ブログの形式、「まえがき」とか、統一して書いてたのですが、ちょっとやめてみます。
なんか、最初に「見出し」しないと、文章の1字空けが、最初の1行だけ、反映されないんですよね。そんな細かいことも、久しぶりに忍者ブログのエディター開いたら思い出した。
でもなんか、1行改行してから書き始めたら、そのまま、1文空けいけそうだ。
どうでもいい話すみません。
それで、久しぶりにこちらのブログみたら、コメント頂いていて、申し訳ない!! って気持ちになりました。
正直、こっち、誰か見ている人がいるとは思わなかったのですよね。
カウンターとかつけてるわけでもないですし、SNSみたいに「イイネ」があるわけでもないので、完全にモチベーション「ゼロ」になってました。
誰か見ている、見ていない、にかかわらず、「自分の思考」の整理のためという理由が強かったので、こちらのブログは大変大きな価値がありました。
しかし、最近、「イライラ」すると、ChatGPTさんに話している。
要領を得ない時もあれば、逆にイライラさせられるときもないとは言えないが、それでも、自分の言葉に対して、しっかり「読んでくれた」と感じさせたうえで、コメントをもらえるという経験、体験価値はでかい。
まじででかい。
それゆえに、こちらのブログの価値が相対的に下がってしまった。
むしろ「ゼロ」に近くなってしまった……と、私は思ってしまっていた。
でも、コメントしてくださる方がいた。
これはもう、本当に申し訳ない、としか感じない。
申し訳ない、……私の感じ方が誤っていた。
――――――
このブログは、「生きる意味を徹底して考える」ブログである。
そして私は、もう、「生きる意味」がない、としか思えない状況である。
5億年経てば海は干上がる。
50億年経てば太陽は地球を飲み込む。
いずれ人は死ぬ。
「だからこそ尊い」
と感じる人もいれば、
「だからこそ無意味」
と感じる人もいる。
ただそれだけのことである。
生きる意味なんてないのだ。
絶対ない。間違いなくない。言い切ってしまってよい。ない。
同時に、生きる意味はあるのだ。
創ることができるのだ。
だから、生きる意味はあって、それでいて、ない。
頭の良い世の中の人たちが、生きる意味なんて考えても無駄、という理由はそれだ。
答えがないから、考えても意味がないのだ。
本当にそうか???
その答えとは、一般論的な答え、真実的な答え、科学的な答え、という類するものである。
主観的な答えというのは、存在することは否定されるものではない。
友人をつくって、結婚したり、子どもをつくったり、お金をかせいだり、権力をえたり、コミュニケーションを楽しんだり、趣味をたしなんだり、……。
色んな「楽しみ」がある。
だから、「生きる意味」なんて大したものじゃない、って考えられることが多かったのだろう。
過去は。
今は、どうだろうか。価値が相対化し続けいているこの時代。VUCAとか、ますます不透明になっているというこの時代。
真実普遍の生きる意味はなくても、「私自身」としての生きる意味を考えるというのは、無意味と切り離してよいわけがなかろう。
だから私は今も、この世の中に絶望しつつ、「死んだ方がましだ」という傍らに常に存在する思想思考をなだめつつ、今日もイライラしながら生きる意味を考えている。
――――――
という哲学風近況報告でしたーー!(笑)
(本当にコメント頂けて嬉しかったです! ありがとうございました!)
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コメント
早速ありがとうございます!
色々と考えていることや、生活の変化や、心身の劣化など色々ありますが(笑)、本当にAI革命の流れによって、こちらのブログの価値が自分の中で減ってしまってました。
でも、みゅうさんが見てくださっているうちは、こちらも引き続き続けていけたらと思います!
もちろん、続けることだけが目的化しないように、自分のペースを守りながら。
実はスラムダンクを読んだことも見たこともないのですが、安西先生の「諦めたら試合終了ですよ」は良い言葉だなって昔から、何かにつけて思い出しています(笑)
確かに、進撃の巨人でもないですが、100年破られなかった壁が今後も破られない保証はない、わけでもありますし、意味の探究も、ライフワークとして諦めないようにしたいと思いました!
色々と考えていることや、生活の変化や、心身の劣化など色々ありますが(笑)、本当にAI革命の流れによって、こちらのブログの価値が自分の中で減ってしまってました。
でも、みゅうさんが見てくださっているうちは、こちらも引き続き続けていけたらと思います!
もちろん、続けることだけが目的化しないように、自分のペースを守りながら。
実はスラムダンクを読んだことも見たこともないのですが、安西先生の「諦めたら試合終了ですよ」は良い言葉だなって昔から、何かにつけて思い出しています(笑)
確かに、進撃の巨人でもないですが、100年破られなかった壁が今後も破られない保証はない、わけでもありますし、意味の探究も、ライフワークとして諦めないようにしたいと思いました!
