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50代を生きることを考える
2024/11/02 13:37 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「メモしないと確実に忘れると思った方がよい」

まえがき

 途中まで書いてたのを誤操作で消してしまった。
 最近パソコンに詳しくなった、電源周りをいじる経験ができた、と書いた気がする。ハードウェアは、物理的に破壊してしまう可能性があるから、怖いね。

物質的世界を生きる

 ある友人が……と書くと、リアルの友人のことを想像するが、基本的に、あんまりリアルの友人がいない……と書くと、なんか、その見栄はっている気すらする、あんまりどころか、いないんじゃないか。
 どこからを友人と呼ぶのか、みたいな、そんなことを研究したいと思ったこともあったような気がする。結局そこまで興味をもてずにやめた。
 でも、人間関係ということには、すごく興味をもった気がする。「集団」というもの。社会学という学問に興味をもった理由がそこらへんにあった気がする。

 どっちかというと、今は宇宙とか物理とかに興味があるけどね。

 で、友人という表現をするとき、ボクは、リアルもネットも特に区別していない。
 どちらかというと、ネットで知り合った友人の方に、すごく影響を受けてきたと思う。

 というか、リアルの友人は、「影響を受けたくない」と思っていた気がする。
 アイデンティティが不確かな多感な時代……思春期的な時は、集団に埋まってしまう恐怖のようなものもあった気がする。目立ちたいというのとは違うし、どちらかというと誰にも見られたくないという「プライベート」を守りたいという気持ちが強かった気がする。

 今はこんなブログを書くように、どんどん自己開示したいという気持ちもあるような気がする。
 ただ、その気持ちを、リアルに発信したいか、というと、別にそうじゃない気がする。

筆をとってみると色々書いてしまう

 なんだ、そんなことを書こうと思ったんじゃなかった気がする。

 まぁでも大事なことでもある。来歴というのがないと、その文章というのはなんか感情移入というか、面白く読めないのだ。
 自分のブログも、事実ベースで書いたとりあえず言いたいことばっかり書いている記事は面白くなかったりする。

 でもたまに、面白い文章というのもある。

 それは果たして、他者が読んでも面白いのだろうか? そこらへん分からないから、たまにコメントくださる方とかいるととても感謝している。

 別に、誤読してもらうこととか、そんな目くじら立てたりしない。そう感じたんだな、そう感じるような文章内容・構成だったんだな、と思うし、それはそれで面白い。

 やっぱり、自分の文章だから、そこに書いている裏の意図的なのが読み取れたりするから、そういう場合は面白い。裏の意図がない文章は面白くないと感じるのだろうか。

50代になったとき

 最近、特に書いておくべきだろうと思って書いているが、今は特に不満はない。

 過去に、戻りたいという時間は、正直無い。

 こう言える人は幸せなのだろうと思う。

 だから、僕は幸せなのだ。

 幸せなのだ、と書くと、なんか不幸を引き寄せる気がして怖いけれども(かっこ笑い)。


 しかし、人生というのは、命というのは、いずれ、終わりは迎えるのである。これは絶対。

 かりに、コールドスリープが実用化したとしても、地球は、10億年後? 1億年後? とりあえず海がなくなる。水がなくなる。微生物すら死滅する死の星となる。

 これはまぁ、わからないけど、きっと確かなんだろう。2億5千万年前のペルム紀の大量絶滅が本当にあったことなのだから、今後の未来、地球環境が大きく変わることはそんなに疑わしいことではないと思う。

 だから、宇宙を知ることは大事なんだと思う。いずれ、地球は脱出しなければ人類は滅亡するのだ。

 1億とか、10億とかは、地球環境的な「絶対」であって、そもそも、いまだに戦争や紛争をなくせない人類が、1000年後も無事かは全くわからない。
 下手したら100年も怪しいかもしれないわけだ。

 でも、なんか漫画であったけど、ぎりぎり追い詰められて、最後の最後にならないと、呉越同舟なんてありえないのである。極端な例だけど、わりと追い詰められないと、敵と手を取り合うというのは難しいのである。だから、そういう物語は逆に面白いけれど、説得力がある描き方しないとしらける。

