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イラスト描いてたら何書こうと思ったか忘れた
2020/11/09 00:05 | Comments(7) | 思考及び書くこと
今日の一言「なんだっけ」

まえがき

 うーん。
 本当は、何か書きたいことが生じて、キーボードに向かったものの、最近の習慣で、ブログ投稿する際には何かイラストも載せなきゃと思って、「簡単に何か描くか」(フラグ)と思ってペンタブに向かっていたら、1時間半ぐらい過ぎて今に至る。
 そして、最初に書こうと思ったことは完全に消えてしまった。

イラストコーナー

 ので、先にイラストコーナーに入ろう。
 改めて、巷にはイラストがあふれているが、いざ自分で完成させるとなると、大変なことなんだなと思う。
 しかし、ラフなのは仕方がないとして、先週? ぐらいの、フィギュアを見ながらかいた牧瀬紅莉栖は、今回のよりは品質が高いと思うものの、動きがないため、今回の作品よりも面白みはない気がする。





 イラストコーナーでいえば、先日から同じように週一でイラストUPされ始めた方について、格段にレベルアップされていて驚く。
 それまでの蓄積が違うとはいえ、デジタルイラストは初めてということで、吸収力が半端ないと思った。少ししたらきっと遥か彼方に行ってしまわれるのだろう。

能力のなさ

 当初書こうと思ったことは思い出せないが、能力のなさというのは、昔からよく感じる。

 このことについて思い出されるのは、とあるラケットを使うスポーツである。
 僕は幼少期、家族でそのスポーツをやったことがあった。
 学校の体育で、そのスポーツをやることになった。
 僕は、経験していたので、クラスメイトより少し上手だった。
 しかし、半年(?)ぐらいしたら、初めて触れた人のほうが断然上手になっていた。

 勉強でも趣味でも、その傾向がある気がする。

 なんだか、「人間としてのスペック」が低いように思う。今はやりの自己肯定感が低いとかそういうのではなくて、上のような経験――客観的な事実としてそんな風に思う。

 もっとも、一つ可能性としては、ある程度できるようになると飽きてしまうという、発達障害的(注意多動性疾患)な傾向のせいかもしれない。


 しかし、「才能」というのは、つくづく、いろんな方面でないのだなと、そんな風に思う。
「よく」言えば、器用貧乏なんだろうと思う。

休息の重要性

 部屋の中がカオスになってくると、ろくなことがないと思う。
 しかし、日々を生活していると、どうしてもカオスになってくる。
 試してみようと思うのは、床に、一切何も置いてはいけないルールだ。

 それだけは守る。何もおいてはいけない。コンセントの電源タップもダメ。

 細かいもの、それ自体はすぐに移動できて、大したことはなくても、積み重なっていると、気分が滅入ってくる。
 とはいえ、そんなことは分かっていて、できるだけきれいな状態を保ちたい。それができないから、だんだんとカオスになるのだ。

 できない理由は何か。
「時間がない」
「空間がない」
「気持ちの余裕がない」
 となるが、抜本的な解決策がなければ解決できない。

 そうすればまず、実現可能な、小さなタスクに分けることから始める。
 ニーバーの仕分けの実践。

 変えられるとと、変えられないことに分ける。……そのあとどうするんだっけ?(笑)
 点数をつけるのと、その理由を書くんだった。


課題:可変度:理由
・転職する:1:喫緊の必要性がない
・引っ越しする:2:時間とお金とやる気が出ない
・休暇をとる:5:やろうと思えばできる

 というわけで、休暇を取って部屋の片づけをするのが適切……いや、荒いな。
 なんかちょっと、問題解決になってない気がする。

 そうか、なんか少し分かった。
 俺は、問題解決をする技術が足りないんだ。
 問題を、途方もないものと捉えてしまっている気がする。
 問題は、これからも、永遠と、死ぬまで、死んでからも続くかもしれない。

