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完全に引きこもりモード
2016/12/05 19:00 | Comments(3) | 創作について
今日の一言「忍者ブログのコメントの返信分かりづらい」

サイト改修工事状況



 SQLが難しい。
 やりたいことは、複数のデータベースのテーブルから、各話に紐づく感想&批評の件数を集計し、指定したIDに紐づく作品とそれに紐づくサブタイトルと外部結合して表示しろ、ってだけなんだけど、これが恐らく、3時間以上かかった。

 GROUP BYとcount関数と、外部結合と外部結合キーとの関係とか、基礎が分かってないからぐちゃぐちゃになるんだろうなぁ……。

 まぁ結論的に、できた。

 細かい仕様とか、方法は別のファイルにメモしたから、ここで残しておくべきは、できたときの「できたぞぁあわわあああ!」という感覚だろう。

 プロの人たちからしたら、こんな単純なことに何時間もかけるなんて、仕事できない使えない奴……扱いなのだろうが、しかし、この、試行錯誤しながら、苦労しながら、「もうやめるか……」とか「他の方法にするか」とか、「まぁこの機能いらなくね?(はなほじ)」とか、妥協の心が舞い降りてくる中、なんとか壁を乗り越えてやりきった、というのは、中々の達成感である。

壁を乗り越えるということ

 壁、ね。

 よく、スポコンなどでは、努力して壁を乗り越えた先に勝利がある、的ななんか熱い感じのがある。

 努力、友情、勝利! 的なあれだ。

 なんか、ちょっと引いてしまう感覚が僕はあるけれど、本当にやりたいことだったり、楽しいことに対して、壁を乗り越えて、できることが増える、というのは、楽しいし、充実したものだろうと思う。

 勉強頑張って、いい大学に入る。

 転職活動頑張って、いい会社に入る。

 あー、そりゃあ、確かに、すげーことだし、頑張ったんだろうし、いいことなんだろう。

 けれども、本当の達成感とか、充実感ってのが、そこにあるかどうか、それは別問題だ。


 じゃあ、よく引き合いに出す、ゲームとかはどうか?
 そこで出てくるのは、インプットとアウトプット、生産と消費の考え方だ。
 ゲームはやっぱり、消費的な側面が強い。100対ゼロで、消費かというと、そうではないけれども、やっぱりその傾向が強いだろう。
 と、考えたとき、ゲームのクリア的な要素で達成感を得る、というのは、自分のスキル(知識も、指の動きも、動体視力的な何かも全部含めてもよいが)の向上との関連が少ないから、そこに全力投球というのは問題があるのではないか、と思う。

 じゃあ、知識とか、腕っぷしとか、それだけがやはり重要な要素なのか?

 違和感があるが、うまい具合の表現が見つからないし、さほど今回書きたいことでもないからスルーしよう。

時間はえーなぁ

 忍者ブログのコメント、管理ページの返信からすると、非常に分かりづらい。
 今度から普通にフォームから投稿しよう。

 あー、でも、もう外真っ暗だなぁ。昨日買い物とかクリーニングとか行ってよかったなぁ。
 そして休みが終わるのか……。クレジットその他住所変更しないとなぁ。

 ああ、本当に、時間が過ぎるなぁ。

 これまで費やしてきた時間を考えると、三国志シリーズに100時間以上費やしたのではなかろうか。それ以外にも、サードパーソンシューター(TPS)というジャンルのシューティングゲームとかにも、結構使った気がする。今やっている黒い砂漠も、これ、放置時間長いけれども、有に100時間以上は使ってるよなぁ。

(三国志13もいつの間にやら発売されているんだな。やってみたい気はするが、12でのがっかり感があり、レビューも相変わらず低いようなので、これも大分、「やってみる」ことへの労力がでかい。ある意味壁である)

 時間って、ほんと有限だなぁ。
 もう休みが終わるのかぁ。

 愁いを帯びたこの眼差しはどこに焦点をあてるのか……。

 さて、そんなこんな、ボケっとしていても仕方がない。気分転換にと始めたブログだけれども、指が止まるぐらいなら、熱いシャワーを浴びるでも、仮眠するでも、他にすることはあるだろう。

 よし、残り時間も5時間程度となったが、もうひと頑張りするか。

(しかし、何故最近仕事へ対して特にやる気が起きないのだろうか。明日の憂鬱さが気になるところ)

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やりたいことの増加による攻防
2016/12/04 19:00 | Comments(2) | 創作について
今日の一言「ええーもう終わりなの」

