこれほど頑張っているのか
・そもそも何故自分は生きているのか
・生きる意味などない、それを考えること自体が幸せである
・しかし現時点で自分は苦悩している
・苦しい思いをしてまで生きているのは何故か
・今が苦しくても、楽しいことがあるはずである
・楽しいことがあったとしても、また苦しいことが発生する
・楽しかったり苦しかったりの繰り返しが人生だとして、それが何の意味があるのか
・意味なんてない、その繰り返しこそが人生である
・その繰り返しをすることが何になるのか
・意味なんてない
・意味がないとしたら、生きている意味だってないのではないか
・本来的に生きる意味はない
・というと?
・生きたい、知りたい、仲間になりたいという脳の機能、本能がある
・本能が故に人は生きるのである
・だから生きる意味を考えることは無駄である
・本能を満たすためだけに生きる
・何れ死はやってくる
・死に対して、本能は無力である
・生きたいという最大の欲求は必ず否定される運命にある
・それでも本能に従い苦しい思いもしながら生き続ける必要があるのか
・必要性の問題ではない
・ではなにか?
・それを自らが望むかどうかだ
・積極的に死にたいわけではない
・けれども、何れ迎えるであろう死を考えたとき積極的に生きたいとも思えない
・お前という個の役目はもはやないのだ
・だから別の生命を生み出すという行為しか残されていない
・しかし子供をつくるということは、結局は脳の認識に過ぎないのでは
・というと?
・自慰行為と性行為に個体として、身体としての認識の違いがあるとは思えない
・それは勝手な推測である
・確かにそうだ、しかし、子どもを育てて立派にするということ、その立派とは何か
・もっといえば、子どもを育てることにより自己の問題が解決する根拠だってない
・経験しなければ分からない
・そのとおり、だがその思考になれば、死すら経験しなければ分からないことになる
・であるならば、思考はすべて無意味としかならない(経験が至上であれば、考えたって、死んでみないことには死とは何か分からないのだから)

思考は無駄である

紆余曲折あるが、大抵のロジックはこのようなものであって、結論として、思考しても、生きる意味など考えても無駄である、ということになる。

じゃあ、上の流れで頭を回転させたとして、現時点非常に困難な問題を抱えている場合において、果たして、それで納得するのだろうか。上のロジックは、今まさに、現状を憂いて自殺しようとしている人に、死を思いとどまらせるだけ強いものであるのか。


おそらく、否である。

もっとも、自死をするには様々な原因があるから、その原因を取り除くことが第一優先なのだけれども、結局、

生きる意味なんて考えてたって、人生有限なんだから、楽しまなきゃ損だぜ!

とか言えるのは、実際問題現時点楽しんでいる人たちだけなのである。


いやはや、貧困問題とか様々あって、恋人はおろか彼女すらできたことがないとか、ひどいイジメにあっているとか、自分の生活と他者の生活を比べても、全く意味のないことである。

この意味のなさというのは、仕事で自己実現とか、プライベートを充実させるとか、その程度で解決するものではないのである。

これが、「実存問題」という。

今まさに俺が生きてるんだ。
その俺が苦しんでるんだ。
どうしてくれるんだ。

なんとも身勝手で、かっこ悪いものだ。

実際問題、まぎれもなくかっこ悪い。だから、あんまりこういった表現は多くない。

いやきっと探せばあるのだろうけれども、中々でてこない。

そりゃそうだ、だって、かっこ悪いのだから、女にもモテないだろうし、仕事にも役立たないだろうし、そもそも「楽しくない」ことなのだ。

脳内世界とイデア界

リア充は、現実世界に答えを求めようとする。
オタクは、脳内世界に答えを求めようとする。

と表現するのは、本田透氏である。




本当の「哲学」を学ばれている方々にはたいそう許せない内容だそうだが、「考える」ということとは何か、ということを学ぶには、とてもよい教材のように思った。

例えばプラトンのイデア論は、様々な物質や事象は永遠なもの「イデア」から映し出された虚像なのである、と理解しておけば、テストで点はとれる。(洞窟のたとえ)

