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色々長く書こうとしなければ書くことはある
2023/02/12 09:35 | Comments(4) | 思考及び書くこと
今日の一言「寒い」

まえがき

 手が、冷たいと、キータッチも鈍くなる。あと、爪のケアも大事だね。深爪でもなく、長すぎでもなく、ちょうどよくしていないと、爪と皮膚の間が痛くなることがある。

 とりあえず、毎月、1つの記事は書こうという意識はずっと残しておいたけれども、中々書くに至らなかった。それは、何か、テーマを深く掘り下げて深遠なものを書こうという、そんな意識があったからだろう。
 そんなこと無理なのだから、もっとカジュアルに書けばよいのである。

 しかし、そうはいっても、そのあまりにもカジュアルな内容は自分が後から読んでもつまらないので、そのバランスが難しい。

5年前の記事

 たとえば、PC版でこのブログを見ると、右上に「○年前の記事」というリンクを作っている。
 どうやって作ったのか覚えていないが、割と優秀だと思っている笑

 たとえば、「共有することの不可能性」という記事で、何やら新しく作曲をしているが、わりとよく作った物だと思う。2時間……というのは、構想などもあったろうし、少しもっている可能性が(かっこ笑い)疑えないが、それでも、2~4時間程度で作ったのだろうと思う。そう考えると、すごい。今の自分ではできない。だって、そもそも作曲ソフトのログインすらすぐにできないだろうし、MIDIキーボードを配置する時間も、手間も、色々大変だ。

 とても、同じ連続した自分とは思えないが、ただ、ブログという媒体を通じると、自己同一性を感じなくもない。

ブログの効能

 日記とはそもそもそういうものだと思うが、「自己」を意識するというのがブログなり日記なりの意義だと思う。

 SNS的な時代においては、他者とのつながりにおいて「自己」を表現したり、認識したりするのだから、あまりブログや日記という媒体に価値を見出す人は少ない気がする。

 とはいえ、時代遅れと言われても、自分としては、5年前や、1年前の記事があると、何だか変な「安心」があったりする。いやべつに確かに、ツイッターに記録が残せなくもない。ただ、ツイッターの構造的に、過去の記事などを振り返るのは適していない。別にまとめとか作ればいいのだろうが、であれば最初からインデックスされるブログ媒体がよい。

 ちなみに、日記はほぼローカルなもの。ブログはオープンなもの、という違いがあると思っていて、逆に言うとその違いでしか言葉を分けて使っていない。
 このブログも、ほぼ日記と同じ内容になっている。とはいえ、ブログである以上、「他者」という存在の意識は「ゼロではない」点が、日記と異なっているといえるだろう。

 さらにちなみに、昔、中学? 高校? 大学? ぐらい、10代ぐらい、と言った方が良いか。その頃にやっていた「ゼロ秒アウトプット」(=ログ)というのは、自分の思考のアウトプットのプロセスによる違いであって、日記でもブログといった媒体の違いではない。
 ブログ媒体の方が、「ゼロ秒アウトプット」はしにくい。頭に浮かんだ言語をそのまま吐き出すイメージなので。「むかつくむかつくむかつく」とかそういう繰り返し表現などになる。1回書けば読めば分かる……。むしろ、「伝える」のであれば、その「むかつく」原因や理由や、または違う表現にしたり工夫が必要である。

 まぁとはいえ、その「うああああああ」とかの悲鳴に近い言語表現も、それはそれで「伝える」のに有効であるとは思う。
 世の中すべて森羅万象いえることかもしれないが、「バランス」であって、ゼロか1かに区別するのは、たかだか「ログ」という自己表現ですら難しいということなのか。

イチゴ美味しかったこととユニクロのヒートテックの袖

 いやあの。
 上に書いたことって、書き始める前に、一切頭に浮かんでなかった。

 とりあえず、2月上旬も過ぎたし、何か一つ記事を書いておこうか、暇だし、ぐらいに思っていて、その、上の小見出しのことでも最低限書いておくか、という意識だった。意識低い。

 しかしまぁ、いつものことではある。書き始めると、違うことを書いてしまうのである。とはいえ、上のもともと書こうとしていたことは書いておこう。

 スーパーマーケットで、イチゴが、398円で(タブン税抜き、税込みで437か)なんか熟れていておいしそうで、好きなのだけどあまり自分では買わないのだけれども買ってみた。
 これがなぁ、美味かった。
 顔がほころんでしまうほどに美味しかったのである。以上。

 いやほんと、ただこれだけの記事になるところだったのだ。恐ろしい。もともとイチゴ好きなのだが、久々に、それこそ、自分で買ったのは10年ぶりぐらいになるのではなかろうか。食べることも、1年に何回かあるかぐらいだったと思う。いやぁ、満足である。