あっという間に過ぎ去った土曜日

 なんてこったい、思ったより進まなかった。買い物とクリーニングのため~っと、闇金ウシジマくんと嘘喰い読みにネットカフェに行ったのがいけなかったな! しかし、一週間に一度は愛馬に跨るのがやはり楽しい。明日も乗りたい、と思うのだが、寒かったり、出発するまでの準備がオックウになったりするのはいつものことである。

嘘喰い

 ある方のレビューというか感想において、殺人マシーンとして第二の人格を埋め込まれた哀しき青年のお話し……ということで、シグルイみたいなバトルモノだと思ってたら、全然違った! カイジとかみたいなギャンブラー(賭け)的な作品だった! 騙された!(笑)
 でも面白かった!
 重い雰囲気は避けられないが、人の心の闇とか、悪といった面に焦点をあてて描く作品というのはこれまた面白い。

 最近読み始めた奴だと、善悪の屑という作品。これも、胸糞悪くなる表現のオンパレードだが、面白い。なんというか、復讐屋みたいな家業の人たちの話しで、社会のゴミみたいなやつに、これまた狂ったような復讐を施していく作品なわけだけれども、直近の巻だと、復讐家業のライバル、みたいなのが現れたりして、何だか僕のテンションは下がったりしている。今後盛り返してくれるのかどうか期待したいところ。

 嘘喰いも、面白いし、今後も記憶に残り続けるだろうと思いながら、手元に置いておきたいというと、ちょっと違うなと思ってしまった。手元に残っている漫画は、結構少ない。テラフォーマーズもキングダムも、面白かったし途中まで買い続けていたけれども、既に消えてしまっている。

 闇金ウシジマくんも面白い。これもダークな感じだ。うーむ、しかし、ギャンブルにはまる人の気持ちがやはり分からない。ハニートラップというか、女性のお店的な奴につぎ込むのも分からない。いや、楽しいのは楽しいけれども、どうせ「虚構」なのだったら、もっと楽しい虚構を知っているがゆえに、なのかもしれないな。

 いや、「虚構」を言い始めたらだな、現実世界、といつも規定しているものだって、どこまでそう言い切れるかというのが……おぉう、またこの流れの話しになると長くなりそう。今日はもう寝る。寝るけれども、メモしておかなければならない。

サイト構築の進捗

 システムとは、個々の要素が関連しあって一つの目的を成す体系のことである。

 ゆえに、「因果」である。

 因果により、一つ変えると、他にも大きな影響を与えていく。


 というわけで、難航している。途中から、いっそ、一から全部作った方がはやいんじゃね? という魔のささやきが聞こえるぐらいである。
 最近、扱うデータの容量も大きくなってきたため、効率的なデータの保存についても考えなければいけなくて、そっちをやり始めると、正直時間がいくらあっても足りない。

 データベースの構造を考えるというのが、「正規化」というのであるけれども、これは結構専門的な知識体系が構築されていることで、素人が付け焼刃でやろうとすると、大変なことになりかねない。

 しかも、あまりユーザに対して影響がある部分でないから、やりがいも少なくなっていく。しかし、非常に大事なところであるので、頑張らねばならない。
 そして、簡易的な設計書を作りながら進めているけれども、これ、絶対、一気に仕上げないと、途中からやろうとするとどこをどういじっていいのか分からなくなるパターンだ。明日は、明日こそは、本気で進めていくことにしよう。

 本当は、小説書くのと、半々ぐらいの配分にしようと思っていたのだけれども、難しそうだなぁ……。

反省

 そもそも、今日もユーチューブなんかで、歌が上手い芸人さんの番組とか見ちゃったのがいかん。
 いや、東京03というグループの一人の方が、離婚されていて、2年たったけど未練が残っていて、キャバクラに通い始めてしまった、的な歌は面白かったし、いや真面目に音楽的に上手だなぁと思った。とか思ってたら、ピアノでひぐらしの鳴く頃にのYOUの練習を始めてしまったりと、やりたいことを手あたり次第やってしまった日であった。反省。

 ……いや、あんまし反省してないんだな、これが。非常に楽しかった。久々にいい感じで時間を使えた気がする。
 
 そして、また来週は怒涛のぐちゃぐちゃ忙し具合になるだろう。飲み会的なのも何回か入る。
 あーでも、どうなんだろうな。

 結局、こうやって楽しく過ごせるのも、リアル(現実世界的な、仕事的な)の営みがあるからであって、それがないと、闇金ウシジマくんや嘘喰いなんかで登場する借金して落ちぶれた人たちみたいになってしまうのだろう。

