今日の一言「能力不足を感じる」
その「勉強」とは何なのか。
勉強が重要なことは、僕は前々から否定はしていない。
創作にだって勉強は必要だ。人間関係においても勉強は必要だ。何も、学校の「お勉強」だけが勉強ではない。
勉強とは何か。
学習とは違うのか。違わない。同じだ。学ぶということも同じだ。そこの定義のとやかくを議論することに意味はない。要するに、外部からのインプットである。記憶であり、経験である。
勉強の反対は、成長しないということだ。退化である。
要は、「勉強しておけばよかった」ということは、何の意味もない感覚であると僕は思う。そこに、もっと、特定の「何か」の学習が足りていなかったことの後悔、それはあるのだろうと思う。それを語ってもらうことは有意義だと思う。こういう職業の、こういう立場の人から、こういう勉強が必要だったと今後悔していると、そういう情報は、非常に有意義だと思う。
そこを前提にしたとき、「理解」とは、成しえるものなのか。可能だ、と思う。その定義の範囲内での完璧な理解というのは存在する。
もっと統計的な知識が必要だと思い始めた最近、「幾何平均」という概念を学んだ。
――常識でしょ? と思われたろうか。僕は初見だった(恥ずかしい)。でも、いろいろ調べていると、ふつう誰でも知っていることのようだ。へー。無知の知だなぁ。
まぁいい。誰かの常識は、誰かの非常識なのだ。
で、その幾何平均とは、検証する複数の数値を掛け合わせて(乗じて)、その結果を数値の個数の累乗根を求めるということである。
数式にすると、xとyとzの幾何平均は、3√x×y×z
である。
数値が3つあるから、3乗根をとる、ということだ。
これでまぁ、僕は幾何平均を理解した、わけであるが、これがどう使えるかはまだ分からない。
たとえば、
x=10, y=20, z=60のとき、
普通の平均は、90÷3=30になる。
幾何平均は、22.894になる(エクセル関数GEOMEANを使用)。
だから、なんなんだ。分からない。理解と、納得の距離感がある。
https://yaruok.blog.fc2.com/blog-entry-2554.html
その作品のことと関係するかどうかはアレだが、効率化するということは大事だということは、誰しも思うことだろう。
割り算のやりかたを、ひっ算でするのではなくて、割られる数に到達するまで、ある数字を乗じていくというやり方は非効率だろう。
電卓があるのにそろばんを使うのは非効率だろう。パソコンの表計算ソフトがあるのに電卓しか使わないのは非効率だろう。
効率を求めてるというのは必要なことだ。
ただ、取り扱う問題は、必ずしも、道具の使用方法によって解決する問題だけだろうか、と思う。
無駄なことをしている人は、いらない人、ということになると思う。
まぁ、会社はそういう場所なのである。ただ、会社だけでなく、突き詰めれば、社会でも、そういうことになると思われる。
誰かの役に立たない人は、いらない人、いらない人は、死んだ方がいい、と。
多分、多くの「生きづらい」という感覚を持ったことがある人は、そういう効率性の悪魔に囚われているのではないかと思う。まぁかくゆー僕もそうなんだが。
僕自身、さっきの電卓の例のとおり、効率性は大事だと思っている節もある。ゴールがあって、そこに到達する時間が短いほうがいいに決まってる。
成長という面でも、単位時間の成長量が大きいほうがよいに決まってる。それはそうなんだけど。
ということで、イラストコーナーである。
一週間お疲れ様ーって感じ。まぁ、また新しい1週間が始まるわけだが……。
構図を工夫。あと指と、足の裏をがんばって描いてみた。足の裏の参考画像がなかなか見つからなかった。難しい。あと、ビールっぽいのを表現。飲み物の参考画像は比較的豊富だったが、表現が難しい。
時間が、やっぱり分からなくなる。4~6時間ぐらいだろうか。
下の↓、下書きの状態は大体1時間ぐらいだったと思うが、それ以降どんぐらいだったろう。複数日かけると、時間カウント忘れちゃうんだよな。
もう一枚。これは、先週あたりから描いていたもの。
金属感を出す方法を学んだ、がこれも難しい。肩のパーツはなんとなく金属に見えなくもないように思える。
あと、透明というか、薄手の生地を表現。腕にかかる布と、足にかかる布の薄さをなんとなく表現できたのではないかと思う。
にしても、服とか装飾を表現しだすと、これまた時間が大量に必要になっていく。これも10時間以上かかってるんじゃなかろうか。
