忍者ブログ
   
生涯独身でいることについて
2024/03/31 17:38 | Comments(4) | 対人関係
今日の一言「久しぶりのブログ」

まえがき

 今年、2本目のブログになるのか。
 このブログは、何か結節点としてのタイミングにおいて書くことが多かった。もちろん、ただ15分だけとか、書くことそれ自体を目的にするときもあったから、全部が全部そうではない。
 例えば今日、外出する用事のついてでに、鰻を食べに行ったということがあったとしても、さほど大きな自体ではない。書いて残しておくほどのことでもないが、ただ、タイミングが今日であったというだけである。つまるところ、今日という日が何か特別というわけではない。
 たまたま、時間ができた、それだけだ。

変化すること

 自分は独身の30代である。もうすぐ40代になる。
 おっさん、おじさん、……少なくても、お兄さんとはもう呼べないような存在だ。

 しかし、精神的には、何か、どこかで、大きな変化があったかどうかよく分からない。

 あったことは、進学とか、就職とか、結婚とか、離婚とか、そういうライフイベントによる環境の変化だ。

 劇的な変化ということはなくて、徐々に、変わっていくようなものだと思う。
 劇的に変わることは危険なので当たり前だ。ホメオスタシス、恒常性を維持しつつ、環境に適応していくように、人間というか生物はできているのだろう。

リスクとは何か

 たまたま、以下の動画が目に留まった。

https://www.youtube.com/watch?v=d0Q4LpUV7jk


 興味があることは、今時点で独身であるということは、ボク自身の感覚がよく分かるので、どうでもよい。
 気になることは、その後、40代、50代、60代、70代、80代、90代となっていったときに、どういったリスクがあるのかということである。

 そのリスクを知った上で、生涯独身でよいと、覚悟をもって自分で思っているのか、どうか。

 覚悟。
 それが一番大事だ。

 あと、リスクというのは、所詮は、「起こるかもしれない」ということでしかない。おこるかどうかは分からない。
 何があるか分からない。首都直下大地震(南海トラフ?)か何かがやってきて、たまたまブロック塀のそばにいて押し倒されて死ぬかもしれない。

 仮に明日死ぬとしても、満足して1日を過ごせたかどうか……。
 もちろん、すべてのリソースを1日で使い尽くすというのはあまりにも人間として愚かなので、明日や、未来についてのリソースは残しておいた方が良い。
 それでもなお、明日や未来というために、「今」この瞬間を無駄にしたり我慢したりするのは、できるだけない方が良い。

 リスクというのは、今にどれほどリソースを使うかという「判断」でしかなく、真理でもなんでもないのだ。この点をよく分かっておく必要がある。
(仕事とかしていると、リスクの話ばかり大きくなるので、「何を成すのか」ということを考えられなくなる場合がある。これは本末転倒だ)


生涯独身でいること

 上に書いたリスクのこととか、目的とかのことは、今回の記事において全く意味をなさないと読者は思うかもしれない。自分を含めた未来の読者。

 でも、めちゃくちゃ関係がある。

 言葉に、どの程度、意味を持たせるか。どんな立場の人がどんなことをいうのか、というのは関係ある。
 上の動画で、色んな意見があるけれども、正直……うーん、ぴんとくるものはなかった。欲しい情報がなかった。もっとちゃんとバックグラウンドを持ったうえで知りたいと思った。


 例えばボクは、今独身だけれども、結婚という生活をしている。結婚後、離婚をしている。
 離婚した後に、別の方と同棲する生活もさせて頂いた。
 そのうえで、今は独身で、一人暮らしである。
 正社員の仕事はある。両親は健在である。

 こういった状況において、自分は独身である。

 この状況に置いて、独身であるということについて、まったく不自由していないというか、不幸せだと思ったり、「寂しい」と思ったりすることは「ない」。

 むしろ、今までのライフイベント、生活を振り返ってみても、一番「楽しい」「幸せである」といえている。



 ただ、上の動画の、独身の方々の意見は、どちらかというと、「結婚したかったな」とか「結婚した方がよいと思う」というものであった。
 やっぱり、最近においても、そういう風潮が強いのだなと思った。