 そしたら、配分が難しいよな。

 配分? そう、つまりだ、「本当の自分」というのは、「引きこもり」の自分であって、「元気で楽しくてにこやかで仕事に真剣に取り組み周囲のことを考え成果を上げて皆のために働く」自分は、代替人格であり、しかしながらそれでいて、自らの生活は後者のそれによって成り立つとするならば、果たして、どこへ、どの程度、どのように力を、時間を投資すればよいのだろうか。

 そして先日書いた通り、僕の意識は先にも向かう。この「引きこもり」の僕がいたとして、果たして、最後の日まで、その孤独という状態を是、とするべきなのかどうか。

 答えは、でない。

 答えは、今の手持ちの情報、知識、思考力、価値観、信念では、導き出すことができない。

 よって、今は、反省などしている暇はなく、ただひたすら前に、前に、自らの感性と、「やりたいこと」の感覚を研ぎ澄ませ、進んでいくのみである。


 とか何とか、かっこつけて書いていて、きっと後から読むと赤面するほど恥ずかしいのだろう。
 まぁ、よい、それでもだ、自分の感覚を徹底的に構築していくというのが、ここの主旨なのだから。


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休みがあるから頑張れる
2016/12/03 19:00 | Comments(2) | 創作について
いよっしゃぁぁぁ! 戻ってきたぞぉ! 俺は、帰って、きたんだ!

物語に向かってひた進む

 今日(金曜日)は、早く帰ることができた(21時)。素晴らしい、そして、土日は、(対人的な)予定が無い。
 予定通りだ。一週間ぐらい前から、この日を待っていた。体調も悪くない。いいぞ、いい感じだ!

 こういった感覚が、本来、仕事であるべきだとも、ちょっとは思う。
 サイト開発するのだって、それは立派な仕事として成り立ってるものだ。WEBデザイナーとかクリエイターとか。
 しかし、まぁ、仕事になると、面倒くさい地味なコーディングだったり、ガチガチに固められた仕様のとおりデザインしたりと、何かと大変だろう。

 と、考えると、最初から最後まで、自由に、好き勝手、好きな時間で、好きなだけ時間をかけて何かを創るというのは、本当はとても楽しいことなのだろうと思う。

 狩猟採集民は、確かに、野生のライオンに襲われて、またはふとした怪我や病気によって、簡単に命を落とすことも多かったろう。
 しかし、危険が伴う狩りは数日おきでよく、毎日の採集活動は、3時間程度で済んだ可能性があるということだ。
 そう考えると、朝6時に起きて、帰りつくと23時過ぎという、17時間ぐらい生きるために時間を使うというのは、はてさて、どちらが幸せなのか。

 いやもちろん、命の危険というリスクと比較などしようがないし、狩猟採集民において、プライベートなんてものはないし、付き合う人もネットなんて無いから限られていて、生涯で新たに知る人も百人程度であった可能性があるということだ。

(前出のサピエンス全史)


 未だ、農業革命前夜だけれども、まだ、ここまでで、「ああ、狩猟採集民時代のほうがよかったねぇ」とは実感としてはならない。ただ、狩猟採集民への印象というか、雰囲気というか、生活というのが少しだけイメージできるようになり、面白い。
 漁村、って、農業革命前に、既に「定住」がなされていた先駆的な集まりだっていう表現も面白い。
 今までの知識だと、「農業するようになったことで、人類は定住するようになった」的なインプットだった。
 狩猟採集民が、よほど、自らの周りの道具や、環境、土地、風土、など、生活の知恵に長けていて、確かに、現代人は、知識の高度さでいったら、ヒッグス粒子とか明らかにしてしまうぐらいすごいわけだけど、一人一人の能力は然程ではなかった、というのは、これまでの実感を強く補強してくれてたし、うん、2000円ぐらいの価値はあると思う(また上から目線、というよりも、そもそもまだ上巻であって、下巻もあるのだ!)。

サイト開発

 さて。ルーチンを終えたら、寝るまで一気に突っ走る。
 しかし、睡眠時間は削ってはならない。朝の活動可用性が著しく下がる。

 しかし、この、早く帰れて、好きなことに時間が使えるというこの久しぶりの高揚感に、果たして、眠れるだろうか……。

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主人公の女の子が未来を嘆く
2016/12/02 19:00 | Comments(2) | 創作について
時間が、無い。いや違う、時間の使い方がよくないだけだ。いや、忙しいぞ、忙しいとは、心を失うということだ。
 あー、その、なんだ、「東京マグニチュード8.0」というアニメーションを見た。一話目と二話目まで。
 主人公の女の子が、恵まれた中流家庭で、弟くんもいるけど、共働きの親と、仲が悪い両親と、口うるさいことや、学校でもなんでも、面白いことがないだとか、愚痴愚痴しやがって!(笑)

 まーでも、思春期って、そういうもんだろうか。
 未来、この先どうなるのか、つまらないことばっかり、10年後の自分はどうなっているのだろうか、分からない、悩む、ただ取りあえず日常生活の小さな苛々に耐え続ける……。

 え、これ、今の俺じゃね?! 中学生レベル? 中学1年生? 中二病? マジかよ!

