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白紙につむぐ言葉
2021/11/07 19:21 | Comments(1) | 思考及び書くこと
今日の一言「5分はあっという間」

まえがき

 本を、1分読んで、感想を書く。
 これは、難しい。
 まず、始めることさえできれば、5分、10分は余裕である。
 ところが、1分でさえ、「本を読む」という行為を行うことが意外に難しい。

 嫌なことから逃げ続けてはいけない。やるべきことは早めにやった方がよいというのは、とっかかりが大事ということを示している。
 あと、後回しにすればするほどに、問題が大きくなることが多い。

ヘルマンの格子

 ヘルマンのコウシ。等間隔に、縦横に並んだ白黒の四角形の間の白い部分は、グレーに見えるというやつだ。
 言葉で説明するのが難しいが、図をみれば、誰しも「ああ、あれのことか」と思い出すはずである。錯視みたいなやつ。ルビンの壺みたいなやつ。老婆と少女の絵に見えるやつ。

 意識というものが虚構であるという。そのことを示す事例で用いられる。

 グレーに見えるというのは、人間の目の機能であって、実際に「グレー」が、その絵図に存在しているわけではない。たぶん、色を読み取る機械にかけたら、数値上は「白」があるだけなのだ。



 しかし、人間の目には、「グレー」に映る。
 だから、意識は虚像虚構なのだと。

 だが、そうはいっても、グレーはあるのだ。

驚くべき人

 錯視という状況があるように、人間とは不完全な存在だ。
 でも、だからといって、「グレー」が「見える」こと自体は嘘ではない。
 実際に「意識」されている。

 そのことに着目するのが「実存主義」である。

 デカルトとはちょっと違うという。

 デカルトの「我思う故に我あり」というのは、「私が思うことができる、だから「私」は存在する」といいきっている点が違うという。言いきっているというか、「私」の存在を、「そういう存在」として認めている点が違うという。

「そういう存在」
 というのは、二元論的な、心身のうちの、「心」として、存在するのだという主張である。

 物的一元論……つまり、身体というものしかなくて、その身体の機能によって心というものが生じている(に過ぎない)というのが、実存主義に近くて、デカルトは、二元論的な考え方をしている点が違うという。


 この説明で分かるのだろうか。自分の中では腑に落ちているが、果たして他者が見て意味が通じるのか。そして、未来の私が読んで分かるのか。また、過去の私に聞かせたときに分かるのか、分からない。

あとがき

(かっこ書きである。「分かる」ということについて書いたこともあった。分かるというのは、物事を分類できるということだ。つまり分類できなければ分かったことにはならない。「完全な理解」というときは、付随するすべての事象が、すべてのときに、誤りなく分類できるということである。逆に、分からない、というのは、まず僕は、「存在しない」と思う。だって、「広い」意味で、分からないことなどないだろう。だって今、僕は「日本語」を書いている。そういう意味で、「分かる」。つまり、「分かる」というのは、次元がたくさんあるのである。宇宙玉ねぎのように、剥いても剥いても終わりはない。物質とは何か? 原子である。原子とは何か。陽子と中性子と電子である。陽子とはなにか。クォークである。クォークとは何か。アップクォークとダウンクォークである……。要は素粒子である……。と、まぁ、分類はできる。全く分類できないことはあるだろうか? 異界の言語であれば分からないかもしれない。でも、それが「言語」であることは分かるかもしれない。「知らない人」というのはいる。でも、その人が、人間なのか、男女かどちらかは分かるだろう。アンドロイドという存在が当たり前になれば、「人間」の分類が曖昧になる。そんなときは、新たに、「ヒト型」という概念が必要になるかもしれない。概念というのは、分類における「ラベル」である。目印。名前。言語学者の……誰だっけ、名前が出てこない、あのその……、ああ、もう頭のラベルがすり減っている。その……あれだよ、シグニティ……じゃなかったっけ、シグニフィカント……違う、なんだっけ、シニフィエと、シニフィアンだ。それそれ。えっと……、シニフィエというのが、定義された名前であって、シニフィアンというのは、その物自体であって……とかって。結局思うに、「記憶力」がないと、「思考」ってできないのだと思う。中学生とかのとき、そこらへんを分かってなかった。数学の公式を覚えるのがなんか「負けた」気がして嫌だった。よく考えたら中二病的精神である)












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ものに過ぎない人であってもすごいことはすごい
2021/10/31 18:54 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「私とは何か」

