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眠れない夜に書く
2019/08/08 03:41 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「20時ぐらいに寝ると24時ぐらいに目が覚める」

前書き

 最近、ルーチン更新が崩壊しているが、まぁその、一応免除規定(一人でゆっくり思索できる時間が少ない)に当たると思う。

 一人でゆっくり思索、というのが大事だ。

 カフェとか、新幹線の中とかでも、まぁいいのだが、その環境によっては、落ち着けなかったりする。そうすると、全然書けない。
 頑張って書いても、大した情報が出てこない。

1時間かかってこの程度

●抜粋

仕事を離れて少し思ったが、今後の、方針的なんを考えられなくもないな。俺は、どこまでいっても、考えることをやめられないし、気にしたり、遠慮したりをしてしまう。似た人はいるかもしれないが、理解してもらえる可能性は低い。そこを考えた上で、生きやすい方法を考えていかなければいけないだろう。しかし、本当に、家族を作る、ということについて、何の責任もないのだな。まあ、30代ということになれば、恋こともなかろうな。そうなると。それは、一体、誰の責任なのか。しろくま先生はどう考えるのか。時間を濃密に使っていく他あるまいが、その時間が、様々、面倒な調整ごとであることが多いわけであるが。


 先日、とはいえ、まぁなんかメモぐらいしておくか、考えよう、ということでやってみて、たしか、1時間弱ぐらいで、上ぐらいの内容だ。

 よく分からないし、面白くないな。

 なんかこう、このブログ書いているのって、もっと面白かった気がするのだ。
 それはこう、自虐的な、ぬるま湯につかっているような感覚なような気もするけれども、あの大学入試のために寒い冬に石油ストーブのゴーっという音と、朝の4時とか5時とかに起きて勉強しようと、その前に紙のノートに色々書いていたような、あの頃のサムシングが、このブログにおいてあるような気がしたのだ。

 それでいて、当時の完全なる孤独と違い、一人じゃない、でも、一人でいられるという不思議な楽しさがあったはずなのだ。

家か部屋大事

 ゆえに導かれるのは、やはり、「おうち」でいる時間なのである。
 いくらどこかに、タブレット片手に繰り出していっても、それは、十分ではないのだ。

 今は、変な時間だが、とりあえず、眠気もそれほどないし、体の調子もそれほど悪くないので、「書く」条件がそろっている。貴重な時間だ。ありがとう。この時間を与えてくれたすべてにありがとう。


 と、まぁ、そんな環境的分析はともかく、今回は、上の抜粋……1時間の成果について、もう少し意味あるものに考えてみよう。

今後の方針について

>仕事を離れて少し思ったが、今後の、方針的なんを考えられなくもないな

 仕事は重要である。
 賃金がもらえるからだ。
 何故賃金が必要か。生活するためだ。

 働かなくても賃金がもらえるベーシックインカムの制度はまだ実現していない。

 と、いうのは欺瞞だ。いや、ベーシックインカムの部分じゃなくて。
 仕事は、生活するために必要だったはずなのだ。
 要は狩猟採集は仕事である。
 賃金というのは、中間者である。生活するために賃金が必要というのは、近代の話だ。

 日本昔話の村人たちは、年貢を納めるために働いてるのではない。(勝手な決めつけ)
 彼らは、ただ、日々の生活のために働いているのだ。(山に行ったり畑を耕したり)



 ……なんてなことを、今なら思ったりするのだが、カフェ的な状況であれば、思えないし、仮に思っても「書こう」という気にならないから不思議なものである。
 いやしかし、上の話は全く関係ない。

 要するに、仕事をしなくてもいい時間がないと、――大事なことなので正確にかけば、「仕事を考えなくてもいい時間」がなければ、思考できない、ということである。

 そして、今は、仕事を考えなくてもいい時間、だと、上の抜粋記事では書きたかったのである(たぶん)。

自己分析

>俺は、どこまでいっても、考えることをやめられないし、気にしたり、遠慮したりをしてしまう。似た人はいるかもしれないが、理解してもらえる可能性は低い。そこを考えた上で、生きやすい方法を考えていかなければいけないだろう。

 ふーん。で?

 とか言っちゃいけない。かわいそうだろ?(かっこ笑い)

 いやしかし、「で?」としか思えないんだよな、今となっては。

 いや、言ってることは分かるのだが、いまさら? とかって思う。
 そんなの、分かりきってたんじゃないのと。何のために何百の記事を書いてきたのと。

 でもまぁ、軽く、「前提」として書く分にはいいと思う。何がダメかって、これを書くのにも、非常に時間を労していたことだ。
 サラッと書いちゃえよ、と思う。今ならサラッと書けちゃうだろう。

 では、何が悩ませたのか。

「考え続けてしまう」「遠慮しがち」「人に理解されがたい」

 これらを、「認めたくない」「認めてもいいのか?」という葛藤故だろうか。

 ここで、「理解される必要があるのか?」という疑問も当然立てられる。が、それは考慮する必要はない。理解されたほういい。理解されなくてもいいかもしれないが、されるならされたほうが良いに決まっているのである。
 いやいや、理解されたがゆえに、変に利用されてしまうのでは、とか、そういう言葉遊びをしても仕方がない。そういう、言葉尻を捉える人も少なくなくて、もうほんと、できるだけ他者とコミュニケーションを減らしたいという裏の思いが最近強い。まぁそれも脱線なんだが、要は、ここでいう「理解」とは、他者を尊重するという当たり前の原則に基づいているのだ。その前提においていえば、理解された方がいいのだ。そのほうが生きやすいはずなのだ。


