今日の一言「前回は3月25日」
忙しかったから書けなかったというよりは、精神的リソース――なんか、中二病的な表現だが、気持ち的に余裕がなかった、というだけである。
しかし、気持ち的、というたら、このブログの優先度は、生活の中でも高い方だったのでは、という気もする。睡眠よりも高いぐらいに設定したのでは。しかし、睡眠には勝てないことは、もう何十年の経験で分かっている。
とにかく、毎日終電のときも書いていたときもあったから、ブログを書けないことの理由など、何もないのである。
――反省。
反省とは、何か。やるべきことを為せなかったときに、その原因を考えることなのか。責任とは、自由の中での制約である。どうやって行動するかは、選択肢があるが、その自分の選択がもたらしたこと、結果に対して引き受けることが責任である。
誰かのせいにばかりする人は、責任を果たしているとはいえない。
しかし、反省とは何か。どうしたら、反省になるのか。
時間とめられない。高速で移動するものとそれを観測するものとで、相対的な時間は変化するが(高速で移動するものの時間は相対的に遅い)、過ぎ去ったことは戻らない。
ブログを書けなかったことを反省するとは、どうすればいいのか。
ブログの機能で、過去の時間に投稿したことにして、その、一週間分ぐらいをまとめて書けばいいのか。
できない。
それは意味のあることではない。
時間の流れの中で、過ぎ去ったことは、もう戻らないのだ。
だからこそブログが大事なのだ。一週間前の記事は、もう、二度と、一生、どうやったって、書くことはできないのだ。
永遠に、失われてしまったもの――果たして、生み出されもしなかったものが、失われたものというのかは分からないが、とにかく、もう見ることはできないのである。
えっと、未来の自分等にメモしておけば、仕事環境が変わったり、年度変わりで業務がたて込んだりと、仕事面が強いと思う。
昨年度よりは大きくないとはいえ、結構変わった。たぶん、やることも変わるだろう。覚えることも新しくいろいろ出てくるだろう。
そういう結果、メンタル的に、ブログを書くことを後回しにしてしまった、ということなんだと思う。――「なんだと思う」なんて、責任を果たしていない書き方である。すんません、何の成果もあげられませんでしたああああ!!!(進撃の巨人前々団長風に)
と、このまま終わると、まえがきよりも本編が短い記事になってしまうので、何か書かねばならない。しかし、一週間以上もたってしまうと、何も書けなくなるものである。
うーむ、なんか、書こうと思ってたこと、あった気がするのであるが。
本読むとな、いろいろ書きたいこと浮かんでくるんだけど、最近全然読めてないなぁ。「火星の人」も、半分ぐらいで止まってしまっている気がする。あれ、面白い作品だったなぁ、ただ、また読み始めると、いろいろ忘れているんだろうなぁ。
ああ、一つ思い出した。
イド:インヴェイデッドを、アマプラで最後までみた。
面白かった。
けれども、後半、11話以降の進展が早すぎて、ついていけなかった。
なんか、黒幕さんがついに判明するのだが、黒幕氏も、「私は私の正義を追求しているのですよ」とか仰られていたが、全然ぴんとこなかった。あと、割と重要な登場人物の一人が、イドの世界で亡くなってしまうが、その人は現実でも死んでしまったらしい。何故か。そうしたら、その人以外の大勢も亡くなったということか。それが昏睡して目が覚めなかった人たち、ということか、それを公安は世間には秘匿しているということだが、イドの世界で死んだ人たちは大勢だったのに、秘匿なんて可能なのか。
まぁでも、面白かったと思う。
最近みた作品の中ではトップクラスかな。
じゃあお前、最近見た作品ってなんかあったのか、と言われると、――わからん。ゾンビランドサガは割と面白かったけど、それみたのって、もう1年前ぐらいじゃなかろうか。――え、まじか。早いな時間すぎるの。ちょっと気になって、自分のブログを検索する。2018年12月ぐらいからだそうだ。うひゃああ、まじ、1年前じゃないか。俺、割と最近な気もしていたぞ。
人生、長いようで短いな。
寝ている場合じゃない――が、しかし、睡眠に勝ることは、何もないのである。寝なきゃ死ぬ。寝すぎても(早く)死ぬみたいだが。(要出展)
あれだ、どういう作品みたか、映画でも、本でも、できるだけ書いておいたほうがいい気がする。なんか、それがどう役に立つかわからないけど。
まえがき
年度が変わってから、なんと、初めての記事だったのか。忙しかったから書けなかったというよりは、精神的リソース――なんか、中二病的な表現だが、気持ち的に余裕がなかった、というだけである。
しかし、気持ち的、というたら、このブログの優先度は、生活の中でも高い方だったのでは、という気もする。睡眠よりも高いぐらいに設定したのでは。しかし、睡眠には勝てないことは、もう何十年の経験で分かっている。
とにかく、毎日終電のときも書いていたときもあったから、ブログを書けないことの理由など、何もないのである。
――反省。
反省とは、何か。やるべきことを為せなかったときに、その原因を考えることなのか。責任とは、自由の中での制約である。どうやって行動するかは、選択肢があるが、その自分の選択がもたらしたこと、結果に対して引き受けることが責任である。
