今日の一言「疲れた……」「同じ疲れたでも何かつくっての疲れたなら大丈夫」
あぁ、疲れた……。他のことも何もせず、ひたすらプログラムコードを書いていた。
いやーこれは、好きじゃなきゃやってられないなぁ。どうにも、昔書いたコードは効率化できるところが多々見受けられ、そいつを直していたら、「あ、ここも」「ここもこうしようか」とかやっていって、雪だるま式に時間が過ぎていった。
この集中力を、卒業論文とか会社の仕事とかに使えたらいい。たまに発動することもある。けれども、ゼミとか同僚とかと一緒にやるような仕事だと、パフォーマンスをあげられない。いや、これは、あくまで一人の方が作業がはかどるという意味で、その作業自体が、実は不要だったり、もっと効率の良い方法を見出せるかどうか、という点では、やはりみんなで一緒にやった方が効率よい場合の方が多いだろう。
ただ、自分の現状もてる力で成せることとしては、やっぱり一人の方が効率が良い。自分の成長にとっても、単純な能力・スキル的な面では一番よいのではなかろうか。
モンハンで例えると、パーティで狩った方が楽に倒せるが、何だか自分の攻撃がどの程度効果的だったのかよく分からないから、倒してもあんまり達成感がなかったりする。
一方、ソロ狩りだと、PS(プレーヤースキル)の上昇とかを感じられたり、頑張って作った武器の効果とかがわかったりして、強い敵を斃せたときの達成感は大きかったりする。
僕は、学生時代チームプレーの運動部に所属していたが、性格的には、陸上部とかバドミントンとかの方がよかったのかもしれない。
正解するカドに出演してる人たちは、みんな仕事めっちゃ好きそうやねん。
仕事ってのも、うまい具合に使えば、所属欲求とか承認欲求とかを満たしてくれる良い具合の装置として活用できる。
今回の改修工事は、見た感じそんなに変化はない。ただ、データベースの構造をかなり変更した。今後のデータ増大に対しての対策も併せて行ったところ。(おっと、MySQLを覚えたほうが早いんじゃね? というのは今後の課題だ、今は黙っておいてもらおうか)
というか、データベース間を繋げる「アタッチ(attach)」という機能をもっと初期から知っていれば、さほど悩む必要もなかった気がするが。
オブジェクト指向って、使いこなせておらずよく分かってはいないが、概念として大事なのはすごく分かる。
ワードプレスって、何で流行るのかもよく分かる。やっぱり、パッケージ化されたものを組み合わせて作る方が、効率が断然良いし、安定感もある。パンを作るのに、小麦から小麦粉をつくって、酵母をつくってとかやるよりも、有機栽培の品質の良い小麦粉や酵母を買って作った方がよい。
という、効率とは別に、やっぱり一から作るっという楽しみというのもあると思う。それは趣味だから許されるのであって、仕事では許されない。
んで、仕事はどんどん高度化・効率化していくので、人の工夫ってのが中々入りこめなくなってきている。ソリューションできたときの達成感ってのは、どんな分野にもあると思うけれども、あまり見いだせない。むしろ、見出すための時間すら「無駄だ」とコストカットされる。そういう意味で、「ゆとり」というのは非常に大事だと思う。
仕事は遊びだ、というと多くの人に批判されるが、何か創造的なことをするのであれば、真剣に遊んでいるときの方がよいものができあがることがある。
しっかし、土日で16時間以上費やした気がする。
正直、こんなにかかるとは思わなかった。
あんまり人にいえないのが残念である。テニスとか野球観戦とかそういった趣味の方が飲み会とかでも盛り上がる気がする。いや別に、趣味を多くの人と共有する必要はないのだけれども、初対面の人と話すときには、結局無難にドライブとか映画鑑賞とかそういった話になる。
まぁそれらも好きっちゃあ好きだが、恐らく、今まで何に時間を費やしてきたかという観点でいけば、ゲームとプログラミングが一番時間消費をしている気がする。
趣味って、やっぱり、お金と時間を費やしたのが多いのがメインの趣味なんだと思う。
じゃあ、逆にお金を稼ぐ趣味はどうなんだ? となると、お金を稼いじゃえば、それって仕事じゃね? と思う。まぁもちろん、仕事が趣味って人もいるから、その観点では何ら問題はないのだけれども、僕の感覚ではそれは趣味ではない。
アルバイトだって、お金をもらっている以上はプロである。アマチュアとプロの違いは、お金をもらっているかどうかである、ということも聞いたことがある。アルバイトは雇用形態が違えど、れっきとしたプロなのである。
だから、ある分野では、アマチュアの方がプロよりも優れている、ってこともあると思う。ただ実際、時間という面で、プロの方が当然多く時間をかけられるのだから、たいていはプロの方が優れている場面が多いだろう。
さて、もう少し、早く完成させて、他のことをしたかったけれども、もうこんな時間か。
時間がかかった割には、まだ着手したいことは残っている。しかし、こんなまとまった時間は中々取れないから、できるだけこまめに、分割して作業を着手していきたいものだ。
結果的に、内臓のカードリーダの接続不良が原因だった可能性が高い。
BIOS起動の前でフリーズすることを繰り返していたが、メモリはずしたりグラボはずしたりUSB機器はずしたりCMOS電池はずしたりと、いろいろ試して、時折期限が良いとOSまで起動するということが繰り返していた。
そのOS起動したときに、ピコピコ、何やら外部接続の機器がつながったりはずれたりの音が、しばらくするとなりだすことが頻発した。
コントロールパネルのデバイスマネージャーから見ると、どうやら、内臓のカードリーダの接続が、つながったり外れたりを繰り返しているようだ。
BIOS起動して、該当のUSB機器だけを無効にしようと、ASUSのマザーボードの説明書(英語!)を読みながら、やってみたが、USBポートを無効にする方法を学んだだけで、結局該当の機器の設定は見つからなかった。
じゃあ、もう物理行使だ、ということで、上の画像の通り、5インチベイの蓋をはずして、カードリーダがつながっているところを調べる。(そもそも、蓋の外し方がわからなかったが、無理やりバキッとあけた。意外と、大丈夫だった、けど、ただしい開け方ってどうだったんだ? 端末の説明書にはとくに書いてなさそうだったが……)
見つけた。……たぶん? これ?
いろいろ基盤の接続を外したりつけたりしたので、電源ケーブルらしいのが上の画像の白いコネクタだろうということは分かった。むにむにと、無理やりはずす。
結果。カードリーダは使えなくなったが、USBポートは使える。
そして、ASUSのロゴでフリーズして使えなくなるという事象については、……いまのところ起きなくなった。ピコピコ、接続がついたりはずれたりすることもなくなった(やはり、カードリーダのみの接続不良だったのだ)。
グラボ、メモリも×2で繋げてみる。問題なく稼働。
ふむふむ、これでしばらく使っても大丈夫であれば、まだしばらくこのPCを使えそうである。
もうかなり、見積もりで15万~30万ぐらいで検討していたが、どうしても必要なら外付けのカードリーダ(3000円ぐらいか?)でもつければ、何ら問題はなかろう。
費やした時間は、電気屋にいってCMOS電池を購入したり、不具合の調査をしたりとか、「つながらねえええ!」とか叫んでいた時間とかいろいろ含めて、6~8時間ぐらいだろうか。
15万円を浮かせたと考えれば、時給約2万である。おぉ。そう考えると、よく頑張った。
【遠藤の得た経験値(スキル)】
◎メモリの外し方・付け方
◎グラフィックボードの外し方・付け方
◎CMOS電池交換の仕方
◎USBポートのBIOSからの無効化
◎内臓HDDの交換
◎内臓HDD外付けケースの接続
◎5インチベイの蓋の外し方
ふむふむ、結構頑張ったんちゃうか。
1.自分のキャリア(AUとかドコモとかソフトバンクとか)を把握する
2.自分のキャリアを使っている格安SIM事業者(MVNO)を調べる
3.事業者を決めたら、自分の端末(スマホ)が対応しているかを調べる
4.対応していたら、SIMのみを申し込む。その際、MNPするか(電話番号を引き継ぐか)を決める。
5.引き継ぐ場合は、キャリアに電話して、MNP予約番号をもらう。
6.予約番号をもとに、格安SIM事業者のサイトからSIMのみを購入する
7.クレジットカード登録とか、運転免許証とか必要な書類をアップロード。←いまここ
7.配送手配が行われ、SIMが到着する
8.古いSIMを外して、新しいSIMをつける。
9.なんかセッティングする(セッティングされるとキャリアは解約される)(この間はふつーに今までどおり使える)
10.移行完了!
となるはずである。
ちなみに試算結果。
約1年後、このまま何もしなかった場合と、違約金が発生しない12月にやめた場合での違い。
累計費用として、
何もしなかった場合:66780円
12月にやめた場合:42168円
今すぐやめた場合:37088円
ということで、年間約3万円ぐらい消費を抑えられる計算である。
ちまちま、昼食代を節約するよりかはよっぽど効果は高そうである。
あとはネットか。ケーブルテレビのJ-COMだが、テレビみないし固定電話もいらないし、スマホとセット割引のスマートバリューもなくなるし、もっと安い通信業者を探してもよいかもしれない。NTTのフレッツぐらいしか知らないが、もっといいところがあるかもしれない。
まぁ、MNPの予約の際に、AUに電話かけんきゃならず、引き止められたり、なかなかつながらなかったりするといううわさも聞いたり、実際大手のサポートってホントなかなかつながらなかったりイライラさせられることが多いが、AUさんのサポートは、今回たまたまかもしれないが、非常によかった。
まず、自動音声の指示に従って、オペレータを呼び出してから2コールぐらいでつながった。んで、
・どこに乗り換える予定なのか
・理由は何か
ということを聞かれたが、素直に、UQ-mobile、費用削減のためと答える。
もう少し費用を抑えられるキャンペーンなどもありますと進められるも、公開されている情報は確認して、これ以上安くならないことはわかっているのでけっこうです、と答えると、わかりました、となって、あとはスムーズに手続きが進んだ。
まー、回線事業者として、回線のインフラ自体で利益が出ているから、個人の消費者がはなれていっても、あんまり困らないのかもしれないが。
(生活メモみたいになってしまった。思考とは関係ないからあんま面白くないな。まぁ、思考と生活は密接にかかわる。人脈も、モノも、コトも、全部、自分が記憶、管理できる範囲にしたいものである。部屋を片付けていて、「あ、こんなもんもあったんだっけ」とかなるのは、ぜひとも避けたい事態である)
サイト改修工事完了
ひとまず完了した!!あぁ、疲れた……。他のことも何もせず、ひたすらプログラムコードを書いていた。
いやーこれは、好きじゃなきゃやってられないなぁ。どうにも、昔書いたコードは効率化できるところが多々見受けられ、そいつを直していたら、「あ、ここも」「ここもこうしようか」とかやっていって、雪だるま式に時間が過ぎていった。
この集中力を、卒業論文とか会社の仕事とかに使えたらいい。たまに発動することもある。けれども、ゼミとか同僚とかと一緒にやるような仕事だと、パフォーマンスをあげられない。いや、これは、あくまで一人の方が作業がはかどるという意味で、その作業自体が、実は不要だったり、もっと効率の良い方法を見出せるかどうか、という点では、やはりみんなで一緒にやった方が効率よい場合の方が多いだろう。
ただ、自分の現状もてる力で成せることとしては、やっぱり一人の方が効率が良い。自分の成長にとっても、単純な能力・スキル的な面では一番よいのではなかろうか。
モンハンで例えると、パーティで狩った方が楽に倒せるが、何だか自分の攻撃がどの程度効果的だったのかよく分からないから、倒してもあんまり達成感がなかったりする。
一方、ソロ狩りだと、PS(プレーヤースキル)の上昇とかを感じられたり、頑張って作った武器の効果とかがわかったりして、強い敵を斃せたときの達成感は大きかったりする。
僕は、学生時代チームプレーの運動部に所属していたが、性格的には、陸上部とかバドミントンとかの方がよかったのかもしれない。
正解するカドに出演してる人たちは、みんな仕事めっちゃ好きそうやねん。
仕事ってのも、うまい具合に使えば、所属欲求とか承認欲求とかを満たしてくれる良い具合の装置として活用できる。
今回の改修工事は、見た感じそんなに変化はない。ただ、データベースの構造をかなり変更した。今後のデータ増大に対しての対策も併せて行ったところ。(おっと、MySQLを覚えたほうが早いんじゃね? というのは今後の課題だ、今は黙っておいてもらおうか)
というか、データベース間を繋げる「アタッチ(attach)」という機能をもっと初期から知っていれば、さほど悩む必要もなかった気がするが。
オブジェクト指向って、使いこなせておらずよく分かってはいないが、概念として大事なのはすごく分かる。
ワードプレスって、何で流行るのかもよく分かる。やっぱり、パッケージ化されたものを組み合わせて作る方が、効率が断然良いし、安定感もある。パンを作るのに、小麦から小麦粉をつくって、酵母をつくってとかやるよりも、有機栽培の品質の良い小麦粉や酵母を買って作った方がよい。
という、効率とは別に、やっぱり一から作るっという楽しみというのもあると思う。それは趣味だから許されるのであって、仕事では許されない。
んで、仕事はどんどん高度化・効率化していくので、人の工夫ってのが中々入りこめなくなってきている。ソリューションできたときの達成感ってのは、どんな分野にもあると思うけれども、あまり見いだせない。むしろ、見出すための時間すら「無駄だ」とコストカットされる。そういう意味で、「ゆとり」というのは非常に大事だと思う。
仕事は遊びだ、というと多くの人に批判されるが、何か創造的なことをするのであれば、真剣に遊んでいるときの方がよいものができあがることがある。
しっかし、土日で16時間以上費やした気がする。
正直、こんなにかかるとは思わなかった。
何に時間を使うか
しかし、プログラミングはまぁ良い趣味だと思う。あんまり人にいえないのが残念である。テニスとか野球観戦とかそういった趣味の方が飲み会とかでも盛り上がる気がする。いや別に、趣味を多くの人と共有する必要はないのだけれども、初対面の人と話すときには、結局無難にドライブとか映画鑑賞とかそういった話になる。
まぁそれらも好きっちゃあ好きだが、恐らく、今まで何に時間を費やしてきたかという観点でいけば、ゲームとプログラミングが一番時間消費をしている気がする。
趣味って、やっぱり、お金と時間を費やしたのが多いのがメインの趣味なんだと思う。
じゃあ、逆にお金を稼ぐ趣味はどうなんだ? となると、お金を稼いじゃえば、それって仕事じゃね? と思う。まぁもちろん、仕事が趣味って人もいるから、その観点では何ら問題はないのだけれども、僕の感覚ではそれは趣味ではない。
アルバイトだって、お金をもらっている以上はプロである。アマチュアとプロの違いは、お金をもらっているかどうかである、ということも聞いたことがある。アルバイトは雇用形態が違えど、れっきとしたプロなのである。
だから、ある分野では、アマチュアの方がプロよりも優れている、ってこともあると思う。ただ実際、時間という面で、プロの方が当然多く時間をかけられるのだから、たいていはプロの方が優れている場面が多いだろう。
さて、もう少し、早く完成させて、他のことをしたかったけれども、もうこんな時間か。
時間がかかった割には、まだ着手したいことは残っている。しかし、こんなまとまった時間は中々取れないから、できるだけこまめに、分割して作業を着手していきたいものだ。
パソコンの調子が徐々によくなってきた
結果的に、内臓のカードリーダの接続不良が原因だった可能性が高い。
BIOS起動の前でフリーズすることを繰り返していたが、メモリはずしたりグラボはずしたりUSB機器はずしたりCMOS電池はずしたりと、いろいろ試して、時折期限が良いとOSまで起動するということが繰り返していた。
そのOS起動したときに、ピコピコ、何やら外部接続の機器がつながったりはずれたりの音が、しばらくするとなりだすことが頻発した。
コントロールパネルのデバイスマネージャーから見ると、どうやら、内臓のカードリーダの接続が、つながったり外れたりを繰り返しているようだ。
BIOS起動して、該当のUSB機器だけを無効にしようと、ASUSのマザーボードの説明書(英語!)を読みながら、やってみたが、USBポートを無効にする方法を学んだだけで、結局該当の機器の設定は見つからなかった。
じゃあ、もう物理行使だ、ということで、上の画像の通り、5インチベイの蓋をはずして、カードリーダがつながっているところを調べる。(そもそも、蓋の外し方がわからなかったが、無理やりバキッとあけた。意外と、大丈夫だった、けど、ただしい開け方ってどうだったんだ? 端末の説明書にはとくに書いてなさそうだったが……)
見つけた。……たぶん? これ?
