今日の一言「インプットがなければ書けない」
あっという間に土日だ。
緊急事態宣言で電車の時間が早まっていて終電を逃してタクシーで帰るという日もあった。
経済的には痛手であったけれども、非日常があると刺激になっていい気もする。
やめた、3分にする。いや、1分でもいい。
最大3分で。
新しいことをするときは、ものすごくハードルを低くしておいた方がいい。
50%ぐらいの達成率の方がやる気が出る、ということは聞いたことがあるけれども、それはまず、続けられることが前提だ。ただ、ハードルなのだから、ジャンプしなくても、単に跨いで乗り越えられることでは意味がない。ちょんっと、小ジャンプするぐらいを設定しようと思う。
ほぼ半年ぶりぐらいに手に取った。
脳内に生じる物質……ホルモンを活用して、仕事に役立てようという主旨の本だったはず。
今回呼んだのは、「エンドルフィン」の項目。
エンドルフィンは、性交渉や、チョコレートや、脂っこいものや辛い物を食べたときなど、快感情が生じるときに発生する。ただ、不快な感情の時も発生するという。
ドーパミンというのが、快感情が発生するときに生じる物質だが、このドーパミンの活動を活発にさせてくれる役割が、エンドルフィンにはあるのだという。
という内容を読むと、次のようなことが浮かぶ。
・ホルモンとは何か
・性交渉でエンドルフィンが発生するということだが自慰でも同じなのか
・そもそも、脳内物質とホルモンはイコールでよいのか
まえがき
先週も忙しかった。あっという間に土日だ。
緊急事態宣言で電車の時間が早まっていて終電を逃してタクシーで帰るという日もあった。
経済的には痛手であったけれども、非日常があると刺激になっていい気もする。
ネタ探し
毎週、何を書こうかな、と思うのは、考えている時間だけ無駄な気がするので、5分本を読んで、その感想なりを書こうと思う。やめた、3分にする。いや、1分でもいい。
最大3分で。
新しいことをするときは、ものすごくハードルを低くしておいた方がいい。
50%ぐらいの達成率の方がやる気が出る、ということは聞いたことがあるけれども、それはまず、続けられることが前提だ。ただ、ハードルなのだから、ジャンプしなくても、単に跨いで乗り越えられることでは意味がない。ちょんっと、小ジャンプするぐらいを設定しようと思う。
脳内物質仕事術
脳内物質仕事術という本が手元に会った。2020年11月中旬に購入したらしい。ほぼ半年ぶりぐらいに手に取った。
脳内に生じる物質……ホルモンを活用して、仕事に役立てようという主旨の本だったはず。
今回呼んだのは、「エンドルフィン」の項目。
エンドルフィンは、性交渉や、チョコレートや、脂っこいものや辛い物を食べたときなど、快感情が生じるときに発生する。ただ、不快な感情の時も発生するという。
ドーパミンというのが、快感情が発生するときに生じる物質だが、このドーパミンの活動を活発にさせてくれる役割が、エンドルフィンにはあるのだという。
という内容を読むと、次のようなことが浮かぶ。
・ホルモンとは何か
・性交渉でエンドルフィンが発生するということだが自慰でも同じなのか
・そもそも、脳内物質とホルモンはイコールでよいのか
あとがき
(かっこ書きである。3分程度でも、本を読んで、それで何か書こうと思うと、記憶に残るし、そもそも新たな疑問もわく。だから、ブログを書くという目的には合致している気がする。ホルモンについて調べたら(簡単にぐぐっただけ)、身体の働きを調整する、身体の器官で分泌される物質のことだそうだ。その定義では、ドーパミンとかエンドルフィンとかと、脳内物質はイコールにしてよい気がするけれども、どうなんだろう。分からないことだらけだ。まぁでも、チョコレートを食べるとストレス軽減になるというのは、エンドルフィンが活発になって、ドーパミンが分泌されるのを抑制する器官を抑制する(二重否定)によって、快感情が生じることも原因の一つなのだそうだ。へー。前に、何となくチョコレート常備してあった時期もあったけれども、面倒くさくなってやめてしまったけれども、またやりはじめてみようかな。気分よく過ごすということが、何よりも大切なことだと思う)PR
