今日の一言「良い人間になりたいと誰もが思うはずなのに、気づいたら悪いことをなしている」「誰かを喜ばせることをしたいけれども、その誰かも、それが何かも分からない」
I do. 好きな曲の一つ。
近況。
新しい本や漫画を買ったり。飲み会の予定を入れたり。
仕事、帰宅時間、遅い。
まー、どこの会社もこんなもんかもしれん。忙しいのう忙しいのう。
あー、ついつい、自分の考えとかを語ってしまうことをやってしまっている。あんまり良い傾向じゃない気がする。
しかし、本来。人は、自分の心に正直であるべきだ。マナーというのは、社交辞令というのは、自分の心に嘘をつくということではない。言語を使わなければコミュニケーションをとれないのと同じ程度の、共通様式である。
とかって、そんなどーでもいいわな。取り敢えずビール飲んで、アニメ見て寝る、とかでえーんじゃないか。
「RE:クリエイター」って、アマゾンプライムで何話か見たけれど、まぁまぁ面白い。いやふつーに面白いでいーんじゃないかよ、と思うのだけれど、実際、ゲームとかアニメのキャラが現実世界に現界して、なんやかんやを繰り広げるとか、設定的に面白いと思うし、作画動画としてもきれいでいいと思うのだけれども、なーんか、びびっとこないんだよな。
多分。作品自体がどうこうではなく、今の気分にあっていないんだろうと思う。これ大事。
しかし、ふと、過去の自分の作品を読んでみるが、ひじょーに面白くない。最後まで読もうとすら思えない。これは、読んでくださった少ない方々に非常に申し訳ないと思う(作者が自分の作品を面白いと思えないなんて悲劇じゃなかろうか)のだけれども、仕方がない、嘘を思っても仕方がない。
そんなことぐだぐだ書いても仕方がなかろうと、とにかく面白い1シーンを書こうと、ワードファイルに向かう。
……。
300字ぐらい書く。うーむ、何だか気分が乗らない。
仕方がない、それじゃあ、面白い作品に触れてみよう。
……。うーむ……。
幻想ギネコクラシーが届く。
読む。うーむ、面白い。遠藤浩輝先生と似ているような似ていないような、なんかエログロナンセンスな雰囲気を感じさせる。しかし、心に刺さってこない。
何か書くにしても、気分がのってきた段階で、寝る時間で中断せなあかん場合もあるし。
株の勉強もしたい、が、いやー帰ってきてからやる気が起きない申し訳ない、師匠。
じゃあ電車の中はどうか、と思うが、有価証券報告書とか、僕の小さなスマホで見るのは完全に酔ってしまうだろう。エクセルとか使わないとちゃんと分析できないだろうし。
じゃあ、早く帰ればいいじゃん。……おお、それは確かに。
ただ、まぁ、そうその……うまくいかないよな。
じゃあ朝早く行けば、何か解決するかっていうと、そうじゃないし。
何だか、上手く、いかないし。
俺は思うに、人の役に立つことが大事だと思う。
人は、多くの人との関係の中で生きている。こんなことは、小学生でも学び考えることではあるが、しかし、大人になるにつれてますますこの社会の、人との関係の、世界の複雑さに頭を悩ますようになっていく。
複雑性。
地獄少女というアニメを数話だけ、飛ばし飛ばしでみた。なるほど、シンプルなストーリーで分かりやすくてオムニバスでいい感じだ。が、正直な感想は、面白くなかった、となる。
恨みの晴らし方も何だか、すっきりしない。人を呪えば穴二つということで、自分も死後地獄に堕ちることが約束される。伝えたいことがよく分からない。啓蒙にもならないし、すっきりもできないとは、中途半端に思う。が、続編が続々決まっているらしい。人気はあるんだなぁ。
遠藤浩輝氏の短編集に掲載されている、ある死刑囚の物語。何人の女性も強姦して殺している凶悪犯に、命からがら助かった被害者女性が、罪の意識は感じる? と問う。凶悪犯は、あー、まったく分からんわ。いっぺんピストル使って人殺してみたかったわー、とか言っちゃう。それぐらいキまってた奴の方が面白い(この表現は如何か)。
地獄少女の敵役(悪者)は、なんか、単に人間の邪悪な部分の表出でしかない。若い男と不倫する女が近所の奥さんに罪を擦り付けて、いじめるとか。花形高校野球ピッチャーが、気まぐれで部員をバットで殴って死なせちゃうが、他の部員に罪を擦り付けるとか。
なんというか、「現世の楽しさ」を思い、欣うという理由での「罪」(恨み)である。
そこに、信念も執着も何もない。ただの軽率な行為。敵役としてもあまりにもお粗末。が、まぁそれって人間っぽいなとか思うけれども、面白い作品かと言われたらつまんねーっとなる。