誰かのせいにばかりする人は、責任を果たしているとはいえない。
しかし、反省とは何か。どうしたら、反省になるのか。
時間とめられない。高速で移動するものとそれを観測するものとで、相対的な時間は変化するが(高速で移動するものの時間は相対的に遅い)、過ぎ去ったことは戻らない。
ブログを書けなかったことを反省するとは、どうすればいいのか。
ブログの機能で、過去の時間に投稿したことにして、その、一週間分ぐらいをまとめて書けばいいのか。
できない。
それは意味のあることではない。
時間の流れの中で、過ぎ去ったことは、もう戻らないのだ。
だからこそブログが大事なのだ。一週間前の記事は、もう、二度と、一生、どうやったって、書くことはできないのだ。
永遠に、失われてしまったもの――果たして、生み出されもしなかったものが、失われたものというのかは分からないが、とにかく、もう見ることはできないのである。
イド:本編なるものも特にない
――という前書きだったとさ。えっと、未来の自分等にメモしておけば、仕事環境が変わったり、年度変わりで業務がたて込んだりと、仕事面が強いと思う。
昨年度よりは大きくないとはいえ、結構変わった。たぶん、やることも変わるだろう。覚えることも新しくいろいろ出てくるだろう。
そういう結果、メンタル的に、ブログを書くことを後回しにしてしまった、ということなんだと思う。――「なんだと思う」なんて、責任を果たしていない書き方である。すんません、何の成果もあげられませんでしたああああ!!!(進撃の巨人前々団長風に)
と、このまま終わると、まえがきよりも本編が短い記事になってしまうので、何か書かねばならない。しかし、一週間以上もたってしまうと、何も書けなくなるものである。
うーむ、なんか、書こうと思ってたこと、あった気がするのであるが。
本読むとな、いろいろ書きたいこと浮かんでくるんだけど、最近全然読めてないなぁ。「火星の人」も、半分ぐらいで止まってしまっている気がする。あれ、面白い作品だったなぁ、ただ、また読み始めると、いろいろ忘れているんだろうなぁ。
ああ、一つ思い出した。
イド:インヴェイデッドを、アマプラで最後までみた。
面白かった。
けれども、後半、11話以降の進展が早すぎて、ついていけなかった。
なんか、黒幕さんがついに判明するのだが、黒幕氏も、「私は私の正義を追求しているのですよ」とか仰られていたが、全然ぴんとこなかった。あと、割と重要な登場人物の一人が、イドの世界で亡くなってしまうが、その人は現実でも死んでしまったらしい。何故か。そうしたら、その人以外の大勢も亡くなったということか。それが昏睡して目が覚めなかった人たち、ということか、それを公安は世間には秘匿しているということだが、イドの世界で死んだ人たちは大勢だったのに、秘匿なんて可能なのか。
まぁでも、面白かったと思う。
最近みた作品の中ではトップクラスかな。
じゃあお前、最近見た作品ってなんかあったのか、と言われると、――わからん。ゾンビランドサガは割と面白かったけど、それみたのって、もう1年前ぐらいじゃなかろうか。――え、まじか。早いな時間すぎるの。ちょっと気になって、自分のブログを検索する。2018年12月ぐらいからだそうだ。うひゃああ、まじ、1年前じゃないか。俺、割と最近な気もしていたぞ。
人生、長いようで短いな。
寝ている場合じゃない――が、しかし、睡眠に勝ることは、何もないのである。寝なきゃ死ぬ。寝すぎても(早く)死ぬみたいだが。(要出展)
あれだ、どういう作品みたか、映画でも、本でも、できるだけ書いておいたほうがいい気がする。なんか、それがどう役に立つかわからないけど。
あとがき
(かっこ書きである。はぁ……。なんか、年々求められるものがハードになっている気もする。後輩の指導とかいったって、全然違う部署で全然違う仕事したときに、指導って、指導どころか教えて頂かないと分からないでしょう。まぁ経営は、どんな分野でも成り立つようだが、次元が違う話をしても仕方がないか。そうなると、簿記とか、法律読むとか、そこら辺のスキルがある程度普遍性があるといえばある。簿記受験してみようかなぁ。まぁ、試験が昨今のパンデミックで行われるか分からないが。まぁでも、簿記を受けるとして、――簿記試験次は6月らしい、それの勉強状況を書くとすれば、こんな、一週間も書けないとかふざけた状況は起こらない気がする。割と反省している。まぁ、前科としては、3年? 5年? ぐらい行方をくらましたことがあった気がするので、一週間ぐらいたいしたことな――いやいや、そういう問題じゃない。――いや、そうじゃない。スキルというよりも、コミュニケーション的なものを要求されているのだろう。俺が苦手なやつである。いや、できるよ。できる。やろうと思えば。ただ、ものすごいストレスだし、難しい調整を成し遂げて、それをなんか、「やり遂げた!」的に思えない。「ああ、よかった無事に終わった」ぐらいである。全然やりがいを覚えない。それより、何か作ったり生み出したら使ってもらったり説明したりする方がよっぽど楽しい。