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死について書こう
2020/04/12 09:24 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「気分が向いたら出かけるか」

まえがき

 また、一週間ぶりになってしまった。
 昨日は、眠れなかった。一昨日も眠れなかった。眠れないので起きてオンラインゲームやってたが、なんかぐだぐだになった。
 オンラインゲームって、遊ぶ相手によるよね。こう、なんというか、めちゃくちゃ上手い人とやるのが面白いかというと、そういうわけでもないと思うんだよな。かといって、めちゃくちゃ下手な人とやると、文字通りグダグダ過ぎて遊びにならない。いや下手でもいいんだけど、まじめにというか、慎重にというか、ルールを守ってというか……最低限はできて欲しいものだ。まぁその、「最低限」って何か、というのはまた大きな問題であって、自分がある程度できるようになったから、最低限といいつつマウンティングしているだけかもしれないし。
 いやもちろん、「俺も最初からそれぐらいはできていた」というレベル――これでも表現がよくないか、もうほんと、途中で抜けるとか、ミッションが始まっても動かないとか、そういうマナー的なことなのであるが、そういう遊び方だって認めるべきなのかもしれない。

 だが、それと、僕が楽しいかという問題は全く別である。

ゲームは所詮ゲーム

 まぁいいや。それより勉強しよう。
 ゲームが上手くなったって、給料が上がるわけじゃないし、誰かに褒められるわけでもない。
 勉強すると、きっとたくさん良いことがあるはずだ。

 ――そうなのだろうか。それよりも、コミュニケーション能力が高い人のほうが出世する気がする。出世がどうこうというのは割とどうでもいいが、いい感じに仕事ができる気がする。

 知識が豊富でも、人当たりが強い人は「使いづらい」って思われそうである。もちろん、ノーベル賞ものの突出した知識のある人たちは別だろうが。

 まぁそんな益体もないことを考えても仕方がない。いや考えるというよりも単なる愚痴である。
 愚痴るほどの何か状況が生じたわけでもないが、なんとなくそんな風に思う。

 まぁその、エクセルの操作とか数式が壊れたのを直してあげたり教えてあげたりするのは楽しいしやりがいがあると思う。ここ数年、いろいろトラブル解決してきたから、そろそろエクセルあたりは中級者を名乗っていい気がしてきた(専門IT企業以外だったらね)。まぁまだまだ学ぶことは多いけれども、学ぶための基礎はできたかなという感じはする。とかってネットで書くと叩かれるの怖いよね。こういうこと書くと、「じゃあ〇〇は知ってる? できる?」とかって難しいこと言ってくる人がいたりする。そりゃあLET関数とか変数定義できる新しい関数とか知らんわ。

ゲームと仕事と人生

 やたら壮大な小見出しをつけたけど、思うに、小見出しって本当は、文章書き終わってから、それを要約する(キャッチーな)ものをつけるという順番だと思う。
 このブログの書き方としては、上から下に流れていくだけだ。推敲とか基本していない(すみません)。ゆえに小見出しも先に書いている。内容と一致しない場合がある。

 ゲームは気晴らしだ。
 という言葉は、よく聞くような気がするけれども、仕事も気晴らしだ、とも聞く気がする。実際に言語化されなくても、仕事はともかく、ゲームに至っては、内心そう思っている人が大半ではないだろうか。

 ただ、おそらく、僕は数千時間をゲームしてきた気がする。これは少ない見積もりな気もする。
 例えば、土日に8時間やってきたとする。20年ぐらいやってきたとする。
 20年のうち、土日はどれぐらいあるか。
 365日÷7日(一週間)×8時間=417時間(1年あたり)
 417時間×20年=8343時間

 となる。
 おぉぉぉ。想像を超えた数字だ(かっこわらい)。
 だが、まぁ、「数千時間やってきた気がする」というのは、あながち感覚として間違っていなかったということだろう。

 8000時間を身体鍛えたり、勉強にあてていたら、もっと違う何かになれていたのだろうか。

 逆に、それだけの時間を、メインの仕事をしていたとしても、誰しも(週休二日であれば)できるのである。土日に8時間ということは、4時間ずつぐらい。もっといえば、平日含めて1時間ずつあてても、週に7時間は確保できるわけだ。

死について

「で?」

 という気持ちになってしまい、それ以上何も書けなくなった。
 ので、本を読む。二元論。身体と魂。クオリア。

 ああ、そうだ、僕はそういえば、「物理主義者」の立場に立っているのであった。忘れていた。
 物理主義者とは、つまり、魂は存在せず、僕らの身体的構造によって「意識」ないしは感情が生じている(に過ぎない)とするものだ。