むちゃくちゃ、「悪」って物語に大事だと思う。
悪が魅力的じゃない物語は面白くない。
だが、僕がここでいう「悪」とは、正義の反対などではない。むしろ、悪は悪としての「正義」なのだ。
悪の正義とか、矛盾だろうか。そうではない。正義とは、その信念の論理的な構築なのである。
先日、ある方からお話し頂いたのは、政治的意見や良心ってのは、ちゃんと話し合えばみんな納得できるのだから、自らの利益を追求して政治誘導するような輩ばかりじゃないということである。
なるほどきっとそうだ。本当に、個人的な利益のために政治家になろうとする人は少ないに違いない。
僕が違和感を覚えるのは、その部分ではなくて、その政治家たちの目指すカタチ(正義)というのが、普遍的なものには成り難いという点である。本当に突き抜けた正義を主張するとき、例えば、「真面目に働くことが大事だ! 一億がんばれ社会!」とかいうのは、ある意味で正義だけれども、その価値観に反する弱者というのは必ず存在するということを忘れてしまう可能性がある。
ので、別に、個人的な利益誘導のための政治というのが、必ず悪いということではない。(馬鹿らしいことで敢えて言わないつもりだったが、政治資金横領とか、そういうレベルの話をしているのではない) その個人的に「正しい」「良いことだ」と思うことを突き抜けて主張することは、それに賛同する人にとっては、とても英雄的にうつることだろう。
英雄と言えばナポレオン。フランス市民から熱狂的に支持される。しかし彼に踏みにじられたエジプト、オーストリア・ロシアはいかんと思うことか。
自らの欲望に忠実で、周りを顧みず疎まれて生きることを望む人は少ないだろう。いまや、多くの物語にあふれる社会である。いわゆる「迷惑な人」、悪という存在に対しての認識形成は幅広く機会に恵まれていると言える。
そんな当たり前のことを僕はいつも問題にしているわけではない。
僕が疑問で、常に考え続けなければならなくなるのは、その「良い人」という存在についてである。
その「良い」という概念自体が、相対的なものである。ある人にとって良い人は、ある人にとって迷惑であるということは、よくよくあることだ。そんなことない、誰からも愛される人はいる! と主張する人はそれでよい。幸せな人である。うらやましいが、だが、そういう人間性豊かな人と関わっている暇は僕にはない。
僕は正義を愛し、幸せを希い、正しく良い人間であることを望む。――同時に、それらの価値観の無価値性に驚愕する。そして、自分自身の「空っぽ感」に戦慄する。
迸る熱い信念や情熱をもった人間であれば、どんだけよかったか。
そしたら、きっとたくさん、らくに、楽しく、物語をつむいでいけたような気がする。
空っぽ感。
実存的空虚感とある精神科医さんは言うが、僕自身の、存在に関する根拠、目的、理由、レーゾンデートル……、それを、簡単な言葉で僕は生きる意味と表現しているが、だれが何と言っても、やっぱり僕は、そいつがないと、この先ずっと苦しみ続ける気がする。
ライブに行くのが好きな人は、好きなアーティストのライブに、それが北海道から九州まで、どこにでもどんなに忙しくても高価でも飛んでいく。そして、狂ったように声を上げ身体をたぎらせ、そして終わった後は死んだように倒れこむ。
その人からライブという趣味をとったら、お金や時間は非常に多く生み出されるだろう。その時間とお金によって、新しい資格をとって給料アップしたり、友人や家族との時間を有意義に過ごせるかもしれない。
だが、その人にとって、その選択肢は、死んだも同然なのである。
ある人はパチンコかもしれない。パチンコは僕は嫌いだが、なので、まぁ、パチンコ屋を全部廃止するのはかわいそうな気もする……が、やっぱりなくなっていいと思う(笑)。煙草も好きではない。
けどまぁ、そういうのは仕方がないとも思う。俺が嫌いでも、好きな人にとっては好きなのだから、それがないと生きていけないのだとしたら、仕方がないだろう。
そういうのもあるから、大上段の正義ってのが、本当にいつも正しいかってのも疑問だけど。
煙草は健康に悪いから、みんな禁煙しましょう! といったって、煙草をつくる会社に勤める人だって、家族はいるかもしれない。子どもは学校で、「お前のとうちゃん、ひとの体を害するものつくってんだってな! やーい人殺しの息子~!」とかいじめられるかもしれない。
まぁそれとは別に、その、小さな子たちには、できるだけそういう意識をもたせて、今後タバコ人口が減っていくのが良いような気がするが。
じゃあ酒は? とか。
ゲームは?
