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イドやサイコパス3期などの感想
2020/04/13 19:00 | Comments(6) | 思考及び書くこと
今日の一言「予約投稿」

まえがき

 サイコパス3期の感想書くよ! と、前回の記事で書いたので、書く。「書いたので書く」って冗長な表現だなと思う。しかし、代替案は難しい。「前回の記事のとおり○を書く」というのも何か表現上おっことしたものがある気がする。たぶん、読み手や、未来の自分でさえも、こうやって敢えて書かなければ気にもしなかったことだろう。

サイコパス3期

 アマゾンプライムで見れた。
 珍しいのかわからないけれども、1話40分ぐらいの尺だった。
 しかし、飽きさせることなく、それぞれの話はテンポよく進んでいた。最後まで見れた、というだけで、まず面白かった作品なんだなと思う。

 気になったのは、イグナトフ監視官の後半の行動。シンドウ監視官と仲たがいするようになっていったけれども、なんか、奥さんが原因なんだけれども、それにしてもなんか自分勝手すぎる印象だった。仕事場にも感情あらわにして、なんだかなぁ、職場の空気悪くする人だなぁと思った。

 若干ネタバレだけれども、奥さんは別に死んだわけでもない。ただ、色相が濁って施設送りになってしまったのである。
(スマホ版で反映されるか分からないけれども、一応ネタバレ部分は白色文字にした)

 上のことが、どれだけシビュラ世界において重要なのか、このことの実感がいまいち伝わっていなかった、ということが、イグナトフ監視官の怒りの感情への共感が不足し、違和感となってしまったのだろうと思う。

「村八分」
 という言葉――これは、前近代の社会ではほとんど死と同義なほど恐ろしいことだったのかもしれないが、現代で聞くと、「仲間外れ」ぐらいの意味に思われる。きっとそういう次元じゃないのだろう。



 あと、なんだろう、あんまり感想がない。面白かったと思うのだけれども、それほどではなかったのかもしれない。少なくても言えるのは、イド:インヴェイデッドの方が面白かった。

イドの感想

 こちらも、アマプラで見た。
 10話まで最高に盛り上がって、そこから残り3話の展開は早すぎたかなと思う。詰め込まれすぎちゃったのか、自分の理解力のなさなのか。

 前にも少し書いたが、黒幕氏の「正義」って何なの、というのが引っ掛かり過ぎて、それが解消されるのを期待したのだけれども、あんまり触れられずに終わった気がした。黒幕氏の目的はなんだったのか。世界を滅ぼしたいというような動機よりかは、自己完結的な欲望に基づく動機に思われた。それならそれでいいんだけど、それを「正義」というのは違和感。いやまぁ、犯罪者の自分勝手な言い分という意味でしかないのなら、別に正義といってもいいんだけど、作品として考えたとき、そこにもう少し意味が欲しかったなと思った。


 あと、もう一つ書くとすれば、エンディングに向けて、ストーリー構成でいうところの4部目、プロットポイント2から起承転結の「結」において、たぶん、主人公の活躍が足りなかったように思う。

 イドの世界はサカイド氏、現実の世界はモモキ室長氏、ということで、どっちも主人公です、という構成なのかもしれないが、まぁしかし、サカイド氏(ないしは、中の人のナリヒサゴ氏)がやっぱり、メイン主人公な作品だと思う。

 エンディングパートとしては、やっぱり、主人公の行動によって物語が完結するという構造じゃなきゃ、大きなカタルシスはない気がする。それが、グッドエンディングでも、バッドエンディングでもしかし。主人公が傍観者であってはならない。――いや今作が傍観者だったというわけでもないが、モモキ氏が身を挺して頑張ったおかげで解決したという側面が強い。ぶっちゃけ、イドの世界での活躍は、もはや、現実世界に影響がなかったのではないか、と思う。――難しい、ネタバレしないように感想を書くのは難しい。

