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現実と虚構について(ペルソナ4感想続き)
2017/08/01 23:01 | Comments(4) | 創作について
今日の一言「信じたいものを信じ、見たいものを見る」「独善が悪いことであって現実と虚構の問題ではない」


創作進捗グラフ作成ツール(お知らせ)

月またぎの際に、文字数(日ごと)が引き継がれないため、一部関数を修正。ver1.1として修正しましたが、データ移行するほどの修正ではないため、気になる方、直したい方は、「C10」セルに以下の数式を入力すると、前月の文字数(日ごと)が引き継がれます。原本シートを直しておくと、今後「シート追加」した際にも反映されます。

=IF( ISERROR(INDIRECT(B5&TEXT(D5-1,"00")&"!D8") ),0,HLOOKUP(C7, INDIRECT(B5&TEXT(D5-1,"00")&"!C7:AI10"),4,FALSE) )

希望の声があればver1.1を公開します。

日々の日課

 創作のルーチンを組み入れると、平日が本当に、よく言えば有意義になるな。悪く言えば、忙しくてつらい。
 まぁ問題はそこじゃあない、何をやるかは別として、「自分で決めて始めた」という点が重要である。明確にいつまで続けるというのが無いから、気を抜くと簡単にやめてしまうような状態。早めの目標設定が必要だ。もちろん、大きな目標としては、一つ作品を完成させられたらいいのだが、それは目標とは言わない。もっと具体的、数値的にあらわせるものが目標だ。
 100万円稼ぐというのは、目標とは言わない。節約して実施するのか、投資をするのか、何か月でためるのか、何年でためるのか。いつまでに何をどうする、というのが目標には必要だ。

現実と虚構

 先日の、ペルソナ4の感想の続き。
 もう少しだけ書いておこう。今、眠くて……仕方がないが。
 ええと、「現実から目を背けるな!」「人との関わりを諦めるな」「自分の殻に閉じこもってるんじゃない」というのが、どんな物語でも、よく主人公陣営として語られることである。

 それ自体悪くないと思うんだけど、でもさ、「現実史上最強最高!」という人が、創作(エンタメ)に触れようとするだろうか?

 本当に、大切なのが「現実」だけであるという人は、まさしく、テレビもアニメもゲームも映画も小説も何も触れずに、ただ「現実」のことだけを行っていることだろう。

 じゃあその、現実って何? といったとき、想像すれば、お金を稼ぐこと(資本主義)だったり、日々の労働だったり、子供を育てたり、彼女とデートしたり、美味しいご飯を食べたり、スポーツで汗を流したり……と、そういったものだろう。

 しかしだ、よく考えてみれば、今上にあげた中で、本当に純粋に「現実」といえるものがあるだろうか?

「お金を稼ぐ」という手段はいろいろあるが、いわゆる、エンタメ産業(アニメーターや小説家、映画やドラマの俳優さんとか)って、それは「現実」なのかもしれないが、同時に創作(虚構)も取り扱っているということである。

 なるほど、子育てはまさしく「現実」かもしれない。しかし、エンタメに触れずに育ってきた人なんているだろうか? 日曜朝の戦隊ものとか、魔女っ子系のアニメとか全くみたことない子がいるだろうか? 人形遊びや、ブロック遊びをしたことがない子はいるだろうか? ましてや、昨今はゲームが広く普及している。


 そういったレベルのこともそうだけれども、僕はさらに、じゃあ「社会」というのは、本当に「現実」といえるのか? とも思う。
 資本主義というルールや、法律でさえ、ある意味決まりきったルールの上になりたつ、僕らの「解釈」の総体である。
 学校という場では、先生と子供という、ロールモデル(役割)が存在する。先生は先生らしく権威があるようにふるまい、子供は子供として従順となる。

 そんなことを昔から何となく思っていたから、サピエンス全史で、いやいやそもそも、「言語という発明は、現実にないものを創造することができるようになるのに寄与した」といった表現に、僕は非常に感銘を受けたりしたのだった――はなしをもどそう。

ペルソナ4で現実は大切というけれど

 ある方が、「リア充とか非リア充とか、そんな見方はしてなかったなぁ」と書かれていた。そのあたりも、いずれ書いておきたいと思っていたが、それは今回は置いておいて。

 まず、書いておきたいのは、「現実と向き合えよ」というテーマは、それはとても重要なのだが、それをそもそも「二次元」でやるってのは、結構難しい問題をはらんでいると思うわけである。