 問題をすべて解決などできないのだ。

問題について

 問題に対しての考え方を変える必要がある気がした。
 言い換えれば、不安との付き合い方、ともいえる。

 要するに、終わりはないのである。
 人生に終わりはあるが、問題に終わりはないのだ。

 そんな中で、どうやって、「問題」を、「解決した」状態にもっていくのか、その手法を、その方法を、そのやり方を自分の中に落とし込む必要があるのだ。

 つまり、「幸せになるためには」といった問いではなく、「生きる意味とは」といった問いではなくて、「問題とは何か」を適切にとらえるということだ。

 問題、と書いたけれども、僕が今まで思ってきた問題とは、概念が違うと思う。
 問題は、解決すべきもの――でありながら、そうではないのかもしれない。

 問題が発生しないようにすることは、できないのだ。

 問題から逃げ続けても、次から次へと問題は発生するだろう。
 学校が嫌だからと言って引きこもっていれば、それはいずれ他の問題を引き起こす。
 もちろん、かかわらなくてよい問題にはかかわらないほうがよいものだが。

 問題を、解決可能な状態にすること、または、着手可能な状態にすること、その能力が必要であるのだ。




あとがき

(かっこ書きである。もう、24時を過ぎてしまうので、ここらで終わりにしよう。今週の土日は何もできなかったな……という感覚が強い土日になってしまった。そもそも、昼過ぎまで寝てしまった。一度、7時ぐらいに目は覚めたのだが、二度寝である。二度寝して、気づいたら15時過ぎとか、二度寝といえるのかも不明だ。よく寝たものだ。平日、睡眠時間5時間未満である。これが少ない気がする。どうしたら増やせるのか。しかし、睡眠時間が少ないことが本当の問題なのか。増やせばいいのか。解決すべき問題とは何か。どうしたら問題を解決できるのか、ではなくて、この問題はどういう問題なのか、ということを捉えることが必要だ。……とはいえ、実際、これをどう具体的に当てはめるのか、というのは難しい。直線的なリニアな問題だけではなく、円環的なサーキュラな問題もあるのだ。――いやしかし、思うに、問題を問題としてとらえるときに、やっぱり、「生きる意味」というのは大事な気がする。家族のため……という明白な目的があればいいんだろうが、守るべき家族なんていないしな。かといって、いやな仕事を耐えながら、家族のために馬車馬のようにATMのように働くというのは、何か特に憧れない。娘の結婚式で、涙をするというのは嬉しきことかなと思わなくもないが。とはいえ、クレヨンしんちゃんの大人帝国のヒロシ氏の回想シーンは涙なしには見れないだろう。――全然思考にまとまりがないな。とりあえず! とりあえず、だ。お正月はゆっくり休みたい。そのためには、土日仕事も憂わない。12月29日から1月3日までは休む!! 一切仕事はしないぞ! という気持ちで、頑張る。そういえば、受験生の時は、正月特訓なんてのもあったな。正月に勉強する人だから差がつく、とかなんとか)


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文字を書くというのは尊いことに思う
2020/11/03 21:52 | Comments(2) | 生きる意味
今日の一言「休みな気がしないが明るいうちに終われるとまぁましに思う」

まえがき

 休日も仕事のことを考えないといけないというのは、面倒なこと、限りない。
 仕事とはなんだろう。
 Youtube動画見て、面白かったと、感動したとき、しかしそれは一か月のサラリーマンの給料分を払う必要は、ない。
 ああ、いい作品だったなと、ただそれだけで終わる。有料動画もあるだろう。一回100円かもしれない。100円でも、1000人が見たら10万円だ。

 マッサージ師さんに、肩をもんでもらう。20分3000円くらいだろうか。気持ちがよい、以上、である。サービスである。

 モノとサービスの「移動」が価値を生み、金を生み、仕事が生まれる。

「便利」を手放せば、仕事は減る。――例)電気水道インフラ

「自由」を手放せば、仕事は減る。――例)24時間営業のコンビニ

「活動」を手放せば、仕事は減る。――例)交通サービス

「安全」を手放せば、仕事は減る。――例)警察・警備


 上の考え方では、「役に立たないものは切り捨てる」という功利主義が前面に登場するだろう。
 弱者や、働けないものは社会的な「コスト」になる。

 そういった考え方が、望ましい、生活のしやすい、だれもが暮らしやすい社会とは相いれないことは感覚として分かる。

 しかし、努力をしない人、できない人、フリーライダー、だらける人、そういったコストをどこまで許容すべきなのか。

死とは何か

 シェリー教授の本について購入したのはいつだったか。
 紙の本を買ったのだが、結局キンドルの電子版を隙間の時間に読んでるぐらいで、いまだに読み終わってはいない。
 電子版は半分以上を読んだ。