今日の一言「ネタ探し」
ただ、ただ続けるということ、それだけを目的としたブログというのもあるだろう。
最初、このブログを始めたときは、おそらく前者だった。
しかし、今は、後者の、「続ける」ということが目的に遷移している気がする。それが、前回書いた、当初の目的の変更というものだと思う。
ブログを続けること……しかしブログとは何なのか。禅問答をしたいわけではない。
僕は、「書く」ということが続けたいと思うのである。
文字というのは、紀元前5000年ぐらいに発明された(はず)だ。
しかし、楔型文字とか、縄で表現する文字とか、それほど手軽ではなかった。
書くための媒体、パピルスとか、紙自体も貴重だったはずだ。
書き残すというのは、それゆえに、選ばれた人だけに許されたことだったのだ。そもそも、自然の中で生きる中で、「書いている」こと自体が余暇がなければなるまい。
もちろん、もともとの文字とは、生活のため、取引のためという実用的なものであったろう。
それが、人の感情を扱うようになったのはいつ頃だろうか。古代ギリシャ時代には既に、叙事詩なども口伝されたのだろうが、多くに人に文字というのがいきわたったのは、ルネサンス期など活版印刷が普及したあたりだろうか。
上に書いたようなことが示すのは、凡人の記憶はあてにならないということだ。
凡人は、書かなければいけない。忘れるからだ。大事なことも、どうでもいいことも、全部忘れる。
書いたとて、それで思い出せるものではないが、それでも、書かなければもっと抜け落ちていく。
そういった、とても脅迫的な観念で、僕は書いているのかもしれない。
そうじゃないかもしれない。
まえがき
本当は、何か叶えたいこと、実現したいこと、もしくは記録したいことがあって、その上で「ブログ」があるのだろうと思う。ただ、ただ続けるということ、それだけを目的としたブログというのもあるだろう。
最初、このブログを始めたときは、おそらく前者だった。
しかし、今は、後者の、「続ける」ということが目的に遷移している気がする。それが、前回書いた、当初の目的の変更というものだと思う。
続けること
続けるというのは、何を続けることなのか。ブログを続けること……しかしブログとは何なのか。禅問答をしたいわけではない。
僕は、「書く」ということが続けたいと思うのである。
文字というのは、紀元前5000年ぐらいに発明された(はず)だ。
しかし、楔型文字とか、縄で表現する文字とか、それほど手軽ではなかった。
書くための媒体、パピルスとか、紙自体も貴重だったはずだ。
書き残すというのは、それゆえに、選ばれた人だけに許されたことだったのだ。そもそも、自然の中で生きる中で、「書いている」こと自体が余暇がなければなるまい。
もちろん、もともとの文字とは、生活のため、取引のためという実用的なものであったろう。
それが、人の感情を扱うようになったのはいつ頃だろうか。古代ギリシャ時代には既に、叙事詩なども口伝されたのだろうが、多くに人に文字というのがいきわたったのは、ルネサンス期など活版印刷が普及したあたりだろうか。
書くこと
世界の歴史は学んだはずだけれども、殆どすっかり頭から抜け落ちている。断片的な情報しかない。上に書いたようなことが示すのは、凡人の記憶はあてにならないということだ。
凡人は、書かなければいけない。忘れるからだ。大事なことも、どうでもいいことも、全部忘れる。
書いたとて、それで思い出せるものではないが、それでも、書かなければもっと抜け落ちていく。
そういった、とても脅迫的な観念で、僕は書いているのかもしれない。
そうじゃないかもしれない。
あとがき
(かっこ書きである。平日に、書いてみよう……と思ったことがなかったわけでもないが、おそるべきことに、一切書く時間も気力もない。仕事……落ち着かないかなぁと思う)
今日の一言「続けることの意義とブログの意義とを」
ありがたやありがたや。
短くても、ブログを書こうという気持ちになったことは、先週と今週のまずは成果であると思う。
