今日の一言「平野啓一郎の小説面白い」
「んぁ長い!」
っと、初見でそう思ったものの、ちょっと読み進めると、だんだんと興味が惹かれていった。
聞いたこともない人だったので調べてみると、どうやら小説家で、「本心」という小説が映像化もされるほど人気だという。
ふむ……と思って、アマゾンで調べてみると、サンプルを読めた。
いまはまだ、1/3ぐらいしか読み終わってないと思う。
だが、圧倒的筆致。
家に帰ってから、外套を脱ぐのも忘れるほど、ページをめくる指がとまらなかった。
(実はキンドルなのでスマホである)
小説自体、ほとんど読めてなかったが、これは面白い。やっぱり、小説、ならではの意味とか価値ってあるなと、改めて思った。
ARとか、VRとか、アバターとか、VF(ヴァーチャル・フィギュア)とか。
AI学習とか。
そして、そんな中、描かれる人の「本心」とは何かというテーマ(だと思う。読み終わってないし、分からんが)。
数年前から、似たような小説を僕も描きたかった。
孤独な青年が、人工知能を有した人型ロボット(アンドロイド)との交流から、「ココロ」というものを感じ取っていくというようなふわっとした構想。
いや、「本心」という作品はそんな稚拙なテーマではないんだろうが、でも、似たようなことを考えたい、作品化したいという気持ちは多くの人が昨今思うと思う。
しかし実際書くと難しい。そういうのが、上手く描かれてると思う。プロはすごい。
ただ、この記事ではそんな分かり切ったことを書きたいというよりも、むしろ、僕の最近停滞気味であった「感情」が動いたことを書いておきたいのであって、その小説自体のレビューをしたいのではない。

正直、幸福感を得られるような感動かというとよく分からない。どっちかというと、寂しさというか、ミステリアスな雰囲気。
おいしいものたべた幸せとは全く違う。でも、いま、このとき、自分のこの時間を費やすのに「最適だ」と思える、そんな時間を過ごすことができている。
残り、1/3だが、アマゾンで、900円程度の金額でこうした時間を過ごせるというのは、とてもとても、現代風にいえば、「コスパが良い」と思った。
果たして、小説を読んだからといって、ボクが、何か、変わるわけではない。
と、思う。
ただの、消費活動の一種なのかもしれない。
でも、良い作品に触れて過ごすという時間は、人間にとって、重要なものだとも、思う。
いや確かに、最近やったゲームの中で、FF16も、まぁまぁ面白いと思ったものの、「うーん。まぁ、僕も歳をとったから、新しいゲームでは、昔ほどの感動は得られないのか」という少し哀しい気持ちになったのも事実だった。
FF14も以前ほどモチベーションがない。あんまりやることがないとか、先に進もうという気持ちになれないというのはもっと前からだったが、自分の好きだったキャラクターが変わってしまったこともモチベ低下の大きな理由になっている。自己同一性(アイデンティティ)の崩壊である。
なんとなく、イライラつらい仕事が終わって家に帰ってきて、以前ほど楽しめなくなった余暇時間に停滞を感じていた(のだろう)。
いやしかし、三国無双originsは、面白かった。
ゲームに対する感動。心躍る気持ち。
よかった、ボクはまだ、楽しむ心を持っているんだ。失ってなかったんだ、と。
そう思えてよかった。
人生に呪詛をまき散らして、他人を批判したり妬んだり悪口いったりするだけの人間にならなくて済みそうだ。ありがたい。コーエーさんありがとう。
前出の、小説家の平野さんありがとう。
ちなみに、三国無双originsも、まだ1/3ぐらいしかやってないと思う。
クリアしちゃってから書こうとすると、「面白いーー!」って気持ちがしゅんとしぼんでしまうので、取りあえず書き残しておこうというのが今回の記事の主旨である。
BGM:pianohouse:POLYPHONIC(Neko Daruma)
まえがき
前の記事のコメントで、「平野啓一郎」という方のネット記事を紹介いただいた。「んぁ長い!」
っと、初見でそう思ったものの、ちょっと読み進めると、だんだんと興味が惹かれていった。