 死に対しての僕の考え方と似ている気がしたので、割と読みやすい気がする。
 神の概念とかに拘らず、反対意見も挙げてそれを検証していくスタイルに説得力があるように思う。

 自殺についての考え方。自殺は絶対究極に正しいわけでもないが、絶対にダメなものでもない、というのが教授の意見だと思う。そして僕もそう思う。

 人生を数値で表してみる。もちろん、これは比喩的なものだ。単純に快楽と苦痛の総和としてみる。仮に「幸福量」と呼んでみる。

 長く生きるにつれて、どんどん幸福量が下がっていく。
 しかし、幸福量が0でなければ、死ぬ必要などない。仮に失意のどん底で、つらいいじめにあっていようが、しかし、アニメや映画見て感動する時間が少しでもあれば、まだ死ぬべきではない。創造価値がなくても、体験価値がある。

 しかし、さらに幸福量が下がって、0よりも小さくなったとする。
 苦痛しかない。良いことがあっても、苦痛はそれをはるかに上回る。まともな思考もできない。高熱にうなされたことがある人はわかるだろう。いくら学校や会社が休みでも、大好きな漫画やゲームすらやる気にならない。ただ、痛みや苦しみが通り過ぎるのを待つだけだ。

 そんな苦痛がずっと続くだけの人生。
 これに対して、「人生とは何か」の著者精神科医のフランクル氏は、いやいや、それでもまだ生きる意味はある、態度価値があるのだ、という。態度価値とは、他者がみて、「ああ、あの人は立派な人だ」と影響を与えるようなもの――と僕は認識している。違うかもしれない。そのあたりがまだ理解できていない。でも、例示されていたのは、そんなようなもんだった。生きる意味は、人生から逆に求められているのだ、と。

 僕はその態度価値的なことがよく分からない。やっぱり、苦しみしかない人生だと、死んだほうがまし、という状態があるのではないかと思う。


 問題は、それが「今」なのか、というところだと思う。
 高熱でいくら苦しんでも、「死んだほうがましだ」と思う人はいないだろう。
 回復する見込みがあるからだ。
 でも、回復する見込みなんて、分かるものだろうか。99%死に至る病でも、1%の確率で助かる可能性があるのでは……?

自殺は絶対ダメではない

 ここまでの思考で、僕は納得するだろうと思う。
 要は、1%でも回復するかもしれないから、自殺は、だめだ、と、結論するかもしれない。――でも、きっと僕は、なんかしっくりこなかったろうと思う。

 しかしシェリー教授は、さらに一歩進んでいる。
 下の、こんな例だ(僕の記憶だけで書くので、細部は違うかも)。

 あなたには、選択する権利がある。
 99%の確率で、一生続く拷問を受けるかもしれないが、1%の確率で、一生お金に不自由しない暮らしができる選択をするか、何もしないかだ。

 と。
 この場合は、多くの人は、99%を選んだほうが賢い。それが妥当だ。物語的には、99%を選択した方が面白いのだろうけど、それはリスクが大きすぎる。

 重い病気におかされた人の選択も同様ではないか、ということだ。
 確かに、医療技術の発展により、劇的に回復する可能性が、1%はあるとする。しかし、世界の症例においては、5年以内に増悪し、死に至るケースが99%だとする。

 まだ、そういった選択ができるような思考ができる状態だと、想像するのが難しいが、そもそも、もう何も考えることもできず、体も動かせず、ただ痛みに耐えるだけの時間が、延々と続く――そんな状態で、確かに、1%は回復する可能性があるけれども、もう殆どは死んでしまう……そうだとしたら、どうする?