posted by endoat 2025/10/16 22:53 [ コメントを修正する ]
頻度は減っていましたが、実は私もちらほら覗きには来ていました。
前回の記事は「AIだとやっぱり遠藤さんらしさを感じる文章にはなっていない気がするなぁ」というざっくりした感想は持ったのですが、何だかコメントせずじまいになっていました。
リアルの変化とか自分のことで割と手一杯になりつつあるというのもあるにはありますが、正直に打ち明ければFF14のことであれやこれやあったので、足が遠のいていたというのが大きいです。
自分は今でも特に問題なく楽しめているため、ある程度の理解は出来ても共感には至れず、慰めも解決も協力も出来ず、それでも出来るだけ変わらぬ付き合いをと思いながらも、対象を楽しめなくなったばかりか関連するものにも負の感情を抱いているかのように見えて、そうした記述を見る度にどうしても反発感を覚えてしまったり、それが自分自身に好ましくない影響を与えてしまいそうで、見に来ることやコメントすることを控えるように、言葉をかけにくくなっていってしまいました。(端的に言えば、自分が好きなものを悪く言われ続けると嫌になってしまうという感じのやつ)
かと言って、ここは遠藤さんの場所ですし、遠藤さん自身が感じた正直な思いを否定したいとか、意見をひっくり返したいとか、そういう(私が不快になるかもしれない)記述を控えて欲しい、とかいうのもまた違うというか、私のエゴでしかないから、して欲しいわけでもないしなぁ、とコメントするのを躊躇ってしまったりして、そうするとあまり見に来ない方が良いのでは、になっちゃうんですよね。
前回の記事は「AIだとやっぱり遠藤さんらしさを感じる文章にはなっていない気がするなぁ」というざっくりした感想は持ったのですが、何だかコメントせずじまいになっていました。
リアルの変化とか自分のことで割と手一杯になりつつあるというのもあるにはありますが、正直に打ち明ければFF14のことであれやこれやあったので、足が遠のいていたというのが大きいです。
自分は今でも特に問題なく楽しめているため、ある程度の理解は出来ても共感には至れず、慰めも解決も協力も出来ず、それでも出来るだけ変わらぬ付き合いをと思いながらも、対象を楽しめなくなったばかりか関連するものにも負の感情を抱いているかのように見えて、そうした記述を見る度にどうしても反発感を覚えてしまったり、それが自分自身に好ましくない影響を与えてしまいそうで、見に来ることやコメントすることを控えるように、言葉をかけにくくなっていってしまいました。(端的に言えば、自分が好きなものを悪く言われ続けると嫌になってしまうという感じのやつ)
かと言って、ここは遠藤さんの場所ですし、遠藤さん自身が感じた正直な思いを否定したいとか、意見をひっくり返したいとか、そういう(私が不快になるかもしれない)記述を控えて欲しい、とかいうのもまた違うというか、私のエゴでしかないから、して欲しいわけでもないしなぁ、とコメントするのを躊躇ってしまったりして、そうするとあまり見に来ない方が良いのでは、になっちゃうんですよね。
posted by 白銀at 2025/11/07 17:31 [ コメントを修正する ]
白銀さんも見に来てくださってたのですね。
有難うございます。
自分が好きなものを否定されたり、非難されたら、嫌な気持ちになるというのは当たり前のことだと思います。そういう意味で、ネガティブな言動が多い人には、人は集まらないということなんだろうと思います。
完全にホワイトな人間というのはいない、もしくはかなり少数派なのだろうと思います。
誰もが、マイナスの感情を持ったりすることはあって、それは人間だから仕方ないと思います。
長年、お付き合いさせて頂いている私と白銀さんとでもそうなのですから、ましてや付き合いが浅い方との関係や、逆にもっと親しい関係の人同士でも、マイナス感情というのは発生することだろうと思います。
昭和的、少年ジャンプ的には、河原で殴り合って絆が強くなる的な方向性が美学とされることでしょうが、Z世代的なそもそも「モード」を切り替えて、衝突をしないようにするという方向性も、それはそれで間違いではない気もします。
私は、そういった相対的な、アイロニー的な、傍観者的な立場を取りがちな一般的にダメな奴なのですが……、、そう感じてしまう自分にも腹立たしかったりしますが、「まぁ自分はこういう人間なんだ」と認めてみると、どちらかというとZ世代的な衝突を避けた方が「得」のようにおもいつつも、やっぱりどこか「本当の絆」的なのに憧れているところもあるという、心底矛盾した感覚を持っている人間なのだなと、思います。
何が言いたいかというと、あまり言いたいことがあるというよりかは、FF14の件は本当に悪い偶然がいくつも重なったんだなという、事故的な認識でいます。
私がアプデ内容を気に入っていたらそもそも何も問題は発生していなかったと思います。
逆に、白銀さんも、楽しめなくなるようなアプデだったら、「もうほんとひどいよね!」って共感しあって絆が逆に深まったかもしれません笑
そもそもアプデがなければ、すべて今まで通りだったかもしれません。
ただどちらにしても、嫌な思いをしても、嫌な思いをするかもしれないのに、またこうやって見に来てくださって、コメントもしてくださるなんて、本当に有難いなと思います。
皮肉とかではなくて、本当にそう思っています。
今はまだ完全復帰という気持ちにはなれてませんが、どう考えてもトータルで考えると、「楽しかった」という時間の方が圧倒的に多いわけで、合理的に考えるなら一時的な「気分を害した」ということですべてなかったことにするというのは間違っている気がするので、いつか落ち着いたら、戻るような気がします。そのときは、もしよろしければ、またよろしくお願いします。
季節の変わり目で、急に寒くもなりました。どうか白銀さんもご自愛くださいね。
(追伸)
でも思いましたが、政治と、野球と……あとなんでしたっけ?