 これは、エンタメに対しての立ち位置というか、とらえ方というか、「活用方法」的な、全般的な問題に対して、僕は書きたいのかもしれない。

 ここで、便利だから、某方から頂いたコメントとして、「政治のことも、しっかり書くのが、大人としての役割だと思います」的なものを引き合いに考える。
 政治は確かに、「現実」ちっくなものである。だが、政治こそ、非常に「虚構」が必要であると思うわけである。
 政治というのは、ある意味「理想」を語らなければならない。本音と建て前という個人レベルのことも大きな問題ではあるが、そもそも、私たちの生活や、国のあるべき姿というのは、非常に抽象的な概念である。

 そりゃ、ごみの出し方について、これからは有料にしますとか、図書館のシステムを更改しますとか、その生活に密着するレベルであれば、さほど抽象化は不要だろう。しかし、多くの人、国民などに理解をさせて、大筋、「それが正しいんじゃないか」「そうするしかないんじゃないか」と思わせるためには、抽象――虚構の言語表現が必要になるのである。


 話がそれるな。ペルソナ4の話だ。
 つまり、先日挙げた、真犯人氏(人間としての)は、何故糾弾されねばならなかったのか、ということである。

 それは、「現実なんてつまんないものだろ」という点ではなく、単に人を殺した(これも疑問なのだが)からであるのだ。
 彼の主張は、「現実なんてつまんないし、人はいずれ死ぬから、好きなように生きて、自分の心に正直になることが必要だ」というものである(たぶん)。
 これだけ聞くと、非常に自己中心的な、子供がダダこねてるようにも思えるだろう。

 しかしだ、「人はいずれ死ぬのだから、好きなことや楽しいことをとことん突き詰めて、自分に嘘をつかずに正直に生きていくことが大事なんだよ」と、微妙に言い換えれば、これはこれで、「あり」なんじゃないかなぁとも思わなかろうか?

 今あげた例との違いは何か?

「現実はつまらない」

 という前置きだけである。――しかし、ここで疑問は、「現実がつまらない」からこそ、その真犯人氏は、おのずから、退屈な田舎町での生活を楽しくするため、行動したといえなかろうか?

 そうすると、糾弾されるべきは、「他者に迷惑をかけてしまった」(自己中心的な思いで女性を虐げた)ことに尽きる。
 しかし、この「迷惑」という概念も、非常に難しい問題をはらんでいる。「いやだと感じたら迷惑」……しかし、「いやだと感じられることがそもそも迷惑だ」という繰り返しの応酬になる可能性もある。そういったことを防ぐため、「法律」(民法)という第三者が判断するルールがあったりする。

中々言いたいことに到達しない

 眠気、マックスファイアーである。もうダメだ、寝よう。

 あーその、なんだろ、上手く考えていること、思っていることが表現できない。

 そもそも、「性格がよい人」って何なんだよ、って僕は、帰りの電車でずっと考えていた。
 人格者とは、いったい何なのか、と。

 どんな感情や、思考体系があれば、その人は優れている人ということになるのだろうか?

 横断歩道で重い荷物を持っている老人がいたら、助けてあげようと思う心があること?
 嘘をつかないこと?
 自分の心に正直なこと?


 そんな聖人レベルの人格を持っている人なんて、神様か、仏陀か、キリストか、マザーテレサかガンジーか、そんな感じかもしれない。
 でも、やられたらやり返す、10倍返しだ、的な、こう、仲間のためなら敵に対して徹底的に残虐になれるような、そんな人もかっこいいような気がする。(風龍のザザさんとか)

 あー、ねm


(短時間・短文で、自分の考えや感情を明確に正確に瞬時に伝えられるようになりたい。なんというか、敵意は、だれに対してもないのだけれども、それを伝えるのが難しい。しかし、その、誰も憎まないというのは、誰も愛していないというようなことかもしれないとかなんとかかんとかもう寝よう)


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ルーチンは継続が重要だ
2017/07/31 22:19 | Comments(0) | 創作について
今日の一言「ペルソナ4見終わる」「ほぼ100点、しかしまだ望む」

(創作グラフの「0」文字は、免除規定! まだ続けられている……しかしきつい。気を抜くと倒れそうだ)

現実に目を向けたって……

 あー、おー、見終わる。
 犯人が、二段階、三段階と、真実に近づいていくとは、ストーリーとしてもすごいなぁと思った。
 以上。

 ……身体が、重い。肉体的にダメージが。(作品を見たからではなく、ここ数日、予定があって頭と身体を使ったため)

 こんな状態で見るような作品ではなかった。もっと万全の態勢でエンディングまで見たかった。しかし、寝る前に1話だけ……とかそんな軽い気持ちで見始めたのがいけなかった。
 以前から、エンディングに近づくと、小説でもアニメでも何でも、自分が置かれている環境を一切無視し、プライオリティマックスファイアーで最後まで読んだり見てしまう、そんな癖を分かっていたのに、やってしまった――後悔。

