今日の一言「影響されることの恐怖が孤独を招く」
ええと、サイコパス、一期の半分ぐらい見た。これは良作に思う。しかし、ちょっと調べたところ、一般的な評価はかなり低いようだ。シビュラシステムが欠陥システム過ぎてダメだ、ということが一つの要因らしい。
けれども、思うに、その「システム」というものに対する認識の違いが感覚の違いなんだと思う。
この作品はそもそも、システム(今流行のAIなどを含めてもいい)の完璧性への懐疑をしたいんだと思う。その意味で、この半分ぐらいみた段階では成功していると思うのだけれども、いやいや、裁判も何もないままドミネーター(対象となる人の性格や思考や感情などから判断する犯罪係数によって制圧から処刑までしてくれる銃)が全部判断してくれて、それを良しとする社会何て、リアリティなさすぎっしょ、というのが、批判の主たるものじゃなかろうか。
それは、もっともなようで、あまり興味をもてない指摘である。
人は何故生きるのか、生きるために生きるのだ、というぐらい、トートロジーでつまらない感想に思える。
そもそも、資本主義だとか、法律だとか、宗教とか、人のつくった広義のシステムで、完璧なものなどあったろうか。
世界的な宗教は、人類の愛と普遍性を求めていただろうが、聖地を邪教徒から取り戻そうと、幼い子供たちまで戦地に送り込んだ。そして、戦うことが死後神の国に行けると信じ込ませた。今の資本主義は大分改善されたものの、勃興期では、過剰な労働で多くの人が命を落とした。昨今のブラック企業どころの騒ぎではなかっただろう。
そうした、システムを信奉する人たちへの懐疑、警鐘というのをしたいのだろうと、2話か、3話ぐらいまで見た段階で何となく思ったが、半分ぐらい見た段階で、(恐らく)ラスボスのマキシマが登場したことで、彼の台詞の中などで分かった。
しかし、前述のドミネーターは反応しない。犯罪係数は低いままだ。撃てない。
ますますエスカレートするマキシマの行動、ついには人質を……。
それでも、ドミネーターは反応しない。おかしいだろ! 人を殺す意志をもつ相手に対して、犯罪ではないと、「悪」ではないというのか! 欠陥システムだ! というわけである。
しかしそれこそが、システムを「神」として信奉し、自らの意志を機械に任せてしまった人々への警鐘というわけである。
まぁ、これについては、今後、何故シビュラシステムが、マキシマの犯罪係数を計測できなかったのか、もう少し明確な説明が欲しいところだ。
ただ、批判ばかりする人のレビューはつまらないから、勝手な妄想を書くと、恐らく、多くの「普通の犯罪者」は、「自己の快楽」を求めているのではなかろうか。シヴュラシステムは、人類の幸福、正しいこと、正義、発展に寄与する指数を計測して定め、それと乖離する行動や思考や感情や性格を持つ人を、犯罪者認定していると思われる。
マキシマ氏の場合は、彼の言動の表面的に見てしまうと、全くもってクソ外道なわけだけれども、彼の本来的な意図、理念、理想自体は、シヴュラシステムをも、「正しい」と判断させるだけの、普遍性や正義をもちあわせているということなのでは無かろうか。
か弱い女性の喉を掻っ切ることは正義などでは無いだろう。しかし、それを補ってあまりあるほど、「人類」という存在への禍々しくも神々しい「愛」とか「正義」みたいなものに満ちているということなのでは無かろうか。
(そうはいっても、彼自身も何か楽しそうであるし、「自己」はなくて、人類の幸福を希求しているのだ、という説明はどうにも不十分な気がするし、まぁそこら辺は今後の展開に期待しよう)
問題は、面白いと、自分は思った、ということのメモなのである。一方で、この作品の評価はかなり低いようだ。何故二期まで製作が決まったのか全く理解できないという意見も多数のようである。
それによって僕は思った、あれ、やっぱり、この作品面白くないのかな、と。
他者からの影響というか、周りに流されるというか、空気を読むというか、そういうこと全般を、特に最近、嫌悪すべきと思っている。
いやもともと、何か流行にのるとか、そういうのに気持ち悪さを覚えていたし、右に倣え的な行動や考え方というのも違和感があった。いまさら、である。
ただ、そうはいっても、やっぱり、人間っていうのは社会的な動物であって~みたいな、そういう常識的なものによって、やっぱり、「正しい」考え方ってのがあるのだろうと、そんな風に合わせてやってきたことが多かった。
結局、何か上手くやろうと思ってやったことって、今になって残ってないよな。
サイトの運営なんて、金にもならなければ、周囲の人に言わせたら、無駄でしかないということになる。英単語の一つでも、数学の問題といたり、文系がいいなら、国語の文章題でもやってた方がましなんじゃないか、と言われるだろう。
けれども、交友関係然り、勉強しかり、趣味しかり。
結局、今となって、30代となって残ってるものは、本当に「やりたい」「やろう」と思ったことだけである。
これまでは、ローカルなコミュニティで一生を過ごした。家族、血縁、地域、学校、会社、など。それがすべてであった。だから、そこでの地位の向上や、周囲との関係性の円滑化が、人生始まりから終わりまで、至上命題だった。
今はどうなのか?
