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意外に起きられた朝に書く
2019/07/29 06:00 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「酒を飲むと睡眠が浅くなる」

前書き

 一人称も、俺、だったのか、僕だったのか、私だったのか。
 前回の記事で、「3時間後ぐらいに、朝5時ぐらいに目が覚めたら、何か書こう。ようやく『思考』の感覚が戻ってきた」と書いた。
 で、予想だにしなかったが、目が覚めたので書く。

とある友人の話

 前回の記事でも書いたが、とある友人が会社を辞めて実家に帰るのだという。
 僕はそれを聞いたとき、なんと言うことが適切だろう、と思った。

 それは、冷たい人間なのか。そのあたりが分からない。

 いやその、何故「冷たい」と自分で思うかといえば、ふつーの人は、「自然に」何か思うのではないか、ということである。

 でも僕は、「自然に」がよくわからず、どうしたら、相手が最も欲している言葉をかけてあげられるのかということを思ってしまう。


 しかし、それは本当は難しいことなのである。

 本当、も何も、基本無理だ。

 だって、その「辞める」理由も、その人の気質性格も、その人の来歴も、これからの展望も、様々な要素が絡み合う。

 そんな中で、いったいどうやって、「正解」を求められるのだろう。

正解はないのが正解

 だから、正解は、無いのである。
 正解がないから、「自分自身」が「自然に」思ったことが正解である。



 もう一度、俺は、自分に問いかける。
 そのとき、「僕」は、いったい、何をおもったのか。


 ――分からないのだ。



 いや、その、「相手の欲することを考える」って、良いことにも思えるじゃん。
 しかし、こういう批判はどうだろうか。

「結局、自分が傷つくことを恐れているんでしょ」

 と。

 それは、その面は、あると思う。

 要するに、「自分」というブランド(かっこわらい)が傷つくことを恐れているのである。
 完全無欠で常に正しいことを行う人間。

 お笑いである。

笑いの構造

 笑い、にできるなら良いが、笑いどころではないのが現状だろう。

 笑いとは、本来あるべき姿から、少し意外である場合に起こる。この「少し」が難しい。少しを過ぎると、「ひく」が起こる。理解不能になるからだ。

どういうブランドなのか

 いやはや、しかし、こうやって書いたことが、こうした表現は初めてだったかもしれないが、まぁ、もともと書いたりしているはずだ。

 しかし、「ブランド」という表現はわかりやすい気がする。
 自己同一性と同義で用いているのである。

 要は自分。



 そう、この問題を書くときに、書いておかなければいけないのは、――。

 いろいろ、失うのが怖い。
 俺は、――。

 ……ぷっつりと、思考が途絶えた。

 数分、何も頭に浮かばなくなった。


 なんだっけ。何の話だっけ。

 自我同一性。

 自分とは、記憶。

 俺は、誰だ。

 俺は、何だ。

維持すべき自分

 自分は変化する。
 しかし、変化しないものもある。名前。歴史(来歴)。

 書くことに執着しているのは、「自分が思った」ことは、紛れもない事実だから。

 だから、そこに、僕は、僕自身を探しているのか。


 そこに、「いる」のかもわからないのに。


 しかし、それぐらいしか、僕はやってこなかったから、他にやり方が分からない……嘘だ。
 他者とのかかわりも、試してみたじゃないか。

 そもそも、他者とのかかわり、って表現自体が間違っている気がする。そういうもんじゃない。ふつーの人は、「自然に」やるもんだ。



 生きることに必要なのは、金じゃないんじゃないか。
 必要なのは、モチベーションなんじゃないか。

すぐに答えはでない

 そう。
 この問題は、すぐに答えはでないのである。

 僕は何なのか。
 僕は何を維持したいのか。
 僕はどうなっていきたいのか。

 難しい問いなのだ。
 同時に、「僕」という存在は、関係性の中に存在する結節点に過ぎず、それ自体が存在するわけでもない、という考え方も抑えておかなければならないし、やれやれ、難しい問題だ。


 だからこそ、こうやって、長年書き続けなければいけないのである。

 それは、現状の、仕事の状況とか、プライべーどの状況とか、どういった創作物と出会って感じてとか、リアル・非リアルの他者の存在も含めて、考えていかなければいけないのだ。

 だから、書かないとダメなのだ。さぼっちゃダメなのである。

 前も書いたけれども、「書きたくない」ときこそ、書いたほうがいい。何故なら、そういう時の情報が、絶対、これまでも不足しているから(かっこわらい)。当たり前だ、「書きたくない」ときは書いていないだろうから、そのときの気持ちが表現された文章は少なかろう。