 あと、ボクの場合は、一度結婚することができたので、結婚生活というものの経験があるというのは、これは完全にアドバンテージだと思っている。

経験というアドバンテージ

 こんなこと書くと、所詮結婚出来た奴は、生涯独身の奴の気持ちなんて分からないよ、なんて、敵視されてしまうだろう。それは仕方がない。ボクが逆の立場でもそう思っただろう。

 けれども、だからこそ、ボクは「結婚したい」と思っていた。「やってみなければわからない」(こともある)というのは事実だ。

 なにせ、人は一人ずつみんな違う。考え方も感じ方も。

 結婚したことが滅茶苦茶幸せな人もいれば、そうじゃない人もいる。

 じゃあ自分は?

 どっちなのか?

 それは、やってみなきゃ分からないのである。

 だから、悩んだり苦しんだりしつつ、それなりに努力して(大した努力ではないのだろうが)、結婚できた。

 で結局離婚したわけだ。

 離婚した当時は、落ち込んだ。それはもう凹みまくった。探せば当時の記事も出てくるだろう。

 それはそうだ。離婚するということ自体は、想定していなかったのだ。「結婚はしてみないと分からない」という自分の意思で決めたわけだが、離婚は選択肢の一つでしかなかったので、覚悟も何もなかった。だから狼狽した。

 何故狼狽するのか。覚悟がないからだ。覚悟ないとなぜ狼狽するのか、それは、どうなるか分からないからだ。分からないことは、怖い。

 でも、実際、離婚した後、一人の生活が長くなるにつれて、「あれ……やっぱり、こっちの生活の方が楽しいな……」って思い始めた。

 感謝というのは違うのだろうが、僕なんかを相手にしてくれた方にはとても感謝している。そして、こんなボクの性質を分かったことによって離婚した方がよいのだと思ったのだろう。今では離婚を切り出してくれてよかったとすら思う。ありがたい。

未来も同じことを思えるのか

 というわけで、申し訳ないが、僕は、独身生活を楽しんでいる。特に問題を感じていない。

 そういう人間もいるということは、まぁ、こんな薄暗い辺境界隈のブログ1記事で誰も見てないだろうが、まぁ、いるんだということは誰かに知ってもらえたら、有益だと思う。

 婚活支援とか、子ども支援する役所とかの人にはショッキングな話かもしれないが、でも、結婚する人を増やすという方向は、何か行政的な方法でどうこうできる問題じゃない気がする。子育てにお金が必要だから、お金を投資するというのは悪いことだとは思わないが、結婚数を増やすというのは、どうなんだろうか。

 まぁ、結婚したい人も割といるようだというのが、上の動画みて感じたことだ。

 間違いないようにかいておけば、結婚は結婚で、素晴らしいことだと思う。
 やっぱり、男と女は、生物的に、つながりあうようにインプットされているのは間違いないと思う。
 この点は、間違いないと思うんだよな。
 だから、結婚しないという選択肢は、(若いころの)ボクの中で、非常に恐ろしいものだった。
 上の動画で描かれているような、独身でいることの寂しさとか恐怖とか、そういうものがいずれやってくるのだろうと思った。(もちろん「モテない」とか「彼女ができない」ということ自体にすごく劣等感があったというのもある)


 でもだからこそ、そんなこと気にしなくても、「自分がどうしたいか」を一番に感じ取って、それをもとに行動した方が良い、これを言いたいのである。

未来は寂しいのだろうか

 まず、もう、結婚することはないだろうと思う。
 もちろん未来のことは全く分からないが、少なくても、主体的に何か、お見合いパーティーとか婚活するとかは、することはないだろうと思う。
(それも分からない。50歳になって、ものすごく焦って何かするかもしれない。その時は、今回のこの記事を読んで、「的が外れたな……」と思うのだろう)