 いや、なんか、批判的なことを書いているようだが、正直とても面白かった作品である。最近見た中で間違いなくトップに面白かった。シュタインズゲートのときもあったが、期待しすぎて、見るのを躊躇したほどであった。

 しかしその、「面白かった」理由というか、感想を書くというのは難しい。
 面白かったんだから、それ以上でも以下でもないのだと開き直りたい。
 いや、批判的なことよりも、良かった点のほうがもっともっと、ネタバレしないように書くのは難しいのである。
 でも頑張って、その良かった点を書こうとすれば、犯罪者の深層意識にもぐりこんで、現実の犯罪を解決するというその世界観設定自体が面白かったと思う。なんか、夢枕獏氏のサイコダイバーを思い出した。そういえば、魔獣狩りって完結してるのだろうか。図書館で借りて2冊読んで面白かったけれども、2巻目でも完結してなかったような。

最果てのパラディン

 コメント欄でおすすめ頂いたので、調べてみたら、漫画があった。
 けれども、さらによく調べると、小説家になろうで連載されている小説が元らしい。そちらを読んでみようと思った。

 面白かった。第一章を一日で読み終わってしまった。

あとがき

(かっこ書きである。と、書き途中で、第二章も少し読み始めたら、止まらなくなった。まず……時間切れ)



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死について書こう
2020/04/12 09:24 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「気分が向いたら出かけるか」

まえがき

 また、一週間ぶりになってしまった。
 昨日は、眠れなかった。一昨日も眠れなかった。眠れないので起きてオンラインゲームやってたが、なんかぐだぐだになった。
 オンラインゲームって、遊ぶ相手によるよね。こう、なんというか、めちゃくちゃ上手い人とやるのが面白いかというと、そういうわけでもないと思うんだよな。かといって、めちゃくちゃ下手な人とやると、文字通りグダグダ過ぎて遊びにならない。いや下手でもいいんだけど、まじめにというか、慎重にというか、ルールを守ってというか……最低限はできて欲しいものだ。まぁその、「最低限」って何か、というのはまた大きな問題であって、自分がある程度できるようになったから、最低限といいつつマウンティングしているだけかもしれないし。
 いやもちろん、「俺も最初からそれぐらいはできていた」というレベル――これでも表現がよくないか、もうほんと、途中で抜けるとか、ミッションが始まっても動かないとか、そういうマナー的なことなのであるが、そういう遊び方だって認めるべきなのかもしれない。

 だが、それと、僕が楽しいかという問題は全く別である。

ゲームは所詮ゲーム

 まぁいいや。それより勉強しよう。
 ゲームが上手くなったって、給料が上がるわけじゃないし、誰かに褒められるわけでもない。
 勉強すると、きっとたくさん良いことがあるはずだ。

 ――そうなのだろうか。それよりも、コミュニケーション能力が高い人のほうが出世する気がする。出世がどうこうというのは割とどうでもいいが、いい感じに仕事ができる気がする。

 知識が豊富でも、人当たりが強い人は「使いづらい」って思われそうである。もちろん、ノーベル賞ものの突出した知識のある人たちは別だろうが。

 まぁそんな益体もないことを考えても仕方がない。いや考えるというよりも単なる愚痴である。
 愚痴るほどの何か状況が生じたわけでもないが、なんとなくそんな風に思う。

 まぁその、エクセルの操作とか数式が壊れたのを直してあげたり教えてあげたりするのは楽しいしやりがいがあると思う。ここ数年、いろいろトラブル解決してきたから、そろそろエクセルあたりは中級者を名乗っていい気がしてきた(専門IT企業以外だったらね)。まぁまだまだ学ぶことは多いけれども、学ぶための基礎はできたかなという感じはする。とかってネットで書くと叩かれるの怖いよね。こういうこと書くと、「じゃあ〇〇は知ってる? できる?」とかって難しいこと言ってくる人がいたりする。そりゃあLET関数とか変数定義できる新しい関数とか知らんわ。