 脱線だ、そんな自己分析いるのか? と思う。

 だがまてよ、と。


 こういった当たり前の前提をして考えていけば、「考え続けてしまって遠慮しがちで理解されがたい」ことを、僕は悩んでいたのではないかと。

「変えたい」という意思の表れなのではないか、と。
 そうも捉えられないか。

起承転結の承

>しかし、本当に、家族を作る、ということについて、何の責任もないのだな。まあ、30代ということになれば、恋こともなかろうな。そうなると。それは、一体、誰の責任なのか。しろくま先生はどう考えるのか。時間を濃密に使っていく他あるまいが、その時間が、様々、面倒な調整ごとであることが多いわけであるが。

 で、なんだけど、次の承け(うけ)の、つながりが全然みえてこない。

 家族?
 どうしてここで家族が出てくる?

 ――よくよく考えると、多分当時は一切思ってなかったろうが、「自己」→「家族」という単位の変遷はまぁ分からなくもない。

 そもそも、「自己」という単位だけで考えてもどん詰まりするというのはよくある話で、人間は、相互関係、互いに干渉しあいながら成長(悪い意味でも良い意味でも)するのだ。

 ただしかし、大学入試ごろの完全なる孤独、と違い、この場も、不思議な相互作用の場なんではないかと思ったりもしたりする。まぁこれも脱線だ。

「家族」はまぁ、分かった。が、「恋こともなかろうな。そうなると。それは、一体、誰の責任なのか。」とは一体何なのか(かっこ笑い)。

 今度は「責任」とな。
 責任。

 責任?

 えーっと、その、家族を作ることの責任、ってことか。
 なるほど、社会的な要請、長男だったら結婚し、男児をつくれ、ってやつ、か。
 そういうんが、昨今なくなってきてるよね、ということを言いたかったのか。
 昨今がどうか分らんが、取り敢えず、個人的に何かそういう外圧は、今のところ一切ない。これがいいことなのか、悪いことなのかも分からないが、別にない。
 親は、孫の顔が早く見たい、と思ってるかどうかわからんけどね。

 ただ、それはとかく、実際、数百キロ離れたところで暮らして、正月ぐらいしか顔を見せないような親不孝者である。仮に孫ができても、その程度しか会わせられないんだろうと思う。それでも、いいのかな? 写真送ってあげて、成長をみせてあげたりすると、喜んでくれるのかな。


 とか、ね。
 そういうことを書きたかったのかな。分からん。

 親には感謝しないといけないと思う。東京の大学に通うようになり、――覚えている、2年目ぐらいからは、学生寮的なのを出てアパート暮らしを始めたが、仕送りを月11万円してくれた。(昨今は高額と見なされる額だそうだが、当時としては平均的なものだそうな)

 年間、132万円である。それを3年間。1年目は分からないが、同じだとすれば、4年で、528万円。
 帰省の切符代も出してくれてた気がする。それ以外に、大学の授業料。242万円ぐらいだそうな。
 足すと、770万円。実際は、もっともっとかかる要素があるだろう。

 高額である。

 今となっては、「全額返せ!!」と言われたら、返せなくはないが、まぁその、厳しいわな。

 子供にお金がかかるというのは、本当なのだなと実感。


責任とは

 だから、子供としての責任を果たせ、ということになるのか。

 責任とは、結果に対して、自分が原因である、ということだ。

「育ててもらった責任」
 ということになるのだろうか。
 ん? よくわからないな。「今自分が存在していること」の責任?

 日本の国民の3大義務を言えるだろうか。
 納税の義務。労働の義務。子供に教育を受けさせる義務。

 そう、だから、中学校までは義務なのだが、高校生以上は義務じゃない。「好きでやってること」である(悪意を持って書けば、の話)。
 親が好きでやったことなんだから、子供に果たすべき責任なんかねぇ! と(悪意もって書けば、ね)。

 そんなこと子供に言われたら、親は悲しむというか、怒る人もいるだろう。

 ま、でも、ドロドロ、失敗している親子関係ってのもあるし、実際あるだろうね。「生んでくれなんて頼んでない!」なんてのも。

 まぁ、生まれてこなければ、確かに、色々考えることもなかったし、苦しみも恐怖もなかったんじゃないかというのもある。ただ、生まれてきてしまったのであればしゃあないことであるし、繰り返し書いておくが、感謝こそあれ、親を怨む気持ちはない。

 お父さん、お母さん、ありがとう。

直接言ってやれや

 いやまぁ、後悔しない程度には伝えているつもり。だが、確かに面と向かって、「育ててくれてありがとうね」とは言ってないか。
 しかし、どこまで、育ててくれたことになるのかな。親と暮らしていたのは高校生までだが、先ほどの通り、お金の問題でいけば、大学まで、となる。社会人になってからも、じゃあ、影響がゼロなのかといえばそうではなかろう。