好きなことをして生きる

 まず、天涯孤独になることを考えてみる……ということで思考をおよぼしたとき、そうだ、最初に書こうと思ったこと思い出したや。
 Youtubeで特殊清掃の動画をみたんだ。いわゆるごみ屋敷とか、孤独死とか、そういったドキュメンタリー。

 ごみ屋敷=男性というイメージがあったが、女性でも多いらしい。

 結構ほんとか、電子機器とかいろんなものに囲まれているので、捨てたい。
 もしくは、もっと広い家に引っ越したい。けど、一人暮らししている分には、20m2ぐらいの大きさで十分なのではないかと思う。

 自分の生活で、まず大事なのは、パソコンがあれば、こうして文章を書いて頭の整理もできるので、大丈夫。
 パソコンといっても、スピーカーと、ディスプレイも必要。それだけでも場所をとる。
 椅子も必要。デスクも当然必要。

 つまり、パソコン、という環境を維持(もちろんノートPCという選択もあるが、そうではないとしたとき)するにも多くの物品が必要なのである。

 冷蔵庫もあったほうがいいし、洗濯も自分でやった方がいい。電子レンジも必要だなー。最近冷凍食品がうまいと思う。

 食器類はもっと減らしてもいい気がする。ガスコンロは、最近、T-falの電子ポッドを買ったので、別にコンロなくてもお湯が沸かせるからいらない気がする。ほんとにまったく使わないなら、ガスコンロの上に足つき台をおいて物置にするという手もある。


 健康と住環境はできる限り維持したい。

 健康診断で体重はかったら、4kgぐらい増えてた。これは大変だと思って、食生活に気を付けたら、△3kgぐらいにはなった。でも、筋力が落ちて、太りやすい体質に変わっているのだろう。

孤独に生きる

 孤立はだめだが、孤独はよいとか、言葉遊びみたいなことをやりたいのではない。40代の生き方みたいな本を読んだが、結婚してない人はいますぐ結婚すべき、ということらしい。
 孤独はよくないかららしい。

 なるほどやばいな……と思わなくもないが、でも、ちょっとやっぱり腑に落ちないというか納得できないのは、「助け合う」という点である。

 なんか、自分のメリットのために結婚とか、コミュニティに属した方がよい、というけれども、いやちょっとまった。

 それ違うと思う。
「助け合う」
 というのは、自分も与える、ということである。当たり前だ。

 結婚したらリスクを軽減できるというのは、それはそうだが、それによるリスクも上がる。

 結婚して1か月後にその相手がリストラされて、介護が必要になったとなったとき、自分が支える必要がある。
 逆の場合はラッキー、って思う?

 いや、それはそれで申し訳ないだろう……。

 というわけで、孤独を防げるから結婚がよいというのは、まったく意味が分からないのである。
 それよりは、養子もらった方がよいんじゃないだろうか。でも、生物学的なつながりがない子供を養うというのは、それはなんだろう……そうとう高尚な精神をもった人じゃないとできないんじゃないだろうか。


 ゆえに、結婚しようという気は今のところ全く起きないのである。
 もちろん、自分のすべてをなげうってでも守りたいという相手ができたら別だが……。

 しかし、上の、「すべてをなげうって守りたい」という気持ちというのは、男性特有のものらしい。男女の気質というのは、別にそこにすべて帰結されるわけでもないのだろうけれども。女性はむしろ守られたいという気持ちがある、ということを言いたいわけでもないが。

 まぁでも、ちっちゃくてかわいいものを守りたい、という気持ちは、別に男女関係なく普遍的にあってもよい気はするし、そういう相手に出会える可能性もゼロではなかろう。

一人がきらいじゃないのである

 ところが、自分のことを考えてみると、正直言って、孤独耐性がやっぱり高いのである。
 一人でいてもぜんぜん苦痛ではない。むしろ、人といると疲れる……。

 いや、疲れないことが、多くなった間違いなく大人になった成長した、そう思える。が。

 それでも、一人の時間が欲しい時が多い。

 割合的な問題だろう。9:1ぐらいで、一人でいてもよい(かっこ笑い)。

 なので、さすがに、10:0になったら、孤立というやつで、やばいのかもしれない。精神的にもおかしくなるのかもしれない。

 でも、仕事している以上は、一日の大半を人と過ごしているので、まぁ、一人で仕事している時間もあるから、5:5ぐらいの割合な気がする。

 だから休日とかの一人の時間が大事、って思うのかもね。

 これが仕事やめたらどうなるのか。

定年後を考える

 両親や親せきもいなくなったと考える。
 仕事も定年を迎えたとする。定年が65歳になったようだから、まだまだ先な気がするが。

 ゲームや、本は好きだ。



 何が好きかというと、物語が好きだからだ。

 でも、物語が好きというのは、人が好きなのではなかろうか?

