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コメント返信(加古歩さんへ)
2020/02/16 01:43 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「スマホからなど違う環境でも書けるようになった方がよい」

まえがき

 最近、休日、よく寝てしまう。何時間も。たまに目が覚めてトイレに行ったりするが、戻ってきたらまた寝てしまったりする。目を覚めさせようと、漫画を読んだりする。しばらく読んでいて、そしてまた眠くなって寝たりする。勉強のための本(テキスト・参考書)を読んだりする。眠くなって寝る、そんな繰り返しで、もう日は暮れている、というのが続いている気がする。

 明日は、せめて、8時ぐらいには目覚めて、何か有意義なことをしたいものだ。

コメント返信

忖度も気遣いも同じようなことで
相手がこう思っているだろうな、という推測の元の行動であり(というか忖度というのはパワーバランスが一方に傾いていて、弱い立場にいる人がすること)、本当かどうかは動いてみないとわからないことでもある。
そして仕事でも同じ。
新しい仕事を始めた時は
「~しといて」といわれても、
と、わからないことだらけであり
間違っていたり、失敗したら困るので
あんまり動けない人が多いと思います。(てか、僕もそうです)
だから僕は仕事に関して
「考えてやれ」というのはある部分では宜しくない言動だと思います。
というのも仕事に関する情報が少ない場合であれば
考えて行動するための元がないということになりますからね。
ただ、ある程度、慣れている人に関しては
考えてやって欲しいという希望や期待というものが
生まれるということに関しては否定しないですが。
だから、本来(希望か期待か)はできる人ができない人に対する理解を示す
という行動、思考が必要なのだと思います。
それと最後にあとがきに対しての返信ですが
ある次元においては
生きる意味のないことは分かっていると仰っていました。
それを見る前は
次の結論部分を書き込むことを躊躇っていたのですが
書き込んでもいいかなと思えました。
次の内容としては
「葛藤」についてですかね。
 人の本質・性質の6要素たる、強者は弱者に配慮する、と関連する内容に思いました。
 完璧な行動を相手に求めるということを、仕事を教えるということであるならば、それはもうプログラミング、ロボットの方が適しているということになると思います。RPAという、パソコンでのルーティン操作を自動化してくれるソフトウェアも広がりを見せているようです。

 判断をする、というのは、確かに人間の最も人間たる能力であるように思えますが、僕はそれには懐疑的な面があります。受動意識仮設とか。無意識が意識に与える影響といったフロイト氏の話ではなくて、物理的接触が多いほうが親密になるとか、そういった人間の機械的(物理的)な面の話に惹かれるものがあります。

 かといって僕は、人の情緒的な面を捨てきれない、というか逆に求めている面があります。
 要するに、人間という存在については冷酷であると思いながら、人間の理想というものは信じているという、相反する心情というわけです。

 仕事の話に戻せば、「考えてやれ」というのは、もう少し分解できる言葉に思えます。
 あ、その前に、仕事の場合、「答え」がある場合と、ない場合があり、果たしてその上司同僚たる人が、「考えてやれ」と言って指示したのは、まずどちらかを考える必要があります(――という、考える前に考える必要があることを、実は教えてくれる人は少ない)。

 答えがある場合は、その答えにたどり着くための方法を「調べろ」という意味に分解できます。答えがあるのだから、「答え」を考える必要はないのです。答えにたどり着けばいいのです、それが求められていることなのです。でなければ、答えを教えてくれたらいいのに、あえて教えない理由がありません。

 答えがない場合――もしくはその指示した人自身が持ち合わせていない場合も往々にしてあります――は、答え自体を作ってほしいということです。もしくは、答えにする(要するにこれが判断するということ)ための材料を集めてほしいということです。

 ロボットの話につなげると、答えがあることについては、さっさとプログラミングするかRPAに教え込ませて、自動化したほうが、引継ぎで面倒なことになるとかそういったことも防げて、どんどん人がいらなくなって効率化するでしょう。

あとがき

(かっこ書きである。時間切れのため強制終了。「葛藤」ということについて、次回書きたい)

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さぼり癖がつくとなおすのが大変(数字について)
2020/02/15 00:23 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「21時ぐらい帰宅」