 と思った。
 いやー、地震怖いね(今更)。

最近作品を見るのも勇気がいる

 カバネリ、という作品は、ある方が宇宙一面白い! と仰っていたから、見るまでの障壁がいくぶんか低かった。
 しかし、やっぱり、新しいことをするのは、いまや、何か作品をみるとか読むというのも、だいぶ【心の】労力が必要である。

 この「東京マグニチュード8.0」という作品も、(まぁ2話までしかまだ見てないけど)「無感動の俺が感動した3つの作品の一つ」みたいに宣伝されていたから、じゃあ見てみようか、と思ったわけだった。
 バイク便のお姉さんが出てきて、バイクの描写も結構リアルだったりしたところも、最後の一押しにはなった。

 本当は、ウォークラフト、という今年公開された映画なんかも、ちょっと気になる。オークと人間が共闘するらしい。映画にしては少し珍しいストーリーな気がする。でも、どうしよう、悩む。

 君の名は、も見たい。逃げ恥も、漫画がちょっと面白いなと思ったら、ドラマが大ブームになっている。
 だが、今一歩、踏み出せない。これは何故か。

 時間がねーんだよ!!

 と、最初の書き出しに戻った。奇跡的である。

どれだけ効率に生きているというのか

 時間がないとか言いながら、ボケっとしている時間はかなりある。
 だが、それはそれで必要なのだ。この、ダラダラ高速にタイピングしていく思考メモも必要なのだ。

 そうじゃなきゃ、本当に、頭がパニック、パニックとは何ぞ? 混乱、カオス、面倒、つまらない、ごちゃごちゃ、苛々、むしゃくしゃ、落ち着かない、焦燥、不安、怖れ、心配、羞恥、……とにかく混沌とするのである。

 
 どうどう、落ち着け、落ち着け。

孤独が怖いのか?

 例えば、今日の帰り道、ふと思った。

 いや、ぶっちゃけ最近楽しくねーか?

 でも、独り身だ。彼女もいない。実家暮らしでもないから、帰る家は真っ暗で、冷たい、寒い。

 寂しいのでは?
 いや、ところが、全然それは無いのだ。――と、書いたとして、わざわざ、「俺、一人だけど寂しくないもんね!」とか書くのって、即ち寂しいという感情の裏返しなのでは? ……と一通りの反転思考や反転感情を経たうえで、いやぁ、やっぱり、別に一人でいることは特段そんなに問題ではない。

 いや、ほとんど、帰りが23時過ぎだとか、人と一緒にいる時間が長すぎるからなのかもしれんが。
 バランス、って問題なのかもしれない。

 それであっても、やっぱり、物理的空間を一人でいるのは、特にそんなに問題ではない気がするのである。
 というのは、昔からそんなことを書いたり思ったりしているわけだけど、特に最近、尊敬する方々のブログ読んだり、コメント頂いたり、拍手(読了)押してもらったり、相互関係的な奴が非常に今まで以上に恵まれている点も、拍車をかけて寂しさがどっか遠くへ行っているのかもしれない。
 黒い砂漠というゲームも、小麦を栽培したり、ビールなど料理したり、鉱物資源の加工をしたりとか(ほぼ放置)、結構楽しかったりする。ビジュアル的に美しいし可愛いし。

 おお、リア充ならず、ネト充ではないか! 素晴らしい!

しかし、隣にいるのは破局

 と、まぁ、普通、何にせよ、充実している場合は、それほど、上に書いたような不安や焦燥、苛々なんてものはそんなに起こらないものである。

 だが、僕が問題なのは、今までも、そしてこれからも問題であるのは、やっぱり、このブログのタイトルに起因しているように思えてならない。

 30代独身、彼女なし、友人なし、の人であって、「いや、別に寂しくないよ」という人は、きっと、それは負けず嫌いでも何でもなくて、本当にそう思っているのだと思う。

 僕も別にそんなに困っているわけではないが、いやむしろ、23時過ぎて疲れ果てて帰ってきて、妻や子供の相手をしたりイライラをぶつけられたりするのは、とても耐えられない気がしてならない(ある奥さんとお子さんがいらっしゃる方は、奥さんの機嫌が悪かったりすると、家にかえってもくつろげなくて非常にストレスだと仰っていた)。