もともとは、大きなリアルの変化によって、この(忍者)ブログを始めたわけであったけれども、当時と、今との目的や意義は変わってきているのではないか。
それを見定めていないから、モチベーションが低下したのではないか、そういった疑義。
もちろん、「仕事が忙しかった」「ゲームをしていた」というのは直接的な理由であっても、それだけの理由とは思えない。
一つ、イラストの継続ができなくなった「後ろめたさ」というのはある。それは、前回記事で、とりあえず気にしないで(文字だけ)書いていこうと決めた。
ただし、それだけで、モチベーションアップするわけではないだろうと思う。
僕はやはり、「書きながら」考えがまとまったり、感情が整理されたりする。
書かないと感情が発生しない、というわけではない。
瞬間的にわきあがる感情はある。
ただ、それに対しての「意味」が付与できないと、不安になる、ということなのかもしれない。
「イライラする」
ということはあっても、それが「どうして」発生するのかということを、考えたくなる、ということかもしれない。
「楽しかった」
ということもそうだ。
何故楽しかった……いや、それは別に考える必要はないけれども、でも、どんなことが自分は楽しかったのか、どうしてそう思ったのか、というのは、書き残しておきたいという欲求が生まれる。
それを、自由に果たせる場所……それがこのブログだと思う。
やっぱり、毎週でも続けていると、「書くネタ」というのが足りなくなることがある。
仕事や遊びの中で、毎日新しいことはあるのだろうけれども、「仕事」「遊び」というカテゴリを超えて、「新しい発見」や「感じ方」ができるものがないと、「書く」というモチベーションは上がらない。
例えば、久しぶりに、前に見たことがあった、「RE:CREATERS」(リ:クリエイターズ)というアニメをアマゾンプライムで途中の1話だけ見た。
面白いなと思った。し、最近アニメとか全然みてなかったけれども、映像作品ってやっぱりすごいし、楽しいなと思った。
それもこれも、来週、ブログで何か書かないとな、と思ったからの行動であった。
だから、何か「行動的になる」という意味でも、ブログはよいと思う。
まえがき
前回の久々(2か月ぶり)の記事についても、さっそくコメントや、拍手コメントをいただいた。ありがたやありがたや。
短くても、ブログを書こうという気持ちになったことは、先週と今週のまずは成果であると思う。
ブログの意義
ここに来て、読んでくださっている方々がいるということだけで、既に意義になっている。もともとは、大きなリアルの変化によって、この(忍者)ブログを始めたわけであったけれども、当時と、今との目的や意義は変わってきているのではないか。
それを見定めていないから、モチベーションが低下したのではないか、そういった疑義。
もちろん、「仕事が忙しかった」「ゲームをしていた」というのは直接的な理由であっても、それだけの理由とは思えない。
一つ、イラストの継続ができなくなった「後ろめたさ」というのはある。それは、前回記事で、とりあえず気にしないで(文字だけ)書いていこうと決めた。
ただし、それだけで、モチベーションアップするわけではないだろうと思う。
思考を整理すること
やはり、大きいのは、「思考を整理すること」だと思う。僕はやはり、「書きながら」考えがまとまったり、感情が整理されたりする。
書かないと感情が発生しない、というわけではない。
瞬間的にわきあがる感情はある。
ただ、それに対しての「意味」が付与できないと、不安になる、ということなのかもしれない。
「イライラする」
ということはあっても、それが「どうして」発生するのかということを、考えたくなる、ということかもしれない。
「楽しかった」
ということもそうだ。
何故楽しかった……いや、それは別に考える必要はないけれども、でも、どんなことが自分は楽しかったのか、どうしてそう思ったのか、というのは、書き残しておきたいという欲求が生まれる。
それを、自由に果たせる場所……それがこのブログだと思う。
何か創作をしようと思うこと