態度価値

 もちろん、上の考えは、「幸福量」の考え方を基盤にしている気がする。
 快楽と苦痛の量だけが、人生なのか、そこに考える余地はあるかもしれない。フランクル氏のいう、態度価値だってあるはずだ、そういう考え方もあるかもしれない。

 でも、凡人な僕としては、やっぱり、自殺は必ずしもダメというわけではない、と思う。

 もちろん、いじめを苦にして自殺、なんてのは、あっちゃいけないと思うわけであるが。




 久々に、カテゴリを、「生きる意味」にした。
 イラストは、どうしようかな、ネタは何もないのだが、簡単にでも描こうかな。

 とにかく、今回の記事は、仕事で気が休まらないので、書くことにしたものだ。
 めっちゃ心配。
 自分でコントロール完全にできることじゃないと、心配。
 やっぱり、管理職とか向いていない気がする。今は平社員だが、今以上に気が休まらない気がする。

 50%ぐらいの成功率の時が一番人は頑張れる、とかって自己啓発も読んだことある気がするが、それは、俺にはつらい。
 不安すぎる。いやその、「できませんでした」が通用すればいいけれども、たいていそういう仕事ばかりじゃないだろう。ピザのデリバリーで、注文されたけど家がわからなかったので届けられませんでした、じゃあダメだろう。

 不安。

 不安とは何か。

 そんなことはどうでもいい。単に、落ち着いた生活がしたい。
 落ち着いた生活とは何か。知らない。

 知らないことは、実現されられない。引き寄せの法則。自らが望んだ人生にしかならない。

イラストコーナー

 なんか、30分時間があれば、なんか描いてみようかという気持ちになるのは良い傾向に思うのだが、実際やり始めると、どうにも時間を使ってしまう。1時間15分ぐらいだろうか。



 お絵描き添削に応募したら「落書きを楽しんでいるレベルですね」と言われてしまうが、まぁしかし、1時間ぐらいでこれぐらいの出来までは描けるようになったというのは成長といえなくもない。
 まぁ、雑なのであるが、なんか正確にアタリを描かなくても、なんとなくの立体は描けるようになった気がする。
 うーん、でも、見れば見るほどいろいろ直したくなる……というのは、きっと悪いことではないのだろう。

 直したい、というのは良いと思う。
 なんかいまいちだけど、どうしたらいいか分からない、これは良くないと思う。

あとがき

(かっこ書きである。あああ、気分転換のイラストのはずが、「どうしたらいいか分からないのは良くない」というのはまさに仕事である。なんか今のままではいかんのだが、どう改善したらいいか不明――これはストレスである。あーもうやだなぁ……。あーもう、酒だ、酒をもってこい。もう冷蔵庫にビールがありません! なんだと!! せぷくだ! ふはは、しかしこんなときように、ジンを常備しているのだ。ライムジュースと混ぜる。ジンライムというらしい。そのままだな。――違った。炭酸水を使ってるので、ジンリッキーというらしい。ちなみに、ギムレットは、ジンライムをシェイクしたものだそうだ(細部に違いはあるのだろう)。へー。まぁ、その、いずれ終わりはくる。来年異動になるかもしれないし、会社がなくなるかもしれないし。そうしたら、今のプロジェクトの悩みなんて、全然大したものではないのだ。不安があれば、それを取り除く行動を続けるだけだ。――という考えのもと、休日にも仕事をしているというのもある。結局不安でゆっくり休めないなら、何かしら進めといたほうがましだろう)

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休日も仕事になりだした(統計学の本を買った)
2020/11/01 23:41 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「土日も仕事だった」「しかし悲しいかな土日の方が進捗が良い気がする」

まえがき

 ブログ間に合わないかと思ったが、なんとかなりそうだ。
 タイトルの通り土日も仕事になってしまった。
 さらに、仕事終えてじゃあイラスト描いて、ブログ書いてしよう! と思ったらネットが繋がらなくなって、スマホとかタブレットは繋がることからしてWI-FIの子機が原因だろうと推定し、慌てて閉店間際の電気屋に走った。

 原因は不明だが、直接的な原因は恐らく想定どおり、無線子機が原因のようだ。外付けのWI-FI子機を接続すると、無事繋がった。買ってまだ1年ぐらいだった気がするが……。
 今度は、割と高かったが、エレコム製のものにした。

