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近況メモ:改修工事はDIYそれとカド
2017/06/18 21:55 | Comments(0) | 創作について
今日の一言「どぅいとゆあせるふ」「正解するカド面白き」

自サイト改修工事

 パソコンの調子もあいかわらずよくないため、USBデバイスが激しくピコピコ接続したり認識外になったり繰り返し始めたりして、BIOS:Basic Input Output Systemをいじったり、WINDOWSのデバイスマネージャーでドライバを削除したりと色々試している。

 そいで、土曜日は野暮な用事で殆ど着手できなかったが、今日は6時間ぐらいガリガリとプログラムを書いていた。要件まとめたり超簡易的な自分にだけ分かるような設計書を作ったり作業含む。

 日曜大工もそうだけど、専門外の人がなんか作ることをDIY:Do It Yourselfというようだ。
 何かつくるのって楽しいよね。
 しかし、プログラムのDIYは、棚とか椅子とか家の修繕工事とは違って、あんまり形に見えにくいから、すごーいとか女の子にもてたりはしなさそうだ(残念)。


 単純なミスでつまってしまって、時間をロスしてしまったが、SQLも何となく感覚で使えるようになってきた。まぁ仕事に役に立つかと言ったらまったく関係ない。関係ないから趣味なのである。

 趣味とは何か。趣味とは、余暇に主体的に行うことである。余暇とは、24時間から、睡眠や勉強や仕事など必要時間を差し引いた、可用時間のことである。

 仕事が趣味な人は、一日の過ごし方が、睡眠or仕事となる。本来効率が良いような感じもするが、しかし、消費活動がなければ経済は発展しない。では、消費活動が発展するには何が必要か。人口が多くなることである。しかし、日本では人口が減ってきている、そうすると、経済発展が望めない。しかし、世界規模では人口が増えている。海外市場はまだ望みがある。

株のこと

 先週株を始めた。初めて始めたときの感覚をメモしておきたかったけれども、あっという間に時間が過ぎてしまった。
 結果、4000円ぐらい利益が出た。
 何もしなくても、お金が生まれたということ。この感覚は、とても不思議である。

 お金がお金を生むということ。これは不思議な感覚である。

 考えてみれば、銀行にお金を預けていても、利子がつくのである。お金を預かってもらっているのに、プラスアルファでお金をもらえるなんて、素晴らしい! と思う人もいるかもしれない。しかしこれは考え方の誤りであり、銀行に、自分のお金を「貸している」のである。銀行に、貸しているのだ。国債を買う人は、国にお金を貸しているのだ。株をやっている人は、どっかの企業にお金を貸しているのだ。

 貸す、というのはリスクである。戻ってこないかもしれない。ので、大事なのは、「信用」である。国という制度が必要なのは、その「信用」の担保である。年配の人だと、電子マネーを不思議に思う人がいるかもしれない。お金と言ったら、給料袋に入った現ナマなのだと。しかし、そんな紙切れを何故ありがたいと思うのか。その紙切れを使えば、美味しいものを食べられたり、女の子からちやほやされたりできるという「信用」(安心)があるからである。
 であれば、「信用」を担保できるなら、むしろ現物である必要はない。……という発想から、ビットコインとか仮想通貨という概念も生まれたのだろう。
 で、現実と、お金の価値(信用)との乖離が大きくなることをなんというか?
 バブルである。
 基本は、生産と消費の関係がある。

正解するカドが面白い

 話は華麗に変わる。ある方が、「正解するカド」という作品が面白いと書かれていて、見てみることにしたナニコレ面白い。

 まず面白いのは、おっさんおばさんがメインキャラクターであることだ。レクリエイターもおっさんが出てくるが、メインは中学生? 高校生である。別に中高生が主人公でも悪くはないのだが、やっぱりちょっと考えるネタになりそうな、攻殻機動隊とかサイコパスとかもいいものである。正解するカドも面白いランキングインしそうだ。
 いや別に、ちょっと小難しい作品を面白いと思える俺ってカッコいいとか、そんな高二病? 大二病的なわけではないが、善人が悪人を斃す、というストーリーにちょっとばかり飽きているというのはあるだろう。(とはいえ、自分では、剣と魔法と竜と神と、王道コテコテの作品を書きたいと思っているのだが)