本記事の目的

 この記事では、もう一度、思い出そう。
 ルーチンとして、週間更新するのだと。中々、難しいが……。

 しかし、思えば、「難しい」ときにするための対策も、色々とこれまでも考えて、実践もしてきたはずである。



 何故最近更新ができなくなったのか。新しいゲームに手を出した、というのもあるが、土日に外出する場合が多かったというのもあるが、平日忙しかったというのもあるが、要は、それらによって、モチベーションが低下したことが直接の原因なのだ。

 ところで、結婚するとかしないとか、子供が欲しいとか欲しくないとか、一時期はそれについて触れていたけれども、最近は、それらを考えることすらなくなっている。

 いや、まぁ、「どうするんだ?」的なことを問われることもあったりするから、そういうときは、どっちでもいいか、的な感じである。


 しかし正直なところ、「結婚」=「子供」的な感じがする。
 敢えて結婚だけするという必要性が分からない――し、これは、他の別世代の人に話してみても、「確かに」という反応が多い気がする。

 まぁ、「逆」ではある。
 結婚して基盤がつくられるから、子供ができる、というのがこれまでの「ふつう」であったろう。
 しかし、ほんとかどうか分らんが、「経済的に」結婚が困難であるとしたとき――いや、ほんとかどうか分からん、というのは、「結婚」自体は別に役所に紙を出せば済むだけだ。結婚式とかいろいろ、やろうとするとそりゃ金がかかるわけだし、男女のいっぽうが、一方を養うとすれば、そりゃあ「経済的に」問題は生じるだろう。

結婚の話になった

 話がそれたので、小見出しを変える。
 もう、ここまでくると、もう、昨日と打って変わったタイピング速度が出ている。そうそう、こんな感じだったんだ。思い出してきたよ。

 いやほんと、だからね、「結婚」の目的は何ぞや、って話である。
 僕は、このブログで書いたか分からないが、結婚したことはあるけれども、なんかこう、「焦って」したような気もする。
 ああ、そこら辺のもう少し、突っ込んで書いたほうがいいのかな。

 その頃の記事って、たぶん、探してないが、きっと十分に無いと思う。おそらく、俺が意図的に書かないようにしていただろうから。
 相手のこともあるし、個人情報的に、あんまり個別具体的なことは書かないように気を付けているのだ。

 身バレ。
 ううむ……怖いな(かっこわらい)。

 別に、信頼おける方なら構わないが……いや、違う、これは、ちょっと違う気がする。
 そもそも「リアル」的なことにおいて、利害関係がある人は、僕は多分、信用できない気がする。

 それは、例えば、大学の友人たち、であってもだ。

 僕は、SNS的なのをやりたいとは思わない。いやまぁ、大学時代は、相当やっていた気がするが……。

あとがき

(かっこ書きである。長くなった。時間切れが近づいているし、あとがきも書かなきゃだから、終わろう。ということでかっこ書きである。あー、「長くなった」って表現も、久しぶりだな。そう、そうなんだよ。書くこと、たくさんあるはずなのだ。しかし、ものすごくモチベーションが低下していた。何なんだこれは。いやーしかし、戻った戻った。何だ、やっぱり、この程度の駄文なら全然楽勝じゃないか。ほんと、しかし、最近この程度も書けなくなってたから、昨日とかは、「ほんと俺はどうしてしまったんだ」と変に落ち込んだ。落ち込むべきところは他に色々あるだろうが。あ、そうだ、更に思い出した。昨日の記事で「何もしていないと書けない」とか、タイトルか小見出しで書いていたが、それって、例えば、旅行に行ったり、仕事で云々していたり、そういうケースである。つまり、何もしていないわけでは当然ないのだが、「思考」にかかわることをしていない、ということなのだ。いや、それもおかしな話で、別に、様々な行動と結び付けて思考すべきだ、と上に書いた通りであって、であれば、別に書けるはずなのだ。にも拘わらずかけないのは、その、個人情報的云々が強すぎるからであるだろう。つまり、踏み込んで書くと、直接的過ぎてしまう、という場合だ。難しいなぁ。であれば、信頼できる方だけの、とある友人もそうしているが、パスワード付きのブログにしてしまうとか。なんか、違うんだよな。俺は広く、一般的に書きたいのだ。ええと、この辺りは、ブログの目的的カテゴリを読めば思い出すだろうか。ああ、もう、そのレベルのことすら、最近は忘れてしまっていたのか。とにかく、書くべきことは色々あるはずなのだ。モチベーションがどうこうとか、そんな甘ったれたこと言ってんじゃない)

<約50分>

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何かしていないと書くことも浮かばん
2019/07/29 00:50 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「何とか更新はしよう」