あ、宗教か。
「野球」はギャグなんでしょうけど、やっぱり「好きなもの」「信じてるもの」というのは、人付き合いにおいて本当に気を付けるべきなんだろうなぁと思いました。
だからやっぱり、そう、アイロニー的に生きるってことが合理的に思いますよね。
でも10代、20代から、そんな風に思ってたら、そりゃまぁ、なんか浮いた人間扱いされますね。。
最近思うのは、歳を重ねて経験は増えましたが、「考え方」「感じ方」的なのは、10代後半ぐらいから、何も変わってない気がします。
本当に皮肉的に、エセ合理主義的に生きられたらいいんですが、やっぱりどこか「本当のつながり」みたいなのを求めてしまう心性も生じてしまうのが、どうにも生きづらいなぁと思ったりします。
有難うございます。
自分が好きなものを否定されたり、非難されたら、嫌な気持ちになるというのは当たり前のことだと思います。そういう意味で、ネガティブな言動が多い人には、人は集まらないということなんだろうと思います。
完全にホワイトな人間というのはいない、もしくはかなり少数派なのだろうと思います。
誰もが、マイナスの感情を持ったりすることはあって、それは人間だから仕方ないと思います。
長年、お付き合いさせて頂いている私と白銀さんとでもそうなのですから、ましてや付き合いが浅い方との関係や、逆にもっと親しい関係の人同士でも、マイナス感情というのは発生することだろうと思います。
昭和的、少年ジャンプ的には、河原で殴り合って絆が強くなる的な方向性が美学とされることでしょうが、Z世代的なそもそも「モード」を切り替えて、衝突をしないようにするという方向性も、それはそれで間違いではない気もします。
私は、そういった相対的な、アイロニー的な、傍観者的な立場を取りがちな一般的にダメな奴なのですが……、、そう感じてしまう自分にも腹立たしかったりしますが、「まぁ自分はこういう人間なんだ」と認めてみると、どちらかというとZ世代的な衝突を避けた方が「得」のようにおもいつつも、やっぱりどこか「本当の絆」的なのに憧れているところもあるという、心底矛盾した感覚を持っている人間なのだなと、思います。
何が言いたいかというと、あまり言いたいことがあるというよりかは、FF14の件は本当に悪い偶然がいくつも重なったんだなという、事故的な認識でいます。
私がアプデ内容を気に入っていたらそもそも何も問題は発生していなかったと思います。
逆に、白銀さんも、楽しめなくなるようなアプデだったら、「もうほんとひどいよね!」って共感しあって絆が逆に深まったかもしれません笑
そもそもアプデがなければ、すべて今まで通りだったかもしれません。
ただどちらにしても、嫌な思いをしても、嫌な思いをするかもしれないのに、またこうやって見に来てくださって、コメントもしてくださるなんて、本当に有難いなと思います。
皮肉とかではなくて、本当にそう思っています。
今はまだ完全復帰という気持ちにはなれてませんが、どう考えてもトータルで考えると、「楽しかった」という時間の方が圧倒的に多いわけで、合理的に考えるなら一時的な「気分を害した」ということですべてなかったことにするというのは間違っている気がするので、いつか落ち着いたら、戻るような気がします。そのときは、もしよろしければ、またよろしくお願いします。
季節の変わり目で、急に寒くもなりました。どうか白銀さんもご自愛くださいね。
(追伸)
でも思いましたが、政治と、野球と……あとなんでしたっけ?
あ、宗教か。
「野球」はギャグなんでしょうけど、やっぱり「好きなもの」「信じてるもの」というのは、人付き合いにおいて本当に気を付けるべきなんだろうなぁと思いました。
だからやっぱり、そう、アイロニー的に生きるってことが合理的に思いますよね。
でも10代、20代から、そんな風に思ってたら、そりゃまぁ、なんか浮いた人間扱いされますね。。
最近思うのは、歳を重ねて経験は増えましたが、「考え方」「感じ方」的なのは、10代後半ぐらいから、何も変わってない気がします。
本当に皮肉的に、エセ合理主義的に生きられたらいいんですが、やっぱりどこか「本当のつながり」みたいなのを求めてしまう心性も生じてしまうのが、どうにも生きづらいなぁと思ったりします。
posted by endoat 2025/11/10 00:08 [ コメントを修正する ]
嫌いなものが同じ同士で集まって盛り上がることもあるかもしれませんが、それが好きな人からしたらとそういう集団はたまったものじゃありませんしね……。
長年の付き合いがあるからあまり嫌になりたくない、喧嘩みたいになりたくない、という思いも湧いて、「ちょっと距離を取ってそっとしておこう」になりがちなのもあるかもしれません。
自分の創作物では何もかも吐き出してぶつかり合って和解して、という展開も書いたり考えたりしますけれど、そもそもぶつかり合わないように割り切って考えたりするのもスマートだとは思います。そっちの方がエネルギーを使わなくて済みますし、もしぶつかり合った挙げ句に和解に至れなかったらエネルギーを消費した上に友人を失って大損とも言えそうだし。