 ……と、まぁ、このように、部屋で一人でいれば、色々思うところも出てくる。
 だがまぁ、間違いなく、カフェ的環境では、上のような内容は一切出てこなかったろう。せいぜい、上の引用文ぐらいのレベルなのだ。


 例によって、1時間ぐらい書いた。1時間ぐらいで、これぐらいは書けるのだ。
 全然量が違うな。

 ま、その、結論としては、結論なんか特にないのだが、この記事のまとめとしては、家族に対して特に責任はない、ということでよかろうか。
 よくわからないか。家族を作る、必要性、はわからんが、取り急ぎ、責任はない、ということだろう。

 眠気と疲れがドッときたので唐突に終わる。

あとがき

(かっこ書きである。比べられるものでもなく、完全に失言なのだが、完全に個人的感覚として書かせて頂くと、京アニの放火は、秋葉通り魔とは比較にならないくらい酷いと思う。犠牲の多さとかではなく、「もう世の中自体が憎い」ということで無差別殺人をするのと、「特定の誰かへの恨み」で無関係な人まで巻き込むのとでは、俺の中ではなんか違う。何がどう違うのか、よく自分でも分からないが、単に「京アニ」が被害者だからなのか分からないが、何か違う。――というか、加害者も、創作者の端くれであったのなら、実効的手段によって何かするというのは、ほんと狂ってやがる。失言だが、秋葉の加害者への同情心は、当時の自分のイライラ状況も相まって、あった。が、今回の事件に関しては、一切ない。行為は許されないが、気持ちは少しは分かる気がする……的なのが一切ない。全く理解不能である。当たり前だが、自分で思うとかじゃなくて、考えてみるにしたとき、「特定の誰かが憎くて殺した」→分かる。「漠然とすべてが嫌になって誰でもいいから殺した」→分かる。「特定の誰かが憎くて、関係ない人を殺した」→わからない。いや、犯人にとっては、「関係ある奴ら」だったのかもしれないが、うーむ、分からない。あれかな、NHKに就職したくて、何度も採用試験受けたけれども落とされて、それでNHKの会社に放火した、みたいな感じかな。そう考えると分からないでもないか。いやでも、分からないのは、「好きなんだか嫌いなんだか分からない」ということだ。好きが転じて憎しみに変わる、というのも、人間なんだろうか。変な生き物だな、人間って。いや、何でこの話になったかというと、本文の家族のあたりで、こんな同情のかけらもない事件を自分の子供が起こしたら、もうそりゃつらいなと思う。親もクソ野郎どもだった、というオチがあれば、少しは溜飲が下がるかもしれないが、至極ふつーの親だったら、居た堪れなく思う。まぁなので、俺の親も、俺は変な奴で孫もみせてやれていないが、それに比べたらマシだと思って頂きたい……なんてのは、俺が嫌いな比較思考であるが、まぁ仕方あるまい)

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レスポンスが遅くて反省
2019/08/01 22:41 | Comments(2) | 思考及び書くこと
今日の一言「感想遅くてすみません」

前書き

>完璧な予定では遠藤さんは号泣して長文を書きなぐっているところに俺がドヤ顔で返信するという完璧なプランが立てられていたが、すげー軽く流されてしまった!

 ややや、すみません!
 なんかレスポンスが遅すぎてショックを与えてしまい、一つ小話が生まれてしまうほどになってしまった事態に反省……。
 しかし……時間が取れない!!!!

 すべては言い訳ながら、直近はarkもやれてないんだからぁぁ! と言い分ける。

シロガネ

 即座の感想であれば、面白かった、となる。小学生並み感想だ。

 いやそう、だから、読むタイミングも検討していたのである。
 恐らく、後半からの勢いによって、これまでの自分の傾向から、一気読みしてしまうであろうことは分かっていたから、感想を書くという時間も含めて取れる時間を確保してから、読むべきだと、頭では分かっていた。

 しかし、いくら待っても、自分の気持ち的に十分なタイミングはやってこず、arkで遊んでしまった日々を後悔する意味もあり、少しずつ読んでいったところ、やはり、悲運な運命を背負ってしまったレイスロードとの決戦、もう少し具体的に書けば、フィン少年の心が壊されてしまったあたりからはもう止められない強い訴求力をもってして、結局、変な時間に一気読みしてしまったのである。

感想は結局いつ書けるのか

 いやいや、言い訳はともかく、ビジネス(?)は結果が大事だ。
 いつ感想がかきおわるのか。

 一つ前提がある。
 激辛批評を行う際は、少なくても、2回以上は読み返している。4月末ごろに投稿された作品にたいし、今はもう8月である。
 今日までには、フィン少年がある力を使って昏睡してしまったところまで読み返し、批評ポイントや気づいた点などをまとめていたところだった。

 しかし、環境的な問題もあって、4時間から6時間ぐらいかかっていると思う。

 そこから考えると、まだ、いつ頃まとまるかというのは分からない。としか言えない……。

気づいた点として

 こっからは、さらにメモになる。

 思うに。
・烈火成分(ギャグ)
・フィン少年
・ストーリー構成

 が、改善の余地があるのではないかと思う。
 現状でも、話の区切りは考慮する前提として、内容的には十分「面白い」作品に仕上がっていると思う。
 マーケティングに成功して書籍化などされている作品と品質的に劣るということはあるまい。タイミングと、広告宣伝と、コネクションがあれば通用する作品レベルと思う。