まえがき

 やばいやばい。
 気を抜くと、また、さぼってしまいそうになる。
 本を読む。
 そして、感想を書く。

 本を読むといっても、1分でよい。本を触る、のでもいい。
 本のタイトルだけでもいい。

 あまりに大きい目標は、どこから手を付けていいか分からなくて、やる気がそがれることがある。
 そういうときは、自分が可能なレベルに分解するのだ。
 プログラム開発では、WBSというのだったか。

 ウォークブレイクスルー?
 ウォークブレイクダウンストラクチャーだ。

頭の中の仕組み

 脳の中の私は何故見つからないのか?
 という本を引き続き読んでいる。

 前回、心身一元論は不十分だから、心身二元論に立脚せねばならない、という考え方もあることにふれた。チャーマーズ氏の唱える論だ。

 心身二元論は、霊魂の存在を認める……ものもあるので、オカルトチックな感じもあるが、チャーマーズ氏の心身二元論は、哲学チックな考え方だ。


 脳内の仕組みが、「完全に」人間と同じものが再現できたとして、それでもなお、「心」が生じない場合があるか?

 この問いに、「ある」と答えたら、心身二元論に立脚しなければいけないし、「ない」と答えたら、心身一元論に立脚しなければいけない。
 しかし、この問いが、「ある」のか、「ない」のか、これは証明のしようのないことなのだという。
 だから、結局、一元論も二元論も、まじわることはないのだ。

ニューラルネットワーク

 神経伝達物質……。セロトニン(起床に大事!)とか、メラトニン(睡眠に大事!)とか。

 脳内には、シナプスという器官があって、そこを、神経伝達物質が行きかうことにより、「思考」なり「感情」なりが生じる。

 これは、いわゆる、物的な世界で行われていることである。

 いかに、高度な情報処理ができる人でも、同じである。


 人間は「もの」なのだ。

 所詮は。

 所詮……という言葉は、ネガティブな側面を持つ言葉だ。

 ただ、「驚くべき」ものである。

 ただの「もの」ではない。すごいものなのだ。それで十分だ。
 何か、宇宙意識や神や、その他の超常的なものに立脚する必要はない。

 所詮はものであったとしても、人間がものすごい仕組みをもっていることは、疑う必要はないのだから。

あとがき

(かっこ書きである。「で?」って言われそうな記事である。けれども、たとえば、今書いた上のようなことが、2000年前のギリシャで、古文書として残されていたら、これは歴史的な資料となるだろう。「で?」というのは、その情報がありふれているからである。情報が非常に氾濫した世の中である。アクセスしようと思ったら、すぐに触れられる。インターネットという世界は、本当にすごいなと思う。ただ、だからこそ、自分自身は、「人」自身は、単なる「もの」なのだということは忘れちゃいけないことのように、僕は思う。……ちなみに、インターネットで思い出したが、最近、諸事情で「Air Wifi」というクラウドWifiを使うことになった。これについて、僕の評価は「低」である、と口コミさせて頂く。無線LANというか、Wifiについては、WiMAXという種類があるが、これは、3日間で10GBで速度制限がかかる。Air Wifiが属するクラウドWifiは、この速度制限がない、というのがメリットとされている。僕はほんと諸事情によって切り替える必要が生じたため、自ら望んでそれにしたわけではないが、まぁそれはそれとして。何がダメだったかというと、とにかく速度が遅いのである。たまに早いときもあるが、遅いときもある。安定していないのがダメなところだと思う。まぁでも、動画見るぐらいの速度は遅い時でも出るから、まぁ許してもよかった。何より「低」とせざるえないのは、速度制限がすぐにかかることだ。Steamのゲームをダウンロードするため、2GBぐらいだったが、普通につなげていたが、速度制限にひっかかった。1日ぐらいで解除されるようだが、どうやら、200kbpsぐらいの速度にすると、5分~15分ぐらいで引っかかる。ひっかかると、100kbpsぐらいしか速度がでなくなる。そして何よりもっと不満に思ったのは、その基準が明確に記載されてないことだ。「一般的利用を超える使用があった場合は速度制限する場合がある」みたいな表現がされているだけで、その基準が全然分からない。基準が分かれば、Steamには、ダウンロード速度の帯域を設定できる機能があるため、少しバッファみたうえで設定したりもできるが、おちおちダウンロードもできない。いまどきいないと思うけれども、ネットサーフィン(動画みない)とメールぐらいの利用用途の人は別によいのかもしれないが)

