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物資不足
2020/02/23 19:38 | Comments(2) | 思考及び書くこと
今日の一言「買い物に出かけて午前中に帰る」

まえがき

 今日の一言が、一言日記的になったな。
 マスク不足が深刻になって久しいが、広島県や富山県や長野県ではどうなのだろうか。
 東京都では、中々厳しい状況である。どこにいっても置いていない状況。

 先日から目も痛いし、体も痛いしで調子が悪かったが、花粉のせいだと思われる。アレルギーの薬を飲んだら、非常に好調になった。

 マスクしていても具合悪くなるから、花粉症対策にマスクが有効なのか疑問である。

 飛沫感染は防げる、のだろうが、であれば、できるだけ人がいないところで過ごしたほうがリスク低減である。
 家から出ない、これに限る。

 家に感染者がいたら、大変。

 ちなみに、「生活関連物資等の買占め及び売惜しみに対する緊急措置に関する法律」なんていう法律があるのだそうだ。昭和48年ということで、1973年……オイルショックのときに作られたものである。トイレットペーパーなくなった時期。

 そういえば、SARSのときもマスク不足ってあったんだろうか。2003年ごろだというが……全然記憶にないな。まだ親元でいたぐらいだから、家計物資管理してなかったからだろう。
 さらにちなみに、SARSもコロナウイルスが原因なのだという。コロナってなんぞ。コロナとは「王冠」の意味を持つラテン語由来らしい。

転売は悪なのか

 感情的には、品切れについては、新型コロナが流行る前から、マスクを日常的に使っていた身として苛立たしいことこの上ない。

 しかし、せっかくなのでこれを話題に落ち着いて、「転売」について考えてみよう。

 商品の価値とは、希少性にある。砂漠の水の論理である。東京都では水道局に毎月お金を払えば飲める。月額1500円ぐらいだと思う(2か月で3000円ぐらいな曖昧な記憶)。
 一か月何リットル使ってるんだろう? 湯舟にためてお風呂に入ると、一回15Lぐらいだろうから、15回湯舟を入れるとして、225Lぐらいは使ってるとする。すると、1Lは10円いかないぐらいである。

 それを基準として考えたとき、砂漠で1Lを1000円で売ったとする。100倍の値段だ。
 これは妥当なのか。

 他の例として、観光地に行ったとする。一般的なスーパーで200円ぐらいで売っているビールが、400円で売っていたとする。2倍だ。これは妥当なのか。


 今回のマスクの場合は、1箱500円(30枚入り)ぐらいなのが、1万円ぐらいで売られていたりする。20倍だ。妥当なのか。

 大正時代、スペイン風邪(インフルエンザのことらしい)が流行したときに登場した日本のマスクは、1つ3000円ぐらいだったようだ。使い捨てだったのかはわからない。空気をろ過する仕組みということで何回かは使えたのかもしれない。
 そうすると、30枚入りだと9万円である。割と、今やってる転売屋さんたちも妥当なのではなかろうか。

お金の価値

 僕が、投資や保険やらをやり始めたのは、特段、大儲けしたいとかお金持ちになりたいといった動機ではない。
 今の社会(経済(財・サービスの流通))からすると、預貯金だけでは資産を守れないからである。
 もちろん、元本保証がない……というのが、他の人たちと日常会話していると出てくる言葉であるが、なんだっけ、先日書いた、50年ぐらい前は、15円で蕎麦1杯食べられたのである。今なら、駅前のかけそば食べても、300円ぐらいはするだろう。20倍である。これを逆に考えると、お金の価値が20分の1になったともいえる。
 1970年に1万円貯金していたとする。蕎麦が666杯食べられた。
 2020年の1万円では、33杯しか食べられないのである。

 中学生ないしは小学生レベルの例えであるが、要するに、お金自体も成長させないと、同じ価値にはならないということである。
 せめて、物価上昇率ぐらいには、預貯金の利子もなって欲しいものである。

物の価値

 で、つまり、なんだ? と問われると、えーっとー、っと、どもってしまうが、転売は、不当だろうが、違法ではない(上の買い占め売り惜しみ法の対象にならない限り)のである。

 今は1万円ぐらいの値段がついているが、10万円、……さすがに100万円になれば、買う人は殆どいないだろう。そのうち、需要があるから増産されていって、値段が拮抗していく。それが経済の仕組みである。アダムスミスさんは神的に調整されると想定されたようだが、人間、悪い奴が多いと考えておいた方がルールとしては上手くいく。