ちなみに、三国無双の王元姫がモチーフだが、まったく似てないな。公式のイラストってか、3Dを見ながら書いたのだけれども、3Dから模写するってのは、これまた難解なことが分かった。やっぱり、線画部分がはっきりしたものでないと、模写すらできない。(グリザイユ画法? とか、線がはっきりしていないものを模写する技術はまだ全くない)
まえがき
若いころ、勉強しておけばよかった、とかって、よく聞くじゃないか。その「勉強」とは何なのか。
勉強が重要なことは、僕は前々から否定はしていない。
創作にだって勉強は必要だ。人間関係においても勉強は必要だ。何も、学校の「お勉強」だけが勉強ではない。
勉強とは何か。
学習とは違うのか。違わない。同じだ。学ぶということも同じだ。そこの定義のとやかくを議論することに意味はない。要するに、外部からのインプットである。記憶であり、経験である。
勉強の反対は、成長しないということだ。退化である。
要は、「勉強しておけばよかった」ということは、何の意味もない感覚であると僕は思う。そこに、もっと、特定の「何か」の学習が足りていなかったことの後悔、それはあるのだろうと思う。それを語ってもらうことは有意義だと思う。こういう職業の、こういう立場の人から、こういう勉強が必要だったと今後悔していると、そういう情報は、非常に有意義だと思う。
理解について
ソクラテス氏の、無知の知ということが「すごい」ことなのは、いついかなる時代の、どんな立場の人も、子供から老人まで、普遍的に当てはまるということにある。知識の量ではなくて、知らないことを知るということが重要だということは、必ず意識すべきことだろう。そこを前提にしたとき、「理解」とは、成しえるものなのか。可能だ、と思う。その定義の範囲内での完璧な理解というのは存在する。
もっと統計的な知識が必要だと思い始めた最近、「幾何平均」という概念を学んだ。
――常識でしょ? と思われたろうか。僕は初見だった(恥ずかしい)。でも、いろいろ調べていると、ふつう誰でも知っていることのようだ。へー。無知の知だなぁ。
まぁいい。誰かの常識は、誰かの非常識なのだ。
で、その幾何平均とは、検証する複数の数値を掛け合わせて(乗じて)、その結果を数値の個数の累乗根を求めるということである。
数式にすると、xとyとzの幾何平均は、3√x×y×z
である。
数値が3つあるから、3乗根をとる、ということだ。
これでまぁ、僕は幾何平均を理解した、わけであるが、これがどう使えるかはまだ分からない。
たとえば、
x=10, y=20, z=60のとき、
普通の平均は、90÷3=30になる。
幾何平均は、22.894になる(エクセル関数GEOMEANを使用)。
だから、なんなんだ。分からない。理解と、納得の距離感がある。
効率性について
コメントでおすすめされた「できない子は知恵の悪魔と呼ばれるそうです」をようやく読んでみた。面白かった。どう面白かったかは今回の記事では割愛するけれども、終盤のあらぬ疑いをかけられて決断を迫られた際のシーンが熱く感動的で涙した。取り扱う内容自体も面白いながら、ストーリー構成も卓越していると思った。割愛するといいつつ書いてしまった。https://yaruok.blog.fc2.com/blog-entry-2554.html
その作品のことと関係するかどうかはアレだが、効率化するということは大事だということは、誰しも思うことだろう。
割り算のやりかたを、ひっ算でするのではなくて、割られる数に到達するまで、ある数字を乗じていくというやり方は非効率だろう。
電卓があるのにそろばんを使うのは非効率だろう。パソコンの表計算ソフトがあるのに電卓しか使わないのは非効率だろう。
効率を求めてるというのは必要なことだ。
ただ、取り扱う問題は、必ずしも、道具の使用方法によって解決する問題だけだろうか、と思う。
無駄なことをしている人は、いらない人、ということになると思う。
まぁ、会社はそういう場所なのである。ただ、会社だけでなく、突き詰めれば、社会でも、そういうことになると思われる。
誰かの役に立たない人は、いらない人、いらない人は、死んだ方がいい、と。
多分、多くの「生きづらい」という感覚を持ったことがある人は、そういう効率性の悪魔に囚われているのではないかと思う。まぁかくゆー僕もそうなんだが。
僕自身、さっきの電卓の例のとおり、効率性は大事だと思っている節もある。ゴールがあって、そこに到達する時間が短いほうがいいに決まってる。
成長という面でも、単位時間の成長量が大きいほうがよいに決まってる。それはそうなんだけど。
イラスト
なんて、上のようなことを書いていたら眠くなってきた。つまんないな。ということで、イラストコーナーである。
一週間お疲れ様ーって感じ。まぁ、また新しい1週間が始まるわけだが……。