まえがき

 眠いんだな、これが。
 早く帰ってきたが、今日は少し遠いところで外食したがゆえに、疲れたというのもある。
 本気で眠い。

 そうだな、仕事して遅いのと、飲み会で遅いのと、どこか寄り道(買い物)して遅いのとでは、疲れが全然違うな。実は仕事のほうが刺激が少ない(運動量が少ない)から疲れないのかもしれない。

本題

 書くことがないぞ。消費者物価指数と企業物価指数について書こう。

 どちらも、景気動向を知るための統計情報だ。

 消費者物価指数は、総務省が毎月発表している。

 企業物価指数は、日銀が毎月発表している。

 毎月、ということで、見てみると、消費者物価指数については、前年同時期に比べて、0.8%増ということだ。
 企業物価指数については、前年同時期に比べて、1.7%増ということだ。


 ふーーーん!!!(棒読みッ)

 あんまり、数字に強くないんだよなぁ、俺。
 もう少し、数的に何か、ほら、新聞とか読んで、「ふむふむ、なるほど景気が回復傾向だな」とか言ってみたいじゃん! そういうの、分からないんだなぁ。

 例えば、今、記憶している数値としては、生活保護世帯が、200万ぐらい。日本の人口は1億2千万。世界は80億に近づこうとしている。交通事故死者数は一時期3万人ぐらいだったのが、今は1万人を割っているはずだ。自殺者数は、3万人を超えていたのが、最近は2万人代になっている気がする。

→答え合わせ

 世界人口:75憶人(大体あってた)
 日本人口:1億2千600万
 生活保護世帯数:160万(結構ずれてた。多いときは200万ぐらいだったみたい。人は現在200万人ぐらいで近かった)
 交通事故死者数:3000人だった。全然違った。最高時期も17千人ぐらいだった。
 自殺者数:一時期3万5千人だったのが、今は2万人を切っているぐらい。これは大体あってた。

 交通事故死者数が大きくズレていた。へー、3000人ぐらいに減ったんだね。1970年あたりがピークだったとのことだが、50年ぐらいで、これは大きな成果だと思う。
 交通環境(道路など)の整備。車の性能アップ。人の意識(マナー)向上。医療技術の進歩。医療提供体制の向上(ドクターヘリとか)。

 いろいろな原因があるのだろうが、単純にいいことだと思われる。

 それでも、悪い面に目を向ければ、飲酒運転はいまだにする奴らがいるし、池袋の暴走事故とか、痛ましい事故も起きている。よく考えれば、年間3000人だって、月で割ると、250人ぐらいになる。日で割ると、毎日8人ぐらいが、交通事故で死んでいるのだ。24時間で8人である。時間で割ると、さすがに小数点になるが、6時間ごとに1人死んでいるということだ。

 6時間で1人死ぬとなると、さすがにまだまだ安全じゃないんだな、という気になってくる。

 しかし、どうか。そうすると気になってくるのが、出生数と死亡者数だ。
 出生数は86万人、死亡者は137万とのこと。

 1日3000人以上死んでいるのである。これは割と昔も「えええ!」と思ったことがあったが、実態なのである。

 ということは、交通事故で、毎日10人近く死ぬことがえええ、と思いながら、交通事故で死ぬ人は、全体の死亡者数でみると、事故死者年間がたった1日で達成されてしまうのである。