ゲームと仕事と人生

 やたら壮大な小見出しをつけたけど、思うに、小見出しって本当は、文章書き終わってから、それを要約する(キャッチーな)ものをつけるという順番だと思う。
 このブログの書き方としては、上から下に流れていくだけだ。推敲とか基本していない(すみません)。ゆえに小見出しも先に書いている。内容と一致しない場合がある。

 ゲームは気晴らしだ。
 という言葉は、よく聞くような気がするけれども、仕事も気晴らしだ、とも聞く気がする。実際に言語化されなくても、仕事はともかく、ゲームに至っては、内心そう思っている人が大半ではないだろうか。

 ただ、おそらく、僕は数千時間をゲームしてきた気がする。これは少ない見積もりな気もする。
 例えば、土日に8時間やってきたとする。20年ぐらいやってきたとする。
 20年のうち、土日はどれぐらいあるか。
 365日÷7日(一週間)×8時間=417時間(1年あたり)
 417時間×20年=8343時間

 となる。
 おぉぉぉ。想像を超えた数字だ(かっこわらい)。
 だが、まぁ、「数千時間やってきた気がする」というのは、あながち感覚として間違っていなかったということだろう。

 8000時間を身体鍛えたり、勉強にあてていたら、もっと違う何かになれていたのだろうか。

 逆に、それだけの時間を、メインの仕事をしていたとしても、誰しも(週休二日であれば)できるのである。土日に8時間ということは、4時間ずつぐらい。もっといえば、平日含めて1時間ずつあてても、週に7時間は確保できるわけだ。

死について

「で?」

 という気持ちになってしまい、それ以上何も書けなくなった。
 ので、本を読む。二元論。身体と魂。クオリア。

 ああ、そうだ、僕はそういえば、「物理主義者」の立場に立っているのであった。忘れていた。
 物理主義者とは、つまり、魂は存在せず、僕らの身体的構造によって「意識」ないしは感情が生じている(に過ぎない)とするものだ。

 このことが、時折――ないしはいつも、僕を意気消沈させている原因なのかもしれない。――もちろんそれが、驚くべき物理構造であることは間違いないのだけれども。かといって、神や天国があることを望むわけではない。死は死であってよいと思う。何もない――それは本当に何もないこと(決して、僕が時折冷や汗だらだらでみる夢の、死んではいるが意識だけは残ってしまったような恐ろしいものではなくて)であってよい。

 そう。こういう、キーワードというか、きっかけを得ると、途端に頭が回りだす。
 思い出した、サイコパス3期見終わったこととか(これはこの文脈に一切関係ないが)、「LOVOT」という感情を表現するロボットが販売されていることとか。

 これも文脈に関係ないが、コメント欄でおすすめされた内の、「最果てのパラディン」を小説家になろうで読んだこととか。いろいろ思い出す。最近の記憶は、仕事とゲームしかしてない気がしたが、そんなことはなかったのだ。ただ、得体のしれない気落ちによって色々記憶がなくなっていただけだったのだ。

ロボットは感情を表現し得るか

 そんで、例えば、涙腺機能を付けたロボットが泣いていたとして、僕らは、ロボットが「悲しんでいる」と思うだろうか。
 思う人もいるかもしれない。

 ただ、僕は思えない。

 もう一つ、「分身ロボットカフェ」というのもあるらしい。こちらは、障碍のある方などが、自宅にいながら、ロボットを遠隔操作して、カフェの店員をやるのだ。攻殻機動隊の少佐が義体使って情報収集活動するようなものだ。こちらは、ロボットを操作する先の「人間」が感情があるということができるだろう。

 LOVOTはどうか。
 自律して、おしゃべりして、泣いたり笑ったりして――それは感情があるといえるのか。


 そもそも!
 感情が大事なのか。例えばペット――猫さんがニャーとないたとき、すりよってきたとき、僕らは「かわいい」という感情が生じることだろう。だが、猫さんの感情はあるのか。あるのかもしれない。でも、それは適切にはわからない。ニャーと泣いた意味が、分からない。すり寄ってきたのも、「ご主人サマーかまってニャー」なのか、「おいテメー、そこの席は俺ん場所だぞ、どけや」なのか分からない。

