今日の一言「ずっと寝てた!!」
まぁしかし、過ぎてしまったことを嘆いても仕方がない。
不安や、やる気のなさを解決するための手段は、「まず着手する」これしかない。
と、思う。
先延ばしにし続けていると、その課題がより大きなものに思えて、よりやる気が出なくなるというのもある。
着手してみると気分がのってくるのは、「作業興奮」というらしい。
作業してみると、やる気をつかさどる側坐核という脳の部位から、アセチルコリンという物質が分泌されて、やる気が出てくるということらしい。
他人と比べてやる気を失っても仕方がないのである。
すごい人は多い。
すごくない人も多い。
普通の人も多い。
自分が優れた人間である必要はない。
目的は何だ?
人生を有意義に過ごすことだ。
それ以外にない。
日本人は、ルース・ベネディクト氏の菊と刀で言われるように、犠牲に感動を覚えるものらしい。
そんな気もする。
身を挺して何かを守るってシーンは、エンタメでも多い気がするし、実際それに感動したりもする。
でも、やっぱり、長期的、俯瞰的に考えると、犠牲が必要な状況そのものが、悪な気がする。
犠牲前提に成り立つ社会というのは間違っていると、そう思う。
誰しも、有意義な人生を送れたほうがよいだろう。
その前提で、その「有意義さ」とは何かを考えるべきだと、そう思う。
面白いことなんか書けないのかなぁ。
まぁしかし、今日は、ずーっと寝ていた。
10時に起きた。15時に起きた。しかし、布団からは出られなかった。いろいろ、「あれやんなきゃ、これやんなきゃ」ってのが浮かんで、結局何もやれなかった。だめやん。
そんな気持ちを、明日は引きずらないようにしよう。とりあえず、「やんなきゃ」ということを、5分やる。
で、気分が乗らなかったらすっぱりあきらめる。5分やって作業興奮で続けられたとしても、「あれやこれや」をやらなきゃいけないので、1時間ぐらいで打ち切ることにする。そうしようぜ。
といったところでイラストコーナーである。明日も、描きたい。
タイトル「がんばったね! ぐっじょぶ」
成長が感じられないが、「髪の塗り方」について勉強して、実践した。
参照したのはこのページだ。うーむ……うまくいかないな、というか、わかりづらいぜ。素人向きじゃない気がする。まぁ、一回で吸収できるほどの天才ではないことは当然だから、書いてあることを何度か試していってみたい。
色の塗り方も、線に沿って塗るというのをやめて、投げ縄塗り的な、面を意識してぬっているが、よくわからんなぁ。シャドウと、シェードの違い――も、覚えられていない。影(シャドウ)は、光がさえぎられてできるくらいところで、陰(シェード)は、光が当たらなくて暗いところ、だっけ。反対かな、ちゃんと覚えられない。記憶力、がない。
下は全身版。
とりあえず、エアブラシ(柔らか)は、わりと使いどころはありそうだなということは分かった。(いままでは一切使ってなかった)
まえがき
せっかくの三連休も、寝過ごしてしまってはもったいない。まぁしかし、過ぎてしまったことを嘆いても仕方がない。
不安や、やる気のなさを解決するための手段は、「まず着手する」これしかない。
と、思う。
アセチルコリン
やる気が出ないと思っても、いざ着手すると、だんだん気分が乗ってくるということがある。先延ばしにし続けていると、その課題がより大きなものに思えて、よりやる気が出なくなるというのもある。
着手してみると気分がのってくるのは、「作業興奮」というらしい。
作業してみると、やる気をつかさどる側坐核という脳の部位から、アセチルコリンという物質が分泌されて、やる気が出てくるということらしい。
人と比べても仕方がない
すぐに忘れてしまうので、何度かこのブログにも書いてあるだろうことを書く。他人と比べてやる気を失っても仕方がないのである。
すごい人は多い。
すごくない人も多い。
普通の人も多い。
自分が優れた人間である必要はない。
目的は何だ?
人生を有意義に過ごすことだ。
それ以外にない。
日本人は、ルース・ベネディクト氏の菊と刀で言われるように、犠牲に感動を覚えるものらしい。
そんな気もする。
身を挺して何かを守るってシーンは、エンタメでも多い気がするし、実際それに感動したりもする。
でも、やっぱり、長期的、俯瞰的に考えると、犠牲が必要な状況そのものが、悪な気がする。
犠牲前提に成り立つ社会というのは間違っていると、そう思う。
誰しも、有意義な人生を送れたほうがよいだろう。
その前提で、その「有意義さ」とは何かを考えるべきだと、そう思う。
イラストコーナー
んーんーんー、くだらないことを書いたなぁ。つまんねーなぁ。面白いことなんか書けないのかなぁ。
まぁしかし、今日は、ずーっと寝ていた。
10時に起きた。15時に起きた。しかし、布団からは出られなかった。いろいろ、「あれやんなきゃ、これやんなきゃ」ってのが浮かんで、結局何もやれなかった。だめやん。
そんな気持ちを、明日は引きずらないようにしよう。とりあえず、「やんなきゃ」ということを、5分やる。
で、気分が乗らなかったらすっぱりあきらめる。5分やって作業興奮で続けられたとしても、「あれやこれや」をやらなきゃいけないので、1時間ぐらいで打ち切ることにする。そうしようぜ。
といったところでイラストコーナーである。明日も、描きたい。
タイトル「がんばったね! ぐっじょぶ」
成長が感じられないが、「髪の塗り方」について勉強して、実践した。
参照したのはこのページだ。うーむ……うまくいかないな、というか、わかりづらいぜ。素人向きじゃない気がする。まぁ、一回で吸収できるほどの天才ではないことは当然だから、書いてあることを何度か試していってみたい。
色の塗り方も、線に沿って塗るというのをやめて、投げ縄塗り的な、面を意識してぬっているが、よくわからんなぁ。シャドウと、シェードの違い――も、覚えられていない。影(シャドウ)は、光がさえぎられてできるくらいところで、陰(シェード)は、光が当たらなくて暗いところ、だっけ。反対かな、ちゃんと覚えられない。記憶力、がない。
下は全身版。
とりあえず、エアブラシ(柔らか)は、わりと使いどころはありそうだなということは分かった。(いままでは一切使ってなかった)
あとがき