なんでもかんでも、「健全なもの」ばっかり求めることが本当によいことなんだろうか?
いや確かに、残虐だったり、エログロだったり、有害指定とされるようなものはあるかもしれない。
でもそれって、結局、それを指定しようとするひとの主義主張……とか大したもんじゃなくて、単に生理的嫌悪だったりする。
僕がタバコが嫌いだから今すぐ全部廃止しやがれ! とかパチンコ全部潰せ! とかいうようなもんである。
なんの表現が有害か、なんて、どこの神様が決めれるの? ってのが反対理由の一つ。
もう一つは、そもそも、二次元の作品ってもんが、人に与える影響ってなんだよ、ということである。
いや殺人をとにかく肯定する作品があったとしよう。それは確かに生理的嫌悪だ、有害だ、気持ち悪いだろう。が、ちょっとまて、英雄譚とか、エスニッククレンジングみたいなこと平気でやってるぞ。戦争はいくない! とか言いながら、たいてい少年漫画では戦ってるぜ(人が死ぬのはまぁあんまないだろうが)。
そいでもって、そういう作品みたから、じゃあ人を殺してみたいとか考えるようになる人が本当にいるのか? ってのが一つ。
それって、作品のせいだけじゃなくて、他の原因も絶対大きいわけである。
そして、遠藤浩輝氏の上で挙げた作品の凶悪犯のように、別に大した理由もなく快楽殺人を犯すような人だって存在するのである。サイコパスとかいるのである。そういうのが、作品のせいなのか? というと違うだろうと、僕は思う。
ファラリスの雄牛という、古代ギリシアの拷問処刑器具のことを知ってる方は多いと思うが、古代ギリシアの時代は、テレビも無ければ漫画もアニメもなかったろう。にもかかわらず、あんな残虐な処刑方法を思いつく人もいるのである。
はっはっは、じゃあお前、はいって試してみろ。ぎょ、御意にございます……って熱い! うああああやめてください、まさか本当に火をつけるなんてぎゃあああああ!! とか、ギャグか!! と。
(うーむ、何だか気がのらない。面白い物語欠乏症状が発症している。それは、面白い物語がないとか、手元にないとかいうよりかは、そういうのに触れる時間がない)
I do. 好きな曲の一つ。
近況。
新しい本や漫画を買ったり。飲み会の予定を入れたり。
仕事、帰宅時間、遅い。
まー、どこの会社もこんなもんかもしれん。忙しいのう忙しいのう。
あー、ついつい、自分の考えとかを語ってしまうことをやってしまっている。あんまり良い傾向じゃない気がする。
しかし、本来。人は、自分の心に正直であるべきだ。マナーというのは、社交辞令というのは、自分の心に嘘をつくということではない。言語を使わなければコミュニケーションをとれないのと同じ程度の、共通様式である。
とかって、そんなどーでもいいわな。取り敢えずビール飲んで、アニメ見て寝る、とかでえーんじゃないか。
「RE:クリエイター」って、アマゾンプライムで何話か見たけれど、まぁまぁ面白い。いやふつーに面白いでいーんじゃないかよ、と思うのだけれど、実際、ゲームとかアニメのキャラが現実世界に現界して、なんやかんやを繰り広げるとか、設定的に面白いと思うし、作画動画としてもきれいでいいと思うのだけれども、なーんか、びびっとこないんだよな。
多分。作品自体がどうこうではなく、今の気分にあっていないんだろうと思う。これ大事。
しかし、ふと、過去の自分の作品を読んでみるが、ひじょーに面白くない。最後まで読もうとすら思えない。これは、読んでくださった少ない方々に非常に申し訳ないと思う(作者が自分の作品を面白いと思えないなんて悲劇じゃなかろうか)のだけれども、仕方がない、嘘を思っても仕方がない。
そんなことぐだぐだ書いても仕方がなかろうと、とにかく面白い1シーンを書こうと、ワードファイルに向かう。
……。
300字ぐらい書く。うーむ、何だか気分が乗らない。
仕方がない、それじゃあ、面白い作品に触れてみよう。
……。うーむ……。
