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申し訳ない忙しかった
2019/04/30 21:43 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「言い訳はいかんとの風潮は如何か」「状況説明と言い換えればよい」
(前回記事へのコメントはまた今度書きますッ!!)

前書き

 久々のブログ更新である。
 ブログ更新など目をつぶってでもできるなどと言っていた時期が僕にもありました。

 忙しいと無理。
 生活環境(職場とか対人関係とか)が変わると、ものすごく忙しい。
 PCの前にゆっくり座るということすら殆どできていなかった気がする(注意:アマゾンプライムで動画はしっかりみていたが、それはゆっくりではないのである)。

 PCで文字を書くことが殆どできなかったので、仕方がない、スマホから投稿するかとも考えたが、結局、忙しい、疲れた、という状況ではそれもできなかった。

言い訳

 新しい環境から1か月が過ぎた。取り急ぎ、うまくやっている。上々といっていいだろう。
 結果は、そうだ。
 だが、その結果に至るまでにどれほど苦労したかということは、たいてい何にも残らない。
 残らない。
 残らない!

 この残らなさが嫌で僕はブログを書いているのかもしれない。
 例えば、飲み会などは、非常に気を使うものであって、「楽しむ」どころでないのは当たり前なのであるが、しかし、第一印象的には「楽しんでいる」と思われることが多い。そのために、どれだけ思考や行動を注意深く行っているか、ということは伝わらない。

 逆に、「伝わってはいけない」のであるが、その「大人な事情」的なのが非常にストレスなのは、常に書いて書いて書き続けていることである。

 まぁその、世間は10連休ということであり、私も少し心を落ち着けようというわけである。

 ああ、しかし、分かっていたはずだが、少しずつでも、更新していないと、「こういった感じ」になる。要するに、何を書いていいか全然分からない。

けものフレンズ

 けものフレンズがアマゾンプライムで掲載されるようになって、1から、2まで、あまり期間を置かずに全部みた。

 結果として、1は面白かった。これは、公開当時(2017年?)1話のみ無料でみれたときから、「これは面白そうだから、アマプラで見れるようにいずれなるだろうから、そのとき見てみよう」と思っていた感覚が当たっていた。面白かった。

 2は、世間で言われているように、面白くなかった。とある友人のバズッたけもフレ2の記事を事前に読んでいたから、なんとなく面白くないのだろうと思っていたが、いやむしろ、その記事を事前に読んでいてよかったと思った。
 違和感。
 違和感の連続、しかし、おそらく自分ひとりではその違和感をうまく表現できずに悶々としていたことだろう。

(引用)
 物語としても、「家を探す」という目標に対して、スケッチブックの絵を頼りに各地を彷徨うという、目的地に対して近付いているのか遠ざかっているのか分からない展開が続き、「ヒトのおうち」に最も関連がありそうなイエイヌに対して「ここは僕の家じゃない」とばっさり切り捨てた挙句、最終回では「パークが僕の家」と結論付ける。
 明確な目的地が提示されないために、話数が進んでも目標に近付いているのかが分からず、各話の物語も薄っぺらく積み重ねとして映らないために「この話必要だった?」と思うものばかりです。パークが家、という結論に至るなら、もはやどこに向かおうと関係がなく、どの話でも結論が出せてしまうことになり、積み重ねを作るそれまでの過程そのものが無意味に映ります。

 色々と共感したところは多いが、その一つが上の引用部分。
 目的がよく分からない――いや、もくてきは分かっているのだけれども、その過程が見えないという状況。オムニバス形式の作品(※)ならまだしも、「家を探す」目的が序盤に提示されつつ、それと関係あるんだかないんだから分からない話が続くのは非常につらい。

※ドラえもんとかひだまりスケッチとかクレヨンしんちゃんをイメージ

法律とか根拠とか

 オムニバスじゃないが、上の話と全く違うことを書く。(これも4月中に思っていたことの断片である)

 法治国家――というと近代的でかっこよくて科学的っぽいが、しかし、「人が大事」と言われる所以は、「解釈」による。

 超常現象的なのはオカルトと呼ばれて蔑まされるのに、「やっぱり最後は人との関係が大事だね」的に言われるのは何故か。矛盾である、と僕は思っている、思ってきた。

 その理由の一つに、完全に機械化できていない現状があることが分かってきた、という話である。

 クレジットカードの広告チラシに、年会費が永久無料、と書かれていた。
 そのクレジットカードの「規約」と読んでみる。
 年会費の条がある。
 さらに読んでみる、「年会費は別途定める金額を請求する」と書かれている。