いやだから何度も書いている気もするけれども、リーダーが、その成果物のイメージをもって、それを作るために実際に作る作業はメンバーにお願いする、というのは、やりがいがあると思う。アニメの監督のような仕事。蟲師のDVDの特典映像で、メイキングのインタビューとか収録されていたのをみたことがあるが、撮影(動画にする人)とか作画とか音楽とか、様々な要素でアニメは成り立っている。いろんなプロフェッショナルたちの集大成が、25分そこらの作品として届けられるのだ。それを取り仕切って、方向性を見定めて、一つの作品にする仕事が監督なのだ。それはすごくやりがいがある仕事だと思う。いっぽうで、知らない部署にいって、何やってるかもわからない=要は、「完成品」が分からないで、そのリーダーをやるって、面白くないと思う。いやその、「完成品」を裁量をもって決められるならまだいいのだろうが、「完成品」自体は決まっていて、その完成品を完璧にしあげるだけ――そして、仕上げることが「当たり前」であって、特に新たに評価されるわけでもない――となれば、モチベーションになるのは、「金」(給料)ぐらいなもんだろうと思う。そういう仕事に、リーダーって必要なのか。……必要だと思う。「手順」「プロセス」を守る人がいなければならない。あーえーあー、面白くないことを書き始めた。強制終了する)PR
今日の一言「23時ごろ帰宅」
オリンピックが延期になるそうである。
あと、イタリアで、一日に700人ぐらい死亡したらしい。
この、700人という数字をニュースでみたとき、僕は驚いた。
しかし、数秒後に思った。
そういえば、日本での1日の死者数は3000人以上であった。そう考えると、700人は多いのか、少ないのか。そもそも、普段のイタリアの1日の死者数はどれほどだったのか。
もう一つ思ったのは、「新型コロナウイルス感染症で」とは、ニュースでは言っていなかった。文脈的には、そうとしか思えない流れだった。ただ、イタリアでは火葬が間に合わず、棺桶がたまっていってる、という内容が流れていた。
まぁ、ニュースになるぐらいだから、コロナの影響でのことなんだろうけれども、数字(今回は、日本での死者数)のインプットがあると、感情的にびっくりすることに対して、少し冷静になれる気がする。まぁその数字が実感もてるかどうかは別なのだが。
太陽の800倍って言ったって、よく分からないっしょや。地球×109=太陽なので、109×800=87200倍がアンタレス、なわけであるが、全然意味不明(理解不能)である。
期間の考え方、よく分からなくなる。ので、ちょっとだけ整理したい。
例として、クーリングオフを挙げる。
クーリングオフは、8日以内に書面で通知すれば(申し出れば)キャンセルできる仕組み。
しかし、8日以内という言葉だけだと、生活上一切役に立たない。いつから数えるか(起算するのか)が分からないと意味がない。
クーリングオフは、契約申込日又はクーリングオフの記載がある書面を受け取った日から8日以内、とされる。(国民生活センター)
しかし、期間は、通常は、初日不算入の原則なるものがあるらしい。
つまり、3月1日に書類を受け取った日から8日間以内、といえば、3月9日までは有効期間である、と考えることが可能なのだ。
結論を書くと、クーリングオフは、契約申込日(又は云々の日)から起算して、8日間であるので、3月8日までが有効期間である。
(言い換えると、契約申込日から7日後まで有効、ということになる)
特定商取引法第9条を読むと、
>~「申込みの撤回等」という。)を行うことができる。ただし、申込者等が第五条の書面を受領した日~略~から起算して八日を経過した場合~略~においては、この限りでない。
となっている。
ちゃんと、受領日から「起算して」と書かれているので、初日不算入の原則はあたらず、初日を含めてカウントすることが読み取れる。
補足すると、条文的には、「撤回できるよー。でも、●●の条件のときはできないよー」となっている。その●●の部分が、「8日を経過した場合」となっており、「経過した」、と過去形なので、8日目までは有効で、その翌日からはもう撤回はできない、という作りになっている。
これ、慣れないと難しいなぁ。ので、国民生活センターさんのサイトでは、是非事例を載せて頂きたい……と声にならない要望(かっこ笑い)。
まえがき
昨日、アンタレス(星)は、太陽の(直径の)10倍――とか書いたが、800倍ぐらいだった。全然違ってた恥ずかしい。恥ずかしいが、削除ではなく、間違ったことを追記しておいた。間違いは素直に認めよう。分からないことは分からないと言おう。素直になることが大事――これがまぁ難しいことなんだけどね。オリンピックが延期になるそうである。
あと、イタリアで、一日に700人ぐらい死亡したらしい。
この、700人という数字をニュースでみたとき、僕は驚いた。
しかし、数秒後に思った。
そういえば、日本での1日の死者数は3000人以上であった。そう考えると、700人は多いのか、少ないのか。そもそも、普段のイタリアの1日の死者数はどれほどだったのか。
もう一つ思ったのは、「新型コロナウイルス感染症で」とは、ニュースでは言っていなかった。文脈的には、そうとしか思えない流れだった。ただ、イタリアでは火葬が間に合わず、棺桶がたまっていってる、という内容が流れていた。