 そういう意味だと、しばらく行かなくなっていた回転ずし(100円均一ではない)店に足を運んだ。いま思ったのだが、上の表現だと、回転ずし自体にあまり行っていないようにみえるが、そうではない。安めの回転すし店には月に数度いっているぐらいであった。日本語難しい。

 つまり正確な表現としては、以前は行っていたが、込み具合とか品質とか価格とか、場所といった問題から行かなくなっていた店に久々に行ってみた、ということだ。

 そしたら、以前より(前は30分とか1時間とか待たされることもあった)混んでおらず、そもそも待たずに入れた。そして、品質も、以前は「うーん、この価格でこの品質か……」と思うことが多くなっていたのだが、美味しいと思っていたころと同じぐらいに感じた。
 白子軍艦が超美味かった。これはうまい。あと、タイとかヒラメの白身がよかった。旨かった。本当に「ああ、美味しかった」と満足して帰路につくことができた。


 もう一つ書かないといけないのか。ヒートテックを買い足した、が、「9分袖」というやつだった。うーーん。着心地がよくない。袖にゴムがあって閉まるようになっているが、手首の細い部分からずれているので、締め付け感が不愉快である。好ましいものを、もう一度買いたいと思うのだけれども、毎年毎年バージョンアップ(orダウン)するから、同じものを買うというのができない。

同じもの

 若いころは色んなものに触れたい、と思うのかもしれない。
 でも、歳を取ってくると同じものでよい、いや、同じものがよい、となっていく、と書くと、ボクはハテナがたくさん浮かぶ。

 いや、ボクはもともとそういう性格であった(かっこ笑い)。

 うん。もとから、あまり冒険しようという気持ちは少なかった。商品の面も、生き方としても。

 冒険家の性格の人からしたら、「つまらない人生だな」と言われるかもしれない。確かに、マセラティにもブガッティにも乗れない。でも、楽しいとか幸せとか、そういった感情を得ることができれば、それはそれ自体は等価値に思う。苺がすごく美味しかったという脳刺激は、ボクに十分の充足を与えてくれた。

あとがき

(かっこ書きである。魂という、非物質的なものがあるのかどうか。魂だったり、エーテルの海だったり、あって欲しいと思う。ただ、突き詰めて考えたとき、死というのは、全くの無に帰すというのは、おぞましく恐怖で落ち込むことばかりでもない。逆にそう信じたい、という気持ちもある。死とは、自分の意図に関わらずやってきて、すべてを奪っていくから嫌なものなのである。死を望む状況、そんなものあって欲しくないが、そういう状況であったならば、死は救済となりえる。死ぬというのは怖いことだが、死なないということもまた怖いという想像はつきやすい。永遠にすべて得たうえで生きる、というのは素晴らしいことかもしれない。お金も、周りの友人や恋人や家族、大好きな人たち、健康な身体、ほか、ありとあらゆるすべてがあったうえでの永遠に生きるということは素晴らしいことだろう。しかし、例えば「人」として考えたとき、いくら仲の良い人でも、それが逆に嫌悪となって心も離れていくこと、ボクはそういう経験も数度とあったので、うん、その、「永遠」って逆に怖いなと思ってしまう。上に書いた「固定的」ということは確かに望むべくことだが、しかし、完全に同一な原子の状態というのはありえないし、そこにあまり意味もない。人間の身体……というか生物というのはすべてホメオスタシス(恒常性)で成り立っているということだ。ミクロに分解していっても生物の本質はないということだ。魂は、見つからない。まぁこんな感じのがゼロ秒思考、瞬間アウトプット、みたいなやつだ。意味不明だろう。しかし、逆に、ボクはこっちが、(イチゴの話よりも笑)あとから読んで面白いと思ったりする傾向がある。いやまぁ、イチゴの話も大事は大事だ。また買おうかと思うから。でも、今度またかったとき、同じ感動を得られるかと言うのは分からないのだ。そこが「永遠」の難しさ。同じ刺激だけだと、人間は満足できないのだ。これは、自然というのが非常に残酷で理不尽だから、いろんな手段を取るようにと生物的進化をしたからだろう。自然に対しての生存戦略として、この人間の「同じことしてたら飽きる」という特徴があるのだと思う。これはまぁなので、仕方ないのだ。逆手にとって楽しんでやるしかあるまい。しかし思うに、これは、「自然」さんが、あまりにも強大だから、そういう特徴が必要だったということだ。ああ、もちろん、今すぐ、ここ数百年で変わるということではないと思うが、その前置きをしたうえで、「同じことをして満足する」という特徴に変わる可能性もあるのではないか。自然が完全にコントロールできるのであれば、いや、できなくても、従順に生きる方が適しているのであれば、そういう性格の人間が増えてもおかしくない。同じことをして、同じもの食べて「ああ、白子の寿司めちゃおぃしぃぃぃ最高」と、久々にしたことによって得た感動と同じだけの脳刺激が得られる人の方が幸せかもしれない。これは本当に皮肉ではない、と添えておこう。極端かもしれないが、究極に思考はすべきである。思考は、「前提」があってのもので、その前提が何かを考えておく必要がある。自然に対抗するための生存戦略という前提で考えたら、もしその前提がなかったら……という思考、そういうのって楽しいと思う。そういうことができるのもの、安全安心の環境があってのことだ。災害にあわれた方々への……なんとも、なんといっていいか分からないな。「残念でした」というのは何か大変に失礼だし、どちらかというと、自分も気を付けなきゃという自己中心的な感覚の方がつよいのが、まぁ人間として自分の未熟さを思うところだ。とはいえ、「かわいそう」という気持ちは、ある。しかしその気持ちもまたなんか失礼な気もする。かといって、何とかしてあげよう、とまでは思えない。1000円ぐらい寄付してもよいか、ぐらいな感覚だ。いや別にその金額がどうというわけじゃない。2000円でも別に良いと思う。しかし、1万円……となると、ちょっと、うーん、ごめん、、って感じになる。そして、その寄付というのがなんか、その、面倒というか、面倒……いや違うな、「意味があるか分からない」という感覚がある。人任せ、ではあるが、ちゃんと国税も納税しているわけだから、政府が支援するというのであれば、して欲しいと思う。それでいいのではと思う。仮に、自分の気持ちを踏みにじって、1万円寄付したとしても、それが、その「意味があるか分からない」という気持ちを完全に上回ることはない気がする。前回の記事と同じような結末を迎えるが、やはり、自分は人間としてはダメな人間なのだろうと思う、少なくても、リア充というたぐいの人間ではないのだろう)