いろいろ基盤の接続を外したりつけたりしたので、電源ケーブルらしいのが上の画像の白いコネクタだろうということは分かった。むにむにと、無理やりはずす。
結果。カードリーダは使えなくなったが、USBポートは使える。
そして、ASUSのロゴでフリーズして使えなくなるという事象については、……いまのところ起きなくなった。ピコピコ、接続がついたりはずれたりすることもなくなった(やはり、カードリーダのみの接続不良だったのだ)。
グラボ、メモリも×2で繋げてみる。問題なく稼働。
ふむふむ、これでしばらく使っても大丈夫であれば、まだしばらくこのPCを使えそうである。
もうかなり、見積もりで15万~30万ぐらいで検討していたが、どうしても必要なら外付けのカードリーダ(3000円ぐらいか?)でもつければ、何ら問題はなかろう。
費やした時間は、電気屋にいってCMOS電池を購入したり、不具合の調査をしたりとか、「つながらねえええ!」とか叫んでいた時間とかいろいろ含めて、6~8時間ぐらいだろうか。
15万円を浮かせたと考えれば、時給約2万である。おぉ。そう考えると、よく頑張った。
【遠藤の得た経験値(スキル)】
◎メモリの外し方・付け方
◎グラフィックボードの外し方・付け方
◎CMOS電池交換の仕方
◎USBポートのBIOSからの無効化
◎内臓HDDの交換
◎内臓HDD外付けケースの接続
◎5インチベイの蓋の外し方
ふむふむ、結構頑張ったんちゃうか。
格安SIMへの移行
何かのときに役立つかもしれないから、手順をメモしておこう。1.自分のキャリア(AUとかドコモとかソフトバンクとか)を把握する
2.自分のキャリアを使っている格安SIM事業者(MVNO)を調べる
3.事業者を決めたら、自分の端末(スマホ)が対応しているかを調べる
4.対応していたら、SIMのみを申し込む。その際、MNPするか(電話番号を引き継ぐか)を決める。
5.引き継ぐ場合は、キャリアに電話して、MNP予約番号をもらう。
6.予約番号をもとに、格安SIM事業者のサイトからSIMのみを購入する
7.クレジットカード登録とか、運転免許証とか必要な書類をアップロード。←いまここ
7.配送手配が行われ、SIMが到着する
8.古いSIMを外して、新しいSIMをつける。
9.なんかセッティングする(セッティングされるとキャリアは解約される)(この間はふつーに今までどおり使える)
10.移行完了!
となるはずである。
ちなみに試算結果。
約1年後、このまま何もしなかった場合と、違約金が発生しない12月にやめた場合での違い。
累計費用として、
何もしなかった場合:66780円
12月にやめた場合:42168円
今すぐやめた場合:37088円
ということで、年間約3万円ぐらい消費を抑えられる計算である。
ちまちま、昼食代を節約するよりかはよっぽど効果は高そうである。
あとはネットか。ケーブルテレビのJ-COMだが、テレビみないし固定電話もいらないし、スマホとセット割引のスマートバリューもなくなるし、もっと安い通信業者を探してもよいかもしれない。NTTのフレッツぐらいしか知らないが、もっといいところがあるかもしれない。
まぁ、MNPの予約の際に、AUに電話かけんきゃならず、引き止められたり、なかなかつながらなかったりするといううわさも聞いたり、実際大手のサポートってホントなかなかつながらなかったりイライラさせられることが多いが、AUさんのサポートは、今回たまたまかもしれないが、非常によかった。
まず、自動音声の指示に従って、オペレータを呼び出してから2コールぐらいでつながった。んで、
・どこに乗り換える予定なのか
・理由は何か
ということを聞かれたが、素直に、UQ-mobile、費用削減のためと答える。
もう少し費用を抑えられるキャンペーンなどもありますと進められるも、公開されている情報は確認して、これ以上安くならないことはわかっているのでけっこうです、と答えると、わかりました、となって、あとはスムーズに手続きが進んだ。
まー、回線事業者として、回線のインフラ自体で利益が出ているから、個人の消費者がはなれていっても、あんまり困らないのかもしれないが。
(生活メモみたいになってしまった。思考とは関係ないからあんま面白くないな。まぁ、思考と生活は密接にかかわる。人脈も、モノも、コトも、全部、自分が記憶、管理できる範囲にしたいものである。部屋を片付けていて、「あ、こんなもんもあったんだっけ」とかなるのは、ぜひとも避けたい事態である)
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今日の一言「価値あるものに投資を」「無駄なものはカットを」
なるほど、単に消費をする趣味よりも、面白いかもしれない。何が面白いかと言えば、企業や、景気といった、経済に関する情報収集の積極性が向上するということだ。
そして、もう一つ、行動に変化が現れたのは、コスト意識である。
確かに、投資で利益を生むというのは大切なことかもしれない。しかしながら、8000円だかのお金を生むよりも、今、自分にかかっている費用を削減することの方が、よほど効果は高いと思われる。
その最たるところが、通信費である。
スマートホン
6,165円-500円(スマートバリュー) = 5,565円
ネット
4,860円
高い。何もしなくても、1万円が消費されるのだ。確かに、不満が現状あるわけではない。しかし、もっとコストダウンができるはずだ。というわけで、格安SIMというものを検討してみることにした。
言葉は知っている。しかし、何だかよく分かっていないのが正直のところであった。恥ずかしい。
SIMカード? SDカードと違うの? ……と、さすがにそこまでは思っていなかったが、auとかのキャリア(会社)ってのと、何が違うのかとか、どういった手続きをすれば乗り換えられるのかとか不明だった。
格安SIMへの乗り換え手順
http://www.hitode-festival.com/entry/2016/04/03/094919
上のサイトが参考になった。
MVNOとか、MNPとか、まったくわからなかったが理解した。
記憶定着のために書くと、MVNOは、モバイルヴァーチャルネットワークオペレーターの略称で、まぁauとかドコモとか大手以外の通信業者である。大手キャリア(会社)の通信網を間借りしているという。通信費を安く提供できるので、格安SIMと呼ばれる。
MVNO≠格安SIMである。MVNOが、安いSIMカードを販売しているのだ。SIMカードって何かというと、通信するためのIDみたいなもんだ。認証装置。それによって月額請求される。(微妙に理解が違うかもしれない)
MNPは、モバイルナンバーポータビリティーの略。各通信業者間で、同じ電話番号が使える仕組み。3000円かかる。
まぁ、細かい仕組みはともかく、株式投資と同じで、まずは実践である。
実践のため、見積もりを自分でしてみた。
大きく作業の流れは3つに整理できる。
1.MNP申し込み(au解約手続き)(※1)
2.欲しいフリーSIM対応のスマホを選ぶ(※2)
3.フリーSIMカードのプランを選ぶ(その際、1.の予約番号を入力)
※1:要確認だが、MNP申し込み=auの解約になるっぽい。
※2:新しいスマホの人はそのまま使える場合があるらしい。が僕は古すぎるので×。
(疑問:1.の解約手続きしたら、その時点でスマホの通信すべて使えなくなるのでは?⇒アンサー:多分ならない。MNPは15日間有効。で、切り替え作業を、転入先のSIM&スマホで行わない限りは、転出元のスマホの通信は生きていると思われる。根拠このサイト)
というサイトから購入すると、初期手数料(事務料)が無料になるとのことで、検索。
U-MOBILE
通話プラスダブルフィックス
https://sumaho-mania.com/products/detail/37
一か月あたり1,598円
というプランを発見。
データのみ、ってのもありかなぁと思いつつ、スマホをもっていない人とは電話ができないので、通話は必須と考える。データ通信は、1GB以下でよいのだが、それより安いのが見つからなかったので、1GB~3GBのプランとする。
次に、欲しいスマホの本体機種を探す。そのプランで対応している機種を調べる。
U-MOBILE
対応機器一覧(通話プラス)
https://umobile.jp/support/devices/d/
次にこの中から、びびっと来る奴を探す。
格安SIM(フリーSIM)対応のスマホって、中国とか韓国とか台湾製品が多かった。SAMUSUNGは韓国で、PCのディスプレイはそのメーカーで、特に不具合もなく不満はないものの……。
ASUSは有名な台湾メーカーだけど、昨今のPC不具合の諸悪の根源の気がして印象が悪い。
そんな中目を引いたのは、
FLEETEL極
https://sumaho-mania.com/products/detail/114
一か月あたり2025円(2年分割)
フリーテルとか、初めて聞いたが、どうやら日本のメーカーらしい。じゃあこれでいいや(テキトー)。
ふと気づく。
現在の月額料金には、ウイルスソフトの使用料も込みである。それも足してあげないと、正確な見積もり比較にはならないだろう。ということで、ウイルスバスターを検索。
トレンドマイクロ
ウィルスバスターモバイル
http://safe.trendmicro.jp/purchase/vbma.aspx
一か月あたり235円
以上から、SIMプラン+端末分割費用+ウイルスソフトを計算すると、
見積もり
1,598+2,025+235 = 3,858円
となる。
おお。安そうである。そいでもって、基本、僕は新しい機種を買うことは殆どなかろう。AUの契約は16年ぐらいで、今のスマホは4年ぐらい使っている。ガラケーで機種変更したのは、2回か、3回ぐらいだったと思う。平均、4年に一度交換って感じだ。
じゃあ、今すぐ手続きをしようか、どうか。
https://www.au.com/support/service/mobile/procedure/contract/cancel/cancellation/
9500円(誰でも割り)+3000円(MNP手数料)= 12500円
ということで、僕の次の更新は、
(次回更新月2017.12~2018.01)
12500÷ 6か月 = 2083円
(ちなみに、auウォレットポイントという奴が2000Pほどあったが、面倒だからこれの考慮は無視)
差額:376円
損:376×6か月=2,256円
差額:1,707円
得:1,707円
1,707×2か月 > 2,256円
∴2018年2月以降に得をする(違約金分の回収ができる)。
という結果になった。
結論として、最新の機種を使えるというメリットはあるが、出費という面では、むしろ高上り(月額400円弱)になるため、敢えて今の時期解約する必要はないと判断。
逆に、もっと安いプラン、もしくは、安い機種にすれば、今すぐ解約してももとは取れることになる。
(仮に、契約更新時期が、6か月よりも長かった場合も、今すぐ解約してももとは取れるという場合がある。例えば、12か月後が更新時期だったら、12500円÷12か月となり、1041円が月額に付加される。そしたら、違約金込みの月額は、3858+1041=4899円となり、現在の月額5565より安いので、すぐ解約した方が得)
ちなみに、ここまでの検討に、3時間ぐらいかかった。
もっと他のプランがないか、もっと他によい機種がないかとか考え始めると、もっともっと時間が過ぎていく気がする。
こういった時間の消費というのも、実はコストの一種である。
こういう煩わしいことを考えなくて済む、という意味で、大手キャリアauドコモソフトバンクへの支払いというメリットは、考えてもいいと思う。取り敢えず安定してサービスが受けられるってのは大事。
ただ、株式投資とかするんだったら、どっちかっていうと、初めにすることは、企業の損益計算書を見るのも大切だが、自分の所得費用の収支をしっかりおさえることだ。
株で10万もうけても、無駄な出費を30万したら、いつまで経っても貧乏のままである。
