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インプットが足りないのである
2019/02/01 20:56 | Comments(0) | ポジティブ思考
今日の一言「ルーチンとは別に書く」

前書き

 土曜日更新とは別の記事である。それはそれとして書く。
 今回、思ったことを書く。

 何故「思った」かというと、自分のブログの音読を聞いていて、だ。

 そんなことやってるのか、と。中二病でなくても、痛い人じゃないかと。まぁ、大半の人はそう思うだろう。そんな変態なことをしているのはきっと、70億の人類のうち、1000人もいないんじゃないか。

 だが、音読は有用なのである。
 何故なら、疲れていて、眠くて、やる気がないときでも、「聞く」ことは割かしできる(身を入れて「聴く」のは難しくとも)。
「読む」のは難しい。


面白くないことも多いけれども

 恥ずかしいこと書くぜ?
 書いちまうぜ。
 あのな、俺のブログ、たまに面白いよ。

 全部とは到底素直に全く思えない。が、たまに「おっ」と思うことが書かれている。

 膨大な過去記事を「読もう」とは思わないが、いくつか、音読をした記事が携帯音楽プレーヤーに入っていて、眠くてボケーっとした頭の状態で、電車の中で聞いていた。
 そしたら、「ほう……、ほうほう、ほほーぅ」となった。

 2017年ごろの、いつの記事かは、ほんとにボケっと流していただけだから分からなくなってしまったが、とにかく、面白かったのである。


 なんだか最近、全般的にやる気が起こらない状況だった。
 帰ってきてからも、気力が起こらない。気力が起こらないときは、呆然とゲームをしたりする。呆然とネットサーフィンしたり。

 ゲームも、ネットサーフィンも、僕は「ザマス」ではないから、全然OK良い趣味だ思っているが、「呆然と」は失礼に思っている。「真剣に」やりたいものである。

 まぁ、正直今も、家に帰ってきて、「疲れた……」という思いというか、体の重さがあるけれども、それを補うほどの精神的(気分)が回復している。


インプットを増やそう

 それで、少し思い出したのだ。
 やる気が起きないというときも、やる方法はあるのである。

「機械的に」やるといい。

 ルーチンに組み込む、というと、まぁ言葉としては簡単だから、そんなもんか、となってしまうが、もう少し具体性がある方法だ。

 僕らのような(「ら」に誰を含めたかは……)行動よりも思考が先に来てしまう人は、思考を意識的に止める必要がある。
 僕は、以前、まじめに勉強とか自己改善を図らなければならないとき、細かい時間管理をして、行動のチェックリストなんてのも作っていた。チェックリストなんて、仕事のTODOのようだが、そうではなく、単に、毎日するようなことも含むのである。
 勉強や仕事だけではない、食事やら、ゲームやら、読書やら、そういった生活の要素を落とし込むのである。
 そのうち、アヴェイアブル(笑)とか書くと中二的だが、可用時間を算出し、そのうち「本来すべきこと」にどれだけ割り当てられたかとか、睡眠時間の記録とか、まぁそんな面倒なことをやっていた。

 面倒である。今はできん。
 だが、その「要素」は使うことができる。というよりも、有用である。

 何故かというと、生活を機械化できるのだ。

 ルーチンの免除規定とか、それらもそういった生活改善作業の中で何となく感じ取っていったものの一つだ。



 何でそんな機械化が必要なのか。
「感情的」だからだ。

 疲れたやら、眠いやら、体のどこが痛いとか。
 知るか。関係ない。何がなんでもやれ。

 スパルタである。ブラック上司である。

 しかしだ、フルメタルパニックというアニメで、米軍(退役軍人?)のキャンプで修業することになった主人公に、病み上がりなのにハードなワークを課す教官に対して、主人公の知人が「無理させすぎなんじゃないか」という。
 それに対して教官は、「おう、若いの。フィジカル何ちゃら理論やらは、敵陣の中、支援も何も得られず、弾薬も尽き、怪我もして十分に動けない状況になったら、糞ほどの役に立つんか。どうしようもなく追い詰められた中で役に立つのは、己のファッキンガッツじゃ!」とかいう。