全部が全部そうじゃないし、未だローカルな関係が重要なのは、あまり変わっていないと思う。(よく分からないけどかっこいいから使えば、未だゲマインシャフトが有効である、とか言ってみたり)
だから、ローカルがいいとか、グローバルがいいとか、そういう問題じゃなくて、重要なのは、今の時代は、「選択が可能になった」ことにある。
そして、すぐさまインプットすべきは、自分はどうであるか、ということである。
一般論的なことしか書かれないブログは、総じて面白くない。
スピリチュアル系のブログであれ、そのスピリチュアルを批判するブログであれ、人類とはー、新興宗教の奴らはー、愛とはー、悩みを解決するにはーとか。ぶっちゃけ、全部くだらないと最近思う。いやもちろん、最初はいろいろ参考にさせてもらったものは大いにある。ザ・シークレットの引き寄せの法則とか、面白い本だった。けれども、いまや、それらの、二次、三次、四次……といった情報ばかりである。いや、反転すぐに書いておけば、それらが無駄とは思わない、何故ならば、最初に書いたように、ローカルなコミュニティは未だ有効性はなくなっていないと思うからであって、というのは、同じ神託であっても、全く知らない人からきくのと、信頼する身近な人から聞くのでは、意味合い(影響力)がまったく異なるからだ。
つまり、「僕にとって」は、それらはくだらない、というわけである。
何かを批判するということは、正直、あまり意味ある行為ではないのだ。
その批判とは、「批判しなければ自分に害が及ぶ」からするべきであるのだ。全く関係ないところで、ただ批判だけするというのは、「批評家」という職業であれば別だが、単なる暇つぶしでしかないのだが、それは全く持って悪趣味な暇つぶしと言わざるを得ない。
サイコパスで、全身サイボーグ化して、後は脳みそだけだね~その脳みそを若返らせるには、狩りで殺した人間の骨でつくったパイポを吸って、血肉わき踊るような壮絶な命のやりとりをすることだよねーといっていた、サイボーグ技術の会社の会長さんぐらい悪趣味である。
ただ、ちょっと離れて考えてみれば、どうして批判のための批判をしてしまうのか、その理由も理解できる。
つまり、秩序というのは、結局共同主観的なものであって、その批判する対象というのは、自分の感覚から「ズレ」があるものである。そのズレをほっておいて、そのズレが段々と大きくなって、それが主流となってしまうと、結局のところ自分が困るのである。
だから、異端をできる限り排除しようとする心が生じる。
だから、とても人間的な行為である。
けれども、それって、隣の国の野蛮人、ちょっと人間とは思えないから虐殺するよ~というのと、同じ心性と思ってしまう。いやもちろん、生物的に殺すのと、社会的に殺すのでは、意味合いもその抵抗感も違うことだろうが、まぁ、上に取り上げた会長さんの言葉を借りると「程度の問題」である。
猟奇的な殺人を繰り返す高校生女子の犯人を追い詰めた際、そのカリスマを持つ女生徒を先生も生徒もみんな守ろうとする。そんな中、マサオカさんは、クソ女を守ろうとする先生を取り押さえて、こう言い放つ。
「いやー先生、今のご時世、少年法とか無いんですわ」
やば、しびれた、濡れた、かっこいい!(とか、こんなシーンに感動するとかやっぱりちょっと俺はおかしいのか(かっこわらい))
まぁ、取りあえず、二期をみるかどうかはまだ未定だけれども、年内最後に近づいて、面白い作品に出会えたのはよかった。(年内期待していた小説は残念ながら翌年に持ち越しなのか……)
システムに対する認識
いやぁ、マキシマ氏チーター並みに強い。その強さが批判になっているようだ。ええと、サイコパス、一期の半分ぐらい見た。これは良作に思う。しかし、ちょっと調べたところ、一般的な評価はかなり低いようだ。シビュラシステムが欠陥システム過ぎてダメだ、ということが一つの要因らしい。