(かっこ書きである。今日のところはちゃんと寝て、平日に備える必要がある。それが社会人というものだ。社会人……って表現が昔から嫌いだった。なんか嫌だった。なんでだろう。アメリカでは、子供のころは自由が制限されていて、大人になるにつれて自由になるという。日本では、子供のころは「自由にしよう」といわれて、大人になるにつれて自由が制限されるという。ほんとうか? お金を自分で稼げるようになると、自由は増える気がする。お金の量は、幸せの量とは一致しないと思うが、お金の量は自由の量とは一致するように思う。自由と幸せは一致しないと思う。さんすくみだな。でもそれぞれ大事だと思う。幸せも、自由も、お金も、それぞれ大事。幸せの量とは、現実と理想とのギャップで決まると思う。ギャップが少ないほど幸せである。そういう定義をしている。ギャップを少なくする行動は、理想を下げるか、現実を上げるか、だ。どっちも大事だ。年齢にあがるにつれて、行動できる範囲が小さくなる。思考的にも、身体的にも減ってくる。しかし、その適切な範囲を知ることは難しい。現実と理想とのギャップは、行動の原動力にもなる。……ってまたくだらんことを書いてしまった。とにかく、今回の記事は、「とりあえず行動する」ことが重要だと、そういうことだ。そんな単純なことをわかっていたにもかかわらず、まったく起きることができなかった今日の自分への戒めを込めてこの記事は終わる)PR
今日の一言「伸び悩んできた」
どうしたらいいんだ。
こういうときはどうしたらいいんだ。
お風呂に入る。これは一つだろう。
外に出る。
――そもそも出かけられるほどのモチベーションがあればそれほど問題ではない。
なにもしたくない。
眠い。寝た、頭が痛くなって目が覚める、どうしよう、しかし、何もしたくない。
うーむ……しかし、求めている品質に近づかない。
イラスト描き方講座とか、本とか読んで、なんかできるような気になっても、全然できない。悔しい……。悔しい? のかもわからない。ただただがっかりする。
タイトル「だいじょーぶ、なんとかなるさ」
背景素材:きまぐれアフターさん
https://k-after.at.webry.info/201003/article_2.html
背景素材と重ねてみた、というのと、「リムライト」という、後ろからあたる光の表現を試してみた、ということで、取りあえずの新しいことはチャレンジするものの、いまいち出来栄えが映えなかった。
前回の作品のほうがよかった気がする。
ちなみに、平日描いてたラフは下であるが、なんか、ラフ段階のほうが長く見ていられる。雰囲気がこっちのほうがよかった。
うーむ、みくらべると、やっぱりなんか、表情に違いがある気がする。しかし、それを分析してなおす気力はもうない。

まえがき
なんも、書けない、描けない。どうしたらいいんだ。
こういうときはどうしたらいいんだ。
お風呂に入る。これは一つだろう。
外に出る。
――そもそも出かけられるほどのモチベーションがあればそれほど問題ではない。
なにもしたくない。
眠い。寝た、頭が痛くなって目が覚める、どうしよう、しかし、何もしたくない。
イラストコーナー
平日に描き進めていたイラストに着色する。うーむ……しかし、求めている品質に近づかない。
イラスト描き方講座とか、本とか読んで、なんかできるような気になっても、全然できない。悔しい……。悔しい? のかもわからない。ただただがっかりする。
タイトル「だいじょーぶ、なんとかなるさ」
背景素材:きまぐれアフターさん
https://k-after.at.webry.info/201003/article_2.html
背景素材と重ねてみた、というのと、「リムライト」という、後ろからあたる光の表現を試してみた、ということで、取りあえずの新しいことはチャレンジするものの、いまいち出来栄えが映えなかった。
前回の作品のほうがよかった気がする。
ちなみに、平日描いてたラフは下であるが、なんか、ラフ段階のほうが長く見ていられる。雰囲気がこっちのほうがよかった。
うーむ、みくらべると、やっぱりなんか、表情に違いがある気がする。しかし、それを分析してなおす気力はもうない。
あとがき
(かっこ書きである。ぐったりしているため、すぐにあとがきに入ってしまう。うーん。風呂入って寝るか。いろんなごちゃごちゃは明日にしよう。あーしかし、いろいろ気になったり、気分がよくないな。ビールでも飲もうかな。――飲む。飲みながらの後書き。えーと、「いろいろ」って何か。仕事である。あとはふるさと納税しようかなとかそんな程度。イラストも、なんも考えずに、とにかく楽しんで描いていた頃が通り過ぎてしまって、伸び悩みの時期である。いっつも俺は、この時期をしっかりと乗り越えられない奴な気がする。高みを目指すのは必要だけど、高いところだけ目が行って、「あーこんなうまい人たちたくさんいるんだな。どんな頑張ってもおいつけないな」とかって惰弱なことを思ってやる気をなくすのである。そんな自分のことを自分でも分かっていて、さらにそういう自分であることに自己嫌悪するのである。仕事も、やんなきゃいけないこと満載でいやになる。ミスも多い。ミスをしないための確認をしたいのだが、そんなことしている時間が取れない。そんな中で新しいことも舞い込む。飽和状態だ。しかし、そんな飽和は自分の能力が足りないせいだと思う。大統領とか首相とかはもっと忙しいんだろう。偉い人は、偉そうにふんぞり返っていることが仕事ではないのだ。そう考えると、えらくなる(出世する)というのもさして魅力的でもない。にもかかわらず、何故仕事を頑張るのか。インターネットとか、機械とか、パソコンとか、技術は進歩しているにも関わらず、なぜ「忙しい」ことが生じるのか。技術の進歩ともう一つ、人口が減ってきているにも関わらず、何故忙しいのか。だがそれは、人が減れば、仕事の負担も増えるという理屈はわからんでもない、でもそれって局所的だと思う。全体的に考えれば、「維持する人」が減れば、そんだけ仕事も減る。いやだがそれはそういうわけではない、1000人を対象とする仕事が、500人になったからといって、仕事量が半分になるわけではない。数が減ればそれだけ減ることは減るが、「固定費」的な意味の業務量は残るので、完全に減りはしない。限界利益率=1-(変動費÷売上高)、損益分岐点売上高=固定費÷限界利益率。変動費比率=変動費÷売上高。その仕事自体がなくなればようやくゼロになるが、なかなかそうはならない。ってなんだっけ、書こうと思ったことがあったかはそもそも分からないが、また何も浮かばなくなる。ビールのせいで、脳細胞がにぶったのだろうか。