今日の一言「定期更新だ」「土曜日じゃなかったの?」
あと、文字が、ブラウザの100%拡大率で、12ポンド? 以上ないと、見づらい。あと、文字の間隔が、せめて、0.5文字分ぐらいは空いていて欲しい。もしくは、適切な段落分けをして欲しい。
と、他者のブログにケチをつけられるほどのことを書けるわけでもないが、大事なことだと思う。いや、字間が詰まっていても、1画面に収まるぐらいなら「読もう」という気持ちにもなるんだけどね。
あーその、なんだ、あと、やっぱり、ブログという形態をもつならば、その人はどんな人なのかという前情報(バックストーリー)は欲しい。それは、もちろん、男女という別がどうこうという属性的なことではない。そのブログがもつ「テーマ性」に関連する情報は必要だということだ。
例えば、「婚活」のブログだとしたときに、それは、男の書き手なのか、女なのかは重要情報だ。一方、アウトドアに関するブログだったら、男女はさほど重要ではない。逆に、「女性がアウトドアを始める際の注意点!」とかって内容なら、書き手がどっちだろうかというのはやや重要性がある――が、さほど重要ではあるまい。女性に対してのエクササイズのコーチが、男性であっても構わないように。
さて、今回の記事だが、前回の臨時記事を受けて少し何か書こうかと思う。
前回の記事は、ぼく個人的な「転機」が訪れそうな予感、前触れ的な奴と、体調がすこぶるよくないということであった。
時間にして、5時間13分47秒。
後半は、喉を傷めながらでつらかったが、何とか、当初目標の2月中というのは達成だ。ぱちぱち、拍手。
ちょうど、2月1日の記事から開始したことが分かる。
なんかいいね、こういう使い方をすると、「ブログを活用している」感があってよい。
当初は2月末まで、というところだったので、予定より4日ぐらいは早く終わったことになる。
振り返ると、やはり、前半はハイペースで、後半のモチベーションの下がり具合が厳しかった。平日はやはり10分~1時間使えたらよいほうだった。メインは土日で進めたが、土日が使えない場合もあって、「間に合わんじゃないか」と思ったりもしたが、今週で頑張れた。
音読は、脳の使用部位も多く活性化しやすく、かつ録音されたものを通勤通学で聞き返すこともでき、かつ目に見える勉強した時間が記録されるという良いことが多い。あと、誰にでも簡単に取り組めるし、難しい問題を考えて結局ノートが白紙とか、暗記した割に次の日にたくさん忘れていてモチベーションが下がったりとかいったこともないので、非常に有効な手段だ。付加要素として、意識すれば発声練習や、プレゼン力向上にもなる。ダイエットにもなるかもしれない。
デメリットは、家で、一人でいるときしかできないことと、意外に体力と喉を使うことだ。誰にでも簡単にできるが、長時間やるとなると、ある程度慣れが必要だ。初めのうちは5分といわずに、1分でもいいから、毎日実践するようにして、体を慣れさせるといい。
そして、今回の記事は、一冊読み終えて、どれだけアウトプットできるか試してみようと思う。
物語とは何か。人生もまた、一つの大きな物語といえるけれども、ここでは、フィクションのこと、創作物のことに限定しようか。
前掲書は、その物語を作るにあたって大切なことが6つある――そういう本である。
僕のサイトでも、感想や批評をするときに、6つの要素を指標にしている。これは、その作品の要素のバランスを考えるうえで役立つからだ。
僕のサイトでは、
・ストーリー
・人物描写
・キャラクター
・風景描写
・ウィット
・感動
・リアリティ
を指標にしている――あれやべぇ、6つじゃなくて7つだった(にがわらい)。
対して『工学的ストーリー創作入門』においては、
・コンセプト
・人物
・テーマ
・構成
・シーンの展開
・文体
の6つである。
言葉が異なっているが、一致している部分もあるので少し整理する。エクセルであれば、表にしたいところだが、文章ですまない。
【本】――【俺】
・コンセプト ――感動・リアリティ