けれども、思うに、その「システム」というものに対する認識の違いが感覚の違いなんだと思う。
この作品はそもそも、システム(今流行のAIなどを含めてもいい)の完璧性への懐疑をしたいんだと思う。その意味で、この半分ぐらいみた段階では成功していると思うのだけれども、いやいや、裁判も何もないままドミネーター(対象となる人の性格や思考や感情などから判断する犯罪係数によって制圧から処刑までしてくれる銃)が全部判断してくれて、それを良しとする社会何て、リアリティなさすぎっしょ、というのが、批判の主たるものじゃなかろうか。
それは、もっともなようで、あまり興味をもてない指摘である。
人は何故生きるのか、生きるために生きるのだ、というぐらい、トートロジーでつまらない感想に思える。
そもそも、資本主義だとか、法律だとか、宗教とか、人のつくった広義のシステムで、完璧なものなどあったろうか。
世界的な宗教は、人類の愛と普遍性を求めていただろうが、聖地を邪教徒から取り戻そうと、幼い子供たちまで戦地に送り込んだ。そして、戦うことが死後神の国に行けると信じ込ませた。今の資本主義は大分改善されたものの、勃興期では、過剰な労働で多くの人が命を落とした。昨今のブラック企業どころの騒ぎではなかっただろう。
そうした、システムを信奉する人たちへの懐疑、警鐘というのをしたいのだろうと、2話か、3話ぐらいまで見た段階で何となく思ったが、半分ぐらい見た段階で、(恐らく)ラスボスのマキシマが登場したことで、彼の台詞の中などで分かった。
ラスボス登場
マキシマは、頭も良くてイケメンで、運動神経も抜群だけど、犯罪者だ。女の子を人質にして、カミソリで切り刻むぐらい悪者だ。しかし、前述のドミネーターは反応しない。犯罪係数は低いままだ。撃てない。
ますますエスカレートするマキシマの行動、ついには人質を……。
それでも、ドミネーターは反応しない。おかしいだろ! 人を殺す意志をもつ相手に対して、犯罪ではないと、「悪」ではないというのか! 欠陥システムだ! というわけである。
しかしそれこそが、システムを「神」として信奉し、自らの意志を機械に任せてしまった人々への警鐘というわけである。
まぁ、これについては、今後、何故シビュラシステムが、マキシマの犯罪係数を計測できなかったのか、もう少し明確な説明が欲しいところだ。
ただ、批判ばかりする人のレビューはつまらないから、勝手な妄想を書くと、恐らく、多くの「普通の犯罪者」は、「自己の快楽」を求めているのではなかろうか。シヴュラシステムは、人類の幸福、正しいこと、正義、発展に寄与する指数を計測して定め、それと乖離する行動や思考や感情や性格を持つ人を、犯罪者認定していると思われる。
マキシマ氏の場合は、彼の言動の表面的に見てしまうと、全くもってクソ外道なわけだけれども、彼の本来的な意図、理念、理想自体は、シヴュラシステムをも、「正しい」と判断させるだけの、普遍性や正義をもちあわせているということなのでは無かろうか。
か弱い女性の喉を掻っ切ることは正義などでは無いだろう。しかし、それを補ってあまりあるほど、「人類」という存在への禍々しくも神々しい「愛」とか「正義」みたいなものに満ちているということなのでは無かろうか。
(そうはいっても、彼自身も何か楽しそうであるし、「自己」はなくて、人類の幸福を希求しているのだ、という説明はどうにも不十分な気がするし、まぁそこら辺は今後の展開に期待しよう)
他者からの影響
というよりも、レビューをしようと思って記事を書こうと思ったわけではないのだ。問題は、面白いと、自分は思った、ということのメモなのである。一方で、この作品の評価はかなり低いようだ。何故二期まで製作が決まったのか全く理解できないという意見も多数のようである。
