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2022年明けましておめでとうございます
2022/01/03 18:29 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「明けていました」

まえがき

 昨年を振り返ると、仕事と、FF14しかしてなかった気がする。
 しかし、それで、何かいままでみたいに、「何か人生で重大な何かを成し遂げないでただ無駄な時間を過ごしてしまっているのではないか」といった、得体の知らない不安とかはなかった。

 ただ、仕事ではへとへとになって疲れて、FF14では楽しかった。

2021年を振り返って

 仕事でも、つらいことばかりではなかったわけだし、FF14でも楽しいことばかりではなかった。
 やっぱり、どこに行っても、人間関係の面倒さ、というのはあると思う。

 ただ、FF14での人間関係は、「面倒」という以上に、楽しいの方が多かったので、メリットデメリット(そもそも2者択一するものではない)でいけばメリットが優に上回る。

 ただ、「人間関係の楽しさ」だけを重視してしまうと、そのコミュニティやらフレンドさんたちとの関係が上手く行かなくなった時、「やめる」とか「居場所を失う」ということになるだろう。
 FF14がよいなと思うところは、コミュニケーションのしやすさという環境が整っているというのはある一方で、「一人でも楽しめる」環境というのも、多々あることだろう。

一人の楽しさ

 その一つはストーリーの面白さである。
 物語として面白いと思う。なんやかんやで、僕が飽きずにずーっと続けてこられたのは、「ゲーム性」という面もありながら、メインのストーリーが面白かったというのはあるだろう。
(だから、逆に、とても進みは遅かったと思う。周辺的な知識や状況や、時間軸や雰囲気など、色々気にして進めていたというのはある。このクエストをやってからじゃないと、何かちぐはぐなイベントになるんじゃないか、とか)

 文化とか風土とか、バックラウンドもしっかりしていて、想像力を掻き立てられると思う。
 良いゲームというのが、きれいなグラフィックの追求だけじゃないんだと思う。

 グラフィック的にもっときれいなゲームというのはあると思う。
(PCのグラボ性能(RTX3080)をもっと使えるだけのグラフィックをください!――なんて)

 本と同じだと思う。漫画や、アニメという媒体も創作の手法としてはあるわけだ。
 本より、漫画の方が、漫画より、アニメの方が、視覚的な情報量は多い。しかし、開発コストという面を除いたとしても、本には本の、漫画には漫画にしかできない表現というものがある。

 FF14では、その世界で暮らす人たちの生活などに思いを馳せながら、自分も暮らしているような経験ができるのがよいなと思う。

仕事

 だいぶ、中堅、と言われる存在なのである。
 中間的な……「管理職」ではないが、いろいろ板ばさみ的な状況もある。

 偉くなる気はないのだけれども、そうも言ってられない気がする。
 そもそも、会社自体が大丈夫か、という問題もあるわけだ。

 仕事がなかったら、遊んでもられないので、頑張らなきゃいけないのは仕方がない。

 ただ、頑張ってもきりがないし、余暇の時間が全くないとなれば、いったい何のための仕事だ、という本末転倒。

 ほどよい「きり」というのを見つけていきたい。

 ようは、「やらなくていいこと」ということを徹底的にやらないということが大事だ。

 しかし、「根本的」に考えると、それもまた難しい。いちいち判断してる時間があれば、とりあえずやってしまったほうが早く終わることすらあるからな。

 なんという名前か忘れてしまったが、「時間単位に管理するスケジュール方法」というのがあって、それを実践したのが昨年(2021年)からだったはず。

 9:00~ 9:05 スケジュール確認
 9:05~10:30 打ち合わせ
10:30~10:45 電話対応

 などなど、そんな風に、分単位でその日にやることを書きだしておく。

 それで、そのタスクが終わったら、終わった時間を書き込む。
 そうして、エクセルとかで「予実」(予定時間と実績時間)がそのタスクごとに出力されるようにしておく。

 そうすると、予定がどんだけ甘かったのか、突発的な作業に追われているのかというのが分かる。

 んで、一番よく分かったのは、「次に何をするか」という、準備作業というのが馬鹿にならない時間だということだ。
「次はあれをやろう」というのをその都度考えてたらものすごい時間のロスである。(もちろん、大まかな「今日はあれとこれとあれをやる」というのは誰でも決めていることだろう。
 ただ、それでは「甘い」のである。もっと細かい作業単位でやることを書きだしてないと、作業がスムーズにこなしていけないのだ。

 もちろん、そんなに細かい作業がたくさんない仕事の場合は別の話。

あとがき

(かっこ書きである。休みが終わる……。あっという間過ぎる。6日間は休みだった気がするけれども、買い物とか家事とか、遊んだり、ゆっくりしたり、寝てたら、もう終わりだよほんと。早すぎる。真面目な話、1か月ぐらい休みでも、絶対暇に思わない。暇だって思う人もいるらしい。「暇」って思ったことないんだよな。いや、あることはある。「拘束」されているときだ。電車の待ち時間で、スマホも本も何もなかったときとか。とりあえず、このブログも2022年も続けて行きたい。更新頻度アップしたい……けど、平日の状況が変わらないと、中々厳しい気がする。明日からもうやることが多い。整理しなきゃなぁ。だが、今日はまだ休みだ。仕事はしない、嫌なことは考えない!! まぁでもほんと、「リアル」の人付き合いが昨年は減って、それはほんと「よかった」。結婚とかそんなことも昨今状況ではいないだろう。ほとほと、リアルでのプライベートな付き合い、的なのが好きじゃなかったんだなって良く分かった。家でゆっくりしてた方がよほど楽しいぞ……。そして、そんな付き合いしてなくても、別に何とかなることもわかった。飲み会とか別になくていいんだよほんと。だから、2021年はなんやかんや、今までで一番よかった年かもしれない。仏陀は35歳になって悟りを開いたみたいだからちょうどいいごろの年だった気がする。そう考えると、今まで、学生時代とかから考えても、つまらない人生だったんだなと思う。いや……違う、楽しかった、楽しい時もあった、けれども、「家でゆっくり過ごす」ということや「遊ぶこと」ということに、常に「罪悪感」的なのがあったのだ。別にそんなこと気にせず楽しめばよかったのである。いやまぁしかし、大学受験とか、就職の面接とか、社会人になってからの人付き合いや仕事を覚えたりとか、そりゃあ「真面目に」しなきゃいけないことはたくさんあったわけで、その「罪悪感」は正しかったのだ。もっといえば、今もそういったことを感じなければいけないかもしれない。ただ、最近もう、世界に対して「きりがない」ということしか思わない。だからといって、「努力をやめる」というのはいけないことだと思う。ただ、「頑張って努力する」というのは違う。「楽しんで努力する」ことしか正義ではない。だが、正義の裏では、悪も必要だ。嫌なことも、面倒なことも、逃げてはいけない。だが、最終的に目指すべきは、「楽しいこと」なのだ。それ以外に正義はない。って、何の話だ。新年早々の記事がこんなのでよいのか。よいのである。今年も宜しくお願いします)

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