幻想ギネコクラシーが届く。
読む。うーむ、面白い。遠藤浩輝先生と似ているような似ていないような、なんかエログロナンセンスな雰囲気を感じさせる。しかし、心に刺さってこない。
もはや二次元を飛び出すべきか
まーそもそも、22時過ぎに帰ってきて、風呂入ってなんなりしていると簡単に日付変更になるので、平日に何かクリエイティブなことを、または、消費を愉しむってことは難しいのかもしれない。何か書くにしても、気分がのってきた段階で、寝る時間で中断せなあかん場合もあるし。
株の勉強もしたい、が、いやー帰ってきてからやる気が起きない申し訳ない、師匠。
じゃあ電車の中はどうか、と思うが、有価証券報告書とか、僕の小さなスマホで見るのは完全に酔ってしまうだろう。エクセルとか使わないとちゃんと分析できないだろうし。
じゃあ、早く帰ればいいじゃん。……おお、それは確かに。
ただ、まぁ、そうその……うまくいかないよな。
じゃあ朝早く行けば、何か解決するかっていうと、そうじゃないし。
何だか、上手く、いかないし。
そして次の日
上まで書いてつまらなくてやめた。俺は思うに、人の役に立つことが大事だと思う。
人は、多くの人との関係の中で生きている。こんなことは、小学生でも学び考えることではあるが、しかし、大人になるにつれてますますこの社会の、人との関係の、世界の複雑さに頭を悩ますようになっていく。
複雑性。
地獄少女というアニメを数話だけ、飛ばし飛ばしでみた。なるほど、シンプルなストーリーで分かりやすくてオムニバスでいい感じだ。が、正直な感想は、面白くなかった、となる。
恨みの晴らし方も何だか、すっきりしない。人を呪えば穴二つということで、自分も死後地獄に堕ちることが約束される。伝えたいことがよく分からない。啓蒙にもならないし、すっきりもできないとは、中途半端に思う。が、続編が続々決まっているらしい。人気はあるんだなぁ。
遠藤浩輝氏の短編集に掲載されている、ある死刑囚の物語。何人の女性も強姦して殺している凶悪犯に、命からがら助かった被害者女性が、罪の意識は感じる? と問う。凶悪犯は、あー、まったく分からんわ。いっぺんピストル使って人殺してみたかったわー、とか言っちゃう。それぐらいキまってた奴の方が面白い(この表現は如何か)。
地獄少女の敵役(悪者)は、なんか、単に人間の邪悪な部分の表出でしかない。若い男と不倫する女が近所の奥さんに罪を擦り付けて、いじめるとか。花形高校野球ピッチャーが、気まぐれで部員をバットで殴って死なせちゃうが、他の部員に罪を擦り付けるとか。
なんというか、「現世の楽しさ」を思い、欣うという理由での「罪」(恨み)である。
そこに、信念も執着も何もない。ただの軽率な行為。敵役としてもあまりにもお粗末。が、まぁそれって人間っぽいなとか思うけれども、面白い作品かと言われたらつまんねーっとなる。
むちゃくちゃ、「悪」って物語に大事だと思う。
悪が魅力的じゃない物語は面白くない。
だが、僕がここでいう「悪」とは、正義の反対などではない。むしろ、悪は悪としての「正義」なのだ。
悪の正義とか、矛盾だろうか。そうではない。正義とは、その信念の論理的な構築なのである。
先日、ある方からお話し頂いたのは、政治的意見や良心ってのは、ちゃんと話し合えばみんな納得できるのだから、自らの利益を追求して政治誘導するような輩ばかりじゃないということである。
なるほどきっとそうだ。本当に、個人的な利益のために政治家になろうとする人は少ないに違いない。
僕が違和感を覚えるのは、その部分ではなくて、その政治家たちの目指すカタチ(正義)というのが、普遍的なものには成り難いという点である。本当に突き抜けた正義を主張するとき、例えば、「真面目に働くことが大事だ! 一億がんばれ社会!」とかいうのは、ある意味で正義だけれども、その価値観に反する弱者というのは必ず存在するということを忘れてしまう可能性がある。