まぁ、ニュースになるぐらいだから、コロナの影響でのことなんだろうけれども、数字(今回は、日本での死者数)のインプットがあると、感情的にびっくりすることに対して、少し冷静になれる気がする。まぁその数字が実感もてるかどうかは別なのだが。
太陽の800倍って言ったって、よく分からないっしょや。地球×109=太陽なので、109×800=87200倍がアンタレス、なわけであるが、全然意味不明(理解不能)である。
クーリングオフ
脈絡ないし、まえがきがやや長くなったが、今日思ったことを書く。期間の考え方、よく分からなくなる。ので、ちょっとだけ整理したい。
例として、クーリングオフを挙げる。
クーリングオフは、8日以内に書面で通知すれば(申し出れば)キャンセルできる仕組み。
しかし、8日以内という言葉だけだと、生活上一切役に立たない。いつから数えるか(起算するのか)が分からないと意味がない。
クーリングオフは、契約申込日又はクーリングオフの記載がある書面を受け取った日から8日以内、とされる。(国民生活センター)
しかし、期間は、通常は、初日不算入の原則なるものがあるらしい。
つまり、3月1日に書類を受け取った日から8日間以内、といえば、3月9日までは有効期間である、と考えることが可能なのだ。
結論を書くと、クーリングオフは、契約申込日(又は云々の日)から起算して、8日間であるので、3月8日までが有効期間である。
(言い換えると、契約申込日から7日後まで有効、ということになる)
特定商取引法第9条を読むと、
>~「申込みの撤回等」という。)を行うことができる。ただし、申込者等が第五条の書面を受領した日~略~から起算して八日を経過した場合~略~においては、この限りでない。
となっている。
ちゃんと、受領日から「起算して」と書かれているので、初日不算入の原則はあたらず、初日を含めてカウントすることが読み取れる。
補足すると、条文的には、「撤回できるよー。でも、●●の条件のときはできないよー」となっている。その●●の部分が、「8日を経過した場合」となっており、「経過した」、と過去形なので、8日目までは有効で、その翌日からはもう撤回はできない、という作りになっている。
これ、慣れないと難しいなぁ。ので、国民生活センターさんのサイトでは、是非事例を載せて頂きたい……と声にならない要望(かっこ笑い)。
あとがき
(かっこ書きである。ちなみに、クーリングオフの事例に直面したとか、まったく脈絡はない。いつもの何となく思っただけである。何故こんなことを何となく思ったのかは……なんでだろう。ただ、前々から、期間の考え方についてはモヤモヤしていたのだ。――ああ、そうか、なんか飲み屋とかチケットの予約とかのキャンセル日がいつなんだろうとか、そういうときにモヤモヤすることがあったような。大丈夫、とりあえずマルチ商法に巻き込まれたりなんぞしていないから安心して頂きたい(かっこわらい)。そして、コメントをもらっていたことに気づく、しかし、24時をまわってしまっているため、返信は明日にさせて頂こうと思うッ!!)
今日の一言「22時頃帰宅」
なんかこう、狭量だなぁ、と、自分のことを思った日であった。「他人にあんまり興味をもてない」というんは、よくないことだなぁと思う。仕事として――とか、まだ目的がはっきりすることはいいけれども、「友人関係」とか、仕事プラスαに関することとか、苦手だなぁと思う。
どうしたら得意になるのか。――たぶん、ならない。得意かどうか別にして、相応に対応はできる。以前このブログでも具体的な事象の一つとして、飲み会の席で先方の方に大層気に入っていただいたという件を書いたと思う。本気出せばなんとかやれる。ただ、成功の確率が高いか低いか、また、その成功したからといって、そこにかけた労力(精神的な面)が通常の人と比べてどうかという点からすれば、まともではない、のだろうと思う。
――まぁ、それはそれでいいや、と思っている。
ただ、世の中、社会関係資本だとか、「地縁」だとか、なんかそういった(仕事以外の)「つながり」というものを大事にしなければいけない、とよく言われるところであるから、大層不安に思うのである。めんどくせぇ……。
宇宙やばい。
本当は、太陽と地球の大きさや距離ぐらいの数字を事前インプットしていたほうが、より実感が大きかったと思う。
ただ、僕はこれまで天体について、勉強したことが殆どなかったので、殆ど前知識なく上の動画をみて、「ほへー」っとなった。
地球の直径:1万3000km
太陽の直径:140万km
ということで、太陽は地球の109倍の大きさなのだという。
そして、太陽と地球の距離は、1億5000万km離れているという。
光の速さで8分、というのは聞いたことがあった。
試しに、480秒(8分×60秒)×30万km/s(光の速さ)=1億4400万km と出たので、だいたいあってる。
これ、数字で10倍といわれても、想像力が少ない僕は、「ふーん」って思ったろうと思う。やっぱり、動画というか、映像すげぇということになるが、10倍の違いを見せられると、度肝を抜かれる。唖然とした。
<<<<<<訂正!!!訂正!!!