 ただ、それは、50歳になって「したいこと」になったのだから、すればいいと思う。
 少なくても、今の僕の「したいこと」ではない。だからしない、ただそれだけ。


 ようやく、人生を、自分の人生だと思えるようになった気がする。

 もちろん何があるか分からない。

 避けられないライフイベントはまだたくさんある。

 両親の死。退職。大災害。そして、自分の死。


 さてそのとき、僕は何を思って、どう行動するのか。分からない、何も分からない。

 ただ「覚悟」はしておいた方が良い。

「今」を楽しく生きるためのリソースを使い切らないぐらいに、未来に投資をしておいた方が良い。
 実際「今」があるのも、過去の僕の未来への投資のおかげなのだ。

 就職したことも、仕事である程度信頼を得たことも、恋愛経験をしたことも、結婚したことも、過去の僕が選んで行動した結果があってこそなのだ。

 過去の自分、ありがとう。大変だったな。おかげで、今は、まぁそこそこ大変なこともあるが、正直、過去のお前ほどの苦労はないわ……。


あとがき

(かっこ書きである。今回ほど、過去の経験などを具体的にかいたことはなかったけれども、まぁもう何年も経っているからよいかなと思った。離婚した後、しばらくして、今と同じような感覚(一人暮らし悪くない)と思い始めていた。でも、それは一時的な感覚なのではないかという不安や、自分自身を無理やり納得させようとしているのではないかという不安もあった。だから、明言はしていなかった。でも、ここ何年も経って、やっぱり、一人暮らしは悪くないし、満足できている。個人的に向いている性質の人間だったんだと思う。だから、70億の人類みんなそうではないだろうし、まだまだ少数派なのかもしれない。でも、同じように一人暮らししている若い人たちは、そういう感覚になる30代後半の人間もいるということを知っても良いと思う。ただ、それに安心してもらうということではなくて、やっぱり「経験」は代えがたいアドバンテージであると思う。老害とか、古典とかということかもしれないが、今は嫌われるという「若い内の苦労は買ってでもしろ」というのは、「苦労」というのは違うと思うが、「経験」はいっぱいするにこしたことがないと思うから、僕は上の「若い内の……」という格言的な奴は、否定できないでいる。なんで否定する人がいるかも理解できない。「苦労」という言葉がダメなんだろうとは思うけれども、格言的なのは、ある程度センセーショナルであってもよいと思う)

拍手[0回]

PR

コメント

>今とリスクと未来への投資
 お金も持ち物も死後の世界へは持って行けないでしょうし、「今」と「想定されうる未来」にどうリソース配分をするかというところでしょうね。
 今使える時間を増やしたいけれど、就職して仕事はしていないと生活や娯楽に使うための収入が得られない。資金も今全部消費してしまうと未来に欲しいものや使いたいことが発生した時に入手できなくなるし生活も維持できなくなりかねないからある程度は溜めておきたい。みたいな。
 お金や仕事に限らず色んな物事に対して考えて判断してきた過去の積み重ねでも「今」が存在しているわけですし、過去の行動や判断に後悔や未練があったとしてもそこは肯定したいなと思うようになりました。
 その上で、実際に生きているのは「今この瞬間」ですし、未来も不確定なことに変わりはないので、できるだけ我慢せず過ごせる方が良いですよね。

>結婚の向き不向き
 昔は一般的、普通な価値観として「結婚して子を設けて血や家を繋いでいく」というのが大正義というか、当たり前で、それ以外の考えは少数派で、淘汰されるか、あるいは本音は内に秘めて表向きは迎合してしまっていたんだと思います。
 今は多様性に寛容になってきたこともあり、LGBTQなど、「結婚する」までは行けても「子を設ける」が生物学的には不可能な組み合わせも出てくるようになりましたし、「考え方や価値観、人生は人それぞれ」って感じになってきているところはあります。
 とは言え、生物種としては子孫を残して頭数を維持しないと滅んでしまうので、従来通りの「男女で結婚して子を設ける」という価値観が多数派でいた方がいいんだろうなぁとも思ったりはします。
 それはそれとして向き不向きはあるので、無理強いするものでもないと思います。
 私も割と偏屈な人間なので、「自分の価値観や人間性に寄り添ってくれる人(=色々我慢して相手に合わせなくて良い)」というだいぶ自分勝手で自己中心的な条件(字面よりも条件がきつい)が付いてしまう自覚もあるので、婚活やマッチングとか使って積極的に探そうとまでは思わなくなってしまっています。小さい頃は「大人になれば好きな人ができて結婚して子供もできてるんだろうな」と漠然と考えていたものなんですけどねぇ……。