あとがき

(かっこ書きである。「で?」っていう記事になった。そう、だから、数字は、こうやって敢えて思い起こすレベルでは何にもならんのだ。常に頭の中にインプットしておくぐらいで、当たり前のように使うぐらいでなければ。統計をみて、「ふんふん、なるほどな」とイケるようになるには、まず、「基礎数字」を押さえておかなければならない。確か、フィンランドは、人口600万人ぐらいだった記憶がある。するってーと、確か東京都は1200万人ぐらいだった気がする。するってーと、フィンランド国の2倍の人口が東京都なのだ。すごい気がする! しかしこれが、東京都の人口を覚えていないと、フィンランド600万とか情報があっても、へー、ぐらいにしかならない、というわけだ。――しかし、「2倍だすごい!」という感覚以上に、何か得られるものがあるのかは不明だ。「で?」っていう。せいぜい、身近な数字といえば、資産(貯金とか)の残高ぐらいか。他に、何か、気になる数字ってあるだろうか。あー、電気料金とか? 最近エアコンをフル稼働させているが、5000円未満である。高いといえば高いが、それなりに使っている意識があるから仕方がない気がする。気になるのはガスである。電気を超えて高い。湯舟にお湯をためたりすると、それだけで結構イクのである。でも、シャワーの日も割と多いから、何故こんな高いんだという気になってくる。1日200円ぐらいの計算になる。やっすぃ銭湯でも、200円ぐらいのところなかろうか? さすがに、ないか。いや、というか、湯船につかるのは、先月とか、10回もなかったような。そう考えると高いなぁ。まぁ、他にも料理(お湯わかすぐらいだが)に使ったりもしているが、それにしても……。オール電化の住宅が魅力な気がする。災害の際のリスクヘッジでガス……というのもあるが、キャンプ用品のガスバーナーとかあれば一時的には大丈夫そうだしなぁ。そんな長期間になるようなら、ガスであっても何等か影響が出そうだし。――ああもう、居酒屋で世間話する風にどうでもよい話で長くなったな。とりあえず、数字は大事な気がするが、しかし、実際どう役立てるのかはよく分からないという結論で何となく終わる)

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さぼってしまった
2020/02/13 23:33 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「22時ごろ帰宅」

まえがき

 諸事情により、何日か更新をさぼってしまった。
 いつもと違う動き・生活であったというのは理由として挙げられるけれども、24時過ぎに帰ってきてからも更新していたことと比べると、十分な理由ではないだろう。ただ、それ故に体調がよくなかったという、まさに、言い訳としては成り立つかもしれないが……。

 ちなみに、筋トレもさぼってしまった。今日からちゃんと復帰する。

 直近、メモとして、アマゾンプライムで見ることができるアニメ、「ID:INVADED イド:インヴェイデッド」、これは久々に「かなり」面白い気がする。一切前評判なしに何の気なしに見始めると、たまに掘り出し物に出会うことがあるが、そういう感じ。

本題

 本題もなにも、書くことがないんだなぁ、これが。アセット・アロケーションという言葉を学んだぐらいか。
 アセット:資産
 アロケーション:配分
 ということで、投資のポートフォリオのようなもの。ポートフォリオは、銘柄の指定まで含めた概念のようで、アセット・アロケーションは、株式・債権といった大きな分類による配分のことだ、というざっくりと記憶することにした。正直、違いがよく分からない。

 法治主義と法の支配の区別も難しい。前者は法を文言通り画一的にとらえて、後者は、その立法主旨も考慮するという違いという理解。

 精神哲学における、唯物一元論と物理主義の違いも難しい。後者のほうがよりラジカルであるといった印象。

 知らないことが多い世界である。
 何を知れば、理解したことになるのか。
 そして、人は忘れる生き物である。上のようなことを覚えていて、10年後に忘れていたら、どうだろうか。その知識は、なんだったのか。その知識によって構築された自分自身は、どう変わったのか、どういう意味があるのか。アメンホテプ4世のことを、今なんとなく思い出すことができたが、それがなんなのか。テルエルアマルナ……だっけか。エジプト首都を変えたのだ。(書いてから自信なくて調べたら、だいたいあってた)
 ただ、それが何だというのか。

 何が正解か、俺は全くよく分からない。
 ただ、「記憶」ということが、大事であるという気持ちは最近ある。
 要は、なんでも調べれば、上にかいたようなことも、もっと分かりやすく掲載されているのだ。インターネットは、まるで自分の脳の一部のように使うことができるのだ。

 だが、それはそれ。
 外部記憶に過ぎない。自分の、生体コンピュータにインプットされた情報ではない。
 頭に一度はいって、すぐに出ていくだけのものだ。要は、電車の中で会った(通り過ぎた)たくさんの人程度の情報でしかないのだ。

あとがき

(かっこ書きである。要は、勉強は、大事だと思う。ただ、その勉強の方向性がよく分からない。まぁでも、取りあえず自分が面白いと思ったことを、ただその場限りの感情にするのではなくて、ちゃんとインプットするということでいいんじゃないかと思う。そのために、ブログとか、日記とか、他者に話すとか、そういうことが大事なんだと思う。――むっちゃ面白くないことを書いている気分で赤面しながらそっとブラウザを閉じる)

