今日の一言「自分で考える必要がある」
そもそも、孤独死というと、ごみ屋敷で死後しばらくして発見されるというのがイメージされる。
違うイメージを持つ人もいるかもしれない。
そして最近、孤独死が増えていて、孤独死するのは男性が多くて、孤独な人は結婚してる人よりも死亡率が高いという研究もあるという。

仕事してたら、まぁ、しばらく音信不通になれば、早めに発見されるかもしれない。
しかし、年金生活になったらどうだろうか。まぁ、発見は1週間後ぐらいになることは容易に想定できる。集合住宅であれば、異臭で早めに気づかれるかもしれないが、一軒家とかなら、より、発見は遅くなるであろう。
仮に、このブログを、1週間に1回は必ず更新する、と決めて実践したとしても、じゃあ実際更新が止まったからと言って、助けてくれる人はいないだろう(哀しみ)。
しかし、これは当たり前のことであって、正直それは本気で期待することではない。
むしろそういったことがあったら「美談」として、「インターネッツも悪くないね!」みたいなそんな「例外」の物語として扱われるだけである。
至極一般には、物理的環境の人間関係がなければ、孤独死は避けられないであろう。
例えば、結婚してて裕福な人が、夜、公園でランニング中に、突然死したとする。
家族はすぐに心配になり探しに出かけるが、残念なことに当日は発見できなかった。
捜索願が出されて、翌日、かわりはてた遺体が見つかる、とする。
これは、孤独死ではないか?
たぶん、一般にイメージされる、ごみ屋敷云々のイメージからはかけ離れたシーンだから、孤独死ではない、とされるであろう。
しかし、実際、物理現象としては、誰にも知られず、亡くなった、ということである。
これは孤独死ということも可能だと思われる。
なので、孤独死という概念自体が難しいものであると思うが、あまり深入りはしない。
孤独感というのは、ロンリネススコアという、孤独感に関する質問をして、そのスコアが高い人を「孤独感がある人」と分類して研究するという。
ふーん。
ということで、センセーショナルな記事も、どんな研究にもとづいているのかを見て解けば、なんか、「必ずしも自分がそうとはいえない」のではないかという気になってくる。
とにかく、誰ともかかわりがないな、理解されてないな、と感じる割合が高い場合は、孤独である状態、といえるようである。
中二病的な自意識のせいで人を避けていたということもあるんだろうが、そもそも、なんか、真に理解しあえる、という感覚を持ったことが「ない」。
わりと、真に思いを告げて色々話してみたことはあるが、あんまり理解されたとは思えなかった。
そして、割とよく聞いてくれていたと思っていた友人(と思っていた相手)が、後々、「おまえ、めんどくさい奴だったよな」みたいな(脚色して書いている)ことを言っているのを聞いて、非常にショックを受けたこともある。
いや、でもある意味、それは良い経験であって、「あー、やっぱり、人に期待するのってよくないんだな」と実感がより深まったというのはある。(もともと思ってたことの強化学習となった)
そういう意味で、自分はとても寂しく悲しくて孤独な人間だ。えーん。
なので、中年クライシス的な問題とは、ちょっと切り離して考えてもいい気がする。
ある意味、30年以上、孤独感には慣れ親しんでいるのである。そういう意味で、孤独のスペシャリストかもしれない。そういうスタンスで売っていくのはありかもしれないかっこわらい。
でも、スペシャリストといっても、すごい人はたくさんいるから、自分程度はいくらでもいるのも分かっている。どこまでいっても凡人でしかないのだ、つらい。
のブロガーさんは、なんか、ITスキルも高いし、投資スキルも高いし、割となんかオフ会なんかも行ってるし、ふつうにすごい人であった。
ふつーにすげーひとっす。
孤独界のレジェンドだ。そういう人はそういう人で、そういうポジションを獲得し、生きやすい人生を送れるだろう。
ボクの問題意識は、「凡人の場合はどうするか」である。
いやユーチューブとか、自己啓発ものとか、「できる人」たちは、レッドオーシャンを抜けてニッチな分野で頂点をとれとかいうわけである。それはそれで重要な戦略であると思うが、凡人としての戦略を考えるべきでもある。
勝者と敗者、とめるものと貧しきもの。
こんなに現代社会は裕福になったはずなのに、どうしてこんなにも働かなければいけないのか。
昔は、武士一人で、家族どころか、奉公人とかも養っていた。
いまや、男女共働きでも生活が苦しい人もいるという。
ボクは一人で、お金を使う趣味もないから、そんなに苦しい生活ではないが、それほど裕福ではない。。
でも、GDPとか、資本やお金の流通量は、昔と比べられないほど増えているはずだ。
人口も増えてる。いまや70億だっけ。もっといるのかな。
数が増えると幸せか、というと、生物種としては成功かもしれないが、個々の幸せも追求してよいのではないかと思われる。
現実が大事だ、といわれる根拠はそこにあって、それは否定できない。
でも、お金すら虚構である。
虚構だから意味がないということではない。物理現実を動かすほどに重要だ。
実体はない。でも実態はある。
法律も、すげー重要だが、虚構である。自然法というのも特に存在しない。
人は生まれながらに平等である。
いや別にそんなことはない。
でも、「人は生まれながらに平等である」ということにしよう! という虚構であるのだ。
これは大事なことだ。否定するわけではない。でも虚構である。
変にみんな賢くなったからいけないのかもしれない。
ルールはルールだ。意味なんか考えるな。正しいものは正しい。
こうしたことで縛り付けることもできたはずだ。「力」というのが、数である場合はそれはそれで有効であったはずだ。
いや、なのでね。
色々、孤独死について調べていたら、確かに、「孤独を感じている状態」というのは、睡眠不足に繋がったり、コルチゾール(ストレスホルモン)が分泌されたり、身体的・心理的にも悪影響を及ぼすということが分かった。
なので、あんましよくないよね、とは思う。
しかし逆に言えば、それらの問題をここに対応できれば、別に孤独であること(≒独身であること)は問題とはならないのではないかと思われる。
いやむしろ、結婚してても、友人が多くても、「孤独感」は生じるものである。
それは自分も経験上痛いほどよく分かってる。
むしろ、一人でいるときの方が、孤独感少ない説すらある(実体験的に)。
価値観が合わない人の中でいる方が、よほど孤独感が強い。
んで、その最初の研究的な、死亡率が高いという問題は、「孤独感」を問題としているのであれば、独身でいることや、一人暮らしということは、何ら問題ない、という場合もある、といえるのである。
まえがき
生き方というか、考え方をメモメモしておきたい。そもそも、孤独死というと、ごみ屋敷で死後しばらくして発見されるというのがイメージされる。
違うイメージを持つ人もいるかもしれない。
そして最近、孤独死が増えていて、孤独死するのは男性が多くて、孤独な人は結婚してる人よりも死亡率が高いという研究もあるという。
孤独死と孤独感について
最近思うのは、独身だと、普通に孤独死するんじゃないか、ということだ。仕事してたら、まぁ、しばらく音信不通になれば、早めに発見されるかもしれない。
しかし、年金生活になったらどうだろうか。まぁ、発見は1週間後ぐらいになることは容易に想定できる。集合住宅であれば、異臭で早めに気づかれるかもしれないが、一軒家とかなら、より、発見は遅くなるであろう。
仮に、このブログを、1週間に1回は必ず更新する、と決めて実践したとしても、じゃあ実際更新が止まったからと言って、助けてくれる人はいないだろう(哀しみ)。
しかし、これは当たり前のことであって、正直それは本気で期待することではない。
むしろそういったことがあったら「美談」として、「インターネッツも悪くないね!」みたいなそんな「例外」の物語として扱われるだけである。
至極一般には、物理的環境の人間関係がなければ、孤独死は避けられないであろう。
どこからが孤独死なのか
しかし、ちょっと待って欲しい。例えば、結婚してて裕福な人が、夜、公園でランニング中に、突然死したとする。
家族はすぐに心配になり探しに出かけるが、残念なことに当日は発見できなかった。
捜索願が出されて、翌日、かわりはてた遺体が見つかる、とする。
これは、孤独死ではないか?