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チャーマーズ流の哲学的ゾンビ
2021/10/24 14:31 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「意識のクオリア」

まえがき

 脳内の神経伝達物質についての本を読んで、それの感想を書く、という試みを続けてきた。
 けれども、飽きてきたところもあるので、違う本に手を伸ばしてみた。

進撃の巨人

 突然挿入される話題。
 進撃の巨人が完結していた。ので、単行本を買ってきた。特別版が売ってたので、せっかくなのでそちらを購入。

 感想は、どう書いてもネタバレになりそうなので省く。ただその、あとがきコーナーで示されていたように、10年の集大成なのだなとは思った。
 長いね。確かに、大学生ぐらいのときから連載されていた気がする。

 息の長い作品だったのだな。
 作者さんお疲れさまでした。

 少なくても、アイアムアヒーローの終わり方よりは良かったと思う。

セロトニンとメラトニン

 セロトニンは、朝活動的になるために必要な神経伝達物質ということで、とりまず、カーテンを開けて寝るようにしている。
 また、寝る前は光を浴びないように気を付けている。光を浴びると睡眠の質を高めるメラトニンの分泌が抑制されてしまうからだ。

哲学的ゾンビ

 という復習はともかく、新しい本「脳の中の「私」はなぜ見つからないのか?」を読み始める。
 これもそれこそ、10年前ぐらいに買った本である気がする。

 どんな本なのか、はまずおいておいて、今回読んだところの感想というかメモというか。

 哲学的ゾンビ、というのは、人間そっくりだけれども、「こころ」をもたない存在、である。
 すばらしい作品を見て、「感動した」ということもできる。
 その理由も述べることができる。
 表情もまた変化する。涙を流す。

 そんな存在である一方で、「こころ」はない。心の質感、クオリアがない存在。意識がない。
 それを哲学的ゾンビという。

 この概念を、私が最初に知ったのは、確か大学生ぐらいのときかなぁ。
 そのときはたいそう驚いた。こんなこと考える人がいるんだなと。
 なんとなく当時の僕は、「自己」というものの脆弱さについて悶えており興味が惹かれた。

チャーマーズ流の哲学的ゾンビ

 今回、新しく……(というか記憶から抜け落ちていたこと)本を読んで分かったことは、この「チャーマーズ」という方が唱える哲学的ゾンビの話だ。
 チャーマーズ氏は、教授なのだという。(哲学? 心理学? 忘れた)

 その方は、人間と全く同じ脳内構造をもったとしても、「意識」が生じない存在、を哲学的ゾンビといっているそうだ。


 先に挙げた哲学的ゾンビと何が違うのか。

 前者は、現象的な側面をもってして、なお「こころ」がない状態を指している。
 一方で、「チャーマーズ流」は、脳内の機能的構造もすべて完璧に同じであって、それでもなお、「こころ」がない状態を指している、のだという。

 つまり、(一般的な)前者の哲学的ゾンビは、脳内の構造、ニューラルネットワークの仕組みもすべて再現できれば、おのずと、「こころ」や「意識」は発生するという考え方なのである。
 心とは、脳内でつくりだされた「幻想」なのだと。

 チャーマーズ氏は、「心」は、身体とは別の起源をもつという二元論者なのだという。
 一元論では、説明がつかない現象……つまり、上の「チャーマーズ流の哲学的ゾンビ」の状態が想像できるから、一元論では不十分で、「心」を別の起源(=元)として扱う必要があるという立場なのだそうだ。

 