 問題は、情報の均質化ではないかと思う。
 どっから仕入れているのかは分からないが、この店ではこの日当日入荷することを知っていて、開店前から並んでいる人がいる。どうやって知ったのか。僕は分からなかった。
 そういう情報がない人は、アマゾンでめちゃくちゃ高い値段で買ってしまうかもしれない。
 実は、近所のドラッグストアで購入できたかもしれないのに。

 でも、「いま、ここで、すぐに」必要なのであれば、いくらか高い値段でも、購入する必要があるのかもしれない。砂漠の水だ。今飲まなければ干からびて死んでしまうのであれば、マネーに糸目はつけられない。

 そういうのが、確か、カイジの漫画だったと思うが、ペソ? だっけ、独自通貨で労働者を経済させる話。あれ、面白いよね。単位をかえてしまうことで、ものの価値を見えづらくするのである。そう、だから度量衡大事。始皇帝すごい。

 だから、野放しの資本主義って、怖いと思う。
 んでも、それって、努力しない人が貧乏になって、ちゃんと頑張ってる(働いている)人が裕福になるって構図なのであれば、別に悪いことではないのではないか。働かない中高年というのが、問題になっているという。
 ダメな奴はとことんダメになって、裕福な人がちゃんと裕福に暮らすというほうが、競争社会、人類社会として素晴らしいのではないか。格差社会はだめだ、と言われるが、格差は本当にダメなのか?

あとがき

(かっこ書きである。時間がある程度あると、野放図に話が長くなるので、あとがきに無理やりもっていく。格差について、思うことをかけば、――その前にまず、人は隣の芝生を青いと思うというが、この諺の重要なところは、「隣の」という点である。遠くの豪邸は目に入らないのである。格差自体は、仕方がないと思う。というか、資本主義って要はそういうことだと思う。格差という言葉自体は、政治的な意味とか経済学的な意味がもしかしたらあるのかもしれないが、要するに「差異」のことだとすれば、資産の差異はあってしかるべきである。日本国憲法でも、経済的自由は保障されている。問題は、格差が広がることではなくて、その最低ラインの人たちの生活水準がすさまじく大変になることだと思う。みんなある程度裕福で幸せなら、その社会に、めちゃくちゃオイル・キング的な金持ちがいたって、別に構わないのではなかろうか。格差が広がって、生活できなくなるような人が増えることが問題なのだと、僕は思う。だから政治的、社会的ニュースというか議論は、その最低ラインが争われているのか、高水準の話なのか、まずどっちかなのか見極めた方がいいと思う。でもその最低ラインってのが、非常に難しいと思う。考え方としては、自分がその立場になったら、どうか、というのがあると思う。ちなみに思いついた山梨県大月市の生活保護基準(1人)をざっくり計算すると、第一累47663円+第二累90513円=138176円になった。まぁその、暮らせないわけではなさそうだ。家賃含むのか? 追加で調べると、生活扶助に加えて、住宅扶助ということで家の分もプラスされるようだ。するとなると、全然暮らせる気がしてくる。で、あれば、なぜホームレスやネットカフェ難民はたくさんいるのか。経済的困窮で自殺する人は、4000人(平成27年)もいるのか。話がだいぶ脱線しているので強制終了)

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コメント

(1)
マスクを転売するのは資本主義経済では正義だとおもいます。需要と供給によって価格が決まるのであり、転売屋はその役割を果たしているに過ぎないと思います。逆に転売屋がいなければ需要と供給に合致する価格で販売されなくなり、ただしい価格付けがされなくなり不自然です。
マスクの根本的な価値はそこまで高くないと思うので、私にとっての価値<価格となっています。もし、花粉症などで困っている人は本来マスクの価値が高いのであって、いままではマスクが過小評価されていただけであって、価値>価格の際に買えばそれでよいわけです。つまり、花粉症の私はマスクの本質的な価値が普段の価格よりも大幅に高かったんだなということを感じながら、古いマスクを洗濯しながら大事に使うというわけです。
ただ、医療関係者・感染者については、ちょっとまずいなと思うわけで、資本主義経済の中の転売屋は絶対正義ではないですよね。こういったケースについては別の方法で手当てするべきだとは思います。
そのために行政があるのかなと。資本主義経済+政府による再分配などなどによってバランスを保っていると思います。今回のマスク不足のため政府はマスク増産へのインセンティブを与えることで対応しようとしていますが、これがうまくいくかどうかはわかりません。ただ、完璧な仕組みがない以上、異なる仕組みを組み合わせることで最適なシステムを構築するっていうのはいい方法だと思います。完璧なシステムを構築しようとして、全然ダメなシステムを構築してしまうよりは(社会主義とか)。