たぶん、一般にイメージされる、ごみ屋敷云々のイメージからはかけ離れたシーンだから、孤独死ではない、とされるであろう。
しかし、実際、物理現象としては、誰にも知られず、亡くなった、ということである。
これは孤独死ということも可能だと思われる。
なので、孤独死という概念自体が難しいものであると思うが、あまり深入りはしない。
孤独感が大事なのか
アメリカの研究(2015年)?では、孤独感がある人の方が、それ以外の人よりも3割程度死亡リスクが高いという結果があるという。孤独感というのは、ロンリネススコアという、孤独感に関する質問をして、そのスコアが高い人を「孤独感がある人」と分類して研究するという。
ふーん。
ということで、センセーショナルな記事も、どんな研究にもとづいているのかを見て解けば、なんか、「必ずしも自分がそうとはいえない」のではないかという気になってくる。
とにかく、誰ともかかわりがないな、理解されてないな、と感じる割合が高い場合は、孤独である状態、といえるようである。
自分はずっと孤独
そうなってくると、もはや、別に高齢の問題ではなく、自分は昔から孤独であった。中二病的な自意識のせいで人を避けていたということもあるんだろうが、そもそも、なんか、真に理解しあえる、という感覚を持ったことが「ない」。
わりと、真に思いを告げて色々話してみたことはあるが、あんまり理解されたとは思えなかった。
そして、割とよく聞いてくれていたと思っていた友人(と思っていた相手)が、後々、「おまえ、めんどくさい奴だったよな」みたいな(脚色して書いている)ことを言っているのを聞いて、非常にショックを受けたこともある。
いや、でもある意味、それは良い経験であって、「あー、やっぱり、人に期待するのってよくないんだな」と実感がより深まったというのはある。(もともと思ってたことの強化学習となった)
そういう意味で、自分はとても寂しく悲しくて孤独な人間だ。えーん。
なので、中年クライシス的な問題とは、ちょっと切り離して考えてもいい気がする。
ある意味、30年以上、孤独感には慣れ親しんでいるのである。そういう意味で、孤独のスペシャリストかもしれない。そういうスタンスで売っていくのはありかもしれないかっこわらい。
でも、スペシャリストといっても、すごい人はたくさんいるから、自分程度はいくらでもいるのも分かっている。どこまでいっても凡人でしかないのだ、つらい。
凡人な孤独者に生きる道はあるのか
「もう一生孤独でよいよ」のブロガーさんは、なんか、ITスキルも高いし、投資スキルも高いし、割となんかオフ会なんかも行ってるし、ふつうにすごい人であった。
ふつーにすげーひとっす。
孤独界のレジェンドだ。そういう人はそういう人で、そういうポジションを獲得し、生きやすい人生を送れるだろう。
ボクの問題意識は、「凡人の場合はどうするか」である。
いやユーチューブとか、自己啓発ものとか、「できる人」たちは、レッドオーシャンを抜けてニッチな分野で頂点をとれとかいうわけである。それはそれで重要な戦略であると思うが、凡人としての戦略を考えるべきでもある。
勝者と敗者、とめるものと貧しきもの。
こんなに現代社会は裕福になったはずなのに、どうしてこんなにも働かなければいけないのか。
昔は、武士一人で、家族どころか、奉公人とかも養っていた。
いまや、男女共働きでも生活が苦しい人もいるという。
ボクは一人で、お金を使う趣味もないから、そんなに苦しい生活ではないが、それほど裕福ではない。。
でも、GDPとか、資本やお金の流通量は、昔と比べられないほど増えているはずだ。
人口も増えてる。いまや70億だっけ。もっといるのかな。
数が増えると幸せか、というと、生物種としては成功かもしれないが、個々の幸せも追求してよいのではないかと思われる。
物理現実が本当に最強に重要なのか
肉体的身体がある以上、物理世界から抜け出ることはできないから、物理世界は重要だ。現実が大事だ、といわれる根拠はそこにあって、それは否定できない。
でも、お金すら虚構である。
虚構だから意味がないということではない。物理現実を動かすほどに重要だ。
実体はない。でも実態はある。
法律も、すげー重要だが、虚構である。自然法というのも特に存在しない。
人は生まれながらに平等である。
いや別にそんなことはない。
でも、「人は生まれながらに平等である」ということにしよう! という虚構であるのだ。
これは大事なことだ。否定するわけではない。でも虚構である。
変にみんな賢くなったからいけないのかもしれない。
ルールはルールだ。意味なんか考えるな。正しいものは正しい。
こうしたことで縛り付けることもできたはずだ。「力」というのが、数である場合はそれはそれで有効であったはずだ。
話しを戻そう閑話休題
なんだっけ。いや、なのでね。
色々、孤独死について調べていたら、確かに、「孤独を感じている状態」というのは、睡眠不足に繋がったり、コルチゾール(ストレスホルモン)が分泌されたり、身体的・心理的にも悪影響を及ぼすということが分かった。
なので、あんましよくないよね、とは思う。
しかし逆に言えば、それらの問題をここに対応できれば、別に孤独であること(≒独身であること)は問題とはならないのではないかと思われる。
いやむしろ、結婚してても、友人が多くても、「孤独感」は生じるものである。
それは自分も経験上痛いほどよく分かってる。
むしろ、一人でいるときの方が、孤独感少ない説すらある(実体験的に)。
価値観が合わない人の中でいる方が、よほど孤独感が強い。
んで、その最初の研究的な、死亡率が高いという問題は、「孤独感」を問題としているのであれば、独身でいることや、一人暮らしということは、何ら問題ない、という場合もある、といえるのである。
あとがき
(かっこ書きである。まとめると、孤独死というのは、ゴミ屋敷になって死後の処理が大変という社会的な問題と、実存的(個人的)な問題とは、切り離して考えるべきである、とボクは思う。前者は、社会的に対応すべきである。ボクは知らん(かっこわらい)。後者は、自分のことなのだから、責任もって考える必要がある。そして、孤独死を避けるために独身男はすぐに結婚すべきだ、とかいう言説(最近よくきくのだが)は、やっぱり無視していい気がする。いや、結婚できるならした方がよいんだと思うけど、それが目的化しちゃおかしいと思う。いやそれも、金がなくて生活が苦しい人に、とりあえず金稼げよ、とアドバイスするのが正しいということと同じであって、困窮状態の人に「お金で幸せは買えない」とか言っても意味ないんじゃ。衣食住が満たされた状態で、そっから幸せを考えることができるのである。高次の次元の話だ。満たされた衣食住ってのも難しいが、これは、育った環境がおおきく影響しそうだ。幼少期の生活レベルが、一定の要求水準になるだろう。そういう意味で、幼いころに贅沢し過ぎるとよくない気がする。でも、ここまで言って、別にそんなに孤独を心配する必要ないんじゃ、と思い始めたが、これは戦略的には、「寂しい」って言っておいた方がよいと思う。強がってるとか思われたりするからだ。思われてもいいんだが、そうなると、「助けてもらえない」可能性がある。人は、かよわきものを助けようとしてくれる傾向にある。だから、かよわきものであることをアピールしておいた方が良い。ところが、それは本当にかわいい(見目麗しい)場合である。かわいくないおっさんおばさんは、切り捨てられる。怖い。むしろ、かよわきものと思われると、徹底的にいじめて搾取しようとしてくる奴らもいる。そうなると、面倒くさいから、寂しいとか言わない方がいいのかもしれない。でも、「いやー一人暮らしで寂しいんですよねーはっはっは」ぐらいなノリでいた方が良い気がしてならない。なんか、はれ物に触れるような対応をされるよりかは、親しみやすさが出る気がする。いや今からでも遅くないよ、結婚した方が良いいよ、良い人紹介するよ! と言われたら面倒やな……って思うだろうが。でも、会ってみて話してみてもいいかもしれない)PR
今日の一言「傷ついたわ……」