 何がいけないか、というと、体力が残っていないときに素晴らしい作品を見てしまうと、それを振り返るだけの頭の余裕がなくなるからだ。――面白かった、以上(しょうなみかん)てきな感じになってしまっては、なんとももったいない。

 ので、体力が尽きるまで、取り敢えずメモを行う。

話としては分かりやすかった

 真犯人(人としての)については、具体的にどこかは忘れたが、かなり序盤から推測していた。根拠はなかった。けれども、この人、真犯人っぽいなぁと思っていた。その意味では、意外性はなかった。
 むしろ……なんか、動機が、経緯が「こじつけ」に思ってしまった。まぁ、「真犯人」にするのだから、具体的な描写などにおわすことはできないのだから、ある程度仕方がないのだろうけれども、その点はいまいちに思った。

 二人目の容疑者について、「僕だって、……殺してやりたいぐらいですよ」というセリフと描写、あれが逆に、すげー違和感になって、僕に「この人を犯人にしたいんだろうなぁ」という感覚を強く与えた。なんでそう感じたかはわからないけれども、決定的に真犯人感が高まった。

 まぁ、そういったストーリー的な、構成的な、描写的なのはいいんだ。

 とにかく、「面白かった」。

 面白かった理由を挙げるのも事欠かない気がするが、それより、今一番メモしたいことを次の章へ。

現実なんて基本は退屈でつらいだけだろ?

「うまくやれるやつは最初から決まっているのさ。才能というチケットを持ってる――(奴だけ)。そこに気づいちゃったら絶望だけ」

 真犯人が誰かとか、実はそういう点をあまり気にしない(そういう意味で、推理ものとかサスペンスとか、嫌いではないのだけれども、あまり読んだり見たりしない)。むしろ、その「敵」が魅力的かどうかを気にする。

 そういう意味で、100点! を挙げたい。
 某ミツオくんも良かった。――ミツオくんというか、彼のペルソナ(シャドウ)が良かった。シャドウの精神攻撃も実によかった、えぐられた。
(あの、地獄少女? だっけ? あれらに出てくる「敵」は非常に退屈だった。単に人間の嫉妬とか、見栄とか、怒りとか。そんな単純な感情にほだされて他者を貶めようとする程度の敵は、非常につまらない。それこそ、現実にたくさんいるだろう。で、そんなやつを倒したところで、一時のカタルシスにもなりゃしない。愚痴吐いて「あーわかるわかる~」的なレベルのポジティブさなど、僕は「認めない」。(認めないという表現が一番しっくりきたから、とりあえずそのまま書いといたけど、他者のその気持ちを認めないわけでは決してないことは書き残しておこう))

 そういう意味でだ、真犯人(人として)は、非常に多くの名台詞を頂けた。

 ……いま思ったが、僕が真犯人に「いきなり感」を思ってしまったのは、「名台詞」ゆえに、そこに行きつくまでの、そのお方の来歴が不十分に思ったからかもしれない。
 その点、某ミツオくんの方が僕はしっくりきた。なんか、リアリティがあった気がした。


 そうは言ってもだ、やっぱり真犯人さんも悪くない。

「どんなやつでも、80年もしたら終わるんだからさぁ。だったら、シャドウ(影。自我を失い精神世界を彷徨い続ける)になったほうがましだろう?」


 だがそこじゃない。ここで、そのお方の良いセリフを挙げていくのも悪くない。僕が、いま残り少ない時間で書いておくべきは、……。

お前の理屈なんて子供以下の単なる我がままだ

「社会と折り合うことを投げたら、生きづらいに決まってる!」
「生きるのもいや、死ぬのもいや、人であるのも放棄しようとしている! そんなの、ダダこねてるだけじゃない!」
「お前は選ばれたんでも何でもない! ただの犯罪者だ!」

 まぁ、いろいろ言われて、力を取り戻した主人公陣営に、そのお方、涙目になって負けちゃいますよ。
 まぁ、人類的にはその方がいいと思いますよ。

 でも、僕は思った。

 ――いや、なんか、話し合いとしてはお互い全然なりたってなくね?

