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完全に引きこもりモード
2016/12/05 19:00 | Comments(3) | 創作について
今日の一言「忍者ブログのコメントの返信分かりづらい」

サイト改修工事状況



 SQLが難しい。
 やりたいことは、複数のデータベースのテーブルから、各話に紐づく感想&批評の件数を集計し、指定したIDに紐づく作品とそれに紐づくサブタイトルと外部結合して表示しろ、ってだけなんだけど、これが恐らく、3時間以上かかった。

 GROUP BYとcount関数と、外部結合と外部結合キーとの関係とか、基礎が分かってないからぐちゃぐちゃになるんだろうなぁ……。

 まぁ結論的に、できた。

 細かい仕様とか、方法は別のファイルにメモしたから、ここで残しておくべきは、できたときの「できたぞぁあわわあああ!」という感覚だろう。

 プロの人たちからしたら、こんな単純なことに何時間もかけるなんて、仕事できない使えない奴……扱いなのだろうが、しかし、この、試行錯誤しながら、苦労しながら、「もうやめるか……」とか「他の方法にするか」とか、「まぁこの機能いらなくね?(はなほじ)」とか、妥協の心が舞い降りてくる中、なんとか壁を乗り越えてやりきった、というのは、中々の達成感である。

壁を乗り越えるということ

 壁、ね。

 よく、スポコンなどでは、努力して壁を乗り越えた先に勝利がある、的ななんか熱い感じのがある。

 努力、友情、勝利! 的なあれだ。

 なんか、ちょっと引いてしまう感覚が僕はあるけれど、本当にやりたいことだったり、楽しいことに対して、壁を乗り越えて、できることが増える、というのは、楽しいし、充実したものだろうと思う。

 勉強頑張って、いい大学に入る。

 転職活動頑張って、いい会社に入る。

 あー、そりゃあ、確かに、すげーことだし、頑張ったんだろうし、いいことなんだろう。

 けれども、本当の達成感とか、充実感ってのが、そこにあるかどうか、それは別問題だ。


 じゃあ、よく引き合いに出す、ゲームとかはどうか?
 そこで出てくるのは、インプットとアウトプット、生産と消費の考え方だ。
 ゲームはやっぱり、消費的な側面が強い。100対ゼロで、消費かというと、そうではないけれども、やっぱりその傾向が強いだろう。
 と、考えたとき、ゲームのクリア的な要素で達成感を得る、というのは、自分のスキル(知識も、指の動きも、動体視力的な何かも全部含めてもよいが)の向上との関連が少ないから、そこに全力投球というのは問題があるのではないか、と思う。

 じゃあ、知識とか、腕っぷしとか、それだけがやはり重要な要素なのか?

 違和感があるが、うまい具合の表現が見つからないし、さほど今回書きたいことでもないからスルーしよう。

時間はえーなぁ

 忍者ブログのコメント、管理ページの返信からすると、非常に分かりづらい。
 今度から普通にフォームから投稿しよう。

 あー、でも、もう外真っ暗だなぁ。昨日買い物とかクリーニングとか行ってよかったなぁ。
 そして休みが終わるのか……。クレジットその他住所変更しないとなぁ。

 ああ、本当に、時間が過ぎるなぁ。

 これまで費やしてきた時間を考えると、三国志シリーズに100時間以上費やしたのではなかろうか。それ以外にも、サードパーソンシューター(TPS)というジャンルのシューティングゲームとかにも、結構使った気がする。今やっている黒い砂漠も、これ、放置時間長いけれども、有に100時間以上は使ってるよなぁ。

(三国志13もいつの間にやら発売されているんだな。やってみたい気はするが、12でのがっかり感があり、レビューも相変わらず低いようなので、これも大分、「やってみる」ことへの労力がでかい。ある意味壁である)

 時間って、ほんと有限だなぁ。
 もう休みが終わるのかぁ。

 愁いを帯びたこの眼差しはどこに焦点をあてるのか……。

 さて、そんなこんな、ボケっとしていても仕方がない。気分転換にと始めたブログだけれども、指が止まるぐらいなら、熱いシャワーを浴びるでも、仮眠するでも、他にすることはあるだろう。