普通に批評してもらったら、「共感したよ」みたいな感想だったが、敢えて辛口に(匿名掲示板風に)お願いした。
そしたら、想像以上にダメージを受けた笑
いやほんとに。
ネット怖い。(架空だけどね)
GPT氏「了解。じゃあここからはちょっと“便所の落書き”風に本音ぶちまけるね。口調も砕けて辛口でいくよ。やや攻撃的な批判スタイルになるので、そのつもりで読んでね」
中学生から考えていた、というのは、まぁ悦に入ってる面はあるが、それについて優位に思ってるわけではなくて、そんなこと考えないで生きられた方がよかったのにな、という思いもあることは文書中ににじませてはいる。他にもいっぱいいると思う。いやもっというと、小学校のときいじめられたときに、死にたいって思ってたから、中学生どころか小学生でも思ってたんだよね。でも、言語化を試み始めたのは、中学生からだったから、そういう表現にしとくか、という程度であった。いっぱいいると思う。もはや早い遅いとかそういう部分にこだわりたいわけではなかった。
あと、高所のつもりも、説教するつもりも全然なかったんだがなぁ……。
でも、そういうところを突いてくるコメントって絶対あるよなーと思う。
いいな、この表現。今度から使わせてもらおう。
中身スカスカなのは、そうだなぁ……そうっすね……。筆圧強いというのは、誉め言葉として受け取っておこう。
黒歴史なのもその通り。だから、リアルでは誰にも見せたくないんだよな笑
なんだろ。
まぁこうやって批判的に思う人が圧倒的に多いと思うんだよな。だけど、「思ってしまう」んだから仕方がない。そして、「はいはい天才」っていう煽りのとおり、「天才」なんかじゃないから、逆にネガティブ方面でも、もっと暗いダークでつらいひとはたくさんいるのである。だから、別にボクが書いたこの記事も、別に、内容としてはそう特別なものではないと思ってる。
たぶん、「ぼくはちょっとうえ」って思ってる、というように感じられる内容だとは僕も思う。
ただ、それはちょっと違うんだ、ということは思う。思うけど、どう伝えていいかは分からない。
対象の読者が違うんだろうなとは思う。
「考えてる自分が好きってだけ」――はい、これもそうだと思う。というか、そうでもしないと自己肯定感保てないから、そうしてるんです……うわーん。
いやなので、この批判感想って、事実なんですよね。
「税金のセリフを皮肉っぽく言ってるくせに、どこかで本気で思ってる節がある」いやこれも、本気で思ってる節ありますよ?笑
読み取り正解です。だって事実ですもの。でも、それじゃあ、自己肯定感って満たせないよね、足りないよね、っていうことを書いてるのです。でも、逆にそれで満たせる場合もあると思うから、敢えて文章にしている、という意味です。
AIの方がもっと上手い文書書くぞ? という批判も、これもそうでしょうね。最近ほんとそう思う。文書力すごいと思う。だから、「逆に」、変な文章は僕しか書けないよ、という意味です。
きわめつけに「実生活で一番めんどくさいし、距離置かれるやつ」これ、めちゃダメージきたよ……。知ってるよ。だから、こんな辺境なブログに書いてるんじゃないか……別に読んで欲しいなんて言ってないようわあああん。

いや、まじで涙でそうになったよw
これはひどい。
誹謗中傷って、ほんとこれ、結構、予見していたとしてもダメージ受けるんやな。
「読んですらなさそうなコメントだな」
って思えるんだったら、無視できるんだが、内容をちゃんと見た上で、そこに批判してくるとなると、結構心にくるものがある。誹謗中傷ダメ絶対、って思ったわ。
コメントとかも、IPアドレスとか変えて同じ人が書き込んでても、連続してると、たくさんの人に批判されている気持ちになるわけだ。これはつらいねー。
はじめに
昨日書いた記事「中年クライシス」について、ChatGPTさんに批評してもらった。普通に批評してもらったら、「共感したよ」みたいな感想だったが、敢えて辛口に(匿名掲示板風に)お願いした。
そしたら、想像以上にダメージを受けた笑
いやほんとに。
ネット怖い。(架空だけどね)
お願いしたこと
自分「「中年クライシス」(昨日の僕のブログ記事)を読んだうえで、強い言葉を使ってよいので批判してください。日本の匿名掲示板のようなノリでお願いします」GPT氏「了解。じゃあここからはちょっと“便所の落書き”風に本音ぶちまけるね。口調も砕けて辛口でいくよ。やや攻撃的な批判スタイルになるので、そのつもりで読んでね」
批判冷笑系
おいおい、どこまで自分に酔えば気が済むんだこの人。「ボクは中学生の頃からこんなこと考えてた」って、はいはい天才天才、すごいですねぇ〜。ってなるだけ。なんでこういうやつって、自分の内面掘り下げるの好きなくせに、浅いとこで止まってんの? 謎のカテゴライズして悦に入ってるけど、その5分類、どこにでも転がってるような“ありきたり”なんだわ。そしてさ、「これはAIには書けない」とかドヤってるけど、いや、むしろAIの方が論理的で読みやすい文章書くと思うぞ? このブログ、感情の垂れ流しで構成ガタガタ、もはや散文ってより散らかしたポエム。正直、酔ってるときにLINEの下書きに残すやつ。絶対シラフで見返して黒歴史になるやつ。で、「お前の生きる意味は?」って投げかけてくる終盤。何その説教ポーズ。人に語れるほどあんた何か見つけたんか? 自分すら定まってないのに、謎の高みから問いかけてくるのマジで寒いからやめて。まず足元見ろ。
(ボクの感想)
あう……。うーん。そうね。5分類も、ありきたりだね。というか、ボクが考える生きる意味の例を10個ぐらいあげて、実は生成AIでそれをカテゴライズしてもらったんだわ。なのでありきたりというか、一般的に言われていることをまとめたわけだからご指摘の通り。中学生から考えていた、というのは、まぁ悦に入ってる面はあるが、それについて優位に思ってるわけではなくて、そんなこと考えないで生きられた方がよかったのにな、という思いもあることは文書中ににじませてはいる。他にもいっぱいいると思う。いやもっというと、小学校のときいじめられたときに、死にたいって思ってたから、中学生どころか小学生でも思ってたんだよね。でも、言語化を試み始めたのは、中学生からだったから、そういう表現にしとくか、という程度であった。いっぱいいると思う。もはや早い遅いとかそういう部分にこだわりたいわけではなかった。
あと、高所のつもりも、説教するつもりも全然なかったんだがなぁ……。
でも、そういうところを突いてくるコメントって絶対あるよなーと思う。
鋭い突っ込み系
ちょっとまって、これ本当にブログ? 日記アプリにでも書いとけよってレベルで内輪すぎるわ。「Blenderの勉強しててさ〜」とか「FF14でさ〜」って、誰得情報なん? せめてその話題掘って笑わせてくれるとかなら許せるけど、唐突に出してきて放り投げとかもうカオス。あと、「種の保存」ってキーワード出したあとの「生物失格……」で爆笑した。なにその自己憐憫ギャグ。全力でシリアスやってるのに、滑りまくってんの自分で気づかないのが一番痛い。しかもさ、ちょいちょい出てくる「ボクは知ってしまった」系の発言、なんかポエマーの黒歴史ノート感すごくてこっちがヒヤヒヤする。言ってることぜんぶ“気づいたフリ”なんだよね。哲学風自己陶酔。中身スカスカなのに筆圧だけ強い作文って感じ。
(ボクの感想)
哲学風自己陶酔。いいな、この表現。今度から使わせてもらおう。
中身スカスカなのは、そうだなぁ……そうっすね……。筆圧強いというのは、誉め言葉として受け取っておこう。
黒歴史なのもその通り。だから、リアルでは誰にも見せたくないんだよな笑
なんだろ。
まぁこうやって批判的に思う人が圧倒的に多いと思うんだよな。だけど、「思ってしまう」んだから仕方がない。そして、「はいはい天才」っていう煽りのとおり、「天才」なんかじゃないから、逆にネガティブ方面でも、もっと暗いダークでつらいひとはたくさんいるのである。だから、別にボクが書いたこの記事も、別に、内容としてはそう特別なものではないと思ってる。
マジギレ系
