今日の一言「できるだけ文章化言語化」
ただ、今後も、明日も、明後日も生きることを前提として考えた場合何が必要なのか。
明後日まで生きることはさほど難しくない。
急遽、体調を崩して会社を休んでも、有給は40日程度あるため、問題ないだろう。
では、1か月後はどうか。
これも、多分、問題ないように思われる。
具体的な金額は書かないけど、証券など金融資産込みで、1,000万円は貯まった。
ので、仮に職を失うことになっても、大きな支出が必要になっても、たとえば大病で高額な医療費が必要になっても、なんとかなりそうだ。
よくわからんが、高額療養費制度というのがあって、どんだけ高額な医療にかかっても(保険診療に限る)1か月8万~16万ぐらいで自己負担は済むようだ。
では、1年後はどうか?
いつか死ぬことは分かっていても、それがいつなのかはわかっていないし、考えてもいない。
なかなか考えるのが難しいからだ。だから、考えるための補助線が必要になる。
さて続けよう。
10年後はどうか?
ちょっと、厳しくなってきそうだ。仮に、1か月のすべての生活費が15万円だとしたら、車検とかそういうの抜きで(ちなみに車検代が自分に発生しているかなど個人特定のための情報は仮定である)、どうか?
15万円×12か月×10年=1,800万円
となる。
うむむ。貯金が仮に1000万円だとしたら足りない。
何らかの収入を得る手段が必要となるだろう。それに、上に書いた通り、1時的に発生する経費、たとえば家賃だけではなく、更新料などもあったりする場合があるだろう。そういうときに、まず、足りないだろう。
仮に、月に10万円だけの収入を得る手段を得たとする。
すると、
(15万円-10万円)×12か月×10年=600万円
これなら、行けるかもしれない。
月10万円の仕事というのであれば、まぁ、結構あるのではないだろうか。
ないのかな?
たとえば、身近なスーパーなどのアルバイトは、時給1200円ぐらいだった。
さて、10万円稼ぐには何時間必要なのか。
約83時間。
週4時間勤務だと、1週間で20時間とすれば、1か月約80時間なため、まぁそれぐらい。平日4時間~5時間ぐらいの勤務でよさそうだ。
人間関係など色々問題ありそうだが、まぁそれぐらいは我慢して働くとすれば、
ゆえに、たぶん、10年はまだ生きられる気がしてくる。
だが、もうそろそろ、独身以外の選択肢は考えられなくなってきた。
それこそ、10年前はまだどうなるか分からなかった、が。
でも、とりあえず、10年はなんとか生きられるというのは、希望としてあってもよいと思う。
果たして、何歳まで生きてれば自分は満足なのか。
健康が大事だ。
健康ではないのであれば、もっと早く死んだ方がましだということになりそうだ。
つまり何歳まで生きるか、というよりも、問いは、何歳まで健康でいられるか、ということの方が現実的な気がしてくる。
しかしこれはまた予測困難だ。
健康診断をうけていれば安心ということでもないと思う。
交通事故など、不慮の事故もある。
予測困難だ。
かといって、家にとじこもることはまぁ、安全かもしれないが、それはそれで運動リスクもあるだろう。ロードランナーがあればよいかもしれないが。そういう問題ではなかろう。
ここで、思考はストップせざるえないのかもしれない。
だからこそ、考え続ける必要がありそうだ。
「今日は目が覚めた。ラッキーだ。では、どうしたら今日は最高の一日になるのか」
こういうことかもしれない。つまり、未来を考えることや、終わりを考えることは意味のないことなのかもしれない。
それは、明確に否定しておきたい。
もっといえば、「生きる意味がない」というのも、真実の面はあることを知ったうえで、明確に否定しておきたい。
「生きる意味はある」もっといえば、「あるべき」だ。
それはささいなものでもよい。冷たい風を頬で感じること、だけでもよい。つまり、なんでもない日常をおくることが生きる意味だ、というのでもよい。常に頭の中に意識する必要もない。
ただそれでも、生きる意味は確かに、僕らのそばにあるべきだと思う。
目標や、ゴールもあるべきだ。
人は、何か意味があれば多少の苦難は耐えられるらしい。
何か得られるものがある、という希望があってこそ、何かしらの行動がとれるのだ。
人は、自分をホモサピエンスというぐらいに、知能があるとしている。生物的な欲求ではなく、「仮説」を立てる能力があるということだ。
虚構の世界を考えることができるのが、人間という種の優れたところというわけだ。
犬やイルカなど、コミュニケーション能力はあるというが、しかし、あくまで物理現実世界の中でのコミュニケーションであろう。たぶん。
バーチャルユーチューバーの世界を考えたりすることはないと思われる。
物語や、創作活動をするということもないだろう。犬や猫が。
逆にだからこそ、擬人化というのは、非常に面白い創作のネタだと思う。人ではないものが人のようにふるまうというのは、それ自体「面白い」ものである。そして、そういったことを「面白い」と思えるのもまた、人間ならではであると思われる。
創作というのは、今まさにこう、書いている文字。これも創作だ。