(その「無駄な出費」ってのが何かってのはよくよく検討の余地がある。例えば、僕はオートモービル系を所有しているが、その税金とか車検整備とかの費用ってバカにならないわけであって、そんなんうっぱらって、自転車生活でもすりゃあコストダウンじゃん? ってのは最もだが、果たして、それでいいのだろうか、ということだ。価値あるものに投資し、無駄なもとのをカットする。当たり前のことで、当たり前に重要で、誰もがうんうんそうだよねということであるが、しかし、その個々基準を考えることの重要性については、結構みんな無意識な気がする。例えば飲み会の費用とかコンパとかって――強制終了)
情報整理
先週、株式投資を始めた。現在の評価額は、8600円ほどプラスである。なるほど、単に消費をする趣味よりも、面白いかもしれない。何が面白いかと言えば、企業や、景気といった、経済に関する情報収集の積極性が向上するということだ。
そして、もう一つ、行動に変化が現れたのは、コスト意識である。
確かに、投資で利益を生むというのは大切なことかもしれない。しかしながら、8000円だかのお金を生むよりも、今、自分にかかっている費用を削減することの方が、よほど効果は高いと思われる。
その最たるところが、通信費である。
スマートホン
6,165円-500円(スマートバリュー) = 5,565円
ネット
4,860円
高い。何もしなくても、1万円が消費されるのだ。確かに、不満が現状あるわけではない。しかし、もっとコストダウンができるはずだ。というわけで、格安SIMというものを検討してみることにした。
格安SIMをゼロから調べる
格安SIM。言葉は知っている。しかし、何だかよく分かっていないのが正直のところであった。恥ずかしい。
SIMカード? SDカードと違うの? ……と、さすがにそこまでは思っていなかったが、auとかのキャリア(会社)ってのと、何が違うのかとか、どういった手続きをすれば乗り換えられるのかとか不明だった。
格安SIMへの乗り換え手順
http://www.hitode-festival.com/entry/2016/04/03/094919
上のサイトが参考になった。
MVNOとか、MNPとか、まったくわからなかったが理解した。
記憶定着のために書くと、MVNOは、モバイルヴァーチャルネットワークオペレーターの略称で、まぁauとかドコモとか大手以外の通信業者である。大手キャリア(会社)の通信網を間借りしているという。通信費を安く提供できるので、格安SIMと呼ばれる。
MVNO≠格安SIMである。MVNOが、安いSIMカードを販売しているのだ。SIMカードって何かというと、通信するためのIDみたいなもんだ。認証装置。それによって月額請求される。(微妙に理解が違うかもしれない)
MNPは、モバイルナンバーポータビリティーの略。各通信業者間で、同じ電話番号が使える仕組み。3000円かかる。
まぁ、細かい仕組みはともかく、株式投資と同じで、まずは実践である。
実践のため、見積もりを自分でしてみた。
大きく作業の流れは3つに整理できる。
1.MNP申し込み(au解約手続き)(※1)
2.欲しいフリーSIM対応のスマホを選ぶ(※2)
3.フリーSIMカードのプランを選ぶ(その際、1.の予約番号を入力)
※1:要確認だが、MNP申し込み=auの解約になるっぽい。
※2:新しいスマホの人はそのまま使える場合があるらしい。が僕は古すぎるので×。
(疑問:1.の解約手続きしたら、その時点でスマホの通信すべて使えなくなるのでは?⇒アンサー:多分ならない。MNPは15日間有効。で、切り替え作業を、転入先のSIM&スマホで行わない限りは、転出元のスマホの通信は生きていると思われる。根拠このサイト)
どこから購入するか
モバレコというサイトから購入すると、初期手数料(事務料)が無料になるとのことで、検索。
U-MOBILE
通話プラスダブルフィックス
https://sumaho-mania.com/products/detail/37
一か月あたり1,598円
というプランを発見。
データのみ、ってのもありかなぁと思いつつ、スマホをもっていない人とは電話ができないので、通話は必須と考える。データ通信は、1GB以下でよいのだが、それより安いのが見つからなかったので、1GB~3GBのプランとする。
次に、欲しいスマホの本体機種を探す。そのプランで対応している機種を調べる。
U-MOBILE
対応機器一覧(通話プラス)
https://umobile.jp/support/devices/d/
次にこの中から、びびっと来る奴を探す。
格安SIM(フリーSIM)対応のスマホって、中国とか韓国とか台湾製品が多かった。SAMUSUNGは韓国で、PCのディスプレイはそのメーカーで、特に不具合もなく不満はないものの……。
ASUSは有名な台湾メーカーだけど、昨今のPC不具合の諸悪の根源の気がして印象が悪い。
そんな中目を引いたのは、
FLEETEL極
https://sumaho-mania.com/products/detail/114
一か月あたり2025円(2年分割)
フリーテルとか、初めて聞いたが、どうやら日本のメーカーらしい。じゃあこれでいいや(テキトー)。
ふと気づく。
現在の月額料金には、ウイルスソフトの使用料も込みである。それも足してあげないと、正確な見積もり比較にはならないだろう。ということで、ウイルスバスターを検索。
トレンドマイクロ
ウィルスバスターモバイル
http://safe.trendmicro.jp/purchase/vbma.aspx
一か月あたり235円
以上から、SIMプラン+端末分割費用+ウイルスソフトを計算すると、
見積もり
1,598+2,025+235 = 3,858円
となる。
おお。安そうである。そいでもって、基本、僕は新しい機種を買うことは殆どなかろう。AUの契約は16年ぐらいで、今のスマホは4年ぐらい使っている。ガラケーで機種変更したのは、2回か、3回ぐらいだったと思う。平均、4年に一度交換って感じだ。
じゃあ、今すぐ手続きをしようか、どうか。
マイナス要素
しかし、違約金という存在を忘れてはいけない。違約金
au契約解除料https://www.au.com/support/service/mobile/procedure/contract/cancel/cancellation/
9500円(誰でも割り)+3000円(MNP手数料)= 12500円
ということで、僕の次の更新は、
(次回更新月2017.12~2018.01)
12500÷ 6か月 = 2083円
(ちなみに、auウォレットポイントという奴が2000Pほどあったが、面倒だからこれの考慮は無視)
比較
というわけで、違約金の支払いも含めて、検討。07月~12月
5,565円 < 3,858円+2,083円(違約金)= 5,941円差額:376円
損:376×6か月=2,256円
01月以降
5,565円 > 3,858円差額:1,707円
得:1,707円
1,707×2か月 > 2,256円
∴2018年2月以降に得をする(違約金分の回収ができる)。
という結果になった。
結論として、最新の機種を使えるというメリットはあるが、出費という面では、むしろ高上り(月額400円弱)になるため、敢えて今の時期解約する必要はないと判断。
逆に、もっと安いプラン、もしくは、安い機種にすれば、今すぐ解約してももとは取れることになる。
(仮に、契約更新時期が、6か月よりも長かった場合も、今すぐ解約してももとは取れるという場合がある。例えば、12か月後が更新時期だったら、12500円÷12か月となり、1041円が月額に付加される。そしたら、違約金込みの月額は、3858+1041=4899円となり、現在の月額5565より安いので、すぐ解約した方が得)
まとめ
格安SIMへの乗り換えは行おう。ただそれは、2017年12月からとする。ちなみに、ここまでの検討に、3時間ぐらいかかった。
もっと他のプランがないか、もっと他によい機種がないかとか考え始めると、もっともっと時間が過ぎていく気がする。
こういった時間の消費というのも、実はコストの一種である。
こういう煩わしいことを考えなくて済む、という意味で、大手キャリアauドコモソフトバンクへの支払いというメリットは、考えてもいいと思う。取り敢えず安定してサービスが受けられるってのは大事。
ただ、株式投資とかするんだったら、どっちかっていうと、初めにすることは、企業の損益計算書を見るのも大切だが、自分の所得費用の収支をしっかりおさえることだ。
株で10万もうけても、無駄な出費を30万したら、いつまで経っても貧乏のままである。
(その「無駄な出費」ってのが何かってのはよくよく検討の余地がある。例えば、僕はオートモービル系を所有しているが、その税金とか車検整備とかの費用ってバカにならないわけであって、そんなんうっぱらって、自転車生活でもすりゃあコストダウンじゃん? ってのは最もだが、果たして、それでいいのだろうか、ということだ。価値あるものに投資し、無駄なもとのをカットする。当たり前のことで、当たり前に重要で、誰もがうんうんそうだよねということであるが、しかし、その個々基準を考えることの重要性については、結構みんな無意識な気がする。例えば飲み会の費用とかコンパとかって――強制終了)
今日の一言「どぅいとゆあせるふ」「正解するカド面白き」
そいで、土曜日は野暮な用事で殆ど着手できなかったが、今日は6時間ぐらいガリガリとプログラムを書いていた。要件まとめたり超簡易的な自分にだけ分かるような設計書を作ったり作業含む。
日曜大工もそうだけど、専門外の人がなんか作ることをDIY:Do It Yourselfというようだ。
何かつくるのって楽しいよね。
しかし、プログラムのDIYは、棚とか椅子とか家の修繕工事とは違って、あんまり形に見えにくいから、すごーいとか女の子にもてたりはしなさそうだ(残念)。
単純なミスでつまってしまって、時間をロスしてしまったが、SQLも何となく感覚で使えるようになってきた。まぁ仕事に役に立つかと言ったらまったく関係ない。関係ないから趣味なのである。
趣味とは何か。趣味とは、余暇に主体的に行うことである。余暇とは、24時間から、睡眠や勉強や仕事など必要時間を差し引いた、可用時間のことである。
仕事が趣味な人は、一日の過ごし方が、睡眠or仕事となる。本来効率が良いような感じもするが、しかし、消費活動がなければ経済は発展しない。では、消費活動が発展するには何が必要か。人口が多くなることである。しかし、日本では人口が減ってきている、そうすると、経済発展が望めない。しかし、世界規模では人口が増えている。海外市場はまだ望みがある。
結果、4000円ぐらい利益が出た。
何もしなくても、お金が生まれたということ。この感覚は、とても不思議である。
お金がお金を生むということ。これは不思議な感覚である。
考えてみれば、銀行にお金を預けていても、利子がつくのである。お金を預かってもらっているのに、プラスアルファでお金をもらえるなんて、素晴らしい! と思う人もいるかもしれない。しかしこれは考え方の誤りであり、銀行に、自分のお金を「貸している」のである。銀行に、貸しているのだ。国債を買う人は、国にお金を貸しているのだ。株をやっている人は、どっかの企業にお金を貸しているのだ。
貸す、というのはリスクである。戻ってこないかもしれない。ので、大事なのは、「信用」である。国という制度が必要なのは、その「信用」の担保である。年配の人だと、電子マネーを不思議に思う人がいるかもしれない。お金と言ったら、給料袋に入った現ナマなのだと。しかし、そんな紙切れを何故ありがたいと思うのか。その紙切れを使えば、美味しいものを食べられたり、女の子からちやほやされたりできるという「信用」(安心)があるからである。
であれば、「信用」を担保できるなら、むしろ現物である必要はない。……という発想から、ビットコインとか仮想通貨という概念も生まれたのだろう。
で、現実と、お金の価値(信用)との乖離が大きくなることをなんというか?