歯磨きして寝よう。ちなみに、3連休は、もう一枚イラストは描こうと思う。そろそろ、1月~3月のピクシブデビューに向けて、最低限アップロードできる作品に着手しなければいけない。先日の牧瀬氏は、悪くない気もするが、今見るとやっぱり、自分だったら「イイネ」は押さないかなぁ、という感じ。まぁまぁ上手い、とは思うが、それだけだろう。あー、だからアレだな。現実と理想とのギャップ。「自分でもイイネを押す」レベルの作品を仕上げるって、そりゃ無謀である。そんなこと簡単にできると思っていたら、世の中をなめすぎである。ナメプ(ナメプレイ、の略であることは最近知った)である。でもそれって、見てくれた人に失礼ではなかろうか。ちゃんと自分でも満足いく作品にしてからじゃないと、だめなんじゃなかろうか。――そんなこと思っていたかどうか不明だが、結局小説もなんも書けなくなったのはそういうことじゃなかろうか。うーむ、やはりクリエイター諸氏はすごいと思う。もちろん高い技術力はそうだが、メンタルとしてもある程度自己満足力が強くないと厳しいと思う。「夜天を引き裂く」の作者氏はめちゃくちゃクオリティ高い作品を多く輩出しているが、飽くなき探求心の塊である。すごい。うーむどうにも、凡人かつプライドが高い(?)俺のような人間は、世の中生きづらいものである。……とかって、どーでもいいことを書き連ねていたらまぁまぁ長くなったな。そういえば、三点リーダは、このブログのテキストエリア上は「下段(ベースライン)」に表示されているが、このブログ上は真ん中に表示されているな。CSSのfont-family属性で、英字フォントが先に指定されている場合に下段になるということであるが……。)
今日の一言「成長がない」
本当に、土曜日は、何もできなかった。ずっと寝ていた。
いや、起きたのは、15時ぐらいだったと思う。そのあと、何したっけかな……。買い物にいった。えっと、中華屋であんかけラーメンを食べた。餃子も付けた。
ほかに何をしたのか。
記憶にない。ああ、スタバに行って、勉強しようとした。しかし、眠すぎて30分ぐらいだった。
ほかに……ほかには、何かしたっけか。
日曜日も、7時に目覚ましが鳴った。二度寝した。そしたら、首が痛い。寝違えた。寝違えるのはたびたびである。珍しくない。しかし、寝違えると、二日ぐらい痛いのが続く。頭痛もあるような気がする。体調は悪い……。
一応勉強はする。1時間ぐらい、か。
飲みながら、イラスト描いていると、割と楽しい気がする。
思い出した。金曜日あたり、仕事で嫌なことがあった。いやなこと……というか、まぁ、自分の発言に嫌気がさしたというか、まぁその、なんだろう、自己嫌悪。
しかし、能力のなさを感じる。
どうしたら、余裕をもって業務をこなせるのだろうか。できることを増やせばいいのだろうか。自信をもって業務にあたればいいのか。
が、今のPC普通に使えているし、な。
そんなに高性能のPCは不要だ。4Kなんて、そもそも今使っているディスプレイが対応していない。
しかしそれよりも、新規PCにしたときの、データ移行が面倒というのが強い。データ移行というか、もろもろの設定、アプリの移行が面倒。
そういう面倒さを改善するのは、クラウドなんだろうか。しかし、いくらクラウドでも、数ギガのSTEAMのゲームは、ローカルPCにDLしないとダメだろう。高性能なグラフィック処理をローカルで行うことで、通信量を減らして快適にオンラインプレイできるわけなのである。
ということでイラストコーナーだ。
タイトル。
「おつかれさま。手を洗って、うがいをして、部屋着になったら、まずは飲もう!」
多分、製作時間3時間ぐらい。
パーカーの女の子を描いてみようというテーマで描いてみた。描き終わってみてみると、パーカーの手を入れるところであろう腹部の部分に、手は入らないような大きさだな……。
色に、十分に時間をかけられなかった。
うーむ、投げなわ塗りというのが、非常に便利だということで、試してみるも、なんかうまくいかないというか、使いどころがよく分からない。
塗りの勉強も深めなければいけないが……。
なんか成長が最近ないな……というか、一時期よりもイラストにかけている時間が圧倒的に少ない気がする。
まぁそりゃそうだ、ずっと寝ているし、平日は4時間ぐらい睡眠だし。
うーむしかし、11月はまだ序の口で、12月、1月、2月、3月と、徐々に忙しさが増していく気がする。24時間で終わるんだろうか……。心配だ。
まぁそんなときでも、イラスト描いて、ビール飲んで、少しの愉しみは感じられるようにしよう。僕らはみんな、そんな愉しい時間のために、生きているはずなのだから。
「勇者パーティーを追放されたビーストテイマー、最強種の猫耳少女と出会う」
https://ncode.syosetu.com/n8810eu/
最近の小説はタイトルなげーんだよな。
まぁそれはそうと、60話ぐらいまで読んだが、面白かった。60といいつつ、1話が短いからサクサク進む。とはいえ、3~4時間ぐらいかかったような。
珍しく(?)異世界転生ものではなかった。
ただ、序盤の、主人公が勇者パーティからされる仕打ちが辛辣すぎて、主人公がある程度報われるところまでは読まなきゃというモチベーションが生じた。
んーなんだろ、「ふつーに面白い」って表現が似合う作品だ。
アギュギテムの紅昏みたいに、重厚な作風をじっくり読みたいというモチベーションとは違う、ライトに、疲れているときに癒されたい的な作品な気がする。(癒されたいのに、主人公がいじめられる序盤というのは何ぞや)
疲れているときに癒される……的なのは、漫画やアニメの方が適切に思えるが、小説もライトでポップなというのはアリだなと、なんかそんな風に思った経験だった。
まえがき
うーむ。本当に、土曜日は、何もできなかった。ずっと寝ていた。
いや、起きたのは、15時ぐらいだったと思う。そのあと、何したっけかな……。買い物にいった。えっと、中華屋であんかけラーメンを食べた。餃子も付けた。
ほかに何をしたのか。
記憶にない。ああ、スタバに行って、勉強しようとした。しかし、眠すぎて30分ぐらいだった。
ほかに……ほかには、何かしたっけか。
日曜日も
日曜日も、同じようなものだった、が、出かける予定があったため、昼過ぎには外出。日曜日も、7時に目覚ましが鳴った。二度寝した。そしたら、首が痛い。寝違えた。寝違えるのはたびたびである。珍しくない。しかし、寝違えると、二日ぐらい痛いのが続く。頭痛もあるような気がする。体調は悪い……。
