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創作活動においてやる気がなくなる原因
2015/10/04 21:25 | Comments(0) | 創作について
もしこの記事を目にした方がいらっしゃったら、思った以上に長くなったため、最後の「総括」だけでも読んでいただければ嬉しいです。



創作活動においてやる気がなくなる原因、それは、オンラインゲーム症候群とでも呼ぼうか。

オンラインゲームには、「廃人」と呼ばれる人々がいる。
もちろん、オンラインゲームには、様々な種類がある。ブラウザゲームと呼ばれる、ターン制や「スタミナ」といった呼称で一日に操作できる回数が決まっているものがある。それを増やすアイテムが課金だったりする。ジャンルは、畑を耕したり、モンスターを連れて冒険に行ったり様々だ。
スマホゲームは、ほとんどがオンラインゲームだろう。パズルでモンスターを倒したり、ディズニーのキャラクターを三つ以上つなげてスコアを競ったりする。
もちろん、ハードなゲームも存在する。MMORPGと呼ばれる、大規模な仮想空間で、様々なクエストを、マルチプレイヤーと協力してこなしていく。もしくは、プレイヤーキル(キラー)と呼ばれる、マルチプレイヤー同士で殺し合いをすることもあったりする。
殺し合いと言えば、FPSやTPSと呼ばれる、ガンシューティングゲームもある。ちなみに、FPSとTPSは、一人称(ファーストパーソン)視点か、三人称(サードパーソン)視点かの違いである。これらも、たいていはプレイヤー同士で遊ぶ。


で、オンラインゲーム総論をやりたいわけではなくて、創作活動においてやる気がなくなる原因を、オンラインゲームをやっていて発生しがちな現象との関連性を述べてみたいというわけだ。

その理由が、冒頭にもふれたが、「廃人」と呼ばれる人々である。

廃人とは何か。詩を詠む人々のことではない。簡単に言えば、極めた人々だ。トッププレイヤーのことだ。
だから、廃人とはすごい人々なのだ。何で「廃」と呼ばれるかといえば、そのゲームを究めるために、その他の生活を犠牲にしている場合が多いからだ。
むしろ、ゲームの構造自体が、時間をかけないと強くなれなかったり、重要なアイテムを手に入れるためには運要素があったり、廃人を生み出す要素をはらんでいたりするのだが、これも脱線してしまう。

とにかく、この記事の中で重要なのは、オンラインゲームには、廃人がつきものだ、ということである。



ではこの廃人が、創作活動と何の関係があるというのか。

これは誤解を生む可能性が高いけれども、簡単にいえば、創作活動においても、廃人はいるのだ。
さすがに、廃人といってしまうと語弊の方が強いため、上手い人、優れた人ぐらいの意味で考えて頂きたい。

例えば、頑張ってイラストを描いてみた。自分の中では上出来だと思った。近しい友人にみてもらった。いいじゃないか! と褒められた。気分がよくなった。
しかしながら、イラスト投稿サイトで自分が描いたのと同じジャンルの作品を偶然見つけてしまった。その作品は、自分のものより、段違いで上手だった。嫉妬も少し感じたものの、そんな次元をはるかにこえている。

ははぁ、さては、プロのイラストレーターが遊びで描いたものなんだろう、と、作品のプロフィールをみてみる。
なんと、自分より10歳も下の素人の方の作品だった。しかも、イラストを描き始めたのは、ここ1カ月ぐらいらしい。その上手な作品も、1時間ぐらいでかきあげたというのだ。自分は、会心のできだと思った作品を作るのに、1か月以上費やしたというのに……。


オンラインゲーム、関係なかったかもしれない。(すみません、説明崩壊かも……)

ただし、ポイントは、つまり、「自分より優れた人を見てやる気をなくしてしまう症候群」ということだ。
最初からこのネーミングの方がよかったかもしれない。


ともかく、これは、創作活動においてやる気をなくす原因の一つである。

もちろん、逆に奮起するパターンだってあるだろう。人生の師、メンターのような存在になってもらうのは、とても有意義だ。そんな機会がえられたなら、むしろ感謝すべきだろう。

しかしながら、それが「仕事」であれば、有無を言わさず、優れた人を見習うことをしなければいけない、が、創作活動は必ずしも「仕事」ではない。
仕事の場合もあるが、趣味だったり、自己啓発だったり、交流が目的だったりもする。
そんなとき、「ああ、自分はいくら頑張っても、せいぜいこれぐらいにしかなれないだろうな」なんて悪魔のささやきに耳をかしてしまったら、もう、創作活動自体をやめてしまうかもしれないだろう。


だから、この病気、というか症候群というかの対処方法は、「目的を見失わない」ということだ。
「この分野でてっぺんをとってやる!」という目標であれば、かなり辛いことになるかもしれない。けれども、それは「目標」であって、目的ではないはずだ。何故あなたは、その分野で一番になりたいと思ったのだろうか? 単純に、他の人たちを見下したいと思ったからだろうか? きっと他の理由があるはずだ。

目的と目標は違う。目標は、目的を達成するための通過点を、数値で表現したものだ。必ずしも数値で表現されなくても、目的のために行う手段をまとめたものである。
では目的とは何か。理念のことである。企業でいったら、経営理念とか、企業理念とか、企業精神とかそういうものだ。
では個人の場合、目的とは何だろうか? 生きる目的のことだ。何故自分がその行動をしたいのかをまとめたものだ。
――、目的について、言いたいことをまとめきれたか微妙だけれども、このことも、本筋と外れるため、ここまでにしておく。いずれ、このテーマは自分にとって重要だし、これまでも何度か書いてきたから、もう少し掘り下げて書く必要があるだろう。


自分より優れた人(作品)をみて、やる気がなくなってしまったときは、何故自分が創作活動をしたいと思ったのか、もう一度冷静に考えてみることだ。
そして、もう一ついえることは、継続は力なりということだ。
継続は力なりとは、繰り返し練習しないと、物事は上達しないものだ、ということを示した教訓でもあるが、実は、ずっと続けていると、ライバルもだんだん減ってくるという事だ。減るというのは、その業界自体が縮小する場合もあるだろうし、本当に単純に、人間の寿命的に減るという意味もある。
優れた作品が、例えば100点だったとしよう。自分は、どう頑張っても、80点しかとれなかった。しかし、100点を取った人は、80歳で亡くなった。すると、次点で自分の80点の作品が、この世界でもっとも優れた作品になるのである。
いやはや、くだらない考え方と思われるだろう。その間に、もっと優れた、例えば120点の作品が生み出されるかもしれないじゃないか、と。そうかもしれない、けれども、それまでずっと継続して作品を作り続けていったのならば、その頃の自分は、きっと、80点以上の作品を作れるようになっているのではないだろうか。

と、時に自分を慰めながらでもいいのだから、続けていこうじゃないですか、ということだ。
ゼロは、何を乗算してもゼロだ。けれども、1ならば、2倍、3倍と増えていく可能性を秘めている。
(小数点をかけたらどうするんだ、とか考えてる暇はないのだ。こういうのを屁理屈という。けれども、私は、いつもこういうことを同時並行で考えてしまう。私だけではないだろう、中学生ぐらいから、大人のいうことを素直に受け取れずに、あれこれと抗弁を試みるのである。これは決して悪いことではない、成長するのに必要なことだと思う。問題は、いい大人の自分がそんなんなことだ)


以下まとめ。
【総括】
最近、以前制作したWEBサイトを構築(復旧)しようと頑張っていた。
しかし、何年も経ってしまい、いまや自分のサイト(作品)よりも、もっともっと優れたサイト(作品)が星の数ほどある。
このままでは、そこら辺に転がっている石にすらなれないのではないか……と、やる気をなくしかけてしまったのだ。
けれども、上のように、目的と目標を考えることで、やる気をもちなおし、結果なんとか復旧することができた。


そうすると、嬉しいことがあった。昔交流していた方々から、励ましのメッセージを頂いたのだ。突然行方をくらましたというのに、温かい言葉を頂いて本当に嬉しかった。
目的は、「優れたサイトを作る」ということではないのだ。それは、目標に過ぎなかったのだ。



――という、一般論を語っているような書き方でいて、結局自分に対して語りかけているだけの記事でした。
ただ、もし誰か、創作活動でスランプなどに陥って、やる気をなくしたり、悩んだりした人がいて、この記事を読んで少し元気になってくれたら、この記事の本当の目的が達成されると、思います。

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