あとがき

(かっこ書きである。何だか、人間関係で落ち込んだ一週間だった。どちらかというと、ゲームの方の人間関係。僕は、前に書いたように、このブログも、ゲームも、リアルも、「等価」に考えている。もっといえば、最近考えるようにしている、と言った方がよいかもしれない。どこかしら、「リアル」が絶対優位で、ネットが、劣勢であるという考え方が、僕にはしっくりこないのである。こなかった、のにようやく気付いた、ともいえる。そういう意味で「変」な人間なのだと思う。でも、「ネット」も、一つの世界であると認めるようにした途端に、割と世界は「生きやすく」なった気がする。もちろん、生活の基盤はリアルにあるわけであり、ネットも、リアルで「仕事」している人がいるから成り立っているのだ。だからといって、リアルでの関係だけが真実で、ネットの関係は偽物である……そうとは思えない、思わないと。そういう意味で「等価」なのである。まぁだから、「人間関係で落ち込む」というのは、割と大きなことであると言っていい。そして、ネットであるとはいえ、「修復困難性」というのは別に難易度に違いはないのである、と改めて思った。ネットだから「切り離せる」という点だけは優位性があるが、「仲直りする」というのは、ネットだからと言って簡単ではないのだ。そんな感じで、気持ちは晴れやかではない。ないのだけれども、まぁ、「元気」に振舞う容易性というのもまた、「ネット」の優位性である。それはそうと、NOTEの方でサポート(投げ銭? 寄付?)したらお返事を頂けていた。最近気づいた。メールで連絡がくるのね(サイトの方からくる。サポートされた方とは直接的につながりはない。アマゾンとかネット通販の仕組みでもこういうのがあって、よい仕組みに思われる)。wikiペディアさんにも、そういう意味で簡単に寄付できたらいいなとも思う。いやまぁ、簡単なのだけれども、やっぱりクレジット情報を登録するというのは、いくらSSLとかセキュアだとかいっても抵抗がないわけではないのだ。かといって、アマゾンで登録している口座情報から連携できます……みたいな仕組みも、それはそれで怖い。そういう意味で、その、NOTEでのサポートした件について、違うアカウントにサポートしてしまったみたいで、お手間をとらせてしまったみたいである。そうだよな。受け取るにも情報登録は当然必要なのである。思いがいたってなかった。ちょっと反省した)

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夜ぐっすり眠るために
2021/10/17 20:45 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「メラトニン」

まえがき

 本を1分読んでから、その内容をブログにする。
 その試みの第3回目、だと思う。
 ひとまず続けられているなぁ、という感想。

 そもそも、1分と決めても、だいたい、5分程度読んでいる。
 なので、問題は、「1分する」という行動に自分をもっていくことである。

 1分だけでいいから開始できたら、こっちのものなのだ。

 習慣を作れなくて困っている人は是非試して欲しい。
 心配ない。習慣作りが苦手な僕が実践して効果が出ているのだから(3回分だけど)。

夜ぐっすりする脳内物質

 メラトニンとは、神経伝達物質(=脳内物質)の種類である。
 網膜から入った光刺激で、松果体という脳内の器官が分泌する。
 この神経伝達物質は、「ぐっすり眠る」ために必要なものだ。
 体を「リラックス」の状態にしてくれるという。

 その状態にするため原因を明らかにするのは医学なのだろうが、手っ取り早く、そのメラトニンの効果を信じたとして、ではどうしたらたくさんメラトニンを出して、ぐっすり眠れるのか。
 凡人としてはその効果が知りたい。

 でー。

 メラトニンは夜に分泌されるという。
 午前2時から3時がたくさん出るという。

 そして、光によって抑制されるという。

 だから、暗いと出る。

 蛍光灯や、テレビゲーム、パソコンなどの刺激があると出にくいという。

 だから、寝る前の30分ぐらいは、薄暗い所で気分を落ち着けることが大事だ。

 蛍光灯はよくないが、赤色灯はよいらしい。(うちにない)

あとがき

(かっこ書きである。ゲームが良くないというのは、格闘ゲームとかだと、アドレナリンが出たりして、メラトニンが抑制されてしまうからだそうな。あと、そもそも大画面のディスプレイは、「光」なので、メラトニンが抑制されてしまうのだろう。ところで、睡眠時間は、やはり6時間~7時間は最低限必要なようだ。最近5時間なんだよなぁ。5時間でずっといると、2日間徹夜なのと同じパフォーマンスになるのだそうな。まじか。そりゃあやばい。せめて6時間はとろう。でも、そもそも、イライラして家に帰ってくると、どうしても何かゲームなりアニメなりなんかこう、消費しないと気分が落ち着かない。悪い傾向だな。それで早死にしたら何の意味もない――いや、「意味」はない。生きることに本質的に意味はない。生きる意味を見つけるのは自分自身だ。長く生きることが必ずしも大切なわけではない。罪とは何か。罪はどこに宿るのか。「身体」なのか。極悪人がいたとして、認知症になり、すべて忘れてしまったとしたら、そいつは、刑を受けるに値する存在なのか。認知症……というのは例えは悪いが、完全なる記憶喪失(というものが存在するのかは分からないが)の場合はどうか。分からない。話は変わるけれども、やっぱり僕は人付き合いは苦手なのだと思う。確かに、先日来の記事などで、人とかかわるのもとても楽しい(こともあった)、と書いた。それは嘘偽りない本心だ。一方で、関わる人が増えると、やっぱりすごく「気がかり」になる。簡単に書けば、「こういえばこう伝わるのでは」とか、気にしてしまうのだ。さらに、「この人とこの人の関係はこうだから、こうした方がいい」とか、そういうことも考え始める。それは当たり前にみんなできることだし、「大人」はやるべきことなのかもしれない。僕は、「疲れる」。「面倒」というのともちょっと違って、自然に「考えてしまって」結果として疲れるのである。人の感情(の推測)はシャットアウトして、良いことだけが聞こえるようになりたい。耳をふさぎ、心をふさぎたい。良いことだけを受容したい。メラトニン全く関係ないどころか逆を行ってるあとがきとなった)