もう一つ理由として、何かの「作品」に触れようと思うこと、がある。やっぱり、毎週でも続けていると、「書くネタ」というのが足りなくなることがある。
仕事や遊びの中で、毎日新しいことはあるのだろうけれども、「仕事」「遊び」というカテゴリを超えて、「新しい発見」や「感じ方」ができるものがないと、「書く」というモチベーションは上がらない。
例えば、久しぶりに、前に見たことがあった、「RE:CREATERS」(リ:クリエイターズ)というアニメをアマゾンプライムで途中の1話だけ見た。
面白いなと思った。し、最近アニメとか全然みてなかったけれども、映像作品ってやっぱりすごいし、楽しいなと思った。
それもこれも、来週、ブログで何か書かないとな、と思ったからの行動であった。
だから、何か「行動的になる」という意味でも、ブログはよいと思う。
あとがき
(かっこ書きである。何とか、2週目も投稿できそうだ。先週復活して、次の週にまた休んだら、目も当てられない。短くても、無理のない範囲で続けて行きたい)
今日の一言「反省……」
今が、9月4日。
まるまる、2か月更新しないことになってしまった。
このブログ、「ですます」調だったのか、「である」調だったのかも忘れてしまっている。
確か、「である」調で、コメント欄は「ですます」にしていたと思う……。
それはともかく、まずは、ご心配をかけてしまった方々に、深くお詫びを……。
ただ。
表面的なお詫び「ごめんなさい」はあまり意味がないと思うので、それは、今後の更新などで示していきたいと思います。
仕事が忙しくなったことと、とあるFF14のせいである。
新型コロナはとくに平気。ワクチンはまだ打ってない。予約が……面倒……とか言ってるのは非国民なんだよな。
ただ、仕事と休日が忙しくて、行く気になれない。それと、副反応が割と高確率で起こるというのも怖いのが正直なところ。まぁ本当に罹患したらそれどころではないのだろうが……。
まぁその、心配しても、何か解決するわけではないのだけれども、「次何が起こるか不安」というのが大きい。調整ごともあるし、全部自分で決められるものでもない。けれども、最終的には決めなければ進まない。進まないと遅延する。遅延するとどうなるか、失敗する。
失敗するとどうなるか。
……どうなるんだろう。何とかなる気はする。ただ、敢えて失敗したいわけなどあるはずもない。
全力でやって、それでだめなら仕方がないが、手を抜きたいわけではない。
とまぁそんなことしていると、割と帰宅が23時過ぎか24時の生活。朝は8時出発ぐらいの時差だから割と身体は平気。
余暇を、遊んでいた、ということが原因だ。ただ、自分にとっては、「単なる遊び」には思えなかった。
一人で遊ぶというのではなく、複数人と(しかも、割と大きな人数……2桁台ぐらい)交流して遊ぶというのは、これは大きなことだ。
しかも、リアルの友人であれば、それほど、毎週あったりすることはないだろう。毎日連絡しあうことなどもないだろう。
確かに、「真の友」とは何か、リアルでも会える友人……というのが一般的かもしれない。でも、僕はそうは思わない、ということを、前回ぐらいの記事で書いたのではなかったか。
楽しいことだけでもなかった。
哀しいこともあった。
だから表現するならば、とても「充実していた」といいたいと思う。
(7月~8月の期間)
それが滞りの原因だった。
だから、しばらく、イラスト更新はお休みして、昔のように、文字だけブログとして、週一回ペースを復活しようかと思う。
まえがき
ええと、前回の更新が7月4日……。今が、9月4日。
まるまる、2か月更新しないことになってしまった。
このブログ、「ですます」調だったのか、「である」調だったのかも忘れてしまっている。
確か、「である」調で、コメント欄は「ですます」にしていたと思う……。
それはともかく、まずは、ご心配をかけてしまった方々に、深くお詫びを……。
ただ。
表面的なお詫び「ごめんなさい」はあまり意味がないと思うので、それは、今後の更新などで示していきたいと思います。
本編
更新できなくなった理由は何か。仕事が忙しくなったことと、とあるFF14のせいである。