一応勉強はする。1時間ぐらい、か。
酒
最近、ビール2本ぐらい余裕である。家でいるときは、1本ぐらい飲むと、まぁいい気分になってきたような気がしたものだが、最近は、まぁいい気分になってきはしなくもないが、2本目に着手することが多い気がする。お気に入りのグラスに入れて飲む時間は悪くない。飲みながら、イラスト描いていると、割と楽しい気がする。
仕事で嫌なことあったんだ
そうだ。思い出した。金曜日あたり、仕事で嫌なことがあった。いやなこと……というか、まぁ、自分の発言に嫌気がさしたというか、まぁその、なんだろう、自己嫌悪。
しかし、能力のなさを感じる。
どうしたら、余裕をもって業務をこなせるのだろうか。できることを増やせばいいのだろうか。自信をもって業務にあたればいいのか。
パソコン買おうかな
ドスパラの、ガレリアの新ケースがなんかかっこいい気がする。CPUも現在i7だが、i9なんてものも出ているようだ。新しいグラボ、RTX3080もなんか気になる。ほしい。30万ぐらいで買えるようである。欲しい。が、今のPC普通に使えているし、な。
そんなに高性能のPCは不要だ。4Kなんて、そもそも今使っているディスプレイが対応していない。
しかしそれよりも、新規PCにしたときの、データ移行が面倒というのが強い。データ移行というか、もろもろの設定、アプリの移行が面倒。
そういう面倒さを改善するのは、クラウドなんだろうか。しかし、いくらクラウドでも、数ギガのSTEAMのゲームは、ローカルPCにDLしないとダメだろう。高性能なグラフィック処理をローカルで行うことで、通信量を減らして快適にオンラインプレイできるわけなのである。
イラストコーナー
愚痴ぐちしたことを書いていたらあっというまに24時を過ぎ、そして何ら生産性がないまま日曜日が終わる……いやだめだ、せめてイラストは描こう!ということでイラストコーナーだ。
タイトル。
「おつかれさま。手を洗って、うがいをして、部屋着になったら、まずは飲もう!」
多分、製作時間3時間ぐらい。
パーカーの女の子を描いてみようというテーマで描いてみた。描き終わってみてみると、パーカーの手を入れるところであろう腹部の部分に、手は入らないような大きさだな……。
色に、十分に時間をかけられなかった。
うーむ、投げなわ塗りというのが、非常に便利だということで、試してみるも、なんかうまくいかないというか、使いどころがよく分からない。
塗りの勉強も深めなければいけないが……。
なんか成長が最近ないな……というか、一時期よりもイラストにかけている時間が圧倒的に少ない気がする。
まぁそりゃそうだ、ずっと寝ているし、平日は4時間ぐらい睡眠だし。
うーむしかし、11月はまだ序の口で、12月、1月、2月、3月と、徐々に忙しさが増していく気がする。24時間で終わるんだろうか……。心配だ。
まぁそんなときでも、イラスト描いて、ビール飲んで、少しの愉しみは感じられるようにしよう。僕らはみんな、そんな愉しい時間のために、生きているはずなのだから。
ビーストテイマーの小説が面白かった
あ、一つ土曜日にしたことを思い出した。書いとかないと忘れるから書く。「勇者パーティーを追放されたビーストテイマー、最強種の猫耳少女と出会う」
https://ncode.syosetu.com/n8810eu/
最近の小説はタイトルなげーんだよな。
まぁそれはそうと、60話ぐらいまで読んだが、面白かった。60といいつつ、1話が短いからサクサク進む。とはいえ、3~4時間ぐらいかかったような。
珍しく(?)異世界転生ものではなかった。
ただ、序盤の、主人公が勇者パーティからされる仕打ちが辛辣すぎて、主人公がある程度報われるところまでは読まなきゃというモチベーションが生じた。
んーなんだろ、「ふつーに面白い」って表現が似合う作品だ。
アギュギテムの紅昏みたいに、重厚な作風をじっくり読みたいというモチベーションとは違う、ライトに、疲れているときに癒されたい的な作品な気がする。(癒されたいのに、主人公がいじめられる序盤というのは何ぞや)
疲れているときに癒される……的なのは、漫画やアニメの方が適切に思えるが、小説もライトでポップなというのはアリだなと、なんかそんな風に思った経験だった。
あとがき
(かっこ書きである。お風呂に入ってからコメント返信をしよう思っていたが、あとがきを書いている暇があったら、コメント返信をしよう、ということで割愛する)
今日の一言「なんだっけ」
本当は、何か書きたいことが生じて、キーボードに向かったものの、最近の習慣で、ブログ投稿する際には何かイラストも載せなきゃと思って、「簡単に何か描くか」(フラグ)と思ってペンタブに向かっていたら、1時間半ぐらい過ぎて今に至る。
そして、最初に書こうと思ったことは完全に消えてしまった。
改めて、巷にはイラストがあふれているが、いざ自分で完成させるとなると、大変なことなんだなと思う。
しかし、ラフなのは仕方がないとして、先週? ぐらいの、フィギュアを見ながらかいた牧瀬紅莉栖は、今回のよりは品質が高いと思うものの、動きがないため、今回の作品よりも面白みはない気がする。
イラストコーナーでいえば、先日から同じように週一でイラストUPされ始めた方について、格段にレベルアップされていて驚く。
それまでの蓄積が違うとはいえ、デジタルイラストは初めてということで、吸収力が半端ないと思った。少ししたらきっと遥か彼方に行ってしまわれるのだろう。
このことについて思い出されるのは、とあるラケットを使うスポーツである。
僕は幼少期、家族でそのスポーツをやったことがあった。
学校の体育で、そのスポーツをやることになった。
僕は、経験していたので、クラスメイトより少し上手だった。
しかし、半年(?)ぐらいしたら、初めて触れた人のほうが断然上手になっていた。
勉強でも趣味でも、その傾向がある気がする。
なんだか、「人間としてのスペック」が低いように思う。今はやりの自己肯定感が低いとかそういうのではなくて、上のような経験――客観的な事実としてそんな風に思う。
もっとも、一つ可能性としては、ある程度できるようになると飽きてしまうという、発達障害的(注意多動性疾患)な傾向のせいかもしれない。
しかし、「才能」というのは、つくづく、いろんな方面でないのだなと、そんな風に思う。