 それでも、ペットは、良いものだ。その点において、本当に感情があるのかどうか、という点は、さほど重要ではないのかもしれない。そうすると、LAVOTはとても尊い試み実践だといえるだろう。

人間の感情だってよくわからない

 そうさ、もっと考えてみれば、人間相手だって感情など分からない。
 あの子が笑顔で話してくれたとしても、その「意味」は分からない。

 分からないのだ。
 それでも、「感情」は大事なものだとされるし、感情は人間には自明にあるものだとされる。たまに無い人のことをサイコパスといったりするが、例外とされる。

「どこに」
 感情はあるのか。
 ロボットが感情を持てないというのは本当か。

「魂」が宿らないと感情は生じないのか。

 魂とは何か。それを綿密に説明できたとしよう。説明できるとすれば、それは「物理現象」なのではないかと僕は思う。
 その点でも僕は物理主義を支持したいと思う。支持するというのは、それが「好き」かどうかではなくて、そう思わざるを得ない、という意味である。もっとなにか、「究極の意味」があったほうがいいのに、と思う気もする。



 ――この記事は何の話だっけ。
 死について、と、タイトルにある。

 死……。
 オンラインゲームプレイで荒らし野郎のせいでミッション失敗した時間は無駄だったわけであるが、じゃあ、このとりとめのない記事を書いている時間は無駄じゃあないのか。

 絶対的な死に対して、刻々と死に向かっていく中で、ゲームミッションの失敗と、この記事と、食事等生理的な営みと、仕事と、その他人生において行うこと全般に対して、何をもって有益、何をもって無駄とすればいいのか。

 ――否。ゲームミッションの失敗は、ゲームにおいてすら無駄だったのだから、完全なる無駄だったのだ!! くそうあの野郎!(笑)

あとがき

(かっこ書きである。サイコパス三期の感想はまた今度。面白かった、ような気がする。なんか、シビュラシステムさんが、シリーズごとに、どんどん良い存在になっている気がする。システムに管理される社会とそれに対抗する人たち――という構図じゃあないんだね。システムに管理されるというのも、別にイコールでディストピアになるわけじゃあないということなのか。まぁそもそも、今の時代でも既にシステムなしに社会はまわらないのだけれども。んでまぁ、その、俺は、ゲームするよりかは、この記事書く方が有益だと思うし、それよりも小説とか音楽とか創る方が有益だと思う。思うのだけれども、最近、精神的リソースが少ない(気持ちに余裕がない)。原因はよく分からない。原因は仕事なのか。だが、じゃあ、仕事が忙しくなくなったら、どうなのか。多分、精神的余裕は生じるかもしれないが、きっと、「根本的な問題」(それが何かは分からないが)は解決しない気がする)


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一週間ぶりぐらいに記録
2020/04/05 17:59 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「前回は3月25日」

まえがき

 年度が変わってから、なんと、初めての記事だったのか。
 忙しかったから書けなかったというよりは、精神的リソース――なんか、中二病的な表現だが、気持ち的に余裕がなかった、というだけである。

 しかし、気持ち的、というたら、このブログの優先度は、生活の中でも高い方だったのでは、という気もする。睡眠よりも高いぐらいに設定したのでは。しかし、睡眠には勝てないことは、もう何十年の経験で分かっている。

 とにかく、毎日終電のときも書いていたときもあったから、ブログを書けないことの理由など、何もないのである。

 ――反省。
 反省とは、何か。やるべきことを為せなかったときに、その原因を考えることなのか。責任とは、自由の中での制約である。どうやって行動するかは、選択肢があるが、その自分の選択がもたらしたこと、結果に対して引き受けることが責任である。