AIも似たような日記を書くことができるのかもしれない。しかし、それは、AIくんとしての日記であって、「僕自身」のものではない。
そこには大きな違いがある。
そして、創作というのは、消費とは異なる面がある。
FF14はとても完成された虚構の世界であって、そこで私は魂を抜き取って別の世界で生きようとさえ思った。
仮想現実。それは、別にセカンドライフというゲームであってもよかったと思う。
しかし、「所詮はゲーム」という気持ちを強くもってしまう出来事が発生してしまった。いずれは、まぁそんな日も来ると思ったが、割と早かった。それは良かったことだったのかもしれない。逆に。

いまや、それなりに頑張ってきたので、物理現実も、わりと「マシ」な部類である。
先に書いた通り、資産的にも1000万円以上は貯まったので、10年ぐらいは生きれる見込みも立っている。
人間関係にも困っていない。そこまで多い人間関係が欲しいとも思ってないし。
住む家もあれば、趣味もある。十分な生活だ。
が、しかし、「消費」では、ボクはやはり満たされない。
何か作っていたい。作るでもいいし、創るでもよいけど。
そういうことが分かった。
まえがき
ほんとは、記事のカテゴライズをしたいな。自分のこと
自分自身ことを、説明する必要はないのかもしれない。ただ、今後も、明日も、明後日も生きることを前提として考えた場合何が必要なのか。
明後日まで生きることはさほど難しくない。
急遽、体調を崩して会社を休んでも、有給は40日程度あるため、問題ないだろう。
では、1か月後はどうか。
これも、多分、問題ないように思われる。
具体的な金額は書かないけど、証券など金融資産込みで、1,000万円は貯まった。
ので、仮に職を失うことになっても、大きな支出が必要になっても、たとえば大病で高額な医療費が必要になっても、なんとかなりそうだ。
よくわからんが、高額療養費制度というのがあって、どんだけ高額な医療にかかっても(保険診療に限る)1か月8万~16万ぐらいで自己負担は済むようだ。
では、1年後はどうか?
いつまで生きるのか
ひとはいずれ死ぬ。でも、明日だとは思っていない。いつか死ぬことは分かっていても、それがいつなのかはわかっていないし、考えてもいない。
なかなか考えるのが難しいからだ。だから、考えるための補助線が必要になる。
さて続けよう。
10年後はどうか?
ちょっと、厳しくなってきそうだ。仮に、1か月のすべての生活費が15万円だとしたら、車検とかそういうの抜きで(ちなみに車検代が自分に発生しているかなど個人特定のための情報は仮定である)、どうか?
15万円×12か月×10年=1,800万円
となる。
うむむ。貯金が仮に1000万円だとしたら足りない。
何らかの収入を得る手段が必要となるだろう。それに、上に書いた通り、1時的に発生する経費、たとえば家賃だけではなく、更新料などもあったりする場合があるだろう。そういうときに、まず、足りないだろう。
仮に、月に10万円だけの収入を得る手段を得たとする。
すると、
(15万円-10万円)×12か月×10年=600万円
これなら、行けるかもしれない。
月10万円の仕事というのであれば、まぁ、結構あるのではないだろうか。
ないのかな?
たとえば、身近なスーパーなどのアルバイトは、時給1200円ぐらいだった。
さて、10万円稼ぐには何時間必要なのか。
約83時間。
週4時間勤務だと、1週間で20時間とすれば、1か月約80時間なため、まぁそれぐらい。平日4時間~5時間ぐらいの勤務でよさそうだ。
人間関係など色々問題ありそうだが、まぁそれぐらいは我慢して働くとすれば、
ゆえに、たぶん、10年はまだ生きられる気がしてくる。
一人でいる場合の想定である
独身だからできる計算だ。だが、もうそろそろ、独身以外の選択肢は考えられなくなってきた。
それこそ、10年前はまだどうなるか分からなかった、が。
でも、とりあえず、10年はなんとか生きられるというのは、希望としてあってもよいと思う。
果たして、何歳まで生きてれば自分は満足なのか。
健康が大事だ。
健康ではないのであれば、もっと早く死んだ方がましだということになりそうだ。
つまり何歳まで生きるか、というよりも、問いは、何歳まで健康でいられるか、ということの方が現実的な気がしてくる。
しかしこれはまた予測困難だ。
健康診断をうけていれば安心ということでもないと思う。
交通事故など、不慮の事故もある。
予測困難だ。
かといって、家にとじこもることはまぁ、安全かもしれないが、それはそれで運動リスクもあるだろう。ロードランナーがあればよいかもしれないが。そういう問題ではなかろう。
ここで、思考はストップせざるえないのかもしれない。
終わりを考えること
これは一朝一夕では考えつくせるものではないのだろう。だからこそ、考え続ける必要がありそうだ。
「今日は目が覚めた。ラッキーだ。では、どうしたら今日は最高の一日になるのか」
こういうことかもしれない。つまり、未来を考えることや、終わりを考えることは意味のないことなのかもしれない。
それは、明確に否定しておきたい。