聞いたこともない人だったので調べてみると、どうやら小説家で、「本心」という小説が映像化もされるほど人気だという。
ふむ……と思って、アマゾンで調べてみると、サンプルを読めた。
久々に小説を面白いと思った
たいてい、何か、記事をかくときって、作品に触れて、それを読んだり、見たり、終わってからの感想になる。いまはまだ、1/3ぐらいしか読み終わってないと思う。
だが、圧倒的筆致。
家に帰ってから、外套を脱ぐのも忘れるほど、ページをめくる指がとまらなかった。
(実はキンドルなのでスマホである)
小説自体、ほとんど読めてなかったが、これは面白い。やっぱり、小説、ならではの意味とか価値ってあるなと、改めて思った。
何が面白いか
テーマが、面白い。ARとか、VRとか、アバターとか、VF(ヴァーチャル・フィギュア)とか。
AI学習とか。
そして、そんな中、描かれる人の「本心」とは何かというテーマ(だと思う。読み終わってないし、分からんが)。
数年前から、似たような小説を僕も描きたかった。
孤独な青年が、人工知能を有した人型ロボット(アンドロイド)との交流から、「ココロ」というものを感じ取っていくというようなふわっとした構想。
いや、「本心」という作品はそんな稚拙なテーマではないんだろうが、でも、似たようなことを考えたい、作品化したいという気持ちは多くの人が昨今思うと思う。
しかし実際書くと難しい。そういうのが、上手く描かれてると思う。プロはすごい。
ただ、この記事ではそんな分かり切ったことを書きたいというよりも、むしろ、僕の最近停滞気味であった「感情」が動いたことを書いておきたいのであって、その小説自体のレビューをしたいのではない。
感情の動き
感情が動くことを、感動という。正直、幸福感を得られるような感動かというとよく分からない。どっちかというと、寂しさというか、ミステリアスな雰囲気。
おいしいものたべた幸せとは全く違う。でも、いま、このとき、自分のこの時間を費やすのに「最適だ」と思える、そんな時間を過ごすことができている。
残り、1/3だが、アマゾンで、900円程度の金額でこうした時間を過ごせるというのは、とてもとても、現代風にいえば、「コスパが良い」と思った。
果たして、小説を読んだからといって、ボクが、何か、変わるわけではない。
と、思う。
ただの、消費活動の一種なのかもしれない。
でも、良い作品に触れて過ごすという時間は、人間にとって、重要なものだとも、思う。
停滞
ちなみに、三国無双originsというゲームもやってみたが、これもまた「面白い」と思った。いや確かに、最近やったゲームの中で、FF16も、まぁまぁ面白いと思ったものの、「うーん。まぁ、僕も歳をとったから、新しいゲームでは、昔ほどの感動は得られないのか」という少し哀しい気持ちになったのも事実だった。
FF14も以前ほどモチベーションがない。あんまりやることがないとか、先に進もうという気持ちになれないというのはもっと前からだったが、自分の好きだったキャラクターが変わってしまったこともモチベ低下の大きな理由になっている。自己同一性(アイデンティティ)の崩壊である。
なんとなく、イライラつらい仕事が終わって家に帰ってきて、以前ほど楽しめなくなった余暇時間に停滞を感じていた(のだろう)。
いやしかし、三国無双originsは、面白かった。
ゲームに対する感動。心躍る気持ち。
よかった、ボクはまだ、楽しむ心を持っているんだ。失ってなかったんだ、と。
そう思えてよかった。
人生に呪詛をまき散らして、他人を批判したり妬んだり悪口いったりするだけの人間にならなくて済みそうだ。ありがたい。コーエーさんありがとう。
前出の、小説家の平野さんありがとう。
ちなみに、三国無双originsも、まだ1/3ぐらいしかやってないと思う。
クリアしちゃってから書こうとすると、「面白いーー!」って気持ちがしゅんとしぼんでしまうので、取りあえず書き残しておこうというのが今回の記事の主旨である。
あとがき