 と。
 なんというか、だ。ぐだぐだ言ってないで、現実をしっかり生きなきゃだめだ、という「大人」な主人公陣営の考えも意見も分かる。
 分かるんだけど、この戦闘シーンにおいての会話(議論?)においては、どっちが勝って、どっちが負けてとか無いと思った。

 結局、主人公たちが、暴力で敵をねじ伏せただけなようであった。
(これは、ペルソナ4中盤あたりから、「自分と向き合ってシャドウを倒し新たなアルカナ・ペルソナを手に入れる」というのが、なんか単純に暴力的にシャドウを倒しているように感じ始めたのと似ている)


 何を言いたいかというと、別に、世界をシャドウの世界(自我が失われて魑魅魍魎と化した世界)になった方がいいというわけじゃない。
 そうじゃなくて、「現実なんて……」とか言ってしまったり、思ってしまう人に対して、「それは絶対に間違っている」と言えるような、そんな表現・論理が、欲しかったというところだ。

 現に、真犯人氏は、暴力で負けた後、「つまんねぇ……。まぁいいや……どうせもうすぐあっち世界はなくなる……」とか言っちゃう。

 いやまぁ、ここで、真犯人氏が、暴力でも、論理でも負けたただの敗者であることを決定づけられるわけだけれども、僕はここで「すっきり」とか「すかっと」とかしなかった。
「ああ、また一人、救えなかった人が増えたのだなと」


 いやまぁ確かに、そりゃあそうさ、間接的とはいえ、人を二人も、それも身勝手な理由で殺した奴に、同情など必要なかろう。実際問題、その「犯罪行為」自体は何ら認められるべきものではないし、その点においてはただのおぞましき犯罪者である。

 その点と、切り離してなど考えてはならないだろうから、本来このシーンは、主人公たちがついに犯人を追い詰め、これまで培ってきたペルソナ・絆の力で敵を粉砕するという、清々しいシーンなのだろう。

 だが、足りなかった。

長くなったから強制まとめ

 だからさ、「犯罪行為」の「言い訳」としか捉えられなかった点が残念だと思ったわけ。

 だから、真犯人氏までで、この物語が終わっていたら、僕は「残念だった」という感想を抱いたことだろう。それが、ほぼ100点と思えたのは、超犯人氏が最後に登場したからである。

 超犯人氏もまた、名台詞の数々を残してくれたわけであるが、今回の記事の目的とは少しずれるので、ここでは書かない。
 しかも、超犯人氏は、字義通り人知を超えてらっしゃるので、思考対象とするのはいささか難しい点もあり……


(体力の限界のため強制終了)

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パスティーシュとかエピゴーネンとか横文字
2017/07/27 00:02 | Comments(0) | 創作について
今日の一言「語彙力があるのは良いことだが」「知識人ぽく振舞うのは何かいや」


横文字について

 パスティーシュ:作風を真似ること
 エピゴーネン:模倣作品。原作に比して劣っている場合が多い。
 オマージュ:発展作品。原作に比して優れている場合が多い。
 パロディ:二次創作的なみたいな。

 正確に、言葉の違いを理解したうえで、専門用語(テクニカルターム)や横文字を使うのは、まったく構わないと思う。
 しかし、なんかかっこいいとか、偉そうだとか、頭よさそうに見えるという感覚で、そういった文章を書くというのは、後々読んだときに頭を抱える可能性がある。俗にいう黒歴史だ。

 いやあえて、字義は同じもしくは似ていても、その「字面」がかっこいいから使う、というのは、表現の世界においてはアリだと思う。
 こう、頭に浮かぶイメージってのは、厳密な辞書的な意味とは異なる場合だってあるだろう。
 ただ、自分を大きく見せたいとか、何やら「すごいこと書いてる風」に見せたいだけで、「この作品はパスティーシュにもなっていない駄作ですね」とか書いてるのは、如何かと思った。いやその、そういった言葉をさも当たり前に使うようなコミュニティ内だったらいいけど、アマゾンレビュー的な場所で……ねぇ……。

 まぁ、単に僕が「パスティーシュ」という言葉を知らなかったので調べてみましたと、そういう話である。そんなの、常識だろうと思う方もいるだろうし、「へーそうだったんだ」という方もいると思う。僕がここで書きたかったのは、その事例が云々ではなく、その「適度な言葉遣い」の選び方とは、難しいものだなという感想である。

 例えば、僕はブログではいつも、中学生でも分かるレベルを基本にして(時に無視をして)いる。ただ、僕がそう思っても、やっぱり理解ができないような表現や、下地、概念、考え方、感情、知識、積み上げ、まぁいろいろあるんだろうなぁと思うわけである。

創作ルーチン

 はっきり言おう、これ、大変である。
 いやぁ、そもそも、音楽でもなんでも、創作というのは体力も精神力も必要となる重労働である。
 確かに、スポーツは明確に、見た目的に、体力的に息が切れるから、分かりやすく重労働だ。
 しかしそれとは違った意味で、創作は重労働だなぁと、今更ながら感じている。
 メインは、精神的に、ということになるが、それをルーチンとするとなると、時間確保とか種々調整だとか、体力要素も必要になってくるのである。