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朝すっきり目覚めるために
2021/10/10 19:17 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「セロトニン」

まえがき

 本を、1分だけ読む、そしてそれをネタにする。
 上のことは、少し、一週間立っても覚えていられるようになった。

 たかだかその程度でも、習慣にするというのはとても難しいこと。

「そんな程度のこと」

 とたかをくくると、しっぺがえしをくらう。若いころの僕は、何だかいつも焦っていた気がする。「がんばらなきゃ」置いて行かれる、生きていけない、そんな恐怖があったような。そういった恐怖や不安というのは、「ノルアドレナリン」が分泌されている状態なのだろう。

セロトニン

 しかし今日は気分的に、「セロトニン」のページを読む。

 セロトニンは、落ち着いた気分のときに分泌されるもののようだ。
 更に、「朝活動的」であるために必要だという。
 そもそも、朝起きてから、2~3時間が、脳の働きがもっともよいのだという。


 これは甚だ疑問だが……。

 ただ、良い目覚めであることが必要なのだろう。

良い目覚め

 日光が必要だということ。
 これは結構、家の形状的に難しいが。
 とりあえず、カーテンを開けて今日は寝てみようかな。

 目が覚めてから、5分ぐらいは、目を開けたままいた方がよいのだという。日光(光)をとりいれることで、セロトニンが分泌されて、脳に「起きなさい」という指令がくだるということだ。

 そうすると、起きてからの2~3時間は、もっとも脳が活動することができるのだという。
 アイディアを出したりとかに向いているということだ。


 あとは、「リズム運動」(腕ふり運動、音読などリズムにのっている行動であればよいらしい)や、「咀嚼」も、セロトニンが分泌され、脳が目覚めるのだという。


あとがき

(かっこ書きである。へー。となっても、それを実践しないと、あんまり意味はない。とりあえず、カーテン開けて寝るというのはやってみるかな。話はかわるけれども、前回の記事で、こんなとりとめのないかっこ書き部分で、「某氏のブログ、拍手押せなくなった」と書いたら、察知してくださった某氏が、なんと、別のブログに切り替えてくださった。早い。ありがたい。読みやすいし、ログインしなくてもイイネ押せるみたいだし、よいと思う(若干、読み込みが遅いような気がするが、こっちのネット環境やら、たまたまなのかもしれない。これは様子をうかがおう)。ただ、「WEB拍手」、仕組みとしては気に入ってはいたんだけどなぁ。なんかほら、押すと、ご褒美のテキストとか絵とか見れるじゃない。あれが何か好きだった。更新するのはとてつもなく労力だろうし、たいてい、全然種類は変わらないのだけれども(笑)。そういう問題じゃなくて、何かよかった。「いいね!」って記事に反応したら、「ありがとう!」って言ってもらえる感じがして。まぁ、そういう感覚自体が、旧ネット民というか、老人の感覚なのだろう。若い人たちはきっと分からないだろう。とかって書くと、老害だーって言われるのかもしれない。しかし、誰とでも分かりあえるというのは幻想でしかないのであって、むしろ誰とでも分かりあえるなら戦争もなければ「ルール」(法律や規則)などもいらないのであって、全部自然でよいのだ。ほっておくと理解不能になるのが人間なので、そうならないように発明されたのが「社会」なのだと思う。でも、しょせん(?)は、人がつくったものなので、完全無欠完璧ではない。しかし、それでいいのだ。仕方がないのだ)




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