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コメント

 私は冷え性なので冬は毎年のように足先が霜焼けになるので辛いです。自室にエアコンを入れて暖房が効くようになってからは手の指先の霜焼けにはならなくなりましたが、PCやゲームをする環境的にデスクの下に来る足元まではあまり暖かくならない(それでも室外とか廊下とかより全然マシ)ので足元を暖められるグッズか何かを買うべきか悩んだままずるずる過ごしてます。

>日記とかブログとか
 私の感覚としては「誰でも見られるか」が区別の基準になってますね。
 招待した人だけとか、パスワードなどで特定の人、いわゆる身内しか見られないような環境のものと、とりあえず辿り着いてページを開いたら誰でも見られるようなものかで言葉選びとか意識が変わる感じと言いますか。
 ブログは後者なので、「誰かに読まれる、読まれている」というのを前提に、「他者に伝わる、伝える表現」を意識して記事を作っていますね。実際には誰にも読まれていなくても、誰かが偶然目にすることもあるだろう、と。

 その点、ツイッターとかの最近流行りのSNS系は刹那的というか瞬間的というか、口からついて出る言葉をそのまま流し、共感する人と関係性を持つのに向いた作りになっているなーとは思います。
 私のブログという存在の捉え方が上記の通りなので、ブログは腰を落ち着けているようなイメージがありますね。ツイッターの方は歩きながら、みたいな。

>同じもの
 私も一度気に入った店なり商品なりを見出すとリピートするタイプで中々新しいものに冒険しようとしない方ですね……。
 特に食事関係は「せっかくお金を出しても自分の気に入らないものだったら嫌だな」と考えてしまって、気に入った店や品をローテーションしていることが多いです。
 新しいものに巡り合う冒険、挑戦、というのは創作をしている関係もあって好ましくは思っているはずなんですけども……_(」Lε:)_
posted by 白銀URLat 2023/02/27 17:16 [ コメントを修正する ]
 最近はだいぶ暖かくなってきましたが、白銀さんの方はいかがでしょうか。

>寒さ対策
 寒い時期は、手足が冷えますよね。寒い時は部屋に暖房入れても足先が寒かったり。ゲーミングウォーマーみたいな全身すっぽり着ぐるみみたいなやつの、下半身のみのやつ、実家で高校生とかのとき使ってたのを思い出しました。
 今はユニクロでうってた分厚いスリッパで寒さをしのぐようにしています。


>日記とかブログとか
 そうですね、不特定多数に見られることを前提とすると、意識的にも自然にも、言葉選びが変わる気がします。偶然訪問してくれた人を不快のどん底におとしてやろうという意識はないわけで笑