 いやちょっとまて、広告には、「永久無料」と書いているじゃないか。そうすると、その条項の記載はおかしいのではないか。そもそも、その「別途定める」というのが、果たしてその「広告」なのか、他のどこに書いているのか? ホームページなど見ても、確かに、「年会費永久無料」とある。矛盾していない。矛盾していないが、しかし、その規約の記載はいったいなんなんだ。


 ――という事例である。
 おそらく、「年会費が永久無料であることを規約に書いていない」と指摘する会員は一人もいないだろう。いたとしても、電話口で丁寧に対応していただき、「規約を変えないと絶対許せない!」という人もいないだろう。
 そして現実問題、永久無料なのは間違いないだろう。

ビートレス

 またアニメの話になるが、ビートレスは、映像とテーマは非常に好みだったけれども、最後まで見れなかった。5話ぐらいで体力が尽きてしまった。面白いと思えなかった。いっぽうで、けものふれんず2は最後まで見てしまった。この違いは何なのか。「ネタ感」だと思う。ガンダムファーストが、ファンには申し訳ないが、30代になって初めて見た感じとしては、正直面白いとは言えなかったが、最後までみたのと同じだと思う。いや、1970年代の作品としては素晴らしいと思う、しかし、古典は古典としての重要性はあっても、それが現代的な面白さがあるというのとは別問題である。

 ビートレス(BEAT LESS)が何故それほど自分の中でヒットしなかったのか、これも分析して書きたかったことだが、そこまでの気力が起きなかった――けれども、そのなかで、「AI」をもちいた裁判の問題が取り上げられていて、それは面白かった。

 裁判官にAIを使うということが議会で紛糾していて、それが原因でテロが起こったりする話であるが、裁判こそ、AIが用いられるべき分野であると僕は思う。
(AIが非常に高度で適切であるという前提において)

 本来、裁判にまで発展しない状態で、双方が納得するのが望ましいことである。
 裁判になるということは、お互いもうゆずれないというか、利害対立が明確になってしまったことが原因である。

 そうしたとき、まったく感情を排して裁決するというのは、まさに、AI、ロボットが適していると思う。
 それに、膨大な判例や、法律を分析し、適切な根拠を探し出すというのも、AIが得意とする分野に思われる。
 レポートを書くAIや、要約するAIというのも、実用レベルかどうかは分からないが既に存在するようである。「〇〇法と〇〇の判例からして、有罪(無罪)」というのは分かりやすいはずだ。不安なら、はじめは人の最終チェックを入れてもいいだろう。それに、「世論度」的な、マスコミなどに取り上げられて厳罰化を望む声をどれほど反映するかなどの変数(係数)を設定するのを人間がやってもいいだろう。大学入試の不正問題みたいに、そこに不正を考える輩が発生するかもしれないが、それはまた別の問題であるし、それを懸念するならやはりAIに全部判定させた方が良いということになる。


 逆に今の裁判が、ゆらぎがある(蓋然性? 同じ内容でも判断が異なる場合がある?)という意味で上のようなことを書いているのではない。ただ、裁判費用が高すぎる、というのは、それに見合う技術(知識)をもった裁判システムを構築するためのインフラが必要だからである。
 裁判官しかり、弁護士しかり、検察しかり、裁判所(場所)しかり。
 それらは、現在も適切に機能しているだろうが、しかし、裁判件数が爆発的に増えたとして、現在のシステムで適切な判決が維持できるかというと、疑問であろう。

結論

 結論、なし。

 いや、今回は、久々なので、ここまでで。
 結論がなさ過ぎて、また投稿を躊躇いそうだが、毅然と、この平成最後の日に投稿する。


(かっこ書きである。けもフレ2は、作品自体はともかく、全部みたことで、「地獄の解釈」というのがあって無茶苦茶面白かった。結論、見てよかった、となった。あと、ついに、『シロガネ⇔ストラグル』が(恐らく期間限定で)公開された。これは大事件である。読む者を混沌と愉悦の境地へ誘うことだろう……)

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