太陽が140万kmで、アンタレス14億kmとすると、100倍である。10倍じゃねえええ! そりゃ唖然とするほど差があるはずだ。
ちなみにもっと調べると、アンタレスは、太陽直系の800倍ぐらいだそうだ。何を思って、10倍と書いたか、わからん……。この前の事前バインディングの話も恥さらしだし、困ったもんである。
訂正ここまで>>>>>>
僕はようやく、天体という単元というか、勉強に興味を持ち始めた。それまでは、すまない、インターステラー面白かったとか(プラネテスとか宇宙兄弟とか宇宙のステルヴィアとか……あれ、見たことあったっけ? なんか単語は覚えている)言っていたが、宇宙自体にそれほど興味をもっていなかった。
ようやく興味を持ち始めて、あれ、そもそも、銀河ってなんのことなのだ? と、小学生? 中学生レベルのことを疑問に思った。
僕らの住んでいる地球が属するのは、太陽系である、ということまでは何となく知っている。
んで、太陽系に属する惑星は、すいきんちかもくどってんかいめい、……たしか、冥王星は準惑星になったんだったような。まぁ、地球含めて8種類ある。――ということまでは知っている。
じゃあ、さっき驚いた、アンタレスという星は、太陽系の外にあるということになる。(※)
それと銀河との関係はどうなのか。
※この表現が正しいのか疑問に思って、準惑星落ちした冥王星と地球との距離をぐぐると、48憶kmになる。んで、アンタレスは、550光年だという。1光年って、9兆kmぐらいなのだという。?? ケタが違いすぎてよくわからないが、とりあえず、アンタレスは肉眼でも見えるけれども、太陽系とは全く違う場所にあるってことは分かった。
で、太陽系が属するのを、「銀河系」というのだそうな。銀河系(ぎんが・けい)って、そういう意味だったんだ。……中学校で習う単元らしいが、まったく記憶にない!q
さておき、銀河の中心には、凸状の「銀河バルジ」と呼ばれる天体が密集している場所があるらしい。さらに銀河の中心には超ブラックホールがあるらしい。それを中心に天体が銀河系に集まっているのだという。
まえがき
うーむ……。なんかこう、狭量だなぁ、と、自分のことを思った日であった。「他人にあんまり興味をもてない」というんは、よくないことだなぁと思う。仕事として――とか、まだ目的がはっきりすることはいいけれども、「友人関係」とか、仕事プラスαに関することとか、苦手だなぁと思う。
どうしたら得意になるのか。――たぶん、ならない。得意かどうか別にして、相応に対応はできる。以前このブログでも具体的な事象の一つとして、飲み会の席で先方の方に大層気に入っていただいたという件を書いたと思う。本気出せばなんとかやれる。ただ、成功の確率が高いか低いか、また、その成功したからといって、そこにかけた労力(精神的な面)が通常の人と比べてどうかという点からすれば、まともではない、のだろうと思う。
――まぁ、それはそれでいいや、と思っている。
ただ、世の中、社会関係資本だとか、「地縁」だとか、なんかそういった(仕事以外の)「つながり」というものを大事にしなければいけない、とよく言われるところであるから、大層不安に思うのである。めんどくせぇ……。
天体について
まぁ、そんな、暗澹たる気持ちでいたが、最近見つけた天体についての動画――星の大きさを比較する動画をあらためて見て、よく言われるところの「宇宙に比べたら、俺の悩みなんてちっぽけだな」というときの、まさにその、「宇宙」の大きさについて実感した。宇宙やばい。
本当は、太陽と地球の大きさや距離ぐらいの数字を事前インプットしていたほうが、より実感が大きかったと思う。
ただ、僕はこれまで天体について、勉強したことが殆どなかったので、殆ど前知識なく上の動画をみて、「ほへー」っとなった。
地球の直径:1万3000km
太陽の直径:140万km
ということで、太陽は地球の109倍の大きさなのだという。
そして、太陽と地球の距離は、1億5000万km離れているという。
光の速さで8分、というのは聞いたことがあった。
試しに、480秒(8分×60秒)×30万km/s(光の速さ)=1億4400万km と出たので、だいたいあってる。
巨大な星アンタレス
太陽もめちゃくちゃでかいのだけれども、さそり座の一部のアンタレスという星は、直径14億km以上とのことだ。太陽の10倍である。これ、数字で10倍といわれても、想像力が少ない僕は、「ふーん」って思ったろうと思う。やっぱり、動画というか、映像すげぇということになるが、10倍の違いを見せられると、度肝を抜かれる。唖然とした。
<<<<<<訂正!!!訂正!!!