何だかんだ言ってますが、私にだって気に食わないと感じるものはありますし、自分のブログとかで「あれはいまいちだった」とか「これはちょっと」みたいなネガティブな思いを書くことはあるわけで、だからこそ自分以外の人のそういう思いにも寛容でありたいと思ってはいるんです。とは言え、実際に自分が好きなもの楽しんでいるものを批判されたり嫌だと言われているのを見るとその印象をひっくり返したい、論破したいという敵対心、反発心にも似た衝動も出て来たりして……。
中々ままなりませんね。
オンラインゲームに関しては、アップデートでの追加や変化がなかったらそれはそれでずっと遊び続けるのが厳しくなっていくものなので、そういうのがないオンラインゲームだと私の場合そもそもプレイする選択肢から外れがちですね……(過去に更新が停滞したゲームをやめた経験あり)
なのでアップデート自体は否定したくないなと思いつつ、内容が自分の求める方向性からかけ離れていったので引退したものがあるのも事実なので、あんまりあれやこれや言うのもなーという気持ちも出てくるんですよね。
そう言えば私も価値観がある程度定まった20歳前後から自分の思考感はあまり変わってない気がします。
長年の付き合いがあるからあまり嫌になりたくない、喧嘩みたいになりたくない、という思いも湧いて、「ちょっと距離を取ってそっとしておこう」になりがちなのもあるかもしれません。
自分の創作物では何もかも吐き出してぶつかり合って和解して、という展開も書いたり考えたりしますけれど、そもそもぶつかり合わないように割り切って考えたりするのもスマートだとは思います。そっちの方がエネルギーを使わなくて済みますし、もしぶつかり合った挙げ句に和解に至れなかったらエネルギーを消費した上に友人を失って大損とも言えそうだし。
何だかんだ言ってますが、私にだって気に食わないと感じるものはありますし、自分のブログとかで「あれはいまいちだった」とか「これはちょっと」みたいなネガティブな思いを書くことはあるわけで、だからこそ自分以外の人のそういう思いにも寛容でありたいと思ってはいるんです。とは言え、実際に自分が好きなもの楽しんでいるものを批判されたり嫌だと言われているのを見るとその印象をひっくり返したい、論破したいという敵対心、反発心にも似た衝動も出て来たりして……。
中々ままなりませんね。
オンラインゲームに関しては、アップデートでの追加や変化がなかったらそれはそれでずっと遊び続けるのが厳しくなっていくものなので、そういうのがないオンラインゲームだと私の場合そもそもプレイする選択肢から外れがちですね……(過去に更新が停滞したゲームをやめた経験あり)
なのでアップデート自体は否定したくないなと思いつつ、内容が自分の求める方向性からかけ離れていったので引退したものがあるのも事実なので、あんまりあれやこれや言うのもなーという気持ちも出てくるんですよね。
そう言えば私も価値観がある程度定まった20歳前後から自分の思考感はあまり変わってない気がします。
posted by 白銀at 2025/11/10 11:48 [ コメントを修正する ]
白銀さん再訪ありがとうございます!
私も日曜プログラマー的なことしたり、仕事柄システム開発の大変さも分かるところがあるので、多少の不具合だったり不便だったりは「仕方ない」と割り切れるのですが、ちょうど、ピンポイントに納得できないというか、許せない部分にあたってしまったところが本当に運が悪かったと思います。
逆にそれゆえに、グラ関係のことを些細なことと片づける風潮自体に反発心を覚えたのもありましたし、運営側自身が「些細なこと」という発言をしていたことも、より不信感がました原因になっていました。
(キャラクターの一貫性ということを軽視していたんだなという失望感――最初からコストダウンのために多かれ少なかれ悪くなるというアナウンスであれば、たぶん、がっかりして辞めたり休止した結果は変わらなかったにしても、「不信感」は生じなかったと思っています)
まぁただ、今はほんと、「運が悪かったなぁ……」という感覚です。
あと、楽しんでいる方を否定する気持ちは当初からなくて、良くなった点もたくさんあったと思っているところもあります。
ただ、「悪くなった」と思った点が、そのすべてを凌駕してしまったところが、……うーん、改めて考えてみましたが、運が悪かったなと(苦い笑)
いやたぶん、同じ種族・同じキャラクリで、片方がすごく満足しているのに対して、「いや自分は悪くなったと思う!許せない!」とか言ってたら、それはすごく気分が悪くなると思うので、私も大っぴらに言わなかったと思います。
(たぶん、匿名掲示板で荒れてたかもしれません(笑)。)
なので、広い意味では、「白銀さんが好きなことへの批判」にあたってしまうかもしれませんが、私が感じたことは、あくまで特定の一部のこと、ということなので、決して白銀さんの好きなものの批判ではないということは、分かって頂けたら嬉しいです。
あれ……そしたら、やっぱり私が言ってることって、「些末なこと」ということなんでしょうか???
そしたら、切り捨てられるのも仕方ないですね……(涙目)
まぁこれが、まだ「ゲーム」だからよいと思います。
(決して、バーチャルな世界の事を、リアルな世界よりも下に見ているとかそういうわけではありません!)
