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米の流通
2010/12/28 22:39 | Comments(0) | TrackBack() | 思考及び書くこと
1999年、米の輸入関税化、つまり、民間でも関税を払えば米を輸入できるようになった。

それまでは、政府米といい、政府が米の販売ルートや、生産者価格(農家の販売価格)と消費者価格(私たちの米の購入価格)を決めていた。

それ以外のルートの米は、ヤミ米として違法だった。


外国米はまずい……

この消費者感情は、実は政府の世論操作であった、そういう説がある。

1980年代の、ニクソンショックとプラザ合意、つまり、貿易摩擦の問題が深刻になっていた、その流れにおいて、米を含む農産物の輸入自由化が諸外国の圧力で進められた。

もはや抗うすべはない……そこで政府は、外国米はまずいという感情を生じさせ、外国米を消費者自身が排除するように仕向けた。

米といっても、品種によって傾向が全く違う。それぞれに適した調理方法もある。だが、ブレンド米は、それぞれの味が珍妙にまざりあい、すべてに不向きとされた。

まずいものは、いくら安くても買わない。
やはり米は、日本のものが一番だ!


ひいては、それは、日本の農家を守るため……。

そこにおいて、ブレンド米をおいしく頂ける調理方法をあみだす料理人は非国民だ。外国米はまずくなくてはいけないのだ。



空気を読むというのは、実に高度な業なのだ。
それには、複雑な知識と、演繹、帰納的な思考、素早い判断力などが要求される。

それが社会性、協調性だ。

自分勝手な判断は許されないと同時に、即断的行動力も必要となる。


私は、常にそのような対応ができない自分に腹立っている、しかし、そうしなくてもよい人も見つけられた、だがしかし、そのような人へ与えてしまった不快感情は、強い自分の痛みとなって反射される。

だから私は、せめてツールを明らかにすることで楽になろうとする。

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信頼について
2010/12/24 21:30 | Comments(0) | TrackBack() | 思考及び書くこと
自己肯定感を失ったくらいで、自我崩壊するほど経験が無いわけでも、弱くもない。

今日、自分の信頼の低さを感じる出来事に遭遇したが――だが、それも、業務として考えれば、何ら間違ってはいないと断言できる。私がむしろ、躊躇することだ、だから、なおさらに、尊敬すらできる。当然、私は、「傷つくべきだ」。

だが、「当然」である、そういう事態だ。ここに、私の感情は必要ない。何故ならば、業務に本来感情は余分である。

私は思うに、楽しい仕事というものを一切想定していなかった、だが、それは、単調な仕事が面倒だとか言う、その次元の話しではない、私はもっと過酷なものを想像していた。
感情がついえ、身体に不調をきたし、何も動けなくなったらそれでいい、ようやく私の「勝ち」だ。



だが、それすら、唯一の希望である自虐すら否定された――そうなれば、私は生きているかどうかも分からなくなる。
私という人格の否定――構わない、そう思っていたが、幾分に堪える。

大分痛みになる事象だと気付くが、それすら処理の範囲内であるとしたとき、――結局、私は、「鬱」なるものを既に一切信じられはしないのだ。その人が自殺してしまえば、ようやく、「つらかったね」と、一言――たった一言、搾り出せる、冷酷な人間――そこまでしないと自我を保てない、弱い人間だ。


つまり、ここから読み取れるのは、強い人間ほど弱いという逆接、つまり、なよなよしていた方が実はしぶとく生き延びる、これはエンターテイメントでの鉄則でもあるが、あながち非現実的でもない。


私は、失ったとしても、それは、自らのせいとすべて帰属する――これは正しいかどうかの問題ではなく、むしろ処世術的に維持する方策でしかない、ゆえに普遍性はない。

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子は親を選べない、が
2010/12/12 23:59 | Comments(0) | TrackBack() | 思考及び書くこと
 パン屋さんでの話だ。 

タイムセールで、レジ前は長蛇の列。私の横にも商品が置いてある。 

後ろの男の子(小学低学年くらい)=S「あのパンだよ」 

S父「どれだよ」 

S「人が並んでるから取れないんだよ。並びながら取るよ」 

S父「だからどれだって言ってんだよ」 

S「あの、ガーリックパン、130円の奴だよ」 

S父「とってこい」 

S「でも、人が……」 

S父「いいから取って来い。お父さんがいるから」 

Sくん、しぶしぶ私の横に無理やり入ってきて、手を一生懸命伸ばしてガーリックパンを取る。 


――列が進み、レジの近くまで来た。 

S父「空いたから、あっちのレジに行きなさい」 

※レジは二つ。だが、一つの列で、順番に、空いた方の列にいく状態。そうすると、もし奥のレジが先に空くと、順番は私の番だけれども、Sくんがあちらのレジに行くと、仮に奥のレジが先に空くと、私の順番が飛ばされる。 

S「ダメだよ、順番だよ」 

S父「いいから行って来い」 

S「ダメだってば」 

俺「あんたね、子どもの方が常識あるってどういうこと? せっかく子どもがまともに育ってるのに、あんたの悪い教育のせいで、この子の道徳性がひんまがったらどうするつもりなの?」 