・人物 ――人物描写・キャラクター
・テーマ ――ウィット
・構成 ――ストーリー・リアリティ
・シーンの展開――ストーリー
・文体 ――人物描写・風景描写
こんな感じだ。つまり、重複しているが、一応、網羅性はある状態。
まず、僕が反省すべきは、「ストーリー」という言葉を、僕は、「構成」という意味で使っていたことである。「物語の流れ」という意味で使っていた。
一方で、前掲書では、ストーリーはあくまで、物語全体を示す用語としてあって、構成は別に「構成」という表現をしている。
さらに特筆すべきは、「構成」をさらに、「シーンの展開」として階層化している点である。
いわゆる、「起承転結」というのは、あくまで「構成」レベル――「プロット」「骨格」ともいわれる段階――であり、それはあくまで建造物の「設計図」状態だ。
その設計図から、実際の建物を資材を用いて建てていくのが、「シーン」であり、「文体」だということだ。
しかしすぐさま書いておけば、絶対ダメというわけでもなければ、プロでその方法で書いている人もいるということだ。
ただ、パンツァーは熟練工の失われし技術のようであり、素人がやろうとしても、まず物語は完成しないのだということだ。理由はいろいろ述べられていて、僕は納得した。
対して、パンツァーでないやり方とは、6つの要素をしっかりと考えたうえで書き始める方法だということだ。
その、6つがないままに書き始めてはいけない。そうすると、途中で大幅に書き直す羽目になったり、そもそも完結に至らなくなったりするということだ。界隈でいわれるエターナルってやつになるのだ。
もう少し具体的に書けば、6つのうち、
・コンセプト
・人物
・テーマ
・構成
これははっきりさせておいた方がいいということだった。
僕はさらに、「テーマ」は少し優先度を下げてもいいかなと思った。というのは、「売れる」作品には確かに「テーマ」は必要だろうが、趣味的要素が高い場合――と書くと失言を免れないが、要は「俺が書きたい物語を書きたいのだ」という目的を第一主眼にする場合は、あえてテーマを優先させなくてもいいだろうと思ったからだ。逆にその、「俺が表現したいんだ!」という思いがそのままテーマかもしれない。
それではさっそく、その要素一つずつについて、書いてあったことと僕が思ったことを書いていきたい……といった時点で、すでに3000字に到達しようとしており、やや疲れてきた。
まぁそのなんだ、今書いてきたことは、ほぼ一か月前に読んだ冒頭の方の内容で、すでに忘却の彼方かと思っていたが、意外に覚えていることは分かった。これが音読(かつ、リーディング(ウォークマンでの流し聞き))の効果だともいえる。そんな、「覚えるぞっ!!」という意気込みなくて、仕事から帰ってきてイヤイヤ、「あーめんどくせー」と思いながらやっても、半分寝ながら聞いていたとしても、ある程度残るものがあるのである。この、モチベーションに反した効果があるという意味で、音読は中々いい方法なのだ。見て、聞いて、書いて、発声して、と、インプットもアウトプットも総動員することが大事なのだ。――と、本の内容よりも音読の効果をうたっている記事になってしまった。
(かっこ書きである。役に立つかもコーナーはお休みした。ストーリーは、コンセプト、人物、テーマ、構成、シーン展開、文体、の6つの要素で出来上がっている、ということがお役立ちポイントとしておこう。まぁその、アウトラインをきめてから書くということを毛嫌いする人も多いだろう。創作なのに形式ばっていいのか! と。かくいう僕も、このブログを、起承転結しっかり型に当てはめて書きなさい、その方が多くの方に読んでもらえて成功しますよ、と言われたら、「うっせーばーかばーか」と低脳になるだろう。ただ、知識として知っておいて損はないと思ったし、自由に書きつつ、その理想形に近づけていくことを念頭においてもいいかもしれない。何より、編集者的な人たちがどういった基準をもっているのか知ることは、出版を目指すにあたって重要であることは間違いなかろう。