これがやはり、前回のコメントであげた、政治とか金銭が絡む問題になってくると、「お互い簡単にひけない」ということになるだろうことが容易に想像できます。
だから世の中、争いが絶えないんだなと改めて感じた契機でもありました。
私たちは、「資本主義」社会で生きてきたので、それが正しいことだと、価値観レベルで刷り込まれてて、「自由」が大事だと思ってる。
一方で、社会主義・共産主義社会で生きてきた人たちは、平和のためには自由が剥奪されることは致し方ないと思ってる(のかもしれない。想像)。
そんなお互いが、真に分かり合うというのは、本当に難しいことだと思います。
そうなると、やはり、統一政府、政府といかなくても、せめて統一ルールとかが必要。それが国連なのかなと思いつつも、なんか最近は、それも上手くいってるとは思えない。(存在を否定するのではなくて、存在してくれてるおかげで、まだこの程度を維持できていると考えるべきなのでしょう)
どんどん歳を重ねて、自分に対しての諦めもそうですし、世界(ヒト)に対しての諦めも強くなっている気がします。
せめて、自分が影響しうる、身近な人には優しくありたいなぁと感じる日々です。
前回コメントで、「価値観的なのは20歳ぐらいから変わってない」って書きましたが、白銀さんもそうなのですね。
もしかしたら、みんなそうなのかもしれませんね。
もしかすると、よく勉強が大事って言われますが、若い時に大事なのは、そっちの、価値観の醸成なのかもしれません。
だから、物語でも、若者が主人公とかになることが多いのかも。
なんか、凝り固まった価値観と価値観がぶつかりあって、お互い正義なんだけど、譲れなくて戦って……みたいな重厚な物語が読みたいですね(笑)
ただ、そういう物語って、結局どっちか勝利するか、どちらも破滅するかという結末になる。
そうじゃなくて、ぶつかりあった結果、止揚(アウフヘーベン?ジンテーゼ?)されて新しい価値観が生まれるみたいな結末が欲しいですね。
そんな物語書けたらなぁ……。そんなのかけたら、ベストセラーになりそうです。
だんだん、もはやコメント返信の枠を超えてしまってますが、最近私が「物語」に興味を失ってしまっているのが、その「結末」に新鮮味がなくなってしまったからかなと今思いました。
昔は、物語の「プロセス」自体を楽しめていた気がします。
主人公の成長物語的な。(もしくは、ほのぼの日常系はまた別ジャンルとして)
ただ、色んな物語に触れているうちに、「かっこつきの「つかの間の平和」」になるか、「死」か、滅亡か。勝利か、敗北か。
「魔王は倒されて世界は平和になりました。めでたし」
ってなったとして、「でもどうせ人類、平和になったら今度は人類同士で争うのでしょう?」って思っちゃう(笑)
色んな物語が今も生み出されていて、取り扱うテーマや題材、世界観など「ガワ」は変わっても、自分の中での物語に対する「新鮮味」というのが失われてしまっているような気がします。
ああ……本当に、心躍る、面白いことをしたい。
でもきっと、もうそんなことができる歳じゃあなくなってしまったのでしょうね。
若者の世話をして、ただ朽ちていくだけの「大人」になってしまったのでしょう……。
って書くと、なんか悲観的ですが、あまり、悲観的な気持ちもそんなにないかもしれません。時間経過で朽ちることは当たり前なのであり、むしろ今現在、維持できていること自体が奇跡的なことであり、感謝すべきことであると思います。
思えるかどうか、それはまた別のお話し(笑)。
私も日曜プログラマー的なことしたり、仕事柄システム開発の大変さも分かるところがあるので、多少の不具合だったり不便だったりは「仕方ない」と割り切れるのですが、ちょうど、ピンポイントに納得できないというか、許せない部分にあたってしまったところが本当に運が悪かったと思います。
逆にそれゆえに、グラ関係のことを些細なことと片づける風潮自体に反発心を覚えたのもありましたし、運営側自身が「些細なこと」という発言をしていたことも、より不信感がました原因になっていました。
(キャラクターの一貫性ということを軽視していたんだなという失望感――最初からコストダウンのために多かれ少なかれ悪くなるというアナウンスであれば、たぶん、がっかりして辞めたり休止した結果は変わらなかったにしても、「不信感」は生じなかったと思っています)
まぁただ、今はほんと、「運が悪かったなぁ……」という感覚です。
あと、楽しんでいる方を否定する気持ちは当初からなくて、良くなった点もたくさんあったと思っているところもあります。
ただ、「悪くなった」と思った点が、そのすべてを凌駕してしまったところが、……うーん、改めて考えてみましたが、運が悪かったなと(苦い笑)
いやたぶん、同じ種族・同じキャラクリで、片方がすごく満足しているのに対して、「いや自分は悪くなったと思う!許せない!」とか言ってたら、それはすごく気分が悪くなると思うので、私も大っぴらに言わなかったと思います。
(たぶん、匿名掲示板で荒れてたかもしれません(笑)。)
なので、広い意味では、「白銀さんが好きなことへの批判」にあたってしまうかもしれませんが、私が感じたことは、あくまで特定の一部のこと、ということなので、決して白銀さんの好きなものの批判ではないということは、分かって頂けたら嬉しいです。
あれ……そしたら、やっぱり私が言ってることって、「些末なこと」ということなんでしょうか???
そしたら、切り捨てられるのも仕方ないですね……(涙目)
まぁこれが、まだ「ゲーム」だからよいと思います。
(決して、バーチャルな世界の事を、リアルな世界よりも下に見ているとかそういうわけではありません!)