けれども、何でそもそもプラトンさんはそんな、「理想の園、イデアはあります!」なんて言い出したのか。教科書的には、師ソクラテスが処刑されたことによって、政治の堕落に失望し……なんてあるけれども、そんな崇高な理由だと親近感がわかない。

本田氏は、(やや強引だが)プラトンは現実ではモテないから、脳内で萌えたらいいんだ! と気付いた、という。

まぁプラトンが本当にモテたかったのかどうかは分からないけれども、そもそも、歴史に理由とか意思なんてものを見出そうとするのは、蛇足というか後付けでしかない。歴史にイフはない、というのは、歴史とは、単に事実であるということなのだ。

物理学の使命

脳内で理想を見出そうとするか、科学をもってして物理法則の統一理論を導こうとするか、方法は違えども、唯一無比な根本原則がある、と信じて追究する点は似ている。
電気力と磁気力を統一したのがマクスウェルの電磁気学だが、そうやって、一つの式で、諸条件を与えることによって、一つの確定した解を導き出せる方程式を突き止めることが、物理学の根本使命なのだという。素直にかっこいいと思う。

やっぱり、そういうかっこいい目的のための仕事に携わることが、生きる意味を導くための大事なことなのだろうか。

これが、仕事への生きがい、ということだが、往々にして、第一線で活躍する科学者になるには、非常に困難が待ち受けている。これって、プロ野球選手になるのと同じぐらい、かは分からないが、とにかく大変なことだ、といって大変だからやらなくてもいいかというとそういうことではない、努力が大事だ、頑張れ、やればできる! とかいうのは、思考ではないので、わきにおいておこう。

とかく、例えば、第一線ではなくても、研究助手(ポスドクとか)のような仕事だってあるし、研究所の清掃員だってとても大切な仕事だ。きれいな職場が維持できるから研究ができることもある。

となると、結局、僕が今やっている仕事だって、「人のため」になる仕事であり、誰かの役に立っている。それをどこまで信じられるか、という問題だとすれば、結局、どの仕事だって同じ。

このあたりに、仕事を生きがいにしても、生きる意味から逃れられない困難性をぬぐえない理由がある。


第一、ふと冷静になってみて、宇宙の根本原則である「解」が見つかったとして、では、自分が生きた意味は何だったのか、苦しい思いをして、その研究に携わって、答えを見つけたとして、それが何だったのか、となったら、目も当てられない。

ノーベル賞はとったかもしれない、たくさんの人の賞賛が手に入ったかもしれない、使いきれないだけの莫大な富を得たかもしれない。

しかし、死からは逃れられない。

その瞬間に、自分の人生に疑問を抱いてしまったとしたら、それほどの悲劇が存在するだろうか。

死の間際の苦悩

素晴らしい業績、功績をつくりだした人が、そのことすら懐疑してしまうのであれば、早々に自死をした場合と、どちらが良かったのか、全く分からなくなる。

もちろん、残された人類にとっては、幸福でしかなく、感謝してもしきれないだろう。
アインシュタインの相対性理論(一般相対性理論?)がなければ、GPSの誤差大きくなり使い物にならなかったのだ。
(と、書いてから調べてみると、どうやらカーナビと相対性理論は関係ないらしい。とある書籍で知って、へーそうなんだ、と思って「信じて」いたけれども、違っているということもあるということなのだ。最も、その読んだサイトの内容が正しいかどうか、僕の頭では判断できていない(ちょっと読む分には正しいように思われる)から、どっちにしろ「信じる」しかない)


うえのカッコがきの蛇足、を書いていて思ったけれども、その「信じる」ってのが、非常に思考において重要になってくる。

日本人は特に、宗教を毛嫌いする傾向にある……というのも、単に一般的に言われているだけで、例えば、今ある政党を一つずつ調べていけば、その繋がりも見えてくる場合もあるから、それだって一面をとらえているだけに過ぎない。