太陽が140万kmで、アンタレス14億kmとすると、100倍である。10倍じゃねえええ! そりゃ唖然とするほど差があるはずだ。
ちなみにもっと調べると、アンタレスは、太陽直系の800倍ぐらいだそうだ。何を思って、10倍と書いたか、わからん……。この前の事前バインディングの話も恥さらしだし、困ったもんである。
訂正ここまで>>>>>>
僕はようやく、天体という単元というか、勉強に興味を持ち始めた。それまでは、すまない、インターステラー面白かったとか(プラネテスとか宇宙兄弟とか宇宙のステルヴィアとか……あれ、見たことあったっけ? なんか単語は覚えている)言っていたが、宇宙自体にそれほど興味をもっていなかった。
ようやく興味を持ち始めて、あれ、そもそも、銀河ってなんのことなのだ? と、小学生? 中学生レベルのことを疑問に思った。
僕らの住んでいる地球が属するのは、太陽系である、ということまでは何となく知っている。
んで、太陽系に属する惑星は、すいきんちかもくどってんかいめい、……たしか、冥王星は準惑星になったんだったような。まぁ、地球含めて8種類ある。――ということまでは知っている。
じゃあ、さっき驚いた、アンタレスという星は、太陽系の外にあるということになる。(※)
それと銀河との関係はどうなのか。
※この表現が正しいのか疑問に思って、準惑星落ちした冥王星と地球との距離をぐぐると、48憶kmになる。んで、アンタレスは、550光年だという。1光年って、9兆kmぐらいなのだという。?? ケタが違いすぎてよくわからないが、とりあえず、アンタレスは肉眼でも見えるけれども、太陽系とは全く違う場所にあるってことは分かった。
銀河バルジ
そんでな、銀河ってのは、宇宙にたくさんあるんだってよ。で、太陽系が属するのを、「銀河系」というのだそうな。銀河系(ぎんが・けい)って、そういう意味だったんだ。……中学校で習う単元らしいが、まったく記憶にない!q
さておき、銀河の中心には、凸状の「銀河バルジ」と呼ばれる天体が密集している場所があるらしい。さらに銀河の中心には超ブラックホールがあるらしい。それを中心に天体が銀河系に集まっているのだという。
あとがき
(かっこ書きである。さらに、宇宙には、太陽系属する天の川銀河(ミルキー・ギャラクシー)以外にも、多くの銀河が存在しているという。もう、とりあえず、俺のイライラとか悩みとか、比べるとちっちゃすぎるなと思ったという、そういう記事として今回は終わる。まぁその、比較というのは、対外的に「客観的だ」として示すときには役に立つことは間違いないが、根本的に問題を解決する際には必ずしも有効とは限らないと、――これについてはこのブログで何度も書いたような気がするが、改めて書いておく)
今日の一言「1日、2日はさぼりあとは免除規定」
あるともいえるし、ないともいえる。人それぞれ。価値観の問題。
ただ、時間経過によって、自らの身体的、または精神的な変化を疑う人はいないだろう。人は変わる。
その変化のもっとも大きなところが、死である。
人生100年時代と言われる時代においても、その10倍近く生きることになる。
僕らが、3歳のころの記憶を殆ど失っているように、30代のころのことなど、300歳になったころには殆ど忘れているだろう。
今回のタイトルを、なんとなく、「認知機能と死」とか大したものにしてしまったが、認知というのは、記銘、保持、再生という3つの機能に分けられる、としたとき、そのどの機能が壊れたら、死になるのだろう。
ロボトミー手術で、前頭前野を切除された人は、無感情になるという。それは同一人物といえるのか。人格の変容があったとき、それは、その人としての「自己」または「自我」としての死なのではないか。
しかしこれは難しい問題であり、人は常に変化している(と、前小見出しで書いたところ)。
断裂。完全に切り分けてしまえるほどの変化があれば、それは死といえるのか。
徐々に、漸近的な変化は、死ではなく、変化。良い方向というニュアンスが含められるとき、成長という、としよう。
肉体は、まったく別であって、記憶だけが、「自分」を維持している状態。記憶とは、記銘・保持・再生が全く問題ない場合。
この理論においては、魂は、肉体とは別に存在するものということになる。二元論だ。
しかし僕は、どちらかといえば、一元論(物理主義……との明確な違いを述べるだけの知識がない。とりあえず、二元論との対比で、一元論、と言うことにしよう)を信じている。
魂の働きのように感じられる「思考」や行動も、肉体が織りなしている機能の一つに過ぎないものだと。天皇機関説みたいな……全然違うか。
そう、しかし、「僕」という現象も、「機関」のようなものだという、そういう感覚である。
これは、最後の審判を信じている人たちとは、相いれない考え方なのかもしれない。異律、異端なのかもしれない。「僕」「私」という現象が、単に物理的な現象に過ぎないということは、生理的に認めずらいのかもしれない。
しかし、世の中は「元素」である。有機物も無機物も、元素である。(有機物の定義だけ、ググらせてもらおう。僕の理解だと、炭素と酸素の元素が含まれている奴が元素だ。――違った。炭素を含むやつは有機化合物という)
で、まぁ、その、炭素である。Cだ。カーボン。不思議だ。僕らの体は、炭素の化合物なのだ。