 なので、まぁ、独身生活ってのが、悪いものなわけでもない。
 ああ、もう一つ、ちょっと文脈関係ないが、ある方がブログで書いていたけれど、「一人暮らしって、そのうち超贅沢になるよ。貧乏人はシェアハウスとかでしか生活できなくなるよ」と指摘されていた。
 ふーむ、鋭い感性だなぁ、と思う。


 まぁ、それはともかく、自分が今、さみしかろうが、さみしくなかろうが、僕の意識は、常に、その部分を向いていないのだ。

 何故か知らないけれども、僕は、今ここに生きているにも関わらず、まだ見ぬ先の世界を思い描いているのである。

 ……と、表現すると、なんだかちょっとカッコイイ感じだが、ある故事で表現すれば、「杞憂」である。ありもしない怖いことを恐れて、びくびく生きることである。

 そんなわけだから、「東京マグニチュード8.0」とか、カタストロフ的な作品が、ちょっと面白いとか思ってしまうのかもしれない。
 防災的な観点でみよう、というのは健全かもしれないが、どこか退屈な日常が壊れてしまわないか、と願うのは、まさに主人公の、中学校1年生の女の子、に他ならない。

 あー、精神年齢、12歳~13歳かぁ。恥ずかしいなぁ、と、なる。

取りあえず何か創ろう

 ともかく、40分ぐらいかけてサイトのプログラミングを進めた。
 本職の方には当たり前なことだけれど、やっぱり、「コメント」って超重要だと思った。
 コーディング自体、5年? ぐらい前のもので、何となく構造は分かるけれども、詳細なコードなんて覚えていない。
 やっぱり、実現するのに、デバッグを何度か重ねたけれども、「こっからここまでの処理は、こういう意味だよー」的なコメントがあったおかげで、思いのほか早く修正、改善、改築ができた。
 同時に進めている、感想等コメント情報の統合だけれども、これも、思ったより早く実装できるかもしれない。……と、慢心すると、致命的な壁にぶちあたったりする。取りあえず、東京マグニチュード8.0の3話目以降もみたいけれど、今週の土日は、ある程度年内中にリリースできるぐらいまで進めたい。

 年内中、とかいって、まだ1か月ある、ようなこと思ったらアホである。この前の予定表、

1.12/3(土)、12/4(日)

2.12/10、12/11

3.12/17、12/18

4.12/24、12/25

5.12/31、1/1


 これのとおり、あと、5回しかタイミングはない。で、2と3が埋まっているし、5は、もう半分年内じゃないし、実家に帰るとしたら開発環境ないし、すると、1と、4しかフリーな時間は無いのだ。

 そうすると、もう今週がかなり本気モード、というのが分かるだろう。4日間しかないということは、実働時間を16時間としたとき、4×16で、64時間しかないのだ。……、ん、そうすると結構ある気がする。いやいや、まてまて、3時間ぐらい食事の時間として、2時間ぐらい家事的な時間、買い物があったりすると、プラス3時間とか余裕で過ぎる。そうすると、まぁ、40時間弱ぐらいしか、時間はとれないのである。

 更に、一日10時間としたって、受験期だって、連続で10時間も勉強なんてできた試しがない(し、そもそもそんなの非効率だが)。使える時間の、半分ぐらいに実働を割り当てられたら、結構頑張った方だと思う。

 いやだからこそ、あんまり、休みとか、まとまった時間に期待をするのはよくなくて、こういう平日の積み重ねが、「創る」という行為には非常に大切なのは言うまでもない。

 言うまでもないが、しかし、23時とは言わない、21時でも過ぎて帰宅して、そっから何等か作業して、じゃあ創作活動に時間を使えるか、というと、かなり体力的にも精神的にもつらいのである。

 いやいや、お前、そんなこと言ってる割に、今日も、「東京マグニチュード8.0みましたー」という感想書いて終わろうとか思っていたわりに、結構長くなっているこのブログは何だよ?

 うん、これは、残念ながら、創作ですらない。じゃあ、遊びか、というとそうでもなくて、当然仕事でもなくて(一銭の価値にもなりゃしない)。何だろう、この「書くこと」は、どちらかというと、僕の生活の中で、何か独立したもの、になっている気がする。

 まぁ、それもそうかもしれない。初めて日記的なのを書いたのを、中学一年生とするか、高校一年生とするか、自分でもよく分からないが、まぁ高校からだとすれば、15年近く続けてきた作業というわけだ。

 ふむ……、そう考えると、自己肯定感が常にとても低い自分ではあるが、トイレットペーパーの芯をものすごく大量にコレクトしている人並みにはすごいことをやっている気もしないでもない(すぐさま書いておかねばならないのは、別にバカにしているわけではないが、一般的には無駄なことをやっているという意味での比喩である)。

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眠れない夜に思考の整理を行う
2016/12/01 19:00 | Comments(0) | 思考及び書くこと

良い文章とは何か?