 誰かのせいにばかりする人は、責任を果たしているとはいえない。

 しかし、反省とは何か。どうしたら、反省になるのか。
 時間とめられない。高速で移動するものとそれを観測するものとで、相対的な時間は変化するが(高速で移動するものの時間は相対的に遅い)、過ぎ去ったことは戻らない。

 ブログを書けなかったことを反省するとは、どうすればいいのか。
 ブログの機能で、過去の時間に投稿したことにして、その、一週間分ぐらいをまとめて書けばいいのか。

 できない。
 それは意味のあることではない。

 時間の流れの中で、過ぎ去ったことは、もう戻らないのだ。

 だからこそブログが大事なのだ。一週間前の記事は、もう、二度と、一生、どうやったって、書くことはできないのだ。
 永遠に、失われてしまったもの――果たして、生み出されもしなかったものが、失われたものというのかは分からないが、とにかく、もう見ることはできないのである。

イド:本編なるものも特にない

 ――という前書きだったとさ。
 えっと、未来の自分等にメモしておけば、仕事環境が変わったり、年度変わりで業務がたて込んだりと、仕事面が強いと思う。

 昨年度よりは大きくないとはいえ、結構変わった。たぶん、やることも変わるだろう。覚えることも新しくいろいろ出てくるだろう。

 そういう結果、メンタル的に、ブログを書くことを後回しにしてしまった、ということなんだと思う。――「なんだと思う」なんて、責任を果たしていない書き方である。すんません、何の成果もあげられませんでしたああああ!!!(進撃の巨人前々団長風に)



 と、このまま終わると、まえがきよりも本編が短い記事になってしまうので、何か書かねばならない。しかし、一週間以上もたってしまうと、何も書けなくなるものである。
 うーむ、なんか、書こうと思ってたこと、あった気がするのであるが。

 本読むとな、いろいろ書きたいこと浮かんでくるんだけど、最近全然読めてないなぁ。「火星の人」も、半分ぐらいで止まってしまっている気がする。あれ、面白い作品だったなぁ、ただ、また読み始めると、いろいろ忘れているんだろうなぁ。

 ああ、一つ思い出した。

 イド:インヴェイデッドを、アマプラで最後までみた。

 面白かった。
 けれども、後半、11話以降の進展が早すぎて、ついていけなかった。
 なんか、黒幕さんがついに判明するのだが、黒幕氏も、「私は私の正義を追求しているのですよ」とか仰られていたが、全然ぴんとこなかった。あと、割と重要な登場人物の一人が、イドの世界で亡くなってしまうが、その人は現実でも死んでしまったらしい。何故か。そうしたら、その人以外の大勢も亡くなったということか。それが昏睡して目が覚めなかった人たち、ということか、それを公安は世間には秘匿しているということだが、イドの世界で死んだ人たちは大勢だったのに、秘匿なんて可能なのか。

 まぁでも、面白かったと思う。
 最近みた作品の中ではトップクラスかな。
 じゃあお前、最近見た作品ってなんかあったのか、と言われると、――わからん。ゾンビランドサガは割と面白かったけど、それみたのって、もう1年前ぐらいじゃなかろうか。――え、まじか。早いな時間すぎるの。ちょっと気になって、自分のブログを検索する。2018年12月ぐらいからだそうだ。うひゃああ、まじ、1年前じゃないか。俺、割と最近な気もしていたぞ。

 人生、長いようで短いな。
 寝ている場合じゃない――が、しかし、睡眠に勝ることは、何もないのである。寝なきゃ死ぬ。寝すぎても(早く)死ぬみたいだが。(要出展)