 それで、そこに費やす時間が9割がた楽しければよいのだが、いやぁ思ったよりつらいのである。

いつまで続けるか

 そういや、ルーチンをするのに明確な目標を決めていなかった。
 まぁ、習慣化すれば、明確な目標などなくても、言い方は悪いが、惰性で続けられるようになったりする。しかし、特に最初のうちは、いくつかのチェックポイントをもうけていた方がいい。

 今日とか、免除規定に該当しない、21時前に家に帰りつき、23時前までは特にフリーだったというのに、気づいたらぼーっと時間を過ごしてしまった。危ない危ない。そして、眠気も襲ってきたから、危うく早速ルーチン失敗になるところだった。

 面倒だし、面白くもないけれども、ほぼ習慣と化しているこのブログを用いて、その創作ルーチンに関しての話題を繰り返し持ち上げることで、初期の失敗を避けるようにしていきたい。

灰と青春

 いや、そもそも、ぼーっとしていたわけじゃあなかった。ペルソナ4を2話ぐらい見進めた。
 そして、下のこれが、時間が消えた理由だった。



 隣り合わせの灰と青春。ウィザードリィというゲームのノベライズ。このウィザードリィって、確か、ある精神科医さんのブログで取り上げられてたやつじゃあないかなぁ確か。

 で、まぁ、これを、今週ぐらいから少しずつ読んでいたのだけれども、一気に読み終わったしまった。kindle、これは良いものかもしれない。どこでもなんか手軽に読める。

 面白かったな~。なんだろ、ライトノベルってジャンルなんだろうか? キンドル版に挿絵は一つもなかったけど、なんだか、ゲームとかアニメとか、そんな雰囲気が文字媒体から伝わってきた。

 良いんだけど、もうちょっと、ヒロインのかわいさを表現できていたらよかったかなぁ。なんか、エピローグの余韻があんまりなかった。
 結局黒幕的なのもそのまま放置的な感じだし、なんだか大円談、って感じはしなかった。
(でも、とりあえずラシャが生き返ってくれてよかった!)

ペルソナ4

 そいで、ペルソナ4なんだけど、これ、小学生の女の子の過去が明らかになるパートと、文化祭でミスコンとかやっちゃうパートなんだけど、いやぁこれも面白かった。

 女の子のパートの話は、なんか、泣けた。なんかその、――家族っていいよね(?)。

 文化祭のパートの話は、なんか、笑った。なんかその、――青春っていいよね(?)。

 あー、これが俗にいう、小並感(こなみかん・しょうなみかん):小学生並みの感想、ってやつなんだな。

 なんか、掘り下げて書こうと思うとなんかかける気もするけれども、吊革広告で見た「徒然チルドレン」的な奴が、ニコニコ動画チャンネルで最新話無料で見れたのでちょっと見てみたら、ややー、これもなんかくすりと笑えた。――青春っていいよね(2回目)。


(そして時間切れと睡魔により唐突に終わる)

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ルーチンは始めが肝心だ
2017/07/24 22:00 | Comments(3) | 創作について
今日の一言「なんかつらい」「物語に入り込めていない」
※某ツールをDLして使ってくださった方へ。移行ツールの動作確認のご報告ありがとうございます。ちゃんと動くか心配だったので、よかったです。

書く



 今日の進捗。
 いやー、きついな。何だろう、こう、とってもこっても、書くのがつらい。

 2016年の9月ぐらいに書いた作品は、あれは何だか構想が浮かんで、一週間ぐらいで書きあがった。ま、見れば、文字数は1万字に到達していないから、一日1500字程度でよいということか。

 しかし、なんか、中編から長編にしようと思うと、この、途方のなさが気持ちを揺さぶる。――これ、ほんと書ききれるのか?

 非常に荒いプロットは作った。A3の白紙の紙に、マインドマップみたいにして、登場人物・敵・集団・組織の関係性を、実線や点線の矢印で結んでいく。そして、それぞれの場面、物語で明らかになっていく順番などを整理する。――うんうん、これなら、じぶんでもちょっと面白いと思える物語になるだろう、と。

 しかしだ、それぞれの話の軸となるエピソードが全然決まっていない。
 登場人物の設定もあまい。敵……一般モンスター的な奴には、鋼鉄城カバネリに出てくる屍(カバネ)みたいなのをイメージしているが、その能力や外見のイメージがかたまっていない。

 地理は?
 時代設定は?
 武器や道具は?
 社会思想は?
 風俗は?
 テクノロジー・技術は?