>若いうちの苦労は……
 恐らく、この言葉を言う人によっては「自分と同じ苦労をお前もしろ」というニュアンスになるのが良くないんじゃないかと。「苦労するかもしれないけど実際に経験することは大事だよ」という意味だけなら否定することはないと思いますが、「お前も自分と同じ理不尽な目に遭え、自分はこんなに大変な思いをしたんだから同じように苦労するべき」みたいな、当時の時代背景や価値観や環境などによって生じた理不尽やネガティブな体験を「自分だけこんな苦労するのは不公平だろ、お前も負え」と押し付けてくるようなイメージになっちゃうと「今の時代の価値観でそれはちょっとナンセンスでは……?」と否定的になる気がします。
posted by 白銀URLat 2024/05/28 11:19 [ コメントを修正する ]
ありがとうございます!
概ね共感頂けた部分も多いようで嬉しく思っております。

たぶん、白銀さんは、リアルで人と過ごすことが、少なくても私より得意そうなので(割とアクティブにご友人と遊びに行かれてるイメージ!)、結婚も向いてるとは思っております。

ただ、もっと共同生活が得意な方も多いと思いますので、生物的な観点では、お任せするのは全然ありだと思っています。

最近危惧としては、子どもがいる世帯などの優遇がより強くなるのは仕方がないとしても、独身や子どもがいない世帯に対しての差別的なのが増えてしまわないかということです。

結婚できないというのは、むしろ卑下されるべきで、かわいそうで、寂しい人たち…
そんな認識が、むしろ貴族的な、特権階級のように、バッシング対象になってしまわないか、ということです。

昔の人たちは、仰るとおり、好きな人ができて、自然と幸せな結婚ができていた一方で、今はそうではなくなっている。ので、結婚に個人的な努力が必要となっているなら、結婚できない人が増えるのは自明だったりしますよね。

▷若いうちの苦労
なるほどなーって思いました。
おまえも同じ理不尽な目に遭え
という意味だとそれは違いますよね。当然避けられるなら避けた方が賢い…

自然は、理不尽なので、生きていれば理不尽な目に遭うのは避けられない、という前提で、
若いうちのほうが、理不尽な目に遭っても、レジリエンスが働きやすいので、若いうちに理不尽を経験したほうがよい…

とかなら理屈は分からなくはないかなと思います。
でも、相当甘やかされる家庭とかでなければ、たいてい、赤ちゃんや子どもの本能的欲求は満たされないことが多いので、それはある意味理不尽(自分の欲求が叶えられない)なので、理不尽を経験したことない人って、あんまりいないきはしますね。

ましてや、大人になってから、大人の社会でまかりとおる理不尽って…(空虚顔)
posted by endoat 2024/05/31 21:02 [ コメントを修正する ]
>アクティブ
 私はごく少数の今でも付き合いのある友人とは特に気が合う、というか特に気が合っているから友人付き合いが続いている、という感じなので、せめてそのぐらい気が合う人じゃないと結婚できないだろうなぁと思ってたりします。そんな人いるのか?とも思いますし。
 それにそういう友人たちと遊びに出かけるのも最近は中々タイミングが合わなくて年に1,2回あるかないかって感じですけれど。