(2)
格差社会について、わたしが問題だと思っているのは以下です。
1.社会的に失敗した人間が再起することが難しいこと(衣食住が失われる+そのために再起しにくくなる悪循環、住所がないと職を得られない、職がないと家を借りられない、詰みの1例)
2.高齢者向けの医療費用が掛かりすぎており、社会の維持発展へお金が回せなくなっていること

格差があっても、いくらでも再起可能で、最低限の衣食住が保証されていれば、わたしは問題ないと思っています。

2を解消し、1のためのセーフティーネットを構築するか、民間の努力によって衣食住の再分配の仕組み(セーフティーネット)を構築できないのかなって思う。

民間の努力でもセーフティネットは不可能ではないと思うんだよね。ある程度は。結構な数の空き家と廃棄される衣類・食料があるんだから。無職の人間が集まってド田舎の集落で暮らせる場所を作ったら、限界集落で不足していた人手が増えて、無職はバイトを得て(時々働けば生活していけるくらい生活費が低くてすんでいる)、みんなハッピーっていう事例もあるから工夫次第だと思うんだよね。衣類とか食料品はフードバンクっていう仕組みがあるんだし、もっと拡大できんのかな。

高齢者にかかる医療費の削減は、予防医学によってかなりできるんじゃないかって思っている。食事と運動といった生活習慣が本当にダメだと思う。前の職場の同僚を見ていて思ったし、家族を見ていても本当にそう思う(自分も病気で健康保険組合に1年半で300万くらいははらってもらったからごめんなさいとしか言いようがない)。自分を含めて、定期的な運動をして・食事・睡眠をとり・過剰なストレスを抱えないということは結果的に高齢化社会の問題をいくらか救うなと思う。これ、若いから何とかなっているわけで、年老いても同じことしていたらそりゃあ医療費がかかるわけですよ。これがすべてじゃないと思うけどね。せめて定期的な健康診断を受けて、問題があったら、原因となる行動を是正する。定期的な運動をする。睡眠・食事・ストレスを改善するといったことはしておかないといけなくなるようなインセンティブを与えるような仕組みづくるをしないとヤバイとおもうわけ。

毎日病院に通って待合室で友達を話すのが日常の老人が「医療費かかってつらい、年金減らすな」って話している一方で、年に数回しか病院に通わない健康な老人が高い健康保険料や介護保険料を払っているのって違和感がある。

https://www.nta.go.jp/taxes/kids/hatten/page04.htm

↑のページの年金は置いておいて、医療と福祉をマシにできるでしょ?というはなし。いま病気になっている人についてはもう仕方がないとしても、これから病気になる人はならないようにしてくれってこと。
posted by イミフat 2020/02/23 23:01 [ コメントを修正する ]
2.高齢者向けの医療費用が掛かりすぎており、社会の維持発展へお金が回せなくなっていること
を格差社会の問題としているのは、セーフティネットに行政がお金を回せないからです。そしてそれが格差社会の問題を増大するからです。わかりにくかったので捕捉しました。


(2)の医療費について追加で

健康的に生きることに対するインセンティブを与える仕組み、もしくはそれに気が付く教育・仕組みが不十分なのが問題だなぁとおもうんですが(前のコメントの続きで)、それとは別に、健康的に生きにくい社会になっているんじゃないかなとも思うわけです。

どういうことかというと
a.非生産的な職場(ビジネス)で、非生産的な労働のため長時間労働となると健康に気を使えない。
b.生きていくために必要なお金が多いor多いと錯覚しているから長時間働きたくなる


解決策は、生産性を高めようということ(+生産的なお金の使い方を学ぼう+生産性の低い環境からは逃げてもいいんじゃね?)と、何でもかんでもお金に頼るな・無駄な出費を減らせっていうことですかね。


以上。ニートが話すと説得力がないなと思いながら長文コメントしました。
posted by イミフat 2020/02/23 23:50 [ コメントを修正する ]

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