前書き

 シロガネ読み終わる。
 外は暑かった。
 資格の勉強をする。
 ドライブは気持ちがよかった、暑かったが。

一人でいる時間がないとブログは書けない

 なんか、こう、空いてる時間にちょろっと書く気に全然なれんのである。

 先日、「1年前の今頃リンク」をはっつけたわけだが。

blogがさっぱり更新できなくなって、はや数ヵ月。といっても、半年は経ってないんだな。
諸氏は、こやつ、飽きたんだな、と思われるだろう。断じて違う。光速に否定する。かきたい気持ちは高まっている。コメントにも返信したいし、他の方のblogなどにもコメントしたい気持ちが沸き上がっている。
しかし、かけない。
原因は、環境にある。物理的な時間が問題なのではない。
ので、ノートパソコンなど欲しいなって気もする。
ああしかし、いったいどうしたらいいのだ。
悩む。
 という、まぁ、同じようなことを書いていた。
 成長、ないな、という気がする。

スランプ状態のときにどうすべきか

 仕事が忙しいのである。
 これが問題だ。

 先日、会社の人たちに、愚痴も多数話しをしたわけであるが。
 愚痴っても解決するもんじゃないが、しかし、「あれ、君、意外とそういうことも思ってるんだね」的な感想を抱かせたのではあるまいか。

 俺も、悩ましい。
 いやつまり、「本来求める姿」を求めたときに、多分、それは上手くいかないんだろうということである。

「自分らしく」

 なんて言葉が大嫌いである。現実と理想とを漸近的に擦り合わせていく以外に人生はありえないのである。
 急激なダイエットも、男性器増大もそんなもんありゃしないのである。


 何の話だ。
 スランプである。

 何のだ? 「思考」のである。


ルーチンしないとダメだな

 全然だめだ。
 何がダメって、その、「書けない」のである。
 書こうとすると、いろいろ浮かんできて、イライラする。

 いや、本来、それもまたよかったのだ。イライラすることで、それで書けていたことは少なくない。
 今は、イライラだけ進んで、書けないのだ。


 うーむ……。

 うーむ。

 ああ、そうだ。とある友人が、仕事を辞めて実家に帰るらしい。
 お疲れ様でした。

 ――いいや、そう、俺はふと思った。思い出した。

「どういう反応が正しいのか」

 ということをやはり、考えてしまうのである。

少しのってきた

 そう、「面倒くさい」という思考が溜まりまくっている。
 本当にもう、遊んでいたい。gta5なりarkなりしまくって遊んでたい。

 そうもいかない。

 仕事はしないといけない。

 しかし、「ほどほどに」仕事をしたいのである。
 いや逆に、「ほどほど」だったら、もう少し、「頑張る」気にもなる。

 いや何か上手く表現できていない。まぁいいや。最初に浮かんだ表現なんだから仕方がない。

 なんか、こう、頑張りたくないんだけど頑張らなきゃ、ってなる。
 というか、頑張りたくないわけじゃないんだけど、何をもって頑張ることになるかが皆目分からん。

 それなんだよな。

 頑張る方向性が分からん……ていうか、先日、いろいろ、会社の人たちと話しても思ったが、結局分からんのである。

 わからん中でやっていくしかないのである。

 いやいやいや、訳が分からない。

混乱期

 何かこう、まとまったことを書こうと思えば思うほどドツボにはまる。

 いや、落ち着け、まずもって、「ルーチン」が壊れ始めているから良くないのだ。

 浄土宗じゃないが、念仏を一心不乱に唱えることが重要なのだ。
 別に念仏でなくてもいいが、筋トレでも、ブログ更新でも、「どんな時でも続ける」ということが無ければならないのだ。