>ツイッターとかの最近流行りのSNS系は刹那的というか瞬間的
 瞬間的という意味ですと、私のこのブログもほぼ瞬間的に口から出ることをそのまま文字にしてるイメージです。そうなるとこれは、ツイッターの文字多い版みたいか感じかもしれません(笑)
 なんかツイッターも、使う人によって全然違うなーという気がしています。ほんとに歩きながら短文でもばしばし投稿する人もいれば、画像とかだけの人もいれば、その間だったり、リプライばかりだったり、色々だなーと。色んな使い方ができる点が間口が広くて大規模に発展したのかもしれませんね。
 そういえば、某10年ぐらいも続くMMORPGの公式SNSというかブログサイトにおいて、「コメント」の通知が何とかならないかと思ったりしてました。あれ、フレンドさんのコメント通知とか表示していると、レスを1つずつするタイプの方がいると、めちゃくちゃ連続した通知になって見づらい……。私の運営している(放置?!)サイトの、「読んだよ」ボタンみたいなのがあるのですが、あれもその仕様が気になって、「1時間内の通知は1つにまとめる」みたいな機能にしたのですが、そんな風にしてもらいたいなぁとか思ってました。まぁそれも、コメントたくさんする人がいなければ気にならない人も多いのでしょうし、需要は無いのでしょうね。


>同じもの リピートするタイプで中々新しいものに冒険しようとしない方ですね……。新しいものに巡り合う冒険、挑戦、というのは創作をしている関係もあって好ましくは思っているはずなんですけども

 おぉ~! 白銀さんもそのタイプでしたか(笑)
 新しいものが必ずよいものかというと、経験上まったくそういうことはないので、難しいですよね。とはいえ、閉じた世界にこもってしまうのは、今後もよくないと思うので、冒険・挑戦心は意識的にもっていこうと思います。
 まぁとコメント頂いて改めて思っていたのですが、先日、新しい髪カットのお店にいってみたら、非常にイマイチでした……(笑)
 とはいえ、いつも行ってたところも、総合的に満足できているわけではないので、なんとか良いところを探すのが最近の小さな目標です(笑)
posted by endoat 2023/03/11 14:02 [ コメントを修正する ]
>通知について
 一応、フィルター機能みたいなのはあったと思うんですが、ピンポイントで「この人だけ非表示」とかはできなかった気がします。
 その辺も一時期話題になっていたことがあったようななかったような、という感じなんですが、機能としてある程度詳細にタイムライン通知をするものとして設計されている以上、避けられないものという感じですかねぇ。
 コメントを活発に行う人がいるとその人のコメント通知でタイムラインがガンガン流れて行ってしまって他の人の通知が埋もれてしまいやすくなるわけですが、かと言ってその人のコメントだけを非表示にするフィルター機能はありませんし(さすがにフレンド切ったりまではしたくないでしょうし)、その人が全部別々の記事にコメントしているとなるとなると機能側としてもまとめて表示するというのも難しいでしょうし、「その人がこの記事にコメントした」という情報が追えなくなるのもコミュニケーションサポート機能として良くないわけですし……。
 うーん正解が分からない。
posted by 白銀URLat 2023/03/31 16:44 [ コメントを修正する ]
やはり話題になったことはあったのですね。
10年以上続いているのであれば、もう議論は出尽くしてるんだろうなぁとは思います。あ、もちろん、10年続いていて、ユーザー目線の改修を繰り返し対応してくれる運営だからである、という前提において、ですが(笑)

確かに、別の記事にたくさんコメントする、ということであれば仕方ないと思います。ただ、同じ人の(もしくはコメントのレス)に何個も何個も5分以内とかに繰り返されると、さすがに多すぎる、と思ってしまいます。

5分とか、1分とか、ここらへんの基準も難しいでしょうからね。もしかしたら、1分なら既に制限があるのかもしれませんし。

あとは、コメントの文字制限が、やや少ないのかなというのも思ってます。せめて1000字ぐらいはあってもよいのでは、と。

もしくは、「レス」についてもフィルターできたりする、とか……。
レス、の定義も難しいかもしれませんが、自分の記事へのコメントは全部「レス」という扱いにするとか。
ログイン必須のコメント機能であれば、その点の技術的な面は難しくなさそうと思います。

とはいえ、マナー的に何とかなる部分な気もするのですよね。私が気になるのは、

>○○さんへ
ありがとう!

>△△さんへ
そうだね、よろしくねっ

>◇◇さんへ
うけるww

といったレスを、1コメントずつやるような人がいた場合、です。
いやそれ、1コメントに入るよね……と(笑)
(上のは例なのですが、1~5行ぐらいだったらまとめられるのでは……と思っちゃいます)
posted by endoat 2023/04/02 17:24 [ コメントを修正する ]

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