バブルである。
基本は、生産と消費の関係がある。
まず面白いのは、おっさんおばさんがメインキャラクターであることだ。レクリエイターもおっさんが出てくるが、メインは中学生? 高校生である。別に中高生が主人公でも悪くはないのだが、やっぱりちょっと考えるネタになりそうな、攻殻機動隊とかサイコパスとかもいいものである。正解するカドも面白いランキングインしそうだ。
いや別に、ちょっと小難しい作品を面白いと思える俺ってカッコいいとか、そんな高二病? 大二病的なわけではないが、善人が悪人を斃す、というストーリーにちょっとばかり飽きているというのはあるだろう。(とはいえ、自分では、剣と魔法と竜と神と、王道コテコテの作品を書きたいと思っているのだが)
面白いポイントその1。ネゴシエーター(哄笑人……もとい交渉人)という特殊な職業にスポットして、それをストーリーの軸にしていること。いや別に単なる官僚さんなのだが、数々の難しい折衝をこなしてきた敏腕が主人公であり、次なる交渉相手は、なんと宇宙外生命体であったと。これは冒頭かなり惹きつけられる。
面白いポイントその2。「俺たちは神じゃあない。だから、何が正解かを、ずっと考え続けていくしかないんだ」という台詞。シンドーさん……、俺はちょっと感動したよ。いや分かってる、分かってた。俺もそう思ってた。答えなんて分からない。その都度、最善最良と思われるものを、考え続けていくしかないんだと。しかし最近、考えることに疲れてしまっていた。いやまぁ、生きる意味を徹底して考える、ってのは、もはやライフワークというか、逃げることも許されない前提みたいなもんだから、それはやらざるえないんだけど、特に仕事の上で疲れていた。あっちを立てればこっちが立たない、よかれと思ったことが叩かれるということが続いて、もうどっちでもいーんじゃねーか、俺はもう知らねーよ。って気にもなってきた。
いや、駄目だな。win-winにならんでも、せめて、自分が判断した根拠ってのは、しっかりもっていきたい。失敗だろうが成功だろうが、どちらにせよ自分で決めていかねばならんだろう。
面白いポイントその3。政府関係者とか前向き。マスコミも足を引っ張らない。何か、会議とか、政府とかって、事なかれ主義的に、足を引っ張り合うとか(見てないけど、シンゴジラってそんな感じだったと噂ぎく)、時間だけを浪費していくとかが多いんだけど、みんな協力して、宇宙外生命体への対応を前向きに検討し、答えを出そうとしてる。決断スピードを上げるために能力をある人を抜擢したり、現場で判断を任せたり、官民協力したりとか、何かいいね。アメリカとかの大統領が陣頭指揮とるような映画っぽい(それって褒めてるのか?)。
面白いポイントその4。人は進歩できるのか? って問いがよい。皆がそう思っているかは分からないんだけど、……というか、最近公私他者と話をしていると、どうにも、僕の感じているもやもやしていることが、殆ど伝わりさえしないということが、哀しく感じている。
それを、実存的空虚感とか、生きがいの喪失とか、閉塞感とか、まぁいろんな表現はあるのだろうけれども、世界が、ますます良くなっていくとか素晴らしくなっていくとか、そんな感覚を抱けない状態。
もちろん、部分的幸福とか、豊かさってのはある。けれども、相も変わらず戦争やテロは起こって、医療介護の問題が山積みで、学校ではイジメがあって、会社では出世競争で、金融市場では貧者や格差が生まれと、あんまし希望がないイメージがある。
そういった暗いイメージってのは、もう何十年も続いていて、例えばその解決方法として提唱されたのが、エヴァンゲリオンだと、人類補完計画である。ATフィールドという個々人の境界(絶対領域)があるから争いや疎外が生まれるんだから、そんなの全部とっぱらって、みんな一つになればいいんだよ! と。ハルマゲドン的解決、と僕は読んでいる(今決めた)。GUN×SWORDとか、フルメタルパニックとか、その辺が同様。
それでもって、EDENもそうなんだけど、EDENの場合は、もういっそのこと●●しちゃおう(ネタバレをいまさら気にして伏せた)というものであり、僕はちょっとばかり、新しい希望をみた気がした。
サイコパスは、集合的統合意識によるシステムの徹底によって、社会システムを構築しようとするもの。ふむふむ、面白かった。
なんかそういった、世界に対して何らか言及するような作品が好き、というか必要としている。レクリエイターは、うーむ、確かに、アニメやゲームから出現したキャラクターが、世界の変質を望む、ということで、面白いことは面白いのだけれど、既存価値観(※)へのテーゼにもアンチテーゼにもなっていない点が惜しいところ。
そいで、今回の正解するカドは、なんと、宇宙外生命体様が、無限エネルギーを提供してくれるってもんだからどうしたもんか! なるほどすべての戦争は、経済的貧困から起こるものであるといっても過言ではない。宗教戦争などなかった。掲げるべき大義は別として、幸せになりたいという人の欲望によって争いは起こる。
何故欠乏が起こるのか。それは、世界の物資が、有限であるからだ。
では、果たして、「無限」という概念があったときに、国家は、世界は、人は、人類は、どういった世界を創ることができるのか?
……といった問いかけする部分まで見た。その先どうなるか分からない。というか、そういったテーマなのかもわからない。けれども、先がみたい、知りたいと、強く思わせてくれる作品であった。
※既存価値観なんていう抽象表現で逃げようとしているのが、まったくせこい奴である。なんというか、まず「僕フィルター」がかかるのは、「空虚感」「閉塞感」を前提にしているか、という点である。その辺の共有性、共感性がないと、僕は本気で手放しで面白い! 感動した! ってのはならない気がする(※※)。
※※いやしかし、それはちょっと別次元だな。クレヨンしんちゃんの映画とか、ふつーに感動するが、それって「既存価値観云々」とは全く別次元な気がする。進撃の巨人も、別にそんな方面で面白いとか思っているわけじゃなさそうである。アラビアの夜の種族も普通に面白いのである。まぁなんというか、「面白い」にも「感動」にもいろいろ種類があるのであって、一概にそのどの感情が優位だとか低位だとか、嘘だとかホントだとか、そんなことはあんまし関係ないのである。
ただ、しかしながら、アイアムアヒーローにがっかりしたのは、前者の「価値観」部分での期待が大きすぎたってのはある気がする。
キノの旅という小説があるけれども、あれのどっかの巻に、労働がなくなった国の話がのっていた。衣食住の生産その他すべて、ロボット・機械がやってくれている国。すばらしいユートピアじゃないか! と思いきや、退屈した人々は危険な娯楽に興じて……とかだっけ、オチは完全に忘れてしまった。
ただ、昨今の労働ってのは、見直されるべき段階であるようには思う。効率化する、成果をあげる。しかしだ、本当は、効率化したんだったら、ゆとりや休みが増えるのではなかろうか。違うのだ、拡大再生産である。効率化した業務によって生じた時間を、さらなる成果に結びつく業務にあてる。そしてさらにそれを効率化して……と繰り返す。
いや違うのだ。仕事というのは、実は、僕らの脳神経細胞の本能である、知りたい・仲間になりたいという欲求によって、会社という組織が必要とされ、拡大していったものなのだ。人はもともと、誰かと協力して何かを成し遂げたいと思う生き物なのである。いやいや俺はデイトレードで金をもうけられたらいいんだ、会社なんて組織に加わるもんか! って人も、ひろーく、資本主義という組織(システム)に参加して、成果を出そうとしているのである。
株なんて、あぶくぜにだ。やっぱり人は、労働によって金銭を得て生きるべきだ、という人も同様。地域ボランティアに参加する壮年期老年期の方々も同様。みんな何かに属して、何かを成し遂げたいのである。
という、欲求が皆にあるという前提で。すべての活動に必要な生産が、ロボットによってなされるようになったとしたら、どんな世界になるだろう、というのを考えるのも面白いと思う。なるほど、ロボットをメンテナンスしたり、その部品をつくる仕事は残るじゃないか? というのはあるかもしれない。けれども、もっと推し進めれば、それらも、ロボット自身でできるようにもなるだろう。本当に完全に、生産の必要性がなくなった世界。
人は、ただ消費をするだけの存在となる。
退屈しだした人は、危険な遊びを考えるようになるかもしれない。ロボットが野菜も生産してくれるが、やっぱり自分で家庭菜園をやりたいと思う人が出てくるかもしれない。文芸・芸術は栄えるだろうか? それとも刺激がなくなったことで衰えるのだろうか。
とかってことを考えていると、あっという間に休みがなくなってしまう。
特に目新しくもなく、みんな考えているようなことだろうけれど、近況のメモということで走り書き。
(土日ともども、猛烈に眠くなって床で倒れるように寝てしまっていたのが数時間ある。非常にもったいない気はするが、あの獰猛な眠気はもはや如何ともし難い。そして、そんな寝方をすると、夢をみるのである。何かもう忘れてしまったが、仕事している夢とか、過去のうんたらの夢とかで、何とも気分が優れないものである南無)
自サイト改修工事
パソコンの調子もあいかわらずよくないため、USBデバイスが激しくピコピコ接続したり認識外になったり繰り返し始めたりして、BIOS:Basic Input Output Systemをいじったり、WINDOWSのデバイスマネージャーでドライバを削除したりと色々試している。そいで、土曜日は野暮な用事で殆ど着手できなかったが、今日は6時間ぐらいガリガリとプログラムを書いていた。要件まとめたり超簡易的な自分にだけ分かるような設計書を作ったり作業含む。
日曜大工もそうだけど、専門外の人がなんか作ることをDIY:Do It Yourselfというようだ。
何かつくるのって楽しいよね。
しかし、プログラムのDIYは、棚とか椅子とか家の修繕工事とは違って、あんまり形に見えにくいから、すごーいとか女の子にもてたりはしなさそうだ(残念)。
単純なミスでつまってしまって、時間をロスしてしまったが、SQLも何となく感覚で使えるようになってきた。まぁ仕事に役に立つかと言ったらまったく関係ない。関係ないから趣味なのである。
趣味とは何か。趣味とは、余暇に主体的に行うことである。余暇とは、24時間から、睡眠や勉強や仕事など必要時間を差し引いた、可用時間のことである。
仕事が趣味な人は、一日の過ごし方が、睡眠or仕事となる。本来効率が良いような感じもするが、しかし、消費活動がなければ経済は発展しない。では、消費活動が発展するには何が必要か。人口が多くなることである。しかし、日本では人口が減ってきている、そうすると、経済発展が望めない。しかし、世界規模では人口が増えている。海外市場はまだ望みがある。
株のこと
先週株を始めた。初めて始めたときの感覚をメモしておきたかったけれども、あっという間に時間が過ぎてしまった。結果、4000円ぐらい利益が出た。
何もしなくても、お金が生まれたということ。この感覚は、とても不思議である。
お金がお金を生むということ。これは不思議な感覚である。
考えてみれば、銀行にお金を預けていても、利子がつくのである。お金を預かってもらっているのに、プラスアルファでお金をもらえるなんて、素晴らしい! と思う人もいるかもしれない。しかしこれは考え方の誤りであり、銀行に、自分のお金を「貸している」のである。銀行に、貸しているのだ。国債を買う人は、国にお金を貸しているのだ。株をやっている人は、どっかの企業にお金を貸しているのだ。
貸す、というのはリスクである。戻ってこないかもしれない。ので、大事なのは、「信用」である。国という制度が必要なのは、その「信用」の担保である。年配の人だと、電子マネーを不思議に思う人がいるかもしれない。お金と言ったら、給料袋に入った現ナマなのだと。しかし、そんな紙切れを何故ありがたいと思うのか。その紙切れを使えば、美味しいものを食べられたり、女の子からちやほやされたりできるという「信用」(安心)があるからである。
であれば、「信用」を担保できるなら、むしろ現物である必要はない。……という発想から、ビットコインとか仮想通貨という概念も生まれたのだろう。
で、現実と、お金の価値(信用)との乖離が大きくなることをなんというか?
