http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20060206/p1
楠さんという方のブログだが、すごい。そうか、大人は、このレベルのことは、仕事をしていても書けるわけだ。私の今の力量が、いかにちっぽけか、その程度かがよく分かる。こんなもんじゃダメだ。強く思う。
>仕事とは潜在能力=成果ではなく、機会×やる気×運=成果
そう。教育の機会均等はまさにそのためにある。ところが、
>口をあけて待っていても学校経由の就職なんか待っていない時代がきたのだということを、学生はもっと自覚すべきだし、イメージやブランドで大企業を選ぶのではなく、自分がいかにして偶有的な経験を積めるかという観点で、企業選びをしてもいいのではないか
楠さんという方のブログだが、すごい。そうか、大人は、このレベルのことは、仕事をしていても書けるわけだ。私の今の力量が、いかにちっぽけか、その程度かがよく分かる。こんなもんじゃダメだ。強く思う。
>仕事とは潜在能力=成果ではなく、機会×やる気×運=成果
そう。教育の機会均等はまさにそのためにある。ところが、
>口をあけて待っていても学校経由の就職なんか待っていない時代がきたのだということを、学生はもっと自覚すべきだし、イメージやブランドで大企業を選ぶのではなく、自分がいかにして偶有的な経験を積めるかという観点で、企業選びをしてもいいのではないか
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「人に愛されたい」
私の目標だ。しかし、この目標は、私の本源的な気持ちではないことが分かった。
恋愛は、不安定なものである。しかし、私が求めるのは恒常的な安心。ならば、恋愛は私の望むところではない。
むしろ、社会的に有能であることが重要だ。人のためになる仕事をするということが重要だ。
人のためと書いたけれども、もちろん、それが自分のためだからだ。私の命題である、人は自分中心に生きているという考えは、今も変わっていない。それは間違っていない。しかし、自分のために生きるのは何故か? 幸せになりたいからだ。しかし、自分のためだけに生きても、幸せは得られないのである。
安定しているものは、「情報」と「金」。私はそれを手にするために努力する。
先の記事で書いたことだが、長期目標が何故必要なのかを記す。
思索と行動は相互に関連しあって発達する。ゆえに、今の自分には行動が必要。
しかし、行動すればいいといっても、それが自らの欲求に適合しないものであってはならない。自分の感情を抑圧し行動すると、MPが大量に消費される。その先は、もう十分分かっていることである。
とはいえ、自らが生理的、自然発生的に要求する行動と、自己成長的および理想的な行動とが一致するのは難しい。
そこで必要となってくるのが、長期目標と達成イメージの想起なのである。自分の理想となる生活や目標をまず設定する。次に、それが実現し、幸福感に満ち溢れている自分をイメージングする。そうすることで、自分の自然発生的および生理的な欲求、感情と、自己実現のための欲求、感情とが一致し始めるのだ。
これが、感情統制レベル2の、理論的な考え方だろう。
そして、具体的な方策として、「笑う」、「肯定的な感情へラベリング」の二つの手段が挙げられる。現在はこれで十分対応できているが、以後、もっと適切な手段の開発が必要になってくるかもしれない。そのときはまた、素晴らしい方策や手段を考えようじゃないか。
思索と行動は相互に関連しあって発達する。ゆえに、今の自分には行動が必要。
しかし、行動すればいいといっても、それが自らの欲求に適合しないものであってはならない。自分の感情を抑圧し行動すると、MPが大量に消費される。その先は、もう十分分かっていることである。
とはいえ、自らが生理的、自然発生的に要求する行動と、自己成長的および理想的な行動とが一致するのは難しい。
そこで必要となってくるのが、長期目標と達成イメージの想起なのである。自分の理想となる生活や目標をまず設定する。次に、それが実現し、幸福感に満ち溢れている自分をイメージングする。そうすることで、自分の自然発生的および生理的な欲求、感情と、自己実現のための欲求、感情とが一致し始めるのだ。
これが、感情統制レベル2の、理論的な考え方だろう。
そして、具体的な方策として、「笑う」、「肯定的な感情へラベリング」の二つの手段が挙げられる。現在はこれで十分対応できているが、以後、もっと適切な手段の開発が必要になってくるかもしれない。そのときはまた、素晴らしい方策や手段を考えようじゃないか。