 ……しかし、これは難しいことであるということは、理解はしておくべきだ。
 そもそも、最近の平日を振り返ってみるがいい。22時~23時帰宅ばかりである。

 ほぼ寝るだけ。

 土日にイベントがあるときは別としても、まぁ、昼まで寝たりするわけだ。

 すると、日曜日にかけても、十分な活動ができなくなる。悪循環。


 今回の記事も中身がないが、目的はただ一つ、「書くこと」である。

あとがき

(かっこ書きである。酒をあおる。ああ、旨いな。しかし、飲みすぎると明日頭が痛くなってダメだろうな。良薬口に苦し、違うか。「ぐだぐだ」言ってるが、あれだ、「真剣さ」が足りないな。すまない。「明日死ぬとしても、今その行動をするのか」、この問いに、俺は十分に答えられないだろう。だが、今、こうして「書いている」ことは、否定しない、できない。ほんと、自分の7年、8年前の記事など、読んでもさっぱり分からない。だが、「何かは書いていた」のだ。――しかし、何故俺は、こうも「書く」ことに執着するのか。無執着が真理だと言ってなかったろうか。何故、「口に出す」ことではなく、「書く」ことなんだろうか。おそらく、ボイスログ、も、本質は同じ気がする。だが、「再現性」で書くことに及ばないからではないか。再現性というのは、確かに、そのときの声色的には、そっちのほうがいいだろう。だが、その再現の粒度ではなくて、「ばーっとよむ」ことができるから、書いておいたほうがいいのだ。どこでも読めるしな。いや、その媒体的な問題じゃなくて、なぜ、過去の自分の思考なんてものを重要視するのか、ということだ。でも、自分って、「記憶」じゃなかろうか。ふと、24時がまわって、静かな時間が訪れるが……「死」って怖いなと、やはり思う。そういえば、昼過ぎまで寝ているときに、そんな、死に直面するような夢を見ていた気がする。ああ……少し、落ち着いてきた。訳が分からない混乱が整理されてきたようだ。「死を思う」ことが、少しだけ、明確性があるのである。仕事を頑張る、ことは悪いことではないだろう。しかし、「訳が分からない」ことなのである。誰のための仕事なのか、何のための仕事なのか、これが何の役に立っているのか、分からないことだらけだ。しかし、「死」だけは、自然だ。明確だ。明らかだ。分かりやすい。だからイイ。誰にも、平等に訪れるであろう死は、とても素晴らしいものですらあるのかもしれない。「ある。」と、書ききってしまいそうだが、「蓋然性」を書いた。死が素晴らしいものであろうなどと、まったくもって、害悪である。失言である。断罪される。しかし、そういう意味ではないのだ。「死を思う」ことは、生きていなければできないことなのである。「死」という概念は、「生」があってこそ成り立つのである。――ここまで、2時間ぐらい費やしたろうか。ようやく、「戻ってきた」。思考している感じになってきた。ああ、ほんと、この記事の本文書いているときはつらかったわ。まぁ、その、2時間かかるのか。やる気がなくても、2時間かければ、段々戻すことはできるのか。しかしコストパフォーマンス悪いな。23時帰宅して2時間はかけられんしなぁ。昼過ぎまで寝てから、家事も何もされてない状態で、2時間使う気にならんしなぁ……っと、そういう分析もようやっと、できるようになる。よし、ここは、もう眠りにつくために布団に入り、筋トレをしてから、朝5時ぐらいに起きられたら続きを書いてみよう。きっと95%無理だろう)

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シロガネ⇔ストラグル
2019/07/24 19:40 | Comments(0) | 創作について
今日の一言「レビューのための下書きだ」

前書き

 みなさん、『シロガネ⇔ストラグル』という作品をご存じだろうか。
 オークやらエルフやらの異世界に、これまた全く異なる時空間で存在する異世界の英雄が、なんと3人も召喚される。そして、それぞれの世界における英雄たる力をメタ的に駆使し、エルフの王国を救うためにドッタンギッタンする作品だ。
 ご存じない方は、面白いから、すぐに読んだほうが良い。

 ここから読める


 しかし、手放しでお勧めできるかといったときに、もう少々、改善の余地があるのではないかと思うがゆえにこの記事を書き起こす。
 大作長編なことと、遅読過ぎて、いまだに最後まで読めていないため、ここで書くことが的を射ているかどうか分からない。そもそも、批評などというものに正解などないと思うが、そういう次元に至ることすらできていない(自分の感覚が定まっていない)ので、あくまでも下書きということにしたい。

前提として掴みはバッチリ

 上に書いた、なんともざっくりな説明のとおりであるが、何となく興味がそそられるだろう。
 しかし同時に思うはずだ。
「メタ、というが、複数の世界観を同時に一つの作品で取り扱って、整合性はとれるのか(世界観は崩壊しないか)」
 と。
 それは全く心配ない。
 5話ぐらいまで読めば、その作者の技量がすぐに分かると思う。その圧倒的筆力、表現力によって、これから始まるであろう壮大な物語を感じずにはいられないはずだ。

一話の構成が気になる

 しかし、気になった点がある。
 これは、作品自体というよりも、投稿するという媒体にゆえんする気がするため、書くべきか悩んでいた。

 しかし、悩んでも仕方がないし、そもそも、「激辛批評」という、もうそれは率直な、忌憚ない意見が必要である作品であれば、書くべきだろうと思った。

 前置きが長いが、要は、「一話」の構成についてである。


 そもそも、紙媒体の小説において、「1話」というのはあまり認識されないかもしれない。
 ただ、小説であっても「目次」はあるし、それにサブタイトル(小見出し)がついているケースは多いだろう。