これがやはり、前回のコメントであげた、政治とか金銭が絡む問題になってくると、「お互い簡単にひけない」ということになるだろうことが容易に想像できます。
だから世の中、争いが絶えないんだなと改めて感じた契機でもありました。
私たちは、「資本主義」社会で生きてきたので、それが正しいことだと、価値観レベルで刷り込まれてて、「自由」が大事だと思ってる。
一方で、社会主義・共産主義社会で生きてきた人たちは、平和のためには自由が剥奪されることは致し方ないと思ってる(のかもしれない。想像)。
そんなお互いが、真に分かり合うというのは、本当に難しいことだと思います。
そうなると、やはり、統一政府、政府といかなくても、せめて統一ルールとかが必要。それが国連なのかなと思いつつも、なんか最近は、それも上手くいってるとは思えない。(存在を否定するのではなくて、存在してくれてるおかげで、まだこの程度を維持できていると考えるべきなのでしょう)
どんどん歳を重ねて、自分に対しての諦めもそうですし、世界(ヒト)に対しての諦めも強くなっている気がします。
せめて、自分が影響しうる、身近な人には優しくありたいなぁと感じる日々です。
前回コメントで、「価値観的なのは20歳ぐらいから変わってない」って書きましたが、白銀さんもそうなのですね。
もしかしたら、みんなそうなのかもしれませんね。
もしかすると、よく勉強が大事って言われますが、若い時に大事なのは、そっちの、価値観の醸成なのかもしれません。
だから、物語でも、若者が主人公とかになることが多いのかも。
なんか、凝り固まった価値観と価値観がぶつかりあって、お互い正義なんだけど、譲れなくて戦って……みたいな重厚な物語が読みたいですね(笑)
ただ、そういう物語って、結局どっちか勝利するか、どちらも破滅するかという結末になる。
そうじゃなくて、ぶつかりあった結果、止揚(アウフヘーベン?ジンテーゼ?)されて新しい価値観が生まれるみたいな結末が欲しいですね。
そんな物語書けたらなぁ……。そんなのかけたら、ベストセラーになりそうです。
だんだん、もはやコメント返信の枠を超えてしまってますが、最近私が「物語」に興味を失ってしまっているのが、その「結末」に新鮮味がなくなってしまったからかなと今思いました。
昔は、物語の「プロセス」自体を楽しめていた気がします。
主人公の成長物語的な。(もしくは、ほのぼの日常系はまた別ジャンルとして)
ただ、色んな物語に触れているうちに、「かっこつきの「つかの間の平和」」になるか、「死」か、滅亡か。勝利か、敗北か。
「魔王は倒されて世界は平和になりました。めでたし」
ってなったとして、「でもどうせ人類、平和になったら今度は人類同士で争うのでしょう?」って思っちゃう(笑)
色んな物語が今も生み出されていて、取り扱うテーマや題材、世界観など「ガワ」は変わっても、自分の中での物語に対する「新鮮味」というのが失われてしまっているような気がします。
ああ……本当に、心躍る、面白いことをしたい。
でもきっと、もうそんなことができる歳じゃあなくなってしまったのでしょうね。
若者の世話をして、ただ朽ちていくだけの「大人」になってしまったのでしょう……。
って書くと、なんか悲観的ですが、あまり、悲観的な気持ちもそんなにないかもしれません。時間経過で朽ちることは当たり前なのであり、むしろ今現在、維持できていること自体が奇跡的なことであり、感謝すべきことであると思います。
思えるかどうか、それはまた別のお話し(笑)。
posted by endoat 2025/11/16 20:53 [ コメントを修正する ]
人による価値観や感覚の違いなのでどうしようもない部分もあるのだろうなとは思います。
私は特に不満に思わなかった、許容範囲だったから、色んな言葉を好意的に解釈しているところもあると思います。
なので、そういう観点からだと、「些細なこと」というのが「人の受け取る重大さの大小のこと」を意図しているのか、「単純に数値やデータとして細かな変更点のこと」を意図しているのか、その受け取り方でも印象がかなり違うとも思うのです。
例えば「変更点としては些細なもの」という発言があったとして、その変更点が「色味のRGB値でRが5増えた」というのだとしたら、これ自体は「些細な変更」で「数値的に大きく変化したわけではないが、確かに変わっている」ところです。その数値としては僅かな違いが許せるか許せないかが人による部分で、そこが許せない人にとっては「それは些細なものではないでしょう!」となるんだと思います。逆に人によっては「そこまで大きな違いじゃなくない?」とか「こっちのが良い」となるんだろうとも思います。
私も全部の公式発言を追えているわけではないのですが、少なくとも私が目にした発言の中に公式が「些細なこと」と言っているものがあった記憶がないんです。あるいは、上記のように、数値やデータとしての「細かな変更」として解釈していて、「軽視している」という意味での「些細なこと」という受け取り方をしていないだけかもしれません。そうでなければフィードバックを受けて調整を続けていく、という発言も出てこないと思っていますし、何なら私はそこを軽視する風潮というのも半信半疑で、半々ぐらいだったと思っていたりします。何かと批判したい人、揚げ足取りたいアンチが結構な数いるタイトルなので、そういう人たちによる対立煽りや炎上狙い、影響を受ける人を増やそうという悪意でどっちの側にも過激な発言している人たちも結構混じっていそうだと思っていたぐらいです。
ただ、この受け取り方や解釈はその時の精神状態や受け取りたい方向によっても変わると思っていて、反発を持ってしまった対象の発言とかは「自分が望むもの」や「望む結果に至るもの」が出てくるまでは何かと気に障る受け取り方をしがちだとも思っています。
私自身も、過去にプレイしていたオンラインゲームで、望まない方向のアップデートや調整に向かっていく中で、公式からの発言は全て反感を抱くような受け取り方をしていた自覚があります。何かしら根本から変えないと行き詰まっている、今後の発展の余地のない状況になっている、という部分は理解出来ても、「でも今の手触りが好みじゃないんだよなぁ」となるとどうしても、反感を持ってしまうもので、何もかも「そうじゃないんだよなぁ」と受け取るようになって捻くれて行ってしまいます。