編集者という仕事が、いったいどういった評価がなされているか僕は知る由はないが、しかし、「仕事」とするのであれば、必ず「効率」が付きまとう。僕は、「効率を追求する」という言葉に生理的嫌悪があるが、しかし、本当の意味での効率は当然追求すべきだと思う。表面的な知識や技術を継承しただけで現場業務を回して、人員削減しようという方策は、短期的には効率的だろうが、リスクに弱い。それは本当の効率化なのだろうか。効率と「ゆとり」は、両輪として重要だと思う。まぁその、ゆとりと「さぼり」の境界もあいまいだし、難しい。そう、難しいのだ。難しいからこそ、「6つの要素」とか、まずは基準が必要だ。その基準がつまらないものと思うかもしれない。その感覚は重要だ。だが、つまらないから、「なくてもいい」ものではない。つまらないと思ったら、別の軸――仮説を立てなければならない。それは結構労力だ、だが、同時に楽しいことでもある。楽しいと思えない人は、前例の基準を、ひたむきに守ろうとするだろう。それはそれで、ある程度成功する。なにせ、先人が長らく考え作り出した基準なのだから、エッセンスがつまっている。だが、だからといって、無批判に、自己の思考なくその基準を守るだけであれば、いずれ頽廃する。現状維持とは、漸近的な成長のことであるということに気づかなければいけない。――あーなんか、偉そうなこと書いたけど、カッコ書き内だから許されるはずだ(こんきょなし)。でも、なんかまさに今思いついた「現状維持とは漸近的な成長である」って言葉は、なんか自画自賛したい。けど、明日読んだら赤面する気もする。おもしろき、いとおもしろき)
前書き
なんか、いいこと書いてありそうなブログさんを見つけても、それが、「どこが君の意見で、どこが引用なんだい?」というのが、一行目で分からないと、ちょっと残念感が漂う。あと、文字が、ブラウザの100%拡大率で、12ポンド? 以上ないと、見づらい。あと、文字の間隔が、せめて、0.5文字分ぐらいは空いていて欲しい。もしくは、適切な段落分けをして欲しい。
と、他者のブログにケチをつけられるほどのことを書けるわけでもないが、大事なことだと思う。いや、字間が詰まっていても、1画面に収まるぐらいなら「読もう」という気持ちにもなるんだけどね。
あーその、なんだ、あと、やっぱり、ブログという形態をもつならば、その人はどんな人なのかという前情報(バックストーリー)は欲しい。それは、もちろん、男女という別がどうこうという属性的なことではない。そのブログがもつ「テーマ性」に関連する情報は必要だということだ。
例えば、「婚活」のブログだとしたときに、それは、男の書き手なのか、女なのかは重要情報だ。一方、アウトドアに関するブログだったら、男女はさほど重要ではない。逆に、「女性がアウトドアを始める際の注意点!」とかって内容なら、書き手がどっちだろうかというのはやや重要性がある――が、さほど重要ではあるまい。女性に対してのエクササイズのコーチが、男性であっても構わないように。
さて、今回の記事だが、前回の臨時記事を受けて少し何か書こうかと思う。
前回の記事は、ぼく個人的な「転機」が訪れそうな予感、前触れ的な奴と、体調がすこぶるよくないということであった。
音読目標達成
『工学的ストーリー創作入門』の音読が終わった。約314ページ。時間にして、5時間13分47秒。
後半は、喉を傷めながらでつらかったが、何とか、当初目標の2月中というのは達成だ。ぱちぱち、拍手。
ちょうど、2月1日の記事から開始したことが分かる。
なんかいいね、こういう使い方をすると、「ブログを活用している」感があってよい。
当初は2月末まで、というところだったので、予定より4日ぐらいは早く終わったことになる。
振り返ると、やはり、前半はハイペースで、後半のモチベーションの下がり具合が厳しかった。平日はやはり10分~1時間使えたらよいほうだった。メインは土日で進めたが、土日が使えない場合もあって、「間に合わんじゃないか」と思ったりもしたが、今週で頑張れた。