>自然と結婚
 どこかで小耳に挟んだ話では、昔の方が家同士の結び付きだったり血筋を残すことの重要性に対する価値観だったりの関係で、お見合い結婚や親族の決めた許嫁・婚約が多かったなんて話も聞いたことがあります。
 割と近代に至るまで、恋愛結婚(自分で相手を選べる)は少数だったのだとか。そういうのが一般的で当然、自然なものだ、という意識があれば、「好きになったから結婚して幸せ」ではなく「結婚したからには好きになろう、愛そう、お互い幸せになろう」となっていったのかもしれません。
 爆発的に恋愛結婚が広まったのも、少女漫画や少年漫画で恋愛や青春的なあれこれが流行って当時の若者に広まったから、なんて説もあるようです。
 恋愛結婚とか異性付き合いってどちらかが自分から相手に関わろうとしないと自然発生はしにくいですし、昔よりも「しようと思わないとできないもの」になってきている気はしますね。

>理不尽
 今だったらパワハラとかモラハラとかセクハラとかが該当しやすいかもしれません。
 過去当時の価値観だったらさほど問題視されず「社会とはそういうもの」みたいな感じだったものが、最近になって「それはパワハラやモラハラだろ」と言われるようになったと言いますか。
 働き方云々みたいな話にもなっちゃいますが、「とにかく仕事をしている方が偉い」みたいな意識が強くて「質を良くして定時には終わらせて帰る」という人に対して「残業していかないなんて(質の良くない働き方をして長時間残業している人のほうが好印象になる)」と考えたり。
 私の友人の中にも、「他部署の仕事がうちの部署に肩代わりさせられて(多いからそっちでもやってくれ、と回されて)残業させられている(友人の部署の仕事だけでも十分多い)のに、その他部署の奴らは定時で上がる(その癖、友人の部署の人が定時で帰ろうとするとちゃんと仕事してるのかと文句を言ってきたり、余裕あるなら手伝えとまた別の仕事を振ってくる)」と愚痴を言っていましたし、こういうのは悪しき理不尽だと思います。
posted by 白銀URLat 2024/06/05 10:22 [ コメントを修正する ]
▽悪しき理不尽
ご友人の話は、かなり悪しき理不尽ですね。
その、仕事ふってくるほうも、自分たちは効率的にやってるのに、あいつら(他部署)仕事が遅い、とか思ってるのかもしれません。

セクション分けるのに、何だか限界がある気がします。お互い協力してよいものを作るという価値観が共有されてないと、ただやらされてるだけ、という状況になるので、お互い、どうやって負担を相手に肩代わりさせるか、という点にしか頭を働かせなくなる。そうしたら理不尽ばかりあふれて、結果や成果もでませんよね。

目標とかビジョン大事って簡単に巷ではいわれますが、それを共有するというのはいかに難しいか…。


▽友人と遊びに行く
年に数回というのは、イメージよりもだいぶ少なかったです笑
とはいえ、年に数回あるかないかという私よりは少なくても多そうです!(笑)

オフ会とか楽しんでる方々もいらっしゃって、いいなぁ、素敵だなぁと思いつつ、じゃあ自分が…とおもうと、気が進まない気持ちに気づいたりします。
とはいえ、特に気の合う友人と長く付き合いが続いてるというのはとても羨ましいです!
その友人は異性ではなく、同姓なのでしょうか?
たまたま同姓だったというだけで、長くつき合えるリアルの方ができるというなら、十分結婚できて上手く行く可能性があると思います。

▽お見合い
結婚は家と家をつなぐものであったのですよね。
自由恋愛になった今と比べても仕方がないですよね。
少子化対策って、社会として「やばい」からやらないといけないという理屈なのでしょうが、社会としてやばいことと、自分が結婚するというメリットや意味とは、次元が違い過ぎるので、うまくいく可能性は低そうに思います。
posted by endoat 2024/06/06 21:15 [ コメントを修正する ]

コメントを投稿する






Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字 (絵文字)



<<避けられない死を考えること | HOME | 目標立てるとしたらよりミニマムへ>>
忍者ブログ[PR]
アクセスランキング