 面白いポイントその1。ネゴシエーター(哄笑人……もとい交渉人)という特殊な職業にスポットして、それをストーリーの軸にしていること。いや別に単なる官僚さんなのだが、数々の難しい折衝をこなしてきた敏腕が主人公であり、次なる交渉相手は、なんと宇宙外生命体であったと。これは冒頭かなり惹きつけられる。

 面白いポイントその2。「俺たちは神じゃあない。だから、何が正解かを、ずっと考え続けていくしかないんだ」という台詞。シンドーさん……、俺はちょっと感動したよ。いや分かってる、分かってた。俺もそう思ってた。答えなんて分からない。その都度、最善最良と思われるものを、考え続けていくしかないんだと。しかし最近、考えることに疲れてしまっていた。いやまぁ、生きる意味を徹底して考える、ってのは、もはやライフワークというか、逃げることも許されない前提みたいなもんだから、それはやらざるえないんだけど、特に仕事の上で疲れていた。あっちを立てればこっちが立たない、よかれと思ったことが叩かれるということが続いて、もうどっちでもいーんじゃねーか、俺はもう知らねーよ。って気にもなってきた。
 いや、駄目だな。win-winにならんでも、せめて、自分が判断した根拠ってのは、しっかりもっていきたい。失敗だろうが成功だろうが、どちらにせよ自分で決めていかねばならんだろう。

 面白いポイントその3。政府関係者とか前向き。マスコミも足を引っ張らない。何か、会議とか、政府とかって、事なかれ主義的に、足を引っ張り合うとか(見てないけど、シンゴジラってそんな感じだったと噂ぎく)、時間だけを浪費していくとかが多いんだけど、みんな協力して、宇宙外生命体への対応を前向きに検討し、答えを出そうとしてる。決断スピードを上げるために能力をある人を抜擢したり、現場で判断を任せたり、官民協力したりとか、何かいいね。アメリカとかの大統領が陣頭指揮とるような映画っぽい(それって褒めてるのか?)。

 面白いポイントその4。人は進歩できるのか? って問いがよい。皆がそう思っているかは分からないんだけど、……というか、最近公私他者と話をしていると、どうにも、僕の感じているもやもやしていることが、殆ど伝わりさえしないということが、哀しく感じている。
 それを、実存的空虚感とか、生きがいの喪失とか、閉塞感とか、まぁいろんな表現はあるのだろうけれども、世界が、ますます良くなっていくとか素晴らしくなっていくとか、そんな感覚を抱けない状態。
 もちろん、部分的幸福とか、豊かさってのはある。けれども、相も変わらず戦争やテロは起こって、医療介護の問題が山積みで、学校ではイジメがあって、会社では出世競争で、金融市場では貧者や格差が生まれと、あんまし希望がないイメージがある。
 そういった暗いイメージってのは、もう何十年も続いていて、例えばその解決方法として提唱されたのが、エヴァンゲリオンだと、人類補完計画である。ATフィールドという個々人の境界(絶対領域)があるから争いや疎外が生まれるんだから、そんなの全部とっぱらって、みんな一つになればいいんだよ! と。ハルマゲドン的解決、と僕は読んでいる(今決めた)。GUN×SWORDとか、フルメタルパニックとか、その辺が同様。
 それでもって、EDENもそうなんだけど、EDENの場合は、もういっそのこと●●しちゃおう(ネタバレをいまさら気にして伏せた)というものであり、僕はちょっとばかり、新しい希望をみた気がした。
 サイコパスは、集合的統合意識によるシステムの徹底によって、社会システムを構築しようとするもの。ふむふむ、面白かった。
 なんかそういった、世界に対して何らか言及するような作品が好き、というか必要としている。レクリエイターは、うーむ、確かに、アニメやゲームから出現したキャラクターが、世界の変質を望む、ということで、面白いことは面白いのだけれど、既存価値観(※)へのテーゼにもアンチテーゼにもなっていない点が惜しいところ。

 そいで、今回の正解するカドは、なんと、宇宙外生命体様が、無限エネルギーを提供してくれるってもんだからどうしたもんか! なるほどすべての戦争は、経済的貧困から起こるものであるといっても過言ではない。宗教戦争などなかった。掲げるべき大義は別として、幸せになりたいという人の欲望によって争いは起こる。
 何故欠乏が起こるのか。それは、世界の物資が、有限であるからだ。
 では、果たして、「無限」という概念があったときに、国家は、世界は、人は、人類は、どういった世界を創ることができるのか?