音読は、脳の使用部位も多く活性化しやすく、かつ録音されたものを通勤通学で聞き返すこともでき、かつ目に見える勉強した時間が記録されるという良いことが多い。あと、誰にでも簡単に取り組めるし、難しい問題を考えて結局ノートが白紙とか、暗記した割に次の日にたくさん忘れていてモチベーションが下がったりとかいったこともないので、非常に有効な手段だ。付加要素として、意識すれば発声練習や、プレゼン力向上にもなる。ダイエットにもなるかもしれない。
デメリットは、家で、一人でいるときしかできないことと、意外に体力と喉を使うことだ。誰にでも簡単にできるが、長時間やるとなると、ある程度慣れが必要だ。初めのうちは5分といわずに、1分でもいいから、毎日実践するようにして、体を慣れさせるといい。
そして、今回の記事は、一冊読み終えて、どれだけアウトプットできるか試してみようと思う。
6つのコア要素
まず、ストーリーとは何か。ストーリーと、物語は同義だ。物語とは何か。人生もまた、一つの大きな物語といえるけれども、ここでは、フィクションのこと、創作物のことに限定しようか。
前掲書は、その物語を作るにあたって大切なことが6つある――そういう本である。
僕のサイトでも、感想や批評をするときに、6つの要素を指標にしている。これは、その作品の要素のバランスを考えるうえで役立つからだ。
僕のサイトでは、
・ストーリー
・人物描写
・キャラクター
・風景描写
・ウィット
・感動
・リアリティ
を指標にしている――あれやべぇ、6つじゃなくて7つだった(にがわらい)。
対して『工学的ストーリー創作入門』においては、
・コンセプト
・人物
・テーマ
・構成
・シーンの展開
・文体
の6つである。
言葉が異なっているが、一致している部分もあるので少し整理する。エクセルであれば、表にしたいところだが、文章ですまない。
【本】――【俺】
・コンセプト ――感動・リアリティ
・人物 ――人物描写・キャラクター
・テーマ ――ウィット
・構成 ――ストーリー・リアリティ
・シーンの展開――ストーリー
・文体 ――人物描写・風景描写
こんな感じだ。つまり、重複しているが、一応、網羅性はある状態。
まず、僕が反省すべきは、「ストーリー」という言葉を、僕は、「構成」という意味で使っていたことである。「物語の流れ」という意味で使っていた。
一方で、前掲書では、ストーリーはあくまで、物語全体を示す用語としてあって、構成は別に「構成」という表現をしている。
さらに特筆すべきは、「構成」をさらに、「シーンの展開」として階層化している点である。
いわゆる、「起承転結」というのは、あくまで「構成」レベル――「プロット」「骨格」ともいわれる段階――であり、それはあくまで建造物の「設計図」状態だ。
その設計図から、実際の建物を資材を用いて建てていくのが、「シーン」であり、「文体」だということだ。
パンツァー(いきなり書く人)はダメ
終始一貫して述べられているのは、パンツァーという、戦車かと思ったが、「勢いで書いちゃう人」のことをそういうとのことだが、それはよくないということであった。しかしすぐさま書いておけば、絶対ダメというわけでもなければ、プロでその方法で書いている人もいるということだ。
ただ、パンツァーは熟練工の失われし技術のようであり、素人がやろうとしても、まず物語は完成しないのだということだ。理由はいろいろ述べられていて、僕は納得した。
対して、パンツァーでないやり方とは、6つの要素をしっかりと考えたうえで書き始める方法だということだ。
その、6つがないままに書き始めてはいけない。そうすると、途中で大幅に書き直す羽目になったり、そもそも完結に至らなくなったりするということだ。界隈でいわれるエターナルってやつになるのだ。
もう少し具体的に書けば、6つのうち、
・コンセプト
・人物
・テーマ
・構成
これははっきりさせておいた方がいいということだった。
