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ルーチン更新の最終日
2019/03/30 13:35 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「目標達成は小さなことでも嬉しいことだ」

前書き

 おめでとう。この記事を投稿すれば、2019年1月14日に立てた週間更新という目標は達成される。

おすすめの映画

アマプラでおススメの映画とか!!!!」

 なんと、拍手コメントを久々に頂いた。これは取り上げねばなるまい。
 最近観た作品でいけば、『インターステラー』が面白かった。

 インターステラー(以下「インステ」)は、クリストファー・ノーラン監督の2014年の作品だ――とかって、レビュー記事では書かれるが、すみません、僕は「云々主演」とか「云々監督」と言われてもよく分からない。
 ただ、ノーラン氏は、映画「インセプション」も手掛けたという。ああ――あの作品か、あれは面白かった、と、そういう繋がりでは記憶に残すことができる。

 そして僕はふと思う。
「面白い作品教えて」
 と言われて、その作品を挙げるとき、どういったことを書けば(言えば)よいのだろうか。
 これは、自己紹介や、雑談においても重要な気がする。そういうことを意識して書いていきたい。
(ちなみに、いつものごとく、僕の記事は、「構成」を事前に考えたりしていない。ほぼ、僕の思考の流れがそのままトレースされている。まぁだから僕と話すと、こんな感じなんだということが分かると思う――ただ、これは、この思考の流れは、常に表に出すわけではない。基本的に「空気読む」ことが前提となる。というか、この流れになることは、対面コミュニケーションでは殆どないのではないか、とすら思う。何故ならば、コミュニケーションは、相互情報共有であるのであって、一方的に話すのは授業や講演やプレゼンだ。会話、とは異なる。ただ、本当はこういった素直な思考状態で人と会話したいとは思っている。飲み会とかでも、そういうことができる場面も、僅かかもしれないが、大人になるにつれて増やしてくることができた。しかし、プロスポーツの話とか、興味のない話はとことんつまらない。だが、それは趣味指向性の話であって、小説がつまらないと思う人に本の話題があっても楽しめないのと同じレベルであって、そこが問題なのではない。要するに、「深み」が必要だと思うのだ)

インターステラー

 まず、ネタバレをしない、というのは、僕のポリシーだ。
 ネタバレ気にしないという人もいるが、しかし、物語のワクワク感は、「先の見えなさ」にあると思っている。
(ちなみに、拍手コメ氏が、インステを見たことあるかどうかはもちろん不明だ)

 しかし、ネタバレをせずに、その作品について語るというのは、しかも興味をもってもらえるように語るというのは難しいことだろう。

 だが、試みる。

 序盤、は恐らく退屈だろうと思う。
 ある家族(主人公たち)の生活が描かれる。地球が舞台だ。だが、現代と少し違う。文明が衰退している可能性があることが、時折のエピソードで描かれる。
 自然災害等で、徐々に地球の環境が悪化していることも描かれる。それでも、「普通」の生活を過ごしている。

 物語のプロットポイント1(※)は、主人公の家の中で起きる不思議な出来事から、とある「施設」に導かれることだ。そこで、地球の置かれた状況と、それに抗おうとする人たちの存在が明らかにされる。

 主人公は、家族か、地球を救うというミッションか、どちらかを選ぶことを迫られる。

 もちろん、物語なので、葛藤を経て、主人公は地球を救うことを選択する(これはネタバレではない。家族を選んだら、物語はそのまま平穏に、かつ凋落する地球のもとに滅びゆくだけだろう)。
 僕がここで推したいポイントとしては、実はその葛藤が、終盤での重要な問題解決のキーになっていたということだ。


※転機。日常から問題へと投げ出されるシーン。

どんな話か

 あらすじ、は「推し」において必要なのか。
 そもそも、あらすじには、「オチ」を含むものと含まないものがあるとのことだが、どちらにせよ、物語を初めて楽しもうとする人たちの気概をそぐものであってはならないだろう。

 僕は、インステを、「宇宙」「時間」「滅び」のキーワードを挙げたいと思う。
 もうちょっと深めに表現すると、「重力」とか「事象の地平線の先」ということになるかもしれない。