でもまぁ、その、「神経」……今あらためて見てみると、神経って、すごい漢字をあてているな。まぁ、その、神経も、たんぱく質――炭素でできている。もちろん、単独のCとは比べ物にならないほど複雑な化合物になっているものの、その構成要素はCなのだ。
タンパク質の構成元素は、C、H、N、Oである。20種類のアミノ酸がタンパク質(プロテイン)を作っている。
ちょっとまて、この小見出し、「異世界転生」じゃあなかったか。脱線しすぎである。
素晴らしい創作物を作ることもできる、神大な機能。それが人間であるといってよい。その機能について、見下げる必要などない。所詮は、などという下賤な言葉を使う必要はない。人間、すごい。ただそれだけでいい。
……。
まえがき
例えば、10代の時に思い描いていた夢――夢だなどという大層なものでなくても、刹那的な欲求でもよい、それと、今欲しているものとが一致することはありえるだろうか。あるともいえるし、ないともいえる。人それぞれ。価値観の問題。
ただ、時間経過によって、自らの身体的、または精神的な変化を疑う人はいないだろう。人は変わる。
その変化のもっとも大きなところが、死である。
メトシェラ
聖書で最も長寿とされる969歳で死亡した聖人。人生100年時代と言われる時代においても、その10倍近く生きることになる。
僕らが、3歳のころの記憶を殆ど失っているように、30代のころのことなど、300歳になったころには殆ど忘れているだろう。
今回のタイトルを、なんとなく、「認知機能と死」とか大したものにしてしまったが、認知というのは、記銘、保持、再生という3つの機能に分けられる、としたとき、そのどの機能が壊れたら、死になるのだろう。
ロボトミー手術で、前頭前野を切除された人は、無感情になるという。それは同一人物といえるのか。人格の変容があったとき、それは、その人としての「自己」または「自我」としての死なのではないか。
しかしこれは難しい問題であり、人は常に変化している(と、前小見出しで書いたところ)。
断裂。完全に切り分けてしまえるほどの変化があれば、それは死といえるのか。
徐々に、漸近的な変化は、死ではなく、変化。良い方向というニュアンスが含められるとき、成長という、としよう。
異世界転生
トラックでひかれて、異世界で王子様に転生するという作品があったとして、転生したのはトラックの方だった、という漫画があって、電車で吹き出しそうになったが、まぁそういうトリッキーなものは置いておいて、魂が転生するものだとしよう。肉体は、まったく別であって、記憶だけが、「自分」を維持している状態。記憶とは、記銘・保持・再生が全く問題ない場合。
この理論においては、魂は、肉体とは別に存在するものということになる。二元論だ。
しかし僕は、どちらかといえば、一元論(物理主義……との明確な違いを述べるだけの知識がない。とりあえず、二元論との対比で、一元論、と言うことにしよう)を信じている。
魂の働きのように感じられる「思考」や行動も、肉体が織りなしている機能の一つに過ぎないものだと。天皇機関説みたいな……全然違うか。
そう、しかし、「僕」という現象も、「機関」のようなものだという、そういう感覚である。
これは、最後の審判を信じている人たちとは、相いれない考え方なのかもしれない。異律、異端なのかもしれない。「僕」「私」という現象が、単に物理的な現象に過ぎないということは、生理的に認めずらいのかもしれない。
しかし、世の中は「元素」である。有機物も無機物も、元素である。(有機物の定義だけ、ググらせてもらおう。僕の理解だと、炭素と酸素の元素が含まれている奴が元素だ。――違った。炭素を含むやつは有機化合物という)
で、まぁ、その、炭素である。Cだ。カーボン。不思議だ。僕らの体は、炭素の化合物なのだ。
でもまぁ、その、「神経」……今あらためて見てみると、神経って、すごい漢字をあてているな。まぁ、その、神経も、たんぱく質――炭素でできている。もちろん、単独のCとは比べ物にならないほど複雑な化合物になっているものの、その構成要素はCなのだ。
タンパク質の構成元素は、C、H、N、Oである。20種類のアミノ酸がタンパク質(プロテイン)を作っている。
ちょっとまて、この小見出し、「異世界転生」じゃあなかったか。脱線しすぎである。
物理主義(一元論)
とにかく、「徹底的に考える」とか大層なことのようなブログタイトルにしておいて、考えるということも、「所詮は」元素の化合物が織りなす現象なのである。いやそれはすごいことなのだが。素晴らしい創作物を作ることもできる、神大な機能。それが人間であるといってよい。その機能について、見下げる必要などない。所詮は、などという下賤な言葉を使う必要はない。人間、すごい。ただそれだけでいい。
……。
あとがき
(かっこ書きである。おぉ、やる気よ、死んでしまうとは情けない。……なんというか、「やる気」が起きない。何に対しての、やる気なのか。せっかく、まだ所詮は若造の30代なのにかかわらず。何を成そうとしているか、何をなそうとするべきか、分からない。ただ思うのは、恐怖……恐怖書くと仰々しいが、物語に触れ、楽しむという感覚さえも、磨き続けなければ衰えてしまうのである。ただ白い天井を蒙昧と見て毎日を過ごすだけの日常に成り下がるのか。――俺は何を言っている。だが、未来の、過去の俺は分かってくれるはずだ、この、微妙な感覚を。こういうときは、ただ、無心に筋トレをするしかない。いやほんと、それしか正しいことはない)
今日の一言「20時半頃帰宅」
日経平均株価は一時16,000円台になったらしい。