僕はさらに、「テーマ」は少し優先度を下げてもいいかなと思った。というのは、「売れる」作品には確かに「テーマ」は必要だろうが、趣味的要素が高い場合――と書くと失言を免れないが、要は「俺が書きたい物語を書きたいのだ」という目的を第一主眼にする場合は、あえてテーマを優先させなくてもいいだろうと思ったからだ。逆にその、「俺が表現したいんだ!」という思いがそのままテーマかもしれない。
それではさっそく、その要素一つずつについて、書いてあったことと僕が思ったことを書いていきたい……といった時点で、すでに3000字に到達しようとしており、やや疲れてきた。
まぁそのなんだ、今書いてきたことは、ほぼ一か月前に読んだ冒頭の方の内容で、すでに忘却の彼方かと思っていたが、意外に覚えていることは分かった。これが音読(かつ、リーディング(ウォークマンでの流し聞き))の効果だともいえる。そんな、「覚えるぞっ!!」という意気込みなくて、仕事から帰ってきてイヤイヤ、「あーめんどくせー」と思いながらやっても、半分寝ながら聞いていたとしても、ある程度残るものがあるのである。この、モチベーションに反した効果があるという意味で、音読は中々いい方法なのだ。見て、聞いて、書いて、発声して、と、インプットもアウトプットも総動員することが大事なのだ。――と、本の内容よりも音読の効果をうたっている記事になってしまった。
(かっこ書きである。役に立つかもコーナーはお休みした。ストーリーは、コンセプト、人物、テーマ、構成、シーン展開、文体、の6つの要素で出来上がっている、ということがお役立ちポイントとしておこう。まぁその、アウトラインをきめてから書くということを毛嫌いする人も多いだろう。創作なのに形式ばっていいのか! と。かくいう僕も、このブログを、起承転結しっかり型に当てはめて書きなさい、その方が多くの方に読んでもらえて成功しますよ、と言われたら、「うっせーばーかばーか」と低脳になるだろう。ただ、知識として知っておいて損はないと思ったし、自由に書きつつ、その理想形に近づけていくことを念頭においてもいいかもしれない。何より、編集者的な人たちがどういった基準をもっているのか知ることは、出版を目指すにあたって重要であることは間違いなかろう。編集者という仕事が、いったいどういった評価がなされているか僕は知る由はないが、しかし、「仕事」とするのであれば、必ず「効率」が付きまとう。僕は、「効率を追求する」という言葉に生理的嫌悪があるが、しかし、本当の意味での効率は当然追求すべきだと思う。表面的な知識や技術を継承しただけで現場業務を回して、人員削減しようという方策は、短期的には効率的だろうが、リスクに弱い。それは本当の効率化なのだろうか。効率と「ゆとり」は、両輪として重要だと思う。まぁその、ゆとりと「さぼり」の境界もあいまいだし、難しい。そう、難しいのだ。難しいからこそ、「6つの要素」とか、まずは基準が必要だ。その基準がつまらないものと思うかもしれない。その感覚は重要だ。だが、つまらないから、「なくてもいい」ものではない。つまらないと思ったら、別の軸――仮説を立てなければならない。それは結構労力だ、だが、同時に楽しいことでもある。楽しいと思えない人は、前例の基準を、ひたむきに守ろうとするだろう。それはそれで、ある程度成功する。なにせ、先人が長らく考え作り出した基準なのだから、エッセンスがつまっている。だが、だからといって、無批判に、自己の思考なくその基準を守るだけであれば、いずれ頽廃する。現状維持とは、漸近的な成長のことであるということに気づかなければいけない。――あーなんか、偉そうなこと書いたけど、カッコ書き内だから許されるはずだ(こんきょなし)。でも、なんかまさに今思いついた「現状維持とは漸近的な成長である」って言葉は、なんか自画自賛したい。けど、明日読んだら赤面する気もする。おもしろき、いとおもしろき)
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