バブルである。
基本は、生産と消費の関係がある。
正解するカドが面白い
話は華麗に変わる。ある方が、「正解するカド」という作品が面白いと書かれていて、見てみることにしたナニコレ面白い。まず面白いのは、おっさんおばさんがメインキャラクターであることだ。レクリエイターもおっさんが出てくるが、メインは中学生? 高校生である。別に中高生が主人公でも悪くはないのだが、やっぱりちょっと考えるネタになりそうな、攻殻機動隊とかサイコパスとかもいいものである。正解するカドも面白いランキングインしそうだ。
いや別に、ちょっと小難しい作品を面白いと思える俺ってカッコいいとか、そんな高二病? 大二病的なわけではないが、善人が悪人を斃す、というストーリーにちょっとばかり飽きているというのはあるだろう。(とはいえ、自分では、剣と魔法と竜と神と、王道コテコテの作品を書きたいと思っているのだが)
面白いポイントその1。ネゴシエーター(哄笑人……もとい交渉人)という特殊な職業にスポットして、それをストーリーの軸にしていること。いや別に単なる官僚さんなのだが、数々の難しい折衝をこなしてきた敏腕が主人公であり、次なる交渉相手は、なんと宇宙外生命体であったと。これは冒頭かなり惹きつけられる。
面白いポイントその2。「俺たちは神じゃあない。だから、何が正解かを、ずっと考え続けていくしかないんだ」という台詞。シンドーさん……、俺はちょっと感動したよ。いや分かってる、分かってた。俺もそう思ってた。答えなんて分からない。その都度、最善最良と思われるものを、考え続けていくしかないんだと。しかし最近、考えることに疲れてしまっていた。いやまぁ、生きる意味を徹底して考える、ってのは、もはやライフワークというか、逃げることも許されない前提みたいなもんだから、それはやらざるえないんだけど、特に仕事の上で疲れていた。あっちを立てればこっちが立たない、よかれと思ったことが叩かれるということが続いて、もうどっちでもいーんじゃねーか、俺はもう知らねーよ。って気にもなってきた。
いや、駄目だな。win-winにならんでも、せめて、自分が判断した根拠ってのは、しっかりもっていきたい。失敗だろうが成功だろうが、どちらにせよ自分で決めていかねばならんだろう。
面白いポイントその3。政府関係者とか前向き。マスコミも足を引っ張らない。何か、会議とか、政府とかって、事なかれ主義的に、足を引っ張り合うとか(見てないけど、シンゴジラってそんな感じだったと噂ぎく)、時間だけを浪費していくとかが多いんだけど、みんな協力して、宇宙外生命体への対応を前向きに検討し、答えを出そうとしてる。決断スピードを上げるために能力をある人を抜擢したり、現場で判断を任せたり、官民協力したりとか、何かいいね。アメリカとかの大統領が陣頭指揮とるような映画っぽい(それって褒めてるのか?)。
面白いポイントその4。人は進歩できるのか? って問いがよい。皆がそう思っているかは分からないんだけど、……というか、最近公私他者と話をしていると、どうにも、僕の感じているもやもやしていることが、殆ど伝わりさえしないということが、哀しく感じている。
それを、実存的空虚感とか、生きがいの喪失とか、閉塞感とか、まぁいろんな表現はあるのだろうけれども、世界が、ますます良くなっていくとか素晴らしくなっていくとか、そんな感覚を抱けない状態。
もちろん、部分的幸福とか、豊かさってのはある。けれども、相も変わらず戦争やテロは起こって、医療介護の問題が山積みで、学校ではイジメがあって、会社では出世競争で、金融市場では貧者や格差が生まれと、あんまし希望がないイメージがある。
そういった暗いイメージってのは、もう何十年も続いていて、例えばその解決方法として提唱されたのが、エヴァンゲリオンだと、人類補完計画である。ATフィールドという個々人の境界(絶対領域)があるから争いや疎外が生まれるんだから、そんなの全部とっぱらって、みんな一つになればいいんだよ! と。ハルマゲドン的解決、と僕は読んでいる(今決めた)。GUN×SWORDとか、フルメタルパニックとか、その辺が同様。
それでもって、EDENもそうなんだけど、EDENの場合は、もういっそのこと●●しちゃおう(ネタバレをいまさら気にして伏せた)というものであり、僕はちょっとばかり、新しい希望をみた気がした。
サイコパスは、集合的統合意識によるシステムの徹底によって、社会システムを構築しようとするもの。ふむふむ、面白かった。
なんかそういった、世界に対して何らか言及するような作品が好き、というか必要としている。レクリエイターは、うーむ、確かに、アニメやゲームから出現したキャラクターが、世界の変質を望む、ということで、面白いことは面白いのだけれど、既存価値観(※)へのテーゼにもアンチテーゼにもなっていない点が惜しいところ。
そいで、今回の正解するカドは、なんと、宇宙外生命体様が、無限エネルギーを提供してくれるってもんだからどうしたもんか! なるほどすべての戦争は、経済的貧困から起こるものであるといっても過言ではない。宗教戦争などなかった。掲げるべき大義は別として、幸せになりたいという人の欲望によって争いは起こる。
何故欠乏が起こるのか。それは、世界の物資が、有限であるからだ。
では、果たして、「無限」という概念があったときに、国家は、世界は、人は、人類は、どういった世界を創ることができるのか?
……といった問いかけする部分まで見た。その先どうなるか分からない。というか、そういったテーマなのかもわからない。けれども、先がみたい、知りたいと、強く思わせてくれる作品であった。
※既存価値観なんていう抽象表現で逃げようとしているのが、まったくせこい奴である。なんというか、まず「僕フィルター」がかかるのは、「空虚感」「閉塞感」を前提にしているか、という点である。その辺の共有性、共感性がないと、僕は本気で手放しで面白い! 感動した! ってのはならない気がする(※※)。
※※いやしかし、それはちょっと別次元だな。クレヨンしんちゃんの映画とか、ふつーに感動するが、それって「既存価値観云々」とは全く別次元な気がする。進撃の巨人も、別にそんな方面で面白いとか思っているわけじゃなさそうである。アラビアの夜の種族も普通に面白いのである。まぁなんというか、「面白い」にも「感動」にもいろいろ種類があるのであって、一概にそのどの感情が優位だとか低位だとか、嘘だとかホントだとか、そんなことはあんまし関係ないのである。
ただ、しかしながら、アイアムアヒーローにがっかりしたのは、前者の「価値観」部分での期待が大きすぎたってのはある気がする。
ロボットが創る社会
そいで、株のところで書いた、生産と消費の関係についてなんだけど、宇宙外生命体とか、神様の啓示やらが示される可能性はちょっと低い気がするけれども、実現するかもしれないってのは、生産のオートメーション化だよね。キノの旅という小説があるけれども、あれのどっかの巻に、労働がなくなった国の話がのっていた。衣食住の生産その他すべて、ロボット・機械がやってくれている国。すばらしいユートピアじゃないか! と思いきや、退屈した人々は危険な娯楽に興じて……とかだっけ、オチは完全に忘れてしまった。
ただ、昨今の労働ってのは、見直されるべき段階であるようには思う。効率化する、成果をあげる。しかしだ、本当は、効率化したんだったら、ゆとりや休みが増えるのではなかろうか。違うのだ、拡大再生産である。効率化した業務によって生じた時間を、さらなる成果に結びつく業務にあてる。そしてさらにそれを効率化して……と繰り返す。
いや違うのだ。仕事というのは、実は、僕らの脳神経細胞の本能である、知りたい・仲間になりたいという欲求によって、会社という組織が必要とされ、拡大していったものなのだ。人はもともと、誰かと協力して何かを成し遂げたいと思う生き物なのである。いやいや俺はデイトレードで金をもうけられたらいいんだ、会社なんて組織に加わるもんか! って人も、ひろーく、資本主義という組織(システム)に参加して、成果を出そうとしているのである。
株なんて、あぶくぜにだ。やっぱり人は、労働によって金銭を得て生きるべきだ、という人も同様。地域ボランティアに参加する壮年期老年期の方々も同様。みんな何かに属して、何かを成し遂げたいのである。
という、欲求が皆にあるという前提で。すべての活動に必要な生産が、ロボットによってなされるようになったとしたら、どんな世界になるだろう、というのを考えるのも面白いと思う。なるほど、ロボットをメンテナンスしたり、その部品をつくる仕事は残るじゃないか? というのはあるかもしれない。けれども、もっと推し進めれば、それらも、ロボット自身でできるようにもなるだろう。本当に完全に、生産の必要性がなくなった世界。
人は、ただ消費をするだけの存在となる。
退屈しだした人は、危険な遊びを考えるようになるかもしれない。ロボットが野菜も生産してくれるが、やっぱり自分で家庭菜園をやりたいと思う人が出てくるかもしれない。文芸・芸術は栄えるだろうか? それとも刺激がなくなったことで衰えるのだろうか。
とかってことを考えていると、あっという間に休みがなくなってしまう。
特に目新しくもなく、みんな考えているようなことだろうけれど、近況のメモということで走り書き。
(土日ともども、猛烈に眠くなって床で倒れるように寝てしまっていたのが数時間ある。非常にもったいない気はするが、あの獰猛な眠気はもはや如何ともし難い。そして、そんな寝方をすると、夢をみるのである。何かもう忘れてしまったが、仕事している夢とか、過去のうんたらの夢とかで、何とも気分が優れないものである南無)
今日の一言「良い人間になりたいと誰もが思うはずなのに、気づいたら悪いことをなしている」「誰かを喜ばせることをしたいけれども、その誰かも、それが何かも分からない」
I do. 好きな曲の一つ。
近況。
新しい本や漫画を買ったり。飲み会の予定を入れたり。
仕事、帰宅時間、遅い。
まー、どこの会社もこんなもんかもしれん。忙しいのう忙しいのう。
あー、ついつい、自分の考えとかを語ってしまうことをやってしまっている。あんまり良い傾向じゃない気がする。
しかし、本来。人は、自分の心に正直であるべきだ。マナーというのは、社交辞令というのは、自分の心に嘘をつくということではない。言語を使わなければコミュニケーションをとれないのと同じ程度の、共通様式である。
とかって、そんなどーでもいいわな。取り敢えずビール飲んで、アニメ見て寝る、とかでえーんじゃないか。
「RE:クリエイター」って、アマゾンプライムで何話か見たけれど、まぁまぁ面白い。いやふつーに面白いでいーんじゃないかよ、と思うのだけれど、実際、ゲームとかアニメのキャラが現実世界に現界して、なんやかんやを繰り広げるとか、設定的に面白いと思うし、作画動画としてもきれいでいいと思うのだけれども、なーんか、びびっとこないんだよな。
多分。作品自体がどうこうではなく、今の気分にあっていないんだろうと思う。これ大事。
しかし、ふと、過去の自分の作品を読んでみるが、ひじょーに面白くない。最後まで読もうとすら思えない。これは、読んでくださった少ない方々に非常に申し訳ないと思う(作者が自分の作品を面白いと思えないなんて悲劇じゃなかろうか)のだけれども、仕方がない、嘘を思っても仕方がない。
そんなことぐだぐだ書いても仕方がなかろうと、とにかく面白い1シーンを書こうと、ワードファイルに向かう。
……。
300字ぐらい書く。うーむ、何だか気分が乗らない。
仕方がない、それじゃあ、面白い作品に触れてみよう。
……。うーむ……。
幻想ギネコクラシーが届く。
読む。うーむ、面白い。遠藤浩輝先生と似ているような似ていないような、なんかエログロナンセンスな雰囲気を感じさせる。しかし、心に刺さってこない。
何か書くにしても、気分がのってきた段階で、寝る時間で中断せなあかん場合もあるし。
株の勉強もしたい、が、いやー帰ってきてからやる気が起きない申し訳ない、師匠。
じゃあ電車の中はどうか、と思うが、有価証券報告書とか、僕の小さなスマホで見るのは完全に酔ってしまうだろう。エクセルとか使わないとちゃんと分析できないだろうし。
じゃあ、早く帰ればいいじゃん。……おお、それは確かに。
ただ、まぁ、そうその……うまくいかないよな。
じゃあ朝早く行けば、何か解決するかっていうと、そうじゃないし。
何だか、上手く、いかないし。
俺は思うに、人の役に立つことが大事だと思う。
人は、多くの人との関係の中で生きている。こんなことは、小学生でも学び考えることではあるが、しかし、大人になるにつれてますますこの社会の、人との関係の、世界の複雑さに頭を悩ますようになっていく。
複雑性。
地獄少女というアニメを数話だけ、飛ばし飛ばしでみた。なるほど、シンプルなストーリーで分かりやすくてオムニバスでいい感じだ。が、正直な感想は、面白くなかった、となる。
恨みの晴らし方も何だか、すっきりしない。人を呪えば穴二つということで、自分も死後地獄に堕ちることが約束される。伝えたいことがよく分からない。啓蒙にもならないし、すっきりもできないとは、中途半端に思う。が、続編が続々決まっているらしい。人気はあるんだなぁ。
遠藤浩輝氏の短編集に掲載されている、ある死刑囚の物語。何人の女性も強姦して殺している凶悪犯に、命からがら助かった被害者女性が、罪の意識は感じる? と問う。凶悪犯は、あー、まったく分からんわ。いっぺんピストル使って人殺してみたかったわー、とか言っちゃう。それぐらいキまってた奴の方が面白い(この表現は如何か)。
地獄少女の敵役(悪者)は、なんか、単に人間の邪悪な部分の表出でしかない。若い男と不倫する女が近所の奥さんに罪を擦り付けて、いじめるとか。花形高校野球ピッチャーが、気まぐれで部員をバットで殴って死なせちゃうが、他の部員に罪を擦り付けるとか。
なんというか、「現世の楽しさ」を思い、欣うという理由での「罪」(恨み)である。
そこに、信念も執着も何もない。ただの軽率な行為。敵役としてもあまりにもお粗末。が、まぁそれって人間っぽいなとか思うけれども、面白い作品かと言われたらつまんねーっとなる。
むちゃくちゃ、「悪」って物語に大事だと思う。
悪が魅力的じゃない物語は面白くない。
だが、僕がここでいう「悪」とは、正義の反対などではない。むしろ、悪は悪としての「正義」なのだ。
悪の正義とか、矛盾だろうか。そうではない。正義とは、その信念の論理的な構築なのである。
先日、ある方からお話し頂いたのは、政治的意見や良心ってのは、ちゃんと話し合えばみんな納得できるのだから、自らの利益を追求して政治誘導するような輩ばかりじゃないということである。
なるほどきっとそうだ。本当に、個人的な利益のために政治家になろうとする人は少ないに違いない。
僕が違和感を覚えるのは、その部分ではなくて、その政治家たちの目指すカタチ(正義)というのが、普遍的なものには成り難いという点である。本当に突き抜けた正義を主張するとき、例えば、「真面目に働くことが大事だ! 一億がんばれ社会!」とかいうのは、ある意味で正義だけれども、その価値観に反する弱者というのは必ず存在するということを忘れてしまう可能性がある。
ので、別に、個人的な利益誘導のための政治というのが、必ず悪いということではない。(馬鹿らしいことで敢えて言わないつもりだったが、政治資金横領とか、そういうレベルの話をしているのではない) その個人的に「正しい」「良いことだ」と思うことを突き抜けて主張することは、それに賛同する人にとっては、とても英雄的にうつることだろう。
英雄と言えばナポレオン。フランス市民から熱狂的に支持される。しかし彼に踏みにじられたエジプト、オーストリア・ロシアはいかんと思うことか。
自らの欲望に忠実で、周りを顧みず疎まれて生きることを望む人は少ないだろう。いまや、多くの物語にあふれる社会である。いわゆる「迷惑な人」、悪という存在に対しての認識形成は幅広く機会に恵まれていると言える。
そんな当たり前のことを僕はいつも問題にしているわけではない。
僕が疑問で、常に考え続けなければならなくなるのは、その「良い人」という存在についてである。
その「良い」という概念自体が、相対的なものである。ある人にとって良い人は、ある人にとって迷惑であるということは、よくよくあることだ。そんなことない、誰からも愛される人はいる! と主張する人はそれでよい。幸せな人である。うらやましいが、だが、そういう人間性豊かな人と関わっている暇は僕にはない。
僕は正義を愛し、幸せを希い、正しく良い人間であることを望む。――同時に、それらの価値観の無価値性に驚愕する。そして、自分自身の「空っぽ感」に戦慄する。
迸る熱い信念や情熱をもった人間であれば、どんだけよかったか。
そしたら、きっとたくさん、らくに、楽しく、物語をつむいでいけたような気がする。
空っぽ感。
実存的空虚感とある精神科医さんは言うが、僕自身の、存在に関する根拠、目的、理由、レーゾンデートル……、それを、簡単な言葉で僕は生きる意味と表現しているが、だれが何と言っても、やっぱり僕は、そいつがないと、この先ずっと苦しみ続ける気がする。
ライブに行くのが好きな人は、好きなアーティストのライブに、それが北海道から九州まで、どこにでもどんなに忙しくても高価でも飛んでいく。そして、狂ったように声を上げ身体をたぎらせ、そして終わった後は死んだように倒れこむ。
その人からライブという趣味をとったら、お金や時間は非常に多く生み出されるだろう。その時間とお金によって、新しい資格をとって給料アップしたり、友人や家族との時間を有意義に過ごせるかもしれない。
だが、その人にとって、その選択肢は、死んだも同然なのである。
ある人はパチンコかもしれない。パチンコは僕は嫌いだが、なので、まぁ、パチンコ屋を全部廃止するのはかわいそうな気もする……が、やっぱりなくなっていいと思う(笑)。煙草も好きではない。
けどまぁ、そういうのは仕方がないとも思う。俺が嫌いでも、好きな人にとっては好きなのだから、それがないと生きていけないのだとしたら、仕方がないだろう。
そういうのもあるから、大上段の正義ってのが、本当にいつも正しいかってのも疑問だけど。
煙草は健康に悪いから、みんな禁煙しましょう! といったって、煙草をつくる会社に勤める人だって、家族はいるかもしれない。子どもは学校で、「お前のとうちゃん、ひとの体を害するものつくってんだってな! やーい人殺しの息子~!」とかいじめられるかもしれない。
まぁそれとは別に、その、小さな子たちには、できるだけそういう意識をもたせて、今後タバコ人口が減っていくのが良いような気がするが。
じゃあ酒は? とか。
ゲームは?
