今日の一言「人生逆算すると残り40年ぐらい」
しかし、実際、瀕死の状態、コンソールが赤く表示されている状態は、おそらく、まともに動ける状態ではないと思われる。
そうすると、寿命のぎりぎりまで、まともに活動できるとは思わないほうがよいだろう。
ただ、こう、最近、ビールを飲まないと、記事を書けないのは、よくない気がする。
ただ、今日で、ようやく、精神的、体力的には、フラットに戻った。
フラット。平衡点。
まともに、思考ができる。平和。落ち着いている。安心。意識的。
とにかく、色々に意識を向けられる余裕が今はある。といっても、もう、23時なのだが。
明日当たり、
絶罪殺機アンタゴニアス
を読もうか、
魔導戦騎救国のアルザード
を読もうか。
そんな気持ちである。
面白い、気がする。
ただ、全然系統が違うので比較できないが、イド > PET > 虚構推理 > 鬼滅の刃 的な順位ではないかと思う。やっぱり、イドは、最近見た中ではかなり面白い部類だったと思う。
――そう、文脈全く関係ないが、イドのOP、PETのOP、EDはかっこよかった。アマゾンMUSICとかで売ってたら買おうかな。
で、鬼滅の刃だが、十分面白いと思うのだが、ストーリーとして、アマゾンの批判的レビュー氏の言ってることがよく分かるのである。
その一つとしては、鬼滅隊に所属するための最終選別試験についてである。管理体制ががばがば過ぎる……というレビューであったが、僕もそう思う。
もう一つは、これはネタバレだが、1話目のシーンだからまぁ書いてしまうが、主人公は、まだ一般人で、鬼に家族を殺されてしまったのであるが、家族の一人が鬼になってしまって、かけつけた鬼滅隊の男に、妹が殺されそうになるのである。主人公は立ち向かって、戦うのであるが、そのとき、鬼滅隊の男を殺そうとするのである。主人公はとても優しい少年であるという設定であって、その設定とちょっと合っていないように感じられた。
そういった、場面ごとの、分人的な行動様式というのは、昨今珍しくないのかもしれないが、しかし、物語としてであって、しかも序盤であれば、その整合性というか、キャラクターの強調すべき部分は、可能な限り矛盾を抱かせないようなシーンにして頂いたほうがいいなぁと思ったのであった。
まえがき
RPG(ロールプレイングゲーム)のこと、対戦車砲ではない。RPGで、ヒットポイントが減って、0になったら、戦闘不能になったり、死亡する。しかし、実際、瀕死の状態、コンソールが赤く表示されている状態は、おそらく、まともに動ける状態ではないと思われる。
そうすると、寿命のぎりぎりまで、まともに活動できるとは思わないほうがよいだろう。
特に目的はないのである
特に、この記事に、到達点はない。ただ、こう、最近、ビールを飲まないと、記事を書けないのは、よくない気がする。
ただ、今日で、ようやく、精神的、体力的には、フラットに戻った。
フラット。平衡点。
まともに、思考ができる。平和。落ち着いている。安心。意識的。
とにかく、色々に意識を向けられる余裕が今はある。といっても、もう、23時なのだが。
明日当たり、
絶罪殺機アンタゴニアス
を読もうか、
魔導戦騎救国のアルザード
を読もうか。
そんな気持ちである。
鬼滅の刃
俺は、「きめつのやいば」と打って、変換して、『鬼滅の刃』と変換されたことがやや不思議なのだが、鬼滅の刃を数話みた。面白い、気がする。
ただ、全然系統が違うので比較できないが、イド > PET > 虚構推理 > 鬼滅の刃 的な順位ではないかと思う。やっぱり、イドは、最近見た中ではかなり面白い部類だったと思う。
――そう、文脈全く関係ないが、イドのOP、PETのOP、EDはかっこよかった。アマゾンMUSICとかで売ってたら買おうかな。
で、鬼滅の刃だが、十分面白いと思うのだが、ストーリーとして、アマゾンの批判的レビュー氏の言ってることがよく分かるのである。
その一つとしては、鬼滅隊に所属するための最終選別試験についてである。管理体制ががばがば過ぎる……というレビューであったが、僕もそう思う。
もう一つは、これはネタバレだが、1話目のシーンだからまぁ書いてしまうが、主人公は、まだ一般人で、鬼に家族を殺されてしまったのであるが、家族の一人が鬼になってしまって、かけつけた鬼滅隊の男に、妹が殺されそうになるのである。主人公は立ち向かって、戦うのであるが、そのとき、鬼滅隊の男を殺そうとするのである。主人公はとても優しい少年であるという設定であって、その設定とちょっと合っていないように感じられた。
そういった、場面ごとの、分人的な行動様式というのは、昨今珍しくないのかもしれないが、しかし、物語としてであって、しかも序盤であれば、その整合性というか、キャラクターの強調すべき部分は、可能な限り矛盾を抱かせないようなシーンにして頂いたほうがいいなぁと思ったのであった。
あとがき
(かっこ書きである。早いか、あとがきに入るのはあまりにも早すぎるか。しかし、まずは、毎日、ブログを、書く、ということと、筋トレと、そういえば、音読なんて最近全くしていなかったが音読とか、ちゃんとしたい。「元気」になってくると、ちゃんとしたいと思う。しかし、元気じゃなくなるのである。元気じゃないときは、ほんと、なんもできない。かろうじて、筋トレはしていた。しかし、かなりおざなりだった。そう、だから、「元気」なときに何ができるかは、もはやどうでもいいのだ。元気じゃないときに何ができるか。もっといえば、元気じゃなくなることをどう防ぐか。思うに、「読書」ではないかと思う。映画やアニメ――思い出した、ワイルドスピードの最新作も見たんだった――も悪くないが、それらは、どうでもいいテンションの時も見れてしまう。こう、ニュースを流しているレベルで。感情的な起伏も、思考の没入も必要なかったりする。やっぱり、読書は、何か違う、そんな気がする。いや逆なのか、読書は、「ちゃんと」していないとできないから、ある程度準備ができている状況だから、IN/OUTともに刺激が大きくて、それがゆえに「読書が必要だ」と思ってしまうのか。まず状況を分けなければいけない。完全に元気でなくなったときは、たぶん、読書はもうできる余裕はない。せいぜい、それまで積み重ねてきたルーティンを維持することで精いっぱいになるはずだ。だから、そうではない、元気が落ち込んでいくときに、どういう手段がとれるのか、そこをもう少し考えるべきだろう)PR