ので、別に、個人的な利益誘導のための政治というのが、必ず悪いということではない。(馬鹿らしいことで敢えて言わないつもりだったが、政治資金横領とか、そういうレベルの話をしているのではない) その個人的に「正しい」「良いことだ」と思うことを突き抜けて主張することは、それに賛同する人にとっては、とても英雄的にうつることだろう。
英雄と言えばナポレオン。フランス市民から熱狂的に支持される。しかし彼に踏みにじられたエジプト、オーストリア・ロシアはいかんと思うことか。
良い人間になりたい
正しい人になりたい。誰かの役に立つ人間になりたい。良い人間になりたい、と、その考えに反対する人は少ないだろう。自らの欲望に忠実で、周りを顧みず疎まれて生きることを望む人は少ないだろう。いまや、多くの物語にあふれる社会である。いわゆる「迷惑な人」、悪という存在に対しての認識形成は幅広く機会に恵まれていると言える。
そんな当たり前のことを僕はいつも問題にしているわけではない。
僕が疑問で、常に考え続けなければならなくなるのは、その「良い人」という存在についてである。
その「良い」という概念自体が、相対的なものである。ある人にとって良い人は、ある人にとって迷惑であるということは、よくよくあることだ。そんなことない、誰からも愛される人はいる! と主張する人はそれでよい。幸せな人である。うらやましいが、だが、そういう人間性豊かな人と関わっている暇は僕にはない。
僕は正義を愛し、幸せを希い、正しく良い人間であることを望む。――同時に、それらの価値観の無価値性に驚愕する。そして、自分自身の「空っぽ感」に戦慄する。
迸る熱い信念や情熱をもった人間であれば、どんだけよかったか。
そしたら、きっとたくさん、らくに、楽しく、物語をつむいでいけたような気がする。
空っぽ感。
実存的空虚感とある精神科医さんは言うが、僕自身の、存在に関する根拠、目的、理由、レーゾンデートル……、それを、簡単な言葉で僕は生きる意味と表現しているが、だれが何と言っても、やっぱり僕は、そいつがないと、この先ずっと苦しみ続ける気がする。
仕事が忙しい、プライベートが忙しい
忙しい、いやなことがある、そんな状態が続くと、どうにも、精神的にすり減ってくるわけであるが、そのときに、何か大きな目標とか、「たのしいこと」ってのがあれば、きっと人は生きていけるんだと思う。ライブに行くのが好きな人は、好きなアーティストのライブに、それが北海道から九州まで、どこにでもどんなに忙しくても高価でも飛んでいく。そして、狂ったように声を上げ身体をたぎらせ、そして終わった後は死んだように倒れこむ。
その人からライブという趣味をとったら、お金や時間は非常に多く生み出されるだろう。その時間とお金によって、新しい資格をとって給料アップしたり、友人や家族との時間を有意義に過ごせるかもしれない。
だが、その人にとって、その選択肢は、死んだも同然なのである。
ある人はパチンコかもしれない。パチンコは僕は嫌いだが、なので、まぁ、パチンコ屋を全部廃止するのはかわいそうな気もする……が、やっぱりなくなっていいと思う(笑)。煙草も好きではない。
けどまぁ、そういうのは仕方がないとも思う。俺が嫌いでも、好きな人にとっては好きなのだから、それがないと生きていけないのだとしたら、仕方がないだろう。
そういうのもあるから、大上段の正義ってのが、本当にいつも正しいかってのも疑問だけど。
煙草は健康に悪いから、みんな禁煙しましょう! といったって、煙草をつくる会社に勤める人だって、家族はいるかもしれない。子どもは学校で、「お前のとうちゃん、ひとの体を害するものつくってんだってな! やーい人殺しの息子~!」とかいじめられるかもしれない。
まぁそれとは別に、その、小さな子たちには、できるだけそういう意識をもたせて、今後タバコ人口が減っていくのが良いような気がするが。
じゃあ酒は? とか。
ゲームは?