 ただ、その著者の実力を知らないうちに、当該作品が、例えば週刊更新が投稿サイトなどでされていたときに、自分が、リアルのくそめんどくせえ様々をそっちのけて、当該作品を読み続けるかというレベルを求めるとなると、「何か足りない」ということになる。

 いやこれが、5年や10年前とかだったら、「すげえ作品に出会った」となるかもしれない。そう、タイミングは非常に重要だ。しかしこれは、運、として片付けるしかないものでもある。


 いやいや、しかし、フィン少年の母親のシーンや、信念や目的がぶつかり合い、わかり会うことは困難であるなかで、入念に考えられた布石が発動し、共闘し、大いなる敵に立ち向かっていくシーンや、そもそもフィン少年の心が壊され、そして変化していくシーンなど、ベタ誉めしたいシーンは数多くある。

 まぁそれはむしろ、確信めいていて、きっと感動させてくれるだろうと期待していた。
 期待通りであった、あったが、そこにいきつくまでは、「ふつーに面白い」レベルであった。そこが惜しいと思うのであり、この感覚を、上手く伝えたい。そのために、もう数回読みたい。

時間の有限性

 ああ、それはしかし、僕の傲慢である。
 そんな、1から10まで綿密に書かないと分かり合えない仲なのか、とお叱りを受けそうだ。
 だから、こんな言い訳の記事を書いているわけであるが、今かけるとしたら、上の、烈火成分と、フィン少年と、ストーリー構成、この3つがもうちょっとよくできるんじゃないか、ということである。

 
 あと、なんか、どこかで書いたのか、自分のメモだったのか分からなくなってしまったが、エルフ世界の描写が、どうしてもファンタジーだからしかたがないとはいえ、イメージがしにくかった。
 いや、ファンタジーだから、というのは、別のじゃんけんで頭が破壊される作品においては、全般的にイメージがしやすかったし、3人の英雄の世界は、わりとイメージしやすかった。……いや、厳密に言えば、烈火氏の世界がやや分かりづらかった気もする。モヒカンがはびこる世紀末と、シンゴジラなども知っているという現代的なイメージとが読んでいて頭でやや違和感が生じる場面などもあった気がする。
 ややしかし、それはきっと、世紀末イコール北斗の拳的なイメージが強すぎるからなのかとも思う。

 思うに、烈火氏が強すぎるがゆえに、戦闘の緊迫感がどうしても薄れる面が難しかったと思われる。
 なんかそれが、フィン少年や、死の巫女などの悲劇的要素の重さが上手く伝わってこなかった原因なんではなかろうかとも推測。直接関係ないから、理由になっていないとは思うが、何かが足りない気がしている。

あとがき

(かっこ書きである。自分の中の最高峰作品(プロ作品も含む)をSとして、当然「夜天」はSにランクインだが、「シロガネ」は、現状はAだと思う。しかし、「S」になる可能性がある、と思う。もっと検証なく、思い付いたレベルで書けば、異界の英雄の「異界性」が、もっとストーリーに影響してきたら良かったと思われる。もちろん、当然、王国を救う、という目的の上終結し、それを解決するのだから、それはよいのだが、それが、自分ほどひねくれてしまうと、「見えすぎている」とも思ってしまう。次に何が起きるか、という訴求力がもっと欲しい。それが、ストーリー構成で何とかなる気がする。どうすればいいかまだ全く思い付かない。道化師の正体が明らかになってくるあたり、要するに、世界法則が明らかになっていくあたりから、一気読み度が格段にあがっていった。あとフィン君が敵に看破されて堕ちていくあたりなどもよかった。いや、少年の嗜虐が好きとかじゃなくてだね、そこは誤解されないでいただきたい。面白かったのは、その敵の発言が、少年の心を壊すに値する説得力が凄まじかったから。正論オブ正論に感じた。それでもってして、その敵を(武力だけではなくして)更に看破するというその後のストーリーに唸る。引き付けられる。そういった、「次はどうなるか」「もうぶつかりあうしかないのか」といったストーリー構成が著者の強い魅力だ実力だ創造力だ。うーむ難しい。要は、中盤がもっと盛り上がらないものかという、全く無責任でどうしようもない感想なのである。だがとりあえずでも、著者のブログ内容に影響がせめて少なくなる程度に、自分の反省をお伝えしたかった……)






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意外に起きられた朝に書く
2019/07/29 06:00 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「酒を飲むと睡眠が浅くなる」

前書き

 一人称も、俺、だったのか、僕だったのか、私だったのか。
 前回の記事で、「3時間後ぐらいに、朝5時ぐらいに目が覚めたら、何か書こう。ようやく『思考』の感覚が戻ってきた」と書いた。
 で、予想だにしなかったが、目が覚めたので書く。