「よく」言えば、器用貧乏なんだろうと思う。
しかし、日々を生活していると、どうしてもカオスになってくる。
試してみようと思うのは、床に、一切何も置いてはいけないルールだ。
それだけは守る。何もおいてはいけない。コンセントの電源タップもダメ。
細かいもの、それ自体はすぐに移動できて、大したことはなくても、積み重なっていると、気分が滅入ってくる。
とはいえ、そんなことは分かっていて、できるだけきれいな状態を保ちたい。それができないから、だんだんとカオスになるのだ。
できない理由は何か。
「時間がない」
「空間がない」
「気持ちの余裕がない」
となるが、抜本的な解決策がなければ解決できない。
そうすればまず、実現可能な、小さなタスクに分けることから始める。
ニーバーの仕分けの実践。
変えられるとと、変えられないことに分ける。……そのあとどうするんだっけ?(笑)
点数をつけるのと、その理由を書くんだった。
課題:可変度:理由
・転職する:1:喫緊の必要性がない
・引っ越しする:2:時間とお金とやる気が出ない
・休暇をとる:5:やろうと思えばできる
というわけで、休暇を取って部屋の片づけをするのが適切……いや、荒いな。
なんかちょっと、問題解決になってない気がする。
そうか、なんか少し分かった。
俺は、問題解決をする技術が足りないんだ。
問題を、途方もないものと捉えてしまっている気がする。
問題は、これからも、永遠と、死ぬまで、死んでからも続くかもしれない。
問題をすべて解決などできないのだ。
言い換えれば、不安との付き合い方、ともいえる。
要するに、終わりはないのである。
人生に終わりはあるが、問題に終わりはないのだ。
そんな中で、どうやって、「問題」を、「解決した」状態にもっていくのか、その手法を、その方法を、そのやり方を自分の中に落とし込む必要があるのだ。
つまり、「幸せになるためには」といった問いではなく、「生きる意味とは」といった問いではなくて、「問題とは何か」を適切にとらえるということだ。
問題、と書いたけれども、僕が今まで思ってきた問題とは、概念が違うと思う。
問題は、解決すべきもの――でありながら、そうではないのかもしれない。
問題が発生しないようにすることは、できないのだ。
問題から逃げ続けても、次から次へと問題は発生するだろう。
学校が嫌だからと言って引きこもっていれば、それはいずれ他の問題を引き起こす。
もちろん、かかわらなくてよい問題にはかかわらないほうがよいものだが。
問題を、解決可能な状態にすること、または、着手可能な状態にすること、その能力が必要であるのだ。
まえがき
うーん。本当は、何か書きたいことが生じて、キーボードに向かったものの、最近の習慣で、ブログ投稿する際には何かイラストも載せなきゃと思って、「簡単に何か描くか」(フラグ)と思ってペンタブに向かっていたら、1時間半ぐらい過ぎて今に至る。
そして、最初に書こうと思ったことは完全に消えてしまった。
イラストコーナー
ので、先にイラストコーナーに入ろう。改めて、巷にはイラストがあふれているが、いざ自分で完成させるとなると、大変なことなんだなと思う。
しかし、ラフなのは仕方がないとして、先週? ぐらいの、フィギュアを見ながらかいた牧瀬紅莉栖は、今回のよりは品質が高いと思うものの、動きがないため、今回の作品よりも面白みはない気がする。
イラストコーナーでいえば、先日から同じように週一でイラストUPされ始めた方について、格段にレベルアップされていて驚く。
それまでの蓄積が違うとはいえ、デジタルイラストは初めてということで、吸収力が半端ないと思った。少ししたらきっと遥か彼方に行ってしまわれるのだろう。
能力のなさ
当初書こうと思ったことは思い出せないが、能力のなさというのは、昔からよく感じる。このことについて思い出されるのは、とあるラケットを使うスポーツである。
僕は幼少期、家族でそのスポーツをやったことがあった。
学校の体育で、そのスポーツをやることになった。
僕は、経験していたので、クラスメイトより少し上手だった。
しかし、半年(?)ぐらいしたら、初めて触れた人のほうが断然上手になっていた。
勉強でも趣味でも、その傾向がある気がする。
なんだか、「人間としてのスペック」が低いように思う。今はやりの自己肯定感が低いとかそういうのではなくて、上のような経験――客観的な事実としてそんな風に思う。
もっとも、一つ可能性としては、ある程度できるようになると飽きてしまうという、発達障害的(注意多動性疾患)な傾向のせいかもしれない。
しかし、「才能」というのは、つくづく、いろんな方面でないのだなと、そんな風に思う。
「よく」言えば、器用貧乏なんだろうと思う。
休息の重要性
部屋の中がカオスになってくると、ろくなことがないと思う。しかし、日々を生活していると、どうしてもカオスになってくる。
試してみようと思うのは、床に、一切何も置いてはいけないルールだ。
それだけは守る。何もおいてはいけない。コンセントの電源タップもダメ。
細かいもの、それ自体はすぐに移動できて、大したことはなくても、積み重なっていると、気分が滅入ってくる。
とはいえ、そんなことは分かっていて、できるだけきれいな状態を保ちたい。それができないから、だんだんとカオスになるのだ。
できない理由は何か。
「時間がない」
「空間がない」
「気持ちの余裕がない」
となるが、抜本的な解決策がなければ解決できない。
そうすればまず、実現可能な、小さなタスクに分けることから始める。
ニーバーの仕分けの実践。
変えられるとと、変えられないことに分ける。……そのあとどうするんだっけ?(笑)
点数をつけるのと、その理由を書くんだった。
課題:可変度:理由
・転職する:1:喫緊の必要性がない
・引っ越しする:2:時間とお金とやる気が出ない
・休暇をとる:5:やろうと思えばできる
というわけで、休暇を取って部屋の片づけをするのが適切……いや、荒いな。
なんかちょっと、問題解決になってない気がする。
そうか、なんか少し分かった。
俺は、問題解決をする技術が足りないんだ。
問題を、途方もないものと捉えてしまっている気がする。
問題は、これからも、永遠と、死ぬまで、死んでからも続くかもしれない。
問題をすべて解決などできないのだ。
問題について
問題に対しての考え方を変える必要がある気がした。言い換えれば、不安との付き合い方、ともいえる。