 先週の目標において、土日の天気を事前に調べるとか言っていたが、そんなこと虚しく土日も仕事になったという。


イラストコーナー

 今回は、途中までであるが、アップロードする。


 サムネ、汚いな。ただ、線画は超がんばった。アタリ、ラフ、下書き、と、それぞれの段階でそれなりに丁寧に望んでから線画に入った。そうすると、線画の時間は割と短かった気がする。やはり何事も、準備をしっかりしていると、本番は楽だということか。

 影つけは来週あたりに入るか、それとも、その他の背景を先に描いていくか検討。
 
 これをベースにして、年明けのピクシブデビューの作品を完成させたい。一応構想は二つ。シュタゲのクリスと無職転生のエリスの赤髪コラボレーションにするか、最近発売された新型のkawasakiのバイクを背景に描くか、と考えている。
 と、こうやって文章にしていて思いついたが、それほど好みではないが、GunslingerGirlのペトラも赤髪だった。トリオを描くのでもよいかもしれない。
 ともかく、しばらくは素体(一人ずつ)の練習をしようと思う。

 それで、今回のクリスであるが、自分の中では90点である。90点というのは、もう少し拘れば良くできるポイントはある気がする部分がマイナス10点分という意味で、大体現状の実力は出せたと思う。要は本気だ。

 一方で、どうすればよいか分からないが、不満な点もある(これは、どうしていいか分からないので、マイナスの点数には加味されないものだ)。

 一つは、足の立体感(むちむち感)である。
 ちなみにこれは、フィギュア(1/8?1/7スケール)の画像を参考に描いた。ふつーに、フィギュアすげーと思ったのはおいておいて。
 んで、足なんだが、タイツ? を描くのは初めてというのもあるが、これは色塗りの際に工夫の余地があるのかもしれない。なんかでも、フィギュアにおける足のぷにっと感が、イラストで全然反映できていない気がするのが残念な点の一つ目。

 もう一つは、顔だ。端的に似ていない。今回のでも、かわいくなくはない、と思うが、しかし、二次創作の上では致命的な問題ともいえる。しかし、これも似ていない理由がよく分からない。目か、輪郭だと思うのだが、それをどう直していいか分からないのである。


 ちなみに下書き段階が下。
 いろんな方が(動画で)、下書き段階でいったん色をおいてみると、イメージがわいて、線画修正もはかどる、というのを実践してみると、確かに、やったほうが良いなと思った。下書き段階で簡単にでも色を塗ってみると技術的なことはよく分からないが、モチベーション(この絵を完成させよう!)という気持ちがわく気がした。





ペンタブの設定

 絵の内容はそうとして、今回、ペンタブの、ペンの方のボタン設定をいじってみた。
 WINDOWSの検索バーに、「ワコム」と打つと、「ワコムタブレットのプロパティ」というのがでてくる。そこで、ペンに、ボタンが二つついているが、その設定を変更できる。

 デフォは、確かスポイトツールと何かだったと思う。
 が、スポイトはあんまり使わないので、「元に戻す」ボタンと、「手のひらツール(スクロール)(移動)」に設定してみた。

 結果、めちゃくちゃ効率アップした(気がする)。特に、元に戻すボタンはよく使う。スクロールも、拡大しながら細部を描いている時などに非常に便利。描きやすい場所に画面をペンで動かせるというのがすごく良い。

 上の設定だけでなく、キーボードやマウス操作でよく使うなってものがあるならば、積極的にペンのボタンに設定するのがよいと思う。

統計学

 土日も仕事かーあーあーあーって思って本を衝動買いした。
 統計学の本。統計学とは、三つに分類できるそうだ。
・記述統計学(全量扱う)……平均とかもこれかな?
・推計統計学(サンプルを分析)
・ベイズ統計学(主観も扱う)……これがなんだか面白そう。まだ読み届いてないので全く分からない。

 記述統計学の中には、多変量解析という、複数の数値を扱った分析――回帰分析とかもあるという。なんか聞いたことあるけどなんだかわかんねーってずっと思ってたので、これを理解することを目的に買ったといえる。なんか理解できた気になったらブログに書く。

