今日の一言「24時45分ごろ帰宅」
けどルーチン更新はしなきゃなぁ、なんも思いつかないなぁ……なんてマイナス思考まっしぐらな状態でふと見てみると、なんとコメントを頂いていた! これは何と幸いなのだ! というわけで、コメント返信を本題とさせていただく。
ありますねー。プライベートでも(機会は殆どありませんが)あまり親しくない(知らない人)と付き合う場合などでも。もっといえば、お店の人相手とかでもあるかもしれない。
それは、おっしゃる通り、情報共有・情報交換が目的なので、それが達成できていない状況に気後れする、という現象なのだろうと思います。(もしくは、僕の場合は、「よく見られなければ」という強迫観念があることも気まずさの原因かもしれません)
逆に、ある程度関係構築できている相手とかだと、敢えて会話に参加しなくていいかなーなんて思えて楽というのはありますね。楽……なのがいいのか、というのは分かりませんが、少なくてもストレスは少ない状態でいられます。
あ、そうだったのですね。
私は、昔は……というか、今もその傾向があるといえばありますが、完全に分ける派でした。分ける派、というよりも、敢えて「リアルな面」に目を向けようとしていなかったというか。
アニメの声優さんとか、映画の俳優さんとか、全然知らなかった。素人も思わなかった。映画の俳優さんは、その演じるキャラクターそのものであって、俳優という職業のイチ人間であるとは思えなかった。
最近は、同じ作者や監督やらの作品は、どこか類似傾向があって面白い、という観点から興味をもつことはありますが、「だれだれが好き」というよりも、その作品が好き、という感覚が強いかなぁ。
触れていらっしゃるように、調べてみたら、自分は到底好きになれなそうな人だった、というのが判ったりすると、なんだか損した気分……というか、もったいないような気分になってしまうからかもしれません。
ああ、洋楽で気に入った曲があって、歌詞調べてみたら全然好みじゃなかった、とか、そういうケースと似ているかもしれません(笑)。
まえがき
疲れたー、遅い、もうやだー、明日も面倒なことが待っている、ゲームもできないつまんねー、けどルーチン更新はしなきゃなぁ、なんも思いつかないなぁ……なんてマイナス思考まっしぐらな状態でふと見てみると、なんとコメントを頂いていた! これは何と幸いなのだ! というわけで、コメント返信を本題とさせていただく。
雑談的なものについて
>仕事の関係で営業先で話をしている場合は、話題が途切れると気まずい思いをすることありますねー。プライベートでも(機会は殆どありませんが)あまり親しくない(知らない人)と付き合う場合などでも。もっといえば、お店の人相手とかでもあるかもしれない。
それは、おっしゃる通り、情報共有・情報交換が目的なので、それが達成できていない状況に気後れする、という現象なのだろうと思います。(もしくは、僕の場合は、「よく見られなければ」という強迫観念があることも気まずさの原因かもしれません)
逆に、ある程度関係構築できている相手とかだと、敢えて会話に参加しなくていいかなーなんて思えて楽というのはありますね。楽……なのがいいのか、というのは分かりませんが、少なくてもストレスは少ない状態でいられます。
創作者と作品について
>割と良く言われる話でもありますね。あ、そうだったのですね。
私は、昔は……というか、今もその傾向があるといえばありますが、完全に分ける派でした。分ける派、というよりも、敢えて「リアルな面」に目を向けようとしていなかったというか。
アニメの声優さんとか、映画の俳優さんとか、全然知らなかった。素人も思わなかった。映画の俳優さんは、その演じるキャラクターそのものであって、俳優という職業のイチ人間であるとは思えなかった。
最近は、同じ作者や監督やらの作品は、どこか類似傾向があって面白い、という観点から興味をもつことはありますが、「だれだれが好き」というよりも、その作品が好き、という感覚が強いかなぁ。
触れていらっしゃるように、調べてみたら、自分は到底好きになれなそうな人だった、というのが判ったりすると、なんだか損した気分……というか、もったいないような気分になってしまうからかもしれません。
ああ、洋楽で気に入った曲があって、歌詞調べてみたら全然好みじゃなかった、とか、そういうケースと似ているかもしれません(笑)。
>ただ、1つ思うのは、この手の話って逆のパターンをあまり耳にしたことないんですよね。「作品はつまらないけどその作者や周辺には好感が持てる」みたいな。
確かに! まったく聞かないですね。
まぁおっしゃるとおり、面白くない作品の作者を敢えて調べる、ということ自体しないからかもしれません。ある連続した作品(作者)を追っていて、最新作はつまらなかった、というケースがあったとしても、それは既に作者を知っている――面白かった時代があったからその作者を知っている、ということになるでしょうので。
あとは、友人同士で、作品が生じる前にその人となりを知っていて、そのあとにその人の作品を知って(読んで・見て)というケースはあるかもしれません。特殊な場合ですね。
2010年の世界線が収束するタイミングがあるのですか! どんな日なのか、どんな出来事なのか、気になります。
>逆に、今だからこそ得られている大切なものがある場合は、それを得られなくなる可能性も大きいであろう道が選べるかどうか……。
まさに、それが重要ですね。なかったことにしてはいけない――。
確かに! まったく聞かないですね。
まぁおっしゃるとおり、面白くない作品の作者を敢えて調べる、ということ自体しないからかもしれません。ある連続した作品(作者)を追っていて、最新作はつまらなかった、というケースがあったとしても、それは既に作者を知っている――面白かった時代があったからその作者を知っている、ということになるでしょうので。
あとは、友人同士で、作品が生じる前にその人となりを知っていて、そのあとにその人の作品を知って(読んで・見て)というケースはあるかもしれません。特殊な場合ですね。
タイムリープ
>世界線を変えられるとした時、大きな分岐点だと思うタイミング2010年の世界線が収束するタイミングがあるのですか! どんな日なのか、どんな出来事なのか、気になります。
>逆に、今だからこそ得られている大切なものがある場合は、それを得られなくなる可能性も大きいであろう道が選べるかどうか……。
まさに、それが重要ですね。なかったことにしてはいけない――。
あとがき
(かっこ書きである。眠気等により強制終了)PR
AとBという高校のどちらにするか、という判断を迫られていた時期があって、Aは進学校であり、私の兄が落ちた高校でもあり、「そこに行ければ兄より優秀」みたいな考えが浮かんで、そこに進んだわけですが、それから直ぐに中学時代に仲の良かった異性の子と再会して付き合うことになったものの破局したり、進学校故のリア充的空気や授業スピードについていけなかったりと落ちこぼれていき、その進学校が目指すようなところではない大学に1人入ったところで色々はっちゃけて未だに付き合いの続く友人が出来たりと、今の人格や環境が形成されるに至っています。
ここで、Bは兄が進んだ高校でもあり、付き合うことになった異性の子が進んだ高校でもあるので、Bに進んでいたら私は今頃どうなっていたんだろう、と思うことが未だにあったりするわけです。付き合いが長く続いていたのかな、とか。
同時に、高校Aでの出来事が大学の選択には大いに影響していますし、Bに入っていたら同じ大学を選んだか分からず、今でも大学時代からの友人らと出会えなかったら、と思う部分もあったりして。
バタフライエフェクトのような変動まで考えれば、仮に未来の情報や知識そのままにその分岐に戻れたとして、高校Bに進んで、今と同じ大学選択をした時に、同じように今の友人らと出会い、人間関係を結ぶことができるかも分かりませんし、今の友人らもかけがえのない大切な存在ですからね……。