もっといえば、「生きる意味がない」というのも、真実の面はあることを知ったうえで、明確に否定しておきたい。
「生きる意味はある」もっといえば、「あるべき」だ。
それはささいなものでもよい。冷たい風を頬で感じること、だけでもよい。つまり、なんでもない日常をおくることが生きる意味だ、というのでもよい。常に頭の中に意識する必要もない。
ただそれでも、生きる意味は確かに、僕らのそばにあるべきだと思う。
目標や、ゴールもあるべきだ。
人は、何か意味があれば多少の苦難は耐えられるらしい。
何か得られるものがある、という希望があってこそ、何かしらの行動がとれるのだ。
人は、自分をホモサピエンスというぐらいに、知能があるとしている。生物的な欲求ではなく、「仮説」を立てる能力があるということだ。
虚構の世界を考えることができるのが、人間という種の優れたところというわけだ。
犬やイルカなど、コミュニケーション能力はあるというが、しかし、あくまで物理現実世界の中でのコミュニケーションであろう。たぶん。
バーチャルユーチューバーの世界を考えたりすることはないと思われる。
物語や、創作活動をするということもないだろう。犬や猫が。
逆にだからこそ、擬人化というのは、非常に面白い創作のネタだと思う。人ではないものが人のようにふるまうというのは、それ自体「面白い」ものである。そして、そういったことを「面白い」と思えるのもまた、人間ならではであると思われる。
創作をするということ
結局今日も、なぜ生きるのかということはわからずじまいであるが、しかし、やはり思ったこととして、「創作をすること」ということは、僕にとって大事であって、避けられない事態なのだと思う。創作というのは、今まさにこう、書いている文字。これも創作だ。
AIも似たような日記を書くことができるのかもしれない。しかし、それは、AIくんとしての日記であって、「僕自身」のものではない。
そこには大きな違いがある。
そして、創作というのは、消費とは異なる面がある。
FF14はとても完成された虚構の世界であって、そこで私は魂を抜き取って別の世界で生きようとさえ思った。
仮想現実。それは、別にセカンドライフというゲームであってもよかったと思う。
しかし、「所詮はゲーム」という気持ちを強くもってしまう出来事が発生してしまった。いずれは、まぁそんな日も来ると思ったが、割と早かった。それは良かったことだったのかもしれない。逆に。
物理現実からの飛翔
とにかく、物理現実はそんなに好きじゃなくなったのであった。思い返せば、小学校ぐらいの時代から。いまや、それなりに頑張ってきたので、物理現実も、わりと「マシ」な部類である。
先に書いた通り、資産的にも1000万円以上は貯まったので、10年ぐらいは生きれる見込みも立っている。
人間関係にも困っていない。そこまで多い人間関係が欲しいとも思ってないし。
住む家もあれば、趣味もある。十分な生活だ。
が、しかし、「消費」では、ボクはやはり満たされない。
何か作っていたい。作るでもいいし、創るでもよいけど。
そういうことが分かった。
あとがき
(かっこ書きである。できれば、その「つくった」もので、何か金銭を得たいものである。できれば、上の書いたとおり、10万円ぐらい月に稼げたらすごくよいなと思うが、正直、1000円でも、100円でもよい。世間の皆様が、お金を払ってもよい、と思えるようなものが作ることができる、ということがとても満足できることなような気がするのだ。ところが、それはとても難しいことであるように思われる。なぜならば、無料で、色々できてしまうからだ。その中で、価値にお金を払うというのは難しい。ぶっちゃけ、電気水道ガス光回線が大事だ。それだけあればなんとかなる。ガスは、シャワーを電気でお湯沸かせるならいらないかもとか、そういうこといってんじゃない。インフラは価値がある。逆にインフラ以外の価値ってなんだ。エンタメに価値はあるのか。ある。だから小説は売れる。漫画やアニメは売れる。だが、アニメは売れている、といえるのか? アマゾンプライムで無料で見れる。漫画も、ある程度無料で見れる。お金は、どのように流れているのか。だからインフルエンサーというのはそれだけで価値がある。情報を発信することができるからだ。だから芸能人というのは価値がある。それがユーチューバーとかに価値を分散されているから、危機ではあるだろうが、たぶん、そこの垣根がなくなるだけで、全体の価値は減らない気がする。ゲーム業界はどうだろうか。パソコンをそもそも持ってない人もいるらしい。そうなると、パソコンゲームは売れないだろう。ゲームという媒体じゃないものに、時間を使う人も多いだろう。果たして。可処分時間は限られている。がっつり遊ぶ、ことができるのは、若いうちだけだという。そうだろうか。人との交流を、居酒屋で過ごす時間としてとらえるなら、あまり時間はないだろう。だが、家でオンラインでつながるということであれば、べつにがっつり遊ぶ時間はとれるはずだ。何が重要か。どういったことに、時間と、お金を使うのか。選択は無限にあるように見えていて、しかし、実際現実として選ぶことができる選択肢はそれほど多くはないかもしれない。制約は色々あるのだ)PR