なんでもかんでも、「健全なもの」ばっかり求めることが本当によいことなんだろうか?
人の残虐性は二次元のせいか?
話がすげーどうでもいいというか、変わっていくが、表現の規制に関する政策については、僕は基本断固反対する。(政治的主張だ!)いや確かに、残虐だったり、エログロだったり、有害指定とされるようなものはあるかもしれない。
でもそれって、結局、それを指定しようとするひとの主義主張……とか大したもんじゃなくて、単に生理的嫌悪だったりする。
僕がタバコが嫌いだから今すぐ全部廃止しやがれ! とかパチンコ全部潰せ! とかいうようなもんである。
なんの表現が有害か、なんて、どこの神様が決めれるの? ってのが反対理由の一つ。
もう一つは、そもそも、二次元の作品ってもんが、人に与える影響ってなんだよ、ということである。
いや殺人をとにかく肯定する作品があったとしよう。それは確かに生理的嫌悪だ、有害だ、気持ち悪いだろう。が、ちょっとまて、英雄譚とか、エスニッククレンジングみたいなこと平気でやってるぞ。戦争はいくない! とか言いながら、たいてい少年漫画では戦ってるぜ(人が死ぬのはまぁあんまないだろうが)。
そいでもって、そういう作品みたから、じゃあ人を殺してみたいとか考えるようになる人が本当にいるのか? ってのが一つ。
それって、作品のせいだけじゃなくて、他の原因も絶対大きいわけである。
そして、遠藤浩輝氏の上で挙げた作品の凶悪犯のように、別に大した理由もなく快楽殺人を犯すような人だって存在するのである。サイコパスとかいるのである。そういうのが、作品のせいなのか? というと違うだろうと、僕は思う。
ファラリスの雄牛という、古代ギリシアの拷問処刑器具のことを知ってる方は多いと思うが、古代ギリシアの時代は、テレビも無ければ漫画もアニメもなかったろう。にもかかわらず、あんな残虐な処刑方法を思いつく人もいるのである。
はっはっは、じゃあお前、はいって試してみろ。ぎょ、御意にございます……って熱い! うああああやめてください、まさか本当に火をつけるなんてぎゃあああああ!! とか、ギャグか!! と。
(うーむ、何だか気がのらない。面白い物語欠乏症状が発症している。それは、面白い物語がないとか、手元にないとかいうよりかは、そういうのに触れる時間がない)
PR
コメント
>このまま消えた方が軽やかかなとも思いましたが
おおおお! 最近、パス付になったりと、心配しておりましたが、まさか本当に、そういうことでしたか……。
何か良いことでも書きたいところですが、何というか、喪失感で今は何も浮かびません。
とにかく、これまでお疲れさまでした、ということと、それと、黒い方様のブログは、本当に毎日のように拝見しておりました。
>ブログを書く上で重要な自分の中の思いや葛藤がなくなったせいで(或いはおかげで)
こちらのことが、黒い方様にとって、良い方向に作用することであることを本気で思っております。
なんというか、黒い方様へだから書けますが、僕の性格の悪いところの一つでもありますが、あの……またひょっこり再開されても、全然かまいませんからね? 世間一般では、「一度やめてからまた戻ってくるなんて未練たらたらじゃないか(ワラ」とか思うと思いますが、僕はホントまた読めることを期待しています。
ただ、それが負担であるということであれば、無理にされることは当然ないと思います(私なんかに言われることでもないでしょうが……)。
まずは、ごゆっくりされて、自分の人生を歩んで頂けることをお祈りしています(お祈り? 誰に? バカバカしい空虚な言葉ですね……すみません)。
あーなんか、ぜんっぜん、良いことが書けません。良いことってなんだよとか思っちゃう馬鹿な奴ですいまさらですが。
とにかく、その……、大変な時でしょうに、コメント頂けて本当に嬉しかったです。この嬉しかった気持ちを、それだけでもどうにか伝えたかったのですが、こんなんコメントなってしまいましたが……、とにかく! ありがとうございました!