 大体、ネットで投稿されている作品の1話は、諸説あるんだろうが、だいたい3000字ぐらいがちょうどよいとされる(要出典)

 だが、僕はそれほど文字数に拘る必要はないと思う。
 思うが、「1話」は、読者に「クリックさせる」ものであることを意識する必要がある。これは紙媒体と異なる点だと思う。(だから書くべきか悩んだ。悩んだけど、紙でも、「第1章終わり……」ってなったら、じゃあ明日また読もうかな、って思ったりしたりするから、無関係でもない気がする)


 回りくどい。
 要は言いたいのは、1話で、起承転結が完結してあるべきだ、ということだ。

 言うは易し。いや、ここで起承転結という表現が正しいか分からないので、少し説得力をもたせるために書籍(『工学的ストーリー創作入門』)を引用すれば、

 P.266にて、「カット・アンド・スラスト・テクニック」なるものが提示されている。
 ネーミングは正直、読み返すまで忘れていたが、「シーンか章の最終段落か、最後の一行で何か新しいこと、意外で魅力的な何かを提示して驚かせる。それがシーンの結論になるかどうかは場合によるが「どういう意味で、何が起きるか」に的が絞られると読者は続きを読まずにいられない」」とのことである。

 僕が書いている「1話」と、上の話がリンクするかどうかはもう一度よく考えてみる必要があるが、十分に「次に何が起きるか」を呼び起こさせられていない話があると思われる。

 通信装置か。間もなくここに敵Aがやってくる。
 だが、狙いは何だ? 玉座だと? そこに行ってどうするつもりだ?
 まぁ、いずれにせよ。
「……こちらの勝ち、であるな。」
「なに?」(敵B)
「時間をかけすぎである。本当に警戒すべきは小生ではないのだよ。」
 口角を釣り上げ、優美な笑みを見せる主人公C。
《なに……馬鹿な!》
 竜の細工より、敵Aの狼狽が伝わってきた。
「色は一つ。混じるものなし」話の、最後のシーンである。
 このシーンの前に、敵Bなる存在が、これまで優勢であった主人公Cに対して対抗策を講じ、主人公Cは、それに対して有効な手段を見いだせずにいる。要するにピンチに陥ったわけだ。
 それに対して、敵Bへの「こちらの勝ち、であるな」のセリフであって、さらに敵Aの狼狽でシーンが終わる。

 何が起きたのか、読者として気にならないわけはない。

 一方で、物語が進んでいるのか、何か変化があるのか、どういう意味なのかが、よく伝わってこない話もあるため、そのあたりを、他の話にまとめたり、カットしたり、別の個所に移動したり、工夫ができるのではないか、ということである。といったところで時間切れ。

後書き

(かっこ書きである。「もっと面白くなる気がする」と思う。だから、ちゃんと書きたいと思った。しかし、「時間をかければ満足のいくものができる」という思考は、人生という有限をもつ僕らにとって、有害でしかないのではないか。まぁそれはともかく、早く最後まで読めっちゅー話である。――補足、「絢爛道化芝居」まで読む。面白い)

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ゲームだけではない
2019/07/22 05:29 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「免除規定……全部がそうとも言い切れないが」

前書き

 前回記事が、「ark楽しすぎてヤバイ」だったので、ルーチン更新もせずに遊んでいたのだろうと思われたことであろう。

 違う、と、明確に言えたらいいが、絶対にできなかったか、と、自分に問いかけると、あいまいな返事となるであろう。

 ただ、土日の家に(一人で)いる時間が少なかった、という点で考えると、免除規定といえるだろう。


 ただ、言い訳がどうであれ、久しぶりに書くとなると、もう書くスピードが、思考のスピードが、格段に目に見えて落ちるのである。
 もう少し、免除規定の適用も厳格にやったほうがよい気がした。
 とにかく、今回の記事は、近況を書いていくのに終始するだろう。

近況

 arkやる。
 旅行行く。
 シロガネ(小説)読み進める。(第二次侵攻を過ぎたあたり)
 仕事大変。

 振り返ると、これ、である。
 ううむ……。もっと書くことあるような。

 しかし、平日は、久々に読んでみようかと思ってアマゾンで買った本を、すっかり買ったことを忘れて返品になったとか、新しい経験をするほど、思考に余裕がなかったといえる。


 以前書いた通り、100%のうち、60%ぐらいで問題を処理できるのが望ましい。
 余裕をもって対処したいものである。
 だから、その、100%を高めておくことは必要だから、成長も、貢献心も必要だと思うのである。

 やはり思うのは、「出世したい」とは思わない、ということである。
 その、60%で処理できるようになるために、出世したほうがよいなら、そのほうがよいと思うが、その選択は、常に100%を求められるようになるんじゃないかと思うのである。