 このことが、時折――ないしはいつも、僕を意気消沈させている原因なのかもしれない。――もちろんそれが、驚くべき物理構造であることは間違いないのだけれども。かといって、神や天国があることを望むわけではない。死は死であってよいと思う。何もない――それは本当に何もないこと(決して、僕が時折冷や汗だらだらでみる夢の、死んではいるが意識だけは残ってしまったような恐ろしいものではなくて)であってよい。

 そう。こういう、キーワードというか、きっかけを得ると、途端に頭が回りだす。
 思い出した、サイコパス3期見終わったこととか(これはこの文脈に一切関係ないが)、「LOVOT」という感情を表現するロボットが販売されていることとか。

 これも文脈に関係ないが、コメント欄でおすすめされた内の、「最果てのパラディン」を小説家になろうで読んだこととか。いろいろ思い出す。最近の記憶は、仕事とゲームしかしてない気がしたが、そんなことはなかったのだ。ただ、得体のしれない気落ちによって色々記憶がなくなっていただけだったのだ。

ロボットは感情を表現し得るか

 そんで、例えば、涙腺機能を付けたロボットが泣いていたとして、僕らは、ロボットが「悲しんでいる」と思うだろうか。
 思う人もいるかもしれない。

 ただ、僕は思えない。

 もう一つ、「分身ロボットカフェ」というのもあるらしい。こちらは、障碍のある方などが、自宅にいながら、ロボットを遠隔操作して、カフェの店員をやるのだ。攻殻機動隊の少佐が義体使って情報収集活動するようなものだ。こちらは、ロボットを操作する先の「人間」が感情があるということができるだろう。

 LOVOTはどうか。
 自律して、おしゃべりして、泣いたり笑ったりして――それは感情があるといえるのか。


 そもそも!
 感情が大事なのか。例えばペット――猫さんがニャーとないたとき、すりよってきたとき、僕らは「かわいい」という感情が生じることだろう。だが、猫さんの感情はあるのか。あるのかもしれない。でも、それは適切にはわからない。ニャーと泣いた意味が、分からない。すり寄ってきたのも、「ご主人サマーかまってニャー」なのか、「おいテメー、そこの席は俺ん場所だぞ、どけや」なのか分からない。

 それでも、ペットは、良いものだ。その点において、本当に感情があるのかどうか、という点は、さほど重要ではないのかもしれない。そうすると、LAVOTはとても尊い試み実践だといえるだろう。

人間の感情だってよくわからない

 そうさ、もっと考えてみれば、人間相手だって感情など分からない。
 あの子が笑顔で話してくれたとしても、その「意味」は分からない。

 分からないのだ。
 それでも、「感情」は大事なものだとされるし、感情は人間には自明にあるものだとされる。たまに無い人のことをサイコパスといったりするが、例外とされる。

「どこに」
 感情はあるのか。
 ロボットが感情を持てないというのは本当か。

「魂」が宿らないと感情は生じないのか。

 魂とは何か。それを綿密に説明できたとしよう。説明できるとすれば、それは「物理現象」なのではないかと僕は思う。
 その点でも僕は物理主義を支持したいと思う。支持するというのは、それが「好き」かどうかではなくて、そう思わざるを得ない、という意味である。もっとなにか、「究極の意味」があったほうがいいのに、と思う気もする。



 ――この記事は何の話だっけ。
 死について、と、タイトルにある。

 死……。
 オンラインゲームプレイで荒らし野郎のせいでミッション失敗した時間は無駄だったわけであるが、じゃあ、このとりとめのない記事を書いている時間は無駄じゃあないのか。

 絶対的な死に対して、刻々と死に向かっていく中で、ゲームミッションの失敗と、この記事と、食事等生理的な営みと、仕事と、その他人生において行うこと全般に対して、何をもって有益、何をもって無駄とすればいいのか。

 ――否。ゲームミッションの失敗は、ゲームにおいてすら無駄だったのだから、完全なる無駄だったのだ!! くそうあの野郎!(笑)

あとがき

(かっこ書きである。サイコパス三期の感想はまた今度。面白かった、ような気がする。なんか、シビュラシステムさんが、シリーズごとに、どんどん良い存在になっている気がする。システムに管理される社会とそれに対抗する人たち――という構図じゃあないんだね。システムに管理されるというのも、別にイコールでディストピアになるわけじゃあないということなのか。まぁそもそも、今の時代でも既にシステムなしに社会はまわらないのだけれども。んでまぁ、その、俺は、ゲームするよりかは、この記事書く方が有益だと思うし、それよりも小説とか音楽とか創る方が有益だと思う。思うのだけれども、最近、精神的リソースが少ない(気持ちに余裕がない)。原因はよく分からない。原因は仕事なのか。だが、じゃあ、仕事が忙しくなくなったら、どうなのか。多分、精神的余裕は生じるかもしれないが、きっと、「根本的な問題」(それが何かは分からないが)は解決しない気がする)


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