おおおお! 最近、パス付になったりと、心配しておりましたが、まさか本当に、そういうことでしたか……。
何か良いことでも書きたいところですが、何というか、喪失感で今は何も浮かびません。
とにかく、これまでお疲れさまでした、ということと、それと、黒い方様のブログは、本当に毎日のように拝見しておりました。
>ブログを書く上で重要な自分の中の思いや葛藤がなくなったせいで(或いはおかげで)
こちらのことが、黒い方様にとって、良い方向に作用することであることを本気で思っております。
なんというか、黒い方様へだから書けますが、僕の性格の悪いところの一つでもありますが、あの……またひょっこり再開されても、全然かまいませんからね? 世間一般では、「一度やめてからまた戻ってくるなんて未練たらたらじゃないか(ワラ」とか思うと思いますが、僕はホントまた読めることを期待しています。
ただ、それが負担であるということであれば、無理にされることは当然ないと思います(私なんかに言われることでもないでしょうが……)。
まずは、ごゆっくりされて、自分の人生を歩んで頂けることをお祈りしています(お祈り? 誰に? バカバカしい空虚な言葉ですね……すみません)。
あーなんか、ぜんっぜん、良いことが書けません。良いことってなんだよとか思っちゃう馬鹿な奴ですいまさらですが。
とにかく、その……、大変な時でしょうに、コメント頂けて本当に嬉しかったです。この嬉しかった気持ちを、それだけでもどうにか伝えたかったのですが、こんなんコメントなってしまいましたが……、とにかく! ありがとうございました!
posted by 遠藤at 2017/06/18 22:48 [ コメントを修正する ]
私は収益が出た事と、ブログを書く上で重要な自分の中の思いや葛藤がなくなったせいで(或いはおかげで)あのブログは辞める事にしました。
遠藤さんは、恐らくネットでも自分の私生活と同じ態度がとれる人で、そう言う人にコメントしてもらい本当に嬉しかったです。
リンクしてもらってから遠藤さんのブログは新着記事は全て読んでいました。
このまま消えた方が軽やかかなとも思いましたが、私がせっかくリンクまでしてもらって、消失に気付いてリンクを消す時に多少は気を使わせてしまうかなと思いコメントしました。
しかしブログって一度気が抜けてしまうと駄目ですね。
特に自分の葛藤がベースだと多くの問題があります。
″悩むのが好きなんでしょう″っていわれたんでしたっけwwwww
生活の基礎ができてない人間に共感されるのも複雑でしょうが、微妙に違いますよねwww悩むのが好きかと言われるとまた悩んでしまいます
私から言わせると遠藤さんは充分良い人ですが、それは誰に思われるかによりますよね
″自分は充分良い人だけどね、こう書けちゃう謙虚さふふん″と思って書いてないのも分かります
だからこそ好感が持てます。
最初のほうだけでも遠藤さんに斬新だと思っていただける文章を書けていたようで嬉しかったです。
ブログって本当に正解が分かりませんね。
また戻ってきてしまうかもしれませんが私は二期は見ないアニメということで、それでは。