 足りない。全然足りない。

古い雑記が出土する

 高校ぐらいかな、友人と作品のプロット(設定)などのやりとりしたメモ帳みたいなのが見つかる。
 読んでみる……うーん、なるほど、これよかは、今のほうがいいものを作れそうだ。だが、じゃあ、すぐさまそれと同じ文量を書けるか、というと、つらい。

 逆に、いい表現だったり、面白い展開じゃないと、書いていて楽しくなさ過ぎて、つらい。面白くない。

 でも、だ。一発で面白い描写ができるなんて、思わない方がいい。これまでも、僕は一度書いてから、時間をおいて読み直して、「あー、ここはこうしようか」「この場面はもう少しこっちに配置するか」「表現を足さないとわからないな」とか推敲を重ねていくのである。

 確かに、音楽のアーティストは、ライブなんかやって、その一体感によって観客を魅了する。
 でも、一発のレコーディングで上手いのがとれるか、というと、そうではない場合だってあるだろう。何回か音合わせして、繰り返し練習して、よい作品ができあがることだってあるのではないか。


 で、まぁ、その、「設定」に尽力しているのが伺える。
 しかし、「設定」をつくれるのと、小説を書けるのとは違うと思う。――と、思ってきたが、やっぱり、「設定」も大事だと思った。特にファンタジーをつくるなら。
 というわけで、『空想世界構築教典』を読み出す……うーん、おもしろいな、これで半日ぐらいつぶせるだろう……ってそうじゃない!

漫然と本を読むのは如何か

 男は本なんて読まないんだぜ。本なんて読む奴なんてオタクじゃん?

 みたいに言う人もいるらしい。なんかニュースでやってた。嘘だろう、とそういう記事は話半分にしか読んでいないのだが、まぁそういう人もいるのかもしれない。
 どっかの経営者・社長は、「本なんて、所詮他人の経験でしょう? それより、自分の経験を語れる人のほうが、信頼感あるよね」みたいなことを言っていた。

 僕は本を読むのは全然苦じゃあないが、しかし、ただ読むというのが果たしてよいことか。

 この、「本の読み方」的なのも、探せばいーっぱい出てくる。
 多読がよいとか、問題意識をもって読まないとだめだとか、その逆だとか。

 まぁ、そんなん、言いたいように言わせておけばいい。どれが自分にしっくりくる言葉なのか、方法なのか、なんて、そんなのやってみて、感じてみて、自分で決めればいいことなのだ。

 他人のアドバイスはありがたいが、結局、決めるのは自分だ。


 という前提において、僕は、「創作する」という目的・目標においては、やっぱり、漫然とただ読んでも身につかないと思う。

 やっぱり、「表現したいこと」というのがあったうえで、それに向かっていくために必要な方法を、本や他者のアドバイスへ求めるのはいいと思う。けれども、最初から答えを求めようとしてもダメだと思う。

自己啓発的~ウケル~(嘲笑)

 あー、上の書いたことは、誰かへの啓発なんかじゃあない。ただ、自分が「そう思いたい」ってだけだ。

 そうでも書いておかないと、流されやすい自分は、ブレる。

 そうやってブレてぶれてここまでやってきて、それはホント失敗だったと思う。


 ――後悔は何も生まない。ただ反省のみをすべし。


 と思ってきたが、後悔するべきは、もっと、自分の「思い」というのを、他者とか、社会とかの「あるべき論」「不安を煽り立てるような奴」から、自由であるべきだったことだと思う。

 結局、着飾って生きても、何もならん。――いや、これだって、単に一時的な、その場限りの、条件付きの、たまたまの、気まぐれな回答の一つに過ぎない。「着飾って生きる」ことだって、何ら悪いことではないかもしれない。

 

ということを書くのをやめよう

 ってお前よう! ここまでで、だいたい2000字だぞ?
 今日のルーチンってかノルマってか、目標分を超えてるぞ?
 お前は、どうして、このノリで作品を書けないんだよ!

 もう少し、生産的でありたい……。


(作品を公開しようという思いが強いからいけないのかもしれない。もっと、書きたいように、好きなように書ければもしかして……。例えば、視点のブレとか、描写・表現の時代や設定との乖離問題――例えば、「獰猛なトラのように襲い掛かった」的な表現があったとして、その時代やその地域に、またはその世界に「トラ」というのは果たしてどれほど認知度がある存在なのか――とかを無意識に考えてしまうから、筆が止まってしまうのかもしれない。もっと単純に、重複した言葉を使うと読みづらいとかかっこ悪いとか……。そういうのは一切無視して、まずは物語の軸として、表現ではないんだけど、でもプロット以上のもの、的なのをつくるのは、……ありかな? 長編とか難なくかけてる現代ファンタジーとかロボットものとかを得意とする某からくりサーカスに出てくるヒロインと同じ名前の某お方や、奇抜なアイディアや登場人物を描かせたら右に出る者はいない旧約聖書に出てくるソロモン72柱の第一位の悪魔と同じ名前の某お方は、どうしたらそんなに書けるんだろう。なんかこう、楽しくいっぱいたくさん面白いのを書けるようなそんなアドバイス求むッ!(そんな魔法はない! 頑張れよ!))

