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今読み返してみて、少しコメントしようと思った。
そして、書いていたら、卒論にも使えそうな気がしてきた。のでタグを変えた。
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今読み返してみて、少しコメントしようと思った。
そして、書いていたら、卒論にも使えそうな気がしてきた。のでタグを変えた。
加藤さんが、リア充にもオタクにもなれなかった堕ちこぼれであった、という見解は、今と変わるものではない。しかし最後の、「恋愛資本主義の矛盾」という言葉に引っかかった。
今、選抜システムについて勉強しているというのもあるけれども、恋愛勝者がいれば、同時に敗者も出てくるわけだ。それは、一夫一婦制を廃止したとしても変わることは無い。第一婦人(夫人)、側室、みたいな区別は残るからだ。
つまり、システム的にもう矛盾を抱えているのである。ゆえに問題にしなければいけないのは、「冷却」と「加熱」の問題なのだ。「冷却」については、二つにわけられるというのが竹内さんの説だけど、これを応用すると、
「俺どうせモテないし、二次にはしるわ」→冷却
「ふられた……。でも他にもっといい人いるよね!」→縮小
ッて感じだろう。なんだか、再加熱とごっちゃになっている気がする。今日、寝る前にもう一度確認だな。
それでまぁだから、恋愛資本主義自体が悪いってことじゃないんだよな。問題は、再加熱できるかどうかという点。昨今は、その資本主義自体から辞退する人が増えている、それが問題。だから、恋愛資本主義の矛盾が解決されることなどないだろう。
これまた、誰か忘れたけど、「解釈可能性」という概念も面白かったりする。いろいろ様々な道をとることができるのに、最悪の道を選んでしまった彼。その心性が問題なのだということだ。だから、彼のおかれた環境状況を事細かに分析しても、あまり意味のある作業とはいえない。直接的な原因は、「ツナギ」だったのかもしれないけれども、通り魔殺人という選択肢を選んでしまった根源的な理由にはならないのだ(同僚を殺してもいいはず)。
だから、劣悪な労働状況というより、むしろ、やはり、「彼女ができない、その一点で人生崩壊」という言葉が真意な気がするのだ。すなわち「承認欲求が満たされなかった」ことに関係するのではないだろうか。だから、いつも、最近よく当てはめてしまうのだけれども、「理想自己」と「現実自己」との乖離。「理想自己」がどこまでもどこまでも「加熱」されているのに、現実状況がまったく追いつかない。そのことが、圧倒的なまでの閉塞感、生きづらさをうんでいるのではないだろうか。
そして、冷却システムとして作動しているのが、「心理学」「カウンセラー」だったりする。あれは、別に病気や悩みを解決してくれるモノではない。単に(といったら語弊があるが)、悩みをクライアントに気付かせるのが目的なのだ。自分が何を悩んでいるのかということを明確にさせる。後は、クライアントの自己治癒能力まかせなのである。悩みに気付いたクライアントは、そんなこと、大したことではないと感じるようになる。これはまさしく、冷却効果ではないか。
話しは少しかわり、友達関係が「重く」なっているのは何故だろうか。それは、コミュニケーションスキルというものが、現代に求められる「能力」と定義され始めているからではないだろうか。
お、これで卒論いけるだろうか。「能力」の問題を明らかにするために、メリトクラシーという社会類型を用いる。近代型の「能力」と、それがどのように評価され、選抜システムとして成立していたのかを明らかにする。次に、重い友達関係を明らかにする。で、それと結びつけて、結論を書けば良いのではないだろうか。仮説は、先に述べたとおり。
「対人関係(友人関係、恋愛関係)が重くなってきているのは、コミュニケーションスキルが現代に求められる「能力」として定義され始めているからである」
おお。なんか、いけそうな気がしてきた。
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