 よし、残り時間も5時間程度となったが、もうひと頑張りするか。

(しかし、何故最近仕事へ対して特にやる気が起きないのだろうか。明日の憂鬱さが気になるところ)

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コメント

 壁って何なんだろうね。自分にとって壁が何だったのか明確に分かることってなかなか無いなぁっていうのが私の実感です。
 技術、やる気のコントロール、計画力そういうものの事をいうのかもしれないけど、大抵の場合、よく分からないうちに「作業」が終わっている。
 今回の場合みたいに「SQLを使って目的を達成する」といった形で明文化される事は少ないように思う。逆に私の場合は明文化してこなかった。
 これは私の解釈ですが、壁っていった場合って、小さい困難をさすことって少ない気がする。ブログを構築するやる気をコントロールするのが大変だから、それが壁とは中々いうことが無いのではないかって思うんだよね。となると壁って何なんだろう。
 今何となく考えたのは「それを越えることがパラダイムシフトの発生につながるか否か」によって壁を定義できるのではないかということ。まぁ私の解釈ですが。

 時間って貴重だよね。誰にでも等しく与えられているけど、時間を使って生産するものにはすごい差がある。でも、外から見て、生産されているか否かを判断するのってすごく難しいと思う。外から見てこいつなにもしてないって思ってても、実は精神的な活動によって、今度につながるものを生み出しているかもしれない。または、人が見ていないだけで何かを作っているかもしれない。

これは多分自分にも当てはめることが出来る。自分の生産性を自分自身は多分知らないよ。いつの間にか何かを生産しているんだと思う。この無駄な時間はきっと無駄にならない。そういう見えないものを見える人間に私はなりたいwww
posted by QUWEat 2016/12/06 00:35 [ コメントを修正する ]
壁とは何か。コメント頂き衝撃を受けました。
小さな問題は壁とは言わない。パラダイムシフトが発生したとき事後的に壁であったと認識可能である。

その考えにおいて、確かに、自分で壁と認識できることってあんまりない。

そもそも、パラダイムシフトが人間、起こるのな。いわゆる、価値観が変わるような衝撃。

ないなぁ。


仕事がどんどん増え、難易度も上がっていき、それでも必死にやって、その結果、上手くいったこともあれば、問題も発生した。
今度は、その問題を全部お前のせいだと言われた。

そんな状態で不愉快な状況が続いていたところ、励まされるどころか離婚を切り出された。

衝撃的ではあった。

しかし、パラダイムシフトが起こったか?


いいや、むしろ、そもそも、小学校、中学校高校と、苛められてきて、あぁ、人間ってクソつまんねぇ生き物だなぁと思い続け、それでも、良い面もあるだろうと、明るく楽しくふるまって、友人もできれば恋人もできた。

けれども、やっぱり、会社では不利なれば自分の頑張りは他者からまったく関係なく、切り捨てられるし、愛する女性からも簡単に裏切られる。


あー、やっぱり、昔の思った通りじゃねえか。
これが人間か。
社会か。
人生か。


パラダイムシフトなどでなく、実感の強化。

変な意味での、俺は昔から間違ってなどなかったという、強い確信。



コメントやメッセ頂いて、なんだか、瞬時にいろいろ思いました。
posted by 遠藤at 2016/12/07 20:43 [ コメントを修正する ]
いやーよくわかるわ
昔抱えて考えを払拭しようとするがごとく頑張ってみたけど、あんまり報われないで辛い想いするとかあるわ
ていうか今そういう状態だわ

でも、もっと軽く考えたらいいよ。何かやってみて振り返って昔の自分には出来ないことだと思えたらそれは、パラダイムシフトとまではいえないけど似たようなことが起きてると思う。

プログラミングを初めたころとはビギナーだったけど、ある時からそれを抜け出した。でも未だにプロにはなれていない。プロレベルに到達したら間違いなくプログラミングの領域に置いてパラダイムシフトが起きたといえるよ。まぁ、そこにはたどり着いて無いけど・・・
posted by QUWEat 2016/12/08 01:18 [ コメントを修正する ]

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