 ……といった問いかけする部分まで見た。その先どうなるか分からない。というか、そういったテーマなのかもわからない。けれども、先がみたい、知りたいと、強く思わせてくれる作品であった。


※既存価値観なんていう抽象表現で逃げようとしているのが、まったくせこい奴である。なんというか、まず「僕フィルター」がかかるのは、「空虚感」「閉塞感」を前提にしているか、という点である。その辺の共有性、共感性がないと、僕は本気で手放しで面白い! 感動した! ってのはならない気がする(※※)。
※※いやしかし、それはちょっと別次元だな。クレヨンしんちゃんの映画とか、ふつーに感動するが、それって「既存価値観云々」とは全く別次元な気がする。進撃の巨人も、別にそんな方面で面白いとか思っているわけじゃなさそうである。アラビアの夜の種族も普通に面白いのである。まぁなんというか、「面白い」にも「感動」にもいろいろ種類があるのであって、一概にそのどの感情が優位だとか低位だとか、嘘だとかホントだとか、そんなことはあんまし関係ないのである。
 ただ、しかしながら、アイアムアヒーローにがっかりしたのは、前者の「価値観」部分での期待が大きすぎたってのはある気がする。

ロボットが創る社会

 そいで、株のところで書いた、生産と消費の関係についてなんだけど、宇宙外生命体とか、神様の啓示やらが示される可能性はちょっと低い気がするけれども、実現するかもしれないってのは、生産のオートメーション化だよね。
 キノの旅という小説があるけれども、あれのどっかの巻に、労働がなくなった国の話がのっていた。衣食住の生産その他すべて、ロボット・機械がやってくれている国。すばらしいユートピアじゃないか! と思いきや、退屈した人々は危険な娯楽に興じて……とかだっけ、オチは完全に忘れてしまった。
 ただ、昨今の労働ってのは、見直されるべき段階であるようには思う。効率化する、成果をあげる。しかしだ、本当は、効率化したんだったら、ゆとりや休みが増えるのではなかろうか。違うのだ、拡大再生産である。効率化した業務によって生じた時間を、さらなる成果に結びつく業務にあてる。そしてさらにそれを効率化して……と繰り返す。
 いや違うのだ。仕事というのは、実は、僕らの脳神経細胞の本能である、知りたい・仲間になりたいという欲求によって、会社という組織が必要とされ、拡大していったものなのだ。人はもともと、誰かと協力して何かを成し遂げたいと思う生き物なのである。いやいや俺はデイトレードで金をもうけられたらいいんだ、会社なんて組織に加わるもんか! って人も、ひろーく、資本主義という組織(システム)に参加して、成果を出そうとしているのである。
 株なんて、あぶくぜにだ。やっぱり人は、労働によって金銭を得て生きるべきだ、という人も同様。地域ボランティアに参加する壮年期老年期の方々も同様。みんな何かに属して、何かを成し遂げたいのである。

 という、欲求が皆にあるという前提で。すべての活動に必要な生産が、ロボットによってなされるようになったとしたら、どんな世界になるだろう、というのを考えるのも面白いと思う。なるほど、ロボットをメンテナンスしたり、その部品をつくる仕事は残るじゃないか? というのはあるかもしれない。けれども、もっと推し進めれば、それらも、ロボット自身でできるようにもなるだろう。本当に完全に、生産の必要性がなくなった世界。
 人は、ただ消費をするだけの存在となる。
 退屈しだした人は、危険な遊びを考えるようになるかもしれない。ロボットが野菜も生産してくれるが、やっぱり自分で家庭菜園をやりたいと思う人が出てくるかもしれない。文芸・芸術は栄えるだろうか? それとも刺激がなくなったことで衰えるのだろうか。

 とかってことを考えていると、あっという間に休みがなくなってしまう。
 特に目新しくもなく、みんな考えているようなことだろうけれど、近況のメモということで走り書き。

(土日ともども、猛烈に眠くなって床で倒れるように寝てしまっていたのが数時間ある。非常にもったいない気はするが、あの獰猛な眠気はもはや如何ともし難い。そして、そんな寝方をすると、夢をみるのである。何かもう忘れてしまったが、仕事している夢とか、過去のうんたらの夢とかで、何とも気分が優れないものである南無)

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