なんでもかんでも、「健全なもの」ばっかり求めることが本当によいことなんだろうか?
いや確かに、残虐だったり、エログロだったり、有害指定とされるようなものはあるかもしれない。
でもそれって、結局、それを指定しようとするひとの主義主張……とか大したもんじゃなくて、単に生理的嫌悪だったりする。
僕がタバコが嫌いだから今すぐ全部廃止しやがれ! とかパチンコ全部潰せ! とかいうようなもんである。
なんの表現が有害か、なんて、どこの神様が決めれるの? ってのが反対理由の一つ。
もう一つは、そもそも、二次元の作品ってもんが、人に与える影響ってなんだよ、ということである。
いや殺人をとにかく肯定する作品があったとしよう。それは確かに生理的嫌悪だ、有害だ、気持ち悪いだろう。が、ちょっとまて、英雄譚とか、エスニッククレンジングみたいなこと平気でやってるぞ。戦争はいくない! とか言いながら、たいてい少年漫画では戦ってるぜ(人が死ぬのはまぁあんまないだろうが)。
そいでもって、そういう作品みたから、じゃあ人を殺してみたいとか考えるようになる人が本当にいるのか? ってのが一つ。
それって、作品のせいだけじゃなくて、他の原因も絶対大きいわけである。
そして、遠藤浩輝氏の上で挙げた作品の凶悪犯のように、別に大した理由もなく快楽殺人を犯すような人だって存在するのである。サイコパスとかいるのである。そういうのが、作品のせいなのか? というと違うだろうと、僕は思う。
ファラリスの雄牛という、古代ギリシアの拷問処刑器具のことを知ってる方は多いと思うが、古代ギリシアの時代は、テレビも無ければ漫画もアニメもなかったろう。にもかかわらず、あんな残虐な処刑方法を思いつく人もいるのである。
はっはっは、じゃあお前、はいって試してみろ。ぎょ、御意にございます……って熱い! うああああやめてください、まさか本当に火をつけるなんてぎゃあああああ!! とか、ギャグか!! と。
(うーむ、何だか気がのらない。面白い物語欠乏症状が発症している。それは、面白い物語がないとか、手元にないとかいうよりかは、そういうのに触れる時間がない)
I do. 好きな曲の一つ。
近況。
新しい本や漫画を買ったり。飲み会の予定を入れたり。
仕事、帰宅時間、遅い。
まー、どこの会社もこんなもんかもしれん。忙しいのう忙しいのう。
あー、ついつい、自分の考えとかを語ってしまうことをやってしまっている。あんまり良い傾向じゃない気がする。
しかし、本来。人は、自分の心に正直であるべきだ。マナーというのは、社交辞令というのは、自分の心に嘘をつくということではない。言語を使わなければコミュニケーションをとれないのと同じ程度の、共通様式である。
とかって、そんなどーでもいいわな。取り敢えずビール飲んで、アニメ見て寝る、とかでえーんじゃないか。
「RE:クリエイター」って、アマゾンプライムで何話か見たけれど、まぁまぁ面白い。いやふつーに面白いでいーんじゃないかよ、と思うのだけれど、実際、ゲームとかアニメのキャラが現実世界に現界して、なんやかんやを繰り広げるとか、設定的に面白いと思うし、作画動画としてもきれいでいいと思うのだけれども、なーんか、びびっとこないんだよな。
多分。作品自体がどうこうではなく、今の気分にあっていないんだろうと思う。これ大事。
しかし、ふと、過去の自分の作品を読んでみるが、ひじょーに面白くない。最後まで読もうとすら思えない。これは、読んでくださった少ない方々に非常に申し訳ないと思う(作者が自分の作品を面白いと思えないなんて悲劇じゃなかろうか)のだけれども、仕方がない、嘘を思っても仕方がない。
そんなことぐだぐだ書いても仕方がなかろうと、とにかく面白い1シーンを書こうと、ワードファイルに向かう。
……。
300字ぐらい書く。うーむ、何だか気分が乗らない。
仕方がない、それじゃあ、面白い作品に触れてみよう。
……。うーむ……。
幻想ギネコクラシーが届く。
読む。うーむ、面白い。遠藤浩輝先生と似ているような似ていないような、なんかエログロナンセンスな雰囲気を感じさせる。しかし、心に刺さってこない。
もはや二次元を飛び出すべきか
まーそもそも、22時過ぎに帰ってきて、風呂入ってなんなりしていると簡単に日付変更になるので、平日に何かクリエイティブなことを、または、消費を愉しむってことは難しいのかもしれない。何か書くにしても、気分がのってきた段階で、寝る時間で中断せなあかん場合もあるし。
株の勉強もしたい、が、いやー帰ってきてからやる気が起きない申し訳ない、師匠。
じゃあ電車の中はどうか、と思うが、有価証券報告書とか、僕の小さなスマホで見るのは完全に酔ってしまうだろう。エクセルとか使わないとちゃんと分析できないだろうし。
じゃあ、早く帰ればいいじゃん。……おお、それは確かに。
ただ、まぁ、そうその……うまくいかないよな。
じゃあ朝早く行けば、何か解決するかっていうと、そうじゃないし。
何だか、上手く、いかないし。
そして次の日
上まで書いてつまらなくてやめた。俺は思うに、人の役に立つことが大事だと思う。
人は、多くの人との関係の中で生きている。こんなことは、小学生でも学び考えることではあるが、しかし、大人になるにつれてますますこの社会の、人との関係の、世界の複雑さに頭を悩ますようになっていく。
複雑性。
地獄少女というアニメを数話だけ、飛ばし飛ばしでみた。なるほど、シンプルなストーリーで分かりやすくてオムニバスでいい感じだ。が、正直な感想は、面白くなかった、となる。
恨みの晴らし方も何だか、すっきりしない。人を呪えば穴二つということで、自分も死後地獄に堕ちることが約束される。伝えたいことがよく分からない。啓蒙にもならないし、すっきりもできないとは、中途半端に思う。が、続編が続々決まっているらしい。人気はあるんだなぁ。
遠藤浩輝氏の短編集に掲載されている、ある死刑囚の物語。何人の女性も強姦して殺している凶悪犯に、命からがら助かった被害者女性が、罪の意識は感じる? と問う。凶悪犯は、あー、まったく分からんわ。いっぺんピストル使って人殺してみたかったわー、とか言っちゃう。それぐらいキまってた奴の方が面白い(この表現は如何か)。
地獄少女の敵役(悪者)は、なんか、単に人間の邪悪な部分の表出でしかない。若い男と不倫する女が近所の奥さんに罪を擦り付けて、いじめるとか。花形高校野球ピッチャーが、気まぐれで部員をバットで殴って死なせちゃうが、他の部員に罪を擦り付けるとか。
なんというか、「現世の楽しさ」を思い、欣うという理由での「罪」(恨み)である。
そこに、信念も執着も何もない。ただの軽率な行為。敵役としてもあまりにもお粗末。が、まぁそれって人間っぽいなとか思うけれども、面白い作品かと言われたらつまんねーっとなる。
むちゃくちゃ、「悪」って物語に大事だと思う。
悪が魅力的じゃない物語は面白くない。
だが、僕がここでいう「悪」とは、正義の反対などではない。むしろ、悪は悪としての「正義」なのだ。
悪の正義とか、矛盾だろうか。そうではない。正義とは、その信念の論理的な構築なのである。
先日、ある方からお話し頂いたのは、政治的意見や良心ってのは、ちゃんと話し合えばみんな納得できるのだから、自らの利益を追求して政治誘導するような輩ばかりじゃないということである。
なるほどきっとそうだ。本当に、個人的な利益のために政治家になろうとする人は少ないに違いない。
僕が違和感を覚えるのは、その部分ではなくて、その政治家たちの目指すカタチ(正義)というのが、普遍的なものには成り難いという点である。本当に突き抜けた正義を主張するとき、例えば、「真面目に働くことが大事だ! 一億がんばれ社会!」とかいうのは、ある意味で正義だけれども、その価値観に反する弱者というのは必ず存在するということを忘れてしまう可能性がある。
ので、別に、個人的な利益誘導のための政治というのが、必ず悪いということではない。(馬鹿らしいことで敢えて言わないつもりだったが、政治資金横領とか、そういうレベルの話をしているのではない) その個人的に「正しい」「良いことだ」と思うことを突き抜けて主張することは、それに賛同する人にとっては、とても英雄的にうつることだろう。
英雄と言えばナポレオン。フランス市民から熱狂的に支持される。しかし彼に踏みにじられたエジプト、オーストリア・ロシアはいかんと思うことか。
良い人間になりたい
正しい人になりたい。誰かの役に立つ人間になりたい。良い人間になりたい、と、その考えに反対する人は少ないだろう。自らの欲望に忠実で、周りを顧みず疎まれて生きることを望む人は少ないだろう。いまや、多くの物語にあふれる社会である。いわゆる「迷惑な人」、悪という存在に対しての認識形成は幅広く機会に恵まれていると言える。
そんな当たり前のことを僕はいつも問題にしているわけではない。
僕が疑問で、常に考え続けなければならなくなるのは、その「良い人」という存在についてである。
その「良い」という概念自体が、相対的なものである。ある人にとって良い人は、ある人にとって迷惑であるということは、よくよくあることだ。そんなことない、誰からも愛される人はいる! と主張する人はそれでよい。幸せな人である。うらやましいが、だが、そういう人間性豊かな人と関わっている暇は僕にはない。
僕は正義を愛し、幸せを希い、正しく良い人間であることを望む。――同時に、それらの価値観の無価値性に驚愕する。そして、自分自身の「空っぽ感」に戦慄する。
迸る熱い信念や情熱をもった人間であれば、どんだけよかったか。
そしたら、きっとたくさん、らくに、楽しく、物語をつむいでいけたような気がする。
空っぽ感。
実存的空虚感とある精神科医さんは言うが、僕自身の、存在に関する根拠、目的、理由、レーゾンデートル……、それを、簡単な言葉で僕は生きる意味と表現しているが、だれが何と言っても、やっぱり僕は、そいつがないと、この先ずっと苦しみ続ける気がする。
仕事が忙しい、プライベートが忙しい
忙しい、いやなことがある、そんな状態が続くと、どうにも、精神的にすり減ってくるわけであるが、そのときに、何か大きな目標とか、「たのしいこと」ってのがあれば、きっと人は生きていけるんだと思う。ライブに行くのが好きな人は、好きなアーティストのライブに、それが北海道から九州まで、どこにでもどんなに忙しくても高価でも飛んでいく。そして、狂ったように声を上げ身体をたぎらせ、そして終わった後は死んだように倒れこむ。
その人からライブという趣味をとったら、お金や時間は非常に多く生み出されるだろう。その時間とお金によって、新しい資格をとって給料アップしたり、友人や家族との時間を有意義に過ごせるかもしれない。
だが、その人にとって、その選択肢は、死んだも同然なのである。
ある人はパチンコかもしれない。パチンコは僕は嫌いだが、なので、まぁ、パチンコ屋を全部廃止するのはかわいそうな気もする……が、やっぱりなくなっていいと思う(笑)。煙草も好きではない。
けどまぁ、そういうのは仕方がないとも思う。俺が嫌いでも、好きな人にとっては好きなのだから、それがないと生きていけないのだとしたら、仕方がないだろう。
そういうのもあるから、大上段の正義ってのが、本当にいつも正しいかってのも疑問だけど。
煙草は健康に悪いから、みんな禁煙しましょう! といったって、煙草をつくる会社に勤める人だって、家族はいるかもしれない。子どもは学校で、「お前のとうちゃん、ひとの体を害するものつくってんだってな! やーい人殺しの息子~!」とかいじめられるかもしれない。
まぁそれとは別に、その、小さな子たちには、できるだけそういう意識をもたせて、今後タバコ人口が減っていくのが良いような気がするが。
じゃあ酒は? とか。
ゲームは?