とにかく、「信じる」というのは、どうにもこの科学的な社会において、蒙昧で、無知で、恥ずべきことのように考えられることが多いながらも、実は、一般人は(いやもちろん、僕がとりわけ頭が悪いというのもあるのだろうけれど)それほど多くのことを理解できるほどの頭脳をもちあわせていない。
「論理的思考力」というのは、鍛えられるものだし、頭がいい人は、型にはめて理解して応用する力に優れている。

が、その「型」が、本当に正しいかどうか、ということは、実は「記憶」と言い換えることもできるものの、「信じている」ことに他ならないのである。

科学だってそう。お金だってそう。

友情や愛だってそう。

自分が明日元気に生きているという思いだってそう。



いろんなことを、人は信じて生きているのだ。

この近代、現代に何故宗教がなくならないのか、自爆テロなど、宗教をめぐって人は何故そこまで残酷になれるのか、凄惨なことが起きるのか、理解できないことが多いだろう。

しかしそれは、資本主義社会が絶対善だと信じられているように、人はそもそも、信じることで自らの生活圏を守っているのである。


「のである」とか、カッコつけて書いているけれども、結局そのことだって、証明できているわけではないのだし、僕も結局単に「信じている」だけである。

ただ、ここで言いたいのは、メモしておくべきことは、その「信じること」、最近よく使う表現に言い換えれば、「実感」や「実存」ということが、重要であるということだ。

長くなったな。誰がこんなの読むんだ(笑)。


まぁ、少なくても、僕は読むだろう。ので、もう少しだけ書き進めよう。



考えるうえで気を付けるべきこと

・実感を重要視する(他者を気にしない)
・書くことの意味を疑わない


2点目、これはもう、表現しつくしたのではないか。さすがに、もう、このことは書かなくてもよいのではないか。

1点目と合わせて、特に僕は、書いていないと頭が整理できないようなのだ。
本当は、図解したりとか、もっと手っ取り早い表現方法や思考方法があるのかもしれないけれども、その図解するに至るまでの思考がそもそも「始まらない」(笑)。

図解は結局、僕にとっては、他者に分かりやすく伝えるための手段でしかないのだろう。いや、これはまぁ、訓練して、頭の中に図を描けるようになれば、思考スピードも速くなるのだろうけれども、それはまた別のはなしだ。

だから、もうこの先、「このブログに何の意味があるのだろう」とか、「書くことが何になるというのか」「生きる意味を考えてどうするのか」、これらの疑問というか、それはもう抱かないことにしてはどうだろうか。

考えることとか、生きる意味とは何かと問うてみることとか、それ自体がどうであれば、もう現に生じる思考はどうしようもない。

意識的に考えないようにする、坐禅とか、そういう行為や、酒や女とか、友達と遊ぶとか、それらもまた別の次元で必要だろうけれども、それとは別に、この「思考」というのは、もう一生付き合っていくしかないのではないか。


そりゃあ、たくさんのサイトで、「生きる意味なんてありません」とか「考えたって無駄です」って言われているわけなんだから、それはきっと真実なのだろう。

ただ、その真実が、果たして「僕にとって」の真実かどうか、それを、まだ僕は「信じられない」のである。

そして、きっと、そのことは、僕はずっと「信じられない」のではないか。


……うーん、やっぱり、「ではないか」と疑問形で打ち込んでしまった。

やはりこれについても、まだ結論を書けるだけの気持ちがかたまっていないということなのだろう。

1時間半ぐらいも考え、書いているが、今日もまた、何ら結論がでないまま終わってしまうのか。(久々にデスクトップパソコンで書いた)

しかし、ただ、一つだけいえることは、悶々と、苛々として時間を過ごすよりは、よほど充実した素晴らしい時間を過ごせたと、そう「実感」できる、ということだ。


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