 今回は、「分散」について学んだ。
 分散ってのは、平均との差を、「偏差」というが、この偏差を二乗した合計を、データの数で割り返した数字ということだ。

 ――以上! まだこれしかわかってない。偏差値って何? ってとこまでしっかり理解したいと思う。
 とりあえず、へーっと、思ったのは、分散という考え方が何故「2乗」するか、という点だ。
 単純にデータの「ばらつき」をみたいのなら、偏差を足し合わせてみればいいじゃない……としてやってみると、偏差の合計は必ず「0」になるということだ。へー。

 んじゃあ、偏差について、プラスマイナスの絶対値をとって足し合わせたらいいんじゃない?
 ということで、それは「平均偏差」という言葉で、ちゃんとそういった概念もあるのだという。でも使われることはないのだとか。

あとがき

(かっこ書きである。土日仕事で、来週から一週間か……と気が落ち込むが、しかし、確か3日は休みだった。なら大丈夫だ! いやしかし、3日も休めるか分からない。3日も休めるようなら土日も仕事してない、というのもある。まぁ、明日頑張るだけだ。一つ書いておけば、仕事で何かできても、「やったぜ!」という達成感はそんなにない。褒められても、感謝されても、――いや、嬉しくないわけではないが、「嬉しい」ぐらいで終わる。しかし、イラストとか創作物が完成すると、「やったぜ!」という気持ちになる。――ああ、そういう意味だと、VBAとかツールで時間がかかっていた業務が短縮化できたときは「やったぜ!」って気持ちになる。なんかでも、会議とかプレゼントか、他部署調整とかで上手くいっても、そんなに「やったぜ」とはならない。「終わって良かった……」と胸をなでおろすぐらいだ。心臓に悪いだけだ。つまんねー。と、仕事に愚痴をいうぐらいなら、なんかその、もっと良い感じの仕事につけばいいじゃないかと思う。だがしかし、今の会社にだって、そういうことすることができる仕事ってあると思うんだよな。そういうのを回してもらえたらいいんだが。まぁいいや、仕事のことなんてどうでもいい。明日も早起きせんといかんが、ビールだ、ビールをもってこい! いや、ジントニックでも作るかな。とにかく、ブログはいったん今日はここまでにしよう)

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中途半端になった休日
2020/10/26 01:50 | Comments(2) | 思考及び書くこと
今日の一言「全力で休日しよう」「来週は……」

まえがき

 今週は天気良かったのか。全然、知らなかった。来週の目標は、あれだ、土日を迎える前に、土日の天気を調べるということにしよう。めちゃくちゃ、低い目標だが、それすら達成できるか分からない。

 それで、今週の休日は、ダメダメだった。またいつぞやかのように、ずっと眠っていたようなものだった。いや、一時は起きたりもしていたが、起きたり寝たりで、めりはりがなかった。布団の上でいた時間が長かった気がする。書棚の手の届く範囲の漫画読んだりしていた。

 最低限、一度は出かけなければ具合が悪くなるというのも分かっていたので、カフェに勉強に出かけた、が、たいてい、カフェに行けば目は覚めることも多いのだけれども、今週はそれでもダメだった。

 とにかく、ダメだった。ダメな休日だった。ああ……もう……。

イラストコーナー

 そんな状態では、まともな活動はできない。
 今週はイラストなしのまま終わってしまう……いや、イラストというより、ブログを書く気力すらない……、いやいや、それは、だめだ、やろう。

 ということで、イラストコーナーである。




 ざつだ!!
 まさに落書きである。一応新しいことにいろいろ挑戦している形跡はあるものの、実を結んでいない。パースをもっとしっかり意識して、身に着けて、アウトプットできるようにならないと、背景付きのイラストを描けるようにはならないだろうなと思った。

 ちなみに、めっちゃ旨そうなラーメンを描こうという目的で描き始めたはずが、なんか出来上がったのは「孤独」といったタイトルが似合いそうな作品となった。作品――というには、ラフすぎる状況だが。


 そうだ、やはり、目標は大事だ。
 目標は、とにかく今年は、毎週一枚は描いて画力をアップさせ、来年になったら、令和3年1月~3月の間に、ピクシブデビューして、イイネを10個もらうのだ。
 そのための、構想を練る必要もある。