それによって僕は思った、あれ、やっぱり、この作品面白くないのかな、と。
他者からの影響というか、周りに流されるというか、空気を読むというか、そういうこと全般を、特に最近、嫌悪すべきと思っている。
いやもともと、何か流行にのるとか、そういうのに気持ち悪さを覚えていたし、右に倣え的な行動や考え方というのも違和感があった。いまさら、である。
ただ、そうはいっても、やっぱり、人間っていうのは社会的な動物であって~みたいな、そういう常識的なものによって、やっぱり、「正しい」考え方ってのがあるのだろうと、そんな風に合わせてやってきたことが多かった。
結局、何か上手くやろうと思ってやったことって、今になって残ってないよな。
サイトの運営なんて、金にもならなければ、周囲の人に言わせたら、無駄でしかないということになる。英単語の一つでも、数学の問題といたり、文系がいいなら、国語の文章題でもやってた方がましなんじゃないか、と言われるだろう。
けれども、交友関係然り、勉強しかり、趣味しかり。
結局、今となって、30代となって残ってるものは、本当に「やりたい」「やろう」と思ったことだけである。
選択的関係性
これは、時代の進歩を素直に喜ぶべきである。これまでは、ローカルなコミュニティで一生を過ごした。家族、血縁、地域、学校、会社、など。それがすべてであった。だから、そこでの地位の向上や、周囲との関係性の円滑化が、人生始まりから終わりまで、至上命題だった。
今はどうなのか?
全部が全部そうじゃないし、未だローカルな関係が重要なのは、あまり変わっていないと思う。(よく分からないけどかっこいいから使えば、未だゲマインシャフトが有効である、とか言ってみたり)
だから、ローカルがいいとか、グローバルがいいとか、そういう問題じゃなくて、重要なのは、今の時代は、「選択が可能になった」ことにある。
そして、すぐさまインプットすべきは、自分はどうであるか、ということである。
一般論的なことしか書かれないブログは、総じて面白くない。
スピリチュアル系のブログであれ、そのスピリチュアルを批判するブログであれ、人類とはー、新興宗教の奴らはー、愛とはー、悩みを解決するにはーとか。ぶっちゃけ、全部くだらないと最近思う。いやもちろん、最初はいろいろ参考にさせてもらったものは大いにある。ザ・シークレットの引き寄せの法則とか、面白い本だった。けれども、いまや、それらの、二次、三次、四次……といった情報ばかりである。いや、反転すぐに書いておけば、それらが無駄とは思わない、何故ならば、最初に書いたように、ローカルなコミュニティは未だ有効性はなくなっていないと思うからであって、というのは、同じ神託であっても、全く知らない人からきくのと、信頼する身近な人から聞くのでは、意味合い(影響力)がまったく異なるからだ。
つまり、「僕にとって」は、それらはくだらない、というわけである。
批判軸の構築
上のようなことは、それ自体くだらないと思っている。何かを批判するということは、正直、あまり意味ある行為ではないのだ。
その批判とは、「批判しなければ自分に害が及ぶ」からするべきであるのだ。全く関係ないところで、ただ批判だけするというのは、「批評家」という職業であれば別だが、単なる暇つぶしでしかないのだが、それは全く持って悪趣味な暇つぶしと言わざるを得ない。
サイコパスで、全身サイボーグ化して、後は脳みそだけだね~その脳みそを若返らせるには、狩りで殺した人間の骨でつくったパイポを吸って、血肉わき踊るような壮絶な命のやりとりをすることだよねーといっていた、サイボーグ技術の会社の会長さんぐらい悪趣味である。
ただ、ちょっと離れて考えてみれば、どうして批判のための批判をしてしまうのか、その理由も理解できる。