要するに、終わりはないのである。
人生に終わりはあるが、問題に終わりはないのだ。
そんな中で、どうやって、「問題」を、「解決した」状態にもっていくのか、その手法を、その方法を、そのやり方を自分の中に落とし込む必要があるのだ。
つまり、「幸せになるためには」といった問いではなく、「生きる意味とは」といった問いではなくて、「問題とは何か」を適切にとらえるということだ。
問題、と書いたけれども、僕が今まで思ってきた問題とは、概念が違うと思う。
問題は、解決すべきもの――でありながら、そうではないのかもしれない。
問題が発生しないようにすることは、できないのだ。
問題から逃げ続けても、次から次へと問題は発生するだろう。
学校が嫌だからと言って引きこもっていれば、それはいずれ他の問題を引き起こす。
もちろん、かかわらなくてよい問題にはかかわらないほうがよいものだが。
問題を、解決可能な状態にすること、または、着手可能な状態にすること、その能力が必要であるのだ。
あとがき
(かっこ書きである。もう、24時を過ぎてしまうので、ここらで終わりにしよう。今週の土日は何もできなかったな……という感覚が強い土日になってしまった。そもそも、昼過ぎまで寝てしまった。一度、7時ぐらいに目は覚めたのだが、二度寝である。二度寝して、気づいたら15時過ぎとか、二度寝といえるのかも不明だ。よく寝たものだ。平日、睡眠時間5時間未満である。これが少ない気がする。どうしたら増やせるのか。しかし、睡眠時間が少ないことが本当の問題なのか。増やせばいいのか。解決すべき問題とは何か。どうしたら問題を解決できるのか、ではなくて、この問題はどういう問題なのか、ということを捉えることが必要だ。……とはいえ、実際、これをどう具体的に当てはめるのか、というのは難しい。直線的なリニアな問題だけではなく、円環的なサーキュラな問題もあるのだ。――いやしかし、思うに、問題を問題としてとらえるときに、やっぱり、「生きる意味」というのは大事な気がする。家族のため……という明白な目的があればいいんだろうが、守るべき家族なんていないしな。かといって、いやな仕事を耐えながら、家族のために馬車馬のようにATMのように働くというのは、何か特に憧れない。娘の結婚式で、涙をするというのは嬉しきことかなと思わなくもないが。とはいえ、クレヨンしんちゃんの大人帝国のヒロシ氏の回想シーンは涙なしには見れないだろう。――全然思考にまとまりがないな。とりあえず! とりあえず、だ。お正月はゆっくり休みたい。そのためには、土日仕事も憂わない。12月29日から1月3日までは休む!! 一切仕事はしないぞ! という気持ちで、頑張る。そういえば、受験生の時は、正月特訓なんてのもあったな。正月に勉強する人だから差がつく、とかなんとか)
今日の一言「休みな気がしないが明るいうちに終われるとまぁましに思う」
仕事とはなんだろう。
Youtube動画見て、面白かったと、感動したとき、しかしそれは一か月のサラリーマンの給料分を払う必要は、ない。
ああ、いい作品だったなと、ただそれだけで終わる。有料動画もあるだろう。一回100円かもしれない。100円でも、1000人が見たら10万円だ。
マッサージ師さんに、肩をもんでもらう。20分3000円くらいだろうか。気持ちがよい、以上、である。サービスである。
モノとサービスの「移動」が価値を生み、金を生み、仕事が生まれる。
「便利」を手放せば、仕事は減る。――例)電気水道インフラ
「自由」を手放せば、仕事は減る。――例)24時間営業のコンビニ
「活動」を手放せば、仕事は減る。――例)交通サービス
「安全」を手放せば、仕事は減る。――例)警察・警備
上の考え方では、「役に立たないものは切り捨てる」という功利主義が前面に登場するだろう。
弱者や、働けないものは社会的な「コスト」になる。
そういった考え方が、望ましい、生活のしやすい、だれもが暮らしやすい社会とは相いれないことは感覚として分かる。
しかし、努力をしない人、できない人、フリーライダー、だらける人、そういったコストをどこまで許容すべきなのか。
紙の本を買ったのだが、結局キンドルの電子版を隙間の時間に読んでるぐらいで、いまだに読み終わってはいない。
電子版は半分以上を読んだ。
死に対しての僕の考え方と似ている気がしたので、割と読みやすい気がする。
神の概念とかに拘らず、反対意見も挙げてそれを検証していくスタイルに説得力があるように思う。
自殺についての考え方。自殺は絶対究極に正しいわけでもないが、絶対にダメなものでもない、というのが教授の意見だと思う。そして僕もそう思う。
人生を数値で表してみる。もちろん、これは比喩的なものだ。単純に快楽と苦痛の総和としてみる。仮に「幸福量」と呼んでみる。
長く生きるにつれて、どんどん幸福量が下がっていく。
しかし、幸福量が0でなければ、死ぬ必要などない。仮に失意のどん底で、つらいいじめにあっていようが、しかし、アニメや映画見て感動する時間が少しでもあれば、まだ死ぬべきではない。創造価値がなくても、体験価値がある。
しかし、さらに幸福量が下がって、0よりも小さくなったとする。
苦痛しかない。良いことがあっても、苦痛はそれをはるかに上回る。まともな思考もできない。高熱にうなされたことがある人はわかるだろう。いくら学校や会社が休みでも、大好きな漫画やゲームすらやる気にならない。ただ、痛みや苦しみが通り過ぎるのを待つだけだ。
そんな苦痛がずっと続くだけの人生。
これに対して、「人生とは何か」の著者精神科医のフランクル氏は、いやいや、それでもまだ生きる意味はある、態度価値があるのだ、という。態度価値とは、他者がみて、「ああ、あの人は立派な人だ」と影響を与えるようなもの――と僕は認識している。違うかもしれない。そのあたりがまだ理解できていない。でも、例示されていたのは、そんなようなもんだった。生きる意味は、人生から逆に求められているのだ、と。
僕はその態度価値的なことがよく分からない。やっぱり、苦しみしかない人生だと、死んだほうがまし、という状態があるのではないかと思う。
問題は、それが「今」なのか、というところだと思う。
高熱でいくら苦しんでも、「死んだほうがましだ」と思う人はいないだろう。
回復する見込みがあるからだ。
でも、回復する見込みなんて、分かるものだろうか。99%死に至る病でも、1%の確率で助かる可能性があるのでは……?