そしてまさにこんな感じに、「遠藤さんはそう受け取ってても私はそう解釈してないからそこは違うと思うんです」と意見を返そうとしてしまって、でも「そう受け取ってしまった」「受け取るようになってしまった」身からすれば「でも自分はそう感じたししょうがないじゃん」ってなると思うんですよ。
理性としては、人が楽しんでいるものを批判しているとか、批判したいわけではない、というのは分かるんですが、それはそれとして今まで楽しんでいた人が反転してあれこれ言っているのを見るとやるせなくもなるし、何とも思わずにもいられない部分もあるわけで。
これがエスカレートしていくと相手を論破したい、そうじゃないと分からせない、になっていって最終的に喧嘩みたいな感じになってしまうんじゃないかなと思って、コメント自体を控えるようになっていってしまった感じです。
精神的には20代ぐらいからそんなに変わっていないとは思っていますが、仕入れた知識や見聞きした物語、経験とかで受け入れられる価値観や許容量みたいなのは増えたような気はしています。
私は逆にここ数年は昔より色々読むようになったかもしれないなぁと思ってたりします。書く側として復帰したいという思いも強くなってきていますが、中々筆が早まらず時間だけが過ぎていくんですよね……。
まずは新しい価値観をまず思い付かないと最終的にそこに至る物語が考えられないのが難点ですねぇ。
物語の流れや形式もあらかた出尽くしてしまった感がありますし、完全に新機軸の物語というのはもう難しい気がしています。セオリーを無視したり前後の繋がりを無視したり超展開ばかりにしたりすることで定型から外すことはできるでしょうが、果たしてそれは面白いのか、という問題もあります。ある種ネタとしては面白いかもしれませんが……。
私は特に不満に思わなかった、許容範囲だったから、色んな言葉を好意的に解釈しているところもあると思います。
なので、そういう観点からだと、「些細なこと」というのが「人の受け取る重大さの大小のこと」を意図しているのか、「単純に数値やデータとして細かな変更点のこと」を意図しているのか、その受け取り方でも印象がかなり違うとも思うのです。
例えば「変更点としては些細なもの」という発言があったとして、その変更点が「色味のRGB値でRが5増えた」というのだとしたら、これ自体は「些細な変更」で「数値的に大きく変化したわけではないが、確かに変わっている」ところです。その数値としては僅かな違いが許せるか許せないかが人による部分で、そこが許せない人にとっては「それは些細なものではないでしょう!」となるんだと思います。逆に人によっては「そこまで大きな違いじゃなくない?」とか「こっちのが良い」となるんだろうとも思います。
私も全部の公式発言を追えているわけではないのですが、少なくとも私が目にした発言の中に公式が「些細なこと」と言っているものがあった記憶がないんです。あるいは、上記のように、数値やデータとしての「細かな変更」として解釈していて、「軽視している」という意味での「些細なこと」という受け取り方をしていないだけかもしれません。そうでなければフィードバックを受けて調整を続けていく、という発言も出てこないと思っていますし、何なら私はそこを軽視する風潮というのも半信半疑で、半々ぐらいだったと思っていたりします。何かと批判したい人、揚げ足取りたいアンチが結構な数いるタイトルなので、そういう人たちによる対立煽りや炎上狙い、影響を受ける人を増やそうという悪意でどっちの側にも過激な発言している人たちも結構混じっていそうだと思っていたぐらいです。
ただ、この受け取り方や解釈はその時の精神状態や受け取りたい方向によっても変わると思っていて、反発を持ってしまった対象の発言とかは「自分が望むもの」や「望む結果に至るもの」が出てくるまでは何かと気に障る受け取り方をしがちだとも思っています。
私自身も、過去にプレイしていたオンラインゲームで、望まない方向のアップデートや調整に向かっていく中で、公式からの発言は全て反感を抱くような受け取り方をしていた自覚があります。何かしら根本から変えないと行き詰まっている、今後の発展の余地のない状況になっている、という部分は理解出来ても、「でも今の手触りが好みじゃないんだよなぁ」となるとどうしても、反感を持ってしまうもので、何もかも「そうじゃないんだよなぁ」と受け取るようになって捻くれて行ってしまいます。
そしてまさにこんな感じに、「遠藤さんはそう受け取ってても私はそう解釈してないからそこは違うと思うんです」と意見を返そうとしてしまって、でも「そう受け取ってしまった」「受け取るようになってしまった」身からすれば「でも自分はそう感じたししょうがないじゃん」ってなると思うんですよ。
理性としては、人が楽しんでいるものを批判しているとか、批判したいわけではない、というのは分かるんですが、それはそれとして今まで楽しんでいた人が反転してあれこれ言っているのを見るとやるせなくもなるし、何とも思わずにもいられない部分もあるわけで。
これがエスカレートしていくと相手を論破したい、そうじゃないと分からせない、になっていって最終的に喧嘩みたいな感じになってしまうんじゃないかなと思って、コメント自体を控えるようになっていってしまった感じです。
精神的には20代ぐらいからそんなに変わっていないとは思っていますが、仕入れた知識や見聞きした物語、経験とかで受け入れられる価値観や許容量みたいなのは増えたような気はしています。
私は逆にここ数年は昔より色々読むようになったかもしれないなぁと思ってたりします。書く側として復帰したいという思いも強くなってきていますが、中々筆が早まらず時間だけが過ぎていくんですよね……。
まずは新しい価値観をまず思い付かないと最終的にそこに至る物語が考えられないのが難点ですねぇ。
物語の流れや形式もあらかた出尽くしてしまった感がありますし、完全に新機軸の物語というのはもう難しい気がしています。セオリーを無視したり前後の繋がりを無視したり超展開ばかりにしたりすることで定型から外すことはできるでしょうが、果たしてそれは面白いのか、という問題もあります。ある種ネタとしては面白いかもしれませんが……。
posted by 白銀at 2025/11/19 17:40 [ コメントを修正する ]
確かに、「些細な」という表現は見つかりませんでした。