 ここで、熱血には、「120%を目指してこそ成長するんだよ!」ということかもしれないが、馬鹿か、100%は絶対なのである。100%を超えたら数字の意味がなかろうが。

 まぁ、60%という数値も適当なのであるが、要は、自分の限界ギリギリを発揮しつつ、それで成功するかどうかも五分五分的な状況がずっと続くというのは、どうにも、モチベーションと精神状態の維持に不適切であると思うのである。

100%発揮しているのか

 じゃあ、先週、先々週は100%だったのか、と問われたら、まぁ、100%という数値をたたき出す自体が、余裕が一切ない状態ということで、まずもって次につながらなかろう。

 余裕、ゆとりと書いてもいいが、じゃあ例えば、睡眠時間が4時間なら、100%なのか、ということである。
 諸氏においては、徹夜でやることも可能な方もいるかもしれない。それに比べたら100%ではなかろう。ただ、そういう問題でないのは明白だろう。

 とかく、自己評価するならば、89%ぐらいではあったろうと思う。
 目標の、60%をはるかに超えてはいるのである。

 まぁ、ボーナスも入ったし、その額も昨年よりも増えているし、残業代も相応額が出ているし、給与面に不満はない。

 ないが、それよりも、もう少し、やるべきことが少なくなってくれたほうがよほどよい。
 よい……し、別に、じゃあ、他の同じ世代の人たちと待遇がさほど良いかといえば、別にそういうわけでもなかろう。


 いや、そういう問題でもないか。
 とにかく、お金があっても、特に使い道がない。(と、書くと、さも、たくさん余っているようであるが、そういうことでもない。単に、平日家に帰って寝るぐらいだと、インフラと食費ぐらいしか使い道がなかろうということだ)

何か他に書くことはあるのか

 30分過ぎた。
 明らかにペースが遅いし、気持ちが乗らない。

 そう、そもそも、ブログの週間更新についても、忘れていたわけではなかったのだ。
 だが、やる気が起こらなかった、というのが正しいだろう。

 免除規定は、100%言い訳とはいえないが、まぁ言い訳な気がする。書くための、30分ぐらいの時間は、先週も、先々週も、取ることはできたはずなのだ。

 だが待ってほしい。

 確かに、使う時間は30分かもしれない。
 しかし、その30分に至るまでの、助走時間についても考えなければいけない。

 電話をかけて、顧客に不利な条件というか内容を、納得させないといけない仕事があったときに、その電話自体は1時間で済むかもしれないが、それに対しての準備は、到底1時間では済まない、という話である。

 まぁ、そういう仕事を最近している。
 なんかこう、お互いハッピーになるような道筋があるようなことだったらいいが、お互い、いやな気持ちになるしかないような仕事を最近している。

 勉強にはなるが、つまらないというか、精神的にはダメージは多い。
 サイコパス(他者への共感が欠如)だったら向いている気がする。
 いや、むしろそういう気持ちで臨んだほうがよいのかもしれない。

 数をこなせばなれていくもんなのかね。

あとがき

(かっこ書きである。今回の記事……短いからすぐ読めるけれども、短い上に、内容がない……。いや、じゃあこれまでの記事が、長くて濃密なのかといえば、そういうことではないが、少なくても、「鬱屈度」の表現としては高かったと思う。「感情」があった。「いらだち」があった。「負のエネルギー」があった。――今回は、そういったものも少なかったと思う。ただ、「いやぁ……ここで今日すら書かなければ、また数か月の更新ストップになりそうだな」という思いから、「繋ぎ」としての思いがあった。そして、その結果自体は、間違いではない。絶対、短くて内容が薄くても、書いたほうが良い。それは間違いない。いやだって証拠として、書くことが久しぶりだと、タイピングすら遅くなっている気がする(かっこ笑い)。というか、思考が断裂している感じがする。頭が回っていない。感情を引き出せていない。気持ちがのってきていない。ゾンビになっているようだ。だから書かないとダメなのだ。ダメなのだが、「よし、来週の土曜日は、予定通り書くぞ。書くための時間も、ちゃんと、1時間以上も確保しよう」とまでは、今は、全然思えていない。筋トレも、続けてはいるものの、「よーっし! やるぜ!」という気持ちではなく、「めんどくせぇなぁ……でもルーチンだからやるか」的な感じである。――まぁ、やる気はともかく、続けていることは大事である。――いやいやむしろ、ルーチンってなんで大事かというと、「めんどくせぇ……」というときにも、一定程度の作業ができるというメリットである。やる気があるときにやれるのは、当たり前なのだ。やる気がでないときに、どう自分をコントロールするか。それが大事なのだ(きりっ)。とか書きながら、別にやる気が起きるわけでもないという。ううむ……しかし、来週の自分に期待したい)