構図を工夫。あと指と、足の裏をがんばって描いてみた。足の裏の参考画像がなかなか見つからなかった。難しい。あと、ビールっぽいのを表現。飲み物の参考画像は比較的豊富だったが、表現が難しい。
時間が、やっぱり分からなくなる。4~6時間ぐらいだろうか。
下の↓、下書きの状態は大体1時間ぐらいだったと思うが、それ以降どんぐらいだったろう。複数日かけると、時間カウント忘れちゃうんだよな。
もう一枚。これは、先週あたりから描いていたもの。
金属感を出す方法を学んだ、がこれも難しい。肩のパーツはなんとなく金属に見えなくもないように思える。
あと、透明というか、薄手の生地を表現。腕にかかる布と、足にかかる布の薄さをなんとなく表現できたのではないかと思う。
にしても、服とか装飾を表現しだすと、これまた時間が大量に必要になっていく。これも10時間以上かかってるんじゃなかろうか。
ちなみに、三国無双の王元姫がモチーフだが、まったく似てないな。公式のイラストってか、3Dを見ながら書いたのだけれども、3Dから模写するってのは、これまた難解なことが分かった。やっぱり、線画部分がはっきりしたものでないと、模写すらできない。(グリザイユ画法? とか、線がはっきりしていないものを模写する技術はまだ全くない)
あとがき
(かっこ書きである。一週間あっという間だな。早い、早すぎる。ゲーム最近全くやってないな。その分、だらだらとYOUTUBE動画みたりしてるかも。昔やったことある、スーパーファミコンのゲーム動画(実況とか、TAS)とか、面白いってか、懐かしいんだよなぁ。TASって、なんかプログラムかなんかで操作してるのかと思ってたんだけど、実際にプレイした記録なんだな。エミュレータで小まめにセーブしたりしてるだけで、操作は実際のコントローラからの入力ということだろうか。すごいな。――と、ここいらで眠くなってきたので唐突に終わる……)PR
【理解について】
1.知識は小知識(ノード)と関連(リンク)からなるネットワークとして定義できる。
2.学習とはネットワークにノードとリンクを追加する作業のこと。
3.客観的な理解はネットワークのアウトプットの確かさによって定義できる。
4.主観的な理解は、ネットワークのノードとリンクの複雑さとネットワークのアウトプットの確かさによって変動する。
5.遠藤さんが理解できていないと「感じる」のは知識のネットワークのノードとリンクが不足しているせいでは?と思っています。幾何学の例の場合、客観的な理解はできているので。
6.5に追加でいうと、理解したと思える段階というのは主観的なものであるので自分で勝手に決めてくれっていう話になると思います。納得できるまでネットワークにノードとリンクを追加しまくれということ。客観的な理解を求めるのであれば、ドリルを解いて答え合わせすれば分かるはなし。答えがない問題への理解はそれこそ定義できないが、ネットワークの大きさによって大小は比較できるでしょう。
【効率について】
1.効率が重要なのは70点をめざすまで、70点~100点は効率よりも何をするか何を得るかがもっと重要になるので効率はそこまで重要ではなくなる。
2.数学でいうところの70点は大学の院以前、それ以降の研究が70点以降と考える。先人が積み重ねてきていてすでに自明であるのが70点まで、未知の領域がそれ以降。
3.社会とくに会社でいうところの効率はやはり重要だが、それよりも社会や会社が何を行うか、何を得るかのほうが重要。
4.効率についてのみをみるべきではないが、効率を無視することは論外。
5.我々は70点に満たない問題に直面しながら、70点以上の問題に直面するから、効率が大事な場面もあればそうでない場面もあるのは当然の話。
6.多分面白いのは効率が重要ではない問題や課題。だからさっさと効率化してそういう問題に取り組もうっていうのが自分の意見。
【その他】
なんでこのAAストーリーから効率についての話が始まったのが謎で、AAストーリー1話読んだんだけど、アシェラッドでてきてワロタwww
自分は絵が好きってわけではなくて、3年に1度くらいなんか書いてみたりするっていう程度なんすよね。イラスト=自分の頭の中にあるものをアウトプットの手段っていう認識。遠藤さんにとっては違うかもしれんけど。自分は文章とかのほうが性に合っているなぁと感じるので、文章がメインになりそうです。
イラストって難しいよね。何が難しいって頭の中にあるものと目の前にあるものが別なんだよね。多分これは70点以前の問題だと思うんだよ。でも70点を超えるのって相当難しくって、やる気がないと無理だと思う。そこが難しいところだよね。
大体自分が絵を描くと病んだ絵になるんだよな。きびしいwwww