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仲間になりたい本能と面倒さ
2016/11/15 22:35 | Comments(0) | イライラ対処
人間関係的調整関連の仕事と、専門的な仕事の両方が積み上がってきて、どうにも最近は調子がよくない。

どうしよう……と不安や焦燥がつのる。さらに、関係者に落胆させてしまうのではという申し訳なさも増していく。



といった、感覚になっていると、過労死とか過労死寸前になった人たちの記事とかニュースとか目に入り、いやあ、俺はまだまだ余裕なんだなぁ、とか、比較思考に陥る。

ダメだって。比較思考は百害あって一利なし。やめた方がよい悪習の1つだ。



しかしだ、疲れたー、ああ疲れたーとか、そんなこと書き連ねても、気分は晴れないし、未来の読者からも飽きられてしまうだろう。

よし、気分転換に何か別のことを書こう。


30代女性の婚カツブログ



婚カツ頑張ってる女性のブログを読んだ。
かなり面白かった。まず、描写力がすごいいい感じ。
普通に体裁整えたら一人称の小説になりそうだ。

ダメブロ界の有名な方で、IT派遣されて英語の勉強も頑張ってる方のブログも、その幼少時代の孤独感と虐げられた生活と人間観が非常にコンパクトに核心ついてまとめられていて、すげーなぁっと思った。

リンクもさせていただいてる、様々なニュースや思想にたいして、独自の自分の見解を、軽妙かつ鋭い切り口でほぼ毎日のように綴られているかたのブログも、本当にすごいと思った。
毎日のように書く、というのであれば、文字数とか僕も負けない自信はあるけれども、テーマがとにかく大人なんだ。きっと波乱万丈修羅場を潜り抜けてきたかっこいい方なんだろう。



その方がおっしゃっていたのだけど、僕の言葉で置き換えてしまうと、選択的コミュニケーションの重要性について、触れられていたのが印象的だった。


選択的コミュニケーション



いわゆる、全人格的な承認じゃなくてもいいじゃない、ということだ。

徒弟制度だと、そうはいかないかもしれないけれど、いちから百まで全部尊敬できる人、とか、それをメンターとか表現されたりもするけれども、そんな必要ないと僕は思う。

よく、世間的に好評な言葉で、みんなちがってみんないい、とかあるだろう。人は長所と短所もある、とか。

それはつまり、この分やはこの人、この場合はこの人、といったように、場面に応じた付き合い方を選択できてもいいじゃないかと。



人間関係の組織的な規定



組織、というのは、一定のルールにもとづいあ集団のことであり、集団とは、二人以上の相互行為が発する状態だ。

組織とか集団においては、中々、選択的コミュニケーションはとれないと思う。

難しいよね。物理的な時間を共有しているのだから、ある程度不都合や、不快感など、抑え込む必要があるだろう。


その点、ニコニコ動画は、非同期的なコミュニケーションでありながら、まるで<祭り>
に参加しているような感覚をコメントを読むことで味わえる点で画期的なのだ。



昔に比べて、昨今は人間関係が希薄になった、とかいう言説もある。
けれども僕は、別に今も昔も、コミュニケーションとりたい! って人々の思いは、別に変わってないと思う。ただ、その在り方が変わっただけだと。
そとそも、人の本能は、生きたい、知りたい、仲間になりたい、なのだ。



孤独が好きとは何か



でもさ、男は一人の時間が必要だ、みたいなことがいわれる。
俺も一人の時間が別にそれほど苦痛に思ったことはない。が、ここ、別に女のひとだってそうだと思うよ。ここでジェンダーする必要ないと思う

それはそうと、では、本能は仲間になりたいと、思うはずなのに、何故孤独を求める心性も発生するのか?



……いかにも、答えがあるかのように問いかけたが、まさかこんな話になるとは、書き始めたときに全く思っていない(笑)

行き当たりばったりのログである。


頑張って答えを考えると、そうさな、おそらく、仲間になりたいという本能以上に、人間関係が複雑で面倒くさいものになっちまうから、だと思った。


やれ暑気払いだお歳暮だ、忘年会だ、空気よめだ、相手を慮れだ、思いやれだ、ビジネスマナーだ、笑顔が大事だ、同調圧力だ、だ、と、人間関係の維持は、かくもごとき、面倒くさいものである。

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