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創作進捗グラフツールv1.1
2019/07/08 02:22 | Comments(6) | 思考及び書くこと
今日の一言「ゲーム漬けだった」「文字数ツール最新版を公開してなかったかも」

文字数カウントツール

たすけてくらはい

 天から声が聞こえたので、考えてみる、が、具体的な症状が分からなかった。
 実際のファイルを送っていただければすぐに分かると思いながら……そもそも、新しいツールで始めて頂くのはどうでしょう! と思って、過去記事を探す。

 あれ、v1.0はあったけれども、最新版だろうv1.1が見つからなった。

創作進捗グラフ作成ツールv1.1


 ↑ということで掲載。タイトルは、「メニュー」シートの項目を設定すれば、シートを追加しても反映される設定だったはず。

(試してみる→反映された。おお、割とちゃんと動くじゃないか。ただ、月間累計とか、なんだこの機能、シート消してみるか、消す、バグる、といった、まぁ、ユーザがどんな操作しても大丈夫、ってわけじゃあないみたいだ。まぁ、フールプルーフ(想定外の操作しても大丈夫なように設計すること)を作りこみすぎるときりがないしコスト(費用・時間……ここでは費用は発生しないから時間だけだが)が必要機能に比較して割に合わなくなったりする)

ルーチン更新忘れてたごめんなさい

 そして、まず、反省せねばなるまい。
 こんな時間(午前1時)に書いているのは、言い訳できない。

 この土日は、ゲーム漬けでしたすみません。
 24時間ずっと、というわけではないけれども、食料調達と洗濯したぐらいで、起きている時間はほぼゲームしていた。

 起きている時間、というのも、昼寝というには長すぎる――9時から15時からとか、昼夜逆転的なこともしており、今何時かよくわからなくなった。何時かわからない、というよりも、眠るべき時に眠れず、眠りたくないときに眠かった。

 眠気はもうどうしようもないが、しかし、遊びまくったのはどうだったのか。


 まず、何を遊んでいたかというと、「Ark」というゲームだ。Steamでダウンロードできる。
 マインクラフトみたいなサバイバルゲームだが、なんといっても魅力は恐竜たちだ。

 裸一貫でとある島に投げ出されたプレイヤーは、まずはピッケルを作り、石やわらを手にすることで拠点を作っていく。焚火など、火の取り扱いは重要だ。
 マイクラと違うのは、水分の要素もあること。割とこれも重要。水辺の生活では気づかなかったが、いざ少し冒険に行こうとすると、脱水症状に悩まされる。じゃあ川にいって水を飲もうかとすると、巨大なワニや大蛇に殺される。


 いやほんと、めちゃくちゃやることが多いし、どう攻略して、大事な拠点を守りながら生活圏を広げていくかを考えるのは超楽しかった。

他にやることないんかい

 と。
 この文章を書くまでは、正直、「遊びすぎた……勉強も、小説も読めてない、ダメダメだ……」と、かなり罪悪感で落ち込んだ。

 たぶん、まだ眠くならないので、明日の仕事にも差支えが出るかもしれない。社会人としても失格だ。ダメなやつである。


 が。
 上の、ゲームのやったことを書いて、俺は思った。いや、ふつーに楽しかったぞ、と。

 確かに、いい歳の大人が、ゲームで昼夜逆転生活なんて、何やってんだ、ということである。


 だが、しかし、正直、めちゃくちゃ夢中になっていた。
 こんだけ夢中になるってのは、モンハンとか、三国志シリーズ(13は、1万円ぐらいで買った割に、いまだにプレイ時間10分である……)のときとか、GTA5とか、まぁ色々あったかもしれないが、久しぶりである。

 いやこれは、ゲームがやはり、ただの暇つぶしじゃないことの証明である。

ゲームやるために生きている

 中学生(小学生)ぐらいから、何で生きてんだろ、的なことを思い始めたということは前々からかいたことがあったと思う。そんな時期に、
「そうだ、ボクは、楽しいゲームをやるために生きてるんだ」
 なんてことを思った。

 今思うに、めっちゃ恥ずかしいのかもしれないが、しかし、部活的なのではいじめられ、失恋したりで、現実はクソつまんなかったので、仕方がなかったかもしれない。

 現実がクソ楽しかったら、ゲームはきっと単なる暇つぶしでしかなかろう。


 まぁ確かに、後ろめたいというか、健全さに欠けるだろうが、だが、「夢中になる」というのは、とてもとても、大事なことである。

 著名な精神科医、シロクマ先生も仰っている。
「次のライブのために生きている、週末にアニメをみるために生きている、そんなんだっていいじゃない」と。

 クソ真面目に、「生きる意味」なんてのを考えずに、次から次へと、めちゃくちゃ「夢中になれる」ものをトッカエひっかえ得続けていけば、それが十分「生きる意味」だろうて。