 僕らの目は、光をとらえて、物質の存在を認識する。
 じゃあ光って何なんだ、といったときに、「光子」(フォトン)という、波の性質ももつ粒子である、と物理学はいう。
 一方で、「重力」という概念もある。質量をもつ物体が引き合う力だ。質量が大きければ大きいほど、重力は強い。そしてこの重力は、光子にも影響をおよぼず。

 すなわち、超質量をもつ存在、ブラックホールでは、光の源である光子すらも、その重力によって飛び出すことができなくなるのだ。だからブラックホールは「真っ暗」なのだ。
 そして、相対性理論によると、重力が強いところは、弱いところに比べて時間の進みが遅くなる。(例えとして表現すれば、重力が強い惑星から、重力が弱い惑星をみると、弱い惑星の人たちは物凄いスピードで動いているように見えるということだ)


 インステは、表現する。
 引き離された主人公と家族の、時間の隔たり。
 そして、ブラックホールに飛び込んだ時の、二度と戻れないであろう事象の地平線の先を。


あらすじ終わり

 面白さ、表現できただろうか。分からない、ワカラナイ。

 まぁその、万人に興味をもってもらえるであろうレビューって難しいだろう。
 人の興味は様々だからだ。例えば、主人公の娘も、キーパーソンであるが、子供のころの演技がうまいとかいうので興味が惹かれる人もいるだろう。
 もしくは、荒廃を予感させる地球の映像や遠大な宇宙の映像に感銘を受ける人もいるだろう。

 様々だ。
 僕の場合は、映像が奇麗なのも勿論重要であると思うが、やっぱりストーリーが気になるところである。次はどうなるんだろうという期待。それが視聴モチベーションとなる。

最近、努力について

 もともと、何を書こうと思っていたか忘れてしまった。
 なんだっけ。ああ、そうそう、目標達成である。
 それだけだっけ? 何か、頭の中に何も浮かばなくなった。

 こういうときは、美味しいドリンクに限る。

 あーそれには、片付いた部屋が必要だ。――ある程度片付く。よし。


 ああ、だが、余計に、何も浮かばなくなった。

 まぁ、いいことなのかもしれない。何も考えないというのも、大事なことだ。

 あ、思い出した。
「努力が認められた」
 という言葉は、成り立たないと思う。
 その、認めることが可能なのは、「成果」だ。

 僕は、こういった、「効率すべて」的な考え方が嫌いである。
 例えば、「雑談」は無駄の典型、とされる。でも、雑談ぐらいあってもいいと思う。
 ただし、僕は雑談は嫌いだ。それは、雑談だから嫌いなのではない、上に書いてきたように、「興味がない話題」の場合が多いからだ。

 好きな人と、何も考えずに、ただマリオカートをやる時間は、無駄だろう。
 無駄なんだが、僕は好きだ。楽しい。充実している。

 充実? なんの生産もしていない行為が?

生産性と人生

 人生で最も大切なことは、「欲望」だ。
 人は、誰かのために成長するのでもなければ、誰かのために生きているのでもない。

 人は、「やりたい」「したい」という欲望があるから、生きているのだ。

 その結果、その「やりたい」「したい」が、人のためになることが、最も充実感を得られるように生得的にインプットされているのだ。これを否定しても、例外的な反証にしかならない。

 だから、「必ず人は〇〇だ」という表現をしたところで意味はない。例外はいる。人を害するのが好きな人もいる。だが、一般的(大多数……これは、半数程度なのかもしれないが)には、人は、人のためになることをして、嫌な気持になるようにはできていないのだ。

 だから、取引先の人に、「あなたと仕事ができて良かったです。あなたのおかげで上手くいきました」ということは、大事なことなのだ。
 それを言うことは、メールなど文章を起こすことは、直接的に金銭的なサムシングを生むことはない。それよりかは、時給換算時間対効果としてマイナスだろう。

 効率、という言葉には、そうした生産性の面の腐臭がする。
 だから嫌いだ。

 無駄があってもいいじゃないか。それは換言すれば「ゆとり」だ。

 前にも書いたが、「ゆとり教育」は、批判されまくったわけだが、だが、その理念は間違ってなかったと思う。「教え込まれること」ではなく、「自主的に学ぶこと」が重要なのは明らかなのだ。仕事だってそうだろう? 「自分で考えてみろ」とか言われたことはないだろうか。

