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人間って愚かだなと思うこと
2025/06/21 17:17 | Comments(0) | イライラ対処
今日の一言「イライラすることはだいぶ少なくなった」

まえがき

 平和な生活を送れている。
 基本的に、ボクは、何かに熱中している時期(※)と、何にも興味を持てない時期とを交互に繰り返している気がする。躁うつのような感じだ。

 ただ、最近のところは、歳をとるにつれて、その躁鬱度合いが緩やかになっているように思われる。
 歳をとると、感動が薄れるというやつなのだろう。哀しい寂しいことにもとらえられるが、まぁ悪いことばかりでもない。



※最近ではFF14。致命的に気に入らないことがあったため今は休止中。もし改善されるようなら復帰するかもしれないが、最近は諦めモード。

最近の戦争が考え方を変えた

 2022年の某国が始めた戦争については、本当に衝撃を受けた。

 リベラリズム(自由主義)というのが、今後緩やかに広まって、世界はいずれは平和になっていくのだろうという、――それは、ボクが生きている間には達成されそうもないが――そんな漠然と考えていたところがあった。

 もちろん、日本という国に生まれ、教育を受けてきたのだから、リベラリズムの絶対性というのが、ある程度は刷り込みのようになっていた面はあったと思う。
 しかし、歴史を学べば、例えば、ソビエト崩壊、カンボジア虐殺、中国の民主化弾圧などから、
共産主義というのが、幻想で危険なものであるということは感じ取れるだろう。

 共産主義と言いつつ中国も経済的にはマクドナルドもあればユニクロもあるようだし、ある程度の自由や資本主義というのはあるのだろうから、そういった修正主義として成り立っていくのであるという想像をしていた。

 そして、大きな戦争も起こらないものだろうと思っていた。小さな紛争や殺し合いというのはなくならないだろうが、外交や話し合い、妥協などで解決に導かれていくものだと思っていた。

 ところが、2022年に戦争が起こった。あちゃー。

人類は愚かなんだな

 なんというか、非常にがっかりした。

 ヒトラーのユダヤ人の虐殺ホロコーストは、恐ろしい事件だ。
 許されないことだ。ポルポト政権の大虐殺も、1970年代に起こったというのは衝撃的だが、まぁ、20世紀の出来事だ。過去の出来事だ。人は学ぶことができる生き物だ。過ちは減っていくだろう。

 幻想だった。甘かった。がっかりした。

 なんというか、ヒトラーが悪いのは間違いないと思うが、同時に、ドイツ国民も愚かだったという視点が大事である。
 カリスマ独裁者という一人が起こした事件というとらえ方は危険だ。人は一人ではできることが限られている。それに同調し、支持するものが多数いるのだ。

 反対する人も少なくないはずだ。しかし、その反対する人を抑え込むことができる政治的な「システム」が稼働しているのである。

 これはなんだ? それはなんだ? 何が人を愚かな選択にかりたてるのだ?

 そういう視点が重要だ。
 重要だし、そういうシステムは、「自由主義」リベラリズムという価値観なんだろうと思っていたが、なんだ……全然機能しないものなんだな、と思った。

 なんというか、保護主義というか、途上国への援助なんて、別に不要だ、と考える人は少なくないはずである。
 だって、自国民が飢えないことの方がよっぽど大事だし、他国がどうなろうかしったこっちゃない、という考え方は、人間の本能的に自然だろう。
 もちろん、人道的に、貧しい人を救いたいという人もいることは事実だろう。しかしそれだけでは納得性は得られない。
 結局、ご飯がなくて、やぶれかぶれな人が増えれば、全体的に政治や世界が不安定になるからである。

 そこそこにみんな豊かだと、守るものがあれば、自暴自棄な人は減るはずだ。そして、お互いに、そういう異常者は排除するように動くはずだ。治安は安定するはずだ。

 そういう合理性があるから、「援助」というものが必要になるのである。

本当に無力感がある




 いや別に、世界がどうなろうが、僕にとってあまり関係ないのだが。

 でも、そういうニュース的なので、ボクはすごく哀しくなるし、がっかりするのである。

 これがなんでかというのが、最近、岡田斗司夫先生の動画の切り抜きで、人間の欲求の4タイプというものを見て、ボクが「理想型」というタイプだからなんだろうという気になった。

岡田斗司夫「4タイプ」

 理想型は、正義感が強くて、人間としてちゃんとありたい、「こうあるべきだ」とか理想的になろうとする傾向があり、そこに欲求があるらしい。


 ああ、なるほど、と。他のよくある心理学の分類において、自分って、論理型というか、左脳型みたいな、法則型みたいな風に思っていたけど、その傾向がありつつも、でも、「理想型」という新たな補助線があると、途端に分かりやすくなるなと思った。