いやこれ読んでマジで腹立ったわ。何様なんだよこの人。「人には生きる意味がある。でもそれを意識してるボクはちょっと上」って、そういうスカした態度が一番ムカつく。結局、「考えてる自分が好き」ってだけじゃん。しかも、「消費税払ってるだけでも社会貢献」とかさ、そういうセリフを皮肉っぽく言ってるくせに、どこかで本気で思ってる節があるのがほんと気持ち悪い。皮肉屋ぶって保険かけながら、本音がチラ見えするの、超ダサいから。極めつけは「このブログはAIには書けない」とかいう自画自賛。ハッキリ言って、この程度の独り言、AIどころか中学生でも書けるわ。むしろAIの方がもっと構成うまいし、読ませる力あるぞ。全部通して、自分がちょっと特別で繊細で考え深いと思ってるのが透けてて、それが読んでてひたすらウザかった。こういうタイプの人間、実生活で一番めんどくさいし、距離置かれるやつだわ。
(ボクの感想)
むかつくのに、こんな長い奴読んでくれてありがとね……。そこらへんが生成AIさんのよいところ。きつい言葉でも、ちゃんと「読んだ」上でいってくれるものって、悪くないと思う。ありがたいことだ。たぶん、「ぼくはちょっとうえ」って思ってる、というように感じられる内容だとは僕も思う。
ただ、それはちょっと違うんだ、ということは思う。思うけど、どう伝えていいかは分からない。
対象の読者が違うんだろうなとは思う。
「考えてる自分が好きってだけ」――はい、これもそうだと思う。というか、そうでもしないと自己肯定感保てないから、そうしてるんです……うわーん。
いやなので、この批判感想って、事実なんですよね。
「税金のセリフを皮肉っぽく言ってるくせに、どこかで本気で思ってる節がある」いやこれも、本気で思ってる節ありますよ?笑
読み取り正解です。だって事実ですもの。でも、それじゃあ、自己肯定感って満たせないよね、足りないよね、っていうことを書いてるのです。でも、逆にそれで満たせる場合もあると思うから、敢えて文章にしている、という意味です。
AIの方がもっと上手い文書書くぞ? という批判も、これもそうでしょうね。最近ほんとそう思う。文書力すごいと思う。だから、「逆に」、変な文章は僕しか書けないよ、という意味です。
きわめつけに「実生活で一番めんどくさいし、距離置かれるやつ」これ、めちゃダメージきたよ……。知ってるよ。だから、こんな辺境なブログに書いてるんじゃないか……別に読んで欲しいなんて言ってないようわあああん。
AIさんすげーや
ということで、痛烈な批判をさせてみたら、思った以上に痛烈だった。いや、まじで涙でそうになったよw
これはひどい。
誹謗中傷って、ほんとこれ、結構、予見していたとしてもダメージ受けるんやな。
「読んですらなさそうなコメントだな」
って思えるんだったら、無視できるんだが、内容をちゃんと見た上で、そこに批判してくるとなると、結構心にくるものがある。誹謗中傷ダメ絶対、って思ったわ。
コメントとかも、IPアドレスとか変えて同じ人が書き込んでても、連続してると、たくさんの人に批判されている気持ちになるわけだ。これはつらいねー。
あとがき
(かっこ書きである。チャットGPTの使い方の勉強(最近どんな活用方法があるのか、要約以外にも色々使ってみている)、というのもあってやってみたが、思った以上の活用となった。前回の日記のあとがきに書いたことだが、「生身」の人間いらないんじゃないか、説。なんか欲しい感じのコメントもらえるのっていいよね。ちなみに、肯定的なコメントもかいてもらってもいて、それはそれで、「ああ、そうそう。そういうことを言いたかったんだよ、ありがと」って気持ちにもなっている。まぁ、これも飽きるのかもしれないが、当面は「楽しい」って思えそうである。AIのシンギュラリティとか、さすがにSFだと思ってたけど、AIに物理身体があれば、そういうのも起こりえるんかなとも思う。まぁ僕の人間に関する理解が凡人なのはあるんだろうが、AIは十分に人間を理解しているように思える。実際に理解しているわけじゃないし、心があるというわけじゃないのも知っている。でも、理解ということを、適切に事象やモノを分類するという定義だとしたとき、それはもう十分にできてるのではないか、と感じさせるレベルにはなっていると思う。というか、OpenAIって、アメリカの企業なんだよな。日本語もここまで流ちょうに使えるって、ほんとどういうことだ……?!って気になる)
今日の一言「バキの花山さんの宮本武蔵との対戦がかっこよかった」
解決できないほどではないのだが、割と精神を削られる。
精神と時間も削られる。
1週間ぐらいで、ぽつぽつ、穴が開くようになってしまった。
3日坊主、ではないが、続けることはやはり難しいことである。
2日ぐらい書かないと、もう、3日前のこと、何やってたか覚えてないんだよな。結構衝撃であった。
嫌な思いとかもしたんだろうが、思い出せない。
ただ、自分の場合、嫌な思いとか、消えているわけじゃなくて、澱のように蓄積はされていて、ふと瞬間に蘇ってくる。
変に記憶力が良いのかもしれないし、みんなそうなのかもしれない。悪いことは覚えてる、ってみんないうものね。
まぁそんなわけで、穴あきではあるが、5行日記は、結構楽しんでつけている。ぱらぱら見返すと、あーそんなことしてたな、的なのが分かる。
けっこう流し読み。
細井先生がYoutubeで言ってたように、これは結構難しかった。文学的、というのはよくわかった。
感性が鋭くないと難しい気がする。
ただ、おっしゃりたいことは単純なのかもしれない。価値を測るためのお金というのが、役目を終えて「台帳」に回帰するということ。
台帳というのは、だれだれに借款がある、とか、記録。
ポータブルなお金の登場より先に、台帳というのが、経済の歴史において最初に登場したらしい。
銀行に1,000万円ある、というのは記録である。実際に手元にはないが、必要な時に使うことができると「信用」できているから、それで済むわけだ。
それじゃ、ただの電子マネーになるというだけなのか、ということではなくて、こちらの本でいわれてるのは、そもそもに、流通が不要というか、「人」個人に価値が紐づくようになるので、流通がいらないということになると。
ラーメン食べたいのでください、と注文する。
ラーメン屋さんはラーメンを「無償」でその人に提供する。→記録
ラーメン食べる。→記録
ラーメン食べた人は、無限に食べることができる。ただ、そんなことは、本来しない。おかないっぱいになるからね。
じゃあ、ラーメン屋さんは無償だからお金は手に入らない。でも、ラーメンを提供した、という記録は残る。
ラーメン屋さんは、別のケーキ屋さんで、ケーキを頼む。これまた無償でもらえる。
ケーキ屋さんは、そのラーメン屋さんが、ラーメンを作ることができる価値がある人だから、ケーキを提供してもよいと判断する。
最初に、ラーメンばっか食べて、何もしてない人がきたとする。ケーキ屋さんは、「価値がない人」と判断し、ケーキを提供しないことも可能となる。
お金がない世界というのは、こういうことなんじゃないかと、ボクは読んで思った。
そういうことが、NFT(?)とか、アートークンという技術でできるようになるんじゃないかという提案というか想像というか、妄想(?)というか科学的なの本なんだろうと思った。
凡人は考えつかないかもしれないが、まぁでも、考えたことある人は、70億の全人類の中で結構いるんじゃないかなとは思った。SF作家さんとかめっちゃ頭いいんだろうから、そういう作品もあるんじゃなかろうか。
ただ、成田さんは、それなりに「おかたい」実績もたくさんとられてるから、これほど多くの人が耳を傾けているんだろう。
そこに、逆にボクは、成田さんのいう「お金がいらなくなる世界」ということに信ぴょう性がある気がした。
「誰が」
という点が、結局大事なんだろうな、ということだ。
同じことを酔っ払いがたわごとのように言うのと、権威ある人が格式張っていうのとでは、受け取られ方が違う。