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早く帰っても疲れている
2020/02/06 22:42 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「21時ぐらい帰宅」

まえがき

 まぁまぁ早く帰ってこられた。が、だからといってフルに開放感、というわけでもない。土日などにやや予定あり。ゆっくり休んだり勉強したりしたいものだが……。

 帰ってきて、「オッカムの剃刀」という言葉を調べていた。
 ある事柄を示すのに、必要以上の仮定はすべきではない、とのことだ。シンプルがよい、ということか。……なんかもっと含蓄がある言葉な気がするけれども、深い理解ができない。

 ああ、そういえば、魔法少女まどか☆マギカの新リリーズ、マギア・レコードをアマプラで3話まで見てみた。気になる……気がする。が、1作目のほうがなんか、その不思議な世界観が面白かったような。なんか、2作目(?)は、ペルソナ4的な、そんなノリを感じる。神社の謎を調べる話とか、そんな感じに思えた。

コメント返信

 なんと嬉しいことに、さらにコメントを頂いたので、過去(になってしまった)コメントへの返信はお休みし、直近コメントに対して返信させて頂く。
修正をお願いできないでしょうか(削除的な意味で)。
 対応しました!

またかと思ってたんですが、今回は長かったですね。
待ってました。治ってよかったです。
ぼくが死んだらぼくのPCのデータ削除は
 削除はしたことにして、転用させて頂いたりして(笑)。
(某個人情報流出事件を揶揄)


あとがき

(かっこ書きである。帰宅したときに、帰宅するまでに、ブログのネタ何か考えとくのとか。しかし、帰ってくると、帰宅すると、ものすごい「リセット」感がある。この心境、わかるひと多い気がする。学校から家に帰った際とかも同じだった。そういう意味で、家ってのは、とっても良い環境なんだと思う。フラリーマンなる言葉もあるようだが、家に帰っても気が休まらないという家庭があるようなら、独り身のほうが断然よいのでは、と思う。しかし、子供は宝だ。子供がいないと、社会は回らなくなる。困るのは、みんなだ。――という科学的な理屈はともかくとして、東京の通勤通学時間帯のラッシュを見ていると、もっと人が減っていいんじゃないかという気持ちがどうしても優先させられる。まぁ、もっと、オフィスじゃない働き方が普及したら、別に人が減らなくてもラッシュは緩和できるかもしれない。電車を動かしたり、管理する人たちは、多少人が減っても、仕事量はあまり減らないだろう。ただ、収益は、定期券収入が大半なのだとしたら、あまり変わらないかもしれない。――なんか、機知に富んだことを書きたいが、眠いので以上として風呂に入ろう)

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ありのままでいるということ
2020/02/06 00:06 | Comments(1) | 思考及び書くこと
今日の一言「22時頃帰宅」

まえがき

 上司からの話に対して滅茶苦茶不機嫌というかマイナスの様相で返答をしてしまった。先日も、「そんなことまでさせられたら困ります」的なことを言ってしまった。めちゃくちゃ、イライラしていたのだ。タイミングが悪かったのである。別件仕事で上手くいかないことがあり、イライラしていたのだ。状況がよくなかったのである。

 そうして、うまくコミュニケーションが取れなかったことに、さらにイライラするという、「僕あるある」である。
「よい自分」
 を演じなければいけないという強迫観念があるから、そもそも、コミュニケーションが好きではない、という自分に対しての分析評価は外れていないと思う。
 ただ、アナ雪のようにありのままでいるわけにはいかないのだ。――いや、そもそもそういった表現が無限遡及なのだ。意味があるものではない。いやだって、ありのままでいいなら、「よい自分を演じられなくてイライラしている自分」のだって、ありのままで良いじゃないか、となるのだから。ありのままでいい、というのは、何も表現していないことに他ならない。せいぜい、「その局面では感情に従ったっていいじゃないか」レベルの話だ。

コメント返信について

 なんと嬉しいことにさらにコメントを頂いたので、過去コメントに対しての返信は、またお休みさせていただき、直近コメントに対して書く。


 それ以前の記事データはバックアップしていないものも多くあるように思いますし(かと言って全部ログのバックアップを取っていくか、というとそれも面倒)。
 それに、ログを取れているからといって、消失した部分の期間にもよるでしょうけど、全部投稿し直す気があるか、というとまた別の話な気もしてきますし。