 昨日の、複数日の短文を混ぜこぜにした記事は、これでもかというくらい分かりづらくなった。
 本来、ブログとは「公開」が前提とされていて、誰しも読むことができるものだ。これが、日記文学などといわれ、例えば兼好法師の徒然草だとか、昔から伝えられるものと異なる点だ。

 上の文章を分かりやすく書くと、

⇒ブログは、「公開」が前提とされていることが、従来の日記(例えば兼好法師の徒然草など)と異なる点である。


 となる。
 どちらが、良い文章かといえば、後者である。しかし、改善はもっとできるだろう。兼好法師の徒然草を強調したいのか、日記文学について書きたいのか、ブログの「公開性」について書きたいのか、それによって、表現の「正解」は変わってくる。

 つまり、文章は、実は短文のみでは、何が正解かは決まらないものなのだ。
 文脈の流れの中で、筆者の伝えたいことを明確に、正確に、簡潔に伝えられるものが、良い文章の条件となる。

思考ブログの難点

 上の小見出しにおいては、「良い文章とは何か?」に対応する表現である。ポイントは二点ある。一つは、一文、二文、といった短い文章だけでは、その文章全体が「正しい」のかどうか、判断できるものではない、ということ。もう一つは、良い文章とは、明確で正確に、かつ簡潔に伝えられるものであるということだ。

 しかしだ、条件はそれだけではない。

 人の来歴――いわゆる知識だとか、感情傾向、立場など属性によっても、その文章の理解度が変わる。

 この文字による伝達については、サピエンスという人類種が、虚構の言語を用いるようになった7万年前の認知革命によって、表現が無限大に広がった結果である。

 ある方が、「よい感想とは何か」という問題定義をされていた。僕なりにこれの答えや、見解といったものはあって、いずれ整理した記事をサイトの方で掲載したいという目標もあるのだけれども、今のところ優先順位は低い。
 もったいぶったこと書いてしまったが、結局、作品を構築された作者さんにとって、「何らかプラスになるもの」というのが良い感想だと思っているに過ぎない。書くべきは、具体的にどうしたら、その目的に近づけるか、ということであり、ここに力を注ぐべきだとは思っている。

 閑話休題。話しがズレた。

 良い文章とは何か、ということについて、それは中々難しいものだ、ということ。その点が確認できれば、長々と書き続ける必要はない。

 この小見出しにおいて記載すべきは、その「良い文章」を、ブログにおいて、必ずしも目指さなくてもよい、という、反逆児的な表現である。


「そんな駄文はローカルな日記でやってろ!」

 という批判はもっともである。しかし僕は、思考の過程の記述、というのは、それもまた、ブログでこそ表現可能なものではないか、と思っている。

目的無きブログの存在

 ここら辺の表現は難しくて、本当の意味で虚無、何ら目的がない、というのであれば、残念ながら、それは「理想的に」無意味でしかない。

 しかし、現実世界と自己は、結局のところ相互作用を受け続ける関係であることからも、「完全な虚無」というものは存在しない、と思っている。主語無き文章は減点である。左の記述は、「あくまで私はそう思っている」というだけだ。

 例えば、いつも書いているように、ゲームして無駄にダラダラ過ごしてしまったとか、ネットサーフィンで無駄時間費やしたとか、昼まで寝過ごした、とか。それらは無価値な行為だったかもしれないが、その「無価値さ」というのは、何らかの目標や目的に照らしてこそ、本当に無価値であったという判断がくだされることとなる。


 ダラダラと書いてしまっているが、結論はこうだ。
 ダラダラと書いたっていいじゃないか、と。


 では、何故僕が、他者のそういったダラダラした(と書くと表現が悪いが、もちろん否定的な意味で書いているのではない)記事を面白いと思うかというと、そこに、「思考の過程」が含まれているからだ。


 ぶっちゃけ。率直に申し上げれば、答えを知るということなど、もはや興味があまりわかないのである。
 答えなんて、いくらでも知っている。大げさか? いいや、そんなことはない。生きる上で必要な、本当に必要な答えなんてのは、驚くほど少ないのだ。