 でも、圧倒的存在が人類を滅ぼす作品も嫌いではない。でも、最終的なハッピーエンドは人類の勝利だ。やっぱり人が好きなのか。

 好きなのに、孤独というのは大丈夫なのか?

 65歳でゲームやれるのか?

 物語を楽しめるのか?


 幸いにして、勉強も好きだ。勉強というか、科学?
 宇宙とか良いよね。

 それは何なのか。自分という些末な存在を、偉大な存在(宇宙)に位置付けるという作業、といえるかもしれない。抽象化。

Stable Diffusion

 ステーブルディフュージョンという画像生成AIもここ最近(といっても数年前?)からはじめて、面白い。パソコンの性能があがったこともあって、XLモデルという新しいモデルで生成をためしてみた。レザージャケット・パンツの女の子。おへそは見せて、みたいなプロンプト。結構いい感じである。




 なんかコメントでお題いただいたら作ってみたいと思うのでお願いします(笑)。
 画像生成AIも、自分で触ってみると、できることと、難しい部分とが分かってきて、そういうの楽しいね。なんかこうやって手を動かしていろいろやるのがやっぱり自分は好きな気がする。

 評論家も楽しいんだろうけど、モノ創りというのがやっぱり楽しい性格気質なんだと思う。

生きる意味を考える

 75歳になったとき、家族に囲まれて楽しい老後を過ごしている未来は、正直、ボクにはもうない。

 高校や、大学で知り合った友人と会うことももはやないだろう。

 近所づきあいもしているとは全く思えない。

 どこに住んでるのかも分からない。災害が少ない場所がいいけれども、そういう場所の住宅価値があがってしまっていて、危険な場所に住んでいるかもしれない。

 でも、現金じゃなくても、資産は保持できるわけだから、身一つあればなんとかなるかもしれない。

 75歳かぁ……。

 今、30代だが、20年後とか30年後を考えたとき……。
 たとえば、15歳の自分は、今の自分の状況を想像できていただろうか。

 まったくできてなかったねー。

 いやはや……いま考えてもよく頑張ってたと思う。えらい。若いころの自分。
 とあるプロ野球選手が、大学時代寮で厳しい練習だったということで、5億積まれても戻りたいとは思えない、といっていた。

 同じ気持ちだ。
 5億……ならうーん……ちょっと考えるけど(笑)。

 1億あげるから、10代のころに戻って1年過ごしてこい、と言われたら、正直いやだな。
 いまの経験や思考や、能力をそのままもって、体力などは当時に戻ったとしても、いやだ。

 冒頭に書いたが、どこの時代にも戻りたくない。

 昨日は昨日で、仕事で23時ぐらいまでかかったし。
 解決したが、解決しない可能性もあったことが非常にストレスだった。そういうことを、もう一度味わいたくない。

 ああ、いやだ、いやだ……。

 いやなことを思い出してしまった。

 一方で、未来が明るいか、と思うと、それこそ、75歳になったら、もう色々衰えているだろうから、それはどうなの、って気もする。

 75歳でしょう……? うーーーん。想像できぬ。

 でも、75歳の人たち、生きてるから、きっと何とかはなるんだろうな。

 今の75歳の人たちの話を聞きたい気もするが、ただ、それって、正直、参考になるかならないかわからないぐらいでしかない。
 ボクが15歳のときの30歳の人の話と、ボクが今思っていることと、まったく違うと思うから。

 結論なってみないとわからん。

 先のことを心配しても、仕方がない。今を大事にしよう。

今を大事に

 今日が、自分の中で一番若い日だ。
 何をしようが、時間は過ぎる。不可逆に。タイムリープとかワープものの物語には憧れるが、残念ながら、今生としては体験できることはなかろう。