 FC2ブログをご使用と思いますが、左下の方の、ツールのところの「データバックアップ」から、全記事の一括バックアップができますよ!(ご存じでしたらすみません)



 ただ、全部消えてしまった後に、再度アップロードするか、する気持ちになるか、というのは確かに別ですよね。膨大すぎて自分でも何を書いたか(読めば思い出すものもあるにせよ)管理しきれませんし……。

だいぶ前だったと思うのですが、「一定期間放置していたら自動的に各所へ自身の死亡(あるいは引退等)を伝えるプログラム(あるいはPCやストレージ内容の初期化)」みたいなものを見かけたことがありました。正常、というか普段の生活が維持できていて、生きて活動している間はその自動プログラムのタイマー設定を適宜引き伸ばして行く、という手動感溢れる手間のかかるものだったので自分でやろうとはあまり思えなかったのですが。

 面白い!! ――ですが確かに、手動感あふれてますね(笑)。

他にも、「ログイン画面が遺書や遺族・友人へのメッセージ的なものになっていて、本人しか知らないログイン操作以外の何らかの入力あるいは選択肢を選ぶと遺書やメッセージの続き、死亡連絡をして欲しい各所の情報などを表示しつつPCデータを初期化する」
 おぉ、そういった仕組みもあるんですね、面白い……と思いつつ、後者の仕組みは具体的イメージがわきませんでした(苦い笑い)。本人が使っていたサービスのログイン画面までは、何らかの方法で周囲の人がたどり着ける前提……ということでしょうかね。
 ――というよりも、「ログイン」というのが、そもそもPCへのログインのことですかね。なるほどそれであれば納得。PC初期化までする、というのは、ミッションインポッシブル的で面白いですね!

 まぁ、死後に傷つけられて困るような大層な名誉などないので、そんな心配は杞憂と思いながら、死後を思えるというのも、やや矛盾ですが生きているからこそですね。
 死んだらすべて無になる――という死生観だとしたら、死を恐れることすら不要なはずなのに、死後を憂う。不思議な気がします。

あとがき

(かっこ書きである。「死」という話が出たが、おそらく、仕事なんかしているよりも、もっと、もっといえば、最も重要なんじゃないかと思うぐらい大事な概念に思える。トップダウンで考えろとか、ゴール(目標)から遡って考えろとか一般に言われるが、最大のゴールってのは、「死」だと僕は思っている。これは割と早いころから。中高生ぐらいかなぁ。これは幸せなことである。日々死と隣り合わせの生活の場合は、そんな風に思うことはできないはずだ。死がすぐ目の前にあるのだから、今生きること、生き延びることだけが重要になるはずだ。一方で、安全が担保され、死が遠ざかったとき、人は何を望むのか。もっともっと死を遠ざけたいと願うはずだ。もっと安全に、もっともっと安全に。そうすることで、もはや、一日や二日ぐらいでは、死は誰にでもやってくるものだという自明の理を信じることができないまでになる。さぁどうしよう、それが現代病である。ところで、昨日、リアル知人に知らせる動機がないと書いたが、そういった心情を、分人的だとか、キャラだとか、選択的だとか、そんな風に、心理学や社会学ではいうようだ。そういう分析は、おうおうにして、異質なものに対する興味というか、批判的ニュアンスをもつような気がするのは被害妄想なのかもしれないが、「自分を使い分ける」ということ自体は、特段昔からしても、目新しいことではないように思える。家での顔、仕事の顔、父の顔、(親に対して)子供の顔、など、状況や他者によって、見せる自分というのは変わってくるのである。これは別に、新しいことではない気がする。いえることがあるとすれば、SNS等ネットによって、他者存在のバリエーションが増えて、同世代の中でも見せる自分が異なってくるような、そうした島宇宙化というかガラパゴス化というかは起こっているのだろう。それが即ち人間関係の希薄化に紐づけたいヤカラとか、リアルコミュニケーションが非リアルに勝る論者とか、そういうのは若者言葉で言えば「うざい」と思う。大人言葉で言えば、「面倒くさい」になるだろうか。意識高い系言葉で言えば、「無駄」)

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