新型コロナはとくに平気。ワクチンはまだ打ってない。予約が……面倒……とか言ってるのは非国民なんだよな。
ただ、仕事と休日が忙しくて、行く気になれない。それと、副反応が割と高確率で起こるというのも怖いのが正直なところ。まぁ本当に罹患したらそれどころではないのだろうが……。
仕事
とある新規の事業を扱っているため、心労が多い。まぁその、心配しても、何か解決するわけではないのだけれども、「次何が起こるか不安」というのが大きい。調整ごともあるし、全部自分で決められるものでもない。けれども、最終的には決めなければ進まない。進まないと遅延する。遅延するとどうなるか、失敗する。
失敗するとどうなるか。
……どうなるんだろう。何とかなる気はする。ただ、敢えて失敗したいわけなどあるはずもない。
全力でやって、それでだめなら仕方がないが、手を抜きたいわけではない。
とまぁそんなことしていると、割と帰宅が23時過ぎか24時の生活。朝は8時出発ぐらいの時差だから割と身体は平気。
FF14
ただ、それだけでは、更新をできない理由にはならない。余暇を、遊んでいた、ということが原因だ。ただ、自分にとっては、「単なる遊び」には思えなかった。
一人で遊ぶというのではなく、複数人と(しかも、割と大きな人数……2桁台ぐらい)交流して遊ぶというのは、これは大きなことだ。
しかも、リアルの友人であれば、それほど、毎週あったりすることはないだろう。毎日連絡しあうことなどもないだろう。
確かに、「真の友」とは何か、リアルでも会える友人……というのが一般的かもしれない。でも、僕はそうは思わない、ということを、前回ぐらいの記事で書いたのではなかったか。
楽しいことだけでもなかった。
哀しいこともあった。
だから表現するならば、とても「充実していた」といいたいと思う。
(7月~8月の期間)
イラスト
そんな事情で、イラストについて(簡素化したとはいえ)どうしてもモチベーションがさけなくなった。その結果、このブログ自体の投稿も、「後ろめたく」感じてしまった。それが滞りの原因だった。
だから、しばらく、イラスト更新はお休みして、昔のように、文字だけブログとして、週一回ペースを復活しようかと思う。
あとがき
(かっこ書きである。久しぶりだから、書こうと思ったらたくさん書ける気もするけれども……でも、少し抑え気味に……。改めて、人間関係って難しいのだな、と思った。でも、その分、うまくいけば、「楽しい」も、一人でいるときよりも大きなものを得ることもできるのだな、とも思った。「物語」で、そういう「事実」はあるとは知っていたけれども、どうにも自分としてはあまり感じたことがなかったから、よい体験ができていると思う。どうにも、ガン×ソードの鉤爪の男のように、世界をなかったことにしてしまおうという気持ちや、暴虐の神や悪の大魔王のように、世界を滅ぼそうとするという気持ちも分からないでもない、と思う時もある。物語はたいてい、「でもやっぱり、人間もよいところがある」的に終わる。「本当にそうか?」という気持ちがあった。でも最近は、「よいところもある」と素直に思えるようになったと思う。たぶんこれは、「現実」では、僕は「信じられなかった」ような気がする。だから、よかったな、と思う)
今日の一言「書きたいことが見つからないためコメント返信させて頂く」
ただ、イラストの練習は何とか続けたのである。省エネ、悪いことではないというコメントも頂き、とても後押しされた気持であった。
ただ、イラスト描き終わって、ブログを書くまでの工程まで省エネしてしまった(笑)。「(笑)」……じゃない。
まぁでも、とにかく、とても有意義な生活をできている、と思う。
平日も、仕事はまぁストレスがなくはないが、終わったら遊ぼうという気持ちでワクワクしてしまう。
一人でマインクラフトとかしていたころも、まぁ楽しかったのだろうけれども、MMORPGの場合、楽しさの質が違うなという気がする。
もっとも、「良い」ことばかりではなく、負の感情の発生源になる場合もあるので、これは手放しに誰にでもお勧めできるものではないとは思う。未だに、付き合い方は要検討だろうな、思わざるを得ない。