とある友人の話

 前回の記事でも書いたが、とある友人が会社を辞めて実家に帰るのだという。
 僕はそれを聞いたとき、なんと言うことが適切だろう、と思った。

 それは、冷たい人間なのか。そのあたりが分からない。

 いやその、何故「冷たい」と自分で思うかといえば、ふつーの人は、「自然に」何か思うのではないか、ということである。

 でも僕は、「自然に」がよくわからず、どうしたら、相手が最も欲している言葉をかけてあげられるのかということを思ってしまう。


 しかし、それは本当は難しいことなのである。

 本当、も何も、基本無理だ。

 だって、その「辞める」理由も、その人の気質性格も、その人の来歴も、これからの展望も、様々な要素が絡み合う。

 そんな中で、いったいどうやって、「正解」を求められるのだろう。

正解はないのが正解

 だから、正解は、無いのである。
 正解がないから、「自分自身」が「自然に」思ったことが正解である。



 もう一度、俺は、自分に問いかける。
 そのとき、「僕」は、いったい、何をおもったのか。


 ――分からないのだ。



 いや、その、「相手の欲することを考える」って、良いことにも思えるじゃん。
 しかし、こういう批判はどうだろうか。

「結局、自分が傷つくことを恐れているんでしょ」

 と。

 それは、その面は、あると思う。

 要するに、「自分」というブランド(かっこわらい)が傷つくことを恐れているのである。
 完全無欠で常に正しいことを行う人間。

 お笑いである。

笑いの構造

 笑い、にできるなら良いが、笑いどころではないのが現状だろう。

 笑いとは、本来あるべき姿から、少し意外である場合に起こる。この「少し」が難しい。少しを過ぎると、「ひく」が起こる。理解不能になるからだ。

どういうブランドなのか

 いやはや、しかし、こうやって書いたことが、こうした表現は初めてだったかもしれないが、まぁ、もともと書いたりしているはずだ。

 しかし、「ブランド」という表現はわかりやすい気がする。
 自己同一性と同義で用いているのである。

 要は自分。



 そう、この問題を書くときに、書いておかなければいけないのは、――。

 いろいろ、失うのが怖い。
 俺は、――。

 ……ぷっつりと、思考が途絶えた。

 数分、何も頭に浮かばなくなった。


 なんだっけ。何の話だっけ。

 自我同一性。

 自分とは、記憶。

 俺は、誰だ。

 俺は、何だ。

維持すべき自分

 自分は変化する。
 しかし、変化しないものもある。名前。歴史(来歴)。

 書くことに執着しているのは、「自分が思った」ことは、紛れもない事実だから。

 だから、そこに、僕は、僕自身を探しているのか。


 そこに、「いる」のかもわからないのに。


 しかし、それぐらいしか、僕はやってこなかったから、他にやり方が分からない……嘘だ。
 他者とのかかわりも、試してみたじゃないか。

 そもそも、他者とのかかわり、って表現自体が間違っている気がする。そういうもんじゃない。ふつーの人は、「自然に」やるもんだ。



 生きることに必要なのは、金じゃないんじゃないか。
 必要なのは、モチベーションなんじゃないか。

すぐに答えはでない

 そう。
 この問題は、すぐに答えはでないのである。

 僕は何なのか。
 僕は何を維持したいのか。
 僕はどうなっていきたいのか。

 難しい問いなのだ。
 同時に、「僕」という存在は、関係性の中に存在する結節点に過ぎず、それ自体が存在するわけでもない、という考え方も抑えておかなければならないし、やれやれ、難しい問題だ。


 だからこそ、こうやって、長年書き続けなければいけないのである。

 それは、現状の、仕事の状況とか、プライべーどの状況とか、どういった創作物と出会って感じてとか、リアル・非リアルの他者の存在も含めて、考えていかなければいけないのだ。

 だから、書かないとダメなのだ。さぼっちゃダメなのである。

 前も書いたけれども、「書きたくない」ときこそ、書いたほうがいい。何故なら、そういう時の情報が、絶対、これまでも不足しているから(かっこわらい)。当たり前だ、「書きたくない」ときは書いていないだろうから、そのときの気持ちが表現された文章は少なかろう。

本記事の目的

 この記事では、もう一度、思い出そう。
 ルーチンとして、週間更新するのだと。中々、難しいが……。

 しかし、思えば、「難しい」ときにするための対策も、色々とこれまでも考えて、実践もしてきたはずである。



 何故最近更新ができなくなったのか。新しいゲームに手を出した、というのもあるが、土日に外出する場合が多かったというのもあるが、平日忙しかったというのもあるが、要は、それらによって、モチベーションが低下したことが直接の原因なのだ。

 ところで、結婚するとかしないとか、子供が欲しいとか欲しくないとか、一時期はそれについて触れていたけれども、最近は、それらを考えることすらなくなっている。

 いや、まぁ、「どうするんだ?」的なことを問われることもあったりするから、そういうときは、どっちでもいいか、的な感じである。


 しかし正直なところ、「結婚」=「子供」的な感じがする。
 敢えて結婚だけするという必要性が分からない――し、これは、他の別世代の人に話してみても、「確かに」という反応が多い気がする。

 まぁ、「逆」ではある。
 結婚して基盤がつくられるから、子供ができる、というのがこれまでの「ふつう」であったろう。
 しかし、ほんとかどうか分らんが、「経済的に」結婚が困難であるとしたとき――いや、ほんとかどうか分からん、というのは、「結婚」自体は別に役所に紙を出せば済むだけだ。結婚式とかいろいろ、やろうとするとそりゃ金がかかるわけだし、男女のいっぽうが、一方を養うとすれば、そりゃあ「経済的に」問題は生じるだろう。