 あれだ、どういう作品みたか、映画でも、本でも、できるだけ書いておいたほうがいい気がする。なんか、それがどう役に立つかわからないけど。

あとがき

(かっこ書きである。はぁ……。なんか、年々求められるものがハードになっている気もする。後輩の指導とかいったって、全然違う部署で全然違う仕事したときに、指導って、指導どころか教えて頂かないと分からないでしょう。まぁ経営は、どんな分野でも成り立つようだが、次元が違う話をしても仕方がないか。そうなると、簿記とか、法律読むとか、そこら辺のスキルがある程度普遍性があるといえばある。簿記受験してみようかなぁ。まぁ、試験が昨今のパンデミックで行われるか分からないが。まぁでも、簿記を受けるとして、――簿記試験次は6月らしい、それの勉強状況を書くとすれば、こんな、一週間も書けないとかふざけた状況は起こらない気がする。割と反省している。まぁ、前科としては、3年? 5年? ぐらい行方をくらましたことがあった気がするので、一週間ぐらいたいしたことな――いやいや、そういう問題じゃない。――いや、そうじゃない。スキルというよりも、コミュニケーション的なものを要求されているのだろう。俺が苦手なやつである。いや、できるよ。できる。やろうと思えば。ただ、ものすごいストレスだし、難しい調整を成し遂げて、それをなんか、「やり遂げた!」的に思えない。「ああ、よかった無事に終わった」ぐらいである。全然やりがいを覚えない。それより、何か作ったり生み出したら使ってもらったり説明したりする方がよっぽど楽しい。いやだから何度も書いている気もするけれども、リーダーが、その成果物のイメージをもって、それを作るために実際に作る作業はメンバーにお願いする、というのは、やりがいがあると思う。アニメの監督のような仕事。蟲師のDVDの特典映像で、メイキングのインタビューとか収録されていたのをみたことがあるが、撮影(動画にする人)とか作画とか音楽とか、様々な要素でアニメは成り立っている。いろんなプロフェッショナルたちの集大成が、25分そこらの作品として届けられるのだ。それを取り仕切って、方向性を見定めて、一つの作品にする仕事が監督なのだ。それはすごくやりがいがある仕事だと思う。いっぽうで、知らない部署にいって、何やってるかもわからない=要は、「完成品」が分からないで、そのリーダーをやるって、面白くないと思う。いやその、「完成品」を裁量をもって決められるならまだいいのだろうが、「完成品」自体は決まっていて、その完成品を完璧にしあげるだけ――そして、仕上げることが「当たり前」であって、特に新たに評価されるわけでもない――となれば、モチベーションになるのは、「金」(給料)ぐらいなもんだろうと思う。そういう仕事に、リーダーって必要なのか。……必要だと思う。「手順」「プロセス」を守る人がいなければならない。あーえーあー、面白くないことを書き始めた。強制終了する)

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起算日について(期間の考え方)
2020/03/25 00:25 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「23時ごろ帰宅」

まえがき

 昨日、アンタレス(星)は、太陽の(直径の)10倍――とか書いたが、800倍ぐらいだった。全然違ってた恥ずかしい。恥ずかしいが、削除ではなく、間違ったことを追記しておいた。間違いは素直に認めよう。分からないことは分からないと言おう。素直になることが大事――これがまぁ難しいことなんだけどね。

 オリンピックが延期になるそうである。
 あと、イタリアで、一日に700人ぐらい死亡したらしい。

 この、700人という数字をニュースでみたとき、僕は驚いた。

 しかし、数秒後に思った。
 そういえば、日本での1日の死者数は3000人以上であった。そう考えると、700人は多いのか、少ないのか。そもそも、普段のイタリアの1日の死者数はどれほどだったのか。

 もう一つ思ったのは、「新型コロナウイルス感染症で」とは、ニュースでは言っていなかった。文脈的には、そうとしか思えない流れだった。ただ、イタリアでは火葬が間に合わず、棺桶がたまっていってる、という内容が流れていた。

 まぁ、ニュースになるぐらいだから、コロナの影響でのことなんだろうけれども、数字(今回は、日本での死者数)のインプットがあると、感情的にびっくりすることに対して、少し冷静になれる気がする。まぁその数字が実感もてるかどうかは別なのだが。
 太陽の800倍って言ったって、よく分からないっしょや。地球×109=太陽なので、109×800=87200倍がアンタレス、なわけであるが、全然意味不明(理解不能)である。

