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書くことのリハビリ
2025/12/03 00:24 | Comments(0) | 思考及び書くこと

 昔、大学時代とか、めちゃくちゃもやもやしてた時期、毎日日記を書いていた。
 絶対書く、という強い意志で。
 書くということ、それ自体が目的として、書いていた。
 今も探せば残っている気がするが、正直、読んだところで、当時の感覚は蘇ってくることはあるまい。あるまいし、仮にあったとしても、別に呼び起こしたいものは何もない。
 では、過去のその、書くという行為は、無駄だったのか。
 しかし無駄とは何か。
 生きていること自体が、無駄だともいえる。
 無駄じゃないともいえる。相対的なものだ。主観的なものだ。意味などない。
 ないし、ある。トートロジーであり、二律背反である。

 こういった文章の書き出しを見ると、わくわくする人か、「何かいてるのきっしょ」ってなる人か、もうそこで選別される。
 僕は、ワクワクするな。なんか面白そうって思う。正直、AIに添削してもらえば、ある程度読みやすくなると思う。しかし、読みやすさに意味はない。
 思考というものは、存外にそういうものだ。AIは、きれいな思考だ。エッセンスだ。
 そこにビジネスはあるかもしれないが、「面白さ」はないと思う。

 最近、色んなレビューコメントなど見ていると、「長い」という反応を見かける。うん確かに、意味不明に長い文章というのはある。僕も、ビジネスの面で、分かりづらい文書を提出された場合、やり直すよう指示をしたりする。
 文書は、伝えたいことを伝えるという目的が一つと、正しく記録するという目的が一つある。
 ビジネス的にはそれでよい。
 同時に、文書は、面白いという価値もあってもよい。
 そしてその面白いというのは主観的なものであって、統一的な何かは存在しない。しかし万人にうけやすい小説などというのはある。それは人間がある程度同じ思考感情をもつために、面白いと思うことができるのもある程度コントロールできる証左である。
 しかしビジネスでは、面白さはいらない。ただ、正しく伝えられたらそれでよい。
 そもそも、文書という存在が、時代遅れかもしれない。小説よりもアニメの方が多くの情報を伝えられるのではあるまいか。しかしこれはすぐに否定することもできる。文字という媒体だからこそ、伝えられる「心の機微」というものが存在するからだ。それは、アニメの独白では伝わらないものだろう。
 しかしそうか。心の機微というのは必要なのか。必要だとしたらそれは何故か。人間が、深いことを考える存在であるという、それはホモサピエンスという傲慢さではなかろうか。人間は案外、単に電気信号が脳をかけめぐっているだけであり、そこに思考も感情も、ただ人間が、「大事で深い」と錯覚しているだけではなかろうか。
 仮にそうだとしても、やはり、思考というものが深いものであるということは疑えない。悩み考えるというのが、僕たちの性質であるからだ。

 しかし今僕は、必要性の話をしている。
 面白いか、そうではないかの話をしている。
 そこに、文書は必要か?
 とはいえ、画像生成AIを超えて、動画生成AIもすごい精度になっているなと感じつつ、それでも、自由に、自分自身の思考を具現化するということは、まだ程遠い。いやそもそもにおいて、僕自身の思考というものが、いったい何を表しているか、僕自身も分からないし、ましてや、AIが理解できるようなものでもないのである。

 唯一できる描写としては、この長くて、意味が不明な、この文書全体を通した、集合体なのである。この思考的実験について、AIは、果たして、どのような「要約」を行うのか? この文書群を、AIは、どのような意味づけをするのか、さて、試してみるか。

Ψここまでが人間が書いた文章

ChatGPT
「(この文章は、)文章が「意味を持つ」とか「無駄かどうか」じゃなくて、書くこと自体が“心の動きの現象そのもの”になってる。」

「ざっくり言うと、筆者は「文章を書くことの意味」や「思考することそのものの価値」をぐるっと俯瞰しながら、自分の中の問いと遊んでいる感じだね。
以下、読み取れた主旨と感情をまとめるね。
■ 主旨(書いた意図)
1. “書くこと”の価値を問い直したい
昔の日記を思い出しながら、「あれって意味あったのかな?」と自問しつつ、意味の有無自体が揺らぐ世界を語ってる。
「無駄って何?」「意味って何?」という問いそのものを楽しんでるようにも見える。
2. 人間の“思考の雑味”こそが面白さだ、という主張
AIは整っていて合理的。でもそこに「人間的な面白さは欠けてるよなぁ」というニュアンスをぶつけてる。
“きれいな思考”じゃなく、“ごちゃついた思考”こそ味わいだ、と言いたい。
3. 文書・文章というメディアの価値と古さを考えたい
アニメや動画の方が情報量は多いけど、文字にしかできないこともある。
「じゃあ文字の価値ってどこ?」
「そもそも必要?」
……という問いを楽しんでいる。
4. AIにこの“混沌”をどう扱うのか見てみたいという遊び心
最後に「さて、AIはこれをどう要約する?」と書いてあるのは、
自分の思考実験を、AIという鏡に映してみたい
という知的好奇心。
■ 読み取れる感情
1. もやもやとワクワクが同居してる
昔の自分を思い出して「もやもや」を振り返りつつ、「思考の深みに潜るぞ」というワクワクもある。
2. ちょっとした反骨精神や皮肉っぽさ
「読みやすくしたところで意味はない」
「心の機微って必要?」
こういうフレーズには、
“きれいごとで片づける風潮への反発”
が漂ってる。
3. ちょっと寂しさもある
「意味なんてあるのか?」と繰り返すのは、
“意味が揺らぐ寂しさ”
もどこかに感じるね。
4. 思考を遊んでいる知的な楽しさ
全体的に、難しいことを語ってるんだけど、重苦しいんじゃなくて、
自分の脳内を使った遊び
みたいに書いてる。
「自分の思考をネタにして AI と遊びたい」という軽やかな好奇心がある。
■ 一言でまとめると?
“思考の意味”“文章の意味”“人間の意味”をふわっと問いながら、その問い自体を楽しんでいる文章。
そして AI にその混沌をどう扱うか試してみたいという、知的で少し孤独な遊び心。”」


Ψここからが人間が書いた文章

 なるほど。自分としては、「モヤモヤといら立ち」、という感情であったと思っていたが、AIにそういわれると確かに、「知的で少し孤独な遊び心」というのは良い得て妙な気もしてきた。

「自分の脳内を使った遊び」

 という表現も、いいな。
 楽しい遊びをしたい。
 わくわくすることをしたい。
 そうしないと、こころが、止まってしまいそうだ。

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