 現代において簡単には受け入れられない言ではあるが、しかし、言い当てている部分もあるだろう。
 極論だから、それを前提にシステムが設計されるのはよくないけれども、しかし、大事なことでもある。

機械的インプット方法

 音読だ。

 音読をしようと思った。今回はそういう記事である。

 音読は、機械的にインプットを図れる方法である。
 特に、新しい概念を取り入れようとか、知識を得ようという目的の時は有意義だ。何せ、「残る」のである。残ったのを、後で自分で聞くことができる。聞くのは、冒頭書いたように、少しハードルが低い。

 それで、差し当たって選んだ本は、先日購入した『工学的ストーリー創作入門』である。

 316ページほどなので、これを、一日10ページずつ取り組んでいく。基本毎日だ。
 そうすると、32日で読み終わることになる。

 2月いっぱいかかる見込みである。しかし、これはかなり厳しい計画だ。数字にすると簡単そうだが、相当厳しいというのが、前にやった『人間とは何か』のときに実感している。
 そもそも、10ページ読むのに、約10分~15分かかる。――これも、数字にすると簡単そうだが、音読をこれだけ(平日も)するのは、相当意志力がないと難しい。


社会人の勉強について

 社会人になって、何を勉強すればいいのか。

 仕事について、というのはそうだが、仕事以外では何をすべきか。

 ある人の書いた文章を読むと、「お金につながるのが正解」だとあった。
 具体的には、プログラミングと、マーケティングと、なんかと、なんかだってさ(うろ覚えすぎる)。

 しかし、何をすべきかってのは、多様だと思う。正解なんてなかろう――いや、あるんだが、その正解は、自らが選び取らなければいけないだろう。
 そもそも、勉強するって行為は、主体性がなきゃいけない。


 役に立つ、って何なのか。お金になることが役に立つことなのか。
 そうか確かに、資本主義社会において、価値の尺度はお金だ。

 しかし、お金は何のために必要なのか。生きるため――さらに、「よく」生きるためだ。安心や見栄や虚栄も含めて、幸せになるためだ。

 不思議なことだ。
 幸せを快楽と読み替えたときに、「気持ちいい状態」を作るのに、勉強という大変なことをしなければならないということだ。
 筋トレと同じだ。筋トレは、理想の肉体を得るために、筋肉を傷めつけて、「超回復」することで強くなるのだ。

 理想って何だ? 幸せってなんだ?

 おうおう、そういったすべての禅問答的な疑問をシャットアウトし、行動へと変換する装置が「機械化」対応だ。


(かっこ書きである。あー、疲れた、眠い、けど、頑張って、書いた。あと、音読もやった。ちなみに、筋トレもちゃんとやっている。「そんなこと書く意味あるのか」とか、昔の記事で言っていたが、「ある」。日常的なのも織り交ぜといた方が、後から読んだとき分かりやすくてよいし、「ああ、そこまではやってたのか」という記録の意味にもなる。その、来週、というか、今週の定期更新のネタとしては、「結婚すべきか」「子供を作るべきか」とか、そういうめんどくせえことを書こうかと思っていたのだけれど、それは流れるかもしれないな。なんだかやる気がでない……という状況が続いていたわけだが、昨日、なんだっけ、何で読んだか忘れたけれども、「眠くなるじゃん? 眠るって、意識がないってことじゃん。そうしたら、『死ぬ』って状態が、実は人間にとって最高の状態なんじゃん?」みたいなの。ハリーポッターの登場人物が、「死は何をなしてきたかの集大成」とか……ん? それはなんか心に響かないな。なんだっけか、そのしかし、死にたくないとか皆思うし、先日僕も死ぬ夢について書いて怖かったなぁって、そうなんだけど、でも、そんなに悪いもんじゃないかもしれないって考え方もいいんじゃないかなって。しかし……ああ、しかし、何を言ってるのかと、誰も分かってくれない――のは当たり前なのだが――けれども、意識の断片だけが取り残された死ぬ夢は、滅茶苦茶怖いんだよ。自然災害も、人間も怖いけれども、でも、あれほどの恐怖は、その夢以外に僕は感じたことはない。本当に、僕は「無」を望む。……だが、まぁ、その……、残された時間、もっと主体的に使っていきたい)

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