 今日、こうして、文章を書いている、その選択は、間違いではなかったと、未来の自分が思ってくれればそれでよいと思う。

あとがき

(かっこ書きである。今の年代で書ける文章は、今しか書けない。だから、日記は大事だ。以前熟読していた、シロクマさんの記事として、シロクマさんが30代のときの記事とか読めるけど、そんなすごいこと書けないな、って思う。でも人と比べても仕方ない。正直、自分の20代のブログ記事の方がすごいこと書いてるな、って思うものもあったりする。年代とか関係なく、面白いものは面白いのだ。ただ、最近思うのは、世界平和とか協調とか、大事だってことだ。それがあまりにも空虚な世の中で哀しくなるが、でも、そうあるべきだと本当に思う。平和を守るためにも力が必要だし、矛盾だらけの世の中だ。ホワイト企業の魔王軍を描いたWEB漫画を愛読してるが、あれ、ホワイト企業でいられるのは、魔王様がめちゃくちゃ強いというのが一つ根拠となっている。めちゃくちゃ強くて、それでいて人格者だから成り立っているのだ。ただ人格者なだけではだめだと思う。いや人格者で、その周りに強い部下がたくさんいればよいのだろうが、強い部下を集めるためにも、その人自身が強くなければならない。家康に仕えた本田忠勝みたいな例もあると思うけど。民主主義にコストがかかるというのは本当にそうだ。実際、優秀で人格者な君主の独裁の方が豊かで幸せな世界が作られると思われる。ただ、システム的に、人間という存在的に、独裁はリスクが高いことが歴史でわかっている。だから、コストがかかっても民主主義がベターなのだ。ベストではなく、ベター。ここが、大人的なグレーな、あいまいで中途半端で気持ち悪いところであるが、そこを乗り越えないと、人類の発展はない。自国優先の政策はもちろん大事だと思うが、その結果戦争とか招いてしまうような、そして、招いた国は絶対に自分の非を認めず、相手国がゆずらなかったから戦争になったという論理展開になって、相手は相手でひけなくなって、落としどころがなくて、殺しあう。たいていの問題って、戦争なり紛争なり、個人間の喧嘩レベルでもみんなそうだ。人間の愚かさに本当に呆れてがっかりする。がっかりした神様が人間を滅ぼそうとする物語が生まれるのも分かる。なんで争いが生まれるのか。「不足」が原因だというのもあるが、それだけではない。人間が社会的で、「関係性」的な存在だからだ。損したり虐げられていると思ってしまうと、敵対してしまう。だからむしろ、自分は自分として切り離して、孤独に生きる方が平和なんじゃないかと思う。だから孤独万歳って無理やりこじつけてしめておこう。でも、孤独が悪いこと、という風潮に、まぁそれは孤独死とか、いろいろ問題があるから事実と受け止めつつ、あまりそれに流されない方がよいというのは、ここまでいろんな社会情勢の変化を含めて、数十年生きてきた自分が思うこと。テレビも、新聞も、巷のうわさも、井戸端会議も、ネットも、ヤフコメも、絶対的に正しいと思わないこと。というか、一面では正しいけど、それが絶対に再現できるかというとそうではない。科学は再現性が重要だが、そのために、めちゃくちゃ条件がつく。条件だらけで面倒で、面白くない。だから大変だけど、だからこそ価値がある。簡単に手に入る情報、耳障りのよい情報に浸りすぎないことである。浸ってもよいけど、必要に応じて抜け出せる準備というか、心構えはもっておくべきだ。と書いている、この文章自体も、疑うべきである。つまり、何も信じないことが正しい。ということは、「信じないことが正しい」ということも信じない方がよいということだ。トートロジー。同語反復というのは非常に面白い概念で、好きだ。そこらへんのことを学びたければ、仏教の「空」とか概念を学ぶといい。それらは、奈須きのこさんの作品を導入にするとよいかもしれない。アニメだけだとわかりにくいから、小説がよい。でも小説を読むのはそれはそれで思考が大変だから、アニメから入るのもよい。とりとめないから、そろそろ終わろうおなか減った)

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