それはともかく、スカイリム……じゃなくて、スカイハイじゃなくて、ええと、なんだっけ、そう、車じゃないほうのスカイラインの2部作、「奪還」を見た。
割と高評価な映画のようである。
映像としては良かったと思う。エイリアンも、カンフー(カラテ)アクションも、巨大戦闘ロボット大戦も、良かったと思う。
なので、何が不満かというと、ストーリーである。んで、たぶん、1作目の方は、「だらけた」という感じがしたが、2作目は、そうでもなかった。おそらく、映画の三幕構成とか、ちゃんと踏まえられているのだろうと思う。
プロットポイント1は、地下鉄が止まって脱出するシーンだろう。
ミッドポイントは、いったん捕らわれた宇宙船からの脱出。
プロットポイント2は、エイリアンの目的が明らかになり、その対抗方法(ワクチンのようなものを作り出す)を得るところだろう。
――試しに、アマゾンプライムのプレーヤーの時間を、おおよそ4分割したその区切りの時間を再生すると、大よそ上で想定したシーンであったので、合ってる気がする。
ので、「面白い」とされるストーリーの構成の原則にはあてはまっているのだろうが、しかし、なんか、その関連性がイマイチであった。
原因は、それ以外の部分にある気がする。
それぞれのシーンに関連性というか、必要性があまり感じられないし、人物に深み(アーク・変化)がないし、「文体」が映像ということだとすると文体はよかったものの、コンセプトとテーマがそれほど目を引くものでもないし……と、批判するのは簡単だが、まぁその、正直な感想なので仕方がないだろう。
ただ、この作品は、映像として――カンフーやCGなどによって「魅せる」作品な気がする。
小説でこういったストーリーにしたら、いくら素晴らしい文体で紡いだとしてもヒットしないことだろう。
まぁその、なんだ、とはいえ、年を取るにつれ――という表現は正しくないかもしれないが、物語を見たり読んだりするのも、割と体力を使うようになっているのである。面白い作品を見たい読みたいという気持ちは衰えていないと思うけれども、イマイチな作品(このイマイチ基準が段々厳しくなっているような気もするが)を見た時の「疲れ」感覚を割と思うところだ。
これ、例えば、攻殻機動隊を僕はスゲー面白い☆5ぐらいで思っているが、果たして、今初見として見たときに、手放しで☆5になるか、これが分からない。
つまり何が言いたいかといえば、物語に触れるタイミングというのも、非常に重要だということだ。
まえがき
あー、もう、むしゃくしゃするぜぇい、といった一日であった。日経平均株価は一時16,000円台になったらしい。
それはともかく、スカイリム……じゃなくて、スカイハイじゃなくて、ええと、なんだっけ、そう、車じゃないほうのスカイラインの2部作、「奪還」を見た。
スカイライン奪還感想
1部作よりは面白かった。が、単純に面白かったかといわれたら、面白くはなかった。アマゾン☆レビューをすれば、☆3つ、ぐらいかな。前作は☆2つかなぁ。割と高評価な映画のようである。
映像としては良かったと思う。エイリアンも、カンフー(カラテ)アクションも、巨大戦闘ロボット大戦も、良かったと思う。
なので、何が不満かというと、ストーリーである。んで、たぶん、1作目の方は、「だらけた」という感じがしたが、2作目は、そうでもなかった。おそらく、映画の三幕構成とか、ちゃんと踏まえられているのだろうと思う。
プロットポイント1は、地下鉄が止まって脱出するシーンだろう。
ミッドポイントは、いったん捕らわれた宇宙船からの脱出。
プロットポイント2は、エイリアンの目的が明らかになり、その対抗方法(ワクチンのようなものを作り出す)を得るところだろう。
――試しに、アマゾンプライムのプレーヤーの時間を、おおよそ4分割したその区切りの時間を再生すると、大よそ上で想定したシーンであったので、合ってる気がする。
ので、「面白い」とされるストーリーの構成の原則にはあてはまっているのだろうが、しかし、なんか、その関連性がイマイチであった。
原因は、それ以外の部分にある気がする。
それぞれのシーンに関連性というか、必要性があまり感じられないし、人物に深み(アーク・変化)がないし、「文体」が映像ということだとすると文体はよかったものの、コンセプトとテーマがそれほど目を引くものでもないし……と、批判するのは簡単だが、まぁその、正直な感想なので仕方がないだろう。
頑張って作った感はある
めっちゃ上から目線な言い方だが、素直にすごい作品だとは思う。作品作りにおいて、自分、何ら貢献できませんので……。ただ、この作品は、映像として――カンフーやCGなどによって「魅せる」作品な気がする。
小説でこういったストーリーにしたら、いくら素晴らしい文体で紡いだとしてもヒットしないことだろう。
まぁその、なんだ、とはいえ、年を取るにつれ――という表現は正しくないかもしれないが、物語を見たり読んだりするのも、割と体力を使うようになっているのである。面白い作品を見たい読みたいという気持ちは衰えていないと思うけれども、イマイチな作品(このイマイチ基準が段々厳しくなっているような気もするが)を見た時の「疲れ」感覚を割と思うところだ。
これ、例えば、攻殻機動隊を僕はスゲー面白い☆5ぐらいで思っているが、果たして、今初見として見たときに、手放しで☆5になるか、これが分からない。
つまり何が言いたいかといえば、物語に触れるタイミングというのも、非常に重要だということだ。