 そんな、真理を悟りました、的な表現をしていながら、何を俺は苦悩しているのか。そもそも、自分で苦悩とか言っちゃうところが、まぁ変態である。ナルシストだとか、まぁその他たくさんの批判が可能な状態、人間、人格といえるだろう。
 それは置いておいて、まず、「僕は苦しんでいる」という前提をしいて、その前提と、「答えを知っている」ということの矛盾とは何か、を書いてみる。

答えの実感問題

 アリストテレスという哲学者、……関係ないことをまた書きたくなった。

 僕が面白いと思うブログは、「前提」を限りなく低くしいているものだ。
 前提とは、換言すれば、間口の広さともいえる。専門的なことだとか、難解なことがテーマになっていることが問題なのではない。そのとっかかりが、その使われる言語、キーワードが、分かりやすく配慮されていることである。

 アリストテレスなんて、そんな、紀元前4世紀ぐらいのギリシア時代の哲学者で、プラトンの弟子だが形而上学だけでなく形而下学も重視しただとか、ニコマコス倫理学という本を書いたとかアレクサンダーの先生だったとか、まぁそれぐらい当たり前だろうと(いや、僕は今無い知識を適当にならべただけだけど)、それぐらい読者の皆さんはご存知ですよね? みたいな大上段で書かれたブログは、ちょっと敬遠してしまう。
 他にも、とある作品の、登場人物を並び立てて、それがかっこよかったとかどうだっとか、表層的になってしまっていたり、芸能人の誰それがどうしたからどうだとか、はたまたローカルなコミュニティの人を挙げてそれがどうした、だとか。

 そういうのが間口の狭い記事である。

 僕が面白いと思った記事だとか、すごいなぁと感じた方だとかを、敢えて「だれだれさんが~」と書かないのは、そういう意味でもある。
 何か、自分の知らない人が絶賛褒められていても、「え、別におれはその人しらねーし」と、距離感を覚えるだけである。
 いわゆる、感情の押し付け、押し売りみたいなものになってしまう。そういう傾向があるブログ記事は、いくら「思考の過程」が面白くても、継続して読みたいとは中々思わない。


 おお……、小見出しとまた、全然違うことを書いてしまった。
(本当は、アリストテレスのアクラシアという概念で、分かっちゃいるけどやってしまう、的な状況があるから、「答え」(真理、善のイデアみたいなの)だけが重要ではない、という方向にもっていったことを書きたかったのだが……(苦い笑い))


 でも、書きたくなったのだ、いや、書いておかねばならないと、そう思ったのだ。

 この感覚。

「俺、そもそも何を書きたいのか、何をしたいのか、よく分かんねぇ」

「あー何だか、苛々する。面倒だ。何もしたくない」

「あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」

「つまらない。何で生きてるんや」


 とか。
 こうした状態に陥ったとき、取りあえず書くのである。それが思考の過程である。
 だから、まぁ、これは致命的な欠点であるのだけれども、どうしても「長く」なってしまうし、逆に、短いと、その大きな目的が機能しなくなるのである。

 とはいいつつ、もっと効率化したいという思いもある。
 そのためには、もう、「インプット」を強化するしかない。自分の記事を、だ。自分で書いたことをちゃんとインプットするのだ。さもなければ、永遠と、トートロジー、同じことを反復し続けてしまうだろう。

メモとしての記事

 メモ、としては、これも、ある尊敬する方が、新しくブログを開始されたので期待と嬉しかったということでもある。リンクも追加した。

 俺はすぐさま、「尊敬って何だっけ?」と思ってしまう、サイコパスかアスペルガーか分からないがおかしな人間なのかもしれないが、「尊敬」とは、すごいなぁと感じる人、参考にさせて頂きたいなと思う人、のことだと思う。好敵手、ライバルというのとは違うのか、何か違う。他に実感表現がない。やっぱり、尊敬という言い方で正しいと思う。

 あ、また出てきた、「正しい」という表現。ここでいう正しいは、「自分の実感において」という意味である。はい、主語ない文章、減点、である。ふむ、分かりやすい文章道とはかくも大変なものである。

 いや、そもそも、だ、メモとしてであれば、箇条書きの方が適しているではないか、ということになる。

 これも、違うのだ。メモしておくべきことは、単に「事実」ではない。その事実において発生した自己の感覚、感情である。



 なんか先日、苛々しすぎて、なぜ人は争うのか! みたいなことを書いていたけれども、あれはあれで、結構実感言語だったりする。
 いやほんと、みんな仲良くすりゃええやん。楽しめばいいじゃん。と、ホント思うんだけどね、そうはいかないものなのだ。哀しき哉。

 貴方の夢はなんですか?