クーリングオフ

 脈絡ないし、まえがきがやや長くなったが、今日思ったことを書く。

 期間の考え方、よく分からなくなる。ので、ちょっとだけ整理したい。

 例として、クーリングオフを挙げる。

 クーリングオフは、8日以内に書面で通知すれば(申し出れば)キャンセルできる仕組み。
 しかし、8日以内という言葉だけだと、生活上一切役に立たない。いつから数えるか(起算するのか)が分からないと意味がない。

 クーリングオフは、契約申込日又はクーリングオフの記載がある書面を受け取った日から8日以内、とされる。(国民生活センター

 しかし、期間は、通常は、初日不算入の原則なるものがあるらしい。

 つまり、3月1日に書類を受け取った日から8日間以内、といえば、3月9日までは有効期間である、と考えることが可能なのだ。

 結論を書くと、クーリングオフは、契約申込日(又は云々の日)から起算して、8日間であるので、3月8日までが有効期間である。
(言い換えると、契約申込日から7日後まで有効、ということになる)

 特定商取引法第9条を読むと、

>~「申込みの撤回等」という。)を行うことができる。ただし、申込者等が第五条の書面を受領した日~略~から起算して八日を経過した場合~略~においては、この限りでない

 となっている。
 ちゃんと、受領日から「起算して」と書かれているので、初日不算入の原則はあたらず、初日を含めてカウントすることが読み取れる。

 補足すると、条文的には、「撤回できるよー。でも、●●の条件のときはできないよー」となっている。その●●の部分が、「8日を経過した場合」となっており、「経過した」、と過去形なので、8日目までは有効で、その翌日からはもう撤回はできない、という作りになっている。

 これ、慣れないと難しいなぁ。ので、国民生活センターさんのサイトでは、是非事例を載せて頂きたい……と声にならない要望(かっこ笑い)。

あとがき

(かっこ書きである。ちなみに、クーリングオフの事例に直面したとか、まったく脈絡はない。いつもの何となく思っただけである。何故こんなことを何となく思ったのかは……なんでだろう。ただ、前々から、期間の考え方についてはモヤモヤしていたのだ。――ああ、そうか、なんか飲み屋とかチケットの予約とかのキャンセル日がいつなんだろうとか、そういうときにモヤモヤすることがあったような。大丈夫、とりあえずマルチ商法に巻き込まれたりなんぞしていないから安心して頂きたい(かっこわらい)。そして、コメントをもらっていたことに気づく、しかし、24時をまわってしまっているため、返信は明日にさせて頂こうと思うッ!!)

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銀河について
2020/03/23 23:16 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「22時頃帰宅」

まえがき

 うーむ……。
 なんかこう、狭量だなぁ、と、自分のことを思った日であった。「他人にあんまり興味をもてない」というんは、よくないことだなぁと思う。仕事として――とか、まだ目的がはっきりすることはいいけれども、「友人関係」とか、仕事プラスαに関することとか、苦手だなぁと思う。

 どうしたら得意になるのか。――たぶん、ならない。得意かどうか別にして、相応に対応はできる。以前このブログでも具体的な事象の一つとして、飲み会の席で先方の方に大層気に入っていただいたという件を書いたと思う。本気出せばなんとかやれる。ただ、成功の確率が高いか低いか、また、その成功したからといって、そこにかけた労力(精神的な面)が通常の人と比べてどうかという点からすれば、まともではない、のだろうと思う。

 ――まぁ、それはそれでいいや、と思っている。
 ただ、世の中、社会関係資本だとか、「地縁」だとか、なんかそういった(仕事以外の)「つながり」というものを大事にしなければいけない、とよく言われるところであるから、大層不安に思うのである。めんどくせぇ……。

天体について

 まぁ、そんな、暗澹たる気持ちでいたが、最近見つけた天体についての動画――星の大きさを比較する動画をあらためて見て、よく言われるところの「宇宙に比べたら、俺の悩みなんてちっぽけだな」というときの、まさにその、「宇宙」の大きさについて実感した。