これは悪いことではなくて、実際に、「教える」ことにおいて、「いやー自信ないんですけどねー」みたいな態度の先生に教えられたくはないだろう……笑 それだけの話だ。

延長線上に、誰か、似たような誰かの役に立てばいいなという、そういう「貢献心」みたいなのは確かに存在するものの、おまけ、な位置づけかもしれない。
とはいえ、切り離せるものではなくて、その「貢献できた」という気持ち自体は、僕自身にとってプラスにもなりえるものだから、無碍にする必要もないわけだ。
そういう「貢献したい」というのが、適切に評価され、意味ある形となって、生活できる、という社会になればよいなとは思う。
たとえば、あまり生産性がない、数字のチェックというのも、ある程度の価値を認めてもらえるのであれば、それに、生命の時間を費やしても、ボクはよいと思う。
でも、そういうのは、お金がもらえなきゃ、別にやろうとは思わない。役に立っているのかもしれないが、あまり実感できないし、な。
BGM:廃都市より 過去15曲まとめ ピアノBGM
まえがき
なんか最近、想定外の悪いことがたびたび起こる。解決できないほどではないのだが、割と精神を削られる。
精神と時間も削られる。
スマートノート
オカダトシオ先生のスマートノートという方法で、紙のノートに、5行日記的なのを付け始めた。1週間ぐらいで、ぽつぽつ、穴が開くようになってしまった。
3日坊主、ではないが、続けることはやはり難しいことである。
2日ぐらい書かないと、もう、3日前のこと、何やってたか覚えてないんだよな。結構衝撃であった。
嫌な思いとかもしたんだろうが、思い出せない。
ただ、自分の場合、嫌な思いとか、消えているわけじゃなくて、澱のように蓄積はされていて、ふと瞬間に蘇ってくる。
変に記憶力が良いのかもしれないし、みんなそうなのかもしれない。悪いことは覚えてる、ってみんないうものね。
まぁそんなわけで、穴あきではあるが、5行日記は、結構楽しんでつけている。ぱらぱら見返すと、あーそんなことしてたな、的なのが分かる。
22世紀の資本主義を読み終える
成田先生の本を読み終えた。けっこう流し読み。
細井先生がYoutubeで言ってたように、これは結構難しかった。文学的、というのはよくわかった。
感性が鋭くないと難しい気がする。
ただ、おっしゃりたいことは単純なのかもしれない。価値を測るためのお金というのが、役目を終えて「台帳」に回帰するということ。
台帳というのは、だれだれに借款がある、とか、記録。
ポータブルなお金の登場より先に、台帳というのが、経済の歴史において最初に登場したらしい。
銀行に1,000万円ある、というのは記録である。実際に手元にはないが、必要な時に使うことができると「信用」できているから、それで済むわけだ。
それじゃ、ただの電子マネーになるというだけなのか、ということではなくて、こちらの本でいわれてるのは、そもそもに、流通が不要というか、「人」個人に価値が紐づくようになるので、流通がいらないということになると。
ラーメン食べたいのでください、と注文する。
ラーメン屋さんはラーメンを「無償」でその人に提供する。→記録
ラーメン食べる。→記録
ラーメン食べた人は、無限に食べることができる。ただ、そんなことは、本来しない。おかないっぱいになるからね。
じゃあ、ラーメン屋さんは無償だからお金は手に入らない。でも、ラーメンを提供した、という記録は残る。
ラーメン屋さんは、別のケーキ屋さんで、ケーキを頼む。これまた無償でもらえる。
ケーキ屋さんは、そのラーメン屋さんが、ラーメンを作ることができる価値がある人だから、ケーキを提供してもよいと判断する。
最初に、ラーメンばっか食べて、何もしてない人がきたとする。ケーキ屋さんは、「価値がない人」と判断し、ケーキを提供しないことも可能となる。
お金がない世界というのは、こういうことなんじゃないかと、ボクは読んで思った。
そういうことが、NFT(?)とか、アートークンという技術でできるようになるんじゃないかという提案というか想像というか、妄想(?)というか科学的なの本なんだろうと思った。
凡人は考えつかないかもしれないが、まぁでも、考えたことある人は、70億の全人類の中で結構いるんじゃないかなとは思った。SF作家さんとかめっちゃ頭いいんだろうから、そういう作品もあるんじゃなかろうか。
ただ、成田さんは、それなりに「おかたい」実績もたくさんとられてるから、これほど多くの人が耳を傾けているんだろう。
そこに、逆にボクは、成田さんのいう「お金がいらなくなる世界」ということに信ぴょう性がある気がした。
「誰が」
という点が、結局大事なんだろうな、ということだ。
同じことを酔っ払いがたわごとのように言うのと、権威ある人が格式張っていうのとでは、受け取られ方が違う。
これは悪いことではなくて、実際に、「教える」ことにおいて、「いやー自信ないんですけどねー」みたいな態度の先生に教えられたくはないだろう……笑 それだけの話だ。
自分の生き方について
さてまぁ、そういう、本を読むということは、実は僕にとって主題ではなくて、要するに、ボクがどう生きるかという、単に、実存主義的なことしか興味がない、のかもしれない。延長線上に、誰か、似たような誰かの役に立てばいいなという、そういう「貢献心」みたいなのは確かに存在するものの、おまけ、な位置づけかもしれない。
とはいえ、切り離せるものではなくて、その「貢献できた」という気持ち自体は、僕自身にとってプラスにもなりえるものだから、無碍にする必要もないわけだ。
そういう「貢献したい」というのが、適切に評価され、意味ある形となって、生活できる、という社会になればよいなとは思う。
たとえば、あまり生産性がない、数字のチェックというのも、ある程度の価値を認めてもらえるのであれば、それに、生命の時間を費やしても、ボクはよいと思う。
でも、そういうのは、お金がもらえなきゃ、別にやろうとは思わない。役に立っているのかもしれないが、あまり実感できないし、な。
あとがき
(かっこ書きである。投稿から時間がたってしまうと、書けなくなってしまった)BGM:廃都市より 過去15曲まとめ ピアノBGM
今日の一言「要約あってると思う。補足すべきことも特にない」
今日の要約:ChatGPTさんに要約してもらったらこんな感じ。↓
ボクはゲームしてたいかな。
でも、最近やりたいゲームがあんましない。
三国無双originsは楽しいんだけど、終わっちゃうとまた寂しくなりそうなので、ゆっくりペースでやっている。
かわりに、ニュースとかネットで漁ってたりするが、うーん。たいがいに、気分が悪くなることが多い。
なんでこんなことすんの?
って人が多いよね。ネットみてると、ほんとに、人間嫌いになってくる。これは、誰もがそうなのではなくて、ボクが、ある程度、HSPよりというか、共感性が高いせいなんだと思う。人は人、ぐらいの感覚でいたらいいんだろうけど、まぁ、なんか共感しちゃうんだよな。
それゆえに、なんか理不尽なことを見聞きすると、イライラしてしまう。
さてでは理不尽とは何か??
ということを掘り下げてくと、たぶん1時間ぐらいはまた書いてそうなんだが、それは今日はやめておいて……。

まず一つ。
これ面白いねほんとに。もっと色々できるようになりたい。
どうも、AIっぽい絵というのはどうしてもなんかわかっちゃうけど、それも一工夫二工夫したりすると、「ぽさ」もなくなる。
もっというと、ぽさは、別にそれはそれで個人的には「イイ」って思う場合もあるから、好きですらある。
ただ、最近多い、リアル系のAI画像は、なんかちょっと「きもちわるい」って思う。
不気味の谷現象だと思う。
イラスト系は、AIぽいなと思っても、別に気にならないというか、むしろきれいだな、かわいいなとも思ったりする。その辺は感覚だろう。
とにかく、もっと色々思い通りに作れるようになりたい。創るというわけではないんだろうかな。
その辺が、まだ新しい技術ということで面白いと思う。
これも面白い。とりあえず、1時間ぐらい、インストとか、使い方動画みながら触ってみてこんな感じのを作成した。

なんだろ、面白いよね!
