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堕落泣き言と思考との関係
2016/08/05 23:56 | Comments(0) | 思考及び書くこと
この時間の帰りであれば、牛丼屋に入り、生ビールを頼む。最近は、ジンが美味しいが、まぁ、ビールはビールで、なんだかごちゃごちゃしてていいかも。
昨日は焼酎、焼酎は味がないから水みたいだ。
ジンは、なんだか、おしゃれだから、ぐちゃぐちゃなときに飲むのはもったない気がする。

それにしても、やっぱり、仕事はきりがない。
それはそうだ、例えば、弁護士とかすぐれた職業の人のなかでも優劣はあって、どこまで依頼人のために尽くすか、ってのはお金的問題でもある。



仕事の目的、それが、家族を養うため、であったとき、確かに、必死に働くかもしれないが、それは、くびになる焦燥感だったら、とても悲しいと思う。

じゃあ、共通する課題をこなす仲間、所属意識か、自己実現か。



僕は目だった挫折はない、と自分で思ってたけど、初恋がみのらなかったときから、根本からボキッとおれていたのかもしれないと、思考とは何かを実践で示してくれたあの人のことを思いだし思った。

もういつのまにか、僕も彼と、同じぐらいの年になったのかもしれない。


泣き言と思考の違い



泣き言は、その言葉を発すること事態が目的。思考は、その先の目的を見いだす作業。


僕は、泣き言や堕落を目的とはしていないが、この違いはもはや文言にはあらわれない。
気持ちのもちよう、である。
たとえば、世界で一番苦しいんだと、思っていいのだと、僕はアドバイスする。いっぽうで、僕自信は、比較思考によって、そう簡単にできない。

遅い時間になって、帰っても誰もいないし、唯一の楽しみのパソコンもクラッシュして応答がない、となれば、自宅ですら居場所ではないということになるのか。

居場所



居場所、ほしいよね。先日、つまんねー記事だ、アップロードやめようか、と書いた、新しいカフェに行ったよって記事。

こう、いまの感覚で読むと、普通に面白かったよ。そう、感覚。

居場所、楽しみ、目的、居場所、感覚、思考、……


離婚したというのが、直接的な原因とは思わないが、結局、いきることについてのストッパーというか、目的の喪失の一因ではあると思う。
まぁ、かなり直前までは、あまりその効果はなかったのだけど、それが、たとえ心がなくて、
制度上のものだったとしても、なにか、とっかかり、くらいの意味はあったのだと思う。


悲しいかというと、そういうのはないんだけど、でも、迷子感はつよい。



って書いてると、強がり、ってきっと思われる。離婚をひきづっているのに、それを認められず、プライドを守ろうとしている哀れな男なのだと。

そうかもしれないし、そう感じられるのはあたりまえだ。
けれども、僕は違うと思っている、問題はそこではない、という根拠は、その離婚事実の前後の記事を読んでみればいい。

だいたい問題視していることは同じなのが分かる。

そういう意味で、ログは重要だ、が、その、強がりではないということの証明が、果たして、誰に向けてのものなのか。

意味否定装置



高性能な機能。

相対化とか、目的の設定など、僕が優れていることはあるが、それって、役にたたない。世にも奇妙なものがたりで、才能の飴を食べて、素晴らしい才能、たとえばリフティングとかに目覚めるのだけど、結局サッカーの試合には役に立たず、クビになってお金はかせげなかったとか。

世にも奇妙な物語は、怖くてみれなかったけど、テーマがホント面白い。
キノの旅もいいね。

ああいう作品かきたいね。長くなくてもいい、短くても、たくさん書けたらいいんだが、多分高速にネタきれになるだろう。

小説書くにも、作曲するにも、パソコンがない。


することがない、暇だ。
否、したいことがない。


明日は休み



久々に明日は予定がない。

ただ、昼までねてしまいそうだ、そして自己嫌悪に陥って、夜更かしして、あっというまに月曜日、というダメパターンの予感が多大にある。


努力の無意味性



努力は大切だ、けれども、苦しんだ努力は、この時代役にたたないんじゃなかろうか。

あんまり成績はふるわなかったけど、それでも全国の偏差値的には中の上くらいだった、としても、いまは苦しくても、頑張ったらむくわれる的に、必死になって頑張って、結果を出しても、その結果を大事におもえなかったら、悲劇的だ。
必死になって貢いで彼女にした女の子が、実はすげー性格悪くて気持ち悪かったりしたら、俺の努力はなんだったんだ、的な。


だから、思うに、経過、プロセスが一番大事なんじゃないかと。

結果が、大事じゃないわけじゃない。当たり前だ、そんな三面記事的なレベルのことは、もう僕は考えもしない。
結果が大事なのは当たり前でありながら、その結果が一時的であったとき、その次はなにか、ということだ。

昔から、高校入試なんて通過点に過ぎない、とかいわれていただろう。その先が大事なのだと。


しかし、その先というのが、大学でも、ましてや、就職ですらない。

結婚でも、子供でもない。

それらはすべて結果。

結果の連続した繋がりが、それこそが人生なんじゃないかと、俺は思う、思った。


断裂性



結果を出してきたし、答えも出してきた、成果をつくった、そして努力もした、禁欲もした。

けれども、そのそれぞれが、一貫性がなく、その時々で、方向性の再設定が必要になっていたのではなかったか。


自分というものの連続性という点の思考が、というより、実感が足りなかったのではないか。


その疑問によれば、なるほど、そうかもしれないと、納得できる。

確かに、僕は、そのときどきで、自分をかえられると思ってきた、というより、様々かえてきた。
大きなところでは、行動第一主義、感覚主義への方向転換。

自分の価値観の大きな変革といえる。


ただ、それらは、かなり、自己、に対して負担だったのではないだろうか。


だからどうした



それが事実だとして、では、そのままの自分でいられたか、というのは、また無謀である。

別に、変えたくて変えたのではなく、環境的に変えざるをえなかったのだ。

そもそも、自己中心的な人は別だが、たいていの人は、環境におうじた考え方や行動をとる。それが普通だ。ただ、僕は少しばかり、ドラスティック過ぎたのかもしれない。

だからといって、過去を考えて、自慰していても仕方があるまい。
つまり、この断裂性に実感があるならば、是非、今後は、自己を中心として、世界環境との整合性をはかっていけばいいのだ。


と、いうわけで、やはり、もうしばらく、この思考ブログは続けていく必要があるだろう。

気持ち悪さ


とりあえす今日は新しいがいねん、連続性と断裂性ということこメモとしてここで終わり。

あとは、適当に思ったことだが、やっぱり、こういった文章、気持ち悪いって感じられるんだろうな、って。

包丁を首筋にあててみれば、生きることへの悲しいまでの渇望に気付くことができる……なんて、え、この人こんなこと考えてやってるの? うわ、ひくわ……ってなるのは目に見えている、かっこわらい。





まぁ、全員がそうじゃない。ゲイ、をばらされて自殺した大学生がいた。
悩みを抱えて苦しんでいる人たちなんて大勢いる、が。

その中で、こういった表現を思い付くのは、そして、文章化までしやがるやつは、まぁあんまりいないだろう。




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