要は、1%でも回復するかもしれないから、自殺は、だめだ、と、結論するかもしれない。――でも、きっと僕は、なんかしっくりこなかったろうと思う。
しかしシェリー教授は、さらに一歩進んでいる。
下の、こんな例だ(僕の記憶だけで書くので、細部は違うかも)。
あなたには、選択する権利がある。
99%の確率で、一生続く拷問を受けるかもしれないが、1%の確率で、一生お金に不自由しない暮らしができる選択をするか、何もしないかだ。
と。
この場合は、多くの人は、99%を選んだほうが賢い。それが妥当だ。物語的には、99%を選択した方が面白いのだろうけど、それはリスクが大きすぎる。
重い病気におかされた人の選択も同様ではないか、ということだ。
確かに、医療技術の発展により、劇的に回復する可能性が、1%はあるとする。しかし、世界の症例においては、5年以内に増悪し、死に至るケースが99%だとする。
まだ、そういった選択ができるような思考ができる状態だと、想像するのが難しいが、そもそも、もう何も考えることもできず、体も動かせず、ただ痛みに耐えるだけの時間が、延々と続く――そんな状態で、確かに、1%は回復する可能性があるけれども、もう殆どは死んでしまう……そうだとしたら、どうする?
快楽と苦痛の量だけが、人生なのか、そこに考える余地はあるかもしれない。フランクル氏のいう、態度価値だってあるはずだ、そういう考え方もあるかもしれない。
でも、凡人な僕としては、やっぱり、自殺は必ずしもダメというわけではない、と思う。
もちろん、いじめを苦にして自殺、なんてのは、あっちゃいけないと思うわけであるが。
久々に、カテゴリを、「生きる意味」にした。
イラストは、どうしようかな、ネタは何もないのだが、簡単にでも描こうかな。
とにかく、今回の記事は、仕事で気が休まらないので、書くことにしたものだ。
めっちゃ心配。
自分でコントロール完全にできることじゃないと、心配。
やっぱり、管理職とか向いていない気がする。今は平社員だが、今以上に気が休まらない気がする。
50%ぐらいの成功率の時が一番人は頑張れる、とかって自己啓発も読んだことある気がするが、それは、俺にはつらい。
不安すぎる。いやその、「できませんでした」が通用すればいいけれども、たいていそういう仕事ばかりじゃないだろう。ピザのデリバリーで、注文されたけど家がわからなかったので届けられませんでした、じゃあダメだろう。
不安。
不安とは何か。
そんなことはどうでもいい。単に、落ち着いた生活がしたい。
落ち着いた生活とは何か。知らない。
知らないことは、実現されられない。引き寄せの法則。自らが望んだ人生にしかならない。
お絵描き添削に応募したら「落書きを楽しんでいるレベルですね」と言われてしまうが、まぁしかし、1時間ぐらいでこれぐらいの出来までは描けるようになったというのは成長といえなくもない。
まぁ、雑なのであるが、なんか正確にアタリを描かなくても、なんとなくの立体は描けるようになった気がする。
うーん、でも、見れば見るほどいろいろ直したくなる……というのは、きっと悪いことではないのだろう。
直したい、というのは良いと思う。
なんかいまいちだけど、どうしたらいいか分からない、これは良くないと思う。
まえがき
休日も仕事のことを考えないといけないというのは、面倒なこと、限りない。仕事とはなんだろう。
Youtube動画見て、面白かったと、感動したとき、しかしそれは一か月のサラリーマンの給料分を払う必要は、ない。
ああ、いい作品だったなと、ただそれだけで終わる。有料動画もあるだろう。一回100円かもしれない。100円でも、1000人が見たら10万円だ。
マッサージ師さんに、肩をもんでもらう。20分3000円くらいだろうか。気持ちがよい、以上、である。サービスである。
モノとサービスの「移動」が価値を生み、金を生み、仕事が生まれる。
「便利」を手放せば、仕事は減る。――例)電気水道インフラ
「自由」を手放せば、仕事は減る。――例)24時間営業のコンビニ
「活動」を手放せば、仕事は減る。――例)交通サービス
「安全」を手放せば、仕事は減る。――例)警察・警備
上の考え方では、「役に立たないものは切り捨てる」という功利主義が前面に登場するだろう。
弱者や、働けないものは社会的な「コスト」になる。
そういった考え方が、望ましい、生活のしやすい、だれもが暮らしやすい社会とは相いれないことは感覚として分かる。
しかし、努力をしない人、できない人、フリーライダー、だらける人、そういったコストをどこまで許容すべきなのか。
死とは何か
シェリー教授の本について購入したのはいつだったか。紙の本を買ったのだが、結局キンドルの電子版を隙間の時間に読んでるぐらいで、いまだに読み終わってはいない。
電子版は半分以上を読んだ。
死に対しての僕の考え方と似ている気がしたので、割と読みやすい気がする。
神の概念とかに拘らず、反対意見も挙げてそれを検証していくスタイルに説得力があるように思う。
自殺についての考え方。自殺は絶対究極に正しいわけでもないが、絶対にダメなものでもない、というのが教授の意見だと思う。そして僕もそう思う。
人生を数値で表してみる。もちろん、これは比喩的なものだ。単純に快楽と苦痛の総和としてみる。仮に「幸福量」と呼んでみる。