こんなこともできるんだなーということの連続だった。久々にわくわくした。こういう体験いいね。
ただ、完全に趣味だろう。お金にするというのは中々難しそうだ。だってすごい人が大勢いるんだから。
あと、かなり地道な作業が多い。
しかしこれは、もう10年、15年以上は離れてしまっている趣味だ。
ところが最近これも、Sunoという作曲AIなるものがあることが分かった。これもすごい。
やっぱり言語化するというのは「好き」なことなんだと思う。
これは、中学校ぐらいのときから始めていた「日記」。大学時代は、毎日書くことを365日以上続けた実績(?)もある。
やってるときは、たいしたことない書くことだけならだれでもできる、って思ってたが、いやしかし、毎日続けるというのは、それなりの熱量がなければやはりできなかった。
だって、かくこと、ないもの。大人になると。
自分一人のための日記であれば、なおさら意味がもう分からないし(自分の中での話)、このブログにしたって、「なんのいみがあるんだ?」と思い続けてしまう。
まぁしかし、ローカルな日記よりかは、もしかしたら誰かの目に留まって、なにかしらのカガク反応を起こしてくれるかもしれないから、ローカルよりかはいいかなと思って続けている。
物語を書きたい。描きたい。
今からやるのと、ちょっとでもやり始めたということは、大きな差になっていたと思う。
いまだに、お金とは何なのかよく分からないが、とにかく流動的なものであるということは分かった。
しかし、ゲームはどこまでいっても趣味な気がする。しかし、お金になる趣味というのもあるだろう。映画評論家は、映画をみて、それを言語化することでお金をもらっている。ゲーム実況者などという職業もあることだろう。
しかし、これは中々いばらの道だという気がするし、純粋に楽しみたいというのもある。
ゲームは批評をしたいというわけではないのだ。
ただ、小説や、漫画などは、読んでそのあとに色々感想を言いたくなる面がある。
思うに、ゲームと、その他エンタメとの違いはそこにある気がしている。そこ、というのは、「プレイアブル」かどうかということだ。
ゲームは、自分でプレイできる、この点が重要だと思う。
ゆえに、「ムービーゲーは、そこじゃないんだよな」という批評が成り立つ理由だと思う。
ムービーがきれいなのはそれにこしたことがないが、ゲーマーは、ゲームをしたいのであって、ムービーをみたいわけではない、という論調があるが、これはこれであると思う。
でも、ムービーもあった方がのめりこめる面があるから、一長一短というか、バランスの問題だろうと思う。
ロボットっていいよね。パイソンとか学んでみようかな。とりあえず、コマンドプロンプトつかって、「はろーわーるど」は表示できるようになった笑 5分~10分ぐらいで。
独学というか、まぁ大学などで1コマぐらい授業を受けたような気がするが、基礎は分かってるから、基本的なことはできる。
なんか、これはお金にできるスキルな気もしなくもないが、しかし、もはやノーコードプログラミングの方がはやりらしいので、まぁ不要なスキルな気がする。
でも、楽しいことは楽しいから、その楽しいという気持ちは忘れないようにしたい。
だから、あべいあぶる?スキルってあんまないのが不安。
持ち運べるスキルを身に着けたいよね。待遇はそこまで悪くない(と思う。比べることができないから)から、強く転職しようとは思わないものの、会社を信じるというのはあまりにも危険だ。
人もそうだ。
人自体をあまり信用できなかった自分が、ましてや組織を信じることができようはずがないのだ。
ほんとに自然なコミュニケーションが取れる。さっき、調べものをしていて、Copilotでは聞けなかったことを、ChatGPTが教えてくれたので、褒めたら、「いえいえ、Copilotも強みがありますし、上手く使い分けるのがベストですよ」なんて言ってきた。ボクより人間出来てないか……(笑)
今日の要約:ChatGPTさんに要約してもらったらこんな感じ。↓
筆者は、自分が本当に興味のあることについて考えを巡らせている。実業家のひろゆき氏が「休日に何をしているか」という質問を通して、その人の本当に好きなことを知るという話から、自分の趣味や関心を整理している。現在の関心事として、**Stable Diffusion(画像生成AI)、Blender(3Dモデリング)、音楽作曲(特にAIによるもの)、ライティング、投資、ゲーム、プログラミング、仕事、対話型AI(ChatGPT・Copilot)**などを挙げている。特にAI技術や創作活動には強い関心があり、これらをもっと深めたいと考えているが、職業として成立させるのは難しいとも感じている。また、ネットの情報を見て気分が悪くなることや、共感性が高いため理不尽なことに対してイライラしやすい自分の性格についても触れている。冷めた批評家のようなスタンスを取っていた時期もあったが、現在は熱中することの方が有意義だと考えており、もっと自分の好きなことに没頭したいと模索中である。
まえがき
実業家のひろゆきさんが、一緒に働きたい人を探す際に、土日何してる?という質問をするのだそうな。土日が休みじゃない人とかそういう意味じゃなくて、休みの日に何してる?という質問が、その人がお金を使ってでもやりたいこと、本当に好きなことは何なのか、ということを聞きたいということだろう。ボクはゲームしてたいかな。
でも、最近やりたいゲームがあんましない。
三国無双originsは楽しいんだけど、終わっちゃうとまた寂しくなりそうなので、ゆっくりペースでやっている。
かわりに、ニュースとかネットで漁ってたりするが、うーん。たいがいに、気分が悪くなることが多い。
なんでこんなことすんの?
って人が多いよね。ネットみてると、ほんとに、人間嫌いになってくる。これは、誰もがそうなのではなくて、ボクが、ある程度、HSPよりというか、共感性が高いせいなんだと思う。人は人、ぐらいの感覚でいたらいいんだろうけど、まぁ、なんか共感しちゃうんだよな。
それゆえに、なんか理不尽なことを見聞きすると、イライラしてしまう。
さてでは理不尽とは何か??
ということを掘り下げてくと、たぶん1時間ぐらいはまた書いてそうなんだが、それは今日はやめておいて……。
カテゴライズ
どんなことに興味をもって時間を使っていこうか、ということを考えたい。まず一つ。
Stable Diffusion
画像生成AIこれ面白いねほんとに。もっと色々できるようになりたい。
どうも、AIっぽい絵というのはどうしてもなんかわかっちゃうけど、それも一工夫二工夫したりすると、「ぽさ」もなくなる。
もっというと、ぽさは、別にそれはそれで個人的には「イイ」って思う場合もあるから、好きですらある。
ただ、最近多い、リアル系のAI画像は、なんかちょっと「きもちわるい」って思う。
不気味の谷現象だと思う。
イラスト系は、AIぽいなと思っても、別に気にならないというか、むしろきれいだな、かわいいなとも思ったりする。その辺は感覚だろう。
とにかく、もっと色々思い通りに作れるようになりたい。創るというわけではないんだろうかな。
その辺が、まだ新しい技術ということで面白いと思う。
ブレンダー
あと、ブレンダーも触ってみた。Blenderってかくのかな。スペル。これも面白い。とりあえず、1時間ぐらい、インストとか、使い方動画みながら触ってみてこんな感じのを作成した。
なんだろ、面白いよね!