 どんな作品にすべきか。
 想定しているのは、二次創作である。何故なら、「タグ」的に多くの人に目に留まりやすいからだ。
 その時点で流行っていて、さらに自分も好きな作品にするのがベターだろう。
 自分も好き、というのが大事だ。何故なら、品質に直結するからだ。
 鬼滅の刃は流行っているが、そんなに描こうという強い気持ちは沸かない。シュタゲあたりかな。複数作品のコラボでもよい気がする。
 構図も考える必要がある。

 いやそもそも、「いいね」をもらうために頑張るというのは、よくないことだろうと思う。
 描きたいからかく、それだけでいいはずだ。しかし、それだと、モチベーションが続かない。実際に、下がっている気がする。当時に比べたら。しかし、色を付けてない頃、線画――というか、今にして思えばラフレベルの時期――今年の6月~7月ぐらいは、そんなにモチベは高くなかった。とりあえずルーチンだしな、ぐらいで描いていた気がする。今、そういう時期なのかもしれない。

あとがき

(かっこ書きである。あっという間に、12月が来る気がする。人生あっという間だな。悔いのない人生にしよう。――なんか、なんだっけ、なにか、思い出せないんだが、やっぱりなんか人間関係面倒くさいな、と、そんな風に思ったことが、先週あった気がした。社会性、コミュニケーション、情報共有、ホウレンソウ、人は一人では生きていけない、共同作業、――そういった様々なもの、大事だ、非常に大事だ、大事なのは分かっている、が、なんかそういうのに向いていない気質な気がしてならない。なんでだっけ? 思い出せない、何があったか、具体的エピソードが出てこないんだけど、会社かどこかで、「ほっといてくれ」的な何かがあった気がする。ネットという適切な距離感が保たれる空間に慣れすぎているのかもしれない。なんか、話しかけられたりすると、それまでの作業とか思考が全部すっ飛ぶんだよな。YOUTUBEの途中から再生ではなく、また最初から再生みたいになる。オンラインゲームのパーティで、最悪な結末を迎えたというこんな話も読んだ。ネットでも、こじれるときはこじれる。しかし、ネットのよいところは、「もうギルド抜けます」ってなれば関わらなくて済むようになるし、それでもダメなら「もうゲーム辞めます」で完全シャットアウト可能な点だ。そういった選択的人間関係が可能になったという点だけを取り上げれば、なるほど人間関係の希薄化というのはあるのかもしれない。しかし、「濃厚」なやり直しのきかない人間関係というのは、むしろ私は害であるような気がしてならない――では家族は? 家族は、濃厚な、濃密な関係の代表格だろう。だから、家族をつくらない人も増えているのかもしれない。まぁでも今この時間に思うに、創造的な趣味があれば濃密な人間関係はいらない気がする。その、「濃密」なり濃厚の定義は曖昧だが。それと、創造的な趣味が必要か、についても不明だ。なんとなくそう思っただけで根拠はない。ゲームは、創造的な趣味ではない気がする。しかし、「やばたにえん」というプレイ動画は面白かった。ああ、そんな、布団の中でそんなことばっかりしていたから、土日は何もできなかったのか。まぁいいや、来週の自分に期待して、もう終わりにする)



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希望のない社会(ある大学教授のお話)
2020/10/21 22:38 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「メモがてらブログを使うのはどうなのか」「いいんじゃないか」

まえがき

 イラストがない投稿に久々になるかもしれない。
 とある動画で、大学教授が学びについて述べられていたのを聞いたので、それを受けて感じたことのメモ。
 メモで大事なのは、話の内容はともかく、自分がどう感じたかだ。

希望のない社会

 新型コロナウイルスでの死者は、日本で2000人ぐらいだろうか。
 一方で、自殺者は、ことに若者(30歳ぐらいまで)はその倍以上。
 コロナで年寄が死ぬより、若者が自殺する社会というのは希望がない社会であり、重大だ。
 今こそ学びが必要だ。
 何を学べばいいのか、近代史だ。
 中高年クライシスを、近代の日本人はどうやって乗り越えたのか。
 後世に残せるものは、立身出世ではなく、あの人は立派に生きたのだという周囲の、そして後世の人の記憶なのだ、と。

 そんな感じの話が、1時間ぐらいだった。
 長かったので、2倍速で全部みた(かっこ笑い)。

学校の先生って感じ

 授業、って感じだった。なんか、懐かしくもあったので見ていた、というのもある。
 途中、眠くなるよね。2倍速だから何とかなった。
 大学の授業で、講義のみのやつって、全部オンラインでいいんじゃないかと思った。よく聞き取れなかったところは一時停止して巻き戻して、長いなってところは2倍速で見れたりするだろうし。

 ああ、そういえば、巻き戻すってのも、テープ世代にしか通じないんだっけ。じゃあなんていうんだ? 戻る?