 世界平和に貢献することです。


 いや、ホントそう思うよ。一方で、昨今増えてきている電車でお年寄りに席を譲らない人でもある。親を亡くした子供たちのための募金活動をみても素通りしてしまう人でもある。
 これが、「答え」と、「実感」との乖離であり、長々と文章を書かなければいけない理由である。

 答え、なんて、もう高度化した社会で殆ど役に立たないと思うんだ。

「あ、ライオンだ! 逃げろ!」

 その程度で、情報伝達としての言語表現は十分なんだ。

 とか、そんな言語表現を絶望した人が、数学者とか、数式など自然科学にのめりこんで成果をあげるのかもしれない。……なんて完全に思い付きで余談であるが。こういうのが、ツイッター的つぶやきである。

 甚だメンドクサイ生き方な気がする。
 こんなのモテないだろうな、と、以前どっかの記事に、数年前に、書いた気がするが、やっぱりホントそう思うわ(かっこわらい)。

 でも、だ。それが「めんどくさい」のなら、何故僕は、こんな時間(26時)に眠りもせず、書き続けているのか。

 それは、これまた矛盾しているようだが、きっと、「楽しい」のだと思う。

 変な奴だな。仕事は嫌で、重くて、プレッシャーで、めんどくさくて、やりたくないな、朝が憂鬱だな、と思って、こうやって、めんどくさい思考は、めんどくさいのに睡眠時間を削ってまでやっている。

 まぁでも、最近の傾向として、せいぜい30分~45分ぐらい、1時間いかないぐらい書いていると、だんだん落ち着いてくる。

 結論は、毎回どうなるか分からない。いちおう、良い文章講座的には、起承転結でオチをつけねばなるまいと、思うのだけれども、そもそも、いつも書き始めたときに書こうと思っていたことから、どんどん変わっていく。だから、たまたま最後に、最初に書き始めたことと関連する終わり方に近づいたときは、「奇跡的に初めに戻った!」的な感覚表現をしているのである。

 今日はどうだろうか?

 ふむ……ダメだ、全然関連性が浮かばない。

今後の予定を

 まぁ、あれやな、「眠れない夜に思考の整理を行う」というタイトルからすると、妥当な気もする。
 はぁ、……、ああ、しかし、

1.12/3(土)、12/4(日)

2.12/10、12/11

3.12/17、12/18

4.12/24、12/25

5.12/31、1/1

 先日のこの予定表。2と3も予定が入っている。
 ので、次にやってくるお休み、3日、4日は、結構貴重だ。


 この日に、サイトの改修と、物語の構築をある程度進めたい。
 そのためには、家事的な準備や、食糧の備蓄、部屋の片づけ、ルーチンの実施、早期の帰宅、帰宅のための仕事の段取り、早めの就寝……などなど、今から色々準備する必要があるだろう。

 これも先日、「そもそも生きる上で、仕事とプライベートを完全にわけてしまってよいのだろうか。仕事における自分も、プライベートにおける自分も、同じ自分なのであって、その総体が人生そのものではなかろうか」と書いたわけだけど、そんなカッコつけたこと正直どうでもいいわ(かっこわらい)。

 休みが、土日があるから仕事も頑張れる(この頑張るという表現も、先日書いた通り「努力」というマイナス言語で用いている)し、成果もあげられる、ということも、やっぱりあるだろう。

 仕事くそめんどくせえやってらんねぇ仕事上の付き合いとかやってらんねぇ、とかね、まぁそこまで思ってるかどうかも別としてだけど(自分でもよく分からない、何せ苛々してパニック状態であるから)、それを切り離した生活、生き方もまた、悪くないと思うよ。

 思うけど、これは、あまり何回も書いたことはないけれど、その、明確な切り替えってのは逆に危険もあって、例えば、サザエさん症候群とか、ブルーマンデー症候群とかが、ものすごく重くなったりするわけ。最近はやりだと、新型うつとかね。
 新型うつとか、悪意のある伝えられ方のやつを間にうけると、ふざけんな甘えだ! と思うわけだけど、まぁでも、「趣味的なプライベートが楽しければ楽しいほど、そのギャップ的に仕事が重く憂鬱になる」という感覚は、僕は分かる気がする。
 だから、あんまり明確に仕事とプライベート、という分けはしない方がいい気がするなぁ、的な、そんな程度の感覚で、「仕事における自分も、プライベートにおける自分も、同じ自分なのであって、その総体が人生そのものではなかろうか」とか書いちゃうところが、本当に二流的なアホだなぁと、自嘲する限りである。


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