今日の一言「あっという間ですなぁ」
書きたいことが強くあるわけではないけれども、書いておこう。
何を書こうか。
コメント頂いたことも関連し、諦めることについて書いてみよう。
何かを達成できるものは、何かを切り捨てることができるものだ、みたいな。
しかし、本当にそうか。
人間の「幸せ」とは、神経伝達物質である、ドーパミンが放出された状態だそうである。
脳の部位である側坐核が刺激されてドーパミンが放出されると、「幸せ」になるのだ。
ドーパミンは、何かを達成した際に放出されるものだという。
そうやって、何かを達成し、幸せを感じ、更に新たな課題や目標をもうけて、達成し、ドーパミンが放出され……として僕らは生きていく。
ということは、何かを犠牲にしないと、幸せを感じられないということではないわけだ。
ただ、同じような刺激では、同じようにドーパミンは放出されないという。
より高い目標や課題ではないと、側坐核は反応してくれないというのだ。わがままである。
しかし、それだからこそ、人間は飽くなき探求によって、科学を発達させてきたのだろう。
一方で、脳科学的には、幸せとは、ドーパミンで脳内がいっぱいな状態というわけだ。
確か、セロトニンも、おちつきとか、幸せ感じる物質だったような。後で調べてみるか。
そんなんだったら、お手軽に、薬か何かで、神経伝達物質を増やして、――要は感情のコントロールできるようになる世界がくるとよいもんだろうか。
いやしかし、ある意味、精神科の治療は、薬によって(もちろんカウンセリング的な治療もあるのだが)感情のコントロールを(健常に)するというものだろうか。ある意味では、すでに薬によって人間の脳内はコントロールできるようになっているともいえる。
より高いものを求めなければ、ドーパミンが放出されないというのは、これは恐ろしいことである。
努力によって達成できることはもちろんあるが、「才能」の有無は生得的でどうしようもない部分もある。
ある程度は努力で満足できる達成が得られるかもしれない。それは幸せなひと時だろう。
しかし、いずれ、限界はくる。
苦労をして、乗り越えた時のドーパミンは格別だろう。
その快感を知っている人ほど、苦労を乗り越えられる。だから、体育会系の人材を欲する企業というのも多い(?)のだろう。
しかし、……繰り返しになるが、限界はあると思う。
なんか、キーボード変えてからこの症状が時折起こる。キータッチがやっぱりやや重いんだよな。これが腱鞘炎ってやつなのだろうか。新しいキーボード買うか。
あと、もう一つ、なんか、急激に眠くなってきた……。
本当は、他の作品を載せたかったが、時間が取れなかった……。
全身版。
なーーんか、最初のころと比べると、間違いなく上手くなっていると臆面なく自画自賛できるのだが、なーーーんか、物足りないというか、「エモさ」(エモーショナル?)が足りない。
まぁ、構図がいまいちだったな。「コントラポスト」(目線とか胸とか腰とかの線に角度をつける的な)ができていない。ラフ書くときに意識してなかった。
逆に言えば、正面絵で、かわいくかけているのは良いポイントには思う。
いやしかし、やっぱり、髪がイマイチな気がする。いや目か? いや輪郭か? 分からない。むしろ服がラフ過ぎるのがいけないのかもしれない。いや手か……?