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創作進捗グラフ作成ツール(Ver.1.0)
2017/07/23 17:26 | Comments(0) | 創作について
今日の一言「データ移行ツールの方が時間かかった」

月間集計機能追加

 創作進捗グラフ作成ツールだけれど、今回、各月の累計文字数を集計して、月間グラフを作成できる機能を追加した。

DLはこちら→創作進捗グラフ作成ツールver.1.0




 メニューの赤いボタンを押すと、



 こんな感じの入力フォームが出てきて、集計したいシートの年月(YYYYMM)の開始と終了を入れると、上の画像のフォームの後ろにあるようなグラフが作成される。ちなみに文字数累計なので、基本減ることはないと思うので、右肩上がりの棒グラフになると思う。

 一応、当初目指してた機能は実装できたので、ヴァージョンを1.0として、メジャーデビューさせた。

データ移行ツール

 そして今回は、既に使用してくださっている方が1名いるため、データ移行ツールも開発した。
 そして、今回の機能実装よりも、格段に時間を要したのがこっちだった(笑)。しかし、ファイル操作について理解が深まってよかったと思う。「こっちの命令はファイル名指定だったり、こっちはフルパスじゃないといけなかったり」とか、複雑で直感ではお手上げだった。それでも、ググればいろんな情報があって、ほんと便利だなぁと思う。それでも、ある程度命令の構文を覚えておかないと、応用もできなきゃ、そもそも作るのに時間がかかりすぎて駄目だ。……とはいえ、マクロ・VBAは、どうにも構文とかオブジェクト・メソッド・プロパティとかそれ自体が長すぎて、とても覚えられる気がしない。VBA辞典とか手元に置いてやるもんなのかなぁ。まぁ優良なサイトが多いから、ネット環境が使える状態で開発するなら、それで十分かもしれないが。


↑こんなんあると便利だなぁと思いつつ、やっぱり辞典と名の付くものは高いなぁ。

セミナー的な

 ちなみに、VBAの講座とか調べてみると、やっぱり4~5万円ぐらいかかるらしい。
 そしたら、まぁ、個人で使う範囲の設計実装はできるようになったから、「お金が浮いた」的に考えてもよいかもしれない。マクロは適当に使っていたけれど、VBAを使い始めたのはここ半年ぐらいである。
 やっぱり、変数、配列、条件分岐、ループ、オブジェクトといった、プログラムの基本的なことが分かってると、新しく他の言語を学ぶ時も入りやすいというのはあるのだなぁ。まぁ、英語がわかっているとドイツ語とかもできちゃう、というのは、やっぱりにわかに信じられんが(だって、外国語は文法がいくらわかってても、単語がわからなきゃどうしようもないことって多いと思うんだ)。

 で、まぁ、パソコンだけど。昔は、ワープロで文字を打てるだけで「すごい」と言われていた時代があって、エクセルで表計算ができると「ものすごい業務改善だ!」と言われていた時代があって、パワポ使えると「よし、今度のプレゼンは君に任せた!」と言われていた時代があって――あったのか?
 ただ、格段に、一般人ができることが増えてきていると思う。

 その代わりに、失ったものというのはあるんだろうか?
 この疑問は、牧歌的な、就業中に休憩したりとか、仕事が午前で終わったら午後はみんなでバレーしたりとか、そんなバブル時代を思い浮かべるというものではない
 個人的なスキル的な意味である。つまり、パソコンを使える人が増えたことによって、昔の人ができたことが、できなくなっているようなことってあるのだろうか?

 もし、「ない」としたら、昔の人よりも、今の人の方が優れているということになる。(もちろんこれは、個々多様性を無視して、一般的な人全般というものを考えている。化学で出てきた、理想気体みたいな奴)

 その考えで行けば、古代、中世、近代、現代と、人は、脳神経細胞の容量は増やさずに、能力を高めていったのだ、ということになる。それってすごいことじゃあなかろうか。
 まぁ確かに、平均寿命的なやつを考えてみると、人生における可用時間自体が増えているともいえるだろう。そりゃあ、電気がなかった時代は、夜に読書なんてできやしなかったわけだし、あ、いや、そもそも本がなかったか。