 宇宙やばい。

 本当は、太陽と地球の大きさや距離ぐらいの数字を事前インプットしていたほうが、より実感が大きかったと思う。
 ただ、僕はこれまで天体について、勉強したことが殆どなかったので、殆ど前知識なく上の動画をみて、「ほへー」っとなった。

 地球の直径:1万3000km
 太陽の直径:140万km

 ということで、太陽は地球の109倍の大きさなのだという。
 そして、太陽と地球の距離は、1億5000万km離れているという。
 光の速さで8分、というのは聞いたことがあった。

 試しに、480秒(8分×60秒)×30万km/s(光の速さ)=1億4400万km と出たので、だいたいあってる。

巨大な星アンタレス

 太陽もめちゃくちゃでかいのだけれども、さそり座の一部のアンタレスという星は、直径14km以上とのことだ。太陽の10倍である。

 これ、数字で10倍といわれても、想像力が少ない僕は、「ふーん」って思ったろうと思う。やっぱり、動画というか、映像すげぇということになるが、10倍の違いを見せられると、度肝を抜かれる。唖然とした。

<<<<<<訂正!!!訂正!!!

 太陽が140万kmで、アンタレス14億kmとすると、100倍である。10倍じゃねえええ! そりゃ唖然とするほど差があるはずだ。
 ちなみにもっと調べると、アンタレスは、太陽直系の800倍ぐらいだそうだ。何を思って、10倍と書いたか、わからん……。この前の事前バインディングの話も恥さらしだし、困ったもんである。
訂正ここまで>>>>>>

 僕はようやく、天体という単元というか、勉強に興味を持ち始めた。それまでは、すまない、インターステラー面白かったとか(プラネテスとか宇宙兄弟とか宇宙のステルヴィアとか……あれ、見たことあったっけ? なんか単語は覚えている)言っていたが、宇宙自体にそれほど興味をもっていなかった。

 ようやく興味を持ち始めて、あれ、そもそも、銀河ってなんのことなのだ? と、小学生? 中学生レベルのことを疑問に思った。

 僕らの住んでいる地球が属するのは、太陽系である、ということまでは何となく知っている。
 んで、太陽系に属する惑星は、すいきんちかもくどってんかいめい、……たしか、冥王星は準惑星になったんだったような。まぁ、地球含めて8種類ある。――ということまでは知っている。

 じゃあ、さっき驚いた、アンタレスという星は、太陽系の外にあるということになる。(※)
 それと銀河との関係はどうなのか。

※この表現が正しいのか疑問に思って、準惑星落ちした冥王星と地球との距離をぐぐると、48憶kmになる。んで、アンタレスは、550光年だという。1光年って、9兆kmぐらいなのだという。?? ケタが違いすぎてよくわからないが、とりあえず、アンタレスは肉眼でも見えるけれども、太陽系とは全く違う場所にあるってことは分かった。

銀河バルジ

 そんでな、銀河ってのは、宇宙にたくさんあるんだってよ。
 で、太陽系が属するのを、「銀河」というのだそうな。銀河系(ぎんが・けい)って、そういう意味だったんだ。……中学校で習う単元らしいが、まったく記憶にない!q

 さておき、銀河の中心には、凸状の「銀河バルジ」と呼ばれる天体が密集している場所があるらしい。さらに銀河の中心には超ブラックホールがあるらしい。それを中心に天体が銀河系に集まっているのだという。

あとがき

(かっこ書きである。さらに、宇宙には、太陽系属する天の川銀河(ミルキー・ギャラクシー)以外にも、多くの銀河が存在しているという。もう、とりあえず、俺のイライラとか悩みとか、比べるとちっちゃすぎるなと思ったという、そういう記事として今回は終わる。まぁその、比較というのは、対外的に「客観的だ」として示すときには役に立つことは間違いないが、根本的に問題を解決する際には必ずしも有効とは限らないと、――これについてはこのブログで何度も書いたような気がするが、改めて書いておく)

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