長く生きるにつれて、どんどん幸福量が下がっていく。
しかし、幸福量が0でなければ、死ぬ必要などない。仮に失意のどん底で、つらいいじめにあっていようが、しかし、アニメや映画見て感動する時間が少しでもあれば、まだ死ぬべきではない。創造価値がなくても、体験価値がある。
しかし、さらに幸福量が下がって、0よりも小さくなったとする。
苦痛しかない。良いことがあっても、苦痛はそれをはるかに上回る。まともな思考もできない。高熱にうなされたことがある人はわかるだろう。いくら学校や会社が休みでも、大好きな漫画やゲームすらやる気にならない。ただ、痛みや苦しみが通り過ぎるのを待つだけだ。
そんな苦痛がずっと続くだけの人生。
これに対して、「人生とは何か」の著者精神科医のフランクル氏は、いやいや、それでもまだ生きる意味はある、態度価値があるのだ、という。態度価値とは、他者がみて、「ああ、あの人は立派な人だ」と影響を与えるようなもの――と僕は認識している。違うかもしれない。そのあたりがまだ理解できていない。でも、例示されていたのは、そんなようなもんだった。生きる意味は、人生から逆に求められているのだ、と。
僕はその態度価値的なことがよく分からない。やっぱり、苦しみしかない人生だと、死んだほうがまし、という状態があるのではないかと思う。
問題は、それが「今」なのか、というところだと思う。
高熱でいくら苦しんでも、「死んだほうがましだ」と思う人はいないだろう。
回復する見込みがあるからだ。
でも、回復する見込みなんて、分かるものだろうか。99%死に至る病でも、1%の確率で助かる可能性があるのでは……?
自殺は絶対ダメではない
ここまでの思考で、僕は納得するだろうと思う。要は、1%でも回復するかもしれないから、自殺は、だめだ、と、結論するかもしれない。――でも、きっと僕は、なんかしっくりこなかったろうと思う。
しかしシェリー教授は、さらに一歩進んでいる。
下の、こんな例だ(僕の記憶だけで書くので、細部は違うかも)。
あなたには、選択する権利がある。
99%の確率で、一生続く拷問を受けるかもしれないが、1%の確率で、一生お金に不自由しない暮らしができる選択をするか、何もしないかだ。
と。
この場合は、多くの人は、99%を選んだほうが賢い。それが妥当だ。物語的には、99%を選択した方が面白いのだろうけど、それはリスクが大きすぎる。
重い病気におかされた人の選択も同様ではないか、ということだ。
確かに、医療技術の発展により、劇的に回復する可能性が、1%はあるとする。しかし、世界の症例においては、5年以内に増悪し、死に至るケースが99%だとする。
まだ、そういった選択ができるような思考ができる状態だと、想像するのが難しいが、そもそも、もう何も考えることもできず、体も動かせず、ただ痛みに耐えるだけの時間が、延々と続く――そんな状態で、確かに、1%は回復する可能性があるけれども、もう殆どは死んでしまう……そうだとしたら、どうする?
態度価値
もちろん、上の考えは、「幸福量」の考え方を基盤にしている気がする。快楽と苦痛の量だけが、人生なのか、そこに考える余地はあるかもしれない。フランクル氏のいう、態度価値だってあるはずだ、そういう考え方もあるかもしれない。
でも、凡人な僕としては、やっぱり、自殺は必ずしもダメというわけではない、と思う。
もちろん、いじめを苦にして自殺、なんてのは、あっちゃいけないと思うわけであるが。
久々に、カテゴリを、「生きる意味」にした。
イラストは、どうしようかな、ネタは何もないのだが、簡単にでも描こうかな。
とにかく、今回の記事は、仕事で気が休まらないので、書くことにしたものだ。
めっちゃ心配。
自分でコントロール完全にできることじゃないと、心配。
やっぱり、管理職とか向いていない気がする。今は平社員だが、今以上に気が休まらない気がする。
50%ぐらいの成功率の時が一番人は頑張れる、とかって自己啓発も読んだことある気がするが、それは、俺にはつらい。
不安すぎる。いやその、「できませんでした」が通用すればいいけれども、たいていそういう仕事ばかりじゃないだろう。ピザのデリバリーで、注文されたけど家がわからなかったので届けられませんでした、じゃあダメだろう。
不安。
不安とは何か。
そんなことはどうでもいい。単に、落ち着いた生活がしたい。
落ち着いた生活とは何か。知らない。
知らないことは、実現されられない。引き寄せの法則。自らが望んだ人生にしかならない。
イラストコーナー
なんか、30分時間があれば、なんか描いてみようかという気持ちになるのは良い傾向に思うのだが、実際やり始めると、どうにも時間を使ってしまう。1時間15分ぐらいだろうか。お絵描き添削に応募したら「落書きを楽しんでいるレベルですね」と言われてしまうが、まぁしかし、1時間ぐらいでこれぐらいの出来までは描けるようになったというのは成長といえなくもない。
まぁ、雑なのであるが、なんか正確にアタリを描かなくても、なんとなくの立体は描けるようになった気がする。
うーん、でも、見れば見るほどいろいろ直したくなる……というのは、きっと悪いことではないのだろう。
直したい、というのは良いと思う。
なんかいまいちだけど、どうしたらいいか分からない、これは良くないと思う。