 ええと、まぁそれはよいとして、話としては良いことを言っていた気がした。全然、上から目線のつもりはないのだけれども、中高年クライシス――要は、「わたしは、このままでよいのだろうか」というのは、昔の人もあったんだなぁと、そんな風に思った。

 中高年、といいつつ、若いうちからそんな風に陥る人もいるということだ。僕の場合は、大学生ぐらいから、「ぼくは、このままでよいのだろうか」と思い続けて、今なおそんな状態な気がする。

 最近もう一つ、二・二六事件で暗殺された教授将軍(?)渡辺錠太郎氏の伝記読んだ。
 読んだといっても、最初の60ページぐらいだけど。でも面白かった。その人は、めっちゃ勉強家だったらしい。
 第一次世界大戦のころヨーロッパで活動していて、「戦争はいけない。しかし、争いを(すぐに)なくすことはできない」といったリアリストだったという。正確に引用すると、「勝っても負けても戦争は国を疲弊させるだけ、したがって、軍隊は強くてもいいが、戦争だけはしてはいけない」ということだそうな。
 上のようなことが書かれた紹介記事を読んで、興味をひかれたのだ。20世紀前半でも、そういった考えの人はいたのだなと。それも、陸軍の偉い立場の人で。

感想

 上の内容で終わると、つまらない読書感想文だ。
 何をみて、何を思ったのか――その、「何をみて」の部分までしか書かれていないからだ。

 感想。感想――うーむ。忘れてしまったわ(かっこ笑い)。
 勉強は大事だと思う。しかし、何を学べばいいのか、それは難しい。

 知識というのも、ノード(小知識)と、リンク(小知識の関連)であって、ノードを単に増やすだけでは「使える」知識にはならない。
 誰がために、何をするのか、全然分からない。

イラストコーナー

 なんも思いつかなくなったので終わろう……このまま投稿しよう……と思ったのだが、なんかイラストないのも寂しいなと思い、15分ぐらいで簡単なの描くぐらいならいいかなと思ったのだが、気づいたら1時間描いていた。
 1時間だと下ぐらいが限界……。あたり~下書き45分、色15分ぐらいか。何描こうか悩んでいた時間も含めると1時間以上使っている。ほんとは、きれいな「球」だけ描いて終わろうと思っていたのだが、全体的に中途半端になってしまった。1時間で描くのを「ワンドロ」(1hourのドローイング)というようだ。ほんと、時間はあっという間だ。
 ぼーっとしている時間を、限りなく少なくしたい。



 

あとがき

(かっこ書きである。しかし、「ぼーっとしている時間」も含めて、時間であり、一日である。すべて100%緊張状態は続くわけがない。しかし、カットできる時間もある気がする。たとえば、仕事が終わって帰ってきたとき。明日の心配やら、今日の失敗やらで、気持ちが興奮状態である。ゆったりまったり、「映画みたり楽しも~♪」という気持ちには一切ならない。そんなとげとげした状態が1~2時間続く。当然眠れもしない。睡眠時間は最近5時間ぐらいな気がする。足りない気がするが、休日それを取り戻すかのように寝るという、まったくもってダメなパターンである。とりあえず、今日はでも、なんかラフ過ぎるイラストではあるが、まぁでも、ベタ塗でも色付けるとなんかまぁいいんじゃんという気もしてくる。ちょっとでも何か完成させると気持ちは悪くない。小さな、達成感というやつか。「希望」とか、社会をよくするための学習とか、難しいことは分からないが、小さくてもできることを、楽しみながら増やしていけるというのが、良いこと、幸せなことなんじゃないかなと思う。帰りに食べたラーメンも旨かった、今日は良い日であった、として締めくくろう)

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