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理想の社会と生活保護
2020/03/09 07:18 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「生活リズムがリズムになってない」

まえがき

 ほんと、休日は、昼起きて深夜に寝るというスタイルになっている気がする。正直、身体に良くない気がする。――が、これも、どうなのか。確かに、小さいころから、生活リズムをちゃんとしなさいと言われてきた。書籍などでも、朝起きる時間は変えないほうが効率的、というのがあったと思う。

 しかし、これは本当なのか。どうにも自分の身体としては、よく分からない。それに、何のための「効率」なのか。
 そもそも、眠れなくて、深夜2時ぐらいになったとして、それでも、朝7時に起きるのは無理があるのではないか。いやもちろん、平日はそれぐらいなのだが、休日も同様なのか、という点だ。
 目覚ましかけないと、15時ぐらいまで普通に寝ている気がする。そこまでいくと、確実に翌日の休日にも影響するのだが。
 もう、自己嫌悪というか、モチベーション(これも、何のモチベーションなのか、という点があるが)は最悪である。

 であれば、逆に、初めから、15時までに起きる、という、「計画」を立てておけばどうか。

 何をばかな!

 となりそうだが、しかし、ふと、わけのわからない時間に目が覚めて、いや割とよいのでは、と思った。
 要するに、「自己コントロール感」が自己肯定感にとって重要なのである、としたときに、その50%程度の成功率で「可能である」目標を立てることが重要なのだ。

貧困について

 脈絡がないといえば、ない。
 先般少し、頂いたコメント等も含めて書いたことと関係する。

 生活保護受給世帯は160万人で、生活保護受給者数は200万人であるという。

 この数字が多いか少ないか。
 数字だけでは分からないことがある。割合、率である。人口に占める生活保護受給世帯はどう変化しているのだろうか。
 中学校だかの教科書に、朝日訴訟という、生活保護について憲法の解釈を争った事件があったと思う。あれの結論としては、「プログラム規定説」として、憲法は理念を(この言い方が正しいか不明だが)示しているのであって、具体的な保護の基準(いくら支給されるべきか)ということまでを規定しているのではない、というものであった。要は、朝日氏は負けた、ということになるのだろうか。

 ただ、おそらく、生活保護というものについての国民の意識を大きくしたのがその事件だったと思うし、それによって生活保護基準の見直しが図られて、対象者がぐっと増えたのではないかと思う。そういう世論が形成されたのではないかと、思う。たぶん。

 その仮説を証明するには、数字が必要だ。朝日訴訟は、1967年判決だそうだ。
 その前後の、生活保護受給者数と、人口に占める割合を見ればよさそうだ。

→ぐぐったら厚労省資料に過去推移が見やすいのがあった(リンクの資料4ページ1)

 結論としては、大外れだった。1967年は、昭和42年だが、昭和40年~昭和50年の期間は、保護世帯は急速に減少している。保護率は、1.63から1.21%へ。ちなみにH29時点は、1.69%。

 というとなると、生活保護数は、経済状況の方が相関関係が強いのかもしれない。

あとがき

(かっこ書きである。で? と言われても困る。ただ、なんとなく、人生の選択肢として、自殺よりは、生活保護の方が先の選択肢であった方がいいと思ったのである。自殺者は、先日調べたところだと、2万人を切っている。ちなみに、若い人のほうが死にがちだった気がする(違ったか。「若い」の定義によりそうだ)。理想の社会の在り方はなんだろうか。自殺者はゼロの方がいい気がする(これすらも違うかもしれない)。生活保護もゼロの方がよい気がする(違うかもしれない)。――というよりも、先日コメントも頂いたが、一時的に生活保護になっても、再チャレンジしていけるような社会が良い社会なのかもしれない。――ということ自体に興味があるわけではないのだが……。何を言いたいのか、書きたいのか、俺は何を感じているのか。なんかちょっと、今回の記事も(僕の感覚と)ズレている気がするのだけれども、とにかく、数字がある程度記憶の中に入っていないと、考えることもできない、かもしれない。――でもそうか? 社会情勢を正しく理解できたとして、それと、自分の生き方とは直結するのか? そう、なんというか、もっと切り込んだことを考えたいのである。そもそも、生活保護は、税金で成り立っているということからすれば、生活保護者は、みんなで支えているということである。これは、保険のようなリスクに対する保障と同じように考えてよいのか。僕らが突然どうしようもなくて、働けなくなって、生活保護を受給するしかなくなることもあり得る。そういう、リスクへの備えということでよいのか。そもそも、利益中心で考える必要がある資本主義社会とは、一線を画す考え方ではなかろうか。税金が高い、高いと、一般の方々もよく声にすると思う。消費税増税――たかだか2%程度(という書き方をすると攻撃的だが)でワーワー声が上がる。一方で、社会保障は手厚くしろという。富豪や政治家や公務員の給料を下げて「弱者」へ配分しろ、ということなのであろうが、果たして正しい考え方なのか(正しい「配分」というのが、恐らく見出すことは不可能だろうという点からしても)。いろいろな観点をぐちゃっと書いたが、一般的な感覚の一つとして、「生活保護は甘え」とかって意識もあるだろう。パチンコに行くほどの余裕あるんじゃないか、派遣社員で頑張ってる俺より裕福じゃないかとか、そういうのもあるだろう。ただ、それは程度の問題として、僕が考えたい部分じゃない気がする。そもそも、何が正しいのか。生活保護を全部廃止して、非正規雇用の給料を上げた方が経済が活発化するのではないか、とかっていうと、きっと非人道として社会的に抹殺されるだろう。しかし、不思議だ、抹殺された先には、生活保護があるのである。じゃあ、死ななくていいのか、とか、わけが分からない。ただ、分からないが、完全な推測だが、「国」とか、生活保護課の人でもいいが、予算としては、減らしたほうが良いって思うのではないか。――いや、この辺りはもっとかっこ書きじゃなくてちゃんと書いたほうがよいな。ただ、組織的な目標と、人としての考えってのがある、と思う、ということである。うーむ、全然書ききれない感覚。だが時間切れだ。意外と、書くことはあるんだよな、ただ、こう、「のる」ことが、最近できない。まずは、着手することが大事なんだよな)

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