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認知機能と死について
2020/03/22 22:42 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「1日、2日はさぼりあとは免除規定」

まえがき

 例えば、10代の時に思い描いていた夢――夢だなどという大層なものでなくても、刹那的な欲求でもよい、それと、今欲しているものとが一致することはありえるだろうか。

 あるともいえるし、ないともいえる。人それぞれ。価値観の問題。

 ただ、時間経過によって、自らの身体的、または精神的な変化を疑う人はいないだろう。人は変わる。

 その変化のもっとも大きなところが、死である。

メトシェラ

 聖書で最も長寿とされる969歳で死亡した聖人。
 人生100年時代と言われる時代においても、その10倍近く生きることになる。

 僕らが、3歳のころの記憶を殆ど失っているように、30代のころのことなど、300歳になったころには殆ど忘れているだろう。

 今回のタイトルを、なんとなく、「認知機能と死」とか大したものにしてしまったが、認知というのは、記銘、保持、再生という3つの機能に分けられる、としたとき、そのどの機能が壊れたら、死になるのだろう。

 ロボトミー手術で、前頭前野を切除された人は、無感情になるという。それは同一人物といえるのか。人格の変容があったとき、それは、その人としての「自己」または「自我」としての死なのではないか。

 しかしこれは難しい問題であり、人は常に変化している(と、前小見出しで書いたところ)。

 断裂。完全に切り分けてしまえるほどの変化があれば、それは死といえるのか。
 徐々に、漸近的な変化は、死ではなく、変化。良い方向というニュアンスが含められるとき、成長という、としよう。

異世界転生

 トラックでひかれて、異世界で王子様に転生するという作品があったとして、転生したのはトラックの方だった、という漫画があって、電車で吹き出しそうになったが、まぁそういうトリッキーなものは置いておいて、魂が転生するものだとしよう。

 肉体は、まったく別であって、記憶だけが、「自分」を維持している状態。記憶とは、記銘・保持・再生が全く問題ない場合。
 この理論においては、魂は、肉体とは別に存在するものということになる。二元論だ。

 しかし僕は、どちらかといえば、一元論(物理主義……との明確な違いを述べるだけの知識がない。とりあえず、二元論との対比で、一元論、と言うことにしよう)を信じている。

 魂の働きのように感じられる「思考」や行動も、肉体が織りなしている機能の一つに過ぎないものだと。天皇機関説みたいな……全然違うか。

 そう、しかし、「僕」という現象も、「機関」のようなものだという、そういう感覚である。

 これは、最後の審判を信じている人たちとは、相いれない考え方なのかもしれない。異律、異端なのかもしれない。「僕」「私」という現象が、単に物理的な現象に過ぎないということは、生理的に認めずらいのかもしれない。

 しかし、世の中は「元素」である。有機物も無機物も、元素である。(有機物の定義だけ、ググらせてもらおう。僕の理解だと、炭素と酸素の元素が含まれている奴が元素だ。――違った。炭素を含むやつは有機化合物という)

 で、まぁ、その、炭素である。Cだ。カーボン。不思議だ。僕らの体は、炭素の化合物なのだ。
 でもまぁ、その、「神経」……今あらためて見てみると、神経って、すごい漢字をあてているな。まぁ、その、神経も、たんぱく質――炭素でできている。もちろん、単独のCとは比べ物にならないほど複雑な化合物になっているものの、その構成要素はCなのだ。

 タンパク質の構成元素は、C、H、N、Oである。20種類のアミノ酸がタンパク質(プロテイン)を作っている。


 ちょっとまて、この小見出し、「異世界転生」じゃあなかったか。脱線しすぎである。

物理主義(一元論)

 とにかく、「徹底的に考える」とか大層なことのようなブログタイトルにしておいて、考えるということも、「所詮は」元素の化合物が織りなす現象なのである。いやそれはすごいことなのだが。

 素晴らしい創作物を作ることもできる、神大な機能。それが人間であるといってよい。その機能について、見下げる必要などない。所詮は、などという下賤な言葉を使う必要はない。人間、すごい。ただそれだけでいい。

 ……。


あとがき

(かっこ書きである。おぉ、やる気よ、死んでしまうとは情けない。……なんというか、「やる気」が起きない。何に対しての、やる気なのか。せっかく、まだ所詮は若造の30代なのにかかわらず。何を成そうとしているか、何をなそうとするべきか、分からない。ただ思うのは、恐怖……恐怖書くと仰々しいが、物語に触れ、楽しむという感覚さえも、磨き続けなければ衰えてしまうのである。ただ白い天井を蒙昧と見て毎日を過ごすだけの日常に成り下がるのか。――俺は何を言っている。だが、未来の、過去の俺は分かってくれるはずだ、この、微妙な感覚を。こういうときは、ただ、無心に筋トレをするしかない。いやほんと、それしか正しいことはない)

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