なんでもかんでも、「健全なもの」ばっかり求めることが本当によいことなんだろうか?
人の残虐性は二次元のせいか?
話がすげーどうでもいいというか、変わっていくが、表現の規制に関する政策については、僕は基本断固反対する。(政治的主張だ!)いや確かに、残虐だったり、エログロだったり、有害指定とされるようなものはあるかもしれない。
でもそれって、結局、それを指定しようとするひとの主義主張……とか大したもんじゃなくて、単に生理的嫌悪だったりする。
僕がタバコが嫌いだから今すぐ全部廃止しやがれ! とかパチンコ全部潰せ! とかいうようなもんである。
なんの表現が有害か、なんて、どこの神様が決めれるの? ってのが反対理由の一つ。
もう一つは、そもそも、二次元の作品ってもんが、人に与える影響ってなんだよ、ということである。
いや殺人をとにかく肯定する作品があったとしよう。それは確かに生理的嫌悪だ、有害だ、気持ち悪いだろう。が、ちょっとまて、英雄譚とか、エスニッククレンジングみたいなこと平気でやってるぞ。戦争はいくない! とか言いながら、たいてい少年漫画では戦ってるぜ(人が死ぬのはまぁあんまないだろうが)。
そいでもって、そういう作品みたから、じゃあ人を殺してみたいとか考えるようになる人が本当にいるのか? ってのが一つ。
それって、作品のせいだけじゃなくて、他の原因も絶対大きいわけである。
そして、遠藤浩輝氏の上で挙げた作品の凶悪犯のように、別に大した理由もなく快楽殺人を犯すような人だって存在するのである。サイコパスとかいるのである。そういうのが、作品のせいなのか? というと違うだろうと、僕は思う。
ファラリスの雄牛という、古代ギリシアの拷問処刑器具のことを知ってる方は多いと思うが、古代ギリシアの時代は、テレビも無ければ漫画もアニメもなかったろう。にもかかわらず、あんな残虐な処刑方法を思いつく人もいるのである。
はっはっは、じゃあお前、はいって試してみろ。ぎょ、御意にございます……って熱い! うああああやめてください、まさか本当に火をつけるなんてぎゃあああああ!! とか、ギャグか!! と。
(うーむ、何だか気がのらない。面白い物語欠乏症状が発症している。それは、面白い物語がないとか、手元にないとかいうよりかは、そういうのに触れる時間がない)
今日の一言「体調と住環境が良くない」「整える気力が起きない」
先日飲み会に出席し、飲みすぎたのか分からないが、頭の痛さが生じ、帰宅後も結局何もできなかった。飲み会での交流の内容はともかく、結果、家に帰ってからの行動に影響が生じてしまったのは間違いなくデメリットであった。しかし、初対面の人も多いような会だと、気分を乗っけるために少々いつも以上に飲んでしまう。
僕は、いやな気分や、面倒な状態に置かれることを避けたいのだ。初対面の人と「上手く」会話をすることに気をもむなんて、面倒なこと他ならない。合わない人とは仕方がないし、ある程度の次元で上手く付き合えればそれでいいのだ。そう、それは学校生活のように……とか思ったかは分からないが、その性かも分からないが、学校の修学旅行みたいなのに参加して何か戦闘に巻き込まれるような夢をみた。
そして、まだ、今も、気分が優れない。体調もすぐれない。
ああ、しかし、先日、普段とは違う電車に乗って、郊外の流れゆく景色を車窓から見ているとき、そしてその視界のわきには、楽しそうなカップルや、はしゃぐ子供をなだめる若い父親の姿が見えていた。
僕は一人、氷の入ったコーヒーを飲んでいた。
体調も、透き通ったように軽かった。
寒くもなく、熱くもなかった。
ウォークマンの、静かなBGMが耳の奥を撫でていく。
僕は、こんな時間がずっと続いてもいいかもしれない、と思った。何をするでもない、ただ悠久の時間。
NISAの方がいいとか、こっちの証券会社の方がいいとか、いろいろ考えていたが、結局判断ができなかったから、もう思い切って、まずは購入することから始めてみた。じゃあ、少額でいいじゃないかというところだが、単元が1000株だったので30万円強となった。
一つ、書いておけば、株って、普通の買い物と違う感覚だと思った。買い物は、お金を使って物を手に入れるものだが、株の場合は、いったい全体、何を買っているのか感覚がよく分からない。このよく分からない感覚を言語化しておきたいと思うのだけれども、いってみれば、何か減っている感覚ではないということだ。
当たり前かもしれない。あくまで投資は、利益を出すことが目的なので、損しようと思って買うことはない。30万の買い物とは大きいが、――そもそも、買い付け余力として100万円証券会社に振り込んだわけだが――かなり、適当な気持ちで買っている。
よく調べもしないで知識もないまま始めるのはまったくもって危険で、愚かな行為だろう。
ただ、そういう意味では、1年~3年前から、株を始めてみようとは思っていたわけであり、証券会社に口座を開いたのももう一年以上前になるが、その間、いろいろ理由を付けてやっていなかったわけだが、取り敢えず始めてみなければ何も始まらない。0を1にした、と、そんなイメージ。
NISA口座の申し込みも、同時に行った、今日この頃である。
USB機器の取り外しなんてのは、PCトラブルでもっとも初めに試してみるべきことであり、当然僕も何度もそんなことは試しているわけだけれども、それでも動かず、CMOS初期化や放電やら、いろいろ試してみたわけである。
なんとも、症状は同じく、ASUSのロゴから先に進めずフリーズするというものだが、その解決策が、バラバラで、再現性がない。困ったものだ。
ということで、買い替えを本格的に検討し始める。それにあたって、これまでのPCのスペックについて調べてみることにした。
基本、高額になるのは、
・グラフィックボード
・CPU
・メモリ
・マザーボード
・電源
この種類である。後はケースとか、HDD・SSDとか。
この色々調べるのにあたって、
・Winキー+Rでファイル名を指定して実行を起動し、「shell:startup」と打って、開いたフォルダ内に、起動しておきたいアプリケーション(エクセルとかメモ帳)のショートカットを入れると、Windows起動時に起動できる(win10になってからやり方が不明だった)
・メモリのDDR3という規格から、DDR4への進化は性能も2倍ぐらい上がっていること
・i7-2600(5年前)からi7-6700で、性能は上がっているが、通常の使用用途としてはそれほど体感できるほどの性能向上はないこと。(それよか、SSDとかアクセスするストレージ装置やメモリの進化が大きいこと
・マザーボード(MB)を変更すると、アプリケーションによっては、MBにライセンス情報を組み込ませたりしているため、再認証が必要になる可能性があること
・オフィスは、OEM(original equipment manifacture、スペル適当。PC自体に組み込まれている)ため、他のPCで使ってはならないこと。パッケージ版(インストール先のPCを問わない)ものは、アマゾンで2ライセンスセットで3万5千円ぐらいで販売されていた(パワーポイント込みのビジネス・ホームエデション。ワードとエクセルだけのパーソナルは5千円ぐらい安い)。
OEM版は、2万4千円ぐらいだった。
がわかった。
現行スペック(上記表)を満たすものを揃えようとすると、(HDDやその他機器は除いて)15万ぐらい必要であることが分かった。当時現在のPCを購入したときの値段は、約28万円だった(税込み・送料とかもろもろ込み)。
グラボを現在品で代用すると、6万円引きぐらいで、10万切った金額で作れそうである。自作の方が安くて高性能のPCを作れるというのは嘘ではないのだろう。
オフィスどうするか問題もある。今後もPCの買い替えを考えるなら、永続ライセンス版の方がいい気がする。2台で3万5千円であれば、一台当たり1万7千円ぐらいで、どう考えても安い。しかし、ノートPCを買う予定はない。いっそのこと、ノートPCとデスクトップ、二台とも買おうか、という案も生じる。
などと、検討していたら、有に5時間ぐらい過ぎている気がする。
最近始めた新しい某趣味は、知人の勧められるままに道具をそろえたため、あまり検討はしていなかった。というか、新しい趣味なのであれば、そもそも、道具に何がいいかもよく分からない。実際、使ってみなければ、検討材料がないのだ。スペック(性能指標値)的な良さと、自分が使ってみての体感とは大きく違う。
道具(パーツ)への拘りというのは、ある程度知識や実体験がなければ、あまり意味がない。
というわけで、基本的に、よくよく、よーく考えてから物を購入するため(ここでは、食料品や生活雑貨的なものは除く)、衝動買いというものに無縁である。ので、基本的にお金を貯めることに苦労したことはない。お金に苦労したことがない、と書くと非難轟轟な気がするが、まぁ実際、さほど収入が高いわけではないが、生活レベルが低いので問題ないのである。
ケチか? と問われたら、そうかもしれないが、そういうわけでもない。別に後輩に飲み会や食事をおごってやることに抵抗があるわけでもない。女性とデートにいったときに、女性がお手洗いに立った間に支払いを済ませておくというのも別に構わない。
けれども、それらは、「交際費」という費用として勘案しているものであって、いちおう、これぐらいならいいか、と思っているということである。どうでもいいが、女性が接待してくれるお店も交際費ぐらいに思っている。さらにどうでもいいが、この交際費とは、コミュニケーション能力の向上のため、とも思っている。興味のない女性におごるなんてとんでもない! といった記事をみたが、しかし、何かしら勉強させて頂いていると思っている。思うようにしているというよりも、思っているのだ。よくある、女性が接待してくれるお店で器量がよくない人に当たって後悔したとかいうのもあるけれども、それはそれで面白く興味深い経験をさせてもらったということで、特に落ち込んだりもしない。
何の話かというと、パソコン購入の話だけれども、今も、取り敢えず動いている。一度起動すると、何ら問題なく動いてくれるのである。
んじゃまぁ、このまま使い続けてもいいかなぁとも思ってくる。
しかし、きっと、明日は明日で、起動するとフリーズして、メモリやら何やらを取り外したりなんだりして……というのを毎回毎回やるとなると、このストレスは、多少お金かけてでも解決した方がいいだろうという気になってくる。


届くのおせえ、というのはさておき、読み始める。
ふむふむ、共感できる内容である。しかし、解決策が何とも心もとない、という印象。まだしっかり読んでないけれども、原因とか、駄目な思考パターンとかの分析は良いと思う。けれど、じゃあどうやって解決すればいいのかという策が示されていないような気がする、もう少しちゃんと読まなきゃだけど。
例えば、時間外労働の件とか、管理職がユーティリティプレーヤーになっちゃあかん、とか、そうだそうだ、と思う。
実務と管理は分けるべきだ、というのが解決策の一つだと書かれている。
事務職とかコストダウンで切り離すけれども、それは一時的な経費としては削減できても、結局効率悪いとか、そうかもしれんのだけど、僕はそのレベルじゃなくて、もう少し深い話がほしいと思っている。
業務の複雑化である。
そう、アウトソーシングできる部分はして、コアコンピタンス(核となる事業や業務)に力を注ぐ方がいいのだ。ただ、具体的業務になってくると、当然先の見通しも難しいし、やるべき業務というのも明確に決まっていない場合がある。
そういった場合に、「自分で考えて行動して解決する」ことが求められるわけだけど、そういうことを、うまい具合に「権限移譲」するってのは、結局のところ、その業務についての知識が必要になってくるわけで、その知識を身に着けた管理者ってのは、……まとめると。
まとめると、本来は、その業務を熟知した叩き上げの人が、管理者になれば、具体的にその業務に必要な時間やコストというのが、実感的に分かるわけだから、人の配置やスケジューリングもより具体性をもってできるわけだ。
けれども、複雑化した業務の場合は、「実務者と管理者」が共同的に取り組まなければならなくなる。実務者からの報告によって管理者が管理するという形態が望ましいが、複雑化した業務の場合、その報告の形態が非常に難しい。管理者は、形骸化した報告を聞いて、形骸化した管理を行う……。
まぁ、僕の上のようなことに答えている書籍もあるのだろう。が、結局、その業務内容を熟知する必要があるという点は変わらないと思う。これは、僕が、「生きる意味を考えるのは、結局自分自身でなければならない。人から優れた知見が与えられたとしても、それを判断し、実感に落とし込めるのは他ならない自分だけなのだから」と言っているように、思っているように、仕事の解決法ってのは、ここ具体的でなければ、実効性はないと思うのである。
