他者の言葉や働きかけは有用である。しかし、それは、自らの中にある答えを引き出してくれるものに過ぎない。
同じ言葉を言われても、言ってくれた人や状況など、様々な条件によって心に響くときとそうでないときがある。それは何故か。
答えは、他者がもたらしてくれるものではないということだ。答えはすでに、自らの中にある。
そうであるならば、他者の言葉や働きかけは意味をなさないのか。違う。条件は複雑で難しいが、それがあったとき、自らも気づけない答えを引き出せるのである。答えは自分の中にあるといっても、それに一人で気づくことは難しい場合がある。そのようなとき、他者の働きかけは大きな効果をもたらすのだ。
正論を言われて、でも、納得できないという場合がある。それは、自らに答えがまだない。そのような場合は、まだ、もう少し、自らの心に耳を傾ける必要がある。
今何を悩んでいるのか。何を苦しんでいるのか。
それが明らかになったら、その解決の方策を考える。解決の方策は、答えとは違う。具体的なものだ。だから、他者の力が大きい。しかし、不安やつらさというものは、誰一人として同じではない。同じではないのだから、必ずしも共有できない。
答えは、自分の中にある。しかしそれは、理想自己がもたらしてくるものかもしれない。もし理想自己が、現実自己と大きく乖離している場合は問題だ。理想自己がもたらす「答え」は、実際に(感情面においては)正しいのだが、それを実行し続けても、問題は解決しない。むしろ悪化することすらある。理想自己が、もし、東大に入れと要求してきたのなら、そうしなければいけなくなる。しかし、今の自分を考えれば、それは難しい。
そのようなときは、理想自己自体を修正する必要がある。しかし、答え自体である理想自己を、いったいどうやって修正できるというのか。それについては、また今度考えてみたい。
人生に意味があるのかないのか考えながら日々送ってますが、道のりはなかなか険しいです・・・