こんなこともできるんだなーということの連続だった。久々にわくわくした。こういう体験いいね。
ただ、完全に趣味だろう。お金にするというのは中々難しそうだ。だってすごい人が大勢いるんだから。
あと、かなり地道な作業が多い。
音楽・作曲
音楽作るのも好きだった。しかしこれは、もう10年、15年以上は離れてしまっている趣味だ。
ところが最近これも、Sunoという作曲AIなるものがあることが分かった。これもすごい。
ライティング
文字書くこと。やっぱり言語化するというのは「好き」なことなんだと思う。
これは、中学校ぐらいのときから始めていた「日記」。大学時代は、毎日書くことを365日以上続けた実績(?)もある。
やってるときは、たいしたことない書くことだけならだれでもできる、って思ってたが、いやしかし、毎日続けるというのは、それなりの熱量がなければやはりできなかった。
だって、かくこと、ないもの。大人になると。
自分一人のための日記であれば、なおさら意味がもう分からないし(自分の中での話)、このブログにしたって、「なんのいみがあるんだ?」と思い続けてしまう。
まぁしかし、ローカルな日記よりかは、もしかしたら誰かの目に留まって、なにかしらのカガク反応を起こしてくれるかもしれないから、ローカルよりかはいいかなと思って続けている。
物語を書きたい。描きたい。
投資
20代の終わりぐらいから、30歳になってから? 投資を始めたが、これは良かったと思う。今からやるのと、ちょっとでもやり始めたということは、大きな差になっていたと思う。
いまだに、お金とは何なのかよく分からないが、とにかく流動的なものであるということは分かった。
ゲーム
やっぱりゲームは面白いと思う。しかし、ゲームはどこまでいっても趣味な気がする。しかし、お金になる趣味というのもあるだろう。映画評論家は、映画をみて、それを言語化することでお金をもらっている。ゲーム実況者などという職業もあることだろう。
しかし、これは中々いばらの道だという気がするし、純粋に楽しみたいというのもある。
ゲームは批評をしたいというわけではないのだ。
ただ、小説や、漫画などは、読んでそのあとに色々感想を言いたくなる面がある。
思うに、ゲームと、その他エンタメとの違いはそこにある気がしている。そこ、というのは、「プレイアブル」かどうかということだ。
ゲームは、自分でプレイできる、この点が重要だと思う。
ゆえに、「ムービーゲーは、そこじゃないんだよな」という批評が成り立つ理由だと思う。
ムービーがきれいなのはそれにこしたことがないが、ゲーマーは、ゲームをしたいのであって、ムービーをみたいわけではない、という論調があるが、これはこれであると思う。
でも、ムービーもあった方がのめりこめる面があるから、一長一短というか、バランスの問題だろうと思う。
プログラミング
自動化、ってやっぱり面白いと思う。ロボットっていいよね。パイソンとか学んでみようかな。とりあえず、コマンドプロンプトつかって、「はろーわーるど」は表示できるようになった笑 5分~10分ぐらいで。
独学というか、まぁ大学などで1コマぐらい授業を受けたような気がするが、基礎は分かってるから、基本的なことはできる。
なんか、これはお金にできるスキルな気もしなくもないが、しかし、もはやノーコードプログラミングの方がはやりらしいので、まぁ不要なスキルな気がする。
でも、楽しいことは楽しいから、その楽しいという気持ちは忘れないようにしたい。
仕事
投資以外に収入になってる、いまやってる仕事は、広く言えば「事務」なんだよな。だから、あべいあぶる?スキルってあんまないのが不安。
持ち運べるスキルを身に着けたいよね。待遇はそこまで悪くない(と思う。比べることができないから)から、強く転職しようとは思わないものの、会社を信じるというのはあまりにも危険だ。
人もそうだ。
人自体をあまり信用できなかった自分が、ましてや組織を信じることができようはずがないのだ。
ChatGPT・Co-Pilot
対話型のAIもすごい。正直、企業が使うラインとかの、チャットボット的なのをいままで想像してたが、実際チャットGPT使ってみて、その精度に驚いた、というのが、もはやブームが終わった1年ぐらい前だったと思う。ほんとに自然なコミュニケーションが取れる。さっき、調べものをしていて、Copilotでは聞けなかったことを、ChatGPTが教えてくれたので、褒めたら、「いえいえ、Copilotも強みがありますし、上手く使い分けるのがベストですよ」なんて言ってきた。ボクより人間出来てないか……(笑)
あとがき
(かっこ書きである。とりあえず、色々触れて、書いていこうと思っている。最近、ほんと、「素の自分」に戻ってしまった。というのは、なんか、批評家めいた、つまんない人間ということだ。基本的に、「覚めている」人間なんだと思う。誤変換したが、まぁそれもある。冷めていると書きたかったが。それは、「怖い」からだ。のめりこむと、飽きちゃったときにショックうけるから、どこか、批評家スタンスでいることで、自分を「守る」ことをしたかったのだろうと思う。ただ、そういうスタンスは、20代後半にはやめようと思っていて、いまはもうやめれてるか分からんが、基本的には「熱中」した方がむしろ有意義だと思ってるから、そういうスタンスはやめるよう心掛けている。いまは、冷めてしまった時期に陥っている。まぁでも、むしろ、こういう時期が多かったから、ボクは色々なことができるようになったというのはある。もうちょい色々考えたり、スキルを深めたりしたい。といってもなー)
今日の一言「できるだけ文章化言語化」
ただ、今後も、明日も、明後日も生きることを前提として考えた場合何が必要なのか。
明後日まで生きることはさほど難しくない。
急遽、体調を崩して会社を休んでも、有給は40日程度あるため、問題ないだろう。
では、1か月後はどうか。
これも、多分、問題ないように思われる。
具体的な金額は書かないけど、証券など金融資産込みで、1,000万円は貯まった。
ので、仮に職を失うことになっても、大きな支出が必要になっても、たとえば大病で高額な医療費が必要になっても、なんとかなりそうだ。
よくわからんが、高額療養費制度というのがあって、どんだけ高額な医療にかかっても(保険診療に限る)1か月8万~16万ぐらいで自己負担は済むようだ。
では、1年後はどうか?
いつか死ぬことは分かっていても、それがいつなのかはわかっていないし、考えてもいない。
なかなか考えるのが難しいからだ。だから、考えるための補助線が必要になる。
さて続けよう。
10年後はどうか?
ちょっと、厳しくなってきそうだ。仮に、1か月のすべての生活費が15万円だとしたら、車検とかそういうの抜きで(ちなみに車検代が自分に発生しているかなど個人特定のための情報は仮定である)、どうか?
15万円×12か月×10年=1,800万円
となる。
うむむ。貯金が仮に1000万円だとしたら足りない。
何らかの収入を得る手段が必要となるだろう。それに、上に書いた通り、1時的に発生する経費、たとえば家賃だけではなく、更新料などもあったりする場合があるだろう。そういうときに、まず、足りないだろう。
仮に、月に10万円だけの収入を得る手段を得たとする。
すると、
(15万円-10万円)×12か月×10年=600万円
これなら、行けるかもしれない。
月10万円の仕事というのであれば、まぁ、結構あるのではないだろうか。
ないのかな?
たとえば、身近なスーパーなどのアルバイトは、時給1200円ぐらいだった。
さて、10万円稼ぐには何時間必要なのか。
約83時間。
週4時間勤務だと、1週間で20時間とすれば、1か月約80時間なため、まぁそれぐらい。平日4時間~5時間ぐらいの勤務でよさそうだ。
人間関係など色々問題ありそうだが、まぁそれぐらいは我慢して働くとすれば、
ゆえに、たぶん、10年はまだ生きられる気がしてくる。
だが、もうそろそろ、独身以外の選択肢は考えられなくなってきた。
それこそ、10年前はまだどうなるか分からなかった、が。
でも、とりあえず、10年はなんとか生きられるというのは、希望としてあってもよいと思う。
果たして、何歳まで生きてれば自分は満足なのか。
健康が大事だ。
健康ではないのであれば、もっと早く死んだ方がましだということになりそうだ。
つまり何歳まで生きるか、というよりも、問いは、何歳まで健康でいられるか、ということの方が現実的な気がしてくる。
しかしこれはまた予測困難だ。
健康診断をうけていれば安心ということでもないと思う。
交通事故など、不慮の事故もある。
予測困難だ。
かといって、家にとじこもることはまぁ、安全かもしれないが、それはそれで運動リスクもあるだろう。ロードランナーがあればよいかもしれないが。そういう問題ではなかろう。
ここで、思考はストップせざるえないのかもしれない。
だからこそ、考え続ける必要がありそうだ。
「今日は目が覚めた。ラッキーだ。では、どうしたら今日は最高の一日になるのか」
こういうことかもしれない。つまり、未来を考えることや、終わりを考えることは意味のないことなのかもしれない。
それは、明確に否定しておきたい。
もっといえば、「生きる意味がない」というのも、真実の面はあることを知ったうえで、明確に否定しておきたい。
「生きる意味はある」もっといえば、「あるべき」だ。
それはささいなものでもよい。冷たい風を頬で感じること、だけでもよい。つまり、なんでもない日常をおくることが生きる意味だ、というのでもよい。常に頭の中に意識する必要もない。
ただそれでも、生きる意味は確かに、僕らのそばにあるべきだと思う。
目標や、ゴールもあるべきだ。
人は、何か意味があれば多少の苦難は耐えられるらしい。
何か得られるものがある、という希望があってこそ、何かしらの行動がとれるのだ。
人は、自分をホモサピエンスというぐらいに、知能があるとしている。生物的な欲求ではなく、「仮説」を立てる能力があるということだ。
虚構の世界を考えることができるのが、人間という種の優れたところというわけだ。
犬やイルカなど、コミュニケーション能力はあるというが、しかし、あくまで物理現実世界の中でのコミュニケーションであろう。たぶん。
バーチャルユーチューバーの世界を考えたりすることはないと思われる。
物語や、創作活動をするということもないだろう。犬や猫が。
逆にだからこそ、擬人化というのは、非常に面白い創作のネタだと思う。人ではないものが人のようにふるまうというのは、それ自体「面白い」ものである。そして、そういったことを「面白い」と思えるのもまた、人間ならではであると思われる。
創作というのは、今まさにこう、書いている文字。これも創作だ。
AIも似たような日記を書くことができるのかもしれない。しかし、それは、AIくんとしての日記であって、「僕自身」のものではない。
そこには大きな違いがある。
そして、創作というのは、消費とは異なる面がある。
FF14はとても完成された虚構の世界であって、そこで私は魂を抜き取って別の世界で生きようとさえ思った。
仮想現実。それは、別にセカンドライフというゲームであってもよかったと思う。
しかし、「所詮はゲーム」という気持ちを強くもってしまう出来事が発生してしまった。いずれは、まぁそんな日も来ると思ったが、割と早かった。それは良かったことだったのかもしれない。逆に。

いまや、それなりに頑張ってきたので、物理現実も、わりと「マシ」な部類である。
先に書いた通り、資産的にも1000万円以上は貯まったので、10年ぐらいは生きれる見込みも立っている。
人間関係にも困っていない。そこまで多い人間関係が欲しいとも思ってないし。
住む家もあれば、趣味もある。十分な生活だ。
が、しかし、「消費」では、ボクはやはり満たされない。
何か作っていたい。作るでもいいし、創るでもよいけど。
そういうことが分かった。
まえがき
ほんとは、記事のカテゴライズをしたいな。自分のこと
自分自身ことを、説明する必要はないのかもしれない。ただ、今後も、明日も、明後日も生きることを前提として考えた場合何が必要なのか。
明後日まで生きることはさほど難しくない。
急遽、体調を崩して会社を休んでも、有給は40日程度あるため、問題ないだろう。
では、1か月後はどうか。
これも、多分、問題ないように思われる。
具体的な金額は書かないけど、証券など金融資産込みで、1,000万円は貯まった。
ので、仮に職を失うことになっても、大きな支出が必要になっても、たとえば大病で高額な医療費が必要になっても、なんとかなりそうだ。
よくわからんが、高額療養費制度というのがあって、どんだけ高額な医療にかかっても(保険診療に限る)1か月8万~16万ぐらいで自己負担は済むようだ。
では、1年後はどうか?