「グラフィックアップデートは好評だが、細部の指摘が多い」といったことは言われてたましたので、そのあたりの表現が、まさに「精神状態や受け取りたい方向」と合ってなかったため、「反発」に向かったんだろうなぁと思いました。
価値観や信念って、言葉では中々かえるのは難しいことでしょうね。
文章だからとか、そういうものでもなく、対面で言い合ったところで解決することはない気がします。
解決するなら、もっと早くに、世界平和が訪れてそうなものですし。
若いうちは、まだどこか、「変えられる」という希望もあって、そういう上で言い合いとかケンカとかあるのかもしれません。それが大人になるにつれて、「言っても無駄だ」ということがみんな分かっていって、そうして、「表面的な笑顔」で裏で悪口言うみたいなことが標準になっていくのかもしれません。
哀しい……笑
話変わりますが、これが友人とかならまだしも、「家族」だったら怖いなぁと思います。
物理的な空間を多くの時間を過ごす必要がある場合……価値観の不一致というのはかなり危険かと。
夫婦でも別室で寝たりすることが多くなっているという話も聞きますが、その方が安全かもしれませんね。そうなってくると、「家族って、必要なのか?」という気もしつつ。
緩やかに、もしくは急激に人類は消滅するのか、……でも、世界人口的には増えてるみたいですし、どうなることやら。あまり強く興味はもてませんが、難しいなぁと思いますね。
>物語の流れや形式もあらかた出尽くしてしまった感がありますし、完全に新機軸の物語というのはもう難しい気がしています。セオリーを無視したり前後の繋がりを無視したり超展開ばかりにしたりすることで定型から外すことはできるでしょうが、果たしてそれは面白いのか、という問題もあります。
仰るとおりですねー。超展開が面白いのは、そこにいきつくリアリティとか納得感的なのがあってこそな気もしますし。
異世界おじさんは、異世界ものの中で、逆に戻ってきてからのお話しということで意外性があって面白かったですが、いざこうしてヒットした作品ができると、「次はどうなる?」と、どんどん市場がなくなっていく気がします。異世界ものというジャンル自体がもうレッドオーシャンになったのかもしれません。(いうて私はそこまで知ってるワケではありませんが笑)
ということは、スマホげーなりTikTokなり、ショート動画なり、即応的なコンテンツ消費が流行っているということから、「物語」自体の有用性も下がっているのではという気もしてきています。
ストーリーや、物語だけは、大事だとずっと思ってきていたのですが、それも今は懐疑的です。ただ、日々、日常が続いていくだけ、という。そしてそれが本当の幸せなのだろうと思います。そして人はまたそれを「幸せとは思えない」のだろうと思います。永遠に「不足」を感じるようにできている。
「グラフィックアップデートは好評だが、細部の指摘が多い」といったことは言われてたましたので、そのあたりの表現が、まさに「精神状態や受け取りたい方向」と合ってなかったため、「反発」に向かったんだろうなぁと思いました。
価値観や信念って、言葉では中々かえるのは難しいことでしょうね。
文章だからとか、そういうものでもなく、対面で言い合ったところで解決することはない気がします。
解決するなら、もっと早くに、世界平和が訪れてそうなものですし。
若いうちは、まだどこか、「変えられる」という希望もあって、そういう上で言い合いとかケンカとかあるのかもしれません。それが大人になるにつれて、「言っても無駄だ」ということがみんな分かっていって、そうして、「表面的な笑顔」で裏で悪口言うみたいなことが標準になっていくのかもしれません。
哀しい……笑
話変わりますが、これが友人とかならまだしも、「家族」だったら怖いなぁと思います。
物理的な空間を多くの時間を過ごす必要がある場合……価値観の不一致というのはかなり危険かと。
夫婦でも別室で寝たりすることが多くなっているという話も聞きますが、その方が安全かもしれませんね。そうなってくると、「家族って、必要なのか?」という気もしつつ。
緩やかに、もしくは急激に人類は消滅するのか、……でも、世界人口的には増えてるみたいですし、どうなることやら。あまり強く興味はもてませんが、難しいなぁと思いますね。
>物語の流れや形式もあらかた出尽くしてしまった感がありますし、完全に新機軸の物語というのはもう難しい気がしています。セオリーを無視したり前後の繋がりを無視したり超展開ばかりにしたりすることで定型から外すことはできるでしょうが、果たしてそれは面白いのか、という問題もあります。
仰るとおりですねー。超展開が面白いのは、そこにいきつくリアリティとか納得感的なのがあってこそな気もしますし。
異世界おじさんは、異世界ものの中で、逆に戻ってきてからのお話しということで意外性があって面白かったですが、いざこうしてヒットした作品ができると、「次はどうなる?」と、どんどん市場がなくなっていく気がします。異世界ものというジャンル自体がもうレッドオーシャンになったのかもしれません。(いうて私はそこまで知ってるワケではありませんが笑)
ということは、スマホげーなりTikTokなり、ショート動画なり、即応的なコンテンツ消費が流行っているということから、「物語」自体の有用性も下がっているのではという気もしてきています。
ストーリーや、物語だけは、大事だとずっと思ってきていたのですが、それも今は懐疑的です。ただ、日々、日常が続いていくだけ、という。そしてそれが本当の幸せなのだろうと思います。そして人はまたそれを「幸せとは思えない」のだろうと思います。永遠に「不足」を感じるようにできている。
posted by endoat 2025/11/24 16:38 [ コメントを修正する ]

フェルマーの最終定理というのがあります。フェルマーという数学者が「真に驚くべき証明を見つけた」と書き残して亡くなったのですが、長らく誰も証明されなかった ので、フェルマーの勘違いだったんだ、これは間違いなんだと半ば諦められていたのです。それが、350年以上たった1995年やっと証明されたんです。
人生の意味はもっと難しい問題です。百倍の35000年以上かかっても仕方ないでしょう。
先人、賢人達が答えが見つけられなかったからと言っても、諦めるのは早いです!
『諦めたらそこで試合終了ですよ』by スラムダンク