 そう考えれば、僕らはとても恵まれているってことになるわけだが、果たして、両手離して喜んでいていいのかな、とも思う。

 VBA使えても、「じゃあ今度はアクセスも使ってRDBMS作って!」とか、果てしなく要求されていくんだろうか。そしたらある程度、自分の能力に蓋をするというか、あんまり何でもできるとか、やったりとかしない方がいい気もしてくる。でもそれって、本当は矛盾なんだと思うんだよなぁ。思うんだけど、でも、実力の120%で頑張るよりも、70%ぐらいで、ながーくゆるーくやっていくというのが、本当は最も効率がよいんじゃないかとも思うわけだ。

 で、今度は、その「ながーく」という終わりを、どこに置くか? ということである。最近、再雇用とか生涯現役とか言われたり、確かに、70代でも働いている人が増えてきているだろう(たぶん。増えてはないのかもしれない。でも、結構役員とか、長老的な人はみかける)。

 でもまぁ、昨日とか書いているのは、「何でもかんでも社畜乙とかいうのはおかしい」ということであって、プラスして、「何でもかんでも老害退け」というのもどうなのか、と思うわけである。
 頭も冴えて能力もある人が、ある年齢になったら近所のマンションの清掃集会に参加したり、町内会の出し物の準備に精を出すしかなくなるってのも、それまたもったいないのではなかろうか。
 世の中、働きたくない人だってたくさんいるんだから、働きたい人がその分働いてくれるのは悪いことではなかろう。まぁ、働かない人には賃金は支払われないから、結局だれもかれもが働かないといけないわけだが。

勤労の義務

 二大義務とは、勤労と納税であり、納税はまぁともかくとして、勤労という概念は、昨今実態とあっているのだろうか、とふと疑問。
 この、勤労ってのが、「汗水流して働く」というイメージであって、それがゆえに、「仕事は楽しい」というイメージが持ちにくくなっているのではあるまいか。僕は正直、社会人になるのが億劫でならなかった。とはいえ、学生という状態も、本来日本の大学生はとてもモラトリアムで楽しいと言われるが、別にそれほど執着するほどでもなかった。ので、現在も、未来も、ましてや過去も、どうでもよかった(というのが、過去記事なんか読んでいるとくみとれる)。

 もっとこう、大人たちが、「大人って楽しいんだぜ」とか、「働くことって気持ちいいんだぜ」とかって、若い人や子供たちに、――それは決して欺瞞ではなく――みせていくことが必要なんじゃなかろうか。

 ブラック企業とか、過労死とか、そんな低レベルなことは当然唾棄すべきだが、それ以上に、「あー学生のときが一番楽しかったよ~」「中高生はいいね~夏休みがあって」とか、そんなことも言ってんじゃねぇよと。

 体たらくな大人ども! もっと人生って、生きることって楽しくて喜ばしいことだって、もっとしっかり見せやがれってんだ!!


 ――ま、僕もすでに、大人と呼ばれる立場の人間になってしまったわけだけど。

創作について

 と、まずいまずい、また話がそれた。
 そんな、仕事とか勤労とかそんなんどうでもいいんだ。創作だ!

 ということで、ある方に影響され、僕も上記ツールを活用し、毎日グラフをアップしていくことにしよう。ということで始めた。(ちなみに新しい奴。その他のも順次グラフ作成する。公開するかは未定)
 目標は、毎日書く。そう、例え1文字でもだ! ……いや、それはさすがにあかんやろう。最低限、一文とする。それなら、たとえ、

 ――爆散。

 とかでもありだ。……いや、それぐらいならもう少しいけるんじゃないか?
 ……いやいやとか思っちゃうのはダメなパターンだ。毎日、ってのをなめてはいけない。これは特に、習慣づくまでは、完璧厳格に守り抜いていく必要があるのだ。

 




 免除規定は……そうだな、平日は、21時以内に帰宅し、23時までに特段の予定が無い場合以外とする。特段の予定とは例えば、自サイトで故障が発生し対応が必要になったとか、家に知人が来たとか。
 それと、基本作業はこのデスクトップPCからにしよう。そういえば、先日内蔵カードリーダを断線させたら、それ以降、かなり機嫌がよくなった。買った当初の、あの素早くて頼りがいのあるPCさんに戻ってくれた。よかった……あのときの僕の行動や気持ちは、無駄じゃあなかったんだね……。と、そうそう。作業はデスクトップに限るということで、泊りとか家に帰れないときも免除とする。
 休日も同様とする。

 これぐらいでよいだろう。あとは、この新たなルーチンを、自分の意識に刷り込んでいく必要がある。何度も何度も。それをしなければ、気持ち悪いと思うまで……。


(ほんと、気乗りしないときは全く書けなかったりする。それが、ブログとかだと、確かに最初は嫌だなと思いながらも書いていると、だんだんといろいろ書けるようになってくるのだ。創作についても是非そうなりたいものだ)




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