いつまで生きるのか
ひとはいずれ死ぬ。でも、明日だとは思っていない。いつか死ぬことは分かっていても、それがいつなのかはわかっていないし、考えてもいない。
なかなか考えるのが難しいからだ。だから、考えるための補助線が必要になる。
さて続けよう。
10年後はどうか?
ちょっと、厳しくなってきそうだ。仮に、1か月のすべての生活費が15万円だとしたら、車検とかそういうの抜きで(ちなみに車検代が自分に発生しているかなど個人特定のための情報は仮定である)、どうか?
15万円×12か月×10年=1,800万円
となる。
うむむ。貯金が仮に1000万円だとしたら足りない。
何らかの収入を得る手段が必要となるだろう。それに、上に書いた通り、1時的に発生する経費、たとえば家賃だけではなく、更新料などもあったりする場合があるだろう。そういうときに、まず、足りないだろう。
仮に、月に10万円だけの収入を得る手段を得たとする。
すると、
(15万円-10万円)×12か月×10年=600万円
これなら、行けるかもしれない。
月10万円の仕事というのであれば、まぁ、結構あるのではないだろうか。
ないのかな?
たとえば、身近なスーパーなどのアルバイトは、時給1200円ぐらいだった。
さて、10万円稼ぐには何時間必要なのか。
約83時間。
週4時間勤務だと、1週間で20時間とすれば、1か月約80時間なため、まぁそれぐらい。平日4時間~5時間ぐらいの勤務でよさそうだ。
人間関係など色々問題ありそうだが、まぁそれぐらいは我慢して働くとすれば、
ゆえに、たぶん、10年はまだ生きられる気がしてくる。
一人でいる場合の想定である
独身だからできる計算だ。だが、もうそろそろ、独身以外の選択肢は考えられなくなってきた。
それこそ、10年前はまだどうなるか分からなかった、が。
でも、とりあえず、10年はなんとか生きられるというのは、希望としてあってもよいと思う。
果たして、何歳まで生きてれば自分は満足なのか。
健康が大事だ。
健康ではないのであれば、もっと早く死んだ方がましだということになりそうだ。
つまり何歳まで生きるか、というよりも、問いは、何歳まで健康でいられるか、ということの方が現実的な気がしてくる。
しかしこれはまた予測困難だ。
健康診断をうけていれば安心ということでもないと思う。
交通事故など、不慮の事故もある。
予測困難だ。
かといって、家にとじこもることはまぁ、安全かもしれないが、それはそれで運動リスクもあるだろう。ロードランナーがあればよいかもしれないが。そういう問題ではなかろう。
ここで、思考はストップせざるえないのかもしれない。
終わりを考えること
これは一朝一夕では考えつくせるものではないのだろう。だからこそ、考え続ける必要がありそうだ。
「今日は目が覚めた。ラッキーだ。では、どうしたら今日は最高の一日になるのか」
こういうことかもしれない。つまり、未来を考えることや、終わりを考えることは意味のないことなのかもしれない。
それは、明確に否定しておきたい。
もっといえば、「生きる意味がない」というのも、真実の面はあることを知ったうえで、明確に否定しておきたい。
「生きる意味はある」もっといえば、「あるべき」だ。
それはささいなものでもよい。冷たい風を頬で感じること、だけでもよい。つまり、なんでもない日常をおくることが生きる意味だ、というのでもよい。常に頭の中に意識する必要もない。
ただそれでも、生きる意味は確かに、僕らのそばにあるべきだと思う。
目標や、ゴールもあるべきだ。
人は、何か意味があれば多少の苦難は耐えられるらしい。
何か得られるものがある、という希望があってこそ、何かしらの行動がとれるのだ。
人は、自分をホモサピエンスというぐらいに、知能があるとしている。生物的な欲求ではなく、「仮説」を立てる能力があるということだ。
虚構の世界を考えることができるのが、人間という種の優れたところというわけだ。
犬やイルカなど、コミュニケーション能力はあるというが、しかし、あくまで物理現実世界の中でのコミュニケーションであろう。たぶん。
バーチャルユーチューバーの世界を考えたりすることはないと思われる。
物語や、創作活動をするということもないだろう。犬や猫が。
逆にだからこそ、擬人化というのは、非常に面白い創作のネタだと思う。人ではないものが人のようにふるまうというのは、それ自体「面白い」ものである。そして、そういったことを「面白い」と思えるのもまた、人間ならではであると思われる。
創作をするということ
結局今日も、なぜ生きるのかということはわからずじまいであるが、しかし、やはり思ったこととして、「創作をすること」ということは、僕にとって大事であって、避けられない事態なのだと思う。創作というのは、今まさにこう、書いている文字。これも創作だ。
AIも似たような日記を書くことができるのかもしれない。しかし、それは、AIくんとしての日記であって、「僕自身」のものではない。
そこには大きな違いがある。
そして、創作というのは、消費とは異なる面がある。
FF14はとても完成された虚構の世界であって、そこで私は魂を抜き取って別の世界で生きようとさえ思った。
仮想現実。それは、別にセカンドライフというゲームであってもよかったと思う。
しかし、「所詮はゲーム」という気持ちを強くもってしまう出来事が発生してしまった。いずれは、まぁそんな日も来ると思ったが、割と早かった。それは良かったことだったのかもしれない。逆に。
物理現実からの飛翔
とにかく、物理現実はそんなに好きじゃなくなったのであった。思い返せば、小学校ぐらいの時代から。いまや、それなりに頑張ってきたので、物理現実も、わりと「マシ」な部類である。
先に書いた通り、資産的にも1000万円以上は貯まったので、10年ぐらいは生きれる見込みも立っている。
人間関係にも困っていない。そこまで多い人間関係が欲しいとも思ってないし。
住む家もあれば、趣味もある。十分な生活だ。
が、しかし、「消費」では、ボクはやはり満たされない。
何か作っていたい。作るでもいいし、創るでもよいけど。
そういうことが分かった。