 ゆえに、別に他国で戦争が起こっても、まったく気にならないという人も多いことだろう。

 というか、ボクはボクがかなり周りと浮いているというか、変わってるなと感じることがいままでも多かった。

 なんか、理由が分かった気がしてよかった。

 あれだ、病院に行っても、なかなか原因が分からなかったのが、とうとう、原因が分かって病名がついたときに、ああ、自分は病気なんだと思いながらも、なんとなく安心するとかそういう心理に近いのかもしれない。

あとがき

(かっこ書きである。ということで、この記事で何を言おうかというのは、なんやかんや、やっぱり自分の「本音」的なのは危険であるから、できるだけ「仕事」や公の場では抑える必要があるということである。そうしないとマジやばい。どうして芸能人でも政治家でも、その他著名人でも、「失言」してしまって失職するのか。バカじゃない?って思うじゃん。それが甘い考えだ。自分にも置き換えて考えてみるべきである。特にボクは当てはまりそうだから危険だ。失言に気を付けなければいけないことを銘記しなければ。んで。そのためには、できるだけ、このブログを活用しようと思う。このブログでしっかり書いておけば、「本音」を言いたくなっても我慢できると思う。かといって、理想型であると、不誠実な対応などがすごく嫌でストレスになっちゃうから、どっかで吐き出しておく必要があるとは思う。嘘を言うのは好きじゃないが、「言わない」ことならギリセーフ。自分にウソつくということにはならないからね。というわけで、頑張ろう。そいでな、ほんと世の中、バカばっかりだわ。やってられんわ。思い通りにならないことばかりだわ。人類愚かだわ。みんなどうしたら仲良くできるのか、お互いに価値を生み出せるのか、ということを考えた方がよいだろうに、誰かをけおとしてでも上にのぼりつめようというやつがいる。信じられない。死ねばいいのに。……って思ってきてたのだが、上の4タイプで、「司令型」という種族は、まさに、僕の「理想型」と対極に位置していて、お互いの理解が全くできないということなのである。故に、理解というか、共通目標とかあると、協力し合って最強のパートナーになることもあるらしいが、まぁ稀なケースだろう。と考えると、ああそうか、僕の考えている欲求というのは、別に人間という種族においては、絶対的真理ではないということは、よくよくわかった。納得した。そうなると、やっぱり改めて、人間って愚かだな、という、本記事のタイトルに戻る。まぁ、そうなんだけど、種というのは、多様性があるからこそ、環境変化における生き残りの可能性を高めている面があるため、一概にダメではないのだろう。しかし、司令型しかいない世界って、弱肉強食の荒廃した世界になりそうに思われる。かといって、理想型ばっかりだと、ディストピア的な、管理型社会的な、もしくは誰もが理想ばっかり語って何も実務的なことしないで荒廃した世界になりそうでもある。うん、やっぱりバランスが必要なんだね。となればだ、ますます、社会システムって何が一番いいんだろうというのは難しい。サピエンス的には、共通する神話を信じることで「まとまり」をもって、自然や他種族やらに打ち勝ってきた。そうなると、やはりゾーニングの強化しかないのか。そういう意味だと、世界の警察みたいに言われてた某大国の方針転換のような、保護主義が正しいのだろうか。繰り返しになるが、150人の小さな集団のように、今の地球における人類は少なくないので、ヒトラーとかスターリンとかポルポトのような独裁者とか、某国の大統領とか、一人の力という考え方は幼稚である。ある程度の大きな集団が、それらを支持しているから、発生する事象なのである。そのメカニズムは何なのか。一人一人の価値観である。しかしそれは、一人ひとりに分割されるものではない。分けていけば、それは「個人の主義主張でしょ?」的なものに終始してしまう。一人一人の価値観の集合体が、いわゆる文化的な奴が、その正体である。でもそれを適切に言語化するのは不可能だ。あまりにも複雑だからだ。だから、そういう概念があるということを知っていることしか自衛手段はない。一人の力はちっちゃくて、塵のようであるが、でも、できることをするしかない。選挙にいくとか、ゲームの内容が気に入らないのであれば、意見をメールしたり、課金を停止して意思表示するとか、それしかできない。それでも変わらなければ、自分の生き方を変えるしかない。だから、そう考えると、4タイプの、司令型や、注目型や法則型の、理想型以外の人たちは羨ましい。環境に応じて生き方を変えやすいと思われるからだ。一方、理想型はそうはいかない。でも、自分のその「理想」なるものが、どういう経緯で構築されて、どういう目的で欲求化されているのか、そこを分析することで、現実と理想とのギャップを知ることができる。そして理想を曲げることなく、ギャップとすり合わせることも可能なのではないか。そんな風に思う黄昏時であった)

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