(かっこ書きである。あとがきで、ようやくタイトルのことに触れるが、もちろん、育ててくれた親とか、その他関わってくれた現実世界の方々への感謝の気持ちは多大にある。ありがとう。しかし、どうにも、ふつうに、現実世界の中で「当たり前に」生きていくことができなかった「変な」自分にとって、ネットの世界というのは特別な場所であり続けた。高校時代に出会って初めてネットゲームした方、メッセンジャーで色んなことを語り合った(必ずしも交じり合わなかったものの、その経験すらもかけがえないものだ)、mixi時代に出会った方からは「思考」を突き詰めるということを学んだ。身分も、収入もステータスも、性別は多分男性であったろうが、何も分からない、でも、ただ、自分と同じ「次元」で感じ、考えを持つ人も存在するのだと思った。哲学的ゾンビという考え方は、どこまでも否定できるものではないと思うが、しかし、いや、人間はやはり哲学的ゾンビなどではなく、自分の意志で、思考ができているのだという、そう思えた。もはや、あのような会話ができるのであれば、哲学的ゾンビでも一向にかまわないとすら思える感覚。このブログもそうだ。このブログを始めた(変更した)きっかけというのも、リアルの大きな変化であったものの、そのときにあたたかい声をかけてくださった方々のことを、ボクは未だ忘れていない。かわりに、嫌なことされたやつのことも、それは、小学校、中学校で、もう二度と会うこともないだろう奴のことも、30年以上たっても、ボクは忘れていない。あいつらが死んでいても、ボクは何ら悔恨なく、逆に喜ぶだろう……いや?? いやな気持は消えてないが、しかし、別にどうでもいいな……。生きてても死んでてもどっちでもいい。ただ、二度と関わりたくはない。いくらお金を積まれても拒否するだろう。話それたが、コメントで、タイムリーに感動するような作品(今回は作者)を教えてくださったことにとても感謝である)BGM:pianohouse:POLYPHONIC(Neko Daruma)
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コメント
>AIの話
自分でも、めちゃ書きたい、描きたい気持ちは今もあります。が、やはり難しい。
今回、別途記事にもしそうなくらい面白かった「本心」という作品ですが、AIなどが発展された世界について上手く描かれてました。自分は近未来SF的な作品にも思えました。
>作品に触れて
アニメ化は、期待半分不安半分なところもありますよね(笑)
好きな原作であればなおさらに。
>三国無双origins
ぜひやってみてください!(笑)
三国志、ではありますが、今作はオリジナル主人公ということもあって、初めて触れる人もとっつきやすいと思います。
戦闘も、実は剣しかまだ使ったことないのですが、もっとうまく戦いたい!って気持ちにさせてくれるようなシステムで、爽快感あります。
自分の動きによって、戦局をかえてる気持ちになれるところも高評価です。
(と絶賛している私です)
>FF16
白銀さんがめちゃおもろ!って仰ってたので、世間的な期待にさらに期待値が高まったところもありますが、わたしには刺さる、まではいかなかったですねぇ。
わたしは白銀さんと比べると、作品(ゲームもアニメも小説もその他もろもろ)に触れているインプットが圧倒的に不足しているので、そういった点の違いもあるかもしれません。
ただ、そういった感性の違いという点も含めて、こうして会話できるというのはとてもありがたいし感謝しかありません。
根底的な価値観(たぶん、人は人、自分は自分)というのの共有がないと、「自分の好きな作品を嫌うなんて信じられない!そんな奴自体嫌いだ!」になる気がします(笑)
いやまぁ、あれです、前も描きましたがFF16面白い、ない、で言ったら面白かったのですよ?(笑)
それを言うと、白銀さんが三国無双実際やってみて頂いたときに、「思ったより微妙だな?」みたいになってしまうかもしれません(笑) それはそれで面白いな、と思うので、お忙しいところ大変と思いますが、ぜひ触手を伸ばしてみてください!