これの前回は白黒だったので、今度は色がつきましたーという進歩として頂きたい。
それで、下の奴が、今回描いたもの。
色に加えて、影もつきましたーという。
全体的に太った感がある。ただ、こっちの方が可愛い気がする。手足がまったく分からない。
本当そうですね。
やっぱり、「一緒に何かする」というのは、とても面白いことなのだと思いました。ただ、全部が全部誰かと一緒だと、やっぱり疲れてしまう。一人の時間が必要というのは、現実も、遊びも、何でも同じな気がします。自分というのも、俯瞰することができれば、他人の一人でもあるわけですので。
それにしても、やりこみの要素もあるし、生活の要素もあるし、何より、ストーリーが普通に下手なアニメとか映画より面白いので、ついついのめりこんでしまいますね。
まえがき
先週は書けなかった。ただ、イラストの練習は何とか続けたのである。省エネ、悪いことではないというコメントも頂き、とても後押しされた気持であった。
ただ、イラスト描き終わって、ブログを書くまでの工程まで省エネしてしまった(笑)。「(笑)」……じゃない。
まぁでも、とにかく、とても有意義な生活をできている、と思う。
平日も、仕事はまぁストレスがなくはないが、終わったら遊ぼうという気持ちでワクワクしてしまう。
一人でマインクラフトとかしていたころも、まぁ楽しかったのだろうけれども、MMORPGの場合、楽しさの質が違うなという気がする。
もっとも、「良い」ことばかりではなく、負の感情の発生源になる場合もあるので、これは手放しに誰にでもお勧めできるものではないとは思う。未だに、付き合い方は要検討だろうな、思わざるを得ない。
イラストコーナー
まず、1週間前にかいたもの(6月24日かな)。これの前回は白黒だったので、今度は色がつきましたーという進歩として頂きたい。
それで、下の奴が、今回描いたもの。
色に加えて、影もつきましたーという。
全体的に太った感がある。ただ、こっちの方が可愛い気がする。手足がまったく分からない。
コメント返信
>惰性でも義務的にでも続ける、途切れさせない、というのは「維持」という点においては中々有用ですが、続けるために「負荷の高い内容のまま」とするとやはり他の負荷が増えてきた時に皺寄せがどこかに来てしまうのも当然のこと。 一日24時間というのは変えられませんし、日常の中で使える時間が決まっている以上、同じ状態を続けていれば違うことを始めたり、何かが挿入されたりすればどこかを圧迫します。
省エネは手抜きではなく最適化である
「省エネは手抜きではなく最適化」
おお……とても良い言葉な気がします。
もう一歩進めて、「手抜きは最適化」ぐらいに思っておこうと思います(笑)。
24時間をどう使うか、それが、自分の意思で決められるというのが「自由」ということだと思います。そういう意味で、私は、仕事の時間以外は殆どが自由なので、とても良い生活ができていると思います。
>MMOの本質は人対人のコミュニケーションだと思うのでそれでよい気がしまする。このゲーム本当によくできていると思います。やりこみもできる上に人とコミュニケーションしてたら永遠に遊べるし…「省エネは手抜きではなく最適化」
おお……とても良い言葉な気がします。
もう一歩進めて、「手抜きは最適化」ぐらいに思っておこうと思います(笑)。
24時間をどう使うか、それが、自分の意思で決められるというのが「自由」ということだと思います。そういう意味で、私は、仕事の時間以外は殆どが自由なので、とても良い生活ができていると思います。
本当そうですね。
やっぱり、「一緒に何かする」というのは、とても面白いことなのだと思いました。ただ、全部が全部誰かと一緒だと、やっぱり疲れてしまう。一人の時間が必要というのは、現実も、遊びも、何でも同じな気がします。自分というのも、俯瞰することができれば、他人の一人でもあるわけですので。
それにしても、やりこみの要素もあるし、生活の要素もあるし、何より、ストーリーが普通に下手なアニメとか映画より面白いので、ついついのめりこんでしまいますね。