いや、だからといって、本全般が無意味とは思わない。思考において、足りない部分の補足はどうしても必要だろう。しかし、昨今、自己啓発本を恐らく結構な数を読んだ僕としては、新しい知見なんて、全然見つからんわけである。というのは、傲慢な書き方だけれども、その「表現方法」の違いによって、確かに、胸にストンと落ち込むようなものは、まだまだあるだろう。けれども、核となる部分で、「あ、これは新しい!」「パラダイムシフトが始動する……ずごごご」とかいうのは殆どないのである。
テクニック的な部分はあると思うよ? けれども、「思考」「思想」レベルでは中々ないという意味である。時間管理のライフハック術とかは、結構新しいのはあるかもしれない。
なんか、長くなってまとまりがなくなってきて、ブラウザの反応が、僕のタイピング速度よりも遅くなってきたので、強制終了。
(そう、物語だ! 書こうと思って、ワードを開いて画面を見つめるが、……何も浮かばない! 何も書けない! そう本当に、一文字も書けなかった。ショックだった)
まずは手を動かそう
どうにも、やる気が起きないときというのがあるだろう。先日飲み会に出席し、飲みすぎたのか分からないが、頭の痛さが生じ、帰宅後も結局何もできなかった。飲み会での交流の内容はともかく、結果、家に帰ってからの行動に影響が生じてしまったのは間違いなくデメリットであった。しかし、初対面の人も多いような会だと、気分を乗っけるために少々いつも以上に飲んでしまう。
僕は、いやな気分や、面倒な状態に置かれることを避けたいのだ。初対面の人と「上手く」会話をすることに気をもむなんて、面倒なこと他ならない。合わない人とは仕方がないし、ある程度の次元で上手く付き合えればそれでいいのだ。そう、それは学校生活のように……とか思ったかは分からないが、その性かも分からないが、学校の修学旅行みたいなのに参加して何か戦闘に巻き込まれるような夢をみた。
そして、まだ、今も、気分が優れない。体調もすぐれない。
ああ、しかし、先日、普段とは違う電車に乗って、郊外の流れゆく景色を車窓から見ているとき、そしてその視界のわきには、楽しそうなカップルや、はしゃぐ子供をなだめる若い父親の姿が見えていた。
僕は一人、氷の入ったコーヒーを飲んでいた。
体調も、透き通ったように軽かった。
寒くもなく、熱くもなかった。
ウォークマンの、静かなBGMが耳の奥を撫でていく。
僕は、こんな時間がずっと続いてもいいかもしれない、と思った。何をするでもない、ただ悠久の時間。
株を購入
指値していだけれども、とある銘柄を初めて注文してみた。NISAの方がいいとか、こっちの証券会社の方がいいとか、いろいろ考えていたが、結局判断ができなかったから、もう思い切って、まずは購入することから始めてみた。じゃあ、少額でいいじゃないかというところだが、単元が1000株だったので30万円強となった。
一つ、書いておけば、株って、普通の買い物と違う感覚だと思った。買い物は、お金を使って物を手に入れるものだが、株の場合は、いったい全体、何を買っているのか感覚がよく分からない。このよく分からない感覚を言語化しておきたいと思うのだけれども、いってみれば、何か減っている感覚ではないということだ。
当たり前かもしれない。あくまで投資は、利益を出すことが目的なので、損しようと思って買うことはない。30万の買い物とは大きいが、――そもそも、買い付け余力として100万円証券会社に振り込んだわけだが――かなり、適当な気持ちで買っている。
よく調べもしないで知識もないまま始めるのはまったくもって危険で、愚かな行為だろう。
ただ、そういう意味では、1年~3年前から、株を始めてみようとは思っていたわけであり、証券会社に口座を開いたのももう一年以上前になるが、その間、いろいろ理由を付けてやっていなかったわけだが、取り敢えず始めてみなければ何も始まらない。0を1にした、と、そんなイメージ。
NISA口座の申し込みも、同時に行った、今日この頃である。
PC買い替えの検討
で、パソコンの方は、相変わらず調子が悪いが、基盤をいろいろいじっていると、時折起動するので、だましだまし使っている。今回は、USB機器を全部取り外して、1回、2回ぐらい再起動したら繋がった。USB機器の取り外しなんてのは、PCトラブルでもっとも初めに試してみるべきことであり、当然僕も何度もそんなことは試しているわけだけれども、それでも動かず、CMOS初期化や放電やら、いろいろ試してみたわけである。
なんとも、症状は同じく、ASUSのロゴから先に進めずフリーズするというものだが、その解決策が、バラバラで、再現性がない。困ったものだ。
ということで、買い替えを本格的に検討し始める。それにあたって、これまでのPCのスペックについて調べてみることにした。
基本、高額になるのは、
・グラフィックボード
・CPU
・メモリ
・マザーボード
・電源
この種類である。後はケースとか、HDD・SSDとか。
この色々調べるのにあたって、
・Winキー+Rでファイル名を指定して実行を起動し、「shell:startup」と打って、開いたフォルダ内に、起動しておきたいアプリケーション(エクセルとかメモ帳)のショートカットを入れると、Windows起動時に起動できる(win10になってからやり方が不明だった)
・メモリのDDR3という規格から、DDR4への進化は性能も2倍ぐらい上がっていること
・i7-2600(5年前)からi7-6700で、性能は上がっているが、通常の使用用途としてはそれほど体感できるほどの性能向上はないこと。(それよか、SSDとかアクセスするストレージ装置やメモリの進化が大きいこと
・マザーボード(MB)を変更すると、アプリケーションによっては、MBにライセンス情報を組み込ませたりしているため、再認証が必要になる可能性があること
・オフィスは、OEM(original equipment manifacture、スペル適当。PC自体に組み込まれている)ため、他のPCで使ってはならないこと。パッケージ版(インストール先のPCを問わない)ものは、アマゾンで2ライセンスセットで3万5千円ぐらいで販売されていた(パワーポイント込みのビジネス・ホームエデション。ワードとエクセルだけのパーソナルは5千円ぐらい安い)。
OEM版は、2万4千円ぐらいだった。
がわかった。
現行スペック(上記表)を満たすものを揃えようとすると、(HDDやその他機器は除いて)15万ぐらい必要であることが分かった。当時現在のPCを購入したときの値段は、約28万円だった(税込み・送料とかもろもろ込み)。
グラボを現在品で代用すると、6万円引きぐらいで、10万切った金額で作れそうである。自作の方が安くて高性能のPCを作れるというのは嘘ではないのだろう。
オフィスどうするか問題もある。今後もPCの買い替えを考えるなら、永続ライセンス版の方がいい気がする。2台で3万5千円であれば、一台当たり1万7千円ぐらいで、どう考えても安い。しかし、ノートPCを買う予定はない。いっそのこと、ノートPCとデスクトップ、二台とも買おうか、という案も生じる。
などと、検討していたら、有に5時間ぐらい過ぎている気がする。
買い物について
株の話を書いたけれども、基本的に僕は、買い物するときはとことん検討する。最近始めた新しい某趣味は、知人の勧められるままに道具をそろえたため、あまり検討はしていなかった。というか、新しい趣味なのであれば、そもそも、道具に何がいいかもよく分からない。実際、使ってみなければ、検討材料がないのだ。スペック(性能指標値)的な良さと、自分が使ってみての体感とは大きく違う。
道具(パーツ)への拘りというのは、ある程度知識や実体験がなければ、あまり意味がない。
というわけで、基本的に、よくよく、よーく考えてから物を購入するため(ここでは、食料品や生活雑貨的なものは除く)、衝動買いというものに無縁である。ので、基本的にお金を貯めることに苦労したことはない。お金に苦労したことがない、と書くと非難轟轟な気がするが、まぁ実際、さほど収入が高いわけではないが、生活レベルが低いので問題ないのである。
ケチか? と問われたら、そうかもしれないが、そういうわけでもない。別に後輩に飲み会や食事をおごってやることに抵抗があるわけでもない。女性とデートにいったときに、女性がお手洗いに立った間に支払いを済ませておくというのも別に構わない。
けれども、それらは、「交際費」という費用として勘案しているものであって、いちおう、これぐらいならいいか、と思っているということである。どうでもいいが、女性が接待してくれるお店も交際費ぐらいに思っている。さらにどうでもいいが、この交際費とは、コミュニケーション能力の向上のため、とも思っている。興味のない女性におごるなんてとんでもない! といった記事をみたが、しかし、何かしら勉強させて頂いていると思っている。思うようにしているというよりも、思っているのだ。よくある、女性が接待してくれるお店で器量がよくない人に当たって後悔したとかいうのもあるけれども、それはそれで面白く興味深い経験をさせてもらったということで、特に落ち込んだりもしない。
何の話かというと、パソコン購入の話だけれども、今も、取り敢えず動いている。一度起動すると、何ら問題なく動いてくれるのである。
んじゃまぁ、このまま使い続けてもいいかなぁとも思ってくる。
しかし、きっと、明日は明日で、起動するとフリーズして、メモリやら何やらを取り外したりなんだりして……というのを毎回毎回やるとなると、このストレスは、多少お金かけてでも解決した方がいいだろうという気になってくる。
ゆとりの法則を読む
アマゾンで注文したら届いた。届くのおせえ、というのはさておき、読み始める。
ふむふむ、共感できる内容である。しかし、解決策が何とも心もとない、という印象。まだしっかり読んでないけれども、原因とか、駄目な思考パターンとかの分析は良いと思う。けれど、じゃあどうやって解決すればいいのかという策が示されていないような気がする、もう少しちゃんと読まなきゃだけど。
例えば、時間外労働の件とか、管理職がユーティリティプレーヤーになっちゃあかん、とか、そうだそうだ、と思う。
実務と管理は分けるべきだ、というのが解決策の一つだと書かれている。
事務職とかコストダウンで切り離すけれども、それは一時的な経費としては削減できても、結局効率悪いとか、そうかもしれんのだけど、僕はそのレベルじゃなくて、もう少し深い話がほしいと思っている。
業務の複雑化である。
そう、アウトソーシングできる部分はして、コアコンピタンス(核となる事業や業務)に力を注ぐ方がいいのだ。ただ、具体的業務になってくると、当然先の見通しも難しいし、やるべき業務というのも明確に決まっていない場合がある。
そういった場合に、「自分で考えて行動して解決する」ことが求められるわけだけど、そういうことを、うまい具合に「権限移譲」するってのは、結局のところ、その業務についての知識が必要になってくるわけで、その知識を身に着けた管理者ってのは、……まとめると。
まとめると、本来は、その業務を熟知した叩き上げの人が、管理者になれば、具体的にその業務に必要な時間やコストというのが、実感的に分かるわけだから、人の配置やスケジューリングもより具体性をもってできるわけだ。
けれども、複雑化した業務の場合は、「実務者と管理者」が共同的に取り組まなければならなくなる。実務者からの報告によって管理者が管理するという形態が望ましいが、複雑化した業務の場合、その報告の形態が非常に難しい。管理者は、形骸化した報告を聞いて、形骸化した管理を行う……。
まぁ、僕の上のようなことに答えている書籍もあるのだろう。が、結局、その業務内容を熟知する必要があるという点は変わらないと思う。これは、僕が、「生きる意味を考えるのは、結局自分自身でなければならない。人から優れた知見が与えられたとしても、それを判断し、実感に落とし込めるのは他ならない自分だけなのだから」と言っているように、思っているように、仕事の解決法ってのは、ここ具体的でなければ、実効性はないと思うのである。
いや、だからといって、本全般が無意味とは思わない。思考において、足りない部分の補足はどうしても必要だろう。しかし、昨今、自己啓発本を恐らく結構な数を読んだ僕としては、新しい知見なんて、全然見つからんわけである。というのは、傲慢な書き方だけれども、その「表現方法」の違いによって、確かに、胸にストンと落ち込むようなものは、まだまだあるだろう。けれども、核となる部分で、「あ、これは新しい!」「パラダイムシフトが始動する……ずごごご」とかいうのは殆どないのである。
テクニック的な部分はあると思うよ? けれども、「思考」「思想」レベルでは中々ないという意味である。時間管理のライフハック術とかは、結構新しいのはあるかもしれない。
なんか、長くなってまとまりがなくなってきて、ブラウザの反応が、僕のタイピング速度よりも遅くなってきたので、強制終了。
(そう、物語だ! 書こうと思って、ワードを開いて画面を見つめるが、……何も浮かばない! 何も書けない! そう本当に、一文字も書けなかった。ショックだった)