 まぁすぐさま書きたくなるのは、一方で効率は重要だと思っているし、「自分で考えろ」という無責任な指示が嫌いだったりもするし、要は僕は面倒くさい人間である。

話題提供されると指の動きが加速する

 上のようなことを書くと、途端にいろいろ思考が生じてくる。これは面白い。
「無駄とは何か」
「効率とは何か」
「ゆとりとは何か」
「自分で考えるとは何か」
「自主性とは何か」
 いろいろ生じる。書きたい。でも、別に誰かに理解してもらおうとは思わない――いや、理解してもらえたら嬉しいが、されなくても構わないと思う。なんとなく、理解してくれる人もいるということは、なんとなく、信じられるようになった、なってきた。だから、いい。

 まぁいいや、長くなってきたから、やめる。この記事はインステの紹介記事ってことでよいだろう。

(かっこ書きである。いやその、努力ってのは、主観である。というかそもそも、努力ってなんだ? がんばる、ってことだ。頑張るってなんだ? 辞書をひく。「忍耐して努力し通す」とある。忍耐? また難しい言葉が出てきた。つまり、耐えろということだ。苦痛を感じろということだ。嫌な思いをしろ、ということだ。それが努力だ。――いやじゃッ!(かっこ笑い) 同時にいつも書いておくが、努力自体を否定することはない。ストイックというのもいい。成長だって大事だ。だが、「嫌な思いをする」ということが、何故大事なのか? 構造上欠陥じゃないか? 人は苦しむために生まれたのか? ――そうだ、と仏陀は言っている? 俺は違うと思う。人生はふつーに過ごしていれば四苦八苦で「苦」だ、だけど、正しい実践(八正道)すれば涅槃寂静だぜ、というプロットだと思う。曹洞宗を広めた道元氏は、修証一如といって、悟りと修業は一体なんだぜ、といった。修業は苦しいが、悟りを得るための手段ではなく、修行自体が悟りなのだということだ。だから、修業が苦しいと思っているうちは、そもそも悟りにまだ遠いのだ。努力、をはき違えてはいけない。新しいことに出くわしたとき、俺らは恐怖する。そりゃそうだ、今までの方法が通じない。戦えば負けるかもしれない。だがそれは、「生き残りたい」という欲求に基づくものだ。そのために、苦しいが、頑張るのである。それは「主体的」だ。自分がやりたいからやるのだ。やりたくないことをやることが努力なんかじゃない。え? 理不尽な仕事を振られたときは、やりたくなくてもやらなきゃいけないって? そうだ。やりたくないがやらなければいけない。だが、次元をあげて考えてみたまえ、「やりたくない」のはその仕事自体だが、その仕事を達成しなければその会社で給料をもらえないから、やるのだ。その会社で働き続けたいからやる、のだ。その次元では、「やりたい」のだ。いやいや、現実感情とかけ離れすぎて、納得いかない人ばかりだろう。だが、何かをなすためには、時に感情に反することもする必要がある。だが、その「なすこと」自体は、自分の「やりたい」ことなのではなかろうか。その「なしたいこと」すらもやりたくない、と思うのであれば、残念だがその会社は辞めるべきだろう。――いやいや遠藤よ、俺は、働くことすら嫌でいやで仕方がないのだ、その場合はどうしたらいいのだ。働かなくても生きていける努力をすればよい。それすら嫌なら死ねばよい。だが、そこで、「死にたくない」と思うのであれば、いやいや仕事をするのも、「やりたいこと」なのだということをよく考えるといい。俺は、生きること自体がもう嫌だと思っていた。こんな苦しい毎日なのに、何故就職して、働かなければいけないのかと思っていた。その次元においては、「死ぬ」ということが「やりたいこと」になる。俺は、その次元においては、「自殺」ということを否定しない。――だが、すぐさま書いておきたいのは、逆に言えば、「新しいこと」というのは、避けられないのである。要するに、これから先、ずっと苦しみだけかもしれないが、逆に、一筋の希望が見つかる可能性があるのだ。その、よくわからねぇ可能性、その可能性が「無い」と、人間風情がどうして言い切れる? だから、自殺はよくないのだ)


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