――と言いかけて振り返ろうとしたら、手前のレジが空いて私の会計の番になった。 

追記だが、「悪い教育」という言葉もおかしいと思う。教育なんてもんじゃないだろう。 

追記だが、イートインスペースで、S君の父親は、「S、お父さんの分のお茶ももってこい」と命令していた。S君は、文句もいわず、黙ってお茶を用意しようとしていたが、その父親は、「返事しろよ」と怒鳴っていた。 



――思うに、悲劇は、子どもは親を選べないことではないか。 

――というのは一般に言われることだ。しかし、よく考えれば、親だけではない。自分の出自など選びようが無い。 

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愛を語る不届き者
2010/11/15 00:00 | Comments(0) | TrackBack() | 思考及び書くこと
真に愛している者は、愛について語らない。
ある愛している男がいる。彼は自らの彼女に、自分は如何に貴方を愛しているのかと雄弁に語るのである。
彼女はそれを聞き、夢見心地にうっとりとその言葉の流れに身を任せるだろう。
その当人たちを包む愛という形は、見まごうことない真実の愛である。
だがしかしながら、一つ間を置いてそれを見る者の目には、欺瞞しか写らない。
愛は、語るものなどではなく、現にそこにあるものだからだ。
愛に説明など必要ない。愛は、愛であるがゆえに、愛であるのだ。
実のところ、愛を熱烈に語る者は、その者自身、愛していないのである。
敬虔なキリスト者は、神の存在を疑わない。
ある牧師が神について何らかの証明をしようとしたとき、牧師の信仰は欺瞞に包まれる。
即ち、真実はそこにただあるがゆえに真実なのであって、真実を認識しようとした瞬間に、真実は消えてなくなるのである。

呪われたものは、真実の消えた虚無の世界に貶められる。
デーモンの仕業か、否、信仰をなくした哀れなるものへの神の怒りか。

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呪いと世界との関係性について
2010/11/14 23:14 | Comments(0) | TrackBack() | 思考及び書くこと
気付いたら、本心・本音・「本当の自分」なんてものを失っていた。 多元解釈の呪い、それは、既に自分自身にも及んでしまったのだった。 彼は、彼という存在を信じられない。 感情――それが、効率よく他者と協力するための機能であることを知ったとき、彼は、その機能の欠陥を思った。 しかしながら、彼に対して、強烈な楔を打ち込むことも可能である。 貴方の考える理解というものは、貴方の幻想に過ぎないのですよ、と。 彼の狂気に満ちたその言動は、彼の目に映る魑魅魍魎がゆえに。 しかしそれは、誰の目にも映ることはありえないのである。 彼は、呪われた自分を呪った。 しかしその時彼は、まだ本心というものをもっていた。 彼が、自己を失ってしまったのは、自己を縛る呪いすら相対化してしまったからだ。 ここで彼は、劇的に変化を遂げる。 彼の世界には、主観も、客観も生じなくなる。 ただ、その時、そのものすべてが世界なのであって、即ちそれが自分自身なのである。 世界は傍若無人な絶対者から転じ彼自身になった――否、彼が、世界の一部に溶け込んだのか。 解説 「胸毛すっきりしたい!」  彼は思い立った。  果たして、胸毛をすっきりさせて、自信をもって女の子に告白をする。女の子は、二つ返事で喜んでくれた。自分も、天にものぼる幸せをかみ締める。  しかし同時に彼を襲う思考がある。 (俺は、胸毛をすっきりさせて彼女をGETできた。しかし、本当の俺は、胸毛がボーボーだ。俺の彼女は、「俺自身」を好きになったのではない……)  彼は、我慢ならず、胸毛を元に戻した。否、前にもましてひどいボーボーである。即ち彼は、最低の行為をしたのだ。彼女を、試したのだった。  しかし彼女の反応は、驚くべきものであった。 「ケイくん、そんなこと気にしてたんだ。バカだねー。わたし、毛、こゆい人、好きだよ」  口元に手を当てて上品に、などということは全くなくて、彼女は、本当にふきだしていた。  その、女性としては少しはしたない姿を見て、彼は安心したのだった。  ところが、既に、彼は手遅れだったのである。  彼は、彼女を、胸毛ボーボーの自分でも愛してくれる存在、としてしか思えなくなったのである。即ちこういうことだ。彼は、変化する自分自身に気付いてしまったのだ。同時に彼は、自分の多面性にも気付いてしまう。  あろうことか、ついに彼は、彼女すら疑ってしまう。  心を穏やかにしてくれる彼女の笑顔。――それが、張り付いた冷酷な嘲笑である可能性を、彼は否定できなくなった。  彼女といくら身体を重ねあっても、いくら千の愛の言葉を交わそうとも、彼は彼女を――否、流転する自己そのものを、到底に信じられなくなったのであった。  本文は、その後のお話です。誰の? ケイくんの、です。

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