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チャーマーズ流の哲学的ゾンビ
2021/10/24 14:31 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「意識のクオリア」

まえがき

 脳内の神経伝達物質についての本を読んで、それの感想を書く、という試みを続けてきた。
 けれども、飽きてきたところもあるので、違う本に手を伸ばしてみた。

進撃の巨人

 突然挿入される話題。
 進撃の巨人が完結していた。ので、単行本を買ってきた。特別版が売ってたので、せっかくなのでそちらを購入。

 感想は、どう書いてもネタバレになりそうなので省く。ただその、あとがきコーナーで示されていたように、10年の集大成なのだなとは思った。
 長いね。確かに、大学生ぐらいのときから連載されていた気がする。

 息の長い作品だったのだな。
 作者さんお疲れさまでした。

 少なくても、アイアムアヒーローの終わり方よりは良かったと思う。

セロトニンとメラトニン

 セロトニンは、朝活動的になるために必要な神経伝達物質ということで、とりまず、カーテンを開けて寝るようにしている。
 また、寝る前は光を浴びないように気を付けている。光を浴びると睡眠の質を高めるメラトニンの分泌が抑制されてしまうからだ。

哲学的ゾンビ

 という復習はともかく、新しい本「脳の中の「私」はなぜ見つからないのか?」を読み始める。
 これもそれこそ、10年前ぐらいに買った本である気がする。

 どんな本なのか、はまずおいておいて、今回読んだところの感想というかメモというか。

 哲学的ゾンビ、というのは、人間そっくりだけれども、「こころ」をもたない存在、である。
 すばらしい作品を見て、「感動した」ということもできる。
 その理由も述べることができる。
 表情もまた変化する。涙を流す。

 そんな存在である一方で、「こころ」はない。心の質感、クオリアがない存在。意識がない。
 それを哲学的ゾンビという。

 この概念を、私が最初に知ったのは、確か大学生ぐらいのときかなぁ。
 そのときはたいそう驚いた。こんなこと考える人がいるんだなと。
 なんとなく当時の僕は、「自己」というものの脆弱さについて悶えており興味が惹かれた。

チャーマーズ流の哲学的ゾンビ

 今回、新しく……(というか記憶から抜け落ちていたこと)本を読んで分かったことは、この「チャーマーズ」という方が唱える哲学的ゾンビの話だ。
 チャーマーズ氏は、教授なのだという。(哲学? 心理学? 忘れた)

 その方は、人間と全く同じ脳内構造をもったとしても、「意識」が生じない存在、を哲学的ゾンビといっているそうだ。


 先に挙げた哲学的ゾンビと何が違うのか。

 前者は、現象的な側面をもってして、なお「こころ」がない状態を指している。
 一方で、「チャーマーズ流」は、脳内の機能的構造もすべて完璧に同じであって、それでもなお、「こころ」がない状態を指している、のだという。

 つまり、(一般的な)前者の哲学的ゾンビは、脳内の構造、ニューラルネットワークの仕組みもすべて再現できれば、おのずと、「こころ」や「意識」は発生するという考え方なのである。
 心とは、脳内でつくりだされた「幻想」なのだと。

 チャーマーズ氏は、「心」は、身体とは別の起源をもつという二元論者なのだという。
 一元論では、説明がつかない現象……つまり、上の「チャーマーズ流の哲学的ゾンビ」の状態が想像できるから、一元論では不十分で、「心」を別の起源(=元)として扱う必要があるという立場なのだそうだ。

 

あとがき

(かっこ書きである。何だか、人間関係で落ち込んだ一週間だった。どちらかというと、ゲームの方の人間関係。僕は、前に書いたように、このブログも、ゲームも、リアルも、「等価」に考えている。もっといえば、最近考えるようにしている、と言った方がよいかもしれない。どこかしら、「リアル」が絶対優位で、ネットが、劣勢であるという考え方が、僕にはしっくりこないのである。こなかった、のにようやく気付いた、ともいえる。そういう意味で「変」な人間なのだと思う。でも、「ネット」も、一つの世界であると認めるようにした途端に、割と世界は「生きやすく」なった気がする。もちろん、生活の基盤はリアルにあるわけであり、ネットも、リアルで「仕事」している人がいるから成り立っているのだ。だからといって、リアルでの関係だけが真実で、ネットの関係は偽物である……そうとは思えない、思わないと。そういう意味で「等価」なのである。まぁだから、「人間関係で落ち込む」というのは、割と大きなことであると言っていい。そして、ネットであるとはいえ、「修復困難性」というのは別に難易度に違いはないのである、と改めて思った。ネットだから「切り離せる」という点だけは優位性があるが、「仲直りする」というのは、ネットだからと言って簡単ではないのだ。そんな感じで、気持ちは晴れやかではない。ないのだけれども、まぁ、「元気」に振舞う容易性というのもまた、「ネット」の優位性である。それはそうと、NOTEの方でサポート(投げ銭? 寄付?)したらお返事を頂けていた。最近気づいた。メールで連絡がくるのね(サイトの方からくる。サポートされた方とは直接的につながりはない。アマゾンとかネット通販の仕組みでもこういうのがあって、よい仕組みに思われる)。wikiペディアさんにも、そういう意味で簡単に寄付できたらいいなとも思う。いやまぁ、簡単なのだけれども、やっぱりクレジット情報を登録するというのは、いくらSSLとかセキュアだとかいっても抵抗がないわけではないのだ。かといって、アマゾンで登録している口座情報から連携できます……みたいな仕組みも、それはそれで怖い。そういう意味で、その、NOTEでのサポートした件について、違うアカウントにサポートしてしまったみたいで、お手間をとらせてしまったみたいである。そうだよな。受け取るにも情報登録は当然必要なのである。思いがいたってなかった。ちょっと反省した)

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