つまり、秩序というのは、結局共同主観的なものであって、その批判する対象というのは、自分の感覚から「ズレ」があるものである。そのズレをほっておいて、そのズレが段々と大きくなって、それが主流となってしまうと、結局のところ自分が困るのである。
だから、異端をできる限り排除しようとする心が生じる。
だから、とても人間的な行為である。
けれども、それって、隣の国の野蛮人、ちょっと人間とは思えないから虐殺するよ~というのと、同じ心性と思ってしまう。いやもちろん、生物的に殺すのと、社会的に殺すのでは、意味合いもその抵抗感も違うことだろうが、まぁ、上に取り上げた会長さんの言葉を借りると「程度の問題」である。
マサオカのおやっさんの台詞
突然、サイコパスの作品に戻ると、一番好きなキャラはマサオカさんだな。猟奇的な殺人を繰り返す高校生女子の犯人を追い詰めた際、そのカリスマを持つ女生徒を先生も生徒もみんな守ろうとする。そんな中、マサオカさんは、クソ女を守ろうとする先生を取り押さえて、こう言い放つ。
「いやー先生、今のご時世、少年法とか無いんですわ」
やば、しびれた、濡れた、かっこいい!(とか、こんなシーンに感動するとかやっぱりちょっと俺はおかしいのか(かっこわらい))
まぁ、取りあえず、二期をみるかどうかはまだ未定だけれども、年内最後に近づいて、面白い作品に出会えたのはよかった。(年内期待していた小説は残念ながら翌年に持ち越しなのか……)
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コメント
コメントありがとうございます! かなり返信遅くなりましてすみません。
>マイノリティリポート
有名な作品ですね。ただ自分、みたことあったかなぁ、記憶がない。機会があったら見てみようと思います。これ、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」のディックさんの作品がモチーフなんですね。
>自分の人生や価値観とリンクしない作品は傑作にはなれないんですよね。
いやー、まさに、まさに言い得て妙。そうだから、作品を見る「タイミング」というのもかなり重要になってくると思います。サイカノとか今見ても面白くないんだろうなぁ。
>マイノリティリポート
有名な作品ですね。ただ自分、みたことあったかなぁ、記憶がない。機会があったら見てみようと思います。これ、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」のディックさんの作品がモチーフなんですね。
>自分の人生や価値観とリンクしない作品は傑作にはなれないんですよね。
いやー、まさに、まさに言い得て妙。そうだから、作品を見る「タイミング」というのもかなり重要になってくると思います。サイカノとか今見ても面白くないんだろうなぁ。
posted by 遠藤at 2017/01/07 13:53 [ コメントを修正する ]
マイノリティリポートはそこら辺がすっげー明確でシステムにすがるんじゃなくって自分の手で未来をつかめ、変えていけっていう感じのお話なんです。
サイコパスはそこまで明確じゃないけど、この話から感じ取れるのはそういう意図なんです。テーマとストーリがなんか中途半端っていう印象(テーマとストーリーのリンクが微妙、盛り上がるけど結局何を伝えたいの?って思ってしまう)だけど、ストーリとしては結構面白かった。だから、テーマ云々より面白いストーリーを作りたかったんだろうなぁって思ったわ。
サイコパスはリアルな話じゃないと思う。そこを出発点にして見れないと駄作っていう風にとらえられてしまうんでしょうね。
どんなはなしでもそうだけど、自分の人生や価値観とリンクしない作品は傑作にはなれないんですよね。
だから、面白いって思う話って結構コロコロ変わっていくわ。