>娯楽作品
最近特に、自分の中の100点を超えていって欲しいなということを思ってしまいます。
(100という数字は感覚的なものとして。80点とか、及第点という表現でもよい)
あと仰る通り、その時の自分の感覚、環境など、コンディションもかなり大きく影響するというのは、仰る通りですね。
だからこそ、いろんな作品に触れるというのが大事なことに思いますが、、うーん、時間が、、足りませんね(笑)
自分でも、めちゃ書きたい、描きたい気持ちは今もあります。が、やはり難しい。
今回、別途記事にもしそうなくらい面白かった「本心」という作品ですが、AIなどが発展された世界について上手く描かれてました。自分は近未来SF的な作品にも思えました。
>作品に触れて
アニメ化は、期待半分不安半分なところもありますよね(笑)
好きな原作であればなおさらに。
>三国無双origins
ぜひやってみてください!(笑)
三国志、ではありますが、今作はオリジナル主人公ということもあって、初めて触れる人もとっつきやすいと思います。
戦闘も、実は剣しかまだ使ったことないのですが、もっとうまく戦いたい!って気持ちにさせてくれるようなシステムで、爽快感あります。
自分の動きによって、戦局をかえてる気持ちになれるところも高評価です。
(と絶賛している私です)
>FF16
白銀さんがめちゃおもろ!って仰ってたので、世間的な期待にさらに期待値が高まったところもありますが、わたしには刺さる、まではいかなかったですねぇ。
わたしは白銀さんと比べると、作品(ゲームもアニメも小説もその他もろもろ)に触れているインプットが圧倒的に不足しているので、そういった点の違いもあるかもしれません。
ただ、そういった感性の違いという点も含めて、こうして会話できるというのはとてもありがたいし感謝しかありません。
根底的な価値観(たぶん、人は人、自分は自分)というのの共有がないと、「自分の好きな作品を嫌うなんて信じられない!そんな奴自体嫌いだ!」になる気がします(笑)
いやまぁ、あれです、前も描きましたがFF16面白い、ない、で言ったら面白かったのですよ?(笑)
それを言うと、白銀さんが三国無双実際やってみて頂いたときに、「思ったより微妙だな?」みたいになってしまうかもしれません(笑) それはそれで面白いな、と思うので、お忙しいところ大変と思いますが、ぜひ触手を伸ばしてみてください!
>娯楽作品
最近特に、自分の中の100点を超えていって欲しいなということを思ってしまいます。
(100という数字は感覚的なものとして。80点とか、及第点という表現でもよい)
あと仰る通り、その時の自分の感覚、環境など、コンディションもかなり大きく影響するというのは、仰る通りですね。
だからこそ、いろんな作品に触れるというのが大事なことに思いますが、、うーん、時間が、、足りませんね(笑)
posted by endoat 2025/01/31 23:53 [ コメントを修正する ]
以前、自分でも書いてみたものの、当時はどうにも終着点が見えずふわっと終わらせるしかなくて悔しい思いをしたのでいつか良い案が浮かべばリベンジしたくもあります。
>作品に触れて
結末で自分の中での評価がひっくり返ったり、更新が停滞していたりであまり紹介とか話題に取り上げたりはしないのですが、いくつか読んでいて面白いなと思った漫画やラノベがアニメ化することが増えてきていたりします。
「おっ」と思って嬉しい反面、面白いと思っている自分の感情を裏切らない出来であって欲しいという不安もあったり(実際、ちょっと微妙なアニメ化になってしまったなと思うものもあり)、少し複雑なところもあったり。
>ゲーム
三国無双originsは私の友人の1人も絶賛してました。ただ、私はそもそも三国志とか歴史系のものに対する興味が薄くて買ってないんですよね……。
FF16に関しても、私にはかなり刺さるものだった(とは言え不満はゼロではないですけど)んですが、遠藤さんにはそこまでだったようで、こうして感想を見たりやりとりしていると生きる意味だとか、哲学的な思考、人生観、価値観だとかで似たものを感じて親近感を持ちつつも、「やっぱり違う感性や視点を持った人なんだなぁ」と感じます。
娯楽にしろ、その時の自分の感覚にしろ、リアルの環境などによるコンディションによって楽しめる、楽しいと感じられる余裕みたいなのものが左右されるように思います。
娯楽作品には日々のフラストレーションや、何らかの苦悩や価値観に風穴を開ける力もあると思いますが、そうしたことが出来る作品というのは、作品自体が自分に合う合わないも勿論ですが、自分の置かれている状況や、受けているストレスといったものと、その時の自分の思考や感覚といったものなど、色んな要素がどこかピンポイントにハマるところがあったりもするものなのだろうなと。
何だか色々なものに無気力になっている時って、それまで凄くハマっていたものや、好きだったもの、その時でも好きでいるはずのことに触れても何だか手応えのようなものを感じなかったりするんですよね。そうした時期を超えた後で、あらためて触れると「ああ、やっぱり面白いじゃん、好きだなこれ」ってなるのに、その当時は「うーん…」みたいになる経験があります。
最近、私も何だか影響を受けて、そういう状態に少し引き寄せられつつあるような感じもしていて、そうならないよう意識的に「自分の好きなもの」の摂取をするようにしてたりします。