ダンプカーには男が二人見える。ダンプカーが襲ってくる。自分の車を踏み潰そうと。
俺は逃げた。――いや、殺さなければ、殺される。
坂を下ったところで、路地に入り、ダンプをやり過ごそうとする。
しばらく待ったところで、ダンプは、やり過ごすどころか、突然目の前に現れる、バレていたのだ……!
再びアクセル全開で逃げる。
今度は、農道のようなところで、車を止め、ダンプを銃で連射し、すぐに弾切れになった。
観念して車から降りた所で、大男が現れた。
「殺すなら殺すがいい」
「殺すのは、君の方だよ」
男は、何か悟った風にいった。
そして、走りよってきた女性と子どもに手をやって、「妻と娘だ」と言った。
「そんなことは分かってる、そうじゃなくて……」
僕は気付いた、これは「ゲーム」だったのだと。
「なら、この後、どうなるんです?」
「再度行われる。もう少し多くの弾薬を渡されて」
男は、こちらを真っ直ぐ見据えて言う。
「初めは皆、ここに入って、最高の楽園だと思う。最初のうちは。だが、何年、数十年経っていき、同じように思える奴はいない」
「――分かってる! そんなことも分からない俺じゃない。だけど、だけど、一体どうしたらいいんだ!」
男は少し優しい目になって、木の上の、男の隠れ家のような所に案内された。
現在性、現時点性という言葉で現在を表現していますが、これは、単に過去への恐れなのではないか、という疑念は、当然存在しています。
今日は、ふと、そうした過去に触れることになったわけですが、その「記憶」「データ」というものに対しての、やはり今の日記を書いてみたいと思います。
以下、涼宮ハルヒの憂鬱という作品のファンフィクションですが、非常によくできた作品でした。
http://punpunpun.blog107.fc2.com/blog-entry-1418.html
http://punpunpun.blog107.fc2.com/blog-entry-1417.html
禁欲のカテゴリはいずこに?
取り敢えず、今日の朝からスタートしてみる。
朝、必死に考えていた。何故やるのか、と。
もはや、それほど、あの目標は重要視していない。
車買う! という目標も、まぁ、バイク買ったことで、大体目標どおりだし。
なりたい自分になれているか、というと、なれている、としか答えようがない、これは強がりではなくて。
逆に困ったわけだ。
このブログ(アクセス制限がかけられる)から、いいかも。もう一つのブログは使えなくなったわけだから、ローカル日記の代わりにできそうだ。
なにかやろうと思ったら、もはや、何か捨てなくてはいけなくなった。
サイトを復興させようと思ったら、SNSをやめなきゃいけなかったり、その他仕事を諦めなきゃダメだったり。
H氏と遊びに行くのをやめたり、と。
どうすっかね。
TNさんとからんでては面白いけど、「で?」
しかしこの、「で?」というの、なんなんだろうね。
職場の彼(K1くん)とか、K2くんとか、金もちなりて~ って言ってるけど、うーん。まぁ、K2の方は、冗談、つーか、単に会話が続かないから(いいすぎ)しているようにも思えるけどね。
ぼくは おれは わたしは よく分からない。
もう、就職してから、半年が過ぎている。
ホントは、そう、でも、ボクが楽しいのは、きっと文章を書いていることだと思う。この瞬間が、楽しい。
でもなぁ。
ふっ。
まぁ、これがいけなかったんだろう。楽しいけど、「でもなぁ」といってるのが。
ただ、しかしながら、本当に、何かに打ち込むってことが、ボクにはできなかった。
てか、人と交わるのに失敗した。
ホントに???
そこらへんが、もう、固定的価値観。つまんねーな。
でも、「概念の無い」のは、自分の足場すら壊すものだし。
この思考になった場合、「死」しか、魅力的にうつらない。
でも「死」だって、そんな大したものじゃない。
H氏の父親が死んで、彼も、相当まいってるようだけど……でもなぁ。
彼にいった、僕の、「イマイキテイルコトノイミ」の方が、自分にとっては重大な問題なんだ。
分からないだろうな。
肉体が消失することによる、感情、思考の喪失。
この意味が、伝わらないんだ。どうしても。そして、俺自身も、伝える表現をもちえなかった。
「死んだらどこに行くの?」
宗教の意味なんて、もう十分にわかってるんだ。
そうじゃねーんだ。その人の思考が、たとえ自分の中にあるとしても、それは、その人のものなんかじゃなくて……。
というか、彼も、そこまでわかっていて、どうしてそれでいい、なんて思えるんだろう。
いや、思えていないのかもしれない。必死にそれで満足しようとしているのかも。
きっと親父が天国で楽しくやってるって、そう思うことで、いや、俺はそう思えるわけじゃなくて、ただ、親父の記憶は俺の中にある。
ただ、それだけに過ぎないのに……。
それで満足して、いきていこう、俺も頑張ろうとするのは、やはり、自分が生きていることが、前提となっているからだろう。
俺は、何故思えないのだ。