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行動のための第二歩
2016/10/17 20:00 | Comments(0) | イライラ対処
俺、頑張ってますよ、とか、自慢話など面白くないだろう。何かの記事で、好きなことをやってお金を稼いで人生充実して楽しんでいる人は、敵も多くなり、嫌われやすいと読んだ。

そういうネガティブな面もあるのだ、ポジティブな人とだけ付き合いましょうとか、そんなこといってると、どこか足をひっぱられることもある。

先日の、0.9の人間とは、どんな奴だろうか。
他人の幸せが羨ましいとか、よくわからん。
いや、法界悋気にむしろ俺は陥っていたのでは? いや違う、他人を妬むより、まず自分を卑下する方が先だった。

何か生じて、それを人の性には思えなかった。
誰かのせいにできたら楽かもしれない、ただ、良いことも悪いことも、直接的であれ間接的であれ、それは、自分が関与し引き起こしたことなのだと。

身に覚えがない濡れ衣や、単にタイミングが悪くて怒られるとかもあるが、まず、自分の立ち回りかたを罵った。そして、ルックスがよくないからだ、説明がよくないからだ、声がよくないからだ、話し方がよくないからだ……


何でもかんでも、自分で引き受けてしまうというのが、俺の悪いところだろう。

誰かを頼ってよかったのだ。誰かのせいにしてよかったのだ。
自分を認めてもよかったのだ。



前置きはこのくらい



さて、基礎体力作りのために、日課を今日から実践しようと。

こんな記事は全然面白くなかろう。
日々、仕事に、プライベートに充実してますよ、とか、そんなのフェイスブックでやっとけってもんだ。

だから、しばらく、blogをやめようか。
規律表とか、他のエクセルで行動管理しようか。

何かをするには、何かを捨てなければならない、と。


これまでとは違う方法に



まずそもそも、帰りが遅くなると、日課なんてできない。
根本的に、仕事の働きかたを変えるか。しかし、突発的な仕事が多く、先が見通せない。早く帰る日をつくるのはできても、それがいつにできるかは分からない。でもこれは、アルバイトじゃないんだから仕方がない。

では考え方を変えて、朝やるしかない。

朝なら、起きれさえすれば、時間の確保はできる。

ルーチンが途切れるとき



そのとき、いつも問題になるのは、飲み会とか、深夜までの残業だ。

帰宅が24時過ぎたとき、例えば26時とかなって、朝6時に起きて音読筋トレがんばろー、とか、無理ゲーである。


こういう無理を許容しない計画をたててしまいがちだ。
高校生のとき、徹夜で勉強して、みたいな計画を立てたことがある人もいるのではないか。テストというピンポイントな目標にたいしては有効な場面があるだろうが、今回は、日課として、ルーチン化しようという試みなのだから、それはダメだ。

むしろ、不可能なことを想定し、その、自分の感情も含めた、不可能性許容する計画がうまい計画だ。


ありふれた記事



こんなことだけ書いてあると、僕がGoogleとかで検索し、みつかる、日々を充実させるには、的な記事と同じにしか思えない。

ただ、過去の記事まで含めると、ここで書いてることの意味が、単純なそれとは異なることに気づく。気づくよね、未来の俺は?

今のこの、重苦しい自分の気分が、たぶん表現してないからできていないだろう。

音読
筋トレストレッチ


この言葉が、自分のなかにしっくりこず、このあと、何十年も先にまで繋がるルーチン化しようという試み。

これへの、意味を問い、価値の問い、その懐疑の中で、成功できるかも分からないこの今の状況……

すなわち、例えこれから家に帰って日課をできたとしても、それは目標の達成などではなく、単に一日を乗りきっただけである。

この、一日をただ乗りきるだけの無為な作業を、これから、飲み会とか突発的な事象のなか、いいわけをせずに、ずっと続けていかねばならないのである。



計画をたてるのは重いこと



計画を立てることが、一番重いことだと捉えている。
実行は、その附帯作業だ、ぐらいに。

計画の失敗は、実行の失敗ではない。
計画そのものの、失敗なのだ。

実行できないことがその直接原因だが、実行できない計画をたてたことが失敗なのだ。


PDCAサイクル?

バカが。

チェックして変更を許容することが前提の計画なんて、そもそも実効性に揺らぎが生じるだけだ。
(厳密には、別に計画変更することが前提になっているのではなかろうが)

僕がたてようとしているのは、日々の成長のための方策などではない。
企業の成長モデルとからそんなもんじゃない。


完成形のイメージである。

最終目標、最終目的である。 

生きる意味。人生の価値。私とは何者か。一生涯で成し遂げること。



こんなこと書いてると、意識高い系のようだ。
しかし、同時に凡人宣言をしている。

凡人として生きることと、ストイックな生き方。 
矛盾している。

今回の記事は本当におかしなことになっている。

ただ、このブレ、このかいり、ずれ、違和感がありつつも、今回の記事もまた誠実だ。


今回のこの面白くない記事、これを、いかに認め、そして、これまでの記事との関連をはかるのか。

ああ、
本当に




えらいひと




苦しんだ人が偉いのか?

考えた人が偉いのか?



誰がすごいとか

誰が役に立つとか


何が正しいかとか
 


そんな一般論など、いらん。


とか、こういう記事、まさに、まさに、気持ち悪いという感じなのだろう。
今日、仕事中、帰ったら日課しなきゃなと、思ったとき、僕は勉強ができないという小説の、サブキャラが、女の子と付き合ったとき、女の子が生理痛で苦しんでいたのに、知的な、哲学的な会話をしていたのだと。青いかおをした女の子に気づくそぶりもなく気持ちよく話していたのだと。


このこともまさに事実のひとつ。

つまり、行動によって、人は評価されるのだと。
口だけの野郎に誰も従わないのだと。

後ろでこそこそ人を使って謀略するやつより、前線にたって戦う奴の方がかっこいい。

知的な答えをもつ人よりも、女の子の気分の悪いのを気づいてやれる方がかっこいい。





この、すべての事実に、ある意味喧嘩をうろうというのだ。

これがクソ凡人のあり方だと、まったなしに、批判も嫌悪も受け入れて、ただ目的を果たすことに邁進せよ、というわけだ。 


なんだか大変そうだ。
そんなことより、もっと単純に明るく楽しくなるように頑張った方がいいんじゃない?
どうせ大変なら、一般論的に頑張れば?




行動の第二歩



ああ、しかし、それもいいのかもしれないが、それこそ、いやむしろ、それがもう憧れないし、それをするための方法も分からない。

分からないという意味では、いま僕が目指そうとしている、目的追求的な生き方もまた分からないけれどもしかし、それでも、



















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