難しい。
しかし、いくら時間かけても、気になるところ全部なおせて、「完璧な一枚だぜ!」っては、ならない気がする。
しかししかし、そんな、自分でも満足できていないのに、「完成」としてアップロードしていいものなのか。
見ていただく方々に失礼なのではないか。
失礼だろう。そりゃ失礼だ。
しかし、その理論でいくと、一生投稿できないことになりかねない。
とりあえず人に見てもらう、というのが、上達のポイントの一つだと、プロの先生も言っていた気がする。
まえがき
連休の締めくくりに書いておこうと思う。書きたいことが強くあるわけではないけれども、書いておこう。
何を書こうか。
コメント頂いたことも関連し、諦めることについて書いてみよう。
成し遂げるために捨てること
進撃の巨人で、そんな感じのシーンというか、セリフがある。何かを達成できるものは、何かを切り捨てることができるものだ、みたいな。
しかし、本当にそうか。
人間の「幸せ」とは、神経伝達物質である、ドーパミンが放出された状態だそうである。
脳の部位である側坐核が刺激されてドーパミンが放出されると、「幸せ」になるのだ。
ドーパミンは、何かを達成した際に放出されるものだという。
そうやって、何かを達成し、幸せを感じ、更に新たな課題や目標をもうけて、達成し、ドーパミンが放出され……として僕らは生きていく。
ということは、何かを犠牲にしないと、幸せを感じられないということではないわけだ。
ただ、同じような刺激では、同じようにドーパミンは放出されないという。
より高い目標や課題ではないと、側坐核は反応してくれないというのだ。わがままである。
しかし、それだからこそ、人間は飽くなき探求によって、科学を発達させてきたのだろう。
幸せとは何か
幸せとは何か……僕は、理想と現実のギャップである、と常日頃言っている。一方で、脳科学的には、幸せとは、ドーパミンで脳内がいっぱいな状態というわけだ。
確か、セロトニンも、おちつきとか、幸せ感じる物質だったような。後で調べてみるか。
そんなんだったら、お手軽に、薬か何かで、神経伝達物質を増やして、――要は感情のコントロールできるようになる世界がくるとよいもんだろうか。
いやしかし、ある意味、精神科の治療は、薬によって(もちろんカウンセリング的な治療もあるのだが)感情のコントロールを(健常に)するというものだろうか。ある意味では、すでに薬によって人間の脳内はコントロールできるようになっているともいえる。
イイネ症候群
あと、どう考えても危険に思えてならないこととしては、「より高い目標」についてである。より高いものを求めなければ、ドーパミンが放出されないというのは、これは恐ろしいことである。
努力によって達成できることはもちろんあるが、「才能」の有無は生得的でどうしようもない部分もある。
ある程度は努力で満足できる達成が得られるかもしれない。それは幸せなひと時だろう。
しかし、いずれ、限界はくる。
苦労をして、乗り越えた時のドーパミンは格別だろう。
その快感を知っている人ほど、苦労を乗り越えられる。だから、体育会系の人材を欲する企業というのも多い(?)のだろう。
しかし、……繰り返しになるが、限界はあると思う。
手が痛くなってきた
――唐突だが、今日のブログは終わりにしよう。なんか、腕というか、手のひらが痛くなってきた。なんか、キーボード変えてからこの症状が時折起こる。キータッチがやっぱりやや重いんだよな。これが腱鞘炎ってやつなのだろうか。新しいキーボード買うか。
あと、もう一つ、なんか、急激に眠くなってきた……。
イラストコーナー
昨日の作品に服を着せた。本当は、他の作品を載せたかったが、時間が取れなかった……。
全身版。
なーーんか、最初のころと比べると、間違いなく上手くなっていると臆面なく自画自賛できるのだが、なーーーんか、物足りないというか、「エモさ」(エモーショナル?)が足りない。
まぁ、構図がいまいちだったな。「コントラポスト」(目線とか胸とか腰とかの線に角度をつける的な)ができていない。ラフ書くときに意識してなかった。
逆に言えば、正面絵で、かわいくかけているのは良いポイントには思う。
いやしかし、やっぱり、髪がイマイチな気がする。いや目か? いや輪郭か? 分からない。むしろ服がラフ過ぎるのがいけないのかもしれない。いや手か……?
難しい。
しかし、いくら時間かけても、気になるところ全部なおせて、「完璧な一枚だぜ!」っては、ならない気がする。
しかししかし、そんな、自分でも満足できていないのに、「完成」としてアップロードしていいものなのか。
見ていただく方々に失礼なのではないか。
失礼だろう。そりゃ失礼だ。
しかし、その理論でいくと、一生投稿できないことになりかねない。
とりあえず人に見てもらう、というのが、上達のポイントの一つだと、プロの先生も言っていた気がする。
あとがき
(かっこ書きである。小説だと、「めっちゃおもしれえええ」と思いながら書くのがいいことだし、イラストだと、「めっちゃかわいいい(かっこいいいい)」と思いながら描くのがよいことである。「勘違い」というのは大事な能力だ。できないことに着目するのではなく、できたことに着目するべきだ。幸せいっぱいに生きるべきだ。ドーパミンだ。たくさんドーパミン振りまいていこう! ――なんて、ポジティブ思考は大事だとは思うが、行き過ぎると怪しげな気もする)PR