いや違うバランスが大事

 違う。
 それは、難しい問題だ。
 上のシロクマ先生をさらに引用すれば、「オタクであり続けるのも体力がいる。難しい」と仰られている。

 年齢的な、精神・身体の変化は、非常に重要だ。

 そのときに、何か一つに夢中になり続けるというのは、いざそれへの興味が失われたとき、取り返しがつかない場合がある。

 分散投資。これが人生の方策の基本方針である。



 そして何より、身体が大事。健康が大事。
 規則正しい生活を送って、睡眠時間をしっかりとることは何より重要だ。
 ――が、しかし、まて、規則正しい生活は可能なのか?


あとがき

(かっこ書きである。いつもいつもまとまりがないな。いやだが、一度布団に入ってから、案の定眠れずに、あああそうだ、ルーチン更新してねえじゃん、と、そのとき何を書こうか思ったのは、そのゲームやりまくってすみません、ということだった。というわけで、まぁその、目的達成である。あと、歯が痛い。先週後半から。黙ってると大丈夫だが、何か冷たいものを食べたり飲んだりするとしみる。痛い。困ったなぁ、虫歯じゃなきゃいいが。この前歯医者いったときは大丈夫って言われたのになぁ。――で、そう、先週の話だ。仕事がんばったのである。大分危険な状況だったのを、「ふつー」に持ち直したといってよい。とある関係者からは、「君の話は中々分かりやすいね」と言われたりして、よかった。分かりやすいのは、自分が、中学生レベルぐらいの内容にかみ砕かないと理解できないからである。あと、全部自分の言葉で置き換えて理解しているからだ。それぐらいまで、くそ面倒なことをやっているから、まぁ時間がかかって、昨今のぐろーばるですぴーでーな世界では合わないのであるが、まぁ、イザという場では役だったりするのである。俺のやり方が間違っているわけでもないが、すべてにおいて最適解でもない。そこら辺をいかんとするかというのも考えて対応しなきゃならんが……大変だな。そう、大変なのは、規則正しい生活とか書いたが、そもそも、予想・予定通りに仕事が進まないのもよくない。話の進め方によっては、まったく違う方向に進むかもしれないのだ。そもそも、何をすると正解かも決まってないような話も多い。たびたびかかってくるクレーム対応も、簡単ではない。簡単ではないが、いくつかこなしているうちに、ある程度自信にはなったかな。それは良かったことだと思う。――思うが、こればっかりは、慣れるもんでもない。解決できるだろうある程度の自信はついても、それは絶対じゃないし、そもそも怒り狂った人の相手をするのは疲れる。――しかし、ぜんぶとはいわないが、その怒り狂った人たちの気持ちも分かる場合がある。そもそも、俺が最初から対応してたら、そこまで怒らせなかったのに、というような、クソみたいな対応をされた人が回ってくるのである。かわいそうだなとも思う。それが逆に、逆にというか、俺の精神を病む。かといって、同情の余地の必要のない、ただ怒りたいだけの人の相手も、それはそれで疲れるし、とにかく……疲れる。ああ疲れる。――ってな感じなのが、土日の他に何もやりたくねえモードを作りだしたともいえる。そういう風に説明(言い訳)すれば、まぁ、仕方がなかったともいえる。ああなんと壮大な言い訳か。そして、俺はいったい、誰に言い訳をしているのか。まずは自分だろう。まずは、自分さんが、「お前は小説も読まず資格の勉強もしなければ部屋の片付けもせずに何をやっとんじゃあああ!」お怒りだったのだ。僕も大変なんです……許してほしい……。許してくれ、というと、自分さんは、「お前さ、そもそも、仕事が予定通りにいかないとか、それも甘えだからね。予定通りにいかないことも踏まえた予定を立てないからいけないんだろ。それに、もっと時間を意識して、つめられるところはつめてけば、もっと早く帰れるだろ」とか言うのである。おっしゃる通りだが、しかし、じゃあ、早く帰ればいいかというとそういう問題でもない。確かに、明日にまわしてもいいこともあるかもしれないが、結局、気がかりな案件を残していると、家に帰るまでも、帰ってからも気がかりなことが消えなかったりする。そうすると、家でも十分な精神休養が取れない。――それだ! 書いておこうと思ったのは、時間的拘束だけじゃなくて、精神的拘束がつらいんだ、ということである。……詳しくは、もしまだ覚えていたら今度書こう)

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