忍者ブログ
   
思想(生き方)について
2012/02/23 23:00 | Comments(0) | 生きる意味
東浩紀とか、宮台真司とか、大澤真幸とか、好きな思想家がいる。

彼らの考える世界が、自分にとってよいものなんだろう、そう思えるからだ。

とはいえ、そうしたすごい人であっても人なのだから、完全にその人の思想が実現したとしても、それが普遍的幸福なものとは限らない。

さらに、その人の思想を完全に理解することも不可能である。

最近仕事をしていて思うのだけど、人の理解は本当に曖昧だと思う。
言葉を突き詰めていけば、実は勘違いがあったり、分かってなかったりということが往々にしてある。


だから、ある特定の人を盲信するのは思考停止である。カリスマヒーローなど、複雑化したこの世にもはや存在しないのだと、誰しも銘記すべきである。

橋下氏がなんでも知っている救世主で、すべて正しいことをするわけではないのだ。


だからこそ、対話を、できるだけ多くの人と重ねることが重要である。

そのことを、東氏はルソーを援用して一般意志2.0と呼んでいる。



僕は、それに、「人は所詮分かり合えない」というニヒリズム的な、というより中2病的な感覚に答えてくれるものだという気がした。

けれども、それはやはり、感情レベルのものである。


しかし思うのは、もはや真理が存在しない世界においては、感情の総和こそが代替の意志なのではないかと。

みんながそう思えば、それが正しいことなのだと、それはまさに思考停止のようだがそうではない。

むしろ、だからこそ、自分はこう考えると表現できる者が、それは理系文系かかわらず、重要になるだろうということだ。




詰め込み教育が批判されて久しいが、多くの人間を説得するには膨大な知識が必要という意味で、詰め込みは重要なことになるだろう。

いくらネットの検索性が向上しても、絶妙のタイミングで言葉を紡げる人の方が、説得力がある、すなわち感情を動かす能力があるということだ。


そう考えると世界は少しだけ分かりやすい。
結局人は、論理を用いて感情的な安定を望んでいるのだ。

拍手[0回]

PR

コメント

コメントを投稿する






Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字 (絵文字)



<<早起き日記016 0705 | HOME | 当然やさしいということはよいことではない>>
忍者ブログ[PR]
アクセスランキング