結婚の話になった

 話がそれたので、小見出しを変える。
 もう、ここまでくると、もう、昨日と打って変わったタイピング速度が出ている。そうそう、こんな感じだったんだ。思い出してきたよ。

 いやほんと、だからね、「結婚」の目的は何ぞや、って話である。
 僕は、このブログで書いたか分からないが、結婚したことはあるけれども、なんかこう、「焦って」したような気もする。
 ああ、そこら辺のもう少し、突っ込んで書いたほうがいいのかな。

 その頃の記事って、たぶん、探してないが、きっと十分に無いと思う。おそらく、俺が意図的に書かないようにしていただろうから。
 相手のこともあるし、個人情報的に、あんまり個別具体的なことは書かないように気を付けているのだ。

 身バレ。
 ううむ……怖いな(かっこわらい)。

 別に、信頼おける方なら構わないが……いや、違う、これは、ちょっと違う気がする。
 そもそも「リアル」的なことにおいて、利害関係がある人は、僕は多分、信用できない気がする。

 それは、例えば、大学の友人たち、であってもだ。

 僕は、SNS的なのをやりたいとは思わない。いやまぁ、大学時代は、相当やっていた気がするが……。

あとがき

(かっこ書きである。長くなった。時間切れが近づいているし、あとがきも書かなきゃだから、終わろう。ということでかっこ書きである。あー、「長くなった」って表現も、久しぶりだな。そう、そうなんだよ。書くこと、たくさんあるはずなのだ。しかし、ものすごくモチベーションが低下していた。何なんだこれは。いやーしかし、戻った戻った。何だ、やっぱり、この程度の駄文なら全然楽勝じゃないか。ほんと、しかし、最近この程度も書けなくなってたから、昨日とかは、「ほんと俺はどうしてしまったんだ」と変に落ち込んだ。落ち込むべきところは他に色々あるだろうが。あ、そうだ、更に思い出した。昨日の記事で「何もしていないと書けない」とか、タイトルか小見出しで書いていたが、それって、例えば、旅行に行ったり、仕事で云々していたり、そういうケースである。つまり、何もしていないわけでは当然ないのだが、「思考」にかかわることをしていない、ということなのだ。いや、それもおかしな話で、別に、様々な行動と結び付けて思考すべきだ、と上に書いた通りであって、であれば、別に書けるはずなのだ。にも拘わらずかけないのは、その、個人情報的云々が強すぎるからであるだろう。つまり、踏み込んで書くと、直接的過ぎてしまう、という場合だ。難しいなぁ。であれば、信頼できる方だけの、とある友人もそうしているが、パスワード付きのブログにしてしまうとか。なんか、違うんだよな。俺は広く、一般的に書きたいのだ。ええと、この辺りは、ブログの目的的カテゴリを読めば思い出すだろうか。ああ、もう、そのレベルのことすら、最近は忘れてしまっていたのか。とにかく、書くべきことは色々あるはずなのだ。モチベーションがどうこうとか、そんな甘ったれたこと言ってんじゃない)

<約50分>

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何かしていないと書くことも浮かばん
2019/07/29 00:50 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「何とか更新はしよう」

前書き

 シロガネ読み終わる。
 外は暑かった。
 資格の勉強をする。
 ドライブは気持ちがよかった、暑かったが。

一人でいる時間がないとブログは書けない

 なんか、こう、空いてる時間にちょろっと書く気に全然なれんのである。

 先日、「1年前の今頃リンク」をはっつけたわけだが。

blogがさっぱり更新できなくなって、はや数ヵ月。といっても、半年は経ってないんだな。
諸氏は、こやつ、飽きたんだな、と思われるだろう。断じて違う。光速に否定する。かきたい気持ちは高まっている。コメントにも返信したいし、他の方のblogなどにもコメントしたい気持ちが沸き上がっている。
しかし、かけない。
原因は、環境にある。物理的な時間が問題なのではない。
ので、ノートパソコンなど欲しいなって気もする。
ああしかし、いったいどうしたらいいのだ。
悩む。
 という、まぁ、同じようなことを書いていた。
 成長、ないな、という気がする。

スランプ状態のときにどうすべきか

 仕事が忙しいのである。
 これが問題だ。

 先日、会社の人たちに、愚痴も多数話しをしたわけであるが。
 愚痴っても解決するもんじゃないが、しかし、「あれ、君、意外とそういうことも思ってるんだね」的な感想を抱かせたのではあるまいか。

 俺も、悩ましい。
 いやつまり、「本来求める姿」を求めたときに、多分、それは上手くいかないんだろうということである。

「自分らしく」

 なんて言葉が大嫌いである。現実と理想とを漸近的に擦り合わせていく以外に人生はありえないのである。
 急激なダイエットも、男性器増大もそんなもんありゃしないのである。


 何の話だ。
 スランプである。

 何のだ? 「思考」のである。


ルーチンしないとダメだな

 全然だめだ。
 何がダメって、その、「書けない」のである。
 書こうとすると、いろいろ浮かんできて、イライラする。

 いや、本来、それもまたよかったのだ。イライラすることで、それで書けていたことは少なくない。
 今は、イライラだけ進んで、書けないのだ。


 うーむ……。

 うーむ。

 ああ、そうだ。とある友人が、仕事を辞めて実家に帰るらしい。
 お疲れ様でした。

 ――いいや、そう、俺はふと思った。思い出した。

「どういう反応が正しいのか」

 ということをやはり、考えてしまうのである。

少しのってきた

 そう、「面倒くさい」という思考が溜まりまくっている。
 本当にもう、遊んでいたい。gta5なりarkなりしまくって遊んでたい。

 そうもいかない。

 仕事はしないといけない。

 しかし、「ほどほどに」仕事をしたいのである。
 いや逆に、「ほどほど」だったら、もう少し、「頑張る」気にもなる。

 いや何か上手く表現できていない。まぁいいや。最初に浮かんだ表現なんだから仕方がない。

 なんか、こう、頑張りたくないんだけど頑張らなきゃ、ってなる。
 というか、頑張りたくないわけじゃないんだけど、何をもって頑張ることになるかが皆目分からん。

 それなんだよな。

 頑張る方向性が分からん……ていうか、先日、いろいろ、会社の人たちと話しても思ったが、結局分からんのである。

 わからん中でやっていくしかないのである。

 いやいやいや、訳が分からない。

混乱期

 何かこう、まとまったことを書こうと思えば思うほどドツボにはまる。

 いや、落ち着け、まずもって、「ルーチン」が壊れ始めているから良くないのだ。

 浄土宗じゃないが、念仏を一心不乱に唱えることが重要なのだ。
 別に念仏でなくてもいいが、筋トレでも、ブログ更新でも、「どんな時でも続ける」ということが無ければならないのだ。

 ……しかし、これは難しいことであるということは、理解はしておくべきだ。
 そもそも、最近の平日を振り返ってみるがいい。22時~23時帰宅ばかりである。

 ほぼ寝るだけ。

 土日にイベントがあるときは別としても、まぁ、昼まで寝たりするわけだ。

 すると、日曜日にかけても、十分な活動ができなくなる。悪循環。


 今回の記事も中身がないが、目的はただ一つ、「書くこと」である。

あとがき

(かっこ書きである。酒をあおる。ああ、旨いな。しかし、飲みすぎると明日頭が痛くなってダメだろうな。良薬口に苦し、違うか。「ぐだぐだ」言ってるが、あれだ、「真剣さ」が足りないな。すまない。「明日死ぬとしても、今その行動をするのか」、この問いに、俺は十分に答えられないだろう。だが、今、こうして「書いている」ことは、否定しない、できない。ほんと、自分の7年、8年前の記事など、読んでもさっぱり分からない。だが、「何かは書いていた」のだ。――しかし、何故俺は、こうも「書く」ことに執着するのか。無執着が真理だと言ってなかったろうか。何故、「口に出す」ことではなく、「書く」ことなんだろうか。おそらく、ボイスログ、も、本質は同じ気がする。だが、「再現性」で書くことに及ばないからではないか。再現性というのは、確かに、そのときの声色的には、そっちのほうがいいだろう。だが、その再現の粒度ではなくて、「ばーっとよむ」ことができるから、書いておいたほうがいいのだ。どこでも読めるしな。いや、その媒体的な問題じゃなくて、なぜ、過去の自分の思考なんてものを重要視するのか、ということだ。でも、自分って、「記憶」じゃなかろうか。ふと、24時がまわって、静かな時間が訪れるが……「死」って怖いなと、やはり思う。そういえば、昼過ぎまで寝ているときに、そんな、死に直面するような夢を見ていた気がする。ああ……少し、落ち着いてきた。訳が分からない混乱が整理されてきたようだ。「死を思う」ことが、少しだけ、明確性があるのである。仕事を頑張る、ことは悪いことではないだろう。しかし、「訳が分からない」ことなのである。誰のための仕事なのか、何のための仕事なのか、これが何の役に立っているのか、分からないことだらけだ。しかし、「死」だけは、自然だ。明確だ。明らかだ。分かりやすい。だからイイ。誰にも、平等に訪れるであろう死は、とても素晴らしいものですらあるのかもしれない。「ある。」と、書ききってしまいそうだが、「蓋然性」を書いた。死が素晴らしいものであろうなどと、まったくもって、害悪である。失言である。断罪される。しかし、そういう意味ではないのだ。「死を思う」ことは、生きていなければできないことなのである。「死」という概念は、「生」があってこそ成り立つのである。――ここまで、2時間ぐらい費やしたろうか。ようやく、「戻ってきた」。思考している感じになってきた。ああ、ほんと、この記事の本文書いているときはつらかったわ。まぁ、その、2時間かかるのか。やる気がなくても、2時間かければ、段々戻すことはできるのか。しかしコストパフォーマンス悪いな。23時帰宅して2時間はかけられんしなぁ。昼過ぎまで寝てから、家事も何もされてない状態で、2時間使う気にならんしなぁ……っと、そういう分析もようやっと、できるようになる。よし、ここは、もう眠りにつくために布団に入り、筋トレをしてから、朝5時ぐらいに起きられたら続きを書いてみよう。きっと95%無理だろう)

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シロガネ⇔ストラグル
2019/07/24 19:40 | Comments(0) | 創作について
今日の一言「レビューのための下書きだ」

前書き

 みなさん、『シロガネ⇔ストラグル』という作品をご存じだろうか。
 オークやらエルフやらの異世界に、これまた全く異なる時空間で存在する異世界の英雄が、なんと3人も召喚される。そして、それぞれの世界における英雄たる力をメタ的に駆使し、エルフの王国を救うためにドッタンギッタンする作品だ。
 ご存じない方は、面白いから、すぐに読んだほうが良い。

 ここから読める


 しかし、手放しでお勧めできるかといったときに、もう少々、改善の余地があるのではないかと思うがゆえにこの記事を書き起こす。
 大作長編なことと、遅読過ぎて、いまだに最後まで読めていないため、ここで書くことが的を射ているかどうか分からない。そもそも、批評などというものに正解などないと思うが、そういう次元に至ることすらできていない(自分の感覚が定まっていない)ので、あくまでも下書きということにしたい。

前提として掴みはバッチリ

 上に書いた、なんともざっくりな説明のとおりであるが、何となく興味がそそられるだろう。
 しかし同時に思うはずだ。
「メタ、というが、複数の世界観を同時に一つの作品で取り扱って、整合性はとれるのか(世界観は崩壊しないか)」
 と。
 それは全く心配ない。
 5話ぐらいまで読めば、その作者の技量がすぐに分かると思う。その圧倒的筆力、表現力によって、これから始まるであろう壮大な物語を感じずにはいられないはずだ。

一話の構成が気になる

 しかし、気になった点がある。
 これは、作品自体というよりも、投稿するという媒体にゆえんする気がするため、書くべきか悩んでいた。

 しかし、悩んでも仕方がないし、そもそも、「激辛批評」という、もうそれは率直な、忌憚ない意見が必要である作品であれば、書くべきだろうと思った。

 前置きが長いが、要は、「一話」の構成についてである。


 そもそも、紙媒体の小説において、「1話」というのはあまり認識されないかもしれない。
 ただ、小説であっても「目次」はあるし、それにサブタイトル(小見出し)がついているケースは多いだろう。

 大体、ネットで投稿されている作品の1話は、諸説あるんだろうが、だいたい3000字ぐらいがちょうどよいとされる(要出典)

 だが、僕はそれほど文字数に拘る必要はないと思う。
 思うが、「1話」は、読者に「クリックさせる」ものであることを意識する必要がある。これは紙媒体と異なる点だと思う。(だから書くべきか悩んだ。悩んだけど、紙でも、「第1章終わり……」ってなったら、じゃあ明日また読もうかな、って思ったりしたりするから、無関係でもない気がする)


 回りくどい。
 要は言いたいのは、1話で、起承転結が完結してあるべきだ、ということだ。

 言うは易し。いや、ここで起承転結という表現が正しいか分からないので、少し説得力をもたせるために書籍(『工学的ストーリー創作入門』)を引用すれば、

 P.266にて、「カット・アンド・スラスト・テクニック」なるものが提示されている。
 ネーミングは正直、読み返すまで忘れていたが、「シーンか章の最終段落か、最後の一行で何か新しいこと、意外で魅力的な何かを提示して驚かせる。それがシーンの結論になるかどうかは場合によるが「どういう意味で、何が起きるか」に的が絞られると読者は続きを読まずにいられない」」とのことである。

 僕が書いている「1話」と、上の話がリンクするかどうかはもう一度よく考えてみる必要があるが、十分に「次に何が起きるか」を呼び起こさせられていない話があると思われる。

 通信装置か。間もなくここに敵Aがやってくる。
 だが、狙いは何だ? 玉座だと? そこに行ってどうするつもりだ?
 まぁ、いずれにせよ。
「……こちらの勝ち、であるな。」
「なに?」(敵B)
「時間をかけすぎである。本当に警戒すべきは小生ではないのだよ。」
 口角を釣り上げ、優美な笑みを見せる主人公C。
《なに……馬鹿な!》
 竜の細工より、敵Aの狼狽が伝わってきた。
「色は一つ。混じるものなし」話の、最後のシーンである。
 このシーンの前に、敵Bなる存在が、これまで優勢であった主人公Cに対して対抗策を講じ、主人公Cは、それに対して有効な手段を見いだせずにいる。要するにピンチに陥ったわけだ。
 それに対して、敵Bへの「こちらの勝ち、であるな」のセリフであって、さらに敵Aの狼狽でシーンが終わる。

 何が起きたのか、読者として気にならないわけはない。

 一方で、物語が進んでいるのか、何か変化があるのか、どういう意味なのかが、よく伝わってこない話もあるため、そのあたりを、他の話にまとめたり、カットしたり、別の個所に移動したり、工夫ができるのではないか、ということである。といったところで時間切れ。

後書き

(かっこ書きである。「もっと面白くなる気がする」と思う。だから、ちゃんと書きたいと思った。しかし、「時間をかければ満足のいくものができる」という思考は、人生という有限をもつ僕らにとって、有害でしかないのではないか。まぁそれはともかく、